ハートウォーム・ディック

平山　聡　連載小説ハートウォーム・ディック
～二軍選手～　①　私は探偵である。でも依頼ならなんでも受けるわけではな
い。私が受ける依頼は探し物。失われたもの、消えた人・・・
見つからない何かを求めて、今日も街を彷徨う。
「野球はお好きですか」
依頼人の女性、松岡理絵はいきなり私にそう尋ねた。
「ええ、少しは・・・一応東京マイスターズのファンなんで
す。マイスターズが勝った翌日はあらゆるスポーツ紙を買い
集め、反対に負けた翌日はいっさい依頼は受けず、布団をか
ぶって傷ついたココロを癒す・・という程度の・・・だから
まあ好きといってもたいしたことはありませんが」
彼女はクスッと少しだけ笑い、
「ホントたいしたことはありませんね。あっそういえば、昨
日は・・・」
「勝ちました。４番小林のサヨナラホームラン！だからこう
してご用件をお聞きしているわけで」
「前田明夫というピッチャーをご存知ですか」
「前田・・・？前田明夫・・」
彼女は一瞬だけ寂しそうな表情をして、
「一応東京マイスターズの選手なんですけど・・・」
「えっ？」
頭の中の選手名鑑のページが急速なスピードでめくられ
る。
「ああ・・思い出した！左腕の・・あの速球派の・・前田明
夫。思い出しましたよ。でも、今はたしか・・」
「二軍です・・ずっと。一軍の試合経験は一度だけ」
「その前田明夫が？」
「私の婚約者なんです。婚約してもう４年になります。初め
て一軍で投げた４年前の・・その日婚約しました。でもそ
の日、前田はメッタ打ちにあってノックアウト。すぐに二
軍に逆戻り。もう１回、もう１回一軍で投げられたら、そ
の日結婚しようって」
彼女は私から視線をはずし、遠くを見つめている。４年
前のあの日を見つめているのかもしれない。
「そして４年、やっと一軍で投げるチャンスが巡ってきそう
なんです」
「えっ？それは良かった。それは、良かったですね」
「それが良くないんです」
「でもこれで結婚の約束だって・・・」
彼女は足を組み直し少し身を乗り出してきた。
「私は前田が一軍選手になった記念になんか結婚したくあり
ません。私は前田を愛しています。前田の一生の支えにな
りたいと思っています。仮に一軍に上がれたとしても、そ
の一軍で通用するかしないか、それは前田が一番よくわ
かっているはずなんです。だからたった一回の一軍のマウ
ンドの夢なんか棄てて、プロ野球をあきらめて・・私と結
婚して欲しいんです。野球を棄てさったところから二人で
始めたいんです。・・・どんな方法でもかまいません。前田
に野球を諦めさせてください。御願いします」
「・・・それがご依頼の内容ですか」
「ええ、いけませんか」
別に、いけなくはない。でも・・・
「それが探偵の仕事でしょうか」
「私達が幸せになるために・・・彼から野球を奪う方法を探
偵して欲しいんです」
＊＊＊
前田明夫２８歳、東京マイスターズ投手。６年前、大学野
球からドラフト外で入団。一軍での登板は一試合だけ。０勝
一敗、防御率１３・８５。これが彼の成績だった。そして今
年久しぶりに調子が良く、一軍昇格のチャンスが巡って来
ているという。そんな前田明夫にどうやって野球を諦めさ
せるのか。
夢を壊す方法を探す。私に前田明夫のボールを打ち崩し、
彼の自信を喪失させろとでもいうのか。そんなばかな・・・。
依頼とはいえなんとも気が進まない仕事である。私はとり
あえず彼を取り巻く人々に聞きこみを始めることにした。
９月の地方球場、太陽の光線は依然強くまだまだ厳しい
暑さだが、時折吹く風が心地よい。今グラウンドでは二軍公
式戦前のシートバッティングがおこなわれている。二軍
戦・・若い選手達は明日の一軍目指して額の汗を輝かし、そ
ろそろ引退の迫ったベテラン達は、夢と挫折をいっぱいに
含んだ重たい汗をスポーツタオルにこすりつける。ここには
希望と哀しみ・・その両方がる。
「そんなことはわかりませんよ。前田が一軍で通用するか
どうかなんて・・そんなことは投げてみないと。ブルペンと
試合のマウンド、そして二軍のマウンドと一軍のマウンド、
同じようで全く違うのです。コーチである私が今言えること
は、今度の二軍戦で良いピッチングをしたら一軍へ推薦する
ことができる。前田の調子はそこまで上がっている。それだ
けです。あとは前田次第なんです」
「でも一軍に上がってそこで通用するかどうかぐらいは、前
田明夫さんをずっと指導されてきたあなたならわかるので
は」
「私に何を言わせたいんですか」
ピッチングコーチの眼は怒りに満ちていた。愛する者を傷
つけれれた父親の眼、いや恋人の眼にそれは似ていた。
「私は彼が一軍に上がり、そして一軍に残りローテーション
ピッチャーになってくれることを願っています。そのために
練習してるんです。彼の夢は彼だけのものではなく、私を含
め彼を支える全ての人達の夢なんです」
ピッチングコーチは、厳しいけれど優しいまなざしに再び
戻りグラウンドの練習を見つめ始めた。そして選手達の間で
