政治経済学通信 - 東京大学大学院経済学研究科 柴田ゼミナール

政治経済学通信
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東京大学大学院経済学研究科
柴田ゼミナール ディスカッションペーパー集
2009年3月
『政治経済学通信』第6号
目次
IMFの役割―韓国の金融危機を事例に―
参川城穂
1
岩田佳久
13
横川太郎
31
新井田智幸
57
資本循環論と利潤率概念
サブプライム金融危機と金融不安定性仮説
(研究ノート)ヴェブレンによる科学史と進化論的経済学
IMF の役割―韓国通貨危機を事例に―
参川城穂1
<目次>
はじめに
1. 韓国通貨危機発生直後における IMF 融資の意義
2. 通貨危機から経済危機への深化と IMF
3. IMF 機能強化へのインプリケーション
おわりに
参考文献
はじめに
1997 年秋のタイ・バーツの急落に始まった、いわゆるアジア通貨・金融危機から 10 年が経過した。
アジア通貨・金融危機の発生は、これまでの経常収支危機とは異なる特徴をもっていたことから、経常
収支危機とは明確に区分されることとなり、研究が盛んになされてきたが2、これまでの研究は、危機発
生のメカニズムや国際通貨基金(International Monetary Fund, 以下 IMF と略記)の政策パッケージ
の是非を問うものが多い。危機発生のメカニズムについては新たな理論構築が試みられており、ある程
度の成果があがっているといえよう3。IMF の政策パッケージが危機発生国にどのような影響を与えた
かをみるには一定の時間経過が必要である。アジア通貨・金融危機に関する研究は、発生当初からホッ
ト・トピックとなったのは間違いないが、危機発生の原因や政策の是非を明確にするためには、ある程
度の時間が経過した今にこそ促進されることが期待されると考えられる4。
本稿では、アジア通貨・金融危機に見舞われたタイ、インドネシア、マレーシア、韓国、の中から、
「IMF の優等生」と呼ばれた韓国を選び、通貨危機に対する「IMF 体制」の評価について検討する。
本稿における「IMF 体制」とは、一般的に使われるような国際通貨制度のことを意味するのではなく、
韓国の経済政策が IMF のコンディショナリティに則って行なわれている状態のことを意味する5。韓国
1
東京大学大学院経済学研究科博士課程。
経常収支危機と明確に区分するために資本収支危機として説明したものとして、吉富[2003]があげ
られる。また、これまでの危機が経常収支危機に限定されていたことから、1997 年当時の IMF 専務理
事カムドシュは「21 世紀型危機」として危機の新しさを強調した。
3 Krugman[1979]
、Flood and Garber[1984]に代表される通貨危機理論の第一世代モデル、Obstfeld
[1994, 1996]に代表される自己実現的期待によって危機が起こるという第二世代モデル、Krugman
[1999]により従来のモデル(第一世代モデル)に金融システムが取り入れられた第三世代モデル、が
ある。
4 ただし、政策評価そのものは反事実(counterfactual)を扱う必要性が多少なりとも付随し、そのこ
とによって困難性が高まる。精緻な検討にはこうした困難への取り組みも要求されてしかるべきではあ
るが、ここでは事実関係を確認するにとどめることとしたい。
5 高[2000]なども、韓国の経済政策が IMF の政策によって規定される状態を「IMF 体制下」とする。
因みに、IMF への支援要請後に財閥系企業の倒産が相次いだことを受けて、韓国では「IMF 危機」と
呼ぶ。
1
2
は、比較的短期のうちに IMF 支援からの脱却を果たしたものの、コンディショナリティに含まれる構
造調整政策は継続して行なわれており、IMF コンディショナリティへの批判が相次ぐ中で、その意味を
検討することは重要と考えられる。また、従来型の IMF コンディショナリティに加え、韓国のみに適
用されたものがあることについて確認することも同様に重要であろう。
韓国の経済政策が注目される理由は、1996 年の経済開発協力機構(Organisation for Economic
Co-operation and Development, 以下 OECD と略記)加盟による自由化路線の一方で、介入主義、経
済民主主義という特徴が混在してみられる点にある。危機後の IMF コンディショナリティを遵守した
政策は、新自由主義の採用であり、より自由化に傾斜した政策を採用したようにみえるが、市場に任せ
るだけでなく、労働に関する法整備を行なうなど、政府が果たしている役割は依然として大きいといえ
る6。韓国経済が自由化の過渡期にあったとの指摘は否定しがたいが、政府の役割が機能した状態で自由
化が行なわれ、経済成長が達成されてきたことは看過してはならないだろう。
韓国国内における IMF への評価は、IMF 融資申請後に企業倒産が増加し、通貨危機が経済危機へと
転化していくことをもって批判される向きが強いようである。しかしながら、1980 年代後半からの自
由化路線にも現れているように、韓国は自ら自由化を望んだとみることも可能であり、IMF による構造
調整が他のアジア諸国と同様に批判されるべきものなのかどうかについて、慎重に検討する必要があろ
う。本稿での目的は、韓国通貨危機を再検討することにより、IMF コンディショナリティないしは IMF
の果たした役割について、多角的な分析を行なう必要性があることを指摘することにある。
本稿の構成は次のとおりである。まず、韓国通貨危機発生における IMF 融資の意義を概観する。次
に、韓国通貨危機において、IMF が「危機管理者」としての役割を果たしたことを明らかにする。その
上で、IMF の評価をめぐる視点について触れ、IMF の評価が多角的に行われることによって異なった
ものとなることを述べる。最後に、今般の世界的な金融・経済危機について若干整理し、今後の課題を
示す。尚、本稿におけるデータは、米国東部時間 2009 年 3 月 6 日までのものを使用する。
1.
韓国通貨危機発生直後における IMF 融資の意義
まず、IMF 融資が韓国通貨危機に果たした役割について検討する。IMF 融資は、基本的に加盟国の
要請に従って決定される。このことから、Fisher[1999]は、IMF の「最後の貸し手」としての機能
が機動的でないとの理由から有効なものではないとの批判に対し、融資申請そのものが遅れているのが
原因であって、IMF 内部の問題ではなく、IMF は「最後の貸し手」として有効に機能していると主張
する。だが、IMF の資金規模は通貨危機発生時における必要資金量と比した場合、十分なものとはいえ
ないことに加え、融資に付随するコンディショナリティが危機状態にある加盟国にとっては大きな制約
となることから考えれば、「最後の貸し手」として有効に機能しているかどうかは単純には判断できな
いと思われる。
「最後の貸し手」として有効に機能しているか否かについては、そもそも「最後の貸し手」がどのよ
うなものなのかという定義によっても異なることから、さまざまな評価が生じうる。本稿では、この点
について具体的に考察することは避けるが、韓国通貨危機における「最後の貸し手」機能が、IMF 自体
による融資により果たされたとの評価は支持しない。ウォンの下落が短期間のうちに止まったとみるこ
とも可能だが、これは IMF の資金供給により達成されたのではなく、複数の資金供給により実現した
6
韓国の経済成長の成功要因を政策選択に求める研究もある。例えば、大西[2005]は、韓国の経済政
策を決定するのは大統領だとしながら、財政経済部などの政策当局が適切な政策の選択肢を持っていた
と主張し、政策実行者が有能であったことが韓国経済成長の成功要因だとする。
2
のであって、「最後の貸し手」機能ではなく、「危機管理者」7による危機への対応の取りまとめの結果,
達成されたと考えるからである。
「最後の貸し手」としての絶対の信頼があれば、韓国が IMF に融資申請をした時点で流動性供給が
見込めることとなり市場の信頼が回復し、資金の引き揚げは収束に向かうはずだが、融資申請決定後も
ウォンの下落は続いたことから、IMF による資金供給が市場ではそれほど評価されていないことがわか
る。ウォンの下落が落ち着く契機となったのは、複数の資金供給元からの資金供給が決定し、なおかつ
PSI によって資金の引き揚げが緩和されたことといえる。したがって、韓国通貨危機における IMF 融
資の意義は、単独融資が有効に働いたとのものではなく、複数融資の「呼び水」として機能したという
点において見出されると考えるのが妥当ではないだろうか。
IMF 融資は、通貨価値の安定を目的とした短期的なものである。ウォンの暴落から回復までの期間を
短期間と捉え、評価することも可能ではある。しかしながら、韓国の通貨危機は経済危機へと深化した。
このことは、「最後の貸し手」を経済的損失を最小限にとどめる機能を求められ、経済危機を防止する
ものと考えるならば、IMF は「最後の貸し手」としての機能を果たしたとはいえないのである。
図表 1 ウォンドルレートおよび外貨準備高の推移
対ドル為替レート
1800
1600
1400
1200
1000
800
600
20
08
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06
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90
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19
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84
19
82
19
80
400
Boughton[1997]は、「危機管理者」としての IMF の意義を次のように述べる。第一に、金融市場
は悪いニュースに過剰に反応する可能性があり、さらに事態を悪化させるかもしれない。第二に、コン
ディショナリティは、信用を強化することによって当該国に利益をもたらす。第三に、コンディショナ
リティはモラルハザードを減少させる。第四に、市場による解決の依存は潜在的に損害の多い「倒産」
処置をもたらす。しかし、危機管理は実行可能な選択肢を提供する。
3
7
100万ドル
外貨準備⾼
25
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15
10
5
19
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19 Q1
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Q1
0
( 資 料 ) IMF, International Financial Statistics, CD-ROM お よ び Exchange Rate Archives
(http://www.imf.org/external/np/fin/rates/param_rms_mth.cfm、2009 年 3 月 7 日アクセス確認)よ
り作成。
2.
通貨危機から経済危機への深化と IMF
韓国の通貨危機は、経済危機へと進展した。前述のように、IMF 支援の評価は、通貨危機の局面では
批判的なものとならざるを得ない。「最後の貸し手」としての機能を果たすようになったとの指摘もあ
るが、実際には通貨危機を食い止めることはできなかった8。
図表 2 から明らかなように、韓国経済は 1998 年まで 5%成長を実現していた。1997 年は前年成長率
を下回る状況となっていたが、マイナス成長まで落ち込む状況にあったとは考えにくい。1997 年末の
通貨危機発生と IMF コンディショナリティに含まれる構造調整政策により、1998 年は大きなマイナス
成長となったのである。また、輸出入はほぼ均衡した状態であったことも確認できる。1998 年は緊縮
政策の結果輸入が激減したことにより、GDP 成長率にプラスの働きをしたが、図表 8 に示されるよう
に、失業率は 1998 年の第 2 四半期から急激に悪化している。
Crotty and Dymski[2001]は、途上国が支払い不能状態になった場合に IMF が新たな機能として
「最後の貸し手」機能を果たすようになったと指摘している(Crotty and Dymski[2001]p.5)。変動
相場制移行後、IMF の融資対象国は先進工業国から途上国へとシフトしていることは確かである。しか
しながら、一概に「最後の貸し手」として機能していると断言することは危険である。また、「支払い
不能状態」における「最後の貸し手」は、本来的に IMF 融資の対象ではない。流動性不足に陥った加
盟国に対して融資するのが IMF の機能であり、批判すべきは、IMF 機能の権限なき転換にこそあると
いえる(谷岡[2000])
。
IMF が「最後の貸し手」として、特に「国際的な最後の貸し手」として機能しているのか否か、ある
いはもともと目的として想定されているのか否かなどの議論について本稿では扱わないが、Goodhart
and Illing eds.[2002]の議論は示唆に富む。
4
8
図表 2 韓国の実質 GDP 成長率に対する需要項目別寄与度の推移
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
2000
2001
2002
輸⼊
-4.40%
-1.30%
-1.50%
-5.40%
-6.30%
-4.50%
-1.10%
7.40%
-8.00%
-6.50%
1.10%
-5.50%
輸出
2.40%
2.50%
2.60%
4.00%
6.50%
3.40%
6.70%
5.10%
7.00%
10.00%
0.30%
7.40%
在庫投資
0.60%
-0.10%
-1.10%
1.20%
-0.10%
0.60%
-2.00%
-5.50%
5.40%
-0.90%
-0.10%
-0.20%
総固定資本形成
4.70%
-0.30%
2.20%
3.70%
4.20%
2.70%
-0.80%
-7.30%
1.10%
3.00%
-0.50%
1.30%
政府消費
0.80%
0.70%
0.50%
0.20%
0.10%
0.80%
0.10%
0.00%
0.10%
0.10%
0.10%
0.20%
⺠間消費
4.40%
3.00%
3.00%
4.50%
5.20%
3.90%
1.90%
-6.40%
5.60%
3.60%
2.40%
3.50%
GDP
9.20%
5.40%
5.50%
8.30%
8.90%
6.70%
5.00%
-6.70%
10.90%
8.80%
3.10%
6.30%
(資料)World Bank, World Development Indicators, より作成。
図表 3 韓国の経常収支の推移
経常収⽀(億ドル)
輸出成⻑率(%)
輸⼊成⻑率(%)
1994
-3.9
16.8
22.1
1995 1996
-8.5 -23.0
30.3
3.7
32.0 11.3
1997 1998
-8.2 40.4
5.0 -2.8
-3.8 -35.5
1999
24.5
8.6
28.4
2000 2001
12.2
8.2
19.9 -12.7
34.0 -12.1
(資料)Asian Development Bank, Key Indicators, ON-LINE より作成。
図表 4 韓国の失業率の推移
%
失業率
9
8
7
6
5
4
3
2
1
19
93
Q
1
19
94
Q
1
19
95
Q
1
19
96
Q
1
19
97
Q
1
19
98
Q
1
19
99
Q
1
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Q
1
20
01
Q
1
20
02
Q
1
20
03
Q
1
20
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Q
1
20
05
Q
1
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06
Q
1
0
(資料)IMF, International Financial Statistics, CD-ROM より作成。
再び図表 1 をみてみると、ウォンの下落は、1998 年に入ると一旦落ち着いているものの、1996 年以
前の水準までは戻っていない9。それに対して、GDP 成長率は 1998 年のマイナス成長から 1999 年の
9
図表 1 におけるレートは、各年の終値を示している。2009 年のものは 3 月 6 日時点の終値を示して
5
10%を超える成長へと急回復した。その理由は、図表 3 および図表 4 からわかるように、経常収支を大
幅にプラスに転化させたことがあげられる。この急速な回復を IMF の伝統的な緊縮政策の効果とみる
のか、それ以外の効果とみるのかは議論する必要があろう。明らかなのは、韓国が日本に続く次のアジ
アの成長国として捉えられていた中で、日本のバブル崩壊後とは全く異なる早期のプラス成長に復帰で
きたことが、日本に比して自由化の進展や危機後の対策が有効なものだったことを示すという点である。
金・廉[2000]が指摘するように、財閥改革や金融構造改革という側面においては、IMF 政策とい
う外的圧力を利用することが改革推進の助けになったと考えることも可能である。したがって、「IMF
体制」は、本来の業務としての国際通貨制度の支柱として機能したというよりは、一国の経済構造を調
整させる構造調整機関として有効に機能したという一種独特な評価にならざるを得ない要素を含んで
いるのではないだろうか10。
3.
IMF 機能へのインプリケーション
1980 年代における累積債務問題や通貨・金融危機の発生によって、解決に向けた問題の捉え方が「流
動性不足」説から「支払能力」説へと移行した。「支払い不能」説への移行は、IMF コンディショナリ
ティにとどまらず、政策決定の重要な指針となった。具体的には次のとおりである。IMF が融資対象国
に課す条件に「構造調整プログラム」(Structural Adjustment Program, 以下 SAP と略記)がある。
その目的は、債務返済および流動性の円滑化等にあるが、そのための融資条件として、経済安定化計画
などの策定を要求する。その要点は、①財政緊縮、②金融引締め、③通貨切下げ、④貿易収支黒字化、
⑤経済(貿易・資本・金融)の自由化、⑥公的企業・サービスの民営化、⑦規制の緩和化、等である(高
懸[2006]195 頁)。
これとほぼ同様の内容をもつ指針に「ワシントン・コンセンサス」がある。「ワシントン・コンセン
サス」とは、①財政規律の確立、②公共支出の優先順位の変更、③税制改革、④金融自由化、⑤輸出競
争力を維持するレベルでの単一為替レートの設定、⑥貿易自由化、⑦直接投資の受入、⑧国営企業の民
営化、⑨規制緩和、⑩私的所有権の確立、という 10 項目のことを指し、ウォール街や IMF の常識とな
っているというのである11。IMF コンディショナリティと「ワシントン・コンセンサス」の因果関係は
ともかくとしても、その内容には相当程度の符合がある。
ここまでみてきたように、韓国の通貨危機の発生原因が、第一世代モデルや第二世代モデルでは説得
いる。
IMF の構造調整機関化については、IMF を規定するはずの IMF 協定から著しく逸脱した機能・役割
を担っているという点から批判される(谷岡[2000]ほか)。
11 これら 10 項目は Williamson により定義された(Williamson[1990]pp. 7-17)
。だが、ウォール街
や IMF での常識となっているとは言及していない。批判的色合いを濃くもたせた上でこの用語を使用
しているのは、Bhagwati[1998]が代表的である。IMF 政策の是非については本稿では詳しく扱わな
いが、IMF の政策内容については次のような反批判がある。
「IMF プログラムの中心はやはり緊縮的金
融・財政政策であろう。IMF プログラムは、特に金融政策を国際収支の調整手段として強調することか
ら『マネタリスト』的であると批判されることが多い。しかし、安定的な通貨需要関数を仮定するのは
マネタリスト的であるかも知れないが、その体系のほとんどが定義式である FP(筆者注:フィナンシ
ャル・プログラム)は実際には経済に関する様々な理論的アプローチと整合的である。IMF プログラム
が基づいている FP の基本は、限られた数の行動式(通貨需要関数、輸入需要関数等)の他は、必ず成
立しなければならない定義式によって成り立っている。したがって、FP に基づく IMF プログラムがそ
の意図する目的を達成しないとすれば、①行動式の背後にある外生変数の予測の誤り、②数少ない行動
式の特定化の誤り、③プログラム国の政策の失敗、のいずれか(あるいはそれらの組合せ)が原因であ
るはずである」(高木他[1994]205-206 頁)。
6
10
的でないような状況において、IMF の政策が第一世代モデルや第二世代モデルへの対処法と変わること
なく行なわれるのは望ましいこととはいえない。韓国が、日本に続くアジアの「巨人」になると評価さ
れ、OECD に加盟することにより先進国の仲間入りを果たしたことからも、危機発生国が途上国でない
という現実が明らかとなっている。その一方で、1980 年代からの新自由主義の台頭および「流動性不
足」説から「支払い不能」説への移行は、IMF の融資対象国が先進国から途上国へと変化するのと同調
的に生じてきたとみることができる。
問題なのは、韓国の場合も当てはまるが、性急に先進国入りを目指すことにより、自由化の速度に比
して制度の整備が追いつかない事態が起き、それが元で危機が発生する可能性が高まる点にある。韓国
への IMF コンディショナリティが、
構造調整という面では有効に機能したと評価できるとするならば、
IMF は危機後にそうした構造調整を求めるのではなく、危機を防止する意味でも成長段階のうちからサ
ーベイランスを行ない、的確な勧告などを行なうことが求められるであろう。
先にみたように、韓国通貨危機における IMF に対する評価は、
「最後の貸し手」よりも危機管理者と
しての機能に対してなされると高評価となる。その際に問題となるのが、モラルハザードの発生である。
図表 5 は、危機発生のプロセスを四つに分け、求められる対策を概括したものである。
図表 5 危機管理機能とモラルハザード
経済状況
通常時
危機醸成期
危機時
危機後
提⾔
Management for
Lending
suspend
プルーデンス規制
政策当局等の動向
国際基準の作成
継続的なモニタリング
↑
過当競争
モラルハザード
国内
貸し⼿銀⾏
対預⾦者
国際
貸し⼿銀⾏
対預⾦者
固定相場が助⻑
借り⼿銀⾏
対貸⼿(銀⾏)
(出所)筆者作成。
「国際的な最後の貸し手」の存在が、モラルハザードの発生を必然的なものとするという指摘が少な
くない。しかし、実際には、「国際的な最後の貸し手」が制裁を加えるのが「最後の貸し手」同様に国
内の貸し手である銀行に限定されているに過ぎないことから、海外の貸し手である国外銀行の貸出行動
が抑制されないことを歪曲して表現していることがわかる。歪曲された「モラルハザード」は、国外銀
行の無審査での貸し出しを認めない、ないしは抑制する手段が講じられれば容易に解決可能であろう。
実際には、すでに格付け会社による貸出先の評価がその一つの抑制役を担っているといえる。問題なの
は、そうした「適切な評価」がなされたとしても、貸し手側がそうしたシグナルを受け入れないことに
7
より、危険な融資が行なわれる点にある。「適切な評価」が存在したところで、受信側が「適切に」受
け入れなければならないことは間違いなさそうである。
韓国通貨危機の発生においても、格付け会社の果たした役割は小さくない。もちろん、格付け会社が
市場に対してリスクを誇張してしまうという危険性も否定できないが、IMF などの国際機関がサーベイ
ランスを厳密に行ない、確固とした情報を把握した上で当該国に対応を迅速に求めるならば、危機の発
生そのものを阻止できないまでも、その程度を軽減することはできるであろう。したがって、モラルハ
ザードの発生というリスクを過剰に意識することで、介入を控えるのではなく、積極的な関与が必要だ
と考えられるのである。
おわりに
1997 年という年は、IMF が資本自由化に向けて IMF 協定の改正作業を開始することを決定した年で
もある。その決定直後にアジア通貨・金融危機が発生し、資本自由化に向けた改正作業は中断し、今日
もなおその作業は再開していない。現行の IMF 協定は、経常収支の自由化のみを目的とするもので、
必ずしも自由化を是とするものではないことに留意が必要であろう。
元来、IMF は貿易を金融面から支援する組織であった。ブレトンウッズ体制が終焉を迎え、冷戦にも
終止符が打たれた結果、市場至上主義が台頭し、IMF も資本自由化を含めた自由化路線を採るようにな
ったといえるが、アジア通貨・金融危機の発生によりブレーキがかけられたのである。資本自由化論争
や IMF 改廃論争など、IMF に関係する論争はいまだに決着することなく続いているとみることができ
る。1990 年代後半からの「新しい危機」の頻発により、IMF の危機への対応は批判にさらされ、IMF
自身もその対応が誤っていたことを認めるに至っている12。
本稿で検討したように、IMF に対する評価はその視角により異なる。しかしながら、IMF コンディ
ショナリティが画一的だとしても、融資要請国が自らコンディショナリティの作成に積極的に関与する
ことは可能である。韓国は、
「IMF の優等生」と評されたが、その本質は、IMF に徹底的に従ったとい
うことではない。韓国自らが障害を克服するために IMF コンディショナリティを利用したとみること
も可能である。
経済政策には、経済的要因だけでなく政治的要因も大きく関係する。政治的要因により、IMF の政策
が有効なものとはならなかったとする主張があるが、韓国のように、政治的要因により有効なものとな
るケースがあることは今後の危機対応に重要な示唆を与えていると考えられる。IMF と加盟国とが優劣
の関係ではなく、対等な関係を構築し、危機への対応を双方で協力しながら行なえば、IMF コンディシ
ョナリティが批判の的としてのみ扱われることも少なくなるに違いない。
