田舎暮らしお勧めの物件紹介――西和賀町沢内貝沢 田舎暮らしを考える

田舎暮らしお勧めの物件紹介――西和賀町沢内貝沢
田舎暮らしを考える。
どうせなら本物の田舎を選びたい。
県都盛岡の中心部から車で40分弱のところに本物件は位置しています。盛岡市の新拠
点として新しく造成された盛南開発によって、盛岡駅から雫石川にかかる「森の大橋」と
「盛南大橋」の二大橋で連結された新天地には、イオンショッピングセンターをはじめと
する大型店や飲食店が軒を連ねる盛岡西バイパス通りを中心に新市街地が形成されました。
ここから西和賀町沢内川舟の本物件には、田園地帯の中を盛岡の奥座敷・つなぎ温泉や、
傷ついた鶯が傷を癒したのが由来とされる鶯宿温泉を経由する県道1号線を西進し、約 39
kmで到着します。
2005年11月、沢内村は湯田町と合併し西和賀町となりました。今、その旧沢内村
に全国から熱い視線が向けられています。それは、昭和30年代に日本で初めて乳幼児死
亡率ゼロの達成と乳児医療費無料化、老人医療費無料化を実現した深沢晟雄村長の実話を
もとにした映画「いのちの山河」の上映が開始されたからです。全国でもワーストクラス
の乳児死亡率と貧困に悩まされ、冬は雪に閉ざされた陸の孤島となる山村が、なぜそのよ
うに快挙を成し遂げられたのか?
涙なしでは鑑賞できない大沢豊監督が心血注いだ名作。
お勧めです。
この映画の時代から半世紀を経て、旧沢内村は大きく変貌を遂げました。冬期間には交
通が遮断され、当時の深澤村長を悩ませた盛岡と沢内を結ぶ大動脈・山伏峠に念願の山伏
トンネルが開通したことにより、内陸部との時間的、経済的、社会的ハンデ、格差が、一
挙に解消されました。しかし、時代は変わっても、この山里に脈々と受け継がれてきた「い
のちの山河」の住人の素朴さ、純真な心は、本物の田舎ならではの風土とともに、変わる
ことなく息づいています。
放電ばかりの人生だった。
ここならたっぷり充電できるかも
21 世紀に入って、ますます人々の暮らしは忙しくなりました。グローバルな競争社会の
到来は、好むと好まざるとにかかわらず、合理性や効率性、経済性優先のスピードを要求
される社会となりました。じっくりと取り組みたい好きな仕事であっても、締切時間に追
われてはストレスがたまってしまいます。
ストレスは、全ての病気の原因といわれています。いい仕事をするためにも、病気にな
らないためにも現代人にはたっぷりと休養が必要なのです。本物件の二階からは、360
度の癒しの景観を楽しむことができます。西方に目をやると、屋敷の庭に自生する広葉樹
写真1
写真2
の向こうに、広々とした緑の牧草地がなだらか
な曲線を描き、その先には残雪を抱いた高下岳
の雄姿を垣間見ることができます(写真1)。
東方に目をやると、やはりなだらかな牧草地の
所々に民家が点在し、その先には朝日を仰ぐ山
並が広がっています(写真2)。豊かな自然の
中で、小鳥のさえずりで目を覚まし、一歩庭に
踏み出すと、森林浴ができそうな林が広がって
写真3
います(写真3)。家庭菜園を楽しむことも十分可能な広さもあります。
高下岳と峰続きの和賀岳は、高山植物の宝庫であるだけでなく、登山者に人気のスポッ
トとして知られています。また、別名「カタクリの里」といわれる沢内では、森や雑木林
はもちろん、民家のすぐそばでも可憐なカタクリの花に出会えます。まだ木の新芽も出揃
