303 深田久弥「軍服登山」 私、深田久弥は金沢の歩兵第7連隊に幹部候補生として2月に入営しました。 北国の冬は天候が悪く、晴れた青空を見る日は1週間に一度あるかなしでした。その代わりたまに晴 れた日は実にすばらしい。空は濃い紺碧で、東京などでは見られぬ色でした。 やがて私も伍長に進級して、日曜日の外出は夜9時まで許可がでました。 私はこの日曜を利用して能登の「宝達山(637m)」に登ることにしました。中学の教科書にも郷土の名 山とあり、期待できる山だろうと想像して挑戦しました。金沢駅から汽車に乗り七尾線の宝達で降り ます。すぐ歩きだし、上野という村から尾根伝いに上がって行きます。道はあるけどブッシュが深く て腰から下は朝露のためビショ濡れになりました。しかし一人歩きは早く、ゴリキ峰というのを越え て、11時にはもう頂上に着いてしまいました。 1等三角点。気持ちのいい草っ原です。なによりもまず展望! 果たして右手に白山、左手に立山 の両雄山を望むことができました。しかしそれもかすかにかすかで、しばらくするうちにまるで尊と いものを惜しむように姿を消しました…。 私はここから尾根伝いに雄池という双子池を訪問し、再び山頂に戻ってみると6,7人の男がトグ ロを巻いて酒盛りをしています。退散しようとすると「やあ、兵隊さん、国家の大事を守る人、ここ へ来て一杯やりなさい」呼び止められました。満州事変勃発直後でしたので軍服姿の登山家が彼らに は珍客に思われたのでしょう。私は軍帽に水筒を下げ腰には銃剣をつっていたので、逃げるのも帝国 軍人の体面にかかわる。勧められるままに冷酒を飲み、鶏の刺身というあやしげなものを食 べました。私は少々酔いの回ったフラフラ足で、こんどは別の道をとり長谷という沢を下り、宝達駅 から夕方の汽車に乗り金沢に帰ってきました。 また10月のある日、私たちの中隊で浅野川の上流の方へ演習に出かけました。 演習は午前中に終わりましたので、兵隊たちはキノコ採りに出向き、私だけ午後には目前の「戸室山 548m」を登りはじめました。小豆沢集落を出てしばらく山道があったけど、途中で道は消えました。 そこで強引にヤブ漕ぎでガムシャラに登ったところ、頂上に達しました。 曇っていて遠い山は見えませんが、見覚えのある近くの山は手にとるように見え、嬉しい展望でした。 無断で登ってきたので頂上にゆっくりできません。また大急ぎで下りました。兵隊たちは天幕いっぱ いのキノコをとっていました。軍隊に束縛され自由に山へ行けない この秋も、11月末に除隊となって東京へ帰りました。 (昭和9年刊行 「わが山々」より)
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