本稿では、
「最後の貸し手」としての短期的な危機収束には不要であったとの IMF コンディショナリ
ティへの評価を否定するには到らないまでも、危機管理機能としては有効に機能し、韓国の場合には長
期的な課題を解決する上で重要な役割を担ったとの結論に到った。しかしながら、韓国通貨危機の発生
原因の根源的な解明と IMF との関係については、今後より一層追究する必要がある。
「金融危機と通貨
危機が並存する」とされるアジア通貨・金融危機の解明に向けて、韓国の場合にはどちらが先行して生
12
アジア通貨・金融危機の根底にある問題としてアジア的仕組み、つまり縁故資本主義(crony
capitalism)を取り上げ、市場機能が十分に活かされていないと主張し、自由化政策を求めた IMF が、
1998 年のロング・ターム・キャピタル・マネジメントの破綻やロシア危機、ブラジル危機の発生によ
り、アジア縁故主義批判を止め、コンディショナリティがもたらした経済的損失について非を認めたの
である。
8
じていたのかという点についても、明らかにする必要があろう。
また、ウォンの対ドルレートは、2007 年を境に 1997 年の水準にまで暴落している。このことは、今
般のサブプライム・ローン問題を契機とした世界的な金融・経済危機のみに原因を求めることはできな
い点に注意を払わなければならない。韓国の著しい経済の落ち込みや通貨の暴落は、1997 年の急激な
危機回復とは裏腹に、より長期的な政策効果としてみれば大きなマイナスであったことも考えられる。
しかし、韓国通貨危機を契機として、韓国経済の特徴が良くも悪くも表面化したことは事実であろう。
1980 年代の新自由主義の台頭と同じく経済自由化を果たしてきた韓国経済と世界経済において IMF が
果たしてきた役割を分析し、詳細な検討を行なうことで、経済成長と自由化、自由化と経済危機という
表裏一体をなす問題を解明することが今後の課題となる。
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11
資本循環論と利潤率概念
岩田佳久1
<目次>
A. 課題の設定
B. 諸説の整理
C. 生産的資本の循環の積極的意義
D. 現実に用いられるいくつかの利潤率
E. 資本循環形式と利潤率の対応
F. まとめ
補論
固定資本に関する最近の諸研究について
参考文献
A. 課題の設定
資本主義社会は利潤を求める資本の運動が社会的生産・再生産を行うため、分析の焦点として利潤率
が取りあげられることがある。ところで利潤率は理論的には【利潤/前貸し総資本】として表されるが、
実証分析では利潤を資本ストックで割って利潤率とすることが多い(※以下、この利潤率を Pr/K と表
現する)。また、正確には利潤率とは異なるが利潤分配率(利潤/総付加価値)も同様に分析の対象とさ
れることもある。利潤には、流通費用を除くなどさまざまなバージョンもあるが、本稿では「資本とは
何か」という観点から分母となる資本について検討する。資本額の計測は、新規投資なら比較的明瞭だ
が、going concern として半ば永続的に続くと思われるような通常の資本の場合、前貸し資本の評価に
は主観的判断が入りうる。本稿では見方によって複数に生じうる主観的利潤率の客観的根拠を経済学原
理論の中の資本循環論に求める。
資本循環の三形式の始まりは、無限に続くかのようにみえる資本循環は始点と終点の取り方によって
複数の循環形式を切り出すことが可能だということである。いずれも同一の循環から切り出されたもの
という点で客観的には同一の連続的な循環に根拠を持つが、切り分け方の主観的な違いによって異なる
資本概念を生み出しうる。それが G…G’や、P…P、さらに W’ …W’の 3 循環形式である。本稿では諸
研究の整理としてマルクス、宇野、侘美[1972]の議論を確認したうえで、循環形式の表現方法に関して
日高[1977]から学び、侘美の貨幣資本の形式の問題点などを確認する。しかし日高では P…P 形式が無
意味なものとされるが、本稿では P…P 形式の独自の意義を述べる。その際に、宇野の市場価値論を援
用すれば、固定資本の減価償却や固定資本に対する平均利潤の対象とされるべき価値は、過去にその資
本が投資した価値量(会計用語では取得原価 historical cost)ではなく、その時点で新たにつくられる
場合の固定資本の価値(会計用語では再取得コスト replacement cost)であろう。この固定資本の再評
価に基づく利潤率は G…G’形式ではなく、P…P 形式でのみ把握できる。
次に、資本循環の三形式に対応する利潤率概念を検討する。結論的にはまず、貨幣資本の循環形式は、
1東京大学大学院経済学研究科博士課程
13
資本としての価値をすべて貨幣形態に表現し、主観的判断に基づく投資に対する利潤率を計算するもの
として、総資本利益率に対応する。次に、生産的資本2の循環形式は、生産の継続性を客体的に強制する
固定資本を前提として、そこからどれだけの利潤が発生するか、という観点から利潤率を計算するもの
で、利潤/固定資本ストック(Pr/K)という利潤率に対応する。さらに、商品資本の循環形式は、利潤
分も含んだ社会的総生産物を循環の起点において表現する唯一の形式であり、剰余価値(利潤)も含ん
だ社会的総生産物 W’の同時的な分配概念を生じる。そのため利潤分配率に対応する。
本稿全体のまとめとしては、上記のような資本循環と利潤率概念の再把握がどのような意味を用いう
るか、について利潤率の下落の受け止め方などを述べる。
最後に、本論に繰り込めなかった最近の諸研究の紹介と意義を補足する。
B. 諸説の整理
[1] マルクスにおいて
資本循環論はマルクスの研究途上における作業仮説(仮設)であり、資本の運動を貨幣資本から始まる
循環以外の観点から見た場合に分かる諸モメント(貨幣蓄積、準備金、流通費用などの諸契機)・諸概念
(G…G’、P…P、W’…W’)の検出に役立った。しかしそれらの検出が行われた以上、諸モメントは原理論
体系のしかるべき場所に配置されて資本循環論から抜けることになるだろう。また諸概念も G…G’が資
本の回転、W’…W’が再生産表式へと理論体系のモメントとして組み込まれるだろう。実際、宇野以降の
原理論体系では資本循環論は縮小・後景化している3。
しかしマルクスが G…G’を重商主義、P…P を古典派、W’…W’を重農主義と割り振った資本概念は、
理論体系のモメントに組み込まれえないものがあるのではないだろうか。この 3 つの循環形式に基づい
て異なる資本概念の分析・展開をこの後で検討する。
ところで、この 3 つの資本概念の中でどれか一つのみに依拠すれば誤りになる、または一面的な資本
概念になるという議論はマルクス、そしてそれを引き継ぐ宇野によって行われてきた。それは原理論体
系を構成する諸モメントの検討というよりも、貨幣や資本の物神性、三位一体定式(資本−利子、土地−
地代、労働−労賃)のような現象として現れる主観的観念の検討と同種のものである。したがって「誤り」
を原理論体系の中で展開するのは問題が生じるが、逆に資本についてのさまざまな「誤った」主観的観
念が生じうる客観的根拠を検討することには意味がある。
立体を平面に表すように、複合的な運動である資本の運動をある断面で切り取ることにより、ある資
本概念を切り出すことが可能となる。それぞれの資本循環形式から、資本の運動に対する一面的な理解
がそれぞれ生み出される。さらに、それぞれの一面的な理解を基礎とする異なる利潤率概念が成立する
可能性が生じる。それが本稿の課題である。
その後の議論を見る前に、資本循環の表現形式を整理しておかなければならない。
マルクスが『資本論』第一巻で初めて与えた産業資本の形式は、
G−W{Pm, A}…P…W’−G’ であるが、第二巻「資本の流通過程」で資本循環論として議論されると、
この定式は資本の運動総体の中で、貨幣資本の循環という一面を表しているに過ぎない、とされる。始
2「生産的資本」という表現は侘美[1971]や青才[1990]にならった。ただし論者によっては「生産資本」
という表現を用いている場合もある。本稿では各論者の使用法をそれぞれ用いたが、書き換えている個
所もある。
3
例えば山口[1985]では「資本の流通過程」を独立したものとはせず、資本の循環を流通論の中に繰り
込んだ、としている(p263)。
14
点・終点の取り方を変えられれば、資本の循環には他にも、
P…W’−G’−G−W{Pm, A}…P
W’−G’−G−W{Pm, A}…P…W’
(生産的資本の循環)と
(商品資本の循環)
という循環形式をつくることができる。
ところが、マルクスは資本の循環形式の表現方法として上記の様式以外に 2 つ、合計 3 つのタイプを
与えている。
①全記述型4:上記のもので、
G−W{Pm, A}…P…W’ −G’、 P…W’−G’−G−W{Pm, A}…P、W’−G’−G−W{Pm, A}…P…W’
②両端記述型:G…G’、P…P、W’…W’
③総流通過程記述型:G−W…P…W’ −G’、P…Ck…P、Ck…P(W’)
(Ck は総流通過程を示す)
日高[1977]が強調するように、②や③は①の単なる省略形ではない。
[2] 宇野によるマルクス『資本論』の継承と再構成
(ア) 宇野[1949](1977)と宇野[1950-2](1973)による資本循環論に関する宇野の説明
基本はマルクスの整理であるが、議論の前提として要約すると以下のようになる。
<貨幣資本の循環>
資本の価値増殖の基礎をなす生産過程を単なる媒介物とすることによって、高く
買って安く売るという個人資本家的立場、産業資本の商人資本的一面をなす。資本主義の発生期の経済
思想である重商主義がこの形式で資本の運動を見て以来、今なお有力な資本観(宇野
[1950-2](1973)p141)。資本主義が常に繰り返し生産を行うことによって一社会をなすという再生産過程
までが単に個人的な主観的意図として表現される (同 p142) 。
<生産資本の循環>
復帰点が出発点と同じ生産資本で、再びこの循環を繰り返さざるを得ないものと
なっており、その点では資本家の主観的動機は問題にならず、資本の運動は客体的な運動として表現さ
れる(宇野[1949](1977)p21−22) 同じ生産を繰り返さざるをえないという客体的な側面(同[1949](1977)
p22)を表す。
<商品資本の循環>
出発点の W’自体が資本の生産物であることを示す。同時に社会的には W’は単に
資本価値としてではなく、その使用価値の面においても社会的再生産を行いうるものとしてなければな
らない(同 p30−31)。注意すべき点は「出発点が前貸資本でなく、資本の生産物であるということ」(同
p30)であり、この循環を一面化することの問題は「いうまでもなく、生産は決して商品からなる諸要素
によってのみ行われるわけではない」(同 p31)という点が看過されることである。
(イ) 宇野[1964]による再構成
ところで全書版『経済原論』である宇野[1964]では、3 つの循環形式についてふれてはいるが、それ
ぞれの特徴は注釈でマルクスに拠って各経済思想と対応させているだけである。むしろ資本が同時に G、
P、W’へと 3 分割されており、時間的に G、P、W’と変態するものが空間的にも並んで進行することが
強調されている。そこで
宇野は 3 つの循環形式の個別的な意味をなくす方向で考えた
という見方
もある(村上[1979]p59−60)。
しかし宇野自身は 3 つの循環形式を消極的なものと考えているわけではなく、たいへん重要だと強調
している(宇野編[1967]p260)。
以上のような宇野[1964]での資本循環論の扱いの変化が示すことは、原理論の体系的展開を担う諸モ
4「全記述型」
「両端記述型」「総流通過程記述型」という表現は筆者が便宜的に付けたものである。
15
メントとしては、資本循環論は解体されて、貨幣蓄積、準備金、流通費用などに割り振られたというこ
とが一つある。しかしもう一つは、資本とは何かという問題で一面的な理解を生じうる例とその根拠と
して資本循環の 3 形式を補足的に論じる価値があるものと見なしたことを示している。
[3] 侘美[1972]による資本循環論の意義の強調
これに対して侘美[1972]では総じて宇野と同じ評価だが、資本循環論の意義を詳細に強調している。
ところが、貨幣資本の循環の評価においては宇野とはほぼ正反対の論を立てている。すなわち 貨幣資
本の循環は、生産過程が中間に与えられており、生産過程を根拠にする内的自己増殖を確保する (p76
と p81)としている。両者は二律背反的な対立とまでは言えないかもしれないが、違いが生じるのは以下
の理由による。つまり、宇野の場合は G…G’の中にある媒介項 P を消極的に考えているが、侘美[1972]
の場合は G…P…G’と循環の中の媒介項 P を積極的に考えているからである。しかし循環の中(媒介項)
を考えると当然ながら他の循環にもそれはある、という事態が生じる。つまり商品資本の循環も W’…P
…W’と表すことができ、 生産過程を根拠にする内的自己増殖を確保する
と言えてしまう。資本循環
論は両端を取り上げて、前提と同一の結果(目的)を持つ自己産出的な運動とする概念規定と考えるべき
であろう。循環内の諸契機(モメント)は複数の循環形式に共通することがあるので、両端以外の諸契機
を一つの循環形式の特徴とすると上記のような不都合が起きる。
また、村上[1979][[2005]では、三つの循環における媒介項で共通部分が生じることを理由に、三循環
を自立的に論じることを否定している。そして、資本循環論の意義は流通費用と回転の問題に絞られて
いる。
G…G’の解釈における宇野と侘美の違い、また村上の資本循環論の意義の否定は、循環形式における
表現方法の問題の存在を示している。この点を整理したのは日高[1977]である。
[4] 日高[1977]による再構成
日高[1977]では循環形式の表現として上記の①「全記述型」ではなく②「両端記述型」を用いるべき
としている5。つまり、貨幣資本の循環は G−W{Pm, A}…P…W’ −G’ではなく G…G’、同様に生産
資本の循環は P…W’−G’−G−W{Pm, A}…P ではなく P…P、商品資本の循環は W’−G’−G−W{Pm,
A}…P…W’
ではなく W’…W’として、媒介項を捨象することで、媒介項がもたらす諸循環間の共通性
の問題を回避している(日高[1977]p27 など)。
またマルクスが用いた循環形式のもう一つの表現方法(上記③「総流通過程記述型」)、G−W…P…W’
−G’、P…Ck…P、Ck…P(W’) を利用して、G…G’のみが総流通過程 Ck を持ち得ないことを示して、
G…G’が個別資本の循環で、P…P と W’…W’は社会的総資本の循環とする(p82)。
表現方法の違いは重要である。例えば W’ −G’・G−W{Pm, A}…P…W’という循環を見てみよう。
これはマルクス以来、社会的総資本の循環形式と見なされているが、冒頭の W’ −G’を文字通り受け取
ると、社会的総生産物がすべて貨幣に転化することになってしまう。しかし W’が社会的総生産物だと
すれば、G がいくつもの商品流通を順次媒介して、すべての W’が同時に G になることなしに W に順次
転化しなければならない。したがって商品資本の循環形式が社会的総資本の循環とするならば、W’…W’
または Ck…P(W’)という表記以外にありえない(p86)。
以上のことはマルクス以来の資本循環論を合理的に整理したといえる。しかし、日高[1977]はさらに
5
先にも注意したように「全記述型」や「両端記述型」などは筆者の便宜上の表記で、日高たちの表現
ではない。
16
進んで、P…P で言えることは W’…W’でもいえることで P…P の積極的意義はないとして、資本循環論
で考慮すべきは個別資本の循環としての G…G’、社会的総資本の循環としての W’…W’の二つとしてい
る。
C. 生産的資本の循環の積極的意義
日高は生産的資本の循環の意義を否定するが、筆者は以下の 2 点について意味があると考える。
①生産の連続性が客体的に強制されることを示す循環形式として
②生産過程に固着した P、特に固定資本は過去にその資本によって投下された個別的な資本額ではなく、
再取得価格で社会的に再評価された価値量が出発点になるため、利潤率概念に用いられた場合、個別的
な G…G’に基づく利潤率とは異なる利潤率概念を派生させる。
ここでは①の生産の継続性について二点述べる。②は利潤率にかかわるので、後ほど利潤率に関する
箇所で一括して述べる。
[1] 非形態的側面の強調と生産の連続性
まず重要なことは、P は価値物ではなく労働生産過程だということである。つまり含む産業資本の場
合、生産手段(と労働力)として買われた商品は(生産的)消費過程に入るので、販売されるための価値を持
つ商品ではなくなる。
詳しく見ると、P に含まれるものを資本の構成要素として表現するならば、不変固定資本と不変流動
資本、可変資本に相当するものがある。しかしこれから移転されるべき価値物に相当するものとしては
不変固定資本と不変流動資本の二つのみである。ところが、移転される価値物は労働者による生産的労
働によってのみ移転されるのであるから、即自的存在としての不変固定資本と不変流動資本は価値物で
はない。生産過程にある資本の循環 P…P の P は、生産要素の循環 W…W6の W と異なり、流通過程か
ら脱落して生産過程に固着している7。
また、Arthur [1998]は P…P について、P 自体は非資本主義的な労働過程とは区別できない(p105)と
主張する。さらに生産が資本主義的かどうかを問わない自然な生産活動として把握され、価値増殖が自
然の成長過程と混同される (p109)、というような議論をしている。さらに山口[1985]では、資本の循環
は P のところで「価値の切れ目」(p67)がある、としている。
以上のような論者が注意を促しているのは、W’がこれから交換に出される商品で価値を持つのに対し
て、P はそれ自体価値物ではないことだ。価値物でないということは資本主義的生産様式の形態的規定
を欠如しており、経済原則・実体的な面が出発点と終点になっている。この非形態的な特徴は G…G’、
W’…W’とは著しい違いを持っている。P…P の循環が示す特徴的は、資本主義的生産様式における形態
転換(姿態変換)8の面を隠して、非形態的・物財的な生産の連続性を強調するということである。
[2] 固定資本と生産の継続性
もう一つ P…P の循環が示す特徴は固定資本を含みうることである。P…W’ −G’ G−W{Pm, A}…
この W…W の循環形式は『資本論』にいたる、ある段階の草稿の時点で現れ、その後取り消されてい
る。この点に関しては伊藤[2007]、Arthur [1998]などで論じられている。
7 ただし、生産活動への充用のために購入された不変固定資本と不変流動資本が目的を変えて転売され
れば価値物となるが、そうしたことはここでは考慮されるべきではない例外的な事態である。
6
8
G−W{Pm, A}…P…W’ −G’・G−W{Pm, A}…P…と続いていく連鎖のこと。
17
P
とすれば、すべて G に転化するため固定資本がなく、すべてが流動的な資本であることを意味する
が、日高が強調する表現形式で P…P と表現すれば媒介項の G がなくなるため一回の資本循環でいった
んすべてが貨幣に転化する必要はない。9そのため P…P の両端の P には不変流動資本、可変資本以外に
不変固定資本も示しうる。比較対象のために G…G’や W’ …W’の循環を考えると、この二つの循環の中
に含まれる P には固定資本が含まれ得ない。たとえば
G…G’の中身を展開すると G−W{Pm, A}…P…W’ −G’となり、その中に P を持つが、この P は G…
G’の循環の始点と終点でともに G(または G’)へと転化するため、固定資本ではありえず、流動的な資本
である。W’…W’でも W’−G’−G−W{Pm, A}…P…W’と表現すれば P が現れるが、W’ …W’ の循環の始
点と終点でともに W’という、これから丸ごと販売される商品資本の形態になっているため、W’になっ
た時点で固定資本ではありえず、流動資本である。
固定資本は生産の継続性を客体的に強制する。しかも物財として同一の固定資本が始点と終点に現れ
るため、原則的に同一種の生産の継続を強制する。そしてこうした固定資本を含みうる表現形式は P…
P のみである。マルクス・宇野・侘美と続けて強調されてきた生産的資本の循環が意味する生産の継続
性は、こうした固定資本の存在と役割を根拠にしなければならない。
D. 現実に用いられるいくつかの利潤率
利潤率について整理する。理論的には
Ⓞ利潤/(可変資本+不変流動資本+不変固定資本の価値移転(減価償却)累積額+不変固定未償却資本
分)
となるが、実証的にはいくつかの利潤率が用いられる。
経済学の実証研究では
①利潤/固定資本ストック(以下 Pr/K と表示する)
が用いられることが多い。これが用いられる場合には、㋐資本=生産設備とみなす誤謬の場合と、㋑流
動不変資本と可変資本の部分の測定が困難で、しかもそれらが大勢に影響を与えないために近似で用い
られる場合10の二つがある。
また、金融市場などでは次の総資本(資産)利益率の概念が用いられる。
②利潤/BS 上の資産すべて(BS はバランスシート:賃借対照表のこと)
この概念は企業それ自体の売買、あるいは企業に対する比例持分としての株式売買における価格基準
とされるものである。
これと類似の利潤(利益)率概念もあるので比較対照すると以下のようになる。
総資本利益率:ROA(return on assets)=当期純利益÷総資本(資産)
=(利益/売上高)×(売上高/総資本)=売上高利益率×総資本回転率
総資本利益率のヴァリエーションとしては以下のものもある。
株主資本利益率:ROE(Return On Equity)=当期純利益÷株主資本
;株主資本=総資本(資産)−他人資本(有利子負債)
この点、通常は P…P 循環には固定資本は含まれていないとされる(日高[1977]など)。しかし P…W’ −
G’ G−W{Pm, A}…P の表現ではなく、P…P であれば固定資本が存在しえないようには見えない。こ
こでの議論は P…P 循環によるとどのような資本概念や利潤概念が生じるかであって、そのような概念
が理論的に正しいか間違っているかを論じることが目的ではない。
10 Wolff によれば分母を資本ストックとした利潤率と、さらに中間財・労賃を分母に加えた利潤率は、
変動の様子はあまり差がない(Wolff[2003]p484 注 1)。
18
9
株式益回り(PER の逆数):当期利益/(株価×発行株式数)
;PER は株価収益率(Price Earning Ratio)
総資本利益率と株主資本利益率との違いは他人資本の借入によるレバレッジを考慮するかどうかで
事実上、同質のものである。原理論での利潤率は充当される総資本額とそれによって抽出される利潤と
の関係なので、総資本の所有構成や利潤の分配関係は利潤率自体に影響を与えない。
さらに利潤率ではないが、これに近い概念として利潤分配率がある。
③利潤/国民所得(または純生産物、総付加価値)
Pr/K は固定資本が利潤派生の根拠という観点であり、総資本利益率は企業(資本)自体が市場で売買
されるために表現された貨幣価値に対する利益率である。利潤分配率はすでに存在している純生産物を
資本と労働者で分配するという考えである。
ここでは利潤に対する分母によって3つの区分を行なった。もちろん分子の利潤自体も、減価償却や
法人税、支払利子などの処理でいくつもパターンが生じうる。しかしここでは課題を限定して分母のみ
を問題にする。その理由は、分母とは「資本」のことであり、分母にいかなるものを与えるかによって
資本概念の違いが明瞭になるからである。
E. 資本循環形式と利潤率の対応
[1] 資本循環形式と利潤率概念の対応関係
結論を先に挙げれば、まず、貨幣資本の循環形式は、資本としての価値をすべて貨幣形態に表現し、
主観的判断に基づく投資に対する利潤率を計算するものとして、総資本利益率に対応する。
次に、生産的資本の循環形式は、生産の継続性を客体的に強制する固定資本をあらかじめ前提として、
そこからどれだけの利潤が発生するか、という観点から利潤率を計算するもので、Pr/K という利潤率
に対応する。
最後に、商品資本の循環形式は、利潤分も含んだ社会的総生産物を循環の起点において表現する唯一
の形式である。その起点と終点のそれぞれの時点において社会的総生産の前提となる前貸し資本概念が
存在せず、あらかじめ社会的生産物とその分配が無前提に与えられているという点が他の二つの利潤率
概念とは根本的に異なり、W’の同時的な分配概念である。そのため利潤分配率に対応する。以下、3 つ
の資本循環形式と対応する利潤概念の対応関係を順に述べる。
[2]貨幣資本の循環と総資本利益率
貨幣資本の循環は資本の運動の主観的側面を表すが、「個別的産業資本が、たとえ全資本を一度に貨
幣資本に転じなくても、すべてが貨幣形態であるかのごとく計量し、かつそれを超過する貨幣の増殖を
実現するように運動している」(侘美[1972]p87)として強調されているように、物財的に現存在する固定
資本も含めてすべて貨幣に転換して G…G’の運動による価値増殖分を利潤と考える点で総資本利益率の
理論的根拠となりうる。しかも利潤率の基準はその資本の投下額を上回った額が利潤として用いられる。
すべての資産を貨幣に転化するということは単なる恣意的な操作ではなく、株式市場や企業それ自体
の売買(M&A)などを通じた実際上の基礎を持つものである。
実務上の会計では単純に G’から G を引いて利潤とする方法以外に生産物や投入財の価格変動を組み
入れて利潤を計算する方式もある(醍醐[2008]p249−252)。G…G’循環と総資本利益率の場合は簿価とし
ての名目価格差を利潤とする方法がふさわしい。価格変動を組み入れる方法は次に述べる生産的資本の
19
循環と Pr/K の場合に有用である。
[3] 生産的資本の循環と Pr/K
(ア) P…P における利潤の表⽰について
ところで P…P という表現には利潤が登場しない。P…W’−G’−G−W{Pm, A}…P という表現にする
と利潤が G’として現れるが固定資本が存在できない。
ところでマルクスは生産資本の循環形式を詳しくした形式として次のような表記をして剰余価値を
書き加えている(『資本論』第二巻 S.79).
