コメットアッセイ: 遺伝毒性を検出するための強力な解析法 - J

「労働安全衛生研究」, Vol. 3, No.1, pp.79-82, (2010)
技術解説
コメットアッセイ: 遺伝毒性を検出するための強力な解析法†
翁
祖
銓*1 小
川
康
恭*2
コメットアッセイは真核細胞における DNA の一本鎖或は二本鎖の切断量を測る上で感度がよく,定量性が
あり,そのうえ簡便,迅速,安価な方法である.今やこの方法は,産業化学物質や環境汚染物質の遺伝毒性評価,
ヒト集団における遺伝毒性影響のバイオモニタリング,分子疫学研究,さらには DNA 損傷と修復の基礎研究な
どの領域で広く応用されている.本文ではコメットアッセイの基本原理,実験プロトコール,解析方法,利点及
び欠点などを述べると共に,コメットアッセイ応用の現状を手短に紹介する.
キーワード: コメットアッセイ,DNA 一本鎖切断,遺伝毒性,分子疫学
1
標に基づき修復動態を検討できる.コメットアッセイの
はじめに
DNA 損傷を検出するために多くの手法が開発され使
基本原理は,電気泳動によりアガロースゲル中で DNA
用されている. 代表的なものとして,アルカリ溶出法
を移動させることにある. 顕微鏡下で見ると,泳動細胞
(alkaline elution assay:AEA),核様体沈降法
は彗星(コメット)のように見える.これは,核領域で
(nucleoid sedimentation:NS),姉妹染色分体交換法
構成される頭部と陽極へ移動しテールを構成するほどけ
(sister chromatid exchange:SCE),DNA 付加体測定
た DNA 鎖からできている(図 1). DNA 移動量の変動
(DNA adduct measurements),染色体異常試験
は様々な要因に依存している.例えば,ゲルのアガロー
(chromosome aberrations:CA ),小核法
ス濃度,pH,温度,そしてアルカリ性による巻き戻し時
(micronuclei:MN),不定期 DNA 合成試験
間,電気泳動における電圧,電流,そして泳動時間など
(unscheduled DNA synthesis:USD)などがある.し
である 1).
かし,まず AEA 及び NS は細胞個々の DNA 損傷や修復
Ostling と Johanson2) が最初に単細胞レベルで DNA
能力を明らかにすることはできず,また比較的多くの細
損傷,特に DNA 二本鎖切断(DSB:double-strand
胞を必要とする.次にSCE,CA 及び MN は細胞遺伝
break),を検出するためのマイクロゲル電気泳動法を発
学的方法であるが,細胞を増殖させて評価するので処理
表した.しかしながら,Ostling と Johanson のプロト
効率から見て自ずと限界がある.さらに DNA 付加体測
コールは広く採用されていない.その理由は中性に近い
定と UDS は,技術的に厄介であるうえに同位体を使用
条件(pH<10)を用いていたためである.その後,Singh
する必要があり感度も低い.
et al.3) は DNA 損傷を検出するためにアルカリ性条件
これらの方法より有用な方法として,単細胞ゲル電気
(pH>13)で電気泳動を行うマイクロゲル法を発表した.
泳動法(Single cell gel electrophoresis)であるコメッ
この pH では,テールへ移動した DNA 量の増大が DNA
トアッセイ(Comet assay)がある.この方法は単細胞レ
一本鎖切断(SSB:single-strand break)量そのものの
ベルで DNA 鎖切断を検出でき,また得られた切断量指
増大と連動する.また,主として不完全切除修復サイト
からなるアルカリ感受性サイト(ALS:alkali-labile site)
細胞
の数は SSB 量と相関する 4)のでこの変化とも連動する.
すなわち,ほとんどすべての遺伝毒性物質が DSB より
溶解
桁違いに多い SSB や ALS を生成するので 5),このアッ
セイは遺伝毒性物質を同定するための方法としては非常
テール
頭部
に感度が高い.最近の 20 年間に,この方法は人間と環
境のバイオモニタリングから遺伝毒性学における DNA
電気泳動
修復の領域まで広範な分野で応用され,これらの分野に
携わる研究者にとって基本ツールとなるまでに発展した.
スーパーコイルDNA
コメット
(溶解後の核様体)
図1
コメットを構成する DNA.
† 原稿受付 2009 年 04 月 14 日
† 原稿受理 2009 年 11 月 18 日
*1 労働安全衛生総合研究所 健康障害予防研究グループ.
