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宗教と心霊治療は別
法主 矢追 日聖(満51歳)
私の 言わん とす ると ころは 、信 仰とか
心 霊‚ 霊能と かの 力に すがっ て病 気を治
し ても らおう とい うよ うな、 利益 を求め
る こと を中心 とす る信 仰が最 も罪 悪だと
い うん です。
とこ ろがで すよ 、こ こに難 しい 問題は
で すね 、医者 とか 薬と かで治 らな いよう
な 病気 が果た して 霊の 力、い わゆ る世間
で 言う 信仰で すね 、そ ういう よう な力に
よ って 治るか 治ら ない かとい う問 題にな
っ てく ると、 私は 治る 場合が ある と言い
た いの です。
全部 とは言 わん です よ。治 る場 合があ
る 。そ うすれ ばそ れは ご利益 信仰 になる
ん じゃ ないか と思 うか もしれ ませ んが、
こ れは 信仰で はな いんで す。
私の 場合は ね、 大倭 に来ら れた 人の病
気 も扱 ってお り、 また たくさ ん治 ってお
り ます けれど も、 これ は、私 の言 葉でい
え ば 、﹁ 大 倭 教 と い う 宗 教 と 切 り 離 し た
と ころ の矢追 日聖 とい う私個 人の 霊能に
よ って 行う心 霊治 療﹂ という こと になる
の です 。信仰 も宗 教も 何にも 関係 のない
問 題な のです 。私 個人 の霊能 によ っての
心 霊治 療なの です 。こ のよう な説 明をす
れ ばお 分かり だろ うと思 うの です 。
普通 、神様 のご 利益 を中心 とし て信仰
を 勧め る人は 、ま ずこ の宗教 に入 れば疑
っ ちゃ いけな い、 まず 信じな さい 、信仰
し なさ い、と いう 前置 きがあ るの です。
そ こで 仮に治 った とす る。ま あ軽 い病気
(1)
北海道小樽市 守谷明宏さん撮影(文・3頁)
オシンコシンの滝(知床半島)
0 1 0 5 0‐6‐6 7 0 0 2
大 倭 出 版 局
URL http://www.ohyamato.jp
大倭出版局・大倭紫陽花邑
(題字 矢追日聖)
★振替口座
年間購読料3,000円
(送料共)
毎月23日発行
通巻 422 号
★発 行 日 平 成 17 年 10 月 23 日
★発 行 所 大 倭 出 版 局
631‐0042 奈良市大倭町1の12
(0742)44‐0015
★印
刷 大 倭 印 刷 株式
会社
★定
価
1部 2 5 0 円
平 成 17 年
,+ 月 号
昭和37年7月23日月次祭法話より
現代における宗教改革とは(下)
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であれ ば神 様に頼 らな くても 自分 で治り ます もん
ね。神 さん が助け てく れるん だと ただ信 じる こと
によっ て治 ってし まう んです 。そ して、 もし 治っ
た場合 には あなた はよ く信仰 した 、神様 にご 利益
もらっ たと おだて るん です。 もし 治らな い場 合に
はあん たは 信仰が 足り ない、 もっ と足を 運び なさ
いと言 って 、目に 見え ないも ので おどか して 括っ
てしま う。 こうい うよ うない き方 をご利 益中 心の
信仰だ と言 うんで す。
けれ ども 、大倭 へお いでに なる 方には 、仮 に病
気で来 られ ても私 は初 めから 信じ なさい とか 、大
倭教は あり がたい と思 いなさ いと か、そ んな こと
を言っ たこ とあり ませ ん。ど んな 病気の 人が 来ら
れても 、病 気にか こつ けて信 仰さ せた人 は一 人も
おりま せん 。これ は心 霊治療 です 。丁度 医者 が患
者を診 てい るのと 同じ ことな んで す。
ただ 病気 という もの を縁と して こちら へ足 を向
けられ るか ら、病 気と 切り離 して この機 会に 私は
宗教の 話を 聞かせ てあ げるん です 。しか し、 信仰
するか らこ の病気 は治 るとい うよ うな、 信仰 とい
うこと と、 病気治 しと いうい わゆ る現世 利益 を天
秤にか けて 説明し たこ とは一 回も ないん です 。
また 全然 信仰が なく っても ここ へ来て 治っ てお
る人は ざら にあり ます 。ただ 誰か が頼ま れて 来る
だけで 、遠 隔であ ろう が、近 くで あろう が、 私は
本人の 顔を いっぺ んも 見ない のに 治って いる 人も
たくさ んあ る。四 、五 年経っ てか ら私に 治し ても
らった んや とここ に来 て顔を 合わ す場合 もよ くあ
るんで す。
霊障 害の 場合に 限る んです よ。 これは 大倭 教の
宗教と は全 然関係 がな い。
病気 が治 ったと いう ことを 一つ の動機 とし て、
現世利 益と いうも のを 度外視 し問 題にせ ず、 本当
に真面 目な 信仰で もっ て宗教 の道 に入る 。い つも
平成17年10月
おおやまと
通巻422号
私 が言い ます よう に自分 の人 格向上 のた めに宗 教
を 持つ、 とい うの が本当 なん ですね 。
大倭の 場合 は、 結構な こと に、大 体そ うやっ て
真 面目な 信仰 の型 にはま って きてい る人 が多い ん
で す。
宗教と 、病 気治 しいわ ゆる 現世利 益と いうの は
こ ういう ふう な関 係なん です 。
理性の必要性
世間で は、 ちょ っと霊 能が ある、 肉眼 で見え な
い ものが 見え る、 あるい は耳 で聞こ えな いもの が