W
P…W’
―
+
w
G
―
W
―
w
― [Pm+A] …P
+
―
g
この両端を取れば P…P+wとなる。
これにならって P…P という表現に若干手を加え、資本が利潤を生むことを表現するためには、P…[P
+利潤]、蓄積分も含めて記号で表記するなら P…[P+(⊿P+w)]とできる(※⊿P は剰余価値の蓄積分、
w は資本家の消費分)。
こうすれば生産過程を前提にして利潤部分が表現できる。P 部分は次項(イ)で述べるような推計方
法で価値表現することは可能だが、これは G…G’の始点における貨幣の価値表現とは異なる。P…[P+
利潤]の場合は、純粋に価値を表現する貨幣とは異なる非価値物としての物財が利潤を生む根拠と表現さ
れる。
(イ) Pr/K 利潤率概念の根拠としての P…P と固定資本ストックについて
資本循環論で現れる P とは W’や G のような価値物としての存在ではない。W としての生産要素で
もない。労働生産「過程」であり、
『資本論』では第 1 巻第 5 章「労働過程と価値増殖過程」第 1 節「労
働過程」で表現される世界である。そこに存在するのは固定資本や流動資本という循環する資本として
のモメントではなく、労働手段と労働対象(合わせて生産手段)、そして労働者である。したがってそれ
自体としては利潤率の分母になりえない。しかし、P…P として繰り返し循環させてみた場合、常に存
在し、生産の継続性を客体的に強制する固定資本ストックの持続的存在が現れる。物財として現存在す
る固定資本ストックを価値表現すれば利潤率の分母となりうる。労働生産過程としての P に存在する他
の存在、非固定的な生産手段(生産手段から固定資本ストックとされる部分を引いたもの11)や労働者
は生産の継続を強制するものにはなりえない。したがって、生産過程としての P を価値表現するという
本来的には矛盾した作業でありながらも、生産の継続性の観点から固定資本ストックの価値表現を生産
過程としての P の価値表現とするには現実的な根拠がある。
また利潤率の分母に用いるために価値表現された資本として用いる場合、非固定的な生産手段や労働
力に支出される資本額は借入資金でまかなわれることができる(またはその傾向がある)が、固定資本ス
トックに支出される資本額は自己資本となる傾向が高い。この意味で、利潤率の分母=資本の価値表現
として固定資本ストックの価値表現を置くことには根拠がある。
11固定資本・流動資本という関係と労働手段・労働対象という関係は異なる概念で物財としても対応し
ない。「労働生産過程 P における固定資本」という表現も理論的には間違いであるが、慣例的に物財の
区分として固定資本(ストック)という表現が用いられているため、ここでも「労働生産過程 P における
固定資本ストック」という表現を用いる。
20
次に Pr/K という利潤率の表現が何を意味するのか、さらに検討する。固定資本ストック自体はその
大部分が P…P での価値の循環に入らないが、生産の質・量を規定して利潤量を規制する。固定資本ス
トックが利潤量を規制するという意味で、固定資本ストックに対する利潤という利潤率 Pr/K が発生す
る根拠がある。しかしこの意味で固定資本ストックが規定するのは利潤の最大限に過ぎない。実際には
稼動率が減少すれば利潤率は減少する。
つまり、Pr/K という利潤率は、まず分母の固定資本ストックが物財として最大利潤を規制し、その
上で固定資本ストックの稼動率が現実に抽出される利潤の量を規定するという 2 段階の関係も含んでい
る。
(ウ)P の価値の計測に関する問題
先に資本循環論に関連して指摘したように P…P の循環の P は価値物とは言えない。それは実際の K
=固定生産設備=資本ストック計測上の問題にも現れている。生産過程に据え付けられた資本ストック
は原則的に市場価格が存在しないのでその価値は推計によらざるを得ない。いくつかの方法があるが、
減価償却を考慮せず実物として現存在する生産設備を評価する gross(粗)の概念には①取得原価
(historical cost)によるものと、②再取得コスト(replacement cost)がある12。両者とも、物財として価値
変動の影響を受けながらも市場での売買で価値が確定しないという問題を含み、あくまでも推計値であ
る。もう一つ、減価償却を考慮したもの、すなわち取得原価から年々の減価償却分を差し引いた③net(純)
の資本ストックの概念もある。次にこれら 3 つの計測方法について述べる。
①取得原価:固定資本は長期にわたって存在するため、その間に被る価値変動を表現できない点が難点
であろう13。
②再取得コスト:価値変動を考慮して、しかも現存在する物財を価値表現している。このコストは減価
償却を考慮していない。しかし商品の価値は過去においてその商品の生産に費やされた労働量の合計14
というよりも、同じ商品を新たに生産するのに必要な現在の労働量の合計によって決まるので、この再
取得コストの方が経済理論に整合的であろう。
③net(純)の資本ストック:個別の企業会計的に純化して考えれば合理的にも思えるこの計算方法は、し
かし価値物ではない P…P の循環に対しては矛盾をもつ。物財としての生産手段の生産能力の消耗は、
名目上の減価償却分とは対応しないからだ。例えば、物財としての生産能力では同等な 2 つの固定資本
が、導入時期の違いや減価償却方法の違いで減価償却の程度の違いで異なる価値を持つとされたりする
ことが生じうる。net の資本ストックを Pr/K の分母として用いる場合には経済理論が教えるところで
は減価償却累積額を加えなければならない。
したがって、生産過程に据え付けられた価値物ではない生産手段を始点と終点とする循環 P…P に対
応する資本計測方法は gross(粗)の概念で、しかも価値変動を踏まえて現在価値を表現しうる再取得コス
トであろう。
replacement cost は current cost として扱われることもある。FRB の Flow of Funds の B.102
Balance Sheet of Nonfarm Nonfinancial Corporate Business では生産設備は replacement (current)
cost として記されており、別に補足的に historical cost の額もある。もちろん両者の額はかなり異なる。
他方、OECD[2001]では replacement cost という表現は何と取り替えるのか不明なので current cost と
いう表現と採用するとしている(p29)。
13価値変動が起きないという仮定も可能かもしれないが、固定資本としての性格に矛盾した仮定と思わ
れる。
14『資本論』第三巻、または経済原論の分配論レベルでは生産価格(=費用価格+平均利潤)
21
12
(エ)減価償却・価値移転や平均利潤の対象となる固定資本ストック額について
平均利潤は【平均利潤率×投下総資本】で表される。投下総資本とは【可変資本+不変流動資本+不
変固定資本の価値移転 (減価償却) 累積額+不変固定資本未償却分】である。
投下固定資本全体(償却累積分と未償却分の合計)に関して平均利潤が得られるのは(逆に言えば利潤
率の計算の分母に入るのは) 固定資本が稼働するには固定資本の未償却分と償却資金累積額の両者が必
要だから、という考えがある。日高[1983]では「積み立てられた償却資金も、遊休しているが資本家に
とって自由に処分できるものではない。生活費に回すことも追加投資をすることもできないものなので
ある。償却資金も含めた全固定資本が分母とされる(p158)」と説明されている。
日高[1977]では「固定資本はその価値の一部が貨幣形態をとりながら、他の部分は元のままの形態で
機能を続ける」(p181)と指摘する。つまり固定資本は物財としては生産過程に存在するが、価値から見
ると現物と償却資金の両方を合わせた存在となる。
ところで原理論での減価償却は通常、定額法(straight line method)が想定されている。つまり投下固
定資本額を耐用年数で割って、その一単位あたりを毎年償却する。この考えは更新毎の固定投資額が同
じということを前提にしている。つまり、
【…n 番目の固定資本投下=n 回目の償却資金総計=n+1 番目の固定資本投下=n+1 回目の償却資金総
計=n+2 番目の固定資本投下=…】
(1)
という単純な繰り返しを想定している。資本主義の常態である拡大生産に対して単純再生産が抽象であ
るように、同じ状態が繰り返す均衡状態では(1)の想定は認められるだろうが、技術的要因や資本家の判
断が変化しうる資本主義の常態では上記の単純な繰り返しが無条件で成り立つとは言えない。特に長期
間後に更新されるべき固定資本の場合はなおさらである。
ありうる論点の一つは、(1)の繰り返しが成り立たないとすれば、つまり、n 番目の固定資本≠n+1 番
目の固定資本の場合、
㋐n 番目の固定資本=n 回目の償却資金総計≠n+1 番目の固定資本
または
㋑n 番目の固定資本≠n 回目の償却資金総計=n+1 番目の固定資本
かどうか。
つまり償却資金は前回の投資の回収なのか、次回の投資のための積み立てなのか、という問題になる。
通常、固定資本の価値全額は流動資本の複数回転数に渡って単純に移転すると考えられており㋐の考
えである。もし㋑がありうるとすれば、償却資金は前回の固定資本投資額の価値移転とは異なる、とし
なければならない。これは通常の理解とは異なるためより詳しく検討しなければならない。
まず実務的な会計でもこの点は問題にされている。醍醐[2008]では「回収すべき資金を有形固定資本
の原初原価と捉える場合と、当該資産の再取得に必要な取替資金と捉える場合では、減価償却資金の算
定基礎が異なってくる。なぜなら、原初原価の回収と見なせば、減価償却は取得原価の期間配分額であ
ればよいが、取替資金とみなせば、見積取替原価を基礎にした時価償却が必要になってくるからである
(p148)」と上記の問題とほぼ同じことが指摘されている。
経済理論は市場価値論で、生産物の価値は需要の増加に対して供給の増加がいかなる生産条件によっ
て担われるかによって市場価値が決まることを教えている。そのため、資本家の主観的な判断としては
過去の自分の投資の回収分として意識されたとしても、固定資本に関する部分だけ見て【平均利潤率×
投下固定資本額+投下固定資本額/耐用期間】分だけ生産価格が(減価償却分を除いた)費用価格を上回
22
るかどうかは、現在の状態で社会的に必要な固定資本の価値(再取得価格)によって客観的に規制される
のである。だから、均衡状態を想定して、減価償却を固定資本に対する過去の支出額を期間配分して減
価償却していたにしても、その途中で必要投資額が変化したならば、次回の固定資本投資に合わせて減
価償却の基準も変化するだろう15。
G…G 循環が過去に投資された額に利潤を加えて回収するという利潤率であるのに対して、P…P は
価値物でない生産過程に固着した P を(過去の支出額とは無関係に)常に現在評価されて利潤率の分母に
おく。その意味で資本ストックを再取得コストとする Pr/K という利潤率はこの P…P という循環形式
を根拠としている。過去の支出額に対する剰余分を示す G…G 形式だけでは現在の生産力水準に再評
価された資本の生産効率性を評価できない。そこにP…P循環形式を理論的根拠に置いた Pr/K という
利潤率の独自の意義がある。
[4] 商品資本の循環と利潤分配率
W’は販売される商品資本なので、固定資本は含まず、不変流動資本、労働者の生活資料、資本家の生
活資料の 3 つの要素から成る。始点の W’だけ取り出してみると、物財的にはこれらの 3 つの要素は区
別できない。理由は当然ながら、たとえば小麦といっても、播種に用いられれば不変流動資本で c だが、
労働者の食事なら労働者の生活資料で v、さらに資本家に消費されれば資本家の生活資料として m にな
る。また自動車の場合だと、生産(企業)活動に用いられればほとんどの場合、固定資本でcだが、労働
者の消費なら v、さらに資本家の消費ならば m になる。
この循環では端緒 W’で c と v と m が分割されるが、その分割には(循環の端緒ゆえに)原因となる
前段階的な根拠がない。これは同時的な利潤率として現れる。つまり G…G’と P…P(+利潤)の循環では
前提となる G や P に対する結果としての増加分の利潤の比率が利潤率となる異時点間の利潤率であっ
たが、ここでは W’ …W’の利潤率は前提と結果においてそれぞれ同時に利潤率が計算されうる。
また、前段階的な根拠がないという点から、c, v, m の分割はいくらでも変わりうる比率として観念さ
れる。労賃もこれから投下される前貸し資本のコストとしては観念されず、媒介されない即自的な現存
在としての生産物 W’から労働者に分配されうるものとして表現される。つまり現存在する生産物を、
これから投下される前貸し資本、資本家の取り分としての利潤、労働者の取り分としての労賃部分への
分割が任意に決まりうるものと表現される16。
投下される前貸し資本を控除した場合には利潤と労賃の取り分が問題になるが、これは分配率つまり
利潤分配率または逆に労働分配率と呼ばれるものである。「分配率」という表現自体が、現に存在する
15同じ均衡状態が繰り返され、固定資本も耐用年数通りに更新される場合には上記(1)の状態が成立し、
上記の日高の説明で問題がない。しかしそれは総資本と総労働の均衡体系と見なされる生産論の次元
(侘美 [1983]p68−69)のことであり、分配論の次元ではより動態的な面を検討しなければならない。
16実際にはこの考えは①純生物の額・量を与件として、利潤分配率が利潤を決定する、という考えと、
②投入財から純生産物が得られる比率がまずあり、次にその純生産物が利潤と労賃に分配されるとする
二元的な利潤決定の考えの 2 つがある。①は視角を限定した純粋な利潤分配論で、②は例えばスラッフ
ァの方法に見られる。スラッファの議論は【純生産物/投入財】を単位の異なる物量タームを用いなが
ら導出することを中心にすえて利潤率決定の第一段階(「極大利潤率」)を示すが、そこでは投入財に労
賃は入らず、利潤率決定の第二段階は任意に決まりうる資本分配率(または労働分配率)で行われる。訳
書 p36 では実際上、【資本の利潤率=(純生産物/投入財)×資本分配率】を示している。
23
ものを任意の比率で分割しうることを意味している。実際、資本分配率(または労働分配率)を用いる場
合、通常、労働力(または労賃)投入資本に含まれていない。この分配率は賃金水準を巡る労資間の焦点
とされるが、客観的な根拠を持たず、恣意的に決まると表現されるがゆえに対立の焦点となりうる。
F. まとめ
<利潤率低下を中⼼に>
例えば好況末期などに発生する利潤率低下は、これまで論じてきた資本循環論と利潤率概念を要約し
ながら述べると以下のような意味を持ちうる。
企業会計的な意味での総資本利益率における「総資本」は企業の所有する有形・無形、さらに金融資
産も含めてすべてが理念的に貨幣タームで流動化しうるものとみなされている。それは、物財である生
産的資本も、産業資本の剰余価値の一部を受け取る権利を示す金融資産もすべて同等に取り扱い、利潤・
利子すべてを包括する概念としての「利益」を生む「資本」とみなされている。これは実際に株価の評
価や企業それ自体の売買において経験され、「それ自体に利子を生むものとしての資本」という資本概
念を成立させる実在的な根拠となっている。ここでは利潤率の減少は投資されるべき資金の過剰、また
は資金の存在とは外部にある投資機会の減少として観念される。
他方で Pr/K の定義は物的なものに固定された資本部分が利潤を派生させる源泉となるという観念
と整合的である。固定資本は同一の資本循環を繰り返すことを強制するため、「他の用途には転用され
ない=流動化されない=固定された資本」という観念が生じる。つまり利潤が減少したとしても資本の
活動部面を移転できない制約として固定された資本が考えられている。別の言い方をすれば、この場合
の固定された資本に対する利潤率の減少とは、利潤の絶対額が減少しても特殊な用途に限定され固定さ
れた資本の制約のために活動部面を変更することが十分にできずに利潤率の減少に反映されてしまう
ことを意味している。一言でまとめると、総資本(総資産)利潤率は資本の流動的性格を表し、Pr/K は
固定された資本ゆえの資本の非流動的性格を表している。
最後に利潤分配率は、これから投下される前貸し資本、資本家の取り分としての利潤、労働者の取り
分の 3 つからなる W’から、これから投下される前貸し資本分を控除した純生産物を、資本家の取り分
としての利潤と労働者の取り分に分配する関係を示している。重要なことは他の二循環と異なり、労賃
がコストとしてではなく、純生産物の分配として現れることである。したがって利潤率の減少は任意に
変更されうる利潤分配率が減少したと見なされ、その資本家的な対策として生産関係には内在的に規定
されないように思われる労働分配率を引き下げる必要として観念される。
<再取得コストによる固定資本の再評価>
固定資本の平均利潤や減価償却を再取得コストで再評価する必要があるならば(先行研究ですでに論
点に挙げられていることかもしれないが、いずれにしても)、単純な定率法や、投下資本額=減価償却
総額という前提を、少なくとも分配論(『資本論』第 3 巻)次元では、再考する必要があるだろう。
<Pr/K から総資本利益率への移⾏>
さらに Pr/K という利潤率が現実性を喪失しつつある問題がある。産業企業が金融化、つまり金融投
資による収益が増加すれば、分母に置くのが物財的な固定資本だけというのは問題になる。この点に関
しては Duménil and Lévy [2005a]は分母と分子に金融資産やその収益を入れて Pr/K に代わる利潤率
の提案をしている。Pr/K を前提にして金融的要素を追加していくと事実上、総資本利益率へ移行する。
24
アドホックな細工として金融的要素を追加するのではなく、利潤率概念が変化することを明確にすべき
だろう。さらに経済の総金融化というべき現実経済の歴史的変化を資本概念=利潤率概念の変化と対応
させて検討する必要もあるだろう。
最後に、原理論で想定するような利潤率を落ち度なく実証分析で再現することは不可能であろうし、
その必要もないだろうが、実証分析で便宜的に(または共通理解として)用いられている「利潤率」が原
理的に想定されるものとは異なる以上、その利潤率がいかなる意味を持ちうるのか再検討する必要はあ
るだろう。本稿はその試みとして異なるいくつかの利潤率が生じる理論的根拠を検討した。
補論
固定資本に関する最近の諸研究について
Perelman [1999] “Marx, devalorisation, and the theory of value”
<内容について>
固定資本の価値移転が問題である。抽象の次元の違いから simple value と reproduction value の区
別の必要を主張している。simple value とは商品生産のために過去において実際に投下された労働量に
基づく価値だが、reproduction value は今日その商品を生産するならば必要であろう労働量に基づく価
値とする。
問題なのは固定資本の価値移転である。simple value では固定資本の価値を耐用年数で割った額が
年々移転されていくと考える。しかし将来の技術的変化などによって耐用期限以前に更新されることも
あり、そのようにはいかない。simple value のような価値移転が現実に起きると考えるならば「マルク
ス学派版合理的期待仮説」であろう。reproduction value は将来において、生産設備が使い尽くされた
ときにはじめて、固定資本の価値移転分も含めた今日の生産物の価格を計算することができる(p723)。
現在の時点では、将来の減価償却のパターンを推測して価値移転分も含めた生産物の価値が決まるとい
う意味で主観的な価値とさえ言える。reproduction value で生じる価値量決定の困難に対して、
Perelman は価値の量的把握ではなく、価値の質的把握が重要と議論を転換する(p723)。その後はかな
り意味不明の議論になり、市場支配力を持つ企業は reproduction value ではなく simple value で商品
価値を決定しようとする(p724)、などと論じている。
しかしこの論文ではもう一つヒントを与える指摘をしている。つまり、固定資本の更新に対する金融
家と産業家の違いで、金融家は投下された資本価値を保護しようとし、産業家はより効率の高い設備に
更新しようとする(p724)。
<意義>
固定資本の価値移転に関する simple value と reproduction value については本稿の本論部分ですで
に利用した。
もう一つ、固定資本の更新に対する金融家と産業家の違いは、金融資本と産業資本の蓄積様式の違い
としても議論できるが、ここでは資本循環形式の問題として検討したい。つまり、G…G
形式は利潤
率の分母を、その資本が過去に個別的に支出した簿価・historical cost としての資本額とする。名目価
格としての貨幣額に換算した増加分を利潤とするという意味で Perelman の言う金融家の蓄積と整合的
である。それに対して、P…P 循環は固定資本に関してはその時点での再取得価格に絶えず再評価され
ていくため、通常は過去の投資よりも低い再取得価格=より高い効率の設備が利潤率の分母の基準とさ
れていく。その低い再取得価格に応じた固定資本に適合させようとするという意味で Perelman の言う
産業家の蓄積と整合的である。
25
Perelman [2006] “The neglect of replacement investment in keynesian economics”
<内容について>
戦間期のランカシャーの綿工業は減価償却済みまたは低価格での譲渡により減価した古い生産設備
が稼働を続け、国際的な競争力を低下させていた。この問題をケインズがどう考えたか、を手がかりに
議論を始めている。
核心は高賃金が replacement investment を促進して生産性を高めるかどうかである。replacement
investment には二種類ある。一つは古い設備を破壊して新しい設備に更新するもの。もう一つは global
investment(p555) で先進資本主義国の設備が更新されず、新しい設備が後発国に建設されることであ
る。先進国の脱工業化と後発国での新しい工業集積地の創出、つまり生産設備の更新がグローバルに行
われるわけである。
アメリカでは、高賃金は replacement investment を頻繁に行わせ生産性を高いスピードで上昇させ
た。しかしイギリスではそうならなかった。この点に関して、ケインズは資本流出規制の必要性や高い
賃金の生産性上昇効果などに気づいていたが、問題をあいまいなままに残しておいて、後の「ケインズ
派」をミスリードすることになった。
ミスリードとは bastard なケインジアンが総需要の量的側面に問題を特化させたことである。労働者
の高賃金も総需要の増加でしか考えられなかった。需要の増加だけでは replacement investment を促
進せず、古い過剰な設備が温存され、global replacement investment(p555)を促進することにしかなら
ない。労働者の高賃金が積極的な意味を持つのは需要の増大(だけ)ではなく、replacement investment
を促進して生産性を高めることである。
<意義>
高賃金が起こしうる二つの影響とその理論的背景は経済政策議論としてはありうるだろう。それより
もこの論文を手がかりに問題にすべきは、更新投資は同じ資本の同じ生産場所でなくてもよいというこ
とである。これは過去に投資された固定資本と、その減価償却資金によって更新されるべき固定資本は
関係がない、となれば何が起きるか、という方向に議論を進めることができるからである。
Kurz and Salvadori [2005] “Removing an 'insuperable obstacle' in the way of an objectivist analysis:
Sraffa's attempts at fixed capital”
スラッファは固定資本を結合生産として取り扱った。そこでは固定資本はその全価値が生産体系の連
立方程式に入り、固定資本を流動資本として処理することで固定資本特有の問題を解決した。
この論文はスラッファの諸論考を追って、結合生産の考えにいたるプロセスを明らかにしたものであ
る。
<内容について>
スラッファは固定資本の扱いについて結合生産の考えを初めは否定していた。なぜならそれは生産の
概念や物質的なコスト、剰余の概念をあいまいにすると思われたから(p503)である。
そのときに固定資本の困難と考えた点には二つあったようで、一つは、流動資本では存在が消滅して
新たな生産物が登場するが、固定資本の場合は新たな生産物が登場してもその存在が持続するように見
えること(p498)である。
もう一つはスラッファの「客観的」方法に反することである。
「客観的」方法とは(労賃以外の)資本の
価値に対する純生産物の価値の比率は利子率(分配概念)とは独立に決まること(p513, p517 など)である。
26
流動資本のみの体系では「(労賃以外の)資本に対する純生産物は利子率に対して独立である」という仮
説を論証したが、固定資本のある体系の場合は従来の取り扱いではこの仮説が成立しない。
結局、固定資本を流動資本として処理したことで両者を解決した。
固定資本に関するスラッファの扱いは以下の番号の順で変化した。
①スミス型:交換によって持ち手を変えて利潤を上げるものが流動資本。固定資本には剰余・利子は
付かない、なぜなら固定資本は交換も生産もされず価値が決まらないから(p496)と考えた。
②リカード型:資本財の寿命の長さによる違い。しかし固定資本という区別が曖昧で重要ではないと
いうリカードの見解には同意しなかった(p497)。
③固定資本を流動的部分(消耗分)と永続的(perennial)な部分(土地のようなもの)への還元。固定資本
の年齢構成が一様なものとすれば、更新部分は流動資本となり、それ以外は永続部分となる。
減価償却は存在しない。固定資本は永続的で、流動資本は生産の一単位期間で完全に消滅する。こ
の二つで尽くされており、第三のものは存在しない
(p500)
しかしこれでは固定資本を土地と同じように扱うということになるが、それは無理。固定資本の価格
や減価償却をどう扱うのか、さらに土地と異なり機械には(少なくとも長期的には)希少性がなく価格が
決められない。また、機械の年齢分布を一様と仮定していいのか、という問題。
④会計士の方法:固定資本を確定年金にたとえて、固定資本の利子と減価償却分は年々の年金額に対
応する(スラッファ訳書p108)。ただしこれは効率一定のときにしか使えない。しかも固定資本の価値
があらかじめわかっているときにしか使えない。スラッファの場合には、技術的に確定する生産体系の
連立方程式が諸商品の価格を内生的に同時決定するため、固定資本もあらかじめ価格が決まっているの
ではなく、生産体系の中で決められなければならない。
最終的に(1942−1943 年)にスラッファは固定資本を結合生産のやり方で流動資本に還元することが
できた。効率一定という制約も解除できた。(スラッファ訳書 p108 以降に述べられる方法)
<意義>
固定資本の処理についてのさまざまな方法とそれらの難点は参考になるだろう。
ところでスラッファは利潤率と利子率を混同・同一視している。例えば、会計士の方法で使われる現
在価値還元の割引率rは利子率で、スラッファが生産体系の連立方程式で用いるrは利潤率である。ス
ラッファはこの二つのrを全く同じように扱っている(訳書 p108 と p109)。このr=利子率=利潤率は
「極大利潤率」に資本分配率をかけたものである。「極大利潤率」とは投入資本の価値(ただし労働力は
資本に含めていない)に対する純生産物の価値の比率である。スラッファの言う「客観的」方法とは純生
産物に対する資本分配率に関係なく「極大利潤率」が生産技術的に決まることを指している。用語の使
い方がややこしいが、
「極大利潤率」は労賃がない(純生産物がすべて資本家のものになる)場合の利潤率
で、通常の意味での利潤率はスラッファの場合、利子率と同じ意味かつ同じ内容で用いられている。
古典派から近代経済学にいたる流れの中には、利子=利潤を当然視する潮流もあるだろう。この同一
視が固定資本の見方にどのような影響を与えているかは先行研究の調査も含めて今後の課題としたい。
Moseley [2009] “Sraffa’s Interpretation of Marx’s Treatment of Fixed Capital”
<内容について>
スラッファは、固定資本を結合生産として取扱う自分の方法は、トレンズがはじめて用い、後にはマ
ルクスも用いるようになったと述べている(スラッファ訳書 p157−8)が、マルクス(そしてトレンズも)
の方法はスラッファとは異なると論じている。マルクスは固定資本の充用総額を資本投下に入れ、一期
27
後の減価償却済の固定資本価値を産出価値に入れている個所がある。これをスラッファは結合生産のや
り方とするが、マルクスがこうした記述を行ったのは、剰余価値は本来、可変資本から生じるのにもか
かわらず、不変資本(価値移転しない固定資本も含めて)全体から利潤が生じるかのように考える幻想を
明らかにするためで、スラッファとは異なると Moseley は主張する(p98note5)。
またトレンズもマルクスも減価償却は定額法で行い、減価償却分を引くことで生産後の固定資本のネ
ット(純)の価値が決まる点でスラッファの方法とは異なる。スラッファは生産体系と一般的利潤率によ
って生産後(1 期後)の固定資本の価値が決まり、生産前の価値から生産後の価値を引くことで減価償却
が出る。つまり逆である。
<意義>
Moseley は投入・産出の両側に固定資本を置いても剰余価値の量は変わらないと強調するが、利潤率
は変わるので、議論の仕方がおかしい。
全体として少々マニアックな議論だが、このスラッファの文献引証は無批判に引用されることもある
