一見、小山のように見えるが、火薬庫。 大型のトラックが入れるようになっている。 広い敷地の隅の方にあり、攻撃目標とされた 正門からは1km 離れているが、壁には爆弾 の破片であいた穴がいくつも残っていた。 TEL 0532-54-1325 FAX 0532-55-5207 2008 年 2 月 4 日 No.6 機銃掃射の跡がななめに残る 小さな倉庫。 ↓ 1月27日(日)、豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会主催の見学会へ参加しまし た。今回は最後の見学会になるかもしれないということで、豊橋民商平和部会から は25名、全体では200名程の参加がありました。 参加者は二組にわかれ、保存会の方の説明を聞きながら火薬庫、防空壕、爆弾で あいた穴の跡、黄燐貯蔵プールなどを見学しました。現場は当時のままになってお 黒い線の中が、雑木 林の中にある防空壕 跡。竪穴で、爆風を避 けるためのもの。深さ は約 2m50cm あった。 雨のように落とされる 爆弾から逃れることは できそうにない。 り、雑木林の中に崩れかけた火薬庫や倉庫が点々と残っていました。建物の中に入 ることはできませんでしたが、壁に残る爆弾の破片があたってできた穴や機銃掃射 の跡に空襲の激しさを想像することできました。 この工廠跡地は、単体の戦跡としてではなく面として残っているため、配置を 調べることで当時の生産ラインまで知ることができる貴重な戦跡であるという説 明がありました。これまで名古屋大学の太陽地球環境研究所の敷地だったため、 ↑ 工廠には、徹底的に破壊するため焼 ↑ 保存会の伊藤会長のお話しを聞く。 後ろは土塁。この奥に火薬庫がある。 夷弾ではなく爆弾が落とされた。これは 爆風でねじ切れた鉄骨。後ろには深さ3 m、直径10~12m の穴があいてい る。こんな威力の250キロ爆弾が 26 分間に 3,526 発も落とされた、との説明 に、参加者から「ヒャー、ひどい」と つぶやきが聞こえた。 広大な敷地の所どころに観測機器が設置されているだけで、ほとんど手付かずの まま当時の姿が残っています。しかしこの3月で研究所が閉鎖されることに伴い 跡地を豊川市民病院建設地として利用する、という案もでています。現在、愛知 県内唯一の A ランク遺跡として文化庁による「近代遺跡調査」を受けているとこ ろなので、その評価しだいでは国レベルで保存すべき戦争遺産として認められる 可能性もあるそうです。 ← 火薬庫。周りは土塁に囲まれている。この 戦争の記憶がある参加者や当時この近くに住んでいたという参加者は、雑木林 ような倉庫はレンガを組んだあと、モルタルで しっかりとおおわれており、頑丈なつくりにな っているとのこと。 を歩きながら当時の様子を語り合い、 「忘れないためにも、ここは残しておいてほ しいね。」と話していました。
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