アジアの新潮流 2008/10/07 本日のもくじ 2008年 名古屋大学国際開発研究科 公開講座 z中国とインドの概況 アジアの新潮流 中国とインド、そして・・・ z中国の第一段階の社会主義経済 zインドの第一段階の混合経済 z中国の第二段階の社会主義経済 (1)中国とインドの経済社会発展比較 zインドの第二段階の混合経済 橘田正造 (筑波大学) z中国とインドの現政権の課題 z中国とインドの社会構造比較 z本日のポイントの整理 1 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 2 zゴールドマンサックス社「BRICsレポート」予測 (2003年) 名目GDP(10億ドル) 一人当りGDP(ドル) GDP実質成長率(%) 製造業/GDP(%) 輸出額(10億ドル) 輸入額(10億ドル) FDI流入額(億ドル) (1)中国は2010年代半ばに日本を、30年代半ばに米 国も抜き50年に世界一位; (2)インドは20年代半ばに日本を、40年代半ばに米 国を抜き50年世界二位の経済大国。 z世界人口62億人で中国13億人とインド11億人。 z世界人口の約4割を占め経済力を高める両国と21 世紀に如何に付き合えば良いか。 z両国の「国のかたち」形成の歴史を知ろう! 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 両国の現在のマクロ経済概況 BRICsの中国とインド 3 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 中国 2,667 2,055 10.7 48.7 1,218 956 694.7 インド 903 784 9.2 27.9 145 217 168.8 日本 4,376 34,252 2.7 20 713 621 △65 出典:WTO、UNCTAD、内閣府;【注:輸出入額2007年値、それ以外は2006年値】 4 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐1 アジアの新潮流 2008/10/07 中国とインド両国の 政治経済を揺さぶる農民パワー 両国の建国時/独立時 初期条件は極似 z中国:第11次5ヶ年計画(2006~10年)筆頭項目: z農民対策(社会主義新農村建設 三農問題 対策) z農民対策(社会主義新農村建設=“三農問題”対策) z地方農民の暴動多発と直訴村、上海等都市部の農 民工と家族の悲惨な生活、農業税の廃止。 z中国:1945年8月日本降伏から蒋介石の“国民党” 軍との全国規模の内戦を経て 1949年天安門での 軍との全国規模の内戦を経て、1949年天安門での 毛沢東による建国宣言。 zインド:ジンナー率いるイスラム教国家(東・西パキ スタン)建国の動きによる旧インド分裂と内乱、大英 帝国インド総督の帰英を経て1947年独立宣言。 zインド:2004年春の連邦議会総選挙で与党「人民党」 (当時)が地方農民層の不支持でまさかの敗北。 z09年総選挙で現与党「国民会議派」の勝敗の鍵は地 方農民票が握る。 z石油等原材料価格高騰で既に二桁のインフレ率 ⇒地方貧困農民層に打撃。 5 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 z1950年代初頭の両国の経済発展の初期条件: 年代初頭の両国の経済発展の初期条件 膨大な貧困農村人口、高い人口増加圧力、低い農 業生産性、少ない資本蓄積、低い生産技術。 6 両国の1950年代から現在までの 経済政策の大きな流れ z中国: 「農民からの収奪」⇒ソ連型集団農場導入(人民公 社)⇒農民が一旦得た農地を失う⇒生産意欲減退 、農場離脱⇒毛沢東の教条主義指導型の社会主 義建設へ。大躍進運動、文化大革命。 第2段階(1978年~現在)=鄧小平の「改革開放」と 「社会主義市場経済」、外資積極導入等。 zインド: 「社会的公正最優先」による”議会制民主主義”+” 民 計画経済型混合経済体制”→ネルー初代首相(国 民会議派党首)による社会主義指向と過度の①公 営企業保護、②農民保護、③補助金体質。 zインド:第1段階(1947年~90年)=3代に亘るネル ー・ファミリーによる「社会的公正」優先の計画経済 型「混合経済体制」→部分的経済自由化に終始。 第2段階(1991年~現在):独立以来未曾有の経済 危機(1991年)を経て本格的な経済自由化始動。 