(Kurz and Salvadori [2005]p494, 515 など)ので、留意する価値はあるかもしれない。瑣末だが「リカ
ードには減価償却がない」(p99note6)という指摘は、おそらくオリジナルではないだろうが注意すべき
点である。
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30
サブプライム金融危機と金融不安定化仮説
横川太郎1
<目次>
はじめに
1.金融不安定化仮説とミンスキー・モーメント
2.サブプライム・ローンと金融不安定化仮説
3.サブプライム金融危機と証券化
4.安全性のゆとりと資本主義経済の構造変化
終わりに
参考文献
はじめに
アメリカにおける低所得者層向け住宅ローンであるサブプライム・ローンの遅延と貸倒れ増加を発端
としたサブライム問題は、2007 年 8 月以降、世界的な金融危機へと発展することとなった。その背後
には極めて複雑な金融構造が存在していたのであるが、世界的な金融危機への発展は短期市場における
流動性の枯渇が直接的な原因であったと言える。その契機は、2007 年 7 月 30 日にドイツの中小企業向
け金融機関である IKB Deutsche Industiebank がコマーシャルペーパー市場での資金調達、とりわけ
資産担保コマーシャルペーパー(ABCP)の借り換え(ロールオーバー)ができなくなったことが明ら
かになったことであった。この時期以降、欧米の新聞を俄に賑わせるようになった用語に、「ミンスキ
ー・モーメント(Minsky Moment)」という言葉がある。この言葉は、「金融不安定化仮説(Financial
Instability Hypothesis)」の提唱したポスト・ケインズ派の Hyman P. Minsky に由来している。ミン
スキーは、金融不安定化仮説の基本命題を、
「
(1)資本主義市場経済は、持続的な、安定価格・完全雇
用均衡をもたらすことができない、(2)深刻な景気循環は、資本主義にとって本質的な金融属性のた
めに生じる」(Minsky[1986a], p.173)としている。そして、彼は戦後のアメリカ金融システムを、経
済が平穏な中で金融革新が生じて金融が重層化、複雑化して金融不安定性が発生し、それが危機になる
と政府、当局が介入して崩壊を食い止めるということの連鎖として捉えていた(Minsky [1982], [1986])。
さらに、崩壊を未然に防いだ政府、当局は制度の改革を行い、経済を平穏な状態へと戻すが、利潤動機
に基づく経済活動が制度の抜け穴を求めて金融革新を再び起こし、金融不安定化の連鎖は続いていくの
である。
Wall Street Journal によれば、このような循環の中で経済が平穏な状態が長く続くと、「投資家が金
融市場が安全であると安心しきってしまい、その結果としてリスクを取りすぎて」、保有する資産の生
み出す現金がそれを保有するための負債を上回り、それを賄うために負債が負債を呼び、資産価格の崩
壊を引き起こし兼ねない状況が創り出される。ミンスキー・モーメントとは、そうした中で「投資家が
1
東京大学経済学研究科博士課程経済理論専攻。
31
非投機的なポジションを売り払うことで債務を履行することを迫られ、市場が下落の悪循環に陥り、深
刻な現金需要が創り出される」状況をいう(Lahart [2007])。そして、2007 年 8 月に見られた短期金
融市場での流動性の枯渇やサブプライム問題の震源地である住宅市場は、その典型例であるとしている。
このような形でサブプライム問題が世界的な金融危機へと発展する中でミンスキーへの注目が集ま
ることとなったが、この議論は金融危機の発生するその瞬間に注目しており、ミンスキーの理論体系の
一部分に過ぎない。このことは、Whalen が主張するように、ミンスキーの議論を危機の間のみ持ち出
し、危機が過ぎ去るとこで再び忘れ去ってしまうことに繋がっており、ミンスキーの理論体系から導き
出される、有るべき制度や規制、政策に関する議論はまったく取り上げられないことになってしまう
(Whalen[2007])。特に危機を理解する上では、ミンスキー・モーメントが注目する危機の瞬間ではなく、
その発生の過程を見ることが重要になる。なぜなら、ミンスキー自身も言っているように、「理論が不
安定性をコントロールするための政策的指針として有用でありうるのは、その理論が不安定性を生み出
す原因を明らかにしているかぎり」(Minsky[1982], p.xii)においてだからである。
そこで、本稿はミンスキーの理論体系、即ち「金融不安定化仮説」の体系に基づいて今次のサブプラ
イム問題を発端とする金融危機(以下、サブプライム金融危機)が生み出された原因について検討して
いく。サブプライム金融危機については、多くの論者が証券化(Securitization)にその原因を求めて
いる。ポスト・ケインズ派においても、Wray[2007], [2008]などが危機の原因は証券化にあるとしている。
そのため、証券化の進展がどのようにして金融危機へと繋がっていったのかについて注目し、検討して
いくこととするが、その過程においてミンスキー理論の持つもう 1 つの特徴が重要となってくる。それ
は、「貨幣的経済理論は制度経済学であることを避けられない(monetary economics cannot escape
being institutional economics)」(Minsky[1982] p.280)ともあるように、彼の分析はアメリカ制度学派
の伝統を継承し、理論に制度の問題を含めている2。そのため、歴史的な時間の流れの中で前提となる制
度が変化して行く可能性があり、その場合には本来のフレームワークからでは説明ができない部分が現
れてくることになる。特に、『金融不安定性の経済学』において、ミンスキーが定型化した金融不安定
化仮説は、ニュー・ディール期の制度改革と第 2 次世界大戦中の財政政策の結果として、戦後のアメリ
カに現れた金融危機を伴わない経済成長が次第に不安定化していくという歴史的な文脈の中に存在し
ている。そのため、金融革新による不安定化と金融危機、それに対する政府・当局による介入の累積は、
前提となる金融制度や金融構造を累積的に変化させていくこととなる。
実際のところ、証券化の進展と金融不安定性の発生の関係について検討していくと、証券化という金
融制度の一部分における革新を超えて、金融構造全体が大きく変化していることが明らかになる。それ
は大きく分けて 2 つある。第 1 に証券化によってミンスキーの言うところの「安全性のゆとり(margin of
safety)」の概念が変化してしまっていることである。第 2 にニュー・ディール期に作られた金融機関の
業態間の垣根、つまり、商業銀行業務と投資銀行業務の分離が 1980 年代以降、規制緩和により次第に
曖昧となり、1991 年の連邦預金保険公社改善法(FDICIA)の成立によって商業銀行は従来の貸出による
利鞘収入から手数料収入へ収入源をシフトする必要が生まれ、投資銀行の業務に参入して投資銀行のよ
うに振る舞うようになったことである。
つまり、サブプライム金融危機は、証券化という金融制度の一部面の欠陥の結果として起こったので
はなく、アメリカの金融構造という制度のより根本的な部分における変化の結果として起こっていると
いうことになる。そのため、今後の金融制度のあり方という問題を考えるとき、我々は今次の金融危機
ミンスキーの理論へのアメリカ制度学派の影響に関しては、柴田[1989] p.277, Whalen[2001], p.805
などを参照。
32
2
で問題となった証券化やデリバティブ規制、BIS 規制といった個別の制度の問題を超えて、有るべき制
度とは何かという大きな課題に直面することとなるのである。
以下では、このことについて、まず第 1 節で前述のミンスキー・モーメントの発生する過程をミンス
キーの金融不安定性仮説のフレームワークから検討にする。次に、第 2 節においてサブプライム金融危
機において危機の発生した過程を金融不安定性仮説を用いて検討する。そして、第 3 節ではその中で証
券化が危機において果たした役割について検討し、その中で明らかとなった「安全性のゆとり」の変化
について、第 4 節では「安全性のゆとり」で検討する。最後に、これらを踏まえて我々が現在直面して
いる問題について言及したい。
1.⾦融不安定化仮説とミンスキー・モーメント
ミンスキー・モーメントは、前述のように 2007 年 8 月ごろから欧米の金融紙で散見されるようにな
ったタームである。日本では、佐賀[2008]において紹介されている程度であまり流布している言葉と
はいえない。ミンスキー・モーメントに論じている Whalen [2007], [2008]によれば、ミンスキー・モ
ーメントという言葉は、1998 年のロシア財政危機の際にポール・マカリーによって作られた造語であ
るという3。このミンスキー・モーメントが発生する過程を、オリジナルのミンスキーの金融不安定性の
フレームワークに基づいて検討していく。
キャッシュ・フローの 3 形態
ミンスキーの議論の特徴は、家計、企業、政府の各部門をあたかも銀行のよう取り扱うことにある。
それを可能にするために、彼は金融契約における貸し手と借り手のキャッシュ・フローに注目する。ま
ず、そのキャッシュ・フローについて見ていくことにする。それらには 3 つの形態が存在している。第
1 に、保有する資本資産を使用することで得られる「所得キャッシュ・フロー」があげられる。これは、
企業部門の場合であれば、保有した資本資産を用いて生産を行い、その産出物を市場において販売した
際に得られる準地代(=粗利潤)を指している。第 2 に、既存の、過去からの債務に対する元金と利子
の支払のためのキャッシュ・フローとして、
「バランス・シート・キャッシュ・フロー」があげられる4。
第 3 に、資本資産や金融資産の購入や売却によって所有者が変化することによって発生する「ポートフ
ォリオ・キャッシュ・フロー」があげられる。
これらのキャッシュ・フローの間には、資本資産の保有者が、保有する資本資産を使用して創り出し
た産出物を販売することから得る所得キャッシュ・フロー、その産出物を購入する経済主体による資本
資産の購入のためのポートフォリオ・キャッシュ・フロー、そして、所得キャッシュ・フローから金融
契約の履行のために支払われるバランスシート・キャッシュ・フローという相互関係が存在している。
資金の借り手は、金融契約によって得た資金を元手に資本資産を保有することとなるが、金融契約を履
行するためには、保有した資本資産から得る所得キャッシュ・フローが、金融契約の履行に必要なバラ
Paul McCulley は、世界最大の債券運用会社、パシフィック・インベストメント・マネージメントの
エコノミストであり、ファンド・マネージャーである(Lahart[2007])。
4
バランス・シート・キャッシュ・フローは、支払の形態から更に月賦に見られる「支払日の定められ
たキャッシュ・フロー dated cash flow」、預金に代表される「要求に応じて支払われるキャッシュ・フロ
ー demand cash flow」、裏書のされた手形に見られる「定められた条件が満たされた場合に支払われるキ
ャッシュ・フロー contingent cash flow」の 3 つにさらに細分化される(Minsky[1986a], 邦訳 247 頁)。
33
3
ンス・シート・キャッシュ・フローを生み出す必要がある。しかし、現実には全ての場合において、所
得キャッシュ・フローがバランス・シート・キャッシュ・フローを満たすものであるとは限らない。そ
のため、保有する資本資産の金融形態(ポジション)が問題となる。
資本資産ポジションの 3 形態
資本資産の金融形態は、資金の貸し手と借り手の持つ不確実性に対する認識、つまり、期待に依存す
る。金融契約には「現時点で将来を取り扱うこと」(Minsky[1986a], 邦訳 228 頁)から生じる不確実性
が存在する。企業の場合、保有した資本資産を使用することで生産された個別の産出物がその市場で期
待利潤を満たすような価格で売れるかという不確実性だけでなく、経済のパフォーマンスが期待された
所得キャッシュ・フローを実現できるのかという不確実性が存在しているということになる。
そのため、資金の貸し手と借り手が資本資産の保有とその資金を調達する際に、内部金融に対する外
部金融の比率に関して、それぞれの期待に基づいた「安全性のゆとり margins of safety」を設定し、
それを実現させようとするのである。つまり、企業の資産ポジションであれば株式と負債の組合せによ
って金融されていることとなる(前掲 255 頁)。少々、変則的となるが家計の保有する資産ポジション、
例えば住宅ローンで考えてみれば、貯蓄と負債の組合せによって保有されていることになる。ここで家
計の所得は、ちょうど賃貸住宅がそうであるように保有する住宅の創り出す住宅に住むという無形の便
益を購入するためのポート・フォリオ・キャッシュ・フローと理解され、それが住宅を保有する家計に対
する所得キャッシュ・フローとして支払われる。この所得キャッシュ・フローを、負債に対するバランス・
シート・キャッシュ・フローとして支払うのである。そのため、家計の保有する資本資産は、間接的に
は所得によって保有されていることとなるが、直接的には貯蓄と負債によって保有されていることとな
る。
この貸し手と借り手の設定する安全性のゆとりに基づいて実現する内部金融に対する外部金融の比
率には、3 つの金融形態、すなわち、ヘッジ金融 hedge finance、投機的金融 speculative finance、ポ
ンツィ金融 Ponzi finance が存在する。
第 1 に、ヘッジ金融とは、資本資産ポジションからのキャッシュ・フローが、全期間を通して負債の
債務履行に必要なキャッシュ・フローを上回っている状態を指す。このような状態を実現するために、
資本資産を使用して生み出した産出物のもたらす準地代が、負債の支払を必ず超過できると期待できる
ような最低利潤に、安全性のゆとりを設定することになる5。この最低利潤を元にした所得キャッシュ・
フローと負債の支払キャッシュ・フロー(バランス・シート・キャッシュ・フロー)を共通の利子率で資
本還元すると、「所得キャッシュ・フロー≧バランス・シート・キャッシュ・フロー」という関係が存
在する。したがって、ヘッジ金融を行う経済主体の支払能力は利子率の変化から影響を受けることはな
い。
第 2 に、投機的金融とは、資本資産ポジションからのキャッシュ・フローが、近い将来においては負
債の元本と利子を含めた債務履行に必要なキャッシュ・フローを下回っているが、負債の利子費用に関
しては上回っている状態を指す。そのため、近い将来の時点において、債務を履行するために負債の「こ
ろがし roll over」か「借り換え金融 refinance」、もしくは資産の売却を行うポートフォリオ取引が必
要である。このような事態の背景には、投機的金融を行う経済主体が耐久性の高く、寿命の長い資本資
5
貸し手と借り手の期待する準地代は、あくまで期待によるもので、実現する準地代に関しては不確実
である。そのため、ここでは資本資産の使用から得られる準地代に最低水準が存在することを仮定し、
その最低利潤を基準に推計を行って決定することになる。
34
産の調達を短期の金融によって行っていることがあげられる。つまり、負債の満期日が「資本資産の寿
命」に対して短いために、日々の経済活動によって減耗する資本資産の額に比べ、支払に含まれる元本
部分の額が大きくなってしまうのである。そのため、バランス・シート・キャッシュ・フローの不足は
資本資産を取得してすぐに発生しやすく、後々の段階では資本資産の減耗(=減価償却)が進んで元本
分の支払が可能になる。
第 3 に、ポンツィ金融とは、資本資産ポジションからの所得キャッシュ・フローが、近い将来の時点
において、元本だけでなく利子分に関しても債務履行に必要なバランス・シート・キャッシュ・フロー
を下回っている状態を指す。そのため、ポンツィ金融の状態にある経済主体は、金融債務の履行のため
にさらなる負債もしくは銀行からの借入が必要になり、負債残高が累増することになる。もちろん、不
足するキャッシュ・フローに対し、資産の売却という選択肢もある。ただ、ポンツィ金融に従事する主
体は、将来における資本資産価格の上昇を見込んで意識的に投機を行っているため、資本資産価格が上
昇するまでは資産の売却という選択肢は採らず、負債の借り増しが可能な限りは借り増しを行うと考え
られる。投機的金融を行う経済主体が不足する元本分の負債を再金融によって調達するのに対し、ポン
ツィ金融を行う経済主体は利子をも負債化して債務構造に組み込むのである。
⾦融形態と⾦融不安定性の発⽣
経済主体間で結ばれる金融契約とそれによって得られる資本資産の金融形態が、いかにして金融不安
定性を増大させ、ミンスキー・モーメントを引き起こすこととなるのだろうか。結論を先に述べてしま
えば、市場における金融契約に占めるヘッジ金融、投機的金融、ポンツィ金融のうち、ヘッジ金融の占
める比率が低下すればするほど金融は不安定化することとなる。
既に見てきたようにヘッジ金融を行う経済主体は、保有する資本資産から得られる所得キャッシュ・
フローがバランスシート・キャッシュ・フローを上回るため、金融契約の履行になんら影響を与えるも
のではない。それに対し、投機的金融やポンツィ金融を行う経済主体の場合、再金融を必要とするので、
その時々の金融市場条件に影響を受ける。つまり、利子率水準が高まることで資産価値からの所得キャ
ッシュ・フローの総額が、負債の総額を下回る可能性がある。ポンツィ金融の場合は、支払利子をも含
めるため、その可能性はより高くなる。逆にインフレーションが進んだ場合は、資本資産価格が上昇し
て所得キャッシュ・フローは増加することとなる。
また、金融契約に影響を与えるのは利子率だけではない。ヘッジ金融を構成する金融契約での所得キ
ャッシュ・フローは、将来保有する資本資産を使用することで得られる期待キャッシュ・フローに過ぎ
ない。そのため、いずれの金融契約の形態においても実現される所得キャッシュ・フローが、期待キャ
ッシュ・フローを下回るときに債務の履行が不可能になる可能性がある。その場合、ヘッジ金融は投機
的金融に、投機的金融はポンツィ金融になる。ポンツィ金融は更なる負債を累積させるか、貸し手が借
り換えを拒否すれば破綻することになる。逆に、所得キャッシュ・フローの期待以上の増加や、投機的
金融の場合には負債を長期負債に乗せかえすることが成功すれば、ポンツィ金融は投機的金融に、投機
的金融はヘッジ金融になる。
この投機的金融とポンツィ金融が、金融市場の崩壊によって負債の借り換えが不可能になる時こそが、
ミンスキー・モーメントであり、さらに債務不履行に陥って、これが市場全体に波及する時にミンスキ
ー・ディストラクションが引き起こされるのである。このような金融形態が存在は極めて非合理的に感
じられるが、前述の「資本資産の寿命」の問題に見られるように現代においては、このような金融形態
が求められるのである。しかし、当初の目的が長い寿命を持つ資本資産の保有のためであったとしても、
35
投機的金融という形態の名が示すように、この金融形態に利潤を生む可能性があれば投機に利用される
こととなる。特にポンツィ金融の場合、資金の貸し手と借り手は将来、資本資産そのもの、もしくはそ
れを使用することで生産される産出物の需要価格が上昇することを期待している。そのため、インフレ
ーションが継続的に起こることで資本資産価格が上昇するような極めて脆弱な金融構造が形成される
こととなる。
⾦融不安定性の増⼤と⾦融恐慌の発⽣
ここまで、ミンスキー・モーメントがオリジナルのミンスキーの議論、金融不安定化仮説の中で、ど
のような状況を指しているのかについて見てきた。では、このような状況はどのようにして醸成される
のであろうか。このことを景気後退の谷を過ぎ、経済が上昇に転じた直後の比較的安定的な景気上昇の
時期から景気上昇が加熱していく過程を見ることで明らかにする。
景気の上昇過程における穏やかな経済の拡張期をミンスキーは、ジョーン・ロビンソンに倣って「静
穏な状態 periods of tranquility」と呼んでいたが、この時期の金融契約は直前の景気後退と不況によっ
て保守的になっていると考えられ、各経済主体は安全性のゆとりを大きく持つ。ミンスキーはこの保守
的な金融構造を「頑強な金融構造」と呼んだが、ここではヘッジ金融が金融契約の大部分を占めること
となる。ヘッジ金融の状態にある経済主体は、安全性のゆとりを大きく取るため、資本資産から得る準
地代と負債の支払額の間に差が生まれる可能性が高いだけでなく、それを現金もしくは高い流動性を持
つ資産の形で保険として保有する可能性が高いという特徴がある。
流動性が豊富に存在する状況では、短期金利は長期金利に対してかなり低い水準にあると考えられる。
このような状況のもとでは、資金の借り手である経済主体が長期の資本資産の保有を、短期の金融で行
う投機的金融を行うことで多くの利潤を得られる可能性が高くなる。また、投機的金融が展開されて、
資本資産価格が上昇すれば資本利得が発生することになるため、ヘッジ金融が優勢な金融構造の中では、
投機的金融やポンツィ金融を行うのに有利な条件が存在しているということになる。資金の貸し手であ
る銀行にとっても、ヘッジ金融が金融構造の中で優勢な状態にあるということは、現金と現金に準じる
流動性の高い金融証券が大量に存在しているために資金調達を容易に、低利子で行うことができるとい
うことを意味する。そのため、短期債務の比重を高めることによって借り手と貸し手の双方に利潤獲得
機会を与えることから、
「頑強な金融構造から脆弱な金融構造への移行が内部的に生じ」(Minsky[1986a],
邦訳 260 頁)るのである。
このとき重要な役割を果たすのが金融革新である。投機的金融を展開するためには、そのための資金
が必要であり、それには借り手の経済主体と貸し手の金融機関の資金需要を満たす金融商品が必要とな
る。金融機関によって、貸し手と借り手が求めるような条件を満たす、新たな金融資産か金融資産の新
しい利用法が開発されることによって初めて投機的金融が可能になるのである。そのため、経済が静穏
な状態にある時期は、景気の順調な拡大の元で金融機関がより多くの利潤を得るために新たな金融手法
の開発や応用を考え出す時期でもあるのである。
金融危機は、脆弱化した金融構造の中で利子率が上昇するか、期待利潤率が実現されない時に発生す
る。金融契約に占める投機的金融、ポンツィ金融が増加するということは、利子率の変動に対し脆弱に
なるということであり、同時に資金に対する需要が増大していくことを意味している。資金需要の増大
は、利子率の上昇を引き起こし、その結果、安全性のゆとりが減少することとなる。安全性のゆとりの
減少は、期待利潤率が低下した際にそれ対応するためのマージンをも奪うこととなる。
つまり、築き上げられた金融不安定性に対し、そのトリガーとなるなんらかの外生的なショック、す
36
なわち、利子率もしくは期待利潤率を変化させる事柄が起こることにより、金融危機は発生するのであ
る。この際、危機の発生過程において、所得キャッシュ・フローによってバランスシート・キャッシュ・
フローを満たすことができなくなった経済主体は、資本資産の売却、つまり、ポートフォリオ・キャッ
シュ・フローによって金融契約を履行しようとする。しかし、資本資産の売却は、その市場の資本資産
の売りに対する吸収力に依存するものの、いずれはその資本資産の価格低下を引き起こす。このことが
資本資産に対する需要の減少と、そこから得られる利潤=キャッシュ・フローを減少させて、さらなる
資本資産の売却と価格低下、利潤減少というスパイラルに陥る。また、このような状況下では、同時並
行的に経済主体がキャッシュ・フローを得るために債務履行が難しくなっている資産以外の資本資産、
とりわけ流動性が高い資産を売却して現金を得ようとする。このことが他の資本資産の価格下落、買い
手が不足することによる流動性の逼迫を引き起こす。この価格下落のスパイラルと短期流動性の逼迫が
市場全体に広がり、雪崩を打つような資本資産価格の暴落、すなわち金融恐慌が発生するのである。ミ
ンスキー・モーメントとは、このような金融恐慌が発生する寸前の状況を指しているのである。
しかし、現実の経済において金融危機が常に金融恐慌、経済恐慌に発展するわけではない。現に第 2
次世界大戦後のアメリカでは金融危機が恐慌、さらには経済恐慌へと発展することはなかった。それは、
戦後アメリカ経済に特有の金融制度と中央銀行制度による最後の貸し手、さらには財政赤字を伴う大き
な政府が危機に際して大規模な介入を行い、危機が恐慌に発展することを阻止してきたからである。こ
の制度の存在こそが Can ‘It’ Happen Again において、ミンスキーが「大恐慌は再来するのか?」とい
う問いに再来はないと論じた理由なのである(Minsky[1982])。
ただ、政府や中央銀行の介入によって恐慌の発生は未然に防がれることとなるが、前述のように危機
が醸成される過程で、金融革新が起こっていることから従来の制度や枠組みが問題となる。金融革新は
多くの場合、従来の金融制度や金融慣行の枠組みの中から、その枠組みが想定していないような仕組み
や金融資産の利用法を用いることによって生まれるものである。既存の枠組みによって想定されていな
い部分に関しては規制が存在しておらず、このことが危機を引き起こす 1 つの原因となる。そのため、
金融革新が進展する結果、従来から存在する金融制度や金融慣行が妥当性を失い、その再構築が必要と
なる。このことが、ミンスキーの議論において危機が発生する過程を見ることが重要になる理由であり、
危機が発生する過程において起こる金融革新が、既存の制度や枠組みのどの部分の欠陥を突いたもので
あるのかを明らかにすることで、危機の終息した後の制度改革が決まってくるのである。
2.サブプライム・ローンと⾦融不安定化仮説
では実際に、サブプライム・ローンの債務不履行問題を発端としたサブプライム金融危機はどのよう
にして発生したのであろうか。ここでその全貌を明らかにすることは困難である。そのため、ミンスキ
ーの視角からそのカギとなる要素を見ていくこととする。サブプライム金融危機の始まりは、2001 年
の IT(ドット・コム)バブルの崩壊から始まる。この時、連邦準備制度理事会議長のアラン・グリーン
スパンは機動的な利下げを実施し、フェデラル・ファンド・レートの誘導目標は 2001 年の 1 年間で 10
回に渡って引き下げられ、年始に 6.50%であった誘導目標は 12 月 11 日には 1.75%、さらに翌々年の
2003 年にはそれまでの史上最低となる 1.00%にまで引き下げられた(図 2-1)。このような急激な利下
げを伴う金融政策によって景気後退は 2001 年 12 月には底を打ち、わずか 8 ヶ月間で終わることとなっ
た。しかし、IT バブルの崩壊によって、資金の借り手である企業と資金の貸し手である金融機関は投資
37
に慎重になっており、行き場を求める資金は住宅市場へと流れ込んでいくこととなる。その理由として、
当時、住宅価格は順調に上昇しており、また IT バブル崩壊後も新規着工、販売戸数に大きな変動がな
かったことがあげられる(図 2-2)。さらには超低金利状態で、他の金融資産の金利が低下している中で
住宅ローン金利は比較的高止まりしたままであり、資金の貸し手にとって魅力的であったこと、また、
金利が高いといっても借り手にとって住宅ローン金利の低下が魅力的であったことがあげられる。
このような状況に加え、金融革新による新たな金融商品の登場が住宅市場への資金流入を加速させて
いくこととなる。その核心にあったのが証券化(securitization)であった。証券化そのものは、1970
年代に端を発するものであり、2000 年代に入って新たに現れたものではない。しかし、2000 年代、と
りわけ 2003 年を境に住宅モーゲージの証券化には大きな変化が現れる6。2001 年以降の住宅ブームは、
2003 年頃には信用力の高いプライム層での需要が一巡し、貸し手である金融機関は新たな借り手を求
めて市場の開拓を行うこととなった。それがプライム層より信用力の劣るサブプライム層であったので
ある7。表 2-1 からも分かるように、2001 年の段階では全モーゲージ組成に占めるサブプライムの比率
は 8.6%に過ぎなかったが、2004 年には 18.5%、さらに 2006 年には 20.1%にまで増加するのである。
そして、そのようなサブプライム層への貸付を支えたのが、変動金利型モーゲージ(Adjustable Rate
Mortgage, ARM)、利子払いのみ(Interest Only, IO)型の住宅ローンと、貸付の際に所得証明を簡略化、
もしくは行わない Low-Documentation, No-Documentation 型の住宅ローンによる貸付であった8。表
2-2 に見られるように、サブプライム・モーゲージに占める ARM の比率は 2001 年の 73.8%から 2005
年には 93.3%へと、そのほとんどが ARM へとなっていった。特にインタレスト・オンリーARM―こ
れは詳しい定義が無かったため断定はできないが、最初の数年間利子だけを支払うことで極めて低い支
図 2-1
⾦利動向(指数,2001.1‐2009.2)
140%
120%
100%
80%
60%
40%
20%
財務省証券(6ヶ⽉物,流通市場)
FFレート
社債(AAA)
コンベンショナル・モーゲージ(30年物)
Jan‐09
Jul‐08
Oct‐08
Jan‐08
Apr‐08
Jul‐07
Oct‐07
Jan‐07
Apr‐07
Jul‐06
Oct‐06
Jan‐06
Apr‐06
Jul‐05
Oct‐05
Jan‐05
Apr‐05
Jul‐04
Oct‐04
Jan‐04
Apr‐04
Jul‐03
Oct‐03
Jan‐03
Apr‐03
Jul‐02
Oct‐02
Jan‐02
Apr‐02
Jul‐01
Oct‐01
Jan‐01
Apr‐01
Jul‐00
Oct‐00
Jan‐00
Apr‐00
0%
CP(90⽇満期,⾮⾦融)
出所:Flow of Funds Accounts of the United States, The Federal Reserve Board.