聞 こえて くる とい うよう な、 霊視と か霊 聴とか 神
秘 的な現 象が あれ ば周囲 の人 がおだ てる 。あな た
は なかな か霊 能力 がある 、あ なたは 神様 に仕え る
資 格があ るん だと かいう よう にぐる り八 方から お
だ て上げ るん です ね。
すると 自分 もあ あそう かな と思え ば段 々天狗 さ
ん になっ てく る。 そうす ると 、ぼち ぼち ややこ し
い 、頭が ちょ っと 左巻き みた いにな って くる。 正
常 な頭と 、神 さん を中心 とし て、そ うい うよう な
分 裂症の よう な神 経衰弱 のよ うな具 合に なる。 そ
の 丁度つ がい 目に なる時 期に 一番い ろい ろな心 霊
現 象が現 れる んで す。何 かを 霊視す る場 合にで も
大 抵百発 百中 当た るんで す。 聞こえ る時 も真面 目
な ものが よく 聞こ えてく るん です。
けれど も、 そう いう霊 的な 心霊現 象は 十人が い
ぎょう た ら殆ど 十人 が、 ある一 定の 行でも すれ ば出来 る
んです。ただ個人個人に持ってきた霊的な能力は、
生 まれつ き決 まっ ていま すか ら、た とえ 金剛石 を
持 ってい ても 磨か なきゃ その 能力は 出て こない の
と 同じで 、あ る程 度の修 練は 要りま す。
銅であ れば どれ だけ磨 いて も銅、 金は 金です か
ら これは 仕方 がな いんで すけ れども 、こ の程度 の
こと は誰 でも出 来る んです 。現 在世間 に往 々にし
てあ る宗 教の教 祖と いうよ うな 方々は 、気 ちがい
か気 ちが いでな いか 、出来 そこ ないの よう な、そ
うい うよ うな時 期に 、信者 とか 周囲の 人に まつり
み す 上げ られ ておだ てら れてで すね 、御簾 の内 に座っ
た人 が案 外多い んで す。
初 めか ら、宗 教哲 学なり 、あ るいは 理知 をもっ
て立 った 教祖は あま りおら ない 。それ がた めに自
分の 本当 の魂の 向上 がない し、 あるい は精 神的修
養が 出来 ておら ない 。それ を周 囲から まつ り上げ
てし まう もので すか ら、ワ ッシ ョイワ ッシ ョイと
かつ がれ あちこ ち歩 かされ て、 自分の 意志 どおり
み こし
にな らな いで、 丁度 御輿の 上に 乗った 神さ んのよ
うな 形に なるん です ね。
そ こへ もって きて 段々と 気持 ちばか りが 偉くな
って力が低下してくるし、根性が汚くなってくる。
人格 的に 見れば 、ろ くなも のが おらな いと いう結
論に なっ てくる んで す。こ れは 人のこ とを 悪く言
うん じゃ ないん です よ、そ うい うよう なコ ースを
とっ てい る人が 、私 の知っ てい る範囲 であ まりに
も多 いか ら申し 上げ るんで す。
本 当に 宗教で 立と うとい う人 の場合 は、 私もそ
の一 人に なるん です が、や はり 理性が ない といけ
ない 。同 じ信仰 でも 、盲信 でも って信 者を 入れる
よう ない き方は 間違 いなん です 。お互 いに 目の開
いた 信仰 をしな けれ ばいけ ない 。初め から 、疑っ
ては いけ ない、 信じ なけれ ばい けない とい うよう
に押 し付 けて信 仰に 入れる とい うこと は、 これは
邪道 なん です。
否定 ・疑いから入る
我 々は まず否 定か ら入っ てい く。疑 いか ら入っ
てい く。 そこで もっ て否定 でき なけれ ば、 これは
(2)
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北 海 道 小 樽市 守 谷 明 宏
かが わし い宗教 が数 たくさ ん出 るとい うこ とは、
ここ に大 倭が存 在す る価値 があ る、大 倭が いよい
よ世に出てくる時機が近づいてきたことを物語
る。 神様 がね、 そう いうよ うな ことを おっ しゃる
んで す。 大倭が 本物 であれ ば、 まずよ く似 た偽者
が世 の中 に先に 出て きて社 会を 悪化さ せ、 社会に
害毒 を流 し、そ こで もって 後で 本物が 出て くるの
が神 なが らの順 序だ と、神 様は そうい うよ うな説
明さ れる んです ね。
ご 無理 ごもっ とも なんで すが 、そう いう 意味合
いに おい てまあ 今年 からこ こ二 、三年 のう ちに私
もい よい よ言向 けの 矢を放 つと ころの 準備 をしよ
うと 思っ ておる んで す。
大 倭は そうい う宗 教でご ざい ますの で、 現代に
おい ての 宗教改 革の 一端を 担っ て立つ ので すが、
果たしてこれが神意にかなう宗教であるかどう
か、 神様 だけが ご存 知なん です 。
表 紙 写 真に 寄 せ て
今 年7 月下旬 、義 父母も 連れ て世界 遺産 登録に
なっ て間 もない 知床 半島の ウト ロとい う所 へ行っ
てき まし た。泊 まっ た所は ずっ と手前 の網 走で、
そこ から ウトロ へ向 かう途 中に オシン コシ ンの滝
が あ り ま す 。﹁ オ シ ン コ シ ン ﹂ と い う 名 前 は 、ア
イヌ語で﹁エゾマツが群生する所﹂という意味で、
流れが途中から分かれていることから﹁双美の滝﹂
とも 呼ば れてい ます 。日本 の滝 100 選に 選ばれ
たそ うで 、約 mの 滝を上 から も下か らも 眺めら
れる のは 珍しい とも 聞きま した 。知床 の滝 は、カ