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 2008/10/07 両国が始めた異なる経済発展政策 z中国:第1段階(1949年~76年)=毛沢東による教 条型社会主義建設→経済より政治優先(共産党内 権力闘争);(76年毛沢東死去) 7 中国とインドの経済社会発展比較 8 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐2 アジアの新潮流 2008/10/07 中国の第一段階の社会主義経済 (1) 中国の第一段階の社会主義経済 (2) z百家斉放・百家争鳴”運動=1956年ソ連フルシチョ フ第一書記(当時)がスターリンの個人崇拝、独裁政 治、同志粛正を批判。これを受けて毛沢東が行っ た運動。→中国共産党を批判した知識人達(=反 毛沢東派)を反右派闘争で根絶やしに。 z大躍進運動(1958~60年)=農工業の大増産運動: ①農業の実情を無視した集団農場化(人民公社)、 ②原始的溶鉱炉による鉄鋼大増産 生産された ②原始的溶鉱炉による鉄鋼大増産→生産された 1000万トン以上の製鉄の内、約60%は粗悪品。 z専門家指導無しの灌漑施設建設、密植・深耕運動 など効果無く、上記②の為に、農民大量動員され、 天災も重なり→大凶作で餓死者3千万人とも。 z“大躍進運動”=1957年フルシチョフが、工業・農業 生産で15年以内にソ連が米国を追い越すと宣言。 これを受けて毛沢東が当時世界第2位の経済大国 英国を15年で追い越すと宣言して1958年に始めた 農工業大増産運動。 9 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 z毛沢東失脚→鄧小平等実務派の台頭と失脚 →毛沢東復活(文化大革命) 10 中国の第一段階の社会主義経済 (3) z“文化大革命”の始動と終了までの経済政策(続): (3)都市と農村部との制度的隔離政策:都市部工業 (3)都市と農村部との制度的隔離政策 都市部工業 の雇用吸収力の限界、国有企業による家族丸抱え の教育・医療負担の限界→地方農民の都市流入 制限制度化(戸籍制度、食料配給制度、労働就業 制度が連鎖機能)→農村部に過剰労働者が累積→ 農村部の貧困益々深刻化。 z“文化大革命”の始動と終了までの経済政策: (1)重工業優先政策→希少資源の重工業部門集中投 入→非効率な資源配分; (2)農村からの収奪→主要農産物義務供出制度+肥 料等投入財の高価格供給→“農工間価格格差”に よる農村から重工業への資源移転。 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 2008/10/07 中国の第一段階の社会主義経済 (4) z“三線建設”開始:中ソ援助協定の破棄(1960年)、 米国ベトナム介入(ベトナム戦争)(64年~)、台湾 との対峙→経済原理を無視した形で軍需工場等重 要な国営企業を内陸部へ移設。 11 中国とインドの経済社会発展比較 (4)都市部と農村部双方の購買力が脆弱、政策的に 消費も抑制→結果的に軽工業も低迷。 12 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐3 アジアの新潮流 2008/10/07 インドの第一段階の混合経済 (1) インドの第一段階の混合経済 (2) z1950年代後半経済実績良好→「マハラノビス・モデ ル」一時期脚光を浴びる。ライセンス規制制度の導 入 民間企業活動抑制 入→民間企業活動抑制。 z1947年ネルー初代首相の独立宣言:「インドの課題 は、貧困と無知と病気と機会の不平等の終焉」→イ ンドの経済政策の理念「社会的公正」。 z1960年代インド経済低迷=①カリスマ的リーダー のネルー死去(64年)、②天候不順(65~66年)で 農業生産低迷→食料大量輸入、③中印国境紛争( 62年)、印パ紛争(65年)→国防費増加 z1950年末与党“国民会議派”内でネルー実権掌握 →①第2次5ヶ年計画(1955年~)で「重工業化優 先政策」;②56年「産業政策決議」で全産業を3分類 →基幹産業は国家 国営企業担当を明確化;③輸 →基幹産業は国家・国営企業担当を明確化;③輸 入代替工業化(国産化);④農地改革着手(農業集 団化実施せず)→大規模所有制限は実質的失敗。 13 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 zインド経済の三重苦=食糧不足、インフレ昂進、財 政赤字肥大→非効率で赤字体質の国営企業、農 民保護の補助金体質等が財政赤字を加速。 14 インドの第一段階の混合経済 (3) z構造的特徴の“食糧不足、外貨不足、貯蓄不足”に 好転の兆しも、経済停滞に変化無し。何故? z過度な保護下の公営企業→非効率生産→赤字経 営→補助金体質、競争不在→国際競争力不足。 z石油危機(73年)等で20%超狂乱インフレと政治混 乱から「非常事態宣言」。