6
モーゲージとは、広義には不動産担保権を総称する概念で、一般的にはモーゲージ設定を受けた貸金
債権(ローン)と合わせたものとして扱われるものである(青木[2001],45 頁)。厳密には両者を分
ける必要があるが、ここでは特に区別しないときには一般的な定義を用いる。アメリカにおけるモーゲ
ージ制度の成立に関しては井村[2002],25~27 頁を参照。
7 江川[2007]によれば、サブプライムという用語には公式な定義は存在していない。ただ、一般的に
は、フェア・アイザック社が開発・運用している消費者の信用力を点数化したスコアである FICO スコ
アの値が用いられている。FICO スコアは、その値が高ければ高いほど信用力が高いこととなり、サブ
プライム層の場合、平均 FICO が 660 点未満の層が該当する。ちなみにプライム層の場合は 700 を超
える(江川[2007],7~11 頁)。
8 No-Documentation 型のローンの中には、仕事も収入も資産もない家計を対象とした NINJA(No
Income, No Job, No Assets)と呼ばれるローンさえ存在していた。
38
払いを行い、その後、変動金利での支払を行うハイブリッド ARM の一種であると考えられる―は注目
に値する。ハイブリッド ARM は 2/28 や 3/27 と言われるような極めて低い利率(teaser rate)での支払
いを 2~3 年行った後、ペイメントリセットにより変動金利での支払へ移行するタイプの住宅ローンであ
る。このインタレスト・オンリーARM の比率は、2001 年にはほぼ存在しなかったものが 2005 年には
37.8%にも達している。また、Low-Documentation, No-Documentation 型のローンに関しても 2001
年には 28.5%に過ぎなかったものが 2005 年には 50%を超えている。これらの新たなもしくは新たな利
用法が生み出された金融商品によって 2001 年以降の住宅ブームは支えられていたのである。
図 2-1
住宅販売、着⼯、価格指数の推移
(1000⼾)
250
2,000
1,800
1,600
1,400
1,200
1,000
800
600
400
200
0
200
150
100
50
新規⼀⼾建住宅販売
住宅価格指数(主要20都市、前年同⽉⽐)
出所:U.S.Census Bureau, Standard & Poor's ケースシラー住宅価格指数から作成。
表2-1
モーゲージ組成の統計
サブプライム・モー
全組成に占めるサ
サブプライムの証
全モーゲージ組成 サブプライム組成
ゲージを裏付けと
券化⽐率
ブプライムの⽐率
した証券
(10億ドル)
(10億ドル)
(%,ドル価値)
(10億ドル)
(%,ドル価値)
2001
2,215
190
8.6
95
50.4
2002
2,885
231
8.0
121
52.7
2003
3,945
335
8.5
202
60.5
2004
2,920
540
18.5
401
74.3
2005
3,120
625
20.0
507
81.2
2006
2,980
600
20.1
483
80.5
引⽤元:JEC[2007], p.18 Figure.8。
原典:Inside Mortgage Finance, The 2007 Mortgage Market Statistical Annual, Top Subprime Mortgage Market
Players and Key Data (2006) .
サブプライム・モーゲージ・ローンの引受基準
表2-2
ARMの⽐率
インタレスト・オン
リーARMの⽐率
Low- No- Docの
⽐率
年収対負債⽀払
⽐率
平均LTV⽐率
2001
73.8%
0.0%
28.5%
39.7
84.04
2002
80.0%
2.3%
38.6%
40.1
84.42
2003
80.1%
8.6%
42.8%
40.5
86.09
2004
89.4%
27.2%
45.2%
41.2
84.86
2005
93.3%
37.8%
50.7%
41.8
83.24
2006
91.3%
22.8%
50.8%
引⽤元:IMF, FINANCIAL MARKET UPDATE, July 2007
42.4
83.35
原典:Freddie Mac.
39
2008年7⽉
2008年4⽉
2008年1⽉
2007年10⽉
2007年4⽉
2007年7⽉
2007年1⽉
2006年7⽉
2006年10⽉
2006年4⽉
2006年1⽉
2005年7⽉
2005年10⽉
2005年4⽉
2005年1⽉
2004年7⽉
2004年10⽉
2004年4⽉
2004年1⽉
2003年7⽉
新規⺠間住宅着⼯(⼀⼾建)
2003年10⽉
2003年4⽉
2003年1⽉
2002年10⽉
2002年7⽉
2002年4⽉
2002年1⽉
2001年7⽉
2001年10⽉
2001年4⽉
2001年1⽉
0
これらハイブリッド ARM、さらには所得証明に不備のあるローンが投機的な物であることは間違い
ない。ハイブリッド ARM は、支払い額が少ない当初 2~3 年に関しては支払いを行うことは問題無いが、
ペイメントリセットを迎えた途端、支払いが困難になる。JEC[2007]においても、ハイブリッド ARM
のリセットが行われる際に借り手の再金融のための期限前償還(プリペイメント)と債務履行の急激な
上昇が見られることが指摘されている(ibid., p.20)。つまり、サブプライムハイブリッド ARM の借り手
が持つ返済能力では、基本的に当初の低い利子率での返済しか実現できないのである。ペイメントリセ
ット後の支払いは極めて困難であり、再金融による借り換えを前提としている。このことは、資産価格
が上昇することで累増する負債の再金融を繰り返していくポンツィ金融に陥っていることを意味して
いる。所得証明に不備があるローンに関しても同様で、このような書類不足の状態でローンを結ぶ背景
には、所得証明があった場合にはローンを組めないような借り手に貸し付けているのである(ibid., p.21)。
しかし、これまで見てきたサブプライム・モーゲージの特徴からでは借り手にローンを借りるインセ
ンティブは存在しているが、貸し手の金融機関にとっては極めて低い金利しか得られない上に、リスク
の高い借り手に貸し手付けを行っておりインセンティブが存在していないように見える。だが、そうで
はない。そもそもサブプライム・モーゲージを組成する上で金融機関と家計の力関係では、明らかに金
融機関側にその主導権が存在しているのであり、金融機関にとって利益が出るものでなければサブプラ
イム・ローンのようなリスクの高いモーゲージは生み出されない。それこそが、リファイナンスの際に
生じる期限前償還ペナルティの存在と証券化によるデフォルト・リスクの移転なのである。
まず、償還ペナルティについて見ていく(表 2-3)。JEC[2007]によれば、2005 年に組成されたサブ
プライム・モーゲージのうち、ARM で 72.4%、FRM(Fixed Rate Mortgage, 固定金利型モーゲージ)
で 76.6%に期限前償還ペナルティが設定されていたという。同時期のプライム・モーゲージでは、ARM
で 15.4%、FRM で 15.6%ということを考えると、比較の上でも絶対的な比率の上でも極めて高いこと
が分かる(ibid., p.28 Figure 15)。実際のペナルティがどれくらいの額になるかというと、モーゲージの
当初残高の 80%に対する利子 6 ヶ月分が一般的なペナルティであるとされており、ローン金利が年利
12%であるとすると、当初残高のほぼ 5%ということになる(ibid., pp.21-22)。つまり、サブプライムの
平均ローン規模である 20 万ドルで考えれば、1 万ドルのペナルティが科されることになる。平均的な
LTV(85.9%)から考えて、サブプライム・ローンの借り手が 10%のエクイティ(不動産の価値からロー
ン残高の差=2 万ドル)を有していたとすると、2 回の借り換えを行った段階でエクイティはゼロとな
ってしまいそれ以上の借り換えを続けることはできない。ただし、住宅価格が上昇し続け、エクイティ
が増加し続ける限りにおいては持続可能であり、図 2-1 にも見られるように上昇し続けていた住宅価格
が 2006 年 9 月に下落に転じたことによって、このような金融手法が持続不可能になったのである。こ
のことは、図 2-3 の延滞率と差押え率の変動からも分かり、特に ARM の延滞率の上昇が住宅価格の上
昇が鈍り始めた 2006 年 1 月以降、全体の延滞率の上昇より早く進んでおり、住宅価格の上昇依存の性
格が明らかになっている。
この期限前償還によって借り手に科されたペナルティは貸し手の収入となる。これは貸し手にとって
は極めて大きな収入であり、借り手にとっては極めて重い負担である。そのため、このような貸付は、
搾取的貸し付け(predatory lending)と呼ばれ、JEC[2007]や Wray[2007]、大澤[2008]において批判
されている。このように借り換えを前提としたハイブリッド ARM 型は、金融機関にとって収益性の高
い金融商品なのである。ただ、借り換えが可能であれば金融機関にとって利益となるが、借り手が借り
換えに失敗してデフォルトしてしまった場合には、金融機関の損失は極めて大きなものとなってしまう。
このような問題を回避するために取られたのが証券化であった。次節ではこの証券化について検討して
40
いく。
モーゲージのセクター別情報(2005年組成)
表2-3
セクター
平均ローン額
FICOスコア
Combined LTV
期限前返済ペナ
ルティ⽐率
総利鞘(ベーシス
ポイント)
256.2
プライムARM
453,000
732
73.9
15.4
ニア・プライムARM
321,000
711
80.0
52.6
282.4
サブプライムARM
200,000
624
85.9
72.4
582.6
プライムFRM
499,000
742
70.6
1.7
N/A
ニア・プライムFRM
215,000
717
76.2
15.6
N/A
サブプライムFRM
128,000
636
81.2
76.6
N/A
出典: Mortgage Bankers Association, Characteristics of Outstanding Residential Mortgage Debt: 2006, MBA Data
Notes, January 2007, p. 5.
原典:Bear Stearns, LoanPerformance.
図 2-3
出典:延滞率・差押え率
住宅価格指数
Mortgage Bankers Association Web サイトから経済産業省作成。
Standard & Poor's ケースシラー指数。
備考:サブプライム住宅ローン延滞率(変動⾦利分)は、2004 年以降公表。
3.サブプライム⾦融危機と証券化
サブプライム金融危機において証券化はその原因と目され、既に多くの研究が行われて来ている。サ
ブプライム金融危機で問題となった証券化商品は、サブプライム・モーゲージを証券化したモーゲージ
担保証券(Mortgage-backed securities; MBS)とそれをさらに証券化した CDO(Collateralized Debt
Obligation)であった。そのため、2008 年 4 月に IMF によって公表された Global Financial Stability
Report では、サブプライム金融危機の原因となった MBS と CDO の技術的な問題点について詳細に検
討が行われている(IMF[2008])。証券化のアイディアは、基本的には複数の似たような性質を持つ債
権を集めてプールを作り、それを裏付けとしてその利払いと元本払いの受益権を証書として投資家に販
売するものである。その際に、プールを作ることで債務不履行のリスクを統計的に処理できるようにし、
投資家に取っては直接個別の債権を保有するより少ないリスクで安定した利潤を得られるようにする
ものである。また、証券化する債権を保有するオリジネーターにとっては、対象債権を売却することで
41
貸付を回収し、さらにその債権のデフォルト・リスクを投資家に転嫁することできるのである。CDO
も証券化商品の一種であるが、その特徴として裏付けとなる資産が証券化商品、銀行債権、クレジット・
デフォルト・スワップ(CDS, デリバティブの一種)などの金融債権を裏付けとする点があげられる。
従来の証券化は、MBS のようにモーゲージのみを集めて証券化を行っており、またその対象も原債権
である。それに対し、CDO では証券化の証券化(「二次証券化」)といわれるように、その裏付けとな
るプールに他の証券化商品だけでなく、証券化商品などを対象とした CDS、さらには他の CDO のトラ
ンシュ(tranche=証券のクラス)をも含むものが存在している。このような極めて複雑化した裏付け
資産を元に、条件が極めて細分化された証券が発行されており、この裏付けの中にサブプライム・モー
ゲージを裏付けとした MBS が含まれていたのである。そのため、何らかの形でサブプライム・モーゲ
ージを裏付けに含む CDO が無数に存在する状態が作り上げられ、それが世界中の金融機関やその配下
にあるオフ・バランスの事業体(エンティティ)、ヘッジファンド等によって保有されていたのである。
そのような状況の中で住宅価格の上昇が鈍り、ローンの借り手が支払いを行うことが困難になり、支払
い遅延率と債務履行率が上昇することで、それらを組み込んでいた MBS や CDO の格下げを行われた。
そして、それを大量に保有していた SIV(Structured investment vehicle)が含み損を抱えたことで
ABCP による資金調達ができなくなった。SIV は金融機関の保有するオフ・バランス・エンティティで
あり、資金を ABCP もしくはミディアムタームノート(MTN)の短中期の資金で調達して長期の CDO を
保有する投機的金融に従事する事業体であるが、資金調達が困難になったときには親銀行から融資を受
けられるようクレジットラインの提供を受けていた。2007 年 7 月末のドイツの IKB の流動性危機に始
まる短期市場における流動性の枯渇はこのようにして引き起こされたのである9。
このように 2007 年 7 月末に始める流動性逼迫の原因は、サブプライム・モーゲージを組み込んだ証
券化商品が、支払い遅延と債務不履行が増加する中で格下げを受けたことにある。特にその後の金融危
機の波及過程で、CDO を大量に保有していた金融機関やヘッジファンド、SIV とその親銀行が大量の
評価損と損失を出すこととなり、2008 年 3 月にはベア・スターンズが救済され、同年 9 月にリーマン・
ブラザースの破綻、同月の AIG の救済、同年 10 月の金融安定化法(Emergency Economic Stabilization
Act of 2008)の成立とそれによる総額 7,000 億ドルに達する問題資産買取プログラム(Troubled Assets
Relief Program, TARP)の実施へと繋がっていくのである。そして、2009 年 3 月 6 日段階で、7,000 億
ドルのうち 5,398 億ドルまでが銀行を中心に既に拠出されたか、拠出が決定されている10。
これらのことからサブプライム金融危機において証券化の果たした役割は極めて大きいことが分か
るが、問題は危機を引き起こした過程である。そもそも、住宅モーゲージの証券化の歴史は前述のよう
に 1970 年代に始まるものであり、今次のサブプライム金融危機の原因となった 2001 年以降の住宅ブ
ームの中で初めて登場した新技術という訳ではないだけでなく、その目的も投機のためのものでなく当
時の住宅金融システムの危機に対応するためのものであった。CDO に関しても、その原型となる物は
既に 1980 年代には登場していた。
そのため、サブプライム危機の原因となった CDO の構造とその問題点だけに注目した上で、証券化
が問題であったとするのではなく、ここでもどのような経緯で証券化が危機を引き起こしたのかを見て
いく必要がある。ここではまず、証券が行われる用になった経緯と証券化の基本的な構造についてアメ
リカにおける証券化の歴史の中で検討し、それがどのようにしてサブプライム金融危機で問題となった
CDO へと繋がっていくのかを検討していく。
9
10
2007 年 7 月末以来の短期流動市場における流動性の枯渇に関しては、関[2007]に詳しい。
The New York Times ホームページ(http://projects.nytimes.com/creditcrisis/recipients/table)より。
42
アメリカにおける証券化のはじまり
そもそも戦後のアメリカにおける住宅金融システムは、住宅金融を専門に扱う金融機関である貯蓄貸
付組合(savings and loan associations; S&L)を中心に、ニュー・ディール期に確立された公的金融シス
テムを戦後さらに拡張したものによって支えられる形になっていた11。住宅モーゲージ投資に対する税
制優遇措置、さらには他の預金金融機関である商業銀行に対する金利面、準備率面での優位性、国法銀
行に対する不動産貸付の規制を行うことで S&L を住宅金融の上で優位に立たせていた。さらに公的な
金融プログラムとして、全国住宅法(National Housing Act of 1934)によって設立された連邦住宅庁
(Federal Housing Administration, FHA)が住宅モーゲージの債務保証を行い、その住宅モーゲージを
再金融(refinance)する手段として 1938 年に連邦抵当金庫(Federal National Mortgage Association;
FNMA)が設立され、住宅モーゲージに流動性(liquidity)を付与された。第 2 次世界大戦後、1949 年住
宅法(Housing Act of 1949)によって FHA・VA の信用保証制度を含む公的モーゲージ支援プログラムに
対し、全国民に対する適正な住宅取得とコミュニティの発展を促す上で民間では供給できない部分に対
する政府援助を行うという福祉国家政策的な役割が与えられた。そして、連邦住宅貸付銀行制度(Federal
Home Loan Bank System; FHL Bank 制度)による融資が小規模な S&L の有力な資金調達手段として
利用され、貸付残高が急増することとなった。
このような公的金融プログラムの補助の元で、S&L が中心となって戦後アメリカの住宅金融システム
は機能していたが、これが 1960 年代後半に次第に機能不全に陥るようになる。その原因としては大き
く分けて 2 つある。第 1 に、戦後、急激に成長した貯蓄金融機関は業務の拡大・多角化を志向するよう
になり、その結果、預金金融機関間における競争が激化したことである。第 2 に、1960 年代に入り経
済がインフレ・バイアスを強めたことで不安定化し、物価上昇と利子率の上昇が引き起こされたことで
ある。
第 1 の貯蓄金融機関の業務拡大・多角化に関しては、戦後の貯蓄金融機関が急成長する中で、それま
で存在していた州際業務規制と州内における支店設置規制、さらには貸付業務の地域的な制限といった
地理的な規制を乗り越えようとしたことによって商業銀行との間で競争が激化し、S&L 優遇政策が問題
視されて、商業銀行との規制の同等化が進められた。特に 1966 年に金利規制法(Interest Rate Control
Act)が成立し、商業銀行の預金金利上限より 0.75%∼1.00%高い値ではあるが預金金利に上限が設けら
れた(井村[2002],82-90 頁;青木[2001],24 頁)。この預金利率上限規制が貯蓄金融機関に導入され
たことが、この後、預金金融機関を危機に陥らせることとなる。
第 2 の物価上昇とそれに伴う利子率の上昇に関しては、戦後の 1950 年代を通した経済の安定的な推
移の結果であるとも言える。大恐慌後、第 2 次世界大戦を通してアメリカでは金融危機が恐慌に至るこ
となくなっていたが、1960 年代以降の金融危機が再び発生するようになると同時にインフレーション
が進行するようになった。インフレーションの進行とそれに伴う高金利は、貯蓄金融機関に極めて深刻
な打撃を与えることとなった。1966 年に預金金利上限規制が導入されたことで、市場金利が上昇する
局面で預金金利が市場金利を下回るという事態が発生し12、預金流出(ディスインターミディエーショ
ン)を引き起こした。貯蓄金融機関は税制優遇によって住宅モーゲージに対する運用の比率が極めて高い
状態となっていたが、貯蓄金融機関のモーゲージ貸付業務は典型的な「短期借りの長期貸し」の形態を
11
12
詳しくは井村[2002],第 1 章を参照。
1966 年、69 年、70 年、73 年、81 年に生じている(青木[2001],25 頁)。
43
とっており13、期間構造のミスマッチによる逆鞘を引き起こす構造を持っていた。1960 年代後半から