ムイ ワッ カ︵ア イヌ 語で神 の水 ︶の滝 も有 名で、
自然 の露 天風呂 があ るので すが 、駐車 場か ら徒歩
分 の少 々険し い道 程が義 父母 には無 理な ので、
今回 は行 きませ んで した。
(3)
肯定し なく てはし ょう がない んで すよ。
人間 の世 界にお いて 、自分 の頭 で解釈 でき ない
現象は 多い ですよ 。そ ういっ た時 に、一 応理 性で
もって 否定 してい く。 何度否 定し ても否 定の 出来
ないも のに ぶつか る場 合があ るは ずなん です 。そ
うなれ ば、 疑うこ とは できな いわ 、肯定 する こと
もでき ない わとな って 、人間 の知 識以外 の世 界の
ことで すか ら、こ れは 信じな きゃ いけな いん です
ね。
誰で も裏 に理性 とい うもの がな ければ 、間 違っ
た信仰 に入 る、あ るい は信仰 の道 が誤っ てい くと
いう結 果に なって くる 。とこ ろが 、ちょ っと 何か
霊的能 力や 神秘的 な現 象があ ると 、好奇 心に から
れて盲 目的 にそれ を信 頼した くな る、す がり たく
なると いう のが日 本人 の大き な欠 点なん です 。
だか らわ けの分 から ん、く だら んよう な宗 教が
いくら でも 増えて いく という のは 、付い て行 く阿
呆がい かに 多いか とい うこと なん です。 と言 って
も、そ の人 はその 人な りに喜 んで 付いて いっ とる
んやか ら我 々は別 にそ れを邪 魔す る必要 はあ りま
せんが 、あ まりに も物 珍しい 変わ ったこ とへ の好
奇心に 駆ら れて、 群集 心理で ワン サワン サと 押し
かけて いく という のが 、現在 に見 る線香 花火 式な
宗教団 体な んです ね。
大倭が 社会 が認 めるよ うな 真面目 な宗 教で、 神
意 にかな う宗 教で あれば 、我 々は求 めず とも大 倭
を求めて人が集ってくるのが当然のことなんで
す 。別に 人間 的技 巧をこ らし て人を 集め なくっ て
も 、正し き宗 教の あり方 を社 会の人 達皆 に教え て
あ げれば 、そ れで 邪道に 入る 人も数 は減 ってく る
と 思うん です 。
そ う い う こ と で は あ る ん で す が 、﹁ こ と む け や
は す﹂と いう 大和 の古い 言葉 があり ます 。そう い
う ような 言葉 には 真理が 含ん である んで すね。 神
様 がおっ しゃ るに は、た だ私 のよう な黙 ってす っ
こ んでお って もい けない と。 やはり ﹁こ とむけ ﹂
と い う の は ﹁ 言 向 け ﹂、 要 す る に 教 化 と い う こ と
で すね、 教化 育成 という 矢を 相手に 放つ という こ
と なんで す。 人は 知らな いん だから 、大 倭のこ こ
に 、こう した 宗教 がある んだ ぞ、と いう 言向け の
矢 を世間 に放 つこ とが必 要な んです 。
言向け の矢 を放 つのも 時機 がある ので す。そ の
時機というのが先ほど申しましたように、ここ二、
三 年に迫 って ると 思うん です が、こ れも まあ、 霊
界 の方か ら指 令が 下れば 私は すぐに やり ます。
け れ ど も 、﹁ こ と む け や は す ﹂ の 時 機 が 到 来 し
た と思っ ても 、そ れがあ るい は毒の よう な矢で 、
世 間の人 がそ れに よって 蜂起 し、あ るい はまた 大
倭 に向か って 盾突 くよう な人 がたく さん 出てく る
か 知れま せん が、 これは もう 神なが らで す。
いつも 申し ます ように 、秋 になっ て松 茸の上 が
る 時でも 、人 が喜 んで食 べる ような 味や 香りの い
い 松茸も 出来 る反 面、食 べる と命を 取っ てしま う
よ うな毒 のあ る同 じ形の 茸も 無数に 出来 る。そ う
い った時 機が 来れ ば本物 も出 る代わ りに 、偽者 も
た くさん 出る 。と ころが 本物 より偽 者が 先に出 る
と いうの が神 なが らの法 則な んです 。
これだ け世 間に 、邪道 だと 言われ るよ うな、 い
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言向けの矢を放つことも必要
そこ で私 は宗教 の認 識、信 仰の あり方 とい うも
のはど うい うよう なこ とが本 当に 正しい のか 、社
会一般 の人 達に知 らせ てあげ る必 要があ ると 思う
のです 。と いうて 、対 立して 争う とか、 人の こと
を罵倒 して 人の信 者を 取ると か、 今現在 世間 に見
るよう ない わゆる 闘争 戦のよ うな ことは 神な がら
に反す るの です。
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通巻422号
昨年の 十一 月十 四日、 大倭 会文化 講演 会にお い
て 、森と 水の 源流 館の成 瀬匡 章さん をお 招きし 、
﹁ 古代の 人達 は、 どのよ うな 思いで 吉野 川の上 流
に神社を造り水神を祭ったのか﹂を語って頂いた。
成 瀬 さ ん は ︵ 写 真 ③ ︶、 吉 野 川 源 流 に 位 置 す る
縄 文 時 代 の 集 落 跡 ﹁ 宮 の 平 遺 跡 ﹂︵ 川 上 村 ‚ 丹 生
川 上神社 上社 旧境 内地︶ の発 掘調査 に関 わり、 そ
の 後、源 流館 の職 員とな られ た方で ある 。
にゅう 川上村 には 、大 滝ダム 建設 に伴い 丹生 川上神 社