アドホックな経済自由化→ 閉鎖的経済運営の基調変化無し。 閉鎖的経済運営の基調変化無し z過度の農民保護で税収基盤脆弱(就業人口70% の農民免税、電気料金免除等、肥料補助金等)→ 州政府+連邦政府恒常的財政赤字の解決困難。 州政府+連邦政府恒常的財政赤字の解決困難 z70年代後半に「緑の革命」成功→食料輸入顕著に 減少→外貨準備高と貯蓄率が増加。 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 2008/10/07 インドの第一段階の混合経済 (4) zインデイラ・ガンジー“国民会議派”党首と首相就任 (1966年)するも 印パ紛争継続 ベトナム戦争激 (1966年)するも、印パ紛争継続、ベトナム戦争激 化(インドはベトナム支持)→米国の対印援助停止 →対米国不信→ソ連への接近。 15 中国とインドの経済社会発展比較 z過度の補助金体質→国内・外国借入れで補填→元 利金負担増でインフラ整備に遅れ→経済停滞。 16 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐4 アジアの新潮流 2008/10/07 中国の第二段階の社会主義経済 (1) 中国の第二段階の社会主義経済 (2) z1984年以降、改革の重点を都市部へ。84年5月国 務院公布「国営企業の自主権拡大の暫定規定」→ z毛沢東死去(1976年)→鄧小平権力復活(78年末)。 z日本、東南アジア歴訪→①日本の対中円借款開始 z日本 東南アジア歴訪→①日本の対中円借款開始 、②65年建国の中国人国家シンガポールの発展振 りに驚愕→開放型発展路線を確信→「改革開放」。 17 ①企業の自主的判断拡大(販売量、生産投入財購 入量等)、②販売価格を市場価格に近づける、③組 織・人事配置の自主権拡大、④利潤の内部留保( →企業内再投資の拡大)、等。 z農業改革に着手→人民公社の解体、農産物価格の 引き上げ、農村内留保の促進→「農家経営請負制 度」の全国規模導入→農業生産飛躍的増大 度」の全国規模導入→農業生産飛躍的増大。 z88年趙紫陽が 沿海地区開発戦略」→ 先富論」。 z88年趙紫陽が「沿海地区開発戦略」→「先富論」。 z地方農業の生産性向上→農村の人口過剰度顕著 →地方での「郷鎭企業」の生成・拡大。 《「経済特区」80年4都市→84年14都市→遼東半島、 山東半島追加→92年「全方位開放」(中国全土)》。 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 18 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 中国の第二段階の社会主義経済 (3) 中国の第二段階の社会主義経済 (4) z1989年天安門事件→学生・市民民主化を求め蜂起 →人民解放軍投入し鎮圧・死者多数(注:同年ベル リンの壁崩壊→ソ連瓦解、東西冷戦終結へ)。 z朱鎔基首相(98~03年):建国50周年を迎え21世紀 の中国経済・政治の成否を左右する改革着手。 z改革開放頓挫→1992年鄧小平の突然の華南と上 海訪問→「南巡講話」で市場経済化加速へ。 (2)“三つの実現”:3大改革(行政、国営企業、金融) →中国の非効率3大シンボルの改革。 z「プラザ合意」(85年)後の日本、NIEsの対東南アジ ア投資 段落+円借款等による基盤インフラ整備 ア投資一段落+円借款等による基盤インフラ整備 第一段階完了の90年代初頭以降、対中投資ブー ム。対中投資の初期は「委託生産」主流。 (3)“五つの改革”:財政・税制、医療保険制度、等 →3大改革の実施とその影響緩和に必須。 →3大改革の実施とその影響緩和に必須 (1)“一つの確保”:年8%成長→新規雇用創出。 【結果】行政機関数削減、汚職摘発、民営化企業・ 外資企業増加、主要金融機関不良債権比率低下。 19 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 20 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐5 アジアの新潮流 2008/10/07 インドの第二段階の混合経済 (1) 中国の第二段階の社会主義経済 (5) z行政改革→中央・地方の行政機関数削減と大量の 汚職官僚・党員の公開裁判・処刑→(近年例)06年 9月上海市共産党トップ陳良宇書記の逮捕・免職・ 月上海市共産党ト プ陳良宇書記 逮捕 免職 党政治局員除名→地方での暴動連鎖が続く。 z1980年代末のインド経済の特徴:恒常的財政赤字 →国内外からの借入れ増→元利金返済増→歳出 構造硬直化 インフラ支出抑制 国内産業の国際 構造硬直化→インフラ支出抑制→国内産業の国際 競争力低迷→国際収支赤字拡大→外貨準備減少 →外的ショックに脆弱。 