*2 労働安全衛生総合研究所 登戸地区担当
連絡先:〒214-8585 神奈川県川崎市多摩区 6-21-1
(独)労働安全衛生総合研究所 小川 康恭*2
E-mail: [email protected]
2
コメットアッセイのプロトコール
現在,コメットアッセイは上述の Singh et al.3)が実用
化したアルカリ性条件下による方法が最も頻繁に使用さ
れており,コメットアッセイのガイドラインが
International
Workshop
on
Genotoxicity
Test
Procedures 6)に解説されている.その方法を以下に簡潔
に述べる.図 2 で示すように,細胞をガラスのスライド
(またはプラスチックフイルム)の上でアガロースの薄
層 に 封 入 し , 溶 解 液 ( 100mMEDTA , 2.5MNaCl ,
80
用意した細胞
0.75%低融点ゲル
Tail
Head
電気泳動
溶解
Tail length
中和
図2
染色
蛍光顕微鏡分析
Total Acreage of Head Intensity:
アルカリ性コメットアッセイにおける主要なステップ.
Total Acreage of Tail Intensity:
1%N-lauroylsacosine,10mMTrizma base と 1%のトリ
トン X-100 pH=10)中で 60 分間溶解する.この操作
Tail%DNA =
/(
+
) × 100%
により,膜と可溶性細胞成分ばかりではなくヒストンも
取り除かれ,スーパーコイル化された DNA が核マトリ
Tail Moment (TM) = Tail length × Tail%DNA/100
クスに付着した状態で残る.次に,アルカリ性溶液(1mM
EDTA 300mM 水酸化ナトリウム pH>13)に 20 分
図3
画像解析法により求められる指標.
間浸しスーパーコイルの巻き戻しを行うと共に DNA を
一本鎖化する.このスライドをアルカリ性条件下(pH>
解析において%tail DNA が唯一無二の測定項目である
13)で電気泳動(25V
300mA,20 分)する.電気泳
べきだとのコンセンサスは未だ得られていないので,な
動後,スライドを適当なバッファ(例えば trizma,
かには%tail DNA ではなく tail moment の測定値しか
pH=7.5)で 5 分間すすぎアルカリ性のゲルを中和した後,
出力されない測定システムがあり,その場合は tail
無水エタノールに 5 分程度浸すことによって脱水する.
length のデータがなければ%tail DNA を算出できない.
最終的にエチジウムブロマイド等を用いた DNA 染色を
なお,得られた結果の代表性が確保されるためには 1 ス
行い,コメットのテールを蛍光顕微鏡によって観察する.
ライドあたり少なくとも 50 個のコメットを解析するこ
とが推奨されている.
3
画像解析システムの利用もしくは人力による得点化
その他の定量法として,DNA 移動パターンを人力に
個別細胞の DNA 移動パターンを定量化するための
より得点化する方法がある.それは,テールの相対的強
様々な画像解析システム(あるいはソフトウエア)が流
度を 5 段階に分類した典型的な例を提示して(図 4)目
通しており,また無料で入手できるソフトウェアもある.
視計測でコメットを評価する方法である.この場合,1
コンピュータを用いた画像解析法により得られる指標
サンプル当たり 100 個のコメットを計測すると全体とし
は%tail DNA,tail moment,もしくは tail length で
て 0-400 の間の得点を得る 7).
ある.一般的には,%tail DNA はテール中の DNA 量を
細胞中の全 DNA 量で割った値に 100 を掛けた値,tail
length はコメット頭部の中心もしくは推定される境界
線からテール末端までの距離,そして tail moment は%
tail DNA と tail length の積として定義される.現在広
0点
1点
2 点
く使われている定義を図 3 に示す.理論的には,tail
moment は DNA の移動量とテール中の DNA の相対量
の両方を考慮しているので,誘発された DNA 損傷量の
適切な指標である.しかしながらその tail moment の測
定法は標準化されておらず,異なった画像解析システム
は異なった値を与えるため,研究室間でデータを比較す
る場合には問題が生ずる.その際特に tail length が問題
3点
図4
となる.定義が異なっている場合があること,その値が
電気泳動条件に依存することなどが原因である.それと
4
4点
人リンパ球から得られたコメットの典型例.
視覚的分類による得点を下に示す.
コメットアッセイの利点・欠点
比較すると,%tail DNA は広い DNA 損傷量の範囲でそ
アルカリ性条件(pH>13)でのコメットアッセイが
の損傷量と関連を示し,さらにこのほとんどの範囲で
1988 年に導入されて以来,本法の応用範囲と使用研究者
DNA 切断頻度と直線的に関連している 7).よって直感的
数はほとんど指数関数的に増加した.他の遺伝毒性評価
にも理解し易い便利な指標である.しかしながら,画像
法と比較してこの方法の利点は以下の通りである.