わない早春の原野を紅紫に染めあげ、沢内に春の到来を告げるカタクリは、木々が緑の葉
を広げる頃には枯れてしまうというたくましくも儚い花。日当たりのよい斜面に自生して
いますが、特に貝沢(大荒沢)や安ヶ沢地区の群落には見応えがあります。
これだけではありません。春先には「水芭蕉」の群生もあちこちで見られます。
ここは、あなたをやさしく癒す「人間復活」のステージとなることでしょう。
国境の長いトンネルを抜けると
そこはマタギの故郷だった。
豊かなのは自然だけではありません。ここには、豊かな文化も息づいています。
旧沢内村のほぼ中心地にある、およそ 350 年の歴史を持つ碧祥寺の境内には、国の重要
有形民俗文化財を含む貴重な民俗資料を収蔵した碧祥寺博物館があります。収蔵品は館長
で碧祥寺住職である太田祖電さんが何年もかけて収集したもので、当時の生活や地域の歴
史、モノに込められた先人たちの想いを今に伝えています。
民間信仰や芸能などに関するものを集めた第一資料館、農機具や馬具、台所用品などを
集めた第二資料館、雪に関する書籍などを展示している第三資料館、マタギ収蔵庫である
第四資料館、雪国生活用具収蔵庫である第五資料館の5つの建物で構成されています。
「私が旧沢内村の教育長だった昭和 38 年(映画いのちの山河にも登場します)、当時の
文化庁から民俗資料の収集と保存の要請があり、いろいろな経緯で私が個人で収集するこ
とになったんです」と太田さんは当時を振り返ります。
民俗資料を調べているうちに、東北地域限定の「マタギ」に関するものが特に重要だと
気付いた太田さん。その文化が根付く東北6県と新潟を歩き回り、マタギに関するものは
もちろん、それ以外の民俗資料を集めてきました。
「今という時代を生きている人たちにとって、昔の道具はガラクタみたいなものに見え
るのでしょう。もらいに行くと、逆に喜ばれましたよ。時には『引き取ってくれ』と持っ
てくる人もいました。でもこれらの一つ一つには当時の人たちのいろいろな想いが込めら
れていて、私たちに教えてくれることも多いと思うのです」と太田さんは静かな口調でそ
の価値を訴えます。
実際、同館の収蔵品およそ1万5千点のうち 2200 点は、国の重要有形民俗文化財に指定
されているものです。
その一つ、一本の杉をくり抜いて作られた『沢内丸木舟』は、現存する日本唯一の川の
舟として昭和 39 年に指定されたもの。100 年ほど前、旧沢内村猿橋の和賀川で河川工事用
の石や木の運搬に使われていたそうです。
この舟と一緒に第四資料館に収蔵されている 486 点のマタギ狩猟用具も、昭和 53 年に重
要有形民俗文化財に指定されました。
「マタギというのは厳しい作法の中で狩りを行っており、一般的な猟師とは違うんです
よ。旧沢内村では北部に、代々マタギを生業とする人たちが集まる『マタギ集落』があり
ましたが、昭和 20 年代で絶えてしまいました」と太田さん。それでも、これらの珍しい狩
猟用具や山の神を祀ったものなどを見ているだけで、沢内の人たちの暮らしが山とともに
あったことがわかります。
不思議と雪深い里には
いい民話や民謡が語り継がれている。
岩手県は、遠野の「遠野物語」のように「民話・伝説」の宝庫といわれています。
旧沢内村には、南部藩の時代に実際にあったお話をもとに「沢内甚句」が歌い継がれてき
ました。もちろん、心温まる民話もたくさん残されています。
「沢内甚句」 とは、どんな民謡でしょうか?