z国有企業改革→国有企業の凋落顕著→(例)工業 部門の雇用者数に占める国有企業:1978年80% →2000年38%と半減)、地方の雇用確保問題。 z90年8月湾岸危機発生→原油価格高騰、中東出稼 ぎ労働者からの外貨送金急減→外貨準備高急減( 90年12月:12.1億ドル=輸入の0.5ヶ月分)。 年 月 億ドル 輸入の 月分) z金融部門改革→貸借人双方のコーポレート・ガバ ナンス欠如、行政の介入根絶せず、不良債権買取 り機関「資産管理会社」の約1兆元損失処理期限。 21 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 z91年1月湾岸戦争勃発→未曾有の外貨危機。 22 2008/10/07 インドの第二段階の混合経済 (2) インドの第二段階の混合経済 (3) z1991年5~6月:(1)日本(緊急円借款)、アジ銀、 日英両中銀による緊急支援で外貨危機凌ぐ、(2) 総選挙で国民会議派ナラシマ・ラオ政権誕生。 z1991年7月ラオ新政権が「新貿易政策」(貿易規制 品目の大幅削減、関税率大幅引下げ等)と「新産 業政策」(産業許認可制度廃止、公企業独占緩和、 外資出資比率緩和等)を矢継ぎ早に発表。【例:外 資規制“改革前”上限40%→”改革後”51%、その直 後100%。直ちにソニー100%出資進出】 zマンモハン・シン蔵相(現首相)による経済改革始 動=(1)ルピー大幅切り下げ(23%)、貿易規制大 幅緩和、(2)超緊縮財政(各種補助金の撤廃・削 減、国防費抑制等)、(3)徴税努力(奢侈品税 法 減、国防費抑制等)、(3)徴税努力(奢侈品税・法 人税引上げ、特定公企業の政府持ち株売却等) zIMF・世銀の支援取り付けの為、”構造調整型”経済 改革を強いられた側面もあるが、マンモハン・シン 蔵相の下でインド政府が主体的に実施し成果を示 した点が国際的評価を得た。 z中央政府の財政赤字対GDP比=90年度6.6%→96 年度4.1%、州政府全体も同3.3%→2.7%へ改善。 23 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 24 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐6 アジアの新潮流 2008/10/07 インドの第二段階の混合経済 (4) インドの第二段階の混合経済 (5) z1996年総選挙で国民会議派”汚職疑惑”で敗北。 短命政権が続いた後、98年総選挙でインド人民党 民 (BJP)バジパイ政権誕生(~2004年4月)→経済改 革路線を踏襲。尚、国内政治で多数党時代到来。 z戦略分野(国防、原子力、鉄道)以外の中央政府 所管公企業の民営化推進→政府株売却益収入、 民間経営で効率化、競争力強化。 z産業ライセンス取得義務撤廃、外資出資比率規制 等の各種規制撤廃→国内競争激化(特に、自動車 、家電、ITサービィス、携帯電話、製薬の各産業)。 z各州議会や連邦議会の次回選挙を睨んでポピュリ ズム政策止まず、特に、各州政府の電力、都市上 水、灌漑等各公社の累積赤字問題は未解決→州 政府の財政赤字深刻。(例外的成果:直間比率の 改善(改革前90年度2:8→06年度5:5) 25 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 z経済活況を追い風にバジパイBJP政権が総選挙を 早めて実施(04年4月)し、まさかの敗北→経済活 況の利益を享受していない地方農民層の離反。 26 中国の現指導体制の課題 z2004年マンモハン・シン首相の国民会議派と地方 政党(共産党等左派を含む)との連立政権誕生。 z第11次5ヶ年計画(2006~2010年)の柱 (1)“経済成長至上主義”から“バランスの取れた経済 発展”へ; (2)所得格差の是正、環境問題への対応に重点; (3)“投資主導型”から“消費主導型”へ。 z第11次5ヶ年計画(2007~2012年)の基本理念: 「Faster & More Inclusive Growth」→①期間中年平 均GDP成長率8%(速いペースで雇用機会創出)、 ②農業セクターの復興(生産性向上と貧困削減)、 ③貧 ③貧困者への公共サービィス拡充(教育、保険医 療、安全な水供給)、④製造業の競争力強化(対 GDP比90年26.9%→06年27.9%の現状打破)、 ⑤人的資源開発(産業人材育成、等)、他。 z【和諧(調和の取れた)社会の実現】=「三農問題」 →「農業」の低生産性、「農村」の荒廃、「農民」の貧困 →喫緊の課題「社会主義新農村建設計画」 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 2008/10/07 インドの現政権の課題 z2003年胡錦涛主席、温家宝首相体制誕生。 