2005年9月号 - みのる法律事務所

【 1】
ま
と
は
ず
みのる法律事務所
弁護士 千田 實
れ
的
的外
外
みのる法律事務所便り
第 1 8 5 号
平成17年9月
〒 021-0853
岩手県一関市字相去 57 番地 5
TEL:0191-23-8960
FAX:0191-23-8950
 [email protected]
て し が わ ら
身に余るお言葉です。これは、仙台弁護士会所属弁護士勅使河原安夫先生からのお
手紙です。先生は、仙台弁護士会の重鎮であり、われわれ弁護士の目標であり、憧れ
の的と言うべき大先生です。以前、仙台市長選に立候補し、わずかの差で当選するこ

とはできませんでしたが、この事務所便りをお読みいただいている皆さまの中にも、
先生のお名前を耳になさったことがある方が多くおられると思います。
え じ き
餌食にならないために
―『大衆法律学』の意義
そのような大先輩より前記のようなお手紙を頂戴したことは、私にとっては天にも
昇るほど嬉しいできごとです。先生から駄文に対して感想文をお寄せいただけただけ
新著『 田舎弁護士の大衆法律学 ―保証の巻
情が仇、仇は情 』を発行したとこ
ろ、早々にお目を通していただいた方々から感想をお寄せいただきました。この事務
所便りをお読みいただいている皆さまからも、お手紙、ファックス、お電話を数多く
頂戴しました。そして、出版元の本の森さんから、多くのご注文をいただいていると
で身に余る光栄ですが、感想文の内容が嬉しくて嬉しくてたまらないのです。
私が『大衆法律学』を通してやりたいと心の中に持ち続けていることを、先生から
的確に指摘していただいたおかげで、改めて「これこそ、自分が『大衆法律学』を提
唱している真の理由なんだ」と気付かせていただきました。
の報告がありました。心から御礼申し上げます。
勅使河原先生がお述べになっておられるのは、結論は「弱い大衆は、勉強して強く
頂戴した感想文の中に、どうしてもこの事務所便りをお読みいただいている皆さま
に知っていただきたい一文がございます。その部分をそのまま転載します。
ならなければならない。そのためには、私の駄文『大衆法律学』はそれなりの意味が
ありそうだ」ということだと思います。つまり、一般大衆に賢くなってもらい、強い
者に食われてしまうことのないようになってもらいたい、との思いだと思います。
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最近は、特に市場経済、自由競争、規制緩和などのターゲットの下で、多くの弱者
が大変なことになって居ります。法に賢い者、強い者が大勝し、法に暗い者は、善意
うら
の裡に犠牲者になる世の中となっています。弱肉強食とでも言うべき現実が、極端
になっていることを、法実務家の一人として強く感じています。この様な時、民教育
の必要性を痛感致します。先生の『大衆法律学』の著書は、そのために良き社会教育
たすけ
の 資 となるものと感服致しています。事が終わってからでは遅すぎることが多く、
どうにも救うに救われ難い事案になやむことが多く、力と能力のなさを嘆くことが多
この点は、まさに私が『大衆法律学』を書こうと思った最大の理由です。少なくと
も、この事務所便りをお読みいただいている身内同様の皆さまに、少しでも法的知識
を身に付けていただければ、と考えたからです。もちろん、その他の方にも目を通し
ていただければ、なお嬉しいことです。
勅使河原先生がお述べになっていることは、大変奥深い内容です。大変口幅ったい
ことになりますが、私なりに解釈し、解説してみたいと思います。経済の本質に深く
根差すご意見であり、私だけのものとしておくにはあまりにももったいなく、ご紹介
する次第です。
々あります。先生の著書には人間愛、正義感を感じるものであり、感服申し上げます。
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勅使河原先生が書かれている 市場経済とは、「市場機構を通じて需給調節と価格調