「労働安全衛生研究」
81
(1)低レベルの DNA 損傷量を検出するだけの感度があ
タ).このように人における遺伝子-環境相互作用に関す
る.(2) 1 サンプル当たりの必要細胞数が少なくてよい.
る情報の集積が進めば,労働者の化学物質感受性に関す
(3)手技が複雑でない.(4)実験費用が安くて済む.(5)応
る知識も増大し労働者の曝露管理をする上で有益な情報
用が容易である.(6)個別細胞のレベルでデータを収集で
を提供できることになる.コメットアッセイはこの面で
きるのでより頑健な統計解析が可能となる.(7)増殖性,
も期待されている.
7
非増殖性を問わず,イン・ビトロ,イン・ビボ何れの真
核細胞集団でも実験することができる.(8)実験時間が短
おわりに
コメットアッセイは,細胞,動物,人間に対する産業
あるいは環境変異原物質の影響を評価したり,DNA の
くて済む.
欠点としては、アルカリ性状態での巻き戻し時間,電
損傷と修復の基礎的研究を行ったりするための強力な解
気泳動時間,評価指標の定義などコメットアッセイにお
析法であると多くの人が考えている 8, 15-17).実際,コメ
ける手技の統一性欠如のため,実験室間の比較が難しい
ットアッセイを評価手法として使っている論文の数は非
こと,また,DNA の損傷の一つである染色体異数性の
常に多い.例えば 2009 年 3 月において,Pub Med デー
種類を検出できないことなどが挙げられる.
タベースに検索語として「comet assay」を使って論文
を検索すると 4266 件ヒットしたことからも推測できる.
5
労働衛生分野における応用
1990 年代に入りコメットアッセイは労働衛生の分野
多くの報告よりコメットアッセイは低レベルの DNA 損
傷量を検出できる敏感さを持つだけではなく,遺伝毒性
8).近年,ある種の修復関
でも遺伝子毒性の評価指標として有用であることが認識
がないときは擬陽性率が低い
されるようになり,今ではスチレンなどの有機溶剤,多
連酵素(例えば,formamidopyrimidine glycosylase,
環芳香族(PAH),毒性の強い金属,遺伝毒性物質を含む
endonuclease III,uracil-DNA glycosylase,ヒト
粉じん,農薬などに曝露された労働者の健康影響に関す
8-hydroxyguanine DNA-glycosylase など)を組み合わ
る数多くの研究で用いられている
8).これらの結果を検
せることにより,この分析法の感度と特異度をさらに増
討すると CA,MN,SCE など細胞遺伝学的方法で得ら
大させる試みがなされている.コメットアッセイはこの
れた結果と基本的には矛盾していない.さらに,幾つか
ように簡便で信頼できる方法であるが,さらに処理工程
の遺伝毒性物質においてはコメットアッセイの方が細胞
を減らすことができればより処理量を大きくでき,コメ
遺伝学的方法よりも鋭敏である場合がある.例えば DNA
ットアッセイの潜在能力を完全に発揮できることになる
損傷について,廃棄物処理場で働いている労働者では
だろう.
SCE で,またジェット燃料や炭化水素類に曝露されてい
る飛行場の労働者では SCE 及び MN で検出できなかっ
たにもかかわらず,コメットアッセイでは DNA 損傷が
検出されている
文
1)
9).また,抗ガン剤を扱っている薬剤師
と看護婦の調査では,低濃度の曝露においてもコメット
なかった
2)
mammalian cells. Biochem Biophys Res Commun.
11)では,コメットア
1984; 123: 291-298.
3)
SCE と共に影響指標として推奨しているが,MN は職業
Singh NP, McCoy MT, Tice RR, Schneider EL. A simple
technique for quantitation of low levels of DNA damage
in individual cells. Exp Cell Res. 1988; 175: 184-191.
集団における試験方法としては不適であると述べられて
いる.このようにコメットアッセイは感度が鋭敏で今ま
Ostling O, and Johanson KJ. Microelectrophoretic
study of radiation-induced DNA damages in individual
10).さらに,最近発表された職業性スチレン曝
ッセイは特に短期影響を評価する面で有利であるとして
Fairbairn DW, Olive PL, O`Neil, KL. The comet assay:
a comprehensive review. Mutat Res. 1995; 339: 37-59.
アッセイで DNA 損傷が検出できたが MN では検出でき
露者の遺伝毒性評価に関する総説
献
4)
Angelis KJ, McGuffie M, Menke M, Schubert I.