上 社︵写 真② ︶が 解体さ れ︵ 写真④ ︶没 してし ま
う 過程で 、以 前よ り大倭 から 何人も の方 が様々 な
思 いを胸 に訪 れて いた。
昨年の 出来 事と いえば 、十 度にも 及ぶ 台風が 日
本 列島を こと ごと く横断 し、 十月二 十三 日には 中
越 地震が 発生 した 。私達 は否 応なく 水の 存在を 意
識 し、足 元が 崩れ るので はな いかと いう 不安の 中
で大地に目を向けざるをえなくなったように思う。
文化講 演会 では 、吉野 川の 源流に おい て水の 神
に 寄り添 って 生き た古代 人の 心と生 き方 に、現 代
を 生きる 手掛 かり を尋ね るこ とにな った 。
成瀬さ んに よる と古代 人の 祭祀の 在り 方は、 こ
ん こんと 水の 涌き 出づる 奇麗 な三角 形の 山︵= 神
奈 備 ︶ を 信 仰 の 対 象 と し 、 巨 石 ︵ = い わ く ら ︶、
大 樹︵= ひも ろぎ ︶に神 を招 き降ろ して 拝んだ 。
神 社には 建物 はな く森そ のも のが社 であ った。
丹生川 上神 社上 社の周 囲に あった 豊か な照葉 樹
林 の森を 切り 拓き 社殿の 下を 掘り起 すと 、本殿 の
一 番重要 な所 の地 下には 遺構 が何層 にも 重なっ て
発 掘され た。 また 、神奈 備、 いわく ら、 丹生川 上
神 社上社 の森 と一 直線に 並ん でいる 姿が 浮かび 上
が った。 しか も吉 野川の 深い 淵が社 の裏 にあり 、
水 神を祭 って ある ︵古代 日本 の水の 神と いえば 、
み つ はの め くらおかみ たかおかみ 象
女
、
闇
、 高 がお られ 丹生川 上神 社に祭 ら
罔
れ ている ︶の を見 ると、 かな り古い 祭り の形式 を
残している重要な
神社であることが
分かった︵写真
① ︶。 お そ ら く 古
代人は吉野川の水
を治めるのには此
処しかないと思っ
たのであろうとい
う。
中国で水神とい
えば 龍で あり、 龍は 馬が好 きで あると いう 。龍は
り ゅう め
非常 に繁 殖力の ある 生き物 で、 馬と交 われ ば龍馬
き りん
に、 牛と 交われ ば麒 麟に、 猪と 交わる と象 になる
とい われ ている 。龍 と馬は 相性 がいい 。よ って古
代人 は水 神であ る龍 に馬を 奉納 し喜ん で頂 く事に
よっ て雨 水を祈 願し た。丹 生川 上神社 では 行われ
てい ない が、わ ざと 龍神を 怒ら せるた めに 馬を殺
して 雨を 降らせ るよ うな考 えも あった 。し かし、
何で も神 様に頼 れば 万事解 決す るとは 考え ておら
ず、 龍神 が住む 山を 守るに は樹 を守り 、災 害が起
きれ ば人 間同士 でサ ポート し合 うとい う現 実的な
対策 をと ってい たの だ。
成 瀬さ んによ ると 、古代 人は 迷信深 い訳 の分か
らな いも のを拝 んで いるの では なく、 目的 があっ
て真 剣に 御祭り をし ていた 。現 代人は 科学 が進ん
で森 を守 れば豊 かな 水源地 を保 てると いう ことは
頭で 分か ってい るが 、森と 水に 対して はダ ムほど
に真 剣に 取り組 んで いない とい う。古 代人 は、出
来る 事は 限られ てい たけれ ども 、本当 に真 剣に自
分の やれ る事を 一生 懸命や って いた。
樹 を守 り水を 節約 すると いう 所から 、古 代人に
見習 って 森を守 って いこう と少 しでも 心に 掛ける
事が 大切 なので はな いかと 成瀬 さんは 実感 を込め
て語 り伝 えて下 さっ た。
(4)
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吉野 川‚ 紀ノ川 源流 に位置 する ﹁水源 地の 森﹂
と呼ば れる 広大な 原生 林の案 内人 ︵イン ター プリ
ター︶ を養 成する 講座 の第一 回目 に参加 した 報告
を、本 紙六 月号に ﹁ア メリカ 流神 ながら ﹂と 題し
て書か せて もらっ た。 その第 一回 目は室 内で の学
習だっ たが 、六月 十二 日の第 二回 と七月 二日 の第
三回目 とは 、現地 の森 に入っ ての 実学だ った 。
この 講座 の参加 者は 八名で 、そ れに四 、五 名の
ぜいたく
リーダ ー兼 講師が つい てくれ ると いう贅 沢さ であ
る。参 加者 の年齢 は二 十代か ら六 十代ま でで 、職
業も、 教師 、木こ り、 保育士 、樹 木や熊 の研 究者
などと 多様 である 。
凹凸 道を マイク ロバ スにゆ られ て森の 入口 に着
ほこら くと、 まず 山のカ ミを 祀る祠 に皆 でお参 りす る。
五十年以上林業に携わってきた﹁森と水の源流館﹂
館長 の辻 谷 達 雄 さ ん が 、﹁ 山 に 入 る と 背 中 が ゾ ク
ッとし て目 に見え ない 大きな 存在 を感じ るこ とが
ある﹂ と淡 々と語 って くれた のを 思い出 した 。
いよ いよ 原生林 に入 ると、 栃の 木、ブ ナ、 杉、
ヒメシ ャラ などの どっ しりと した 大木や 、水 分を
たっぷ り含 んだ苔 にお おわれ た岩 や、カ ジカ 蛙の
涼しい 声が 迎えて くれ る。そ して 、谷に は、 やが
ては吉 野川 にそそ ぐ澄 み切っ た水 が流れ てい る。
その水 を口 に含む と、 体のす みず みまで 染み 込ん
でい く美 味 し さ だ 。﹁こ の 渓 流 に は 、 二 、 三 百 年
前に降った雨の伏流水も含まれている﹂と聞くと、