節が行われる経済のことである」とか 、「財(かね、土地、品物など値打ちのあるも
田舎弁護士・千田實著
新刊 『大衆法律学 ―保証の巻 情が仇、仇は情』 『大衆法律学 ―民法総則の巻』 『あなたならどう裁く ―農協裁判編』 『ドキュメント 医療過誤事件 ―弁護士の医療裁判レポート』
『田舎弁護士 ―地方都市に生きるリーガルマインド』 発行所 有限会社 本の森 〒 980-0811 仙台市青葉区一番町 1-6-19-602 TEL&FAX:022-712-4888 http://homepage2.nifty.com/forest-g/  [email protected]
【 2】
の)・サービスの生産、消費が市場機構によって社会的に調節される経済制度」と言
の原動力となるという長所があり、それが共産主義に打ち勝って21世紀に生き残っ
われています。つまり、売り手と買い手の間において取引がなされ、価格が決められ
た理由であることは間違いありません。しかし、自由競争原理も長所ばかりではな
ていく、という考え方であり、経済の主体は売り手や買い手の個人・企業などであ
く、短所もあります。それが、勅使河原先生のご指摘されている「法に賢い者、強い
り、国や政府の指示によらず、自ら意思決定を行って取引をする、という考え方で
者が大勝し、法に暗い者は、善意の裡に犠牲者になる世の中となっています。弱肉強
す。
食とでも言うべき現実が、極端になっている」ということです。つまり、自由に競争
自由競争 とは、「国家や政府による束縛または制限がなく、個人や企業が自由に経
済活動を行う」とか 、「誰からも指図や制限を受けないで、商品を自由に生産・販売
させていれば、強い者が勝ち残り、弱い者は餌食となって食いつぶされてしまう、と
いうことです。
し、同業者と競争すること」などと言われています。自由競争を前提とする経済が自
由主義経済と呼ばれ、資本主義経済(市場経済)は自由主義経済を建前とし、自由競
勅使河原先生のご指摘は、誠に的を射たご指摘だと思います。強い金貸しは、喉か
争で発達しました。競争の中で、悪いものが消えていき良いものだけが生き残る、つ
ら手が出るほど金を必要としている弱い借り手に対し、「高い金利でなければ貸さな
まり、自然淘汰されるという考え方に基づくものです。
い」とか 、「担保物件や保証人を付けなければ貸さない」とか、中には「期限内に支
規制緩和 とは、「許可・認可など各種の法規制を緩和することによって、主に経済
払わないときには、預かっている土地建物などを自分の物にする」などと言い、「も
活動の活性化を図ろうとする措置」です。ですから、市場経済や自由競争と相通ずる
しそれが嫌なら、貸さない」と続けて、否応なく自分の思いを通します。そのため、
考え方ということになります。
たった100万円の借金のため、数千万円の不動産を取られてしまったなどという例
いとま
は枚挙に 遑 がありません。そのようにして大金を作った金貸しは、世間には数多く
勅使河原先生は、「 改革を強調している小泉政権は、市場経済、自由競争、規制緩
和を目標にしているが、その結果、多くの弱者が犠牲になっている」と述べておられ
ます。
この勅使河原先生のご指摘には、零細企業の経営者など、いわば弱者と言うべき方
々の代理人となって生計を立てている身としては、心底共鳴します。
おります。
これに対して歯止めをかけようとし、弁護士や裁判官が頑張って、民法第90条の
公序良俗違反を理由に、あまりに高額な金利契約は無効として弱者保護に手を差しの
べました。しかしそれは、それまである法律を解釈運用し、急場を凌いだという程度
のものです。しかし、そのような弁護士や裁判官の動きが国会を動かし、昭和29年
私は、1992年にABK、つまり「明日の弁護士を考える会」に参加し、有斐閣
に利息制限法が施行されることになりました。その後、多くの改正が重ねられ、金利
より『 変革の中の弁護士 ―その理念と実践 』という共著の出版に加わりました。題
の規制はより厳しくなり、弱者である借り手側の保護が図られるようになりました。