70 年代後半にかけてみられるような高金利時代には貯蓄金融機関の利鞘を圧迫するだけでなく、逆鞘に
すら陥ってしまったのである。
証券化の導入は、このような高インフレ・高金利の中で、貯蓄金融機関を主軸とする住宅金融システ
ムは機能不全に陥った結果として導入されたものでなのである。次にこの導入された証券化の方式に関
して見ていく。ここではまず最初に導入されたパス・スルー型とその問題点、そしてその問題を解決し
たペイ・スルー型について見ていく。
パス・スルー型
まず、パス・スルー証券についてであるが、代表的なパス・スルー証券は 1970 年に政府抵当金庫
(Government National Mortgage Association; GNMA)が発行した MBS に端を発し14、その基本的な構
造は図 3-1 に見られるように、まず、オリジネーターの保有するモーゲージでプールを形成し、それを
証券化の発行体に譲渡売却する。発行体はモーゲージ・プールを裏付けとして債務証書もしくは信託証
書(trust certificate of beneficial interest)の形態で受益証券を発行して投資家に販売する。モーゲージ
の借り手からの毎月の元利金は、サービサーと呼ばれる回収会社により回収されることとなるが、大抵
の場合、モーゲージの組成を行ったオリジネーターがその役割を負って手数料収入を得る。サービサー
によって回収された元利金は証券の発行体に集められ、投資家に対し受益権の比率に応じて分配(償還)
される。この際に回収された元利金がそのまま投資家に渡される(パス・スルーされる)ことから、これ
らの証券をパス・スルー型と呼ぶ。また、このパス・スルー証券の特徴として、裏付けとなるモーゲー
ジ・プールの所有権が証券の所有者に移転され、モーゲージの発行者のバランス・シート上から消滅す
図 3-1
パス・スルー型証券(MBS)発⾏の仕組み
オリジネーター
(兼サービサー)
パス・スルー証券の販売
譲渡
保証
パス・スルー証券 元利金
の発行
FHA・VA 保険
(コンベンショナ
証券発行体
元利金
保証
モーゲージの債務者
モーゲージ・プール
元利金
モーゲージ・プール
パス・スルー証券の投資家
モーゲージ
ルを除く)
FNMA, FHLMC
出所:日本資産流動化研究所[1995],飯村[2002],松井[1986]を参考に筆者作成。
貯蓄貸付組合のモーゲージ貸付は全資産の約 85%に及び、その貸付期間は 25 年から 30 年間である。
また、負債に関しても満期が 1 年以下の小口預金が約 85%を占めていた(井村[2002],p.95)。
14 MBS は FNMA の発行するパス・スルー証券の名称でもあるが、ここではパス・スルー証券の一般
名称としても使用する。
44
13
る点があげられる15。こうすることでモーゲージの発行者は、自身の保有するモーゲージをパス・スル
ー証券の投資家に移転することで、貸付を回収すると同時にリスクを投資家へ移転することができる。
ペイ・スルー型
次にペイ・スルー型についてであるが、これはパス・スルー型の持つ欠点をクリアするために登場し
たものである。住宅モーゲージは、典型的には返済期限が 30 年の固定金利払いのローンである。その
ため、住宅モーゲージの短期の金利変動との関係では金利上昇時に価値が低下し、金利低下時に価値が
上昇することとなる。そのため、住宅モーゲージを裏付けに発行されたパス・スルー証券の保有に対す
る投資家のインセンティブも金利上昇時に低下し、金利低下時に上昇することとなる。しかし、パス・
スルー証券を構成する住宅モーゲージの借り手には、金利低下時に住宅ローンをより低金利のローンに
組み替えることで金利費用を節約するインセンティブが働く。そのため、パス・スルー証券に組み込ま
れた住宅モーゲージはローンの期限を待たず償還されることとなってしまう。この期限前償還リスクの
存在により、GNMA パス・スルーでは満期が 12 年と想定されており、実際の満期と最終利回りに関し
ては確定できないという問題が存在していた(松井[1986],33-34 頁)。
期限前償還が発生すると、投資家は本来の投資計画を修正せざるを得なくなってしまう。投資家は金
利の上昇時により有利な金融商品に投資を行いたいと考えるが、期限前償還が減少することで新たな投
資に用いることのできるキャッシュ・フローが想定より減少してしまう。逆に金利低下時には、パス・
スルー証券の利回りが魅力的となるため、なるべく長い期間保有したいと考えるが、期限前償還により
キャッシュ・フローが増加してしまう。その場合、新たなキャッシュ・フローの運用先を探さなければ
ならないが、金利が低下する中で従前の証券に匹敵する利回りを得ようとすればリスクが高まり、低リ
スクの運用を行おうとすれば利回りが低下するというジレンマに陥ってしまうのである。
このような問題点に対応するために登場したのが、1983 年に連邦住宅貸付抵当公社(FHLMC)によっ
て発行されたマルチクラス形態のペイ・スルー証券、CMO(Collateralized Mortgage Obligation)であ
った(パーベル[1989],51 頁)。この CMO には大きく分けて 3 つの特徴がある(図 3-2 も合わせて参照)。
第 1 の特徴として CMO は異なる償還期間、利回り、元利金の支払いを行う複数のトランシュを有し
ていることがあげられる。CMO の発行が始まった 1980 年代における一般的な CMO では異なる 5 つ
のトランシュに分割されて証券が発行された。パス・スルー型では、裏付けとなっているモーゲージか
らの毎月の元利払い金をそのまま受益権に比例して投資家に分配しており、同一の償還期間、利回り、
元利金の支払いを受けていた。いわば同一のトランシュで証券が発行されていたのである。CMO の場
合、毎月の元利払いのキャッシュ・フローは一端、発行体にプールされて安全性の高い資産で短期運用
され、半年に 1 回投資家に対して支払いが行われる。その際に、利子に関しては第 1 から第 3 トランシ
ュの全てに支払われるが、元本部分と期限前償還に関しては、まず、第 1 トランシュに全て支払が行わ
れ、それが終わると第 2、第 3 と続く「優先劣後構造」を有していた16。これら第 1 から第 4 トランシ
15
これに加え、GNMA や政府援助法人(Government Sponsored Enterprises, GSE)によって証券化された
FHA・VA 保証を付与された住宅モーゲージには、FHA 保険・VA 保証に加えて、GSE による期限通り
の元利払いの保証と 2 重の保証が付されていた。
16 そのため、第 1 トランシュの償還が最も早く 5 年以内、第 2 トランシュの償還は 12 年以内、第 3 ト
ランシュの償還が 20 年以内に為されるという構造となっていた。さらに第 4 トランシュは Z トランシ
ュ(ボンド)と呼ばれ、第 1 から第 3 トランシュまでの元利払いが行われるまで利払いが行われず、利息
分は元本に累積される。他の正規クラスの支払が終了すると元本、利息、累積利息を受け取ることとな
る(前掲,51 頁)。
45
ュまでを正規クラス(“regular” class)と呼び、そして第 5 トランシュは残余クラス(“residual” class)と呼
ばれていた。CMO では裏付けとなる資産プールの額面が発行される証券の額面を上回る「超過担保」
を採用していることや毎月の債務者からの元利金払いを半年ごとに投資家に対して支払われるまでの
短期運用で残余収入が発生することから正規クラスの元利払い後に残余キャッシュ・フローが生じる。
残余クラス(=残余持分)は、それを受け取るものである(パーベル[1989],51 頁)。
このような特性から正規クラスでは満期が長くなるにつれてリスクが高まることから利子率が上昇
していく構造となっていた。また、残余クラスはその性質が債券と言うより株式に近いことからエクイ
ティと呼ばれる。また、CMO が複雑化していく中でトランシュ数が増加していったことから、正規ク
ラスの中でも、短期の安全性の高いトランシュをシニア、それに劣後する中期のトランシュをメザニン
と呼ぶようになっている。
第 2 の特徴として、CMO の裏付けとなっている資産のプールが住宅モーゲージ中心ではなく、MBS
がほとんどを占めていることがあげられる。前掲のパーベルによれば、1983 年から 87 年に発行された
CMO のうち、
「未証券化モーゲージ」を裏付けとするものは 9.3%に過ぎない。それに対し、
「パス・ス
ルー証券」を裏付けとする CMO の比率は実に 89.2%、これに住宅モーゲージとパス・スルー証券を裏
付けとする CMO が 1.5%あることを考慮すると、発行される CMO の実に 90%がパス・スルー証券を
裏付けとして発行されているのである(前掲 53 頁)。このような点から住宅モーゲージの発行市場を第 1
市場、MBS による証券化で創り出された流通市場を第 2 市場とした場合、井村[2002]は「CMO が
モーゲージの『第 3 市場』とも言うべき市場を新たに形成」(同 126 頁)したと指摘している。また、大
垣[2008]の定義を用いれば、MBS の発行を「一次証券化(primary securitization)」とすれば、その
MBS を再度集めて新たな証券化商品を組成する CMO は「二次証券化(re-securitization)」であると言
図 3-2
ペイ・スルー型証券(CMO)の仕組み
(サービサー)
貸付
発行・販売
第 1 トランシュ
第 2 トランシュ
⋮
) 元利金
パス・スルー証券
第 3 トランシュ
元利金支払
購入
出所:日本資産流動化研究所[1995],[1997],井村[2002]を参考に筆者作成。
46
各トランシュの投資家
元利金の回収
売却
ペイ・スルー証券
資産プール
発行体(SPC)
資産プール 担(保
モーゲージ債務者
オリジネーター
える(同 36-37 頁)17。
第 3 の特徴として会計上の取り扱いの違いがあげられる。ペイ・スルー証券は、発行体にプールされ
たモーゲージを裏付けとして発行される債券で、その形態から所有権が証券の購入者には移転されず、
発行体のバランス・シート上の負債からは消滅しないという特徴を有している。
CMO の発行によって期限前償還の問題には対応可能となったが、今度は第 3 の特徴にあるようにペ
イ・スルー証券は証券として発行されるため、所有権が証券の購入者には移転されず、発行体のバラン
ス・シート上の負債からは消滅しないこととなってしまった。このことは、発行体にとってはバランス・
シート上に負債が残ることで財務比率が改善されないこととなってしまう。このようなペイ・スルー証
券の発行における税制上・会計上の問題に対応するために、1986 年のレーガン税制改革において導入
されたのが不動産モーゲージ投資媒介体(Real Estate Mortgage Investment Conduit; REMIC)であっ
た。
内国歳入法典にはサブ・チャプターM という制度が設けられており、同法典 11 条(c)(3)によれば、サ
ブ・チャプターM の課税に従う企業に対しては、同 11 条(a)によって規定される法人一般に対する課税
年度における課税所得への課税は為さず、
「導管」として扱われることとなる。REMIC は、ペイ・スル
ー証券のオフ・バランス化を達成するために、1986 年の改革でサブ・チャプターM に加えられた制度
なのである18。そして、法人、信託、パートナーシップのいずれの形態を取っていても REMIC になる
ことができ、その場合には、REMIC の得るいかなる収入もその受益者に課税されることとなる19。
これらのことから、REMIC が適用されることで信託であっても、複数の償還期間からなるトランシ
ュを持つペイ・スルー証券を発行できようになった。また、課税所得に関しても信託段階での課税が無
くなり、受益者段階での課税のみとなり、二重課税が回避されることとなった。また、ペイ・スルー型
での証券発行の際に裏付けとなる資産プールに関しても発行体の負債扱いではなくなり、親会社のオ
フ・バランス化が可能になったのである。
ペイ・スルー型の普及と CDO
サブプライム金融危機で問題となった CDO は、このパス・スルー型の CMO の発展した物であると
言える。証券化の進展において、この CMO の発行開始と REMIC の導入の果たした意味は極めて大き
かったと言える。発行高だけを見ても、1983 年に 47 億ドルでしかなかった CMO の発行は、1987 年
17
この一次証券化と二次証券化に関しては堀内[1997]において、ガーレイ=ショウ[1960]を引い
て、
「一次的(あるいは本源的)証券化」と「二次的証券化」という定義を用いているが、原典のガーレイ
=ショウ[1960]においてはそれぞれ「本源的証券(Primary securities)」と「間接証券(Indirect
securities)」を用いており、ここでの一次証券化と二次証券化とは別概念であることを記しておく。
18
REMIC は内国歳入法典 860A 条-860G 条において規定されている。REMIC になるためには、(1)課
税年度、または前年度に REMIC としての扱いを受けることを選択すること(内国歳入法典 860D 条
(a)(1))、(2)持分が普通持分(regular interest)と 1 つだけの残余持分(residual interest)によって構成されるこ
と(同法 860D 条(a)(2)及び 860D 条(a)(3))、(3)開始後 3 ヶ月以降は「適格モーゲージ(qualified mortgage)」
と「許諾投資(permitted investment)」であること(同法 860D 条(a)(4))、特に前者は住宅モーゲージ及び
MBS によって構成されていること(内国歳入法典 860G 条(a)(3))、特に後者に関しては回収した元利金
を分配までの間の短期のキャッシュ・フロー投資や超過担保、差し押さえ資産であることという条件を
満たせばよく、それは法律上のいかなるエンティティでも認められる(同法 860G 条(a)(5)-(8))。
19 内国歳入法典 860A 条(b)。
47
には 553 億ドルと実に 12 倍近い増加をみせている(図 3-3)。特に 1986 年,87 年の発行量はそれ以前と
比較して非常に大きくなっている。REMIC の導入された 1987 年以降に関しても、GSE による CMO
発行残高について見てみると、その伸びが極めて顕著であることが分かる。1987 年における発行残高
は 9 億ドルに過ぎなかったが、翌 89 年には 225 億ドル、さらに 90 年には 952 億ドルとその後も顕著
な伸びを示している(図 3-4)。また表 3-1 にも見られるように、CMO はその多くが民間発行であり、1983
年から 87 年の間の発行のうち実に 60%近くが民間証券発行体による発行である。
CMO の発行と REMIC の導入が、民間ベースの証券化商品の発行と派生型の新たな証券化商品を促
進したと言える。これらの公的金融プログラムによる証券化と CMO の発行で得られた知識と経験は、
後に公的な保証を用いない、モーゲージ以外の金融資産を裏付けとした資産担保証券(Asset-backed
Securities; ABS)の発行など証券化の境界を押し広げていく契機となっていったのである。その中には、
前述の ABS に加え、商業用不動産を裏付けとして証券化した CMBS(Commercial Mortgage-backed
securities)や銀行ローンを裏付けとして証券化した CLO(Collateralized Loan Obligation)、社債を裏付
けとして証券化した CBO(Collateralized Bond Obligation)、そして、CDO があるのである。
図 3-3
表 3-1 CMO の発⾏者 (1983 〜 1987)
発行者
発行額 (ドル )
民間証券発行体 *
963 億 2900 万
58.4
連邦機関
349 億 8400 万
21.3
住宅建設会社
234 億 3000 万
14.2
貯蓄金融機関
95 億 5200 万
5.8
6 億 6000 万
0.4
その他
*民間貯蓄金融機関の発行体を含む
52 頁。
出典:パーベル[1989],
原典:FHLMC 資料
出典:井村[2002],142 頁。
原典:Goldman Sacks 資料。
図 3-4
出所:1987-98 年:松村ほか[1999],83 頁(原典:SIFMA),1999-2007 年:SIFMA 資料。
48
シェア (%)
CDO と⾦融不安定化仮説
では、CDO の構造はどのようなものであったのだろうか。図 3-5 からも分かるように CDO の基本構
造は CMO と同じペイ・スルー型であり、違いは CDO 証券を発行する際に裏付けとする資産プールの
構成である。前述のように CDO では MBS や社債、ABS、さらには CDS をその裏付けに用いている点
に特徴があり、CMO にあった二次証券化としての性格がより強く表れている。
より具体的な例として、IMF[2008]のサブプラム・モーゲージの証券化について見ていく(ibid.,
p.59-60, 図 3-6 も参照)
。前出の表 2-1 からも分かるように、2005 年から 2006 年にかけてサブプライ
ム・モーゲージはその 80%以上が証券化されていた。サブプライム・モーゲージを証券化すると、約
80%が最上位格付の AAA を得、約 2%が BB+以下の投資適格以下扱いとなる。言い方を変えれば、約
80%がシニア、約 18%がメザニン、約 2%がエクイティということになる。AAA のシニアの部分の多
くは投資家によって保有されることとなるが、それ以外のメザニン、エクイティの部分は CDO の裏付
けとなる資産プールとして「リサイクル」されることとなる。サブプライム MBS のクレジット・リス
クに対する安全性に関しては、超過担保や外部信用補完を伴わない優先劣後構造だけでも全体で 20%の
損失が発生しない限り、シニア・トランシュに影響はないとされている。
これらの MBS を元に 2 種類の CDO が発行される。ハイグレード CDO は A-以上のサブプライム、
プライムを裏付けとする MBS や他の CDO のトランシュを裏付けとして発行される証券化商品で、90%
以上が AAA となっている。メザニン CDO は主に BBB 以下の MBS や他の CDO を裏付けとして発行
される証券化商品であり、裏付けとなる資産のリスクを反映しているものの 75%以上が AAA になって
いる。さらにこれらの CDO のうち A-や BBB の格付を与えられたトランシュは買い手が付かないため
に、リサイクルされてさらに新たな CDO になる(CDO-squared)。そして、CDO-squared においても
75%以上が AAA を得られるという極めて複雑であり、特異な構造を有していた。
これらの証券化商品のクレジット・リスクに対する安全性に関しては、統計的な手法により安全性が
図 3-5
CDO の仕組み
オリジネーター
(サービサー)
資産プール
第 1 トランシュ
第 2 トランシュ
⋮
社債・
) 元利金
第 3 トランシュ
など
ABS
元利金支払
購入
出所:筆者作成。
49
各トランシュの投資家
発行・販売
証券
CDO
元利金の回収
売却
資産プール 担(保
MBS
購入
発行体(SPC)
確保されているはずであった。しかし、IMF[2008]が指摘するようにその前提条件となる仮定が極めて
甘く、MBS で見ても明らかにそのデフォルト確率は AAA における基準の 0.05%を上回っていた。CDO
に至っては裏付けとなる資産に MBS が含まれており、MBS のデフォルト確率が間違っていてより大き
な損失が出れば、それを元にした CDO の損失も想定を超えるものなる。特にメザニン CDO は、MBS
において AAA に損失が出ている状況では、裏付けとしている A-以下のトランシュの損失は 100%であ
り、予測を遙かに超える損失が上位のシニア・トランシェに発生することになる。
実際、関[2008]によれば、アメリカ最大手の商業銀行であるシティグループの 2007 年第 4 四半期
決算では、サブプライム関連の評価損 181 億ドルのうち実に 143 億ドルが CDO のスーパーシニア関連
であったという。また、元三大投資銀行のメリル・リンチの同期の決算においても約 124 億ドルの評価
損のうち 98 億ドルが CDO のスーパーシニア関連であったという(関[2008」,98,102 頁)。
図3-6 サブプラム・モーゲージの証券化の仕組み
サブプライム・モーゲージ
シニア
メザニン
エクイティ
サブプライムMBS
AAA
AA
A
BBB
BB〜⾮格付
80%
11%
4%
3%
2%
ハイグレードCDO
シニアAAA
88%
ジュニアAAA
5%
AA
3%
A
2%
BBB
1%
⾮格付
1%
メザニンCDO
シニアAAA
ジュニアAAA
AA
A
BBB
⾮格付
出所:IMF, Global Financial Stability Report , April 2008, p.60.