ここに は﹁ 人間の 時間 ﹂では なく ﹁森の 時間 ﹂が
流れて いる と感じ て、 思わず 呼吸 が深く なる 。
この 講座 は、別 名﹁ インタ ープ リター 講座 ﹂と
呼ばれている。﹁自然解説者﹂とでもいう意味で、
それ も、﹁解説者の感性を媒介に来訪者に今までと
は異なる新しい次元を拓いてみせること⋮⋮﹂と説
明されている。とすると、森の豊かな生命力に圧倒
さ れっぱ なし の筆 者など は、 とても イン タープ リ
ターにはなれないと悲観してしまう。
ただ、 リー ダー が時ど き、 秘密を 打ち 明ける よ
う な 表 情 で 、﹁ こ れ は ヤ ブ ニ ッ ケ だ か ら 臭 い を か
い で ご ら ん ﹂ と か 、﹁ オ オ ル リ の 鳴 き 声 に 耳 を 傾
け てみよ う﹂ とか 、水た まり のアカ ハラ イモリ を
や さしく つか んで 見せて くれ たりす ると 、子供 の
心 に戻っ て目 を輝 かせて 聞き いって いる 自分に 気
が つ い て 、﹁ イ ン タ ー プ リ タ ー と は こ う い う こ と
か ﹂と思 った りも した。
七月二 日は 一般 の参加 者に 同行し ての 講座で 、
少 しだけ 案内 人の 気分を 味わ ったの だが 、その 時
に ﹁沈黙 のセ ッシ ョン﹂ とい うのを 行な った。 二
人 一組に なっ て森 の中を 歩く 際に、 言葉 は一切 使
わ ずに、 目や 顔の 表情や ゼス チャー だけ で、お 互
い の 発見 や 感 動
を 伝 え合 う と い
う 単 純な ル ー ル
で あ るが 、 言 葉
を 封 印す る こ と
で 、 かえ っ て そ
れ 以 外の 感 覚 が
鋭 く なる と い う
ことを体験した。
あ と三回の講
座 が 残っ て い る
が 、 この 森 や 仲
間 た ちか ら 何 を
学 ん でい け る か
楽し みで ある。
顕幽一体の旅
林
おも
修
三
は る カ メラ のファ イン ダー越 しに 、杉本
ほとばし 順一 さん の迸る 涙と 、その 周囲 で祈り
を捧 げる 方々を 見て いた。 平成 十七年
みちのくい ざわ
九月 五日 午前十 時す ぎの、 陸奥 胆沢の
し ろあ と
わた
城跡 での 事であ る。 一千二 百年 に亙る
長い 旅路 の果て に、 アテル イと モレの
ふ るさ と
魂魄は、ついにその家郷に帰り着いた。
胆 沢は 、広き 美し き心安 らか な土地
であ った 。遠く 、麗 しくた たな づく青
垣山も見渡せた。
﹁こんな広い、豊かな
土地に在て、戦う必要など全くなかったのに⋮⋮﹂
杉 本さ んから お聞 きした 霊界 からの 声は 、アテ
ルイ やモ レはも ちろ ん、西 から の侵略 者達 が来る
前の胆沢の人々の無念の声でもあったのであろ
う。 やが てその 声も 、再び 巡り 合えた 魂魄 達の安
堵と 喜び の内に 、心 地良い 風と なって 、胆 沢を訪
か らだ しば
れた 私達 の心と 身体 を撫で てい った。 暫し の神遊
びは 、顕 幽にわ たる 喜びと なっ た。
今 回、 大倭的 ﹁文 化行事 ﹂に ご一緒 した 十三名
の方 々と の旅は 実に 楽しか った 。と同 時に 、この
他に 類を 見ない ﹁大 倭的文 化行 事﹂の 重要 さ、先
と 見性 に、 今さら なが ら思い 到る ものが あっ た。時
き 代は 末世 、増々 この 様な﹁ 文化 行事﹂ の必 要性は
大き くな って行 くに 違いな い。
又 、私 事では ある が、二 十八 年前、 旅の 途中、
その 土地 の美し さに 惚れ込 み、 五十五 日も の間住
み着 いた 盛岡の 土地 を再訪 でき た事は 、望 外の悦
びで あっ た。つ まり は今回 も又 、顕幽 一体 の世界
での 顕幽 一体に わた る旅で あっ たので ある 。
時の波蕩(その十五)
ふたたびの ほとりに立ちて 憶う青春
ながれはやさし 北上の川は
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事の始まり
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平成 年 9月 日、 九州4 日間 の旅を 終え て大
阪空港 から 奈良に 向か うバス の中 ﹁イズ レノ トキ
ニカ キタ ニユケ ﹂と 法主さ んの 声。え え? 今九
州から 帰っ てきた ばか りやの に⋮ ⋮と思 いま した
が⋮⋮ 。い つか行 かね ばなら ない 何かが 起き てく
か ん なが ら るだろ うと 、あと は惟 神。
間も なく 藤本宏 秋さ ん、岸 野春 子さん から アテ
ルイ、モレといった人の名が耳に入ってきた。
﹁北へ 行け ﹂の始 まり だった 。調 べてみ ると アテ
ルイ、 モレ お二人 は陸 奥先住 の勇 者であ った ︵参
照 本 紙 号 ︶。 こ の お 二 人 が 故 郷 に 思 い を 残 し
て斬首 され たのは 西暦 802 年8 月 日 。河 内国
もり や ま
み た ま
杜山︵ 大阪 府枚方 市︶ に御霊 はこ もって いた 。こ
の地を訪ね慰霊したのは平成 年3月2日だっ
た。 この 時 、 強 く 感 じ て く る の は 、故 郷 の 同 朋
達への 思い と、お 二人 の御霊 を連 れて故 郷に 帰す
事 であった。時を決めずにお約束はしておいた。
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平成 年 に入り 高橋 良美‚ 見田 暎子夫 妻が ﹁東