名が示すように、弁護士においても変革が必要だという考え方に立つものであり、そ
の多くは「市場経済、自由競争、規制緩和を推し進めるべきだ」という考え方に立っ
勅使河原先生は、「 弱肉強食とでも言うべき現実が、極端になっていることを、法
ていました。私も、基本的にはそのような考え方に賛同していました。自由に競争す
実務家の一人として強く感じています」と続けておられますが、この点も強く共鳴で
れば、「旨い、早い、安い」が生き残り、そうでないものはこの世の中から消えてい
きます。
くだけだ、それによって社会は進歩する、という競争原理を何よりも大事だと考えて
田舎弁護士ではありますが、法実務家の端くれです。弱者保護のため、何とか解決
いたわけです。しかしその後、長きにわたって田舎弁護士として弱者のため末端事件
策がなかろうかと考えることがたびたびです。その中で思いついたのは、「 弱者であ
の処理を積み重ねた中で、自由競争原理には、人間の競争心を煽り、それが社会向上
る大衆が、賢くなって強くなる必要がある」ということです。
【 3】
険会社に、ということにはならないのでしょうか。そして、その大手銀行や大手保険
拙著『情が仇、仇は情』をお読み下さった仙台弁護士会所属弁護士石神均先生は、
会社の裏には、米国資本が存在しないと言えるのでしょうか。
ひゃくねんかせい
「 貸し手側の改善を待つのは 百 年 河 清 という感じですが、それならば、借り手側で
確かにこれまで郵便局が取り扱ってきたものが民間にわたれば、それだけ民間が活
保証は断ればよい。これが真の情だと、この本を示しながら依頼者に説明したいと思
性化するかも知れません。しかし、それによって膨大な利益を上げるのは、一握りの
ひゃくねんかせい
ま
います 」と感想文の中で述べられています 。「 百 年 河 清を俟つ」という言葉は 、「黄
大企業ということにはならないのでしょうか。末端部分の一般大衆は、下請けのまた
河が澄むのを待っても無駄なように、いくら待っても、望みは達せられない」という
下請けのさらに下請けということになり、ほとんど利益のない仕事を押しつけられる
あくらつ
意味です。ですから、貸し手側が自らその悪 辣さを改善することは期待できないか
ら、借り手側において防衛しなければならない、ということになります。本当にその
通りです。
だけとはならないのでしょうか。
もうそうなれば、郵政民営化は日本の大企業のため、そして米国のため、というこ
とにもなりかねないのです。
市場経済・自由競争・規制緩和は、基本的方向としては間違っているとは思われま
私は、これまで駄文を発表するたびに、「こんなものを書いても、誰か読んでくれ
せんが、ただ成り行きに任せておけば弱肉強食になってしまうことは、勅使河原先生
る人がいるのだろうか」とか 、「何かの役に立つのだろうか」などと考え込んでしま
のご指摘の通りです。弱肉強食というのは、端的に言い表せば、わが国の構成比で言
い、「もうやめよう」ということが何度もありました。今でも、時々そのような思い
えば全企業の0.3%しかない大企業のため、99.7%の中小企業が犠牲になると
に至ることがあります。特に、体調の悪いときや仕事がうまくいかないときなど、一
いうことです。中小企業の中でも、構成比87.2%の小規模企業は中小企業の中に
層その思いが強く湧いてきます。そのようなとき、勅使河原先生や石神先生からのお
おいても弱者であり、強者に食われる立場にあります。元請け→子請け→孫請けと、
手紙は、消えかかっているやる気を再び燃やしてくれました。また、この事務所便り
末端に行くほど利益率は低くなります。泣くのはいつも末端部分です。
をお読みの皆さまからのお手紙やファックスやお電話は、何よりの励みとなりまし
私は、毎日そのような弱者に接しています。大企業のために犠牲になるこれら中小
企業、殊にも小規模企業の経営者のお役に立ちたいのです。
た。本当にありがとうございます。
勅使河原先生がご指摘なさっているように、「 法に賢い者、強い者が大勝し、法に
暗い者は、善意の裡に犠牲者になる世の中」であることは現実です。その現実を踏ま