図 3-7
出所:SIFMA, Global CDO Market Issuance Data より作成。
原典:Thomson Financial 資料。
50
62%
14%
8%
6%
6%
4%
CDO-squared
シニアAAA 60%
ジュニアAAA 27%
AA
4%
A
3%
BBB
3%
⾮格付
2%
サブプライム金融危機で問題となったこのような証券化商品をミンスキーの理論体系から検討する
とどのようなことが言えるだろうか。前述のようにサブプライム・モーゲージは、ハイブリッド ARM
に見られるようにペイメントリセットが発生すると同時に支払い困難に陥る極めて投機的な金融商品
であり、それを証券化したサブプライム MBS は極めて投機的であると言うことはもちろん可能である。
ただ、問題点は証券化商品の持つ構造にある。証券化では種々の内部・外部信用補完を行って、より安
全性が高く満期の短い証券からよりリスクが高い代わりに高いリターンを期待できる長期の証券まで
様々な証券(=トランシュ)が発行されている。このような証券化商品の構造に関して、Kregel はシニ
ア・クラスのトランシュをヘッジ金融、メザニン・クラスのトランシュを投機的金融、そして残余クラ
スのエクイティを安全性のゆとりそのものであると論じた(Krugel[2008], pp.15-16)。Krugel はサブプ
ライム金融危機を金融不安定化仮説に基づいて分析を行っており、その中で安全性のゆとりが経済の内
生的な過程の結果として減少したというよりは、信用力の評価に基づく安全性のゆとりが不十分であっ
たという外生的なミスプライシングによって生じたと論じているのである(ibid., p.5, 19)。つまり、サ
ブプライム証券の損失に関しては格付を含む各トランシュの価格評価の手法とその想定に誤りがあっ
たとしているのである。つまり、証券化においては金融機関は証券を販売するために格付機関から投資
適格をより多くもらえるような証券化を模索し、格付機関と相談しながら証券化商品を構成していく。
その結果、「格付機関が、裏付けとなるサブプライム・モーゲージの期限前償還率と債務不履行率の統
計的確率の機関の持つ評価によって適切な安全性のゆとりを決定する」
(ibid., p.16)ことになる。この当
初の推定が間違っており、安全性のゆとりが不正確であったことが格付機関の格下げによって証明され
たとするのである(ibid., p.19)。
ただ、ここでより重要なのは Krugel が安全性のゆとりの変化に注目している点である。Krugel は証
券化においては安全性のゆとりを決定するのはローンの組成者ではなく、格付機関によってなされてい
るとしているのである。この点は極めて重要で、前述の通りミンスキーの金融不安定化仮説は各経済主
体の持つ安全性のゆとりに注目するものであるが、この関係が変化しているのである。このことは、サ
ブプライム金融危機が証券化という金融革新によって生じた技術的な問題を原因とする循環的な危機
と違い、経済の構造変化を伴った危機である可能性を示している。
4.安全性のゆとりと資本主義経済の構造変化
ミンスキーの金融不安定化仮説において、資金の貸し手と借り手はそれぞれが設定した安全性のゆと
りに従って行動している。経済が静穏な中で順調に利潤が上がっていくと、人々は過去における失敗が
少ないことから安全性のゆとりを次第に引き下げていき大胆になる。このことによって内生的な不安定
化が発生するのである。しかし、サブプライム金融危機において明らかになったことは、経済主体、と
りわけ資金の貸し手が安全性のゆとりに基づいて行動しなくなったということである。金融機関は、サ
ブプライム・モーゲージを保有することなく証券化した。このような金融モデルを"Originate and/to
Distribute"と呼ぶが、その下では組成したモーゲージを証券化して投資家に販売し、貸付を回収してし
まうために「銀行家は信用評価に興味を持たない」
(Krugel[2008], p.11)のである。そして、証券化を
前提とする金融モデルでは、安全性のゆとりは外部から信用格付機関によって与えられるのである。信
用格付機関は借り手の直接の情報を持たないため、信用評価に際して統計的手法を用いる。この際の仮
定に間違いがあれば、安全性のゆとりは最初から過小であったということになる。今次の金融危機はそ
51
れが露呈した物であり、当初から安全性のゆとりが低かったのだと Krugel は結論づけたのである。し
かし、ここで重要なのは現代の中心的な金融モデルである"Originate and/to Distribute"モデルでは、
安全性のゆとりの概念が作用しないということである。
では、ローンの貸し手は行動原理はどのようになっていたのであろうか。「銀行は手数料を稼ぐため
に組成した資産を売る能力だけに興味があったのであり、利鞘によって決定されるリターンのために資
産を自身の貸し方に保持しない」
(ibid., p.11)のである。そして、銀行は手数料をより多く得るために
より多くのローンを組成し、証券化したのである。
これは経済に構造変化が起きている可能性を示している。ミンスキーの金融不安定化仮説は、ニュ
ー・ディール期の制度改革と第 2 次世界大戦中の財政政策の結果として、戦後アメリカに現れた金融危
機を伴わない経済成長が次第に不安定化するという歴史的な文脈の上に存在している。金融革新による
不安定化と金融危機、それに対する政府・当局による介入は、金融制度や金融構造を累積的に変化させ
ていくことになる。そのため、これまでにもミンスキーの金融不安定化仮説に基づいて、アメリカ経済
の長期の構造変化に関して論じられてきている。Krugel[2008]においても、1999 年のグラム・リーチ・
ブライリー法により、ニュー・ディール型銀行システムの基盤を形成していたグラス・スティーガル法
による商業銀行と投資銀行の分離が無くなったことが"Originate to/and Distribute"モデルへの転換点
になっているとしている(ibid., pp.10-11)。ただ、遠藤[1999]によれば、商業銀行の業務において証
券化が急激に進むのは 1999 年以前の 1990 年代後半からである。特に 1996 年に NatWest(現 RBS)が
自行の優良債権を裏付けに 50 億ドルの規模で Rose(Repeat Offering Securitization) I という CLO を
組成したことから CLO の急激に普及していく(前掲 14 頁)。そのため、商業銀行の金融モデルの転換は
それ以前にあると考えられる。そこで注目すべきは、1991 年 12 月の連邦預金保険公社改善法(FDICIA)
の成立により、自己資本比率規制が実施され、貸出に対する自己資本の比率を高める高レヴェレッジ(自
己資本比率の逆数)に対する規制を行ったことがアメリカ型金融制度の転換の契機となっており、それ
以降、自己資本比率規制の影響を受けない銀行貸付の証券化と非金利収入に依存するオフ・バランス取
引が拡大したことを主張している萩原[2003]である20。今次の金融危機で明らかになったことは、1991
年以降、商業銀行に自己資本比率規制が課された結果、オフ・バランス取引が増加していったが、そう
した中で商業銀行の業務内容が投資銀行の業務内容へと変化していった点にある。つまり、商業銀行が
投資銀行が行うような証券の引受(発行)や取引へ従事していくようになり、本来の業務である貸付す
ら証券化して販売していくこととなった。このことによって安全性のゆとりの概念が機能しなくなった
のである。
また、Whalen[2008]において指摘されているように、ミンスキーも長期の時間軸の中での資本主義
「資
の進化について論じている(ibid., p.99)。ミンスキーは、晩年の 1980 年代末から 1996 年にかけて、
本主義の金融的発展段階 The Stage of Capitalist Financial Development」(Minsky [1990])の研究を
行っており、その発展段階を(1) 外部金融は主に貿易に利用する commercial capitalism の時代、 (2) 外
部資金を経済の長期の資本発展の資金調達に利用するようになった industrial capitalism and wild cat
financing の時代、(3) 投資銀行が、カルテルやトラストなどの合同に融資するようになり、1929 年の
大恐慌によって崩壊する financial capitalism and state financing の時代、 (4) ニュー・ディール改革
によって誕生する paternalistic, managerial, and welfare state capitalism の時代、(5) そして、money
20
デリバティブ取引と非預金型手数料収入(クレジット・カード手数料、モーゲイジ・サービス、リフ
ァイナンス手数料、ミューチュアル・ファンド販売サービス手数料、証券化された貸付から生じる手数
料など)
52
manager capitalism の時代の 5 つの段階に分類していた(Minsky[1996], pp.362-363)。現在の money
manager capitalism の時代は、1983 年ごろから新たな金融不安定性を引き起こす要因として、Money
Manager が存在しており(Minsky[1986b])、1987 年の金融危機は新たな時代の幕開けであるとしてい
る(Minsky[1989], p.395)。そして、この Money Manager(年金基金、銀行の信託部、ミューチュアル・
ファンドなどの機関投資家を指す)は、特定の資産や設備に固定されることがなく、彼らは資産価値や
利子、配当の増大による収益の合計を価値基準として行動するとしている(ibid., p.291)。サブプライム
金融危機においても Money Manger は収益の合計を価値基準として証券化商品の保有者として証券化
を促進する役割を担っていたのである。この Minsky の金融的発展段階において、money manager
capitalism はそれ以前の段階とは大きく違う点があげられる。Whalen[2008]は、それを金融市場が主
として多数の個人投資家もしくは少数の投資銀行によって動いていない点や企業経営者が株主や銀行
から自主性を持って活動できない点を指摘しているが、むしろ問題は Money Manager の利潤追求行動
の結果、証券化の境界が際限なく広がり、ほぼ全ての金融債権が証券化されるようになった結果、安全
性のゆとりが機能しない状態になりかねない状況になったことである。これは money manager
capitalism 以前の段階においては見られなかった現象であると言える。サブプライム金融危機はこのよ
うな状況の中で発生したのである。
終わりに
これまで見てきたように、サブプライム金融危機をミンスキーの金融不安化仮説に基づいて分析して
いくと、サブプライム・ローンは住宅価格が上昇し続け、住宅の価値が上昇し続ける限りにおいて持続
可能な極めて投機的もしくはポンツィ金融的なスキームであることが明らかになった。そうした極めて
リスクの高いローンを金融機関が借り手に貸し付けた背景には、契約時や借り換え時に生じる手数料や
期限前償還ペナルティが金融機関にとって魅力的な収入源であったことにある。さらに、このようなリ
スクの高い貸付が可能であったのには、金融機関は組成したモーゲージを証券化して投資家に販売し、
貸付を回収できた上にリスクを投資家に転嫁できたことがあげられる。このようなリスクの高いモーゲ
ージを裏付けにした証券化商品が大量に組成され、多くの金融機関によって保有されていた。そして、
住宅価格の上昇が鈍り、サブプライム・ローンの借り手の借り換えが困難になり、支払いの遅延、債務
不履行が増加する中で、それを裏付けとする証券化商品の格下げが行われたことで、証券化商品を保有
していたエンティティの資金調達が困難になり、短期市場の流動性が枯渇する事態が発生したのである。
サブプライム・モーゲージを裏付けとした証券化商品は、その裏付け資産から極めて投機的な金融商
品であると言えたが、その構造は極めて複雑であり、また、種々の信用補完が為されていた。だが、サ
ブプライム金融危機においては、実際には AAA の格付を与えられたシニア・トランシェにすら膨大な
評価損が生じていた。これをミンスキーの金融不安手化仮説を用いて検討すると、安全性のゆとりが外
部的に決定されているという事実が判明する。証券化は、その裏付けとなる資産を組成する貸し手に安
全性のゆとりを考える必要を無くさせてしまう。その結果、証券化における安全性のゆとりとは証券の
各トランシュの価格評価を行う格付機関によって定められる外部的なものとなるのである。そのため、
サブプライム危機は、内生的な安全性のゆとりの減少によって引き起こされたのではなく、証券の価格
評価を行う信用格付機関が、評価を行う際の仮定を誤り、誤った価格=格付を与えたということが明ら
かになったに過ぎないのである。
ただ、このことは極めて重要であり、安全性のゆとりが変化しているということは経済の基礎的な関
53
係が変化していることを意味している。そのため、サブプライム危機は金融革新による技術的な問題を
原因とする循環的な危機というよりは、経済の構造変化を伴う危機ということにある。このような変化
の背景には、戦後アメリカ経済を支えてきたニュー・ディール型銀行システムが次第に解体していき、
グラス・スティーガル法によって分離されていた商業銀行と投資銀行の境界が次第に曖昧になっていっ
た点があげられる。特に 1991 年の FDICIA の制定は、商業銀行に伝統的な貸出ではなく、手数料収入
などの簿外収入をその収益源にする必要を生み、商業銀行が投資銀行の業務を行うようになる契機とな
った。これに証券化の進展による証券化の対象となる金融債権の境界の広がりが合わさって、安全性の
ゆとりが機能しない状態を作り出したのである。
このような状況はこれまでの資本主義において存在したことがなく、資本主義のあり方を考える上で
も大きな問題であると言える。安全性のゆとりは資本主義にとってはある種の安全装置のようなものと
して機能している。つまり、安全性のゆとりが減少することで各経済主体の投資行動に影響が出て、景
気のそれ以上の加熱が防がれるのである。もし安全性のゆとりが内生的に変化しないのであれば、景気
の過熱は外生的な変化が与えられない限り止まらないこととなる。このことはバブルとバブルの崩壊に
よる景気の振幅を大きくする傾向を有していることを意味しており、資本主義経済はより不安定になる
ことになる。
そのため、その対応が求められる。証券化は確かに今次のサブプライム金融危機の原因であり、同時
に安全性のゆとりが機能しない状態を作り出すという問題点を抱えている。しかし、問題は第 3 節でも
見たように証券化はアメリカの戦後の住宅金融システムが行き詰まった結果として 1970 年代に導入さ
れたものであった。そのため、証券化そのものを廃止することは現実的とは言えない。ただ、なんらか
の安全性のゆとりが機能するような規制を導入していくことが必要になると考えられる。また、同時に
我々は有るべき資本主義の姿について考えていかなければならない時期にあるといえる。
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56
(研究ノート)ヴェブレンによる科学史と進化論的経済学
新井田智幸1
<目次>
はじめに
1.近代科学の性格
2.経済学の性格
3.ヴェブレンの理論体系と科学史の理論
おわりに
参考文献
はじめに
近代経済学を中心とした主流派の経済学に対してヴェブレンが痛烈な批判をしたことはよく知られ
ている。その際にヴェブレンが批判の根拠とし、オルタナティブとなる理論として用いたものがダーウ
ィン主義を継承した進化論的経済学であり、ヴェブレンの制度派経済学と呼ばれるものが、これを方法
論的指針として作り上げられていることもまたよく知られているといえるだろう。制度派経済学を継承
する理論家にとってはこの方法論は出発点として改めて問いただされる質のものではなくなっている。
しかし、ダーウィン主義を土台とする進化論的経済学とニュートン主義を土台とする古典派経済学とを
比較して、前者が優位であるという理由は決して自明ではない。方法論上の優位性を示すためには何か
しらの点でダーウィン主義がニュートン主義よりも優っていることを言わなければならないが、その基
準はどうすべきであろうか。どちらが正しいかという論争は、真理とは何かという議論まで巻き込んで、
決着がつかないであろう。かといって、どちらがより有用であるかという観点で比較するにしても、そ
れぞれについて有用な場面は見られるだろうし、決着はつかないと思われる。共通のものさしで両者を
比較しようという試みはこのように成功の見込みがなさそうであるが、かといって結局は理論家の好み
の問題であるというように判断を放棄するわけにもいかないだろう。それではヴェブレンの主流派経済
学批判は何の力ももたないことになるからだ。この問題をヴェブレン自身は避けて通ったわけではない。
ヴェブレンがとった方法は、上記の例にあげたような何らかの比較によって優位さを判定するのではな
く、歴史に訴えるというものであった。歴史的な局面として、経済学は進化論的でなければならないと
いうのがその主張である。これを説得的に論証するのは簡単ではないが、ヴェブレンは経済学のみなら
ず、科学の歴史を人類史的に俯瞰することによってそれを試みた。本稿ではヴェブレンの文明論の一部
としての科学史を検証し、それを踏まえて進化論的経済学がどのような背景をもって主張されているの
かを示していきたいと思う。まず、1節ではヴェブレンの議論にしたがって、近代科学の性格を、それ
が成立するにいたった歴史的経緯を踏まえてみていく。2節では科学史の中に経済学を位置づけた場合
にどのようなことがいえるかについてみていく。3節では以上のヴェブレンの議論の整理をふまえて、
ヴェブレンの理論体系において科学史の理論がどのような役割を果たしているのかをみていきたい。
1
東京大学大学院経済学研究科博士課程
57
1.近代科学の性格
ヴェブレンが進化論的経済学を提唱したのは1898年の論文「なぜ経済学は進化論的科学ではない
か」であり、進化論的経済学へと向かう趨勢を経済学史として描いた「経済学の先入見」が1899−
1900年にかけて発表されている。その後、経済学を越えて科学全般を対象に収める形で、1906
年に「近代文明における科学の位置」、1908年に「科学の見地の進化」が発表された。これらはい
ずれも理論や文化、文明とその進化をテーマとして扱ったものであり、共通の課題に属するものといえ
よう。先に行われた経済学についての議論に、より一般的な基礎を与える役割を後の議論が果たしてい
るという関係で両者をとらえることができる。したがって、理論的には後二者の理論の上に前二者の理
論が位置づけられると考えてよい。そこで、時代的には前後するが、経済学の議論に入る前に科学一般
の議論を先に紹介する。
・近代科学の特徴
ヴェブレンは、近代科学と前近代科学を対照的なものとしてとらえる。「近代科学は連続的変化の事
実を公準として考える」(Veblen[1908]p.32)という点にヴェブレンの近代科学の考え方が集約されて
いる。「連続的変化」を対象とする探求は「過程」に向けられ、事象の因果関係の継起や複合の束を扱
うものとなる。そして、このような探求は事実を過程の形で処理したときに暫定的に落ち着くのだが、
暫定的にしか落ち着かないところもまた特徴である。これらは「証明されていない、証明不可能な公準」
(Veblen[1908]p.33)であり、言い換えれば「形而上学的先入観」であるのだが、すべての研究がここ
から出発するのである。これに対して前近代的科学はまったく異なる特徴をもっていたという。それは
「分類学」
(taxonomy)を志向するものであった。探求の目的は定義と分類であり、それによって究極
的な完成された記述を求めた。事物がどのように安定的均衡にあるかが追求され、現象を統べる自然法
に関心が寄せられていた。ヴェブレンはこのような対極的な特徴をとりあげ、前近代科学から近代科学
への歴史的変化に注目する。
この革命的な変化の画期はダーウィンに象徴される。ダーウィンの進化論の考え方は安定や均衡の状
態ではなく、不安定な変化の時期、究極的原因と最終的結果の間にある移行の過程について対象とした
ものであり、これが新時代の科学の基礎となったというわけである。しかし、この変化はダーウィンの
理論が単独で直接引き起こしたわけではない。科学的なものの見方はその時代の文化的状況に依存する
のであり、その変化があったからこそ、近代科学への変化は起こったのである。ダーウィンはその象徴
ではあるが、それが受け入れられるものの見方が広まっていたことによってその画期をなすことができ
たにすぎない。したがって、科学的なものの見方の変化を追うにあたっては文化的な状況の変化を追う
ことが必要になる。ヴェブレンは科学史について独特の整理を行っており、それはものの見方の変化が
どのように連続的に起こってきたかをたどったものとなっている。ヴェブレンの説明にしたがって、近
代科学にいたるまでの科学的見地の変化を見ていこう。
・科学的見地
科学的見地の変化を見る前に、科学的見地とはそもそもどのように成立しているのかが示されなくて
はならない。ヴェブレンはこの局面において独特の議論を展開する。
58
まず、ヴェブレンは知識の「プラグマティック」な性格2について述べる。現在の心理学が述べるとこ
ろによれば、
「知識とは不完全に(inchoately)目的を志向する不完全な(inchoate)活動であり、つま
りすべての知識は「機能的」である。」(Veblen [1906]p.5)この知性の目的論的性格は人種に定着した
遺伝的なものであるとして、人間の知的活動の分析の前提とされる。生物は刺激に対して反応を返すが、
低次の生物の場合はそれは主体にとっては無目的の自動的な反応にとどまる。しかし人間の場合は知性
が働くことによって、主体にとって好都合な行動として反応を返す。前者の場合も生命体に備わった生
存維持のための行動という点では、ある意味でプラグマティックだと言えなくもないが、ヴェブレンが
これからの議論で用いる意味としては、後者のような主体の目的論的、功利的な行動に向かう性格のこ
とをさす3。
プラグマティックな知識に触れた上で、ヴェブレンは人間の知性に備わったものはこれだけではない
という。それは「無用の好奇心」(idle curiosity)であって、利便性の追求をまったく伴わない、プラ
グマティックにみれば不適切な性格である。これは遊びの性格に近く、低次の動物にも見られ、人間の
場合にもプラグマティズムが強く現れない幼いときに特によく見られる性格である。好奇心による知識
はプラグマティックな知識とは必然的に異なる。ここでの知識は便宜性を求めるのではなく、観察され
た現象において進行する活動の連続による定式化を求める。好奇心のもとでの事実の解釈は対象の行動
の擬人的なアニミスティックな形態をもとりうる。実際にそれは古代社会における神話や伝説としてみ
られる。これらはプラグマティックな知識とは違って実践的な価値を持つ必要はない。そのため好奇心
によって体系化された知識は劇的な一貫性によってテストされることになる。より包括的な体系が目指
されるのがこの知識の特徴である。
このように、一方ではプラグマティックな知識があり、便宜性を追求して実践的な価値をもつ日常の
知識を形成し、他方で好奇心により実践的価値を度外視した体系的な知識が形成されるというのがヴェ
ブレンの知識論である。この二側面の知識は対立しないまでもまったく独立しており、常に並存してい
るとされる。ヴェブレンが科学史を語るときにこの知識の二分法が重要な役割をはたすことになる。
・近代科学の成立過程
文化人類学をも学んでいたヴェブレンはその文明論と同じように、科学史においても原始未開社会、
野蛮時代、近代という区分をもって議論を展開する4。どの時代においても知識はプラグマティックなも
のと好奇心によるものとが存在しており、それぞれがどのように展開していくかが、科学史のストーリ
2
ヴェブレンは「近代文明における科学の位置」においてこの「プラグマティック」
(pragmatic)とい
う用語を多用する。これは心理学から持ち込まれた意味で使っているようであり、ヴェブレンも影響を
受けているところの哲学のプラグマティズムとは直接には関係を持たないと思われる。本稿で使用した
この論文以外の文献においてはこのような意味での「プラグマティック」という言葉は使われていない
ため、著作相互間の用語の統一という観点からは奇妙な印象を受けるが、この論文だけでみれば一貫し
た意味で使われており、混乱なく読める。
3 ヴェブレン自身による注釈を以下に記す。
「現在使われているように、
「プラグマティック」という言
葉は、主体の有利さ、便宜的行動を目指す行動と、主体の有利さにつながるかわからないものの生産に
向けられる技量との両者を含むようにされている。…ここでは前者の意味で使うことを意図している。
」
(Veblen[1906]p.13 footnote9)
4 ヴェブレンによる時代区分は正確にはより細分化されている。野蛮時代は略奪的な時代と半平和愛好
的な時代とに分けられており、近代は手工業が中心となる初期と、機械過程の時代になる後期とに分け
られている。最後の時期はヴェブレンにとっての現在ということになり、特別に名づけられているわけ
ではないが、本稿で便宜的に「近代後期」という場合にはこの時期のことを指す。
59
ーとなる。
まず、原始未開社会では、二つの知識がまったく独立にあったことが特徴だとされる。日常生活に関
わる用法、用具、応用、利便性の知識の一方で神話の知識が並存していた。前者の世俗的知識は時代を
越えても変わらない性格のものであって、社会の進展とともに倹約や慎重さといった功利的な処世訓の
体系に向かう。他方で神話や伝説の知識は実践的な有用性とは無関係に、より包括的な体系へと向かう。
その流れは長期的には人格的なものから非人格的なものへと変わっていく傾向にあるが、体系の劇的に
一貫した特徴が失われることはない。初期の段階ではこの劇的な一貫性は事物を誕生、成長、腐朽の循
環で事物をとらえることでなされていたという。
このような原始未開社会の知識は野蛮時代に入ると変化していく。この時代の特徴はプラグマティッ
クな知識が強められたということにある。主従関係による社会関係が制度的に確立したことで、プラグ
マティックな知識はその社会での便宜的な行動に関する知識として成立するようになる。好奇心による
知識の体系はこのような生活から影響を受けて変化していく。劇的な一貫性は保たれるものの、その内
容はかつてのように身の回りの生命現象から援用したものではなく、階級的威厳、権威、従属によって
描かれる。宇宙論の体系は封建的な階級の考え方を反映し、現象間の因果の束は共感呪術5の様式でアニ
ミスティックに理解される。神の概念も変化し、かつては先祖(progenitor)とされていたものが、い
まや宗主(suzerain)として考えられるようになる。自然法は神が定めたルールとして理解される。こ
のように好奇心による知識の体系は以前のものと大きく変化していることが示される。この変化は好奇
心が無用の体系化を進めるという働きとは矛盾しないものの、この時代に特有のプラグマティックな目
的にも適うようにその変化が進んだのであって、その点においては、世俗の知識からの影響が働いてい
ることは疑い得ない。したがって、この時代に関しては、プラグマティックな知識と好奇心による知識
は独立の関係ではなく、前者が後者に影響を与える関係であったといえるだろう。そしてそれを象徴す
るような存在がスコラ哲学であって、事物を便宜や人的力や偉業でとらえる学問体系として発達した。
ここではそのときどきの法や習慣の下で功利的なルールが探求された。好奇心の働きがもっともプラグ
マティズムに近づいたのがこの時代である。
時代が近代に進むと知識は再び変化する。この時代には階級や威厳の格差といったものが実践的な場
面で弱まり、代わりに近代産業が日常生活での影響を強めていく。初期の近代産業においては職人の腕
前にその成果がかかっているという状態であったから、それがプラグマティックな日常の知識を形成し
ていくようになる。前の時代と同様にこのようなプラグマティックな知識の変化の影響を受けて、好奇
心による知識の体系も変化していく。優先的な現実性や真正の伝統といったものは新しい科学にはあま
り取り入れられなくなる。擬人的なものはまだ残るもののアニミスティックな方法で外的世界を考察す
ることは少なくなる。代わりに現象の一連のドラマは職人の技量の観点で考察されるようになる。つま
り 、「 因 果 関 係 の 法 則 が 、 弁 証 的 一 貫 性 や 真 の 伝 統 と 比 較 し て 、 最 優 先 の 位 置 を 与 え ら れ た 」
(Veblen[1906]p.14)のである。このような変化に伴って、以前から使われている用語の意味も中世と
は異なるようになる。神は宗主(suzerain)から創造主(creator)へと再度意味を変え、自然法は自然
を利用して設計を行う手工業者のための自然の仕様書のようなものになる。このように、この時期につ