【歌詞】
沢内三千石
お米の出どこ
桝ではからで
箕ではかる
大志田羊歯の中
まして大木原
貝沢野中
沢内三千石
コリャ
姉が妹の
岳の下
処の習い
コリャ
月の夜でさえ
仲人する
一人帰さりょか
送られました
コリャ
この闇に
【背景】
南部藩は、米の収穫の乏しい藩でしたが、岩手県和賀郡沢内村地方は、盆地ながら藩内
では有力な米どころで、沢内三千石は、南部藩の隠し田であったと言われています。
「沢内甚句」は、沢内地方の盆踊唄であり、お座敷唄でもあります。もともとは和賀川
流域で唄われた牛追唄系統の「さそり節」が、明治から大正にかけて、沢内に近い湯本温
泉あたりで盛んに唄われ、それが三味線唄に変容し「沢内甚句」と呼ばれるようになりま
した。さらに大西玉子が本調子の三味線の伴奏をつけ、レコードに吹き込んでから、全国
的に知られる唄となりました。
「沢内三千石
お米の出どこ」の歌詞には、悲しい伝説が語られています。
昔、不作の年が続いたため、年貢を納められなくなった沢内村川舟集落の庄屋が、娘の
お米(よね)を藩主の側女(そばめ)としてさし出し、村の窮状を救いました。おコメとおヨネ
を掛けた、村人たちの同情心から生まれたものと伝えられています。
人間の健康の源は、
地産地消にあり。
インターネットで「スローライフ」と検索したら、こんな一文に出会いました。
今流行の「スローライフ」も「地産地消」も実は沢内では当然みんな昔から、ことさら
に取り上げられるまでもなく実践してきたことだ(もちろん米や野菜の話だが)。だから、
そういう生活を求めて私は移住したのである。ちなみに「スローライフ」の概念は、増田
知事のいう「頑張らない宣言」と同様、誤解されてはならず、決して「忙しくないのんび
りした生活」などではない。むしろその逆である。正しくは高度成長期に象徴される「経
済合理性」に縛られない生き方を模索しようということだと解釈すべきで、「田舎暮らし」
の持つ重要な側面であるのだ。この点は昨年受けた"Wall Street Journal"紙の取材のときも
外人記者に一生懸命話したのだが、わかってもらえただろうか。
ただ、沢内で当たり前な「スローライフ」も「地産地消」もそれだけではただ埋もれた
ままであり、そこに「生産していない消費者」が入ってこないと、現代的意味での地産地
消運動としては成り立たないのである。そこが江刺や花巻と違うところなのであり、「雪深
い山奥の村」でどういう地産地消活動のモデルが考えられるか、さらに、兼業とか年金暮
らしといった圧倒的多数の農家がじゃなく、専業農家、農で生きようとしている山間地の
村こそが、どういう戦略で自分たちの経営の中に地産地消の取り組みを組み込んでいく道
筋がありうるか、筑紫さんに問うてみたいものである。
筆者紹介
渡辺哲哉さん
岩手の西部奥羽の山懐の山村に脱サラ移住して10年余。花き切り花栽培(りんどう)
を柱に、無農薬栽培の米やにんにくを直販しています。農業経験も知識もゼロからのスタ
ート。悪戦苦闘しながらも、農村生活はさまざまな発見と経験技術を与えてくれます。
老人医療費無料化発祥の地が
なぜ、この地・沢内なのか。
日本経済が高度成長時代に入ったころ、その発展に取り残されたかのように「貧困・多
病・豪雪」という三重苦を背負わされた村があった。
しかし、その村は、それらの困難の前にひれ伏すのではなく、村長の努力と村民の協力
でそれらを逆手に取って全国に先駆ける輝かしい業績を築き上げた。その村は、秋田県境
にある岩手県和賀郡沢内村である。
南北 28 キロ、東西 10 キロ、面積 288.47 平方キロ、1955 年当時の人口 6,713 人(1985
年現在、4,446 人)。
かつてこの沢内村は、乳児 1,000 人中 69 人が死亡してしまうという乳児死亡率が日本一
の、また老人の自殺の多い村であった。