北に行くので行きませんか﹂と声をかけてくれた。
私も行 く気 になっ た。 機が熟 して きたの だろ う、
霊界か らの 声が忙 しく なって きた 。
アテ ルイ さんか ら願 い事が 出さ れた。 杜山 にあ
る二人 の墓 地の﹁ ツチ クレ︵ 土塊 ︶デモ ﹂故 郷に
持っ て帰 っ て ほ し い と 言 う 。﹁ モ レ さ ん の 墓 地 の
土は 無理 か も し れ な い が ﹂ と 問 い 掛 け る と 、﹁ セ
メテ コノハノ イチマイデモ﹂との事であった。
出 発 ま で のあ れ こ れ
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8月8 日、 林修 三さん にお 願いし て、 お二人 の
墓 地から 土塊 と葉 を貰っ てき てもら った 。
その夜 拝殿 にそ れを持 参、 法主さ んに 報告に い
く 。珍し く付 いて きた次 女が 急に酷 い頭 痛を起 こ
す 。報告 だけ で終 わらな い何 かがあ ると 感じて 、
おくつ さ にわ
お尋ねすると﹁紫陽花邑、奥津斎庭の土も入れよ﹂
と の事。
これで終わりかと思ったが、頭痛は治まらない。
ま だ何か ?と 聞い てみる 。
﹁坂上 田村 麻呂 の土も 入れ よ﹂と の事 である 。
5月 日に 文化 行事で 行っ た田村 麻呂 公のお 墓
の 土か? と思 った が、清 水寺 の山の 土と の事。
む つのくにい ざわ
これは 陸奥 国胆 沢の地 で戦 ったア テル イ、モ レ
と坂上田村麻呂両方の修羅の気を﹁大倭の土﹂
︵ 和の光 ︶に よっ て鎮め るた め、今 回に 必要な 現
界 でなす べき 事だ と理解 した ら、娘 の頭 痛は抜 け
た。
早速、 8月 日 、林さ んと 私の家 族3 人で清 水
寺 に 。﹁ 山 を 見 て ほ し い ﹂ と 田 村 麻 呂 さ ん が 言 う
の で舞台 から 清水 の山を 眺め た後、 賑や かな人 の
流 れを外 れ誰 もい ない奥 の院 裏に行 った 。
遠慮が ちに 苔む した山 の土 を一握 り頂 いた。 所
期 の目的 は達 した のでア テル イ、モ レさ んの碑 の
前 に行き 田村 堂︵ 田村麻 呂公 が祀ら れて いる︶ を
目 に入れ なが ら、 5月の 文化 行事で の約 束どお り
﹁ 一緒に 北に 行こ う﹂と 心で 声を掛 けた 。田村 麻
呂 公から は﹁ カオ ヲ フ シテ ツイ テイ クノミ ﹂
と の返事 があ った 。アテ ルイ 、モレ 両公 の助命 嘆
願 が果た せな かっ た田村 麻呂 公の悲 痛な 思いが 今
も って厳 然と 存在 する事 を実 感した 。
22
21
数 日 後 突 然 、﹁ ト モ ニ ツ レ テ イ ッ テ ホ シ イ
カン ム﹂ と感応 して くる。 桓武 天皇か らの 声らし
い。 共に 行く事 を約 束して おい た。
旅 行日 が近づ いて くると 、意 外にも 北上 川の龍
界 を 代 表 し て 龍 王 が ﹁ 大 倭 の 水﹂︵ 金 剛 大 龍 王に
お供 えし た水︶ を持 参する よう にとの 事。 お供え
する 約束 をする 。
霊 界と いうの は不 思議な 所の ようだ 、ま ったく
突然 ﹁ア ベノサ ダト ウ﹂と 名乗 ってく る霊 人がい
た。 安倍 貞任公 らし かった 。私 たちが 陸奥 に行く
のを 知っ たので 安倍 一族の 供養 をお願 いし たいと
の事 だ。 行くべ き所 は、そ のう ち分か るか と深く
は調 べな かった 。
8 月 日の事 であ る。陸 奥国 に行く とし てどの
辺 り に 行 く べ き か 決 め か ね て いる と 、﹁ ウ ツ シヨ
ノ トム ライワ イ ザワノ チヲ モッテ ナ サルル
ベシ ﹂と の事な ので 、胆沢 城址 に決め た。
﹁ ワレ ラヲツ レテ モド ルト キワ イマ モッテ
イザ ワノ チニイ ル ミタマ タチ ヲ ク ヨウ セラレ
ヨ カ シ ﹂﹁ ネ ガ ワ ク ハ ユ ク ベ キ オ リ ワ イ チ ド
ナラ ズ フタタ ビノ オトズ レヲ コイ ネガ ウモノ
ナ リ ﹂ と 、胆 沢 の 地 に 今 も こ も る 人 達 の 鎮 魂供
養と再度の訪問 を願われた。アテルイ、モレ両
公の 広い 心と強 い思 いを感 応し た。
次 は ﹁ タ ム ラ マ ロ コ コ ニ モ ウ ス ﹂﹁ ホ ウ シ ュ
ガコ コロ スデ ニワ レニア リ ユメノ ゴト キ ヒ
ノヒ ジリ ウツ シヨ ノオリ ア イタマ ワバ ユル
ギナ キミ チヲ ツタ エラレ タモ ノヲ クヤ シ ザ
ンネ ン﹂ と、坂 上田 村麻呂 公は 大倭太 加天 腹にお
ら れ 、霊 界 の 法 主 が ど ん な も の か を 実 感 し 、現
界で 法主 にお会 いし ていれ ば、 惟神の 道を 教えて
もらえたのに、悔しく残念だ と、そんな思いを
強く 感じ た。
他 に何 か必要 な物 がない か、 持参す べき ものを
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こで良いようだ。﹁やっと帰れましたね﹂
、 そんな
気持 ちで 持参し た 水と 土 を置 いて挨 拶を した。
お塩 ‚お 米‚お 水‚ お神酒 と、 十三湖 で頂 いたと
いう スイ カも供 えら れた。
全 員で 拍手合 掌し た途端 、己 自身を 意識 しつつ
も、 胆に アテル イさ んの強 烈な 念が襲 って くる。
﹁故 郷に 戻った 歓び の心﹂ は私 を霊動 させ 地面を
叩い て号 泣させ 、暫 くはた だた だ涙が 迸っ た。