で検出されなかった影響も検出できる可能性を示してい
Adaptation to alkylation damage in DNA measured by
る.
the comet assay. Environ Mol Mutagen. 2000; 36:
6
146-150
コメットアッセイ応用への新たな展開
近年、遺伝子-環境相互作用の研究が広く行われてお
5)
Saga A, Ishida K, Tsuda S. The comet assay with
り,この分野におけるコメットアッセイの応用が進んで
いる
Sasaki YF, Sekihashi K, Izumiyama F, Nishidate E,
12).著者の一人もコメットアッセイを使ってこの
multiple mouse organs: comparison of comet assay
方面での研究成果を発表しており,XRCC1 (X-ray
results and carcinogenicity with 208 chemicals selected
repair cross-complementing group 1)の コドン 280 の多
from the IARC monographs and U.S. NTP
型が白血球の基底レベルでの DNA 損傷に影響を及ぼす
Carcinogenicity Database. Crit Rev Toxicol. 2000; 30:
こと
13),
さらには
XRCC1 コドン 194 と 399 の多型が、
単核細胞の基底レベルでの DNA 損傷に影響を及ぼすこ
とを報告した
14).また最近、ALDH2(aldehyde
dehydrogenase-2)の多型が多量飲酒者の単核細胞の
DNA 損傷量を変動させることを見出した(未発表デー
Vol. 3, No.1, pp.79-82, (2010)
629-799.
6)
Tice RR, Agurell E, Anderson D, Burlinson B,
Hartmann, A, Kobayashi, H, Miyamae, Y, Rojas, E, Ryu,
JC, Sasaki, YF. Single cell gel/comet assay: guidelines
82
7)
8)
for in vitro and in vivo genetic toxicology testing.
in healthy Japanese workers. Environ Mol Mutagen.
Environ Mol Mutagen. 2000; 35: 206-221.
2008; 49: 708-719.
Collins AR, Ma AG, Duthie SJ. The kinetics of repair of
pyrimidines) in human cells. Mutat Res. 1995; 336:
polymorphisms, and age on basal DNA damage in
69-77.
human blood mononuclear cells. Mutat Res. 2009; 679:
Faust F, Kassie F, Knasmuller S, Boedecker RH, Mann
59-64.
15)
Møller P. The alkaline comet assay: towards validation
comet assay with lymphocytes in human biomonitoring
in biomonitoring of DNA damaging exposures. Basic
studies. Mutat Res. 2004; 566: 209-229.
Clin Pharmacol Toxicol. 2006; 98: 336-345.
Pitarque M, Creus A, Marcos R, Hughes JA, Anderson
16)
D. Examination of various biomarkers measuring
Mutat Res. 1999; 440: 195-204.
Møller, P. Assessment of reference values for DNA
damage detected by the comet assay in human blood
genotoxic endpoints from Barcelona airport personnel.
10)
Weng H, Weng Z, Lu Y, Nakayama K, Morimoto K.
Effects of cigarette smoking, XRCC1 genetic
M, Mersch-Sundermann V. The use of the alkaline
9)
14)
oxidative DNA damage (strand breaks and oxidised
cell DNA. Mutat Res. 2006; 612: 84-104.
17)
Wasson, GR, McKelvey-Martin, VJ, Downes, CS. The
Maluf SW, Erdtmann B. Follow-up study of the genetic
use of the comet assay in the study of human nutrition
damage in lymphocytes of pharmacists and nurses
and cancer. Mutagenesis. 2008; 23: 153-162.
handling antineoplastic drugs evaluated by
11)
cytokinesis-block micronuclei analysis and single cell
本研究は,独立行政法人労働安全衛生総合研究所所内プロジェ
gel electrophoresis assay. Mutat Res. 2000; 471: 21-27.
クト研究「蓄積化学物質のばく露による健康影響に関する研究」
Maluf SW. Monitoring DNA damage following radiation
(P21-01)と「健康障害が懸念される産業化学物質の毒性評価
exposure using cytokinesis-block micronucleus method
に関する研究」
(P21-03)の一環として行われたものである.
and alkaline single-cell gel electrophoresis. Clin Chim
Acta. 2004; 347: 15-24.
12)
Dusinska M, Collins AR. The comet assay in human
biomonitoring: gene-environment interactions.
Mutagenesis. 2008; 23: 191-205.
13)
Weng Z, Lu Y, Weng H, Morimoto K. Effects of the
XRCC1 gene-environment interactions on DNA damage
「労働安全衛生研究」