蛇足となりますが、関連があると思いますので「郵政民営化」について少しだけ触
れたいと思います。
えて対策を考えれば、弱い大衆は、法に明るくなり犠牲者にならないようにしなけれ
ばならない、ということになります。風車に向かうドン・キホーテのようなものです
郵政民営化は 、「 民間にできることは、民間に」という考え方であり、そのこと自
が、『大衆法律学』をこれからも世の中に送り出していくつもりです。「雨垂れ石を穿
体には異論はありません。国家公務員全体の約3割を占める郵政職員が民間人になる
つ」と言いますが、雨垂れのたった一粒という存在ですが、多くの皆さまのご支援を
ことも、これまでの官僚国家から脱皮するためには望ましいことだと思います。そし
得て、これからも続けてみたいと思います。
て、郵政民営化が実現すれば、350兆円もの膨大な資金が、官ではなく民間で有効
に活用されるようになる、ということも魅力的です。
しかし、350兆円もの膨大な資金を活用する民間人は誰ということになるのでし
ょうか。これまで郵便局が行ってきた貯金事業は大手銀行に、簡易保険事業は大手保
勅使河原先生や石神先生のお言葉や、この事務所便りをお読みの皆さまの激励のお
言葉を原動力として、「 大衆が賢くなるために役立つ本を、一冊でも多く書いていこ
う!」と改めて決心するに至りました。
本当に、本当にありがとうございました。
【 4】
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
色は、赤、青、黄色の3色に限られるものではありませんが、元々の色は3原色と
言われ、赤、青、黄色の3色とのことです。日常生活において発生している出来事に
田舎弁護士の大衆法律学
はいろいろな色が同時に混在していますが、それをバラバラにし、さらに突き詰めて
刑法の巻
いくと、3原色に行き着くことになります。
ですから、問題が多すぎて解決の糸口が見つからないと思える事件であっても、問
『色分けして考えるとはどういうことでしょうか』
題を1つずつ解いた上、その元の色がなんだったのかと追跡していけば、意外と問題
日常生活において発生している出来事には、同時にいくつもの問題が混在している
ことが多くあります。それらの問題が複雑に絡み合っているため、容易に問題を解決
は単純化されます。
このように、複雑に絡み合って同時に混在している問題を単純化して解決していく
という手法は、法的なものを考える場合に限らず有効なやり方だと思いますが、特に
することができないということになります。
ほど
このような場合、同時に混在している問題を、問題ごとに解いてバラバラにした
法的なものを考える場合には不可欠な方法だと確信しています。
上、単純化してしまった問題を1つ1つ考えていけば解決しやすくなります。
弁護士という仕事柄、多くの悩み事の相談を受けます。相談者の話を聞いている
例えば、甲が乙を殺してしまったという事件が発生したとします。その中には、①
と、あまりにも問題が複雑で、とても解決できそうもないというケースに出会うこと
「人を殺したと言えるかどうか」という問題と、②「人を殺したと言えるとしても、
がしばしばです。しかし、弁護士となって35年になりますが、これまで解決をみな
それは社会的に許されている場合だったかどうか」という問題と、③「人を殺したと
かった事件はありません。なんとかかんとか、解決してきました。
言えて、しかもそれが社会的に許されていないとしても、甲を非難することができる
場合かどうか」という問題が同時に混在しています。
なぜ、世の中に生起している複雑な問題が解決できてきているのかを考えてみます
と、どのような複雑な問題でも、問題ごとに1つ1つ解いてバラバラにすると、それ
この①、②、③の各問題点を同時に解決しようとすれば、問題は複雑となって、ど
んなに頭のよい人でも適切な結論に到達することは困難となります。
ぞれの問題は単純化されます。その単純化された問題を、1つ1つ解決していけばよ
いというやり方を実行しているからだと思います。