や やあ って、 次に お二人 が京 都に行 く時 、別れ
て村 に残 った人 達の 気持ち が強 く強く 私を 占領し
た 。﹁ 時 移 り 今 の 村 人 達 も 、 私 達 の 事 を 忘 れ てい
るの で、 本当に うれ しい﹂ と言 ってく る。
こ の あ と ア テ ル イ さ ん は 、﹁ 官 軍 の 我 ら が 地 の
征服 さえ なけれ ば仲 良く暮 らし ていた もの を﹂と
言っ てま た号泣 され た。気 を受 けた私 も一 体化し
てし まっ ていた 。や っと解 放さ れてカ メラ マン役
にな り皆 と遊ば せて もらっ た。
辺 り を ぶ ら ぶ ら し て い る と モ レ さ ん は 、﹁ こ こ
に帰 って きたの は幸 せの極 み﹂ と言わ れた 。
高 橋 延 之 さ ん が 私 に 、﹁ 事 の 起 こ り の 張 本 人 な
のに 、桓 武天皇 は出 てこん ので すか﹂ と詰 めよっ
てき た。 そう言 われ れば、 頼ま れて共 に来 た筈の
坂上 田村 麻呂公 も桓 武帝も 音な しのか まえ 、まっ
たく 感応 しなか った 。不思 議な 事であ った 。
こ の地 の霊人 達と お別れ して 、胆沢 城址 の隣り
にあ る埋 蔵文化 財調 査セン ター を訪ね た。
次 いで 程遠く ない 北上川 に行 く。農 作業 用機械
しか 通ら ない道 を歩 き川岸 に降 りる。 大倭 の水を
川の 龍王 に供え た後 、宝来 軒で 昼食を 頂く 。
あ と水 沢江刺 の羽 黒神社 に行 く。こ こか ら一気
に盛 岡の 北に向 かう 、途中 北上 川を渡 ろう とした
ら物 凄い 豪雨も あっ た。何 とか 明るい うち に清流
の湧 いて いる長 嶺神 社を訪 ねた 。やっ と食 事を終
えて ホテ ルに戻 った のは 時頃 だった 。︵ 続く︶
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考 え て い る と 、﹁ ウ ツ ク シ キ ミ ズ ウ ツ ク シ キ コ
コロヲ ト ムライ ニ モタセ タマ エ ア テル イナ
リ ﹂︵ 美 し き 水 美 し き 心 を 弔 い に 持 た せ た ま
え ア テル イなり ︶と 言われ る。 そして 、続 けて
﹁ミタ マニ ワ ナ ニオ カ ノ ゾム モノヤ アル ヤ
スンズベキヒノイタラバ ソレニマサルモノナ
シ ﹂御 霊 に は 何 に も 望 む も の は な く 安 ん じ
る日がくれば それ以上の事はない との事。
8月 日 、持参 する 土 の 意味 を、ア テル イさ
んにも お尋 ねした 。
﹁ヒ ノヒ ジリノ メイ ニヨリ イ ライセ シコ トナ
リキ ウツ シヨノ シ ルシト シテ ミタ マノ イク
タ コ モレ ルチヲ キ ヨメン ガタ メ﹂
﹁大倭の土﹂は、戦った両軍の心に平和の心
︵和の 光︶ をつな ぐた めなの か? と問う た。
﹁ア ナタ ノ モ ウサ ルルゴ トク オオ ヤマ トタ
カマノ ハラ ニ ヒ カル ワノヒ カリ ヲ ユ クベ キチ
ニモ ツタ エンガ タメ ﹂
﹁何 れの 時にか 北に 行け﹂ とい う言葉 が納 得で
きた。 これ で私達 も陸 奥の国 に喜 んで行 ける 。
れ た浮島 丸沈 没に よる犠 牲者 の慰霊 祭参 加を皮 切
り に自動 車で 日本 海コー スを 船で移 動し 、この 日
ま で東北 の旅 をし ておら れた のだっ た。
岸田さんはレンタカーを借りに行く。準備良し、
一 路東北 自動 車道 で盛岡 を目 指した 。盛 岡グラ ン
ド ホテル ‚ア ネッ クスに 2泊 の予定 であ る。
8時頃 ホテ ルで の夕食 とな る。そ こへ 、青森 の
高 橋延之 さん の車 に乗っ て福 井の齋 藤正 宏さん 、
亀 岡の向 井弓 子さ んが入 って きた。 青森 の工藤 美
代 子さん 、町 田市 の得田 壽之 夫妻が 入っ てきた 。
遅 れて高 橋末 子さ ん到着 。総 勢 人 とな った。 明
日 から3 台に 分乗 しての 2日 間の旅 であ る。
ホテル のロ ビー を独占 して 高橋延 之‚ 末子夫 妻
を 除く 人が 、明 日の行 き先 を皆で 話し 合う。
時過 ぎ各 自の 部屋に 分か れた。 部屋 で岩手 山
か らくる 龍神 達に 大倭の お水 で挨拶 をす る。
夜中遅 く雷 鳴と 稲光そ して 雨がき つか った。 明
日 の好天 を願 いな がらベ ッド に入る 。
3日の 出発 予定 は8時 。昨 夜の雷 鳴も 大雨も 知
ら なかっ たと 言う つわも のが 何人か いた 。
盛岡か ら東 北自 動車道 を南 下、9 時 分頃胆 沢
町 に入る 。車 外の 風景を 見て いると アテ ルイさ ん
が ﹁ムラ ノヒ ロサ ヲ ミ テホ シイ﹂ と言 われる 。
なるほ ど奥 羽山 脈の麓 は大 平野で ある 。胆沢 城
を 探すが 迷い 込ん だか狭 い田 舎道を 走る ことに な
る 。車中 で﹁ ムラ ノ ミ ナミ ナヲ タノ ム﹂と 言
う 想念が 強く 繰り 返され てく る。気 が付 けば城 址
に 来てい た。
城址は 広く 、一 面に岩 を砕 いた砂 利が 撒かれ て
いる。持参した約束の﹁土﹂を届ける場所を探す。
砂 利 の 所 で 良 い か を お 聞 き す る と 、﹁ こ こ よ り は
土 の あ る 所 へ ﹂。 歩 く う ち ﹁ も う 少 し 右 へ ﹂ と の
事 。小川 に沿 って 何本か の樹 々が茂 って いた。 挨
拶 すべき 場所 が決 まった 。供 養すべ き御 霊達も こ
10
魂魄の実在