いてもプラグマティックな知識と好奇心による知識は独立ではなく、前者が後者に影響を与える関係に
あったことがわかる。そして、その限りにおいて、好奇心による知識はプラグマティズムに近いものだ
共感呪術(sympathetic magic)または類感呪術(imitative magic)とは、民俗学の用語で、類似し
たものが互いに影響しあうという発想に則った呪術のことを指す。対象となる人間を模した人形に危害
を加えることで、その人間に危害を与えられると考えるような呪術がこれに相当する。
60
5
ったということになる。自然科学は因果関係の連続を探求し、より非人格的で事実に即したものになっ
ていったのだが、自然を利用するというプラグマティックな目的から派生したために、その性格が強く
ならざるを得なかったのである。しかし、科学が中世的な性格から事実に即した因果関係に向かうこと
によって、科学が再びプラグマティズムから離れていく傾向が進むことになる。
近代の初期は手工業の時代であるが、やがて機械技術が進歩すると、それが文化的に影響を及ぼすよ
うになる。これはプラグマティックな知識だけでなく、科学的知識にも影響を及ぼす。それまで職人的
にイメージされていた因果関係が機械過程によるイメージに置き換わる。この時点ではプラグマティッ
クな知識が科学に影響を与えているが、その結果として科学はプラグマティズムから離れていくことに
なる。科学はより非人格的になり、自然現象の擬人的解釈はなされなくなる。原因の進行は累積的変化
の中で、それ自身で展開していくものとみなされる。これは日常の実践における知識以上に事実に即し
た知識である。この知識は実践的にも有用なものである。しかし、ここでの科学的探究にとって、実践
的に役立つことは偶然の結果でしかない。科学者はあくまで無用の好奇心によって探求を進めており、
実践的な有用性は関心の外にある。この時代のプラグマティックな知識と好奇心による科学的知識との
関係は特徴的である。文化的状況は近代技術の到達点である機械過程によって基調がつくられており、
そしてその近代技術は近代科学の応用によって生まれている。つまり、非人格的な連続性を妥当性の規
準とする近代の思考習慣は、近代科学によって生まれたものだということである。ここでは野蛮時代と
は逆に、科学的知識の方からプラグマティックな知識へという影響関係をみることができる。科学の営
みはプラグマティックな目的をもってなされてはいないのだが、それが世俗の知識の中に浸透していく
現象がおきている。かつては科学が封建的な世俗の習慣に近づく形で展開されたのだが、それとは正反
対に、今度は科学の成果をプラグマティックな知識として取り込むことで習慣の側が変わっていくとい
う関係になったのである。これが近代科学の特徴である。
ここで世俗的知識について補足すると、野蛮時代から続いているような先例や権威のような便宜に関
する知識もこの時代になって失われたわけではない。それはそれとして通用する場面は残っているのだ
が、それが全面的に知識を形成することはなくなったということにすぎない。この結果、プラグマティ
ックな知識は野蛮時代から引き継がれたものから近代の文化状況に作られたものまで幅広いものとな
る。したがって、近代科学とプラグマティックな知識は近い面もありつつも対立も目立つようになる。
野蛮時代はもちろん、近代の初期にいたるまで、プラグマティックな知識は科学的知識と比較的近い関
係にあり、対立が目立たなかったことを考えると、近代科学の進展はプラグマティズムから離れていく
動きと考えられるのである。
以上のように、ヴェブレンは科学史を知識の二分法をもって記述した。再述になるが、二種類の知識、
すなわちプラグマティックな知識と、好奇心による知識はいつの時代も常に存在するということは注意
されなければならない。プラグマティズムは便宜的な行為の格率しか生まず、好奇心は理論体系しか生
まない。片方だけでは事実に関する知識の体系的な進展は起こらない。ただ、常に並存するとはいって
も、表面的にどちらが知識全体を主導しているかは時代によって変化する。変わるのは両者の関係であ
る。原始未開時代には両者は独立していた。野蛮時代になると、好奇心による知識がプラグマティック
な知識に影響を受けてそれに沿う形で体系化が進んだ。近代初期になると、手工業の産業技術に沿う形
で科学的知識が発展したため、好奇心による知識はまだプラグマティックな知識に近い位置にあった。
近代後期になると、機械技術の発展によって非人格的な知識の体系化がなされるようになり、好奇心に
よる知識はプラグマティックな知識から遠ざかった。そして、ここが「近代文明における科学の位置」
なのである。
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・近代科学の要素
長期的な科学史をたどって近代科学の成立過程を見てきたが、プラグマティックな知識と好奇心によ
る知識がそれぞれ影響関係をもちながら変化し、後者の側の知識が近代科学となっていくという流れが
説明された。この流れを近代科学の方からみて、何がその要素となっているかを見てみよう。
まず、近代科学が好奇心による知識であることはヴェブレンによってもっとも強調されている側面で
ある。近代科学は直接的にはプラグマティックな知識に接近していた野蛮時代から変化してきたもので
ある。競争的な便宜の追求をする野蛮時代の社会において成立した科学とは、当初は便宜を考察するも
のであって、そのような思想を含まない知識は下層階級の生活に見られるに過ぎなかった。しかし、近
代になって残った知識は野蛮時代には支配的でなかった後者の要素が大きい。このことについてヴェブ
レンはより以前の原始未開時代における人間性を持ち出して説明する。原始未開時代は人類史において
は大部分を占めるわけだが、そこで培われた人間性は、神話や伝説の創造に表れているように純粋に好
奇心を発揮するものであった。それに対して野蛮時代は、強烈なプラグマティズムへの圧力があったと
はいえ、人類史全体から見れば比較的短期を占めるに過ぎず、原始未開時代の人間性を変えるまでには
いたらなかった。こうしてみると近代には野蛮時代に一時的に抑圧されていた純粋な好奇心が再び開花
したと考えられる。科学的探究は未開時代から文明人が受け継いだ遺伝的性質であって、ヴェブレンに
よれば科学的理論の構築は神話や伝説の創造と本質的には同じ活動なのである。
しかし、そうはいっても神話と近代科学のもたらす影響は明らかに異なるのであって、両者には当然
ながら違いがある。両者は与えられたデータを体系的に理論化することに力を注ぎ、体系化をこえた究
極的な目的を持たないという点で共通しているが、その体系化に使われる因果関係の考え方には差があ
る。原始未開時代の神話では人格的な関係で体系化がなされるのに対し、近代科学では客観的な因果関
係で体系化される。この差はプラグマティックな知識との関係から生まれるものである。原始未開時代
には好奇心による知識とプラグマティックな知識とは独立していたため、神話は純粋にそれ自体の世界
をつくることができた。事実に即した知識はプラグマティックな知識に属するものであって、それが神
話に影響を与えることはなかった。プラグマティックな知識が好奇心による知識に影響を与えるように
なったのは野蛮時代になってからである。ここでは権威や便宜に基づくプラグマティックな知識が好奇
心による知識に影響を与えたのと同時に、事実に即した知識も好奇心による知識体系に含まれるように
なっていく。しかも、近代になって再びプラグマティックな知識から好奇心による科学的知識が離れて
いくときには、人格的な権威や便宜については切り離されたものの、事実に即した考え方については引
き継がれたのである。これには、近代初期の科学的知識が人格的な体系をとりつつも産業技術をもとに
してつくられたことが原因としてあげられるだろう。
近代科学の構成要素は以上の二側面がある。一つは原始未開時代の人間性から受け継いだ好奇心によ
る知識の体系化であり、もう一つは野蛮時代に科学に影響を与えるようになった、事実に即した考え方
の継承である。好奇心の発現が妨げられたという意味では負の側面をもつ野蛮時代であったが、それを
経たことによって科学は事実に即して知識を体系化できるようになった。この二側面はヴェブレンが近
代科学に不可欠のものとして評価の基準にしているものであるが、それはこのような歴史的産物だとい
うことである。
2.経済学の性格
続いてヴェブレンの経済学史の議論に話を進めよう。当然ながら経済学は科学史のような長い歴史を
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持たないため、対象となる時期は短くなる。しかし、その間に科学史では近代科学の成立という大きな
変化が起きていた。ヴェブレンは経済学史を考える際に常に近代科学との関係で経済学がどのような位
置にあるかをみていた。そのような角度から経済学の性格の解説とヴェブレンが提唱する新しい経済学
の像をみていこう。
・現存の経済学の特徴
ヴェブレンは現存の経済学に対して、近代科学の立場に追いついていない時代遅れのものだと痛烈に
批判する。近代科学の観点というのは、先の節でまとめたように、事実に即した考え方をとり、因果関
係の連鎖として事物を体系的に理論化することである。経済学においてはこれがなされていないという
のがヴェブレンの主張である。ヴェブレンも古典派などの経済学が理論体系としてまとまっていること
は認める。しかし、その体系は「自然法」や「正常性」に基づいた因果関係によっており、そのような
絶対的真理から演繹される定式と、その帰納によるテストとから成り立っている。これは「分類学」で
あって、近代科学には達していないとされる。ただし、ヴェブレンは新古典派にいたる経済学の歴史を
「アニミズム解体の長く遠回りした道のり」(Veblen[1898]p.64)として、変化を認めてはいる。スコ
ラ哲学の時代に神の宗主権として扱われていた経済社会関係が、重農学派においては自然秩序、自然法
として描かれるようになり、スミスの「見えざる手」はミルやケアンズの自然賃金や正常価値へと、よ
り非人格的な記述になっていった。しかし、それでも事物の傾向という先入観によって議論は組み立て
られ、儀典的妥当性による体系を脱することはできていないという評価である。
経済学の前近代的な特徴は、野蛮時代および近代初期のプラグマティズムと親近性のある科学に対応
しているといえるだろう。神の宗主権や理神論的な世界観による理論体系は、主従関係や権威によって
体系を構築する野蛮時代の科学である。また、そこから変化した自然秩序の探求は、近代産業の影響を
受けて職人的な発想によって体系を構築する近代初期の科学である。経済学はここで止まっているとい
うのがヴェブレンの見方である。産業はすでに機械産業の時代になり、自然科学をはじめとして近代科
学の観点は普及している。そこからみると、経済学は遅れた段階にいるわけである。
・近代科学としての経済学へ
経済学も近代科学として生まれかわらねばならないというのが、ヴェブレンの主張である。そのため
には自然科学において行われた前近代科学から近代科学への脱皮を、経済学の分野でも起こすことが必
要となる。自然科学においてその画期となったのはダーウィンの進化論であった。これによって、自然
法や安定的均衡を扱っていた分類学の体系から、連続的変化や過程の理論の探求へと科学の体系化の仕
方は大きく変わった。ヴェブレンはダーウィン主義に先導された近代科学の方法を進化論的科学と表現
するが、それはこの方法論の変化を指しており、あらゆる科学について進化論的方法を適用することが
できる。
この変化は科学の領域ではダーウィンをきっかけとするものではあるが、ダーウィンの独創によって
このような変化がおきたわけではない。科学史の流れからもわかるように、野蛮時代、および近代初期
のプラグマティックな知識からの影響が大きく関わっている。特に近代科学につながる流れとしては、
手工業を中心とする産業が発展することで、職人の技として役立つような知識が蓄えられ、それに基づ
いた思考習慣がつくられていたことが重要である。このような知識は事実に即したものでなければなら
ないし、連続的な因果関係をみなければならない。こうして、生活のあり方から思考習慣が普及してい
き、ダーウィン主義が受け入れられる土壌が作られていたといえる。時代が近代の後期に進むと、産業
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は機械過程によってなされるようになり、思考習慣もより非人格的なものに変わっていく。近代科学、
すなわち進化論的科学はこの時代において十分に開花する条件が整ったということである。
科学的方法の変化が、もとをたどれば生活の変化に行き着くということから、どのような科学がより
変化しやすいかがわかるだろう。生活や産業に近いものほど、そこから受ける影響はより直接的である
から変化は早いはずである。したがって、自然科学は近代科学へと脱皮していくのも早い。逆に社会科
学や人文科学においてはその変化は遅れがちである。政治学や法学、倫理学などは野蛮時代のプラグマ
ティックな知識からなかなか離れることができない。経済学はそれらよりはまだ変化の可能性があると
はいえ、手工業的な枠組みを依然残しているという。ヴェブレンはここの突破を試みたのである。経済
学は前近代的科学にとどまっていたのだが、それを打ち破って進化論的経済学を構築しなければならな
いと主張したのである。
進化論的経済学とは、近代の思考習慣に合わせた科学の方法論に則った経済学であり、以前の理論を
批判的に乗り越えて築かれるものである。重農主義から新古典派にいたるまでの従来の経済学は、それ
が自然的秩序であれ、正常性であれ、妥当とされる究極の真理があり、そこから演繹的公式を作り上げ
る分類学であった。これに対して、進化論的経済学の方法は累積的因果関係の探究を行う科学であると
表現される。そこでは事実に即した考え方がとられねばならず、究極の真理ではなくて事実が最優先の
事項である。これは絶対的真理を認めないということをも意味する。因果関係は究極の原因に行き着く
ことはないのであって、常に過程の展開の機械的連鎖をとらえるに過ぎない。過程をとらえるというこ
とは事物の変化が探求の対象となるということである。したがって、理論的帰結として安定的な均衡が
導かれることはなく、究極の目的は解明されない。絶対的な始原も目的も対象とせず、事物の連続にみ
られる因果関係のつながりをひたすら追い続けるのが進化論的科学なのである。
これにしたがえば、経済学の対象は正常な価値でも自然的な分配でもなく、経済的事象の変化という
ものでなければならない。経済的生活過程の理論化が進化論的経済学の課題なのである。生活過程の変
化とはすなわち物財、生産物の変化ということになるが、それは結局のところ、人間の知識、技術、嗜
好の変化である。人間が経済活動において利用できるものは自然との関係ではほとんど変わっていない
のであって、経済生活の変化は目的または手段が変化したということだといえる。こうした方法論上の
裏づけをもって「もし、経済学が進化論的科学に沿うのであれば、経済活動がその主題とされなければ
ならない」(Veblen[1898]p.72)というヴェブレンの主張はなされるのである。
・進化論的経済学の展開
ヴェブレンの進化論的経済学の方法によってどのような理論体系が展開されるのかを見ていこう。先
に述べたように、ヴェブレンが分析の対象とする経済活動は目的と手段によってとらえられる。そのた
め、目的と手段がそれぞれどのように決まるかが理論的な基礎となる。
まず、目的についてであるが、ヴェブレンは古典派や新古典派、オーストリア学派などの理論を批判
する際に、人間本性が誤ってとらえられていることを強調する。このような快楽主義的な前提によれば、
人間は受動的で不活発な効用を求めて動くだけの存在ということになり、心理学や文化人類学からえら
れた見地とは程遠いというのである。人間は積極的に行動を起こすことにこそその特徴があるとヴェブ
レンは考える。そのときに能動的な行動を促すための目的を、人間は持たなくてはならない。ヴェブレ
ンの理論においてそれを与えるのは「本能」
(instinct)である。人間に備わっている本能は達成すべき
目的を示し、行動の原動力となる。本能にはいくつかの種類があり、代表的には製作本能(instinct of
workmanship)、親性性向(parental bent)、好奇心(idle curiosity)、さらには利己的な諸本能がある
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とされる。これらは人間であれば持っているものとされ、不変の存在という位置づけであるが、それぞ
れ違う目的を示すものであるため、どの本能がより強く現れるかという点では時代による変化があると
される。ともかく目的は本能によって決まるということが述べられる。
次に手段であるが、本能が示した目的を達成するために、人間は手段を考案しなければならない。こ
れを成すのは直接には知性の力であるが、知性だけの力で個別の手段が完全に考案されるわけではない。
むしろ新しい手段が考案されるよりも、過去に有効だった手段を再度用いることがほとんどであり、新
しい手段となる場合にも過去のものの部分修正にとどまるといってよい。したがって手段は習慣として
の持続性をもつということができる。ものを作る方法であったり、コミュニケーションの方法であった
り、事物の考え方であったりと、あらゆる場面で手段としての習慣が成立している。ヴェブレンはこれ
らを総じて思考習慣と呼び、この束を制度と呼んだ。ある時代、地域の行動様式を規定するのはこの制
度である。目的は本能によるために不変のものであるから、行動の差異にもっとも関わるのは手段の違
いである。つまり、制度の違いが行動様式の違いを説明し、制度の変化が行動様式の変化を説明するの
である。
こうして、経済活動の変化を探求するヴェブレンが注目すべきなのは必然的にこの制度だということ
になる。進化論的経済学はその対象の性質上、制度の分析に向かわねばならず、このために制度派経済
学と呼ばれることになる。両者は同義ではないが、ヴェブレンにとってはどちらも経済学がもつべき要
素を表しているといえよう。ヴェブレンの経済学はこの方向で進められていくことになる。
3.ヴェブレンの理論体系と科学史の理論
ヴェブレンは科学史をたどったうえで近代科学の性格を示し、経済学もそれに同調すべきだという主
張によって、進化論的経済学を提唱した。実際にヴェブレンはこの方法論にしたがって制度派経済学と
呼ばれる自らの経済理論を作っていく。ここでは具体的には立ち入らないが、様々なテーマについて進
化論的な方法と制度への注目というヴェブレンの理論体系が貫かれたものになっている。本稿で主題に
した科学的知識の理論も振り返ってみれば例外ではない。科学史に関する理論がヴェブレンの理論体系
の中でどのように位置づくのかについてここで述べておきたい。
・制度変化論と科学史
ヴェブレンは行動の変化に注目して、それを説明する制度の変化を見ようとした。これは経済活動の
領域に限られるものではなく、科学史における知識の変化というのも制度変化の一種であることは間違
いない。では、制度変化はどのような原因で起こるといえるのだろうか。ヴェブレンの科学史を見る限
りでは、プラグマティックな知識と好奇心による知識との関係が時代ごとに描かれてはいるものの、な
ぜ両者の関係が近づいたり遠ざかったりするかという変化の原因に関しては一般的な解釈はなされて
いない。しかし、ヴェブレンの理論全体に即してみるとこの変化も一般的構図に収まることがわかる。
ヴェブレンは単に制度の性格について述べただけではなく、その変化の仕組みについても述べている。
それは端的にいって環境との相互作用によるというものである。制度とは目的を達成するための手段だ
というのが出発点であった。その手段はただ目的との関係だけでなく、環境との関係でも変わってくる
はずである。ここでいう環境とは人間の生活を取り巻くいろいろな条件であって、かつ人間の意のまま
にはならない性格のものをいう。したがって自然環境はもちろんのこと、人口や技術水準なども環境に
含んでよい。こうした環境が変わると同じ目的を達成するのにも適当な手段は異なってくるだろう。そ
して、手段が変わらないことは不都合であるだろう。この不都合さが制度変化の原動力である。環境は
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少しずつではあるが常に変化しつづけている。人間は生活を続けながら環境を変えずにはおかないから
である。この変化がわずかなうちは制度が変化することはないであろう。制度は持続しつづける力をも
っているからである。しかし、制度が変わらないうちに環境が大きく変わってしまったなら、その制度
はすでに環境との齟齬を来たし目的の達成に適当なものではなくなってしまう。こうして新たな環境に
適合した新たな制度が作られることになる。ここで起こる制度変化は環境の変化に比べれば急激な変化
となるのであり、時代を画すような出来事ととらえられるのである。
このような制度変化の理論を用いると、科学史の変化についても一般的な流れがあることが読み取れ
るであろう。原始未開時代から野蛮時代へ、さらに近代へという変化は生産能力や人口、技術などの環
境の変化を伴うものである。それに対応して知識の性格も変化しているということができる。原始未開
時代から野蛮時代になるときには農耕などによる生産力の増加があり、それまではなかった余剰生産物
が生まれるようになった。そのため余剰生産物の略奪が意味を持つようになり、戦闘行為が名誉ある仕
事となり、階級が分化していく。そのような社会においては、以前のように生産に関わる日常の知識よ
りも、権威に従属し便宜を受けるための知識の方が、プラグマティックな知識としてより重要なものと
なっていく。もともと好奇心による知識は日常の知識とは別物であったわけだが、野蛮時代のプラグマ
ティックな知識の変化を受けて、好奇心の活動は封建的な体系的世界観を作り上げることとなる。さら
に時代が近代初期になると、手工業が産業のなかで存在感を増してくる。この時代において職人が技を
みがくためのプラグマティックな知識は権威への従属というものだけではありえない。この影響を受け
て科学的知識の方も技術的な因果関係が優先されるような体系へと変わっていく。さらに近代後期にな
り機械による産業が主流になると、科学的知識はより非人格的なものへと変化していく。その変化は原
始未開以来再び好奇心による純粋な体系化の追求を行わせることになり、科学的知識はプラグマティッ
クな知識から離れていくようになる。以上が一連の科学史の流れである。ヴェブレンの科学史の背後に
は産業史が潜んでおり、産業の変化、すなわち環境の変化によってプラグマティックな知識や科学的知
識が変化していくという一般的構図をあてはめることができるのである。
・進化論的経済学の位置
ヴェブレンは近代科学の性格について、その歴史的な経過を通してみてきたわけだが、その分析方法
は進化論的な方法に則った制度的観点によるものであった。この方法は変化の過程を扱うものであるか
ら、絶対的な真理や究極目的を求めるものではない。したがって歴史的なそれぞれの段階の知識につい
て優劣を述べるようなことはできない。しかし、ヴェブレンはこのような分析を行っている時点で他で
もなく近代科学の立場を選択している。さらに、経済学は近代科学に追いついていないと既存の理論を
批判し、進化論的経済学を提唱している。ここには一見矛盾があるようにも思えるが、ヴェブレンは知
識の性格上の優劣による正当化とは別の基準によって理論を提唱しているのである。進化論的な方法に
は絶対的な真偽や正否の基準はないことは確かだが、変化の過程を見る場合に、各時点で存在している
ものについては因果関係による合理性があると考える。あるものが成立し存続するということはそれが
環境に適合しているということであり、衰退し変化が起こるということはそれが環境に適さなくなった
ということである。つまり、環境に応じて知識は変わり真偽や正否は変わるという意味では絶対的な基
準は認めないが、それぞれの時代や地域で考えれば、よりよい基準やより悪い基準が存在するとしてよ
いのである。この考え方を、進化論的方法という知識にあてはめてみよう。これは近代科学の規準とな
ったものであるが、それが生み出されたのは近代の産業技術の変化があったからである。封建的な生産
関係ではなくなり、手工業すらも中心でなくなり、機械過程が中心となる中で、知識はより非人格的な
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ものになっていくというのは、環境への適応としては合理的な流れである。絶対的な規準として進化論
的方法が真理であるということはできないだろうが、現代の環境のもとではそれはよりよい規準となる
だろう。これが、歴史的な進化を背景にしたヴェブレンの進化論的方法の推奨の根拠である。この論理
では、進化論的方法を用いて、その方法自体の成立過程を示し、その歴史的な位置づけが行われている
のである。
経済学の歴史をみた場合にも進化論的経済学とはこれと同様の位置におかれるものである。重農主義
も新古典派もそれが成立するだけの根拠は環境としての経済社会の中に含まれているのであり、それが
絶対的な誤謬であるとヴェブレンはいっているわけではない。単に環境が変わったことをヴェブレンは
告げているのである。かつては説明力をもち有意義だった理論も、現代の環境の下では力を発揮し得な
い。環境の変化に合わせた新しい理論が必要なのであって、それが進化論的経済学だということなので
ある。
おわりに
本稿ではヴェブレンの科学史についての見解をみることで、ヴェブレンが提唱した進化論的経済学が
どのように意義付けられているのかを考察した。それは歴史に訴えかける方法であり、経済学は環境の
変化においつくために、進化論的経済学へと変わっていかなくてはならないというものであった。これ
が論理的に説得力を十分にもつ議論なのかという点は議論されてしかるべきかもしれない。進化論的方
法はその方法に則ったときに自らが環境に適合した理論にあると主張できるにすぎないからである。こ
こでは検討できないが、科学哲学の問題としてこの方法を評価するような研究は可能であろう。ただ、
それはヴェブレンにとっての問題ではない。この科学史の中にこそヴェブレンの進化論的経済学は位置
づく場所をもつのである。この理論は、一見不必要に思えるほどスケールの大きな対象をもち、さらに
知識の二分法といった聞き慣れない理論展開を持つものとなっているが、それは進化論的方法を説得的
に展開しようとしたヴェブレンの試みだったのである。
参考文献
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Science in Modern Civilisation and Other Essays, New York, B.W.Huebsch, pp.56-81
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York, Macmillan(高哲男訳[1998]『有閑階級の理論』ちくま学芸文庫)
―[1899-1900] “The Preconceptions of Economic Science” in Veblen,T[1919] The Place of Science in
Modern Civilisation and Other Essays, New York, B.W.Huebsch, pp.82-147
―[1906] “The Place of Science in Modern Civilisation” in Veblen,T.[1919] The Place of Science in
Modern Civilisation and Other Essays, New York, B.W.Huebsch, pp.1-31
―[1908] “The Evolution of the Scientific Point of View” The Place of Science in Modern Civilisation
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―[1914] The Instinct of Workmanship and the State of the Industrial Arts, New York, Macmillan
(松尾博訳[1997]『ヴェブレン
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67
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―[2002]「ソースタイン・ヴェブレンの科学の地位の概念」日本大学経済集志72号3巻 pp.567-579
中山大[1974]『ヴェブレンの思想体系』ミネルヴァ書房
新井田智幸[2006] 「ヴェブレンの制度論の構造―人間本性と制度、制度進化―」経済学研究49号
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