27 中国とインドの経済社会発展比較 28 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐7 アジアの新潮流 2008/10/07 中国とインドの経済社会比較 (産業構造比率の変遷) 1990 1995 農水産業 26.9 19.8 14.8 11.8 製造業 41.3 47.2 45.9 48.7 中国 2001年 16.6 46.7 0.447 サービィス産業 31.8 33.0 39.3 39.5 インド 1999年度 34.7 79.9 0.325 農水産業 29.3 26.5 23.4 17.5 日本 2000年 ― ― 0.314 製造業 26 9 26.9 27 8 27.8 26 2 26.2 27 9 27.9 米国 2000年 年 ― ― 0.357 サービィス産業 43.8 45.7 50.4 54.6 中 国 インド 2000 中国とインドの経済社会比較 (貧困者比率と所得格差) 2005 年度・年 注: ジニ計数が0.4以上は所得格差極めて大 出典:世界銀行(中国、インド)、OECD(日本、米国) 単位:%、 出典:アジア開銀“Key Indicators 2007” 29 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 30 中国とインドの経済社会比較 (金融:自己資本比率と不良債権比率) n.a. 11.9 n.a. 12.7 n.a. 12.9 11.8 12.8 29.8 10.4 8.7 25.6 9.1 7.1 20.1 7.2 5.1 15.6 4.9 2.9 10.5 3.3 1.8 z人口比約6%(7千万人)の共産党員が情報掌握・ 操作・管理。全国人民代表大会の農村vs都市で、 代表選出1:4の差→都市部優先、ガバナンス。 不良債権比率(%) 中国 インド (参考)日本の比率 z農村の貧困&都市の“農村戸籍”の農民工(1億以 上)と子弟の悲惨な勤労・学習環境→農村開発。 z民間企業・企業経営者の取り込み→所有権問題。 出典:日本銀行、IMF、中国銀行業監督管理委・インド準銀 31 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 2008/10/07 zカリスマ的指導者毛沢東の死去→鄧小平の主導で 社会主義市場経済 天安門事件(89年)で民主化 社会主義市場経済。天安門事件(89年)で民主化 要求鎮圧、共産党最高執行部内の政権交代。 自己資本比率(%) n.a. 11.4 中国とインドの経済社会発展比較 中国とインドの経済社会発展比較 ポイントの整理(中国) 2001 2002 2003 2004 2005 中国 インド 1ドル/日以下の 2ドル/日以下の ジニ係数 人口比率(%) 人口比率(%) 32 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 01橘田‐8 アジアの新潮流 2008/10/07 中国とインドの経済社会発展比較 ポイントの整理(インド) 中国とインドの経済社会発展比較 ポイントの整理(まとめ) z民衆から畏敬対象のネルー・ファミリー(3名の首 相)の死去は経済社会の大変革をもたらさず。 相)の死去は経済社会の大変革をもたらさず z成熟社会への道:政治の透明度、ジェンダー 配慮、地方分権、市民の政治参加、ガバナン 慮 地方分権 市民 政治参加 ガバ ス(例:法律遵守)、公共サービィス充実; z高い農業就業者率と貧困者率を背景に、従前も 1991年経済改革本格化以降も、連邦政府や州政 府の政権交代は地方農民票が鍵を握る。 z環境問題:情報の透明度、法的対応、 z福祉社会への道:教育・医療保険の拡充 z連邦政府&地方政府の与党は、次回選挙を意識 して長期的視野での抜本的改革を回避傾向。 例:医療費自己負担率(%)(2003年) 中国63.8、インド75.2、日本19.0、米国55.4 z“先富論”的な開発戦略採用は政治的に困難。近 年は“経済特区”(やや小振り)を全国的に展開。 33 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 (出典:世銀”World Development Indicators”) 34 中国とインドの経済社会発展比較 2008/10/07 おわり ご静聴有難うございました。 中国とインドの経済社会発展比較 01橘田‐9
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