25
29
平成 年 9月2 日、 その日 がき た。出 発前 に拝
殿で挨 拶す る。
法主さんは﹁皆共によろしく頼む﹂。
奇稲田姫さんは﹁身を清め 心清めて 惟神﹂。
午後 2時 出発。 岸田 哲さん の車 で林修 三、 藤田
啓子、杉本順一‚姫縫重父娘が伊丹の大阪空港へ。
午後5 時 分離陸 。頭 上を越 える 無礼に 対し 、山
々の龍 神達 に、心 でご めんな さい を繰り 返す 。
台風 号 のこと を少 し気に しな がら雲 の形 を楽
しむう ち飛 行機の 不安 定さに も慣 れた。 6時 分
無事着 陸。 空港出 口に 高橋良 美‚ 見田暎 子お 二人
の顔が 有っ た。ご 両人 は8月 日 に舞鶴 市で 行わ
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9月
日誌
分
日 午後2時より大倭会
主催の禊会。その後、5時
より有志による勉強会。
日 邑の家庭へ天然ガス
この日は衆議院選挙投票日。
9月
日 午前
時
分から大
9月
日 夜、交流の家でFI
人、内初参加
WCの定例委員会。韓国キャン
プ︵参加者
人 ︶‚ 中 国 キ ャ ン プ ︵ 参 加 者 7
人、内初参加5人︶等、この夏
日のお彼岸につ
日 大倭大本宮月次祭。
の活動報告が行われました。
9月
平成4年9月
いての法話テープを聞かせても
ら い ま し た 。︵ テ ー プ 起 こ し し
て下さる方はおられませんか︶
9月
引込み工事が始まりました。
倭病院改修工事のため東山坊大
9月
イ
順一さんの話﹁祭典が始まると
もお定まりのパターンで、事前
のレクリエーション。昇ちゃん
愛知県伊良湖方面にメロン狩り
日 大倭町自治会主催で
善神に安全祈願のお祭り。杉本
ミナ
には行くの行かないのと騒ぎ、
トモニ
いきなり シバジノリユキ
マモココニイテ
ゼッ
結局ご機嫌で参加。
ワスレナイデ
り。昭和
想外の頑張り。庄山の矢追隆義
さん宅の栗拾いをさせてもらっ
たりよく遊んでもいました。
高橋良美さんの話﹁昨秋の収穫
稲の架け直しをしたそうです。
月6日︵日︶ 午後2時より
*月次祭︵大倭神宮︶
中に参拝を済まされ、青山日元
月
*大倭会主催第四四四回禊会
大倭神宮にて。
日︵日︶ 文化講演会と
期待できるかな?
欄をご覧下さい。
して行われます。詳しくは左上
月
*月次祭︵大倭神宮︶
間、気を抜かないでいきたい﹂。
大倭安宿苑では
日︵火︶ 午後2時より
︵菅原園︶
9月5∼6日 台風のため行先
大倭神宮にて。
月
日︵祝︶ 午後2時より
*月次祭︵大倭大本宮︶
大倭大本宮拝殿にて。
さ なか
編集後記
﹁浄化槽工事もようやく終わり
(8)
年1月﹃おおやまと﹄
月6日 大倭神宮月次祭。矢
100号を読み直して勉強。
日に倒れた棹があって
さんが祭主を勤められました。
で1年丸々、神さんにお餅を供
また
月7∼8日 大倭会館を会場
にされ、八重垣園の井上ぬい子
歳︶のお通夜‚お葬式
が執り行われました。
さん︵
月8日 KOMAカントリー
クラブで第5回大倭会ゴルフコ
ンペ。あいにくの雨‚霧‚雷の
天気でしたが、終了後には懇親
を﹁愛‚地球博﹂から中部国際
空港とイタリア村に変更して宿
︵須加宮寮︶
泊旅行をしました。
人楽しく奮闘
しました。次回予定は4月、参
日 城崎温泉方面へ
▼﹁わが邑は施設建設最中にて
∼
ゴ
たり
となります。大変大変。︵房︶
今またプロパンガスが天然ガス
水洗にあらぬ四十年よ﹂。
福引‚演芸、八重垣園の方の大
正琴合奏を楽しみました。
日 俳 句 ク ラ ブ 。﹁ 秋 霖
やかすかに裾を濡らしけり﹂
9月
︵八重垣園︶
ミ捨て場までゆっくりと行く﹂
﹁月明かり星輝ける夜の道
宿泊旅行をしました。
日 敬老の集いで会食‚
トラックの列地響きを立つ﹂
分から勉強会。
日 小雨が降ったり止ん
人を含め参加
者多数。小学生達は最後まで予
無事終了。子供
だりの天候でしたが、稲刈りが
月
5時
︵長 曽根 寮 ︶
9月
加希望者を募集中です。
会もあり参加者
も う 少 しの
えることが出来ました。今年も
追家麻呂教長さんは都合で午前
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修 ‚ 美 樹 子 夫 妻 が 初 参 加 、﹁ 禊
会って何ですか﹂の質問があっ
月9日 禊会。京都の太田
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9月
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ゼッタイ
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て改めて考えました。
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トシゴトシテイルコトヲ
タイ
林修三‚杉本順一さんと歓談。
日 編 集 部 に 、﹁ 地 下 水
の精神﹂とは?と問い合わせあ
9月
か‚木下良美さんが来邑され、
日 京都の田邉ともち
9月
っくりしました﹂。
ホシイ と言われたのには、び
午後、大倭神宮月次祭。
日 習志野市の桑元英
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夫‚陽子夫妻が来邑。
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平成17年10月
おおやまと
通巻422号
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