そして、11 月から 4 月まで 5 か月間も雪に埋まり、外部と交通が隔絶される。
いわゆる「特別豪雪地帯」であった。さらに、1,200 世帯のうち生活保護世帯が 125 世帯、
分配所得が岩手県下最下位の貧しい村でもあった。
ところが、沢内村では、1961 年、国に先駆けて乳児医療費や老人医療費の無料化を行い、
1962 年には、とうとう乳児死亡率がゼロという画期的な記録を達成し、その後も幾度とな
く、乳児死亡率ゼロを記録している。
さらに、全村民の生命を守るために、健康の増進、予防、検診、治療、社会復帰まで一
貫した地域包括医療体制を築き上げた。今や、沢内村は、
「自分達で自分達の健康を守る村」
と評されるようになった。
なぜ、沢内村はこのような偉業を成し遂げることができたのか。
まず、第1の秘密は、村長深沢晟雄の政治理念の中に潜んでいた。
「こうした環境の中で、郵便の配達も止ってしまう猛吹雪を恨みながら、石コロのように
死んでいった病人を、余りにも沢山知っている。口に糊することもできない人達が、薬草
と売薬を信じ、近代社会や近代医療を嘲りながら死んでいった例を知り過ぎるほど私は知
っている。生命の尊重されない政治や世相の縮図のように、私の村ほど露骨にこれを現わ
したものも少なかろう。人命の格差は絶対に許せない。(中略)このことは感傷的なヒユー
マニズムでもないし、人権尊重という民主主義の題目唱和でもない。
(中略)生命健康に関
するかぎり、国家ないし自治体は格差なく平等に全住民に対し責任を持つべきであり、そ
れは思想以前であり、憲法以前であり、まして政策以前の当然の責務である・・・・」(深
沢晟雄)
そして、秘密の第2は、深沢村長の行動力であった。
彼は、集落ごとの座談会の開催によって広く村民の声を聞く広聴活動と、
「広報さわうち」
によって社会教育重視の広報活動とを具体的に展開する。
また、「引率指導型の政治」ではなく「演出指導型の政治」によって、住民が主体性を発
揮させるよう努めてきた。豪雪を突破するにも冬期交通確保期成同盟なる組織を作り、実
現させていったのだ。
さらに、第3の秘密は、村立沢内病院の医師や保健婦さんをはじめ、村民一人ひとりの
粘り強い活動が深沢村長を支えていたからに他ならない。
特に、沢内村の老人たちは明るく元気である。
1983 年、国が老人保健法を改正し、老人医療費を一部有料化に踏み切ったとき、沢内村
では、老人クラブ連合会が自ら署名を集めて無料化の存続を訴え、ついに沢内村の議会は
存続を全会一致で採択した。
かつて「国がやらないのなら、私がやる。国は、必ずあとからついてくる」と言ったの
は深沢村長だったが、深沢村長の死後、国が止めても存続させたのは、紛れもない村民の
力だった。
今も沢内村の人々は、故深沢村長の生命尊重の精神を守り、さらに自然保護と産業開発
との調和など新たな課題に挑戦している。
【参考文献】
・菊地武雄『自分たちで生命を守った村』(岩波新書、1968)
・太田祖電他『沢内村奮戦記
・及川和男『生命村長
・及川和男『村長ありき
住民の生命を守る村』(あけび書房、1983)
深沢晟雄物語』(童心社、1985)
沢内村深沢晟雄の生涯』(新潮社、1984、文庫、1987)
・指田志恵子『生命満つる里、沢内村』(ぎょうせい、1989)
❏物件概要
① 所在
岩手県西和賀町沢内字貝沢3地割586番2
② 交通
盛岡駅から車で40分
③ 土地面積
543.59坪
④ 建物 木造二階建て183.65㎡(55.55坪)7LDK
⑤ 建築年
昭和63年
⑥ 建ぺい率
⑦ 容積率
70パーセント
200パーセント
⑧ 設備
上水道(公共下水道は、物件前の道路まで敷かれている)
⑨ 価格
600万円
お問い合わせ先
有限会社ツーワンライフ
〒028-3601
担当
細矢
岩手県紫波郡矢巾町高田8-141
☎019-698-2333
FAX019-698-2334