ボールを拾い集めたりバットをかたづけたりと、一生懸命動
き回っている高校生の少年達に眼が止まった。
ハートウォーム・ディック　二軍選手①　続く
「　これ前田さんのサインボールなんです」
連載小説ハートウォーム・ディック
その手垢で汚れた灰色のボールには、
『前田明夫』と楷書で
～二軍選手～　②　サインされていた。
平山　聡
「一軍選手のサイン貰ってやろうかって、前田さん言うんで
すよ。だけど僕、前田さんのサインが欲しかったんです。
（前回のあらすじ）プロ野球東京マイスターズの投手、前田明
だから、一軍選手になってください、そしたら価値がでます
夫から野球を奪ってくれと依頼する婚約者、松岡理絵。「夢を
からって・・・前田さんに言ってしまったんです。・・そし
壊す方法を探偵する」なんともやるせない依頼に応えるべく、
たら・・」
探偵はコーチへの聞き込みを始めた。
少年は俯いてじっとサインボールを見つめている。
「そうしたら？」
「前田さん、いきなりボールを僕から奪い取って、思いっき
りグラウンドに投げてしまったんです」
ボールが青い空に突き刺さるように飛んでいく。その情
景が私には見える。
「僕はびっくりして、
『すいませ～ん！』って大声で叫びなが
らボールを拾いに走って・・・生意気にもまた言ってしまっ
たんです」
「なんて？」
「絶対一軍選手になってください。応援していますって・・
思わず。前田さん、今度は僕に大きく手を振ってくれまし
た」
少年は、手に握っていたサインボールを真っ青な空に向
かって放り投げた。汚れた灰色のボールが太陽に反射して
一瞬白く輝いた。
＊＊＊
「あのボールを拾い集めている高校生のバイト達、彼ら
も前田明夫の夢を応援しています。そして自分達だってい
つかと頑張っています。前田明夫の夢が自分達の夢でもあ
るんですよ、きっと」
私にはそれ以上話しかける言葉がみつからなかっ
た。・・・私だって前田明夫の夢を応援したい。缶ビール
片手に声を張り上げ、
『前田！ナイスボール！』と叫びた
いんだ。でも私は今、前田明夫の夢を壊す方法を探してい
る。それが私の仕事である。
＊＊＊
少年は顔じゅうに玉粒の汗をかいている。でもそれを全
く拭おうともしない。専門的なことがよくわからない私に
も理解できるように手ぶり身ぶりで、前田明夫のボールの
威力について熱心に話してくれる。愛する兄の自慢話でも
するかのように。だから汗なんか気にならない。少年はポ
ケットから汚れた硬球をひとつ取り出した。
最後に私は二軍の監督を探した。監督はブルペンで前田
明夫のピッチング練習をじっと見つめていた。監督に近づ
こうとしたその時、
「バカヤロー！一試合でまたここに戻って来る気かよ。もっ
と気合入れて投げんかい！前田！二度と戻って来るんじゃ
ねえぞ」
私は監督に何も話しかけずその場を立ち去った。
そして私の聞き込みは終わった。夕陽がピッチング練習
を続ける前田明夫の横顔を赤く照らしていた。
＊＊＊
私の調査報告書は、前田明夫を取り巻く人間達の彼へ
思いを綴った記録だった。私はそれしか依頼人に提示する
ことができなかった。その報告書を松岡理絵は全く顔を上
げず読んでいる。せいぜいＡ４、１０枚程度の報告書を何
度も繰り返し読んでいる。もう５回目だろうか、それとも
６回目か。
ようやく彼女はゆっくりと報告書を閉じ、顔を上げ私を
見つめた。その瞳には涙がいっぱい溢れていた。そして幾
重にも重なり合って頬を伝った。
「私も前田明夫を応援しています。だって私が一番のファ
ンなんですもの」
「挑戦して、もし夢がかなったら、その瞬間を一緒に喜べば
いいじゃないですか」
「でももうこれ以上彼に傷ついて欲しくないんです」
「もしダメだったら・・・」
「ダメだったら？」
「もっともっと愛してあげればいい」
「・・・そうですね。・・・ありがとう」
涙は止まらない。でも笑っている。
見つからなくてよかった、夢を壊す方法なんて。
＊＊＊
マウンドには前田明夫が上がっている。そして、渾身の
力をこめてボールを投げている。二軍監督が何やら怒鳴っ
ている。アルバイトの少年はボールを集める傍らちらちら
とマウンドの方に眼をやり、ピッチングコーチは、見てい
られないのか、じっと俯いてブルペンの土を蹴り続けてい
る。松岡理絵はネット裏にいた。ネットに顔を貼りつけて、
前田の一球一球固唾を飲んで見守っている。しかしバッ
ターが快音を発するたびに、ちいさな悲鳴とともに眼をつ
むってしまい、試合など全く見ていない。
私はというと、３本目の缶ビールを片手に外野の芝生席
に寝転がって、『前田！ナイスボール！』と叫んでいる。
カーン！と快音が真っ青な秋晴れの空に響き渡る。ホー
ムランなのか、それとも内野フライなのか。
『ガンバレ、前田！』
私は思いっきり叫んでいた。
ハートウォーム・ディック　二軍選手　了

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