そこで、刑法学者は、犯罪の成立要件を3つに分けて、つまり、第1は構成要件該
赤い糸、青い糸、黄色い糸が凝り固まって玉になっているものを解いてバラバラに
当行為(実行行為)の問題、第2は違法性の問題、第3は有責性の問題と分けて、議
し、赤い糸は赤い糸だけに、青い糸は青い糸だけに、黄色い糸は黄色い糸だけに分け
論する場面を段階的に考えています。殺人罪が成立するためには、第1段階の①「人
て、問題を単純な形にしてしまう作業です。
を殺したと言えるかどうか」という問題をまず考え、そう言える場合に第2段階に移
まず、複雑に絡み合った問題をバラバラにする作業が必要となります。それが一段
って②「人を殺したと言えるとしても、それは社会的に許されているかどうか」とい
落したら、赤い糸の問題を解決し、それが済んだら青い糸の問題を解決し、さらにそ
う問題を次に考え、さらに第3段階として③「人を殺したと言えて、しかもそれが社
れが済んだら黄色い糸の問題を解決するのです。このやり方なら、どんなに複雑に絡
会的に許されていないとしても、非難することができるかどうか」という問題に移っ
み合っている問題であっても、単純な形となり、解決することができるのです。
ていくようにしています。
分けて考える場合、その分けた各問題のうちどれを先に解決し、次にどれを解決す
【 5】
るか、という先後の順序も大事なことになります。①がなければ②、③は議論する必
各問題ごとに解決をしていくのが法的思考方法です。
要がないという場合も出てきます。①の存在は、②、③を議論する前提となっている
ことが多くあるのです。
法律を学んでいる人の答案に接する機会があります。知識は十分にあると思える人
の中にも、何を言いたいのかがよくわからない答案に出会うことがあります。
甲が乙を殺したというのは、いわば世の中に発生した生の事件です。この生の事件
に対し、殺人罪が成立するとみるかどうかは、法律的な評価をなす作業です。この法
そのような答案には、赤の問題と青の問題と黄色の問題を同時に議論しようとし
て、四苦八苦していると思えるものが多く見受けられます。
律的評価作業をなすためには、生の事件の中に同時に凝り固まって混在している赤、
赤と青の絵の具を混ぜると紫に、赤と黄色の絵の具を混ぜると橙に、青と黄色の絵
青、黄色の糸の玉を解いて、バラバラにする作業から始めなければならないのです。
の具を混ぜると黄緑になります。そして、赤と青と黄色の3色の絵の具を混ぜると、
黒に近い灰色になります。こうなってしまっては、元の色はどんな色だったかさえわ
刑法の世界だけではなく、民法の世界でもこのような考え方は必要です。「金を貸
した」という甲の主張に対し 、「もう返したから借りていない」などと言う乙の立場
の人が時々みられます。確かに 、「乙は、甲から金は借りたが、返したのだから借り
からなくなってしまいます。
そのような答案では、読む人に自分の言いたいことは伝わりません。自分でさえ何
を言っているのかわからない、ということになりかねないのです。
ていない」という主張もわからなくはありません。しかし、ここでも法的考え方とし
ては、「生の事件を分解した上で、段階的にバラバラに解いて問題を考える」という
思考方法が必要となります。
この場合、甲は「金を貸した」と主張していますので、乙としては、まず金を借り
たかどうかを答える(認否)ことが必要です。
借りたことを認めた上で「返した」というのが、ものの考え方の順序でなければな
りません。「返した」ということの中には、「借りた」ということを含んではいます。
ですから 、「返したのだから、借りていない」という主張もわからないことはありま
せんが、法的な思考方法としては、段階を踏んで考えた方がわかりやすいのです。
蛇足となりますが、法律の答案は、①この問題は、何を問うているのか、つまり
「問題点はこれだ」という点を明確にし、②その問題に対し、「自分はこう考える」
という結論を明確にし、③「そう考える理由は、こうだ」という、自分が出した結論
の理由を明確にすればよいのです。
①の問題点の把握がしっかりできさえすれば、70~80%近くