「『こどもの日』・『母の日』に寄せて人間の絆の大切さ考える」

2010/05/01
第 1 0 4 号
風 薫 る五 月 を迎 え、国 分 寺 から望 む関 東 山 地 の山 々が新 緑 へと衣 替 えをし
ています。武 蔵 野 の雑 木 林 も 若 葉 が茂 り、一 回 り大 きくなりまし た。晴 れ た日 には
散 策 に出 かけ、五 感 で 初 夏 の訪 れを感 じてはいかがでしょうか。
「 『こどもの日』・『母の日』に寄せて人間の絆の大切さ考える」
∼最近の相次ぐ凶悪な身内殺傷事件の背景から見えてきたもの∼
顧問・川村文男
◆はじめに
最 近 、子 ど も が自 分 の両 親 や身 内 を 殺 傷 する事 件 や、あるい は親 の虐 待 によ
って幼 い子 どもの命 を奪 う事 件 が相 次 ぎ、世 間 を震 撼 させています。
こうした事 件 は以 前 にも稀 にはありましたが、これほど頻 繁 にはなかったように
思 われます。一 体 、今 、何 が起 こっているのでし ょうか?
これ は、私 の独 断 と 偏 見 かもしれ ませんが、これ まで 日 本 の文 化 の中 で 永 年 培
われてきた太 陽 や自 然 の恵 みへの感 謝 と 畏 敬 。あるいは両 親 を 始 め 身 内 への敬
愛 の情 や感 謝 の念 はも とより、友 人 知 人 を 含 め たコミュニティーに対 する思 い やり
や感 謝 の気 持 ちが希 薄 になってきた表 れで はないでしょうか。
今 回 は、『こどもの日 』・『母 の日 』に因 んで、感 謝 の気 持 ちの大 切 さと人 間 の
絆 について、OZEC に集 うみなさんと共 に考 えてみたいと思 います。
◆ 日本の文化の中の年中行事と『自然』の節目を大切にする風習
日 本 の 年 中 行 事 と 祝 祭 日 に つ い て 紐 解 くと 非 常 に 興 味 深 い こ と が分 か り ま す。
と りわ け、戦 前 の 祝 祭 日 には 節 目 を 中 心 と し た神 や 自 然 に対 す る畏 敬 の 念 が色
濃 く 反 映 され てい ます 。 例 え ば、1870 年 (明 治 三 年 ) に 布 告 され た 九 祝 日 は 、正
こしょうがつ
じ ょ う し
月 元 旦 (大 正 月 )、正 月 十 五 日 (小 正 月 )、三 月 三 日 (上 巳 の節 句 )、五 月 五 日
た ん ご
たなばた
ついたち
(端 午 の節 句 )七 月 七 日 (七 夕 の節 句 )、七 月 十 五 日 (中 元 ・お盆 )、八 月 朔 日
はっさく た の み
格 を重 んじ、子 どもの幸 福 をはかると共 に、母 に感 謝 する日 」との説 明 が付 されて
い ます。 この 思 想 は 、「 こど も の 日 」は 子 ど も の 成 長 を 祝 い 幸 福 を 願 う だけで な く、
「母 に感 謝 する日 」でも あるということに他 なりません。
◆ 『母の日』について
ご承 知 のように、日 本 では「国 民 の祝 日 」ではありませんが、五 月 の第 二 日 曜
日 は『母 の日 』です。この日 は、母 に感 謝 の気 持 ちを表 す日 です。
1905 年 5 月 9 日 、 アメ リカ の フ ィ ラデ ルフ ィ ア に住 む 少 女 「ア ン ナ ・ ジャ ー ビ ス 」 が
母 の死 に遭 遇 し たことで 、生 前 に母 を敬 う 機 会 を 設 けたいとい う 思 い から、働 きか
け た こ と に 由 来 し て 生 ま れ た も の で す 。や が てこ の 働 き か け は ア メ リ カ 全 土 に 広 が
り 、 1914 年 に は 当 時 の大 統 領 「 ウ イ ル ソ ン 」 が5 月 の 第 二 日 曜 日 を 『母 の 日 』 と 制
定 し、国 民 の祝 日 となりました。
因 み に 、 ア ン ナ の 母 親 が 好 き だ っ た 白 い カーネ イ ショ ン を 胸 に 飾 っ たこ と か ら 、
母 が 健 在 で あ れ ば 赤 い カ ー ネイ シ ョ ン を 、 亡 く な っ て い れ ば 白 い カー ネ イ シ ョ ン を
胸 に飾 る よう にな り 、カ ーネイ シ ョ ンを 贈 る 習 慣 へと 変 化 し てい っ た 、と い わ れ てい
ます。
日 本 で 初 め ての 母 の 日 を 祝 う 行 事 が 行 なわ れ たの は 明 治 末 期 ( 1911年 ) 頃 と
い わ れ て お り 、 1915 ( 大 正 4 ) 年 に 教 会 で 祝 わ れ 始 め 、 徐 々 に 一 般 に 広 ま っ て い
ったと伝 えられています。
昭 和 ( 1926 年 ) に は い る と 、 三 月 六 日 を 『 母 の 日 』 と し て い ま し
た。この日 は当 時 の皇 后 の誕 生 日 に当 たっ てい まし た。現 在 のよ
う に な っ た の は 、 戦 後 し ば ら く た っ た 1949 年 5 月 か ら だ と い わ れ て
います。
蛇 足 ながら、『母 の日 』の歴 史 は、古 代 ローマ時 代 に遡 り、
神 々の母 リーアに感 謝 する春 祭 りから始 まっ たと い う 説 があります。
一 方 17世 紀 のイ ギリスの『復 活 祭 (イ ースター)』の40日 前 の日 曜
日 を 『マ ザ ーズ ・サン デ ー』と 呼 ぶ 歴 史 もあ りま す。いずれ にし ても、
世 界 各 国 で『母 の日 』のような母 親 に感 謝 する催 し は様 々な形 で
広 がっていることは間 違 いありません。
なお、韓 国 で は 『父 母 の日 』と し て両 親 を 一 緒 にお祝 い する 慣
わしもあるようです。
ちょうよう
(八 朔 田 実 の節 句 )、九 月 九 日 (重 陽 の節 句 )、九 月 二 十
てんちょう
二 日 (天 長 節 )となっています。
その後 も、何 回 か祝 祭 日 は改 正 されていますが、基 本
的 にはこの九 祝 日 の思 想 が反 映 され てい ます。その結 果 、
私 たちの日 常 生 活 にも少 なからず影 響 を与 えてきたといっ
ても、過 言 ではないと思 います。
◆ 五月の『こどもの日』(国民の祝日)について
五 月 五 日 は 『子 ど も の 日 』で すが 『祝 日 法 』 ( 国 民 の祝 日 に 関 する 法 律 ) によれ
ば、その第 二 条 で 『 こど も の日 』 につい て次 のよ う に明 記 し てい ます 。「 子 ど も の人
◆おわりに
今 月 は、五 日 の『こども の日 』と第 二 日 曜 日 の『母 の日 』というエポック な日 を迎
える月 です。いずれも子 どもと母 親 に焦 点 を 当 てたものです。
冒 頭 でも 述 べまし たが、最 近 の世 情 は子 ども の虐 待 や両 親 の殺 傷 など凶 悪 な
犯 罪 が 多 発 し て い ま す。 こ う し た 状 況 を 改 善 し て い く た め にも 、 私 た ちは も と よ り 、
マスコミや政 府 機 関 が協 力 しながら行 動 しなければなりません。
この機 会 に家 族 とは何 か、人 間 の絆 とは何 か、こどもの成 長 と幸 せとは何 か、
母 親 の愛 と 感 謝 とは何 かについて、見 つめ直 す機 会 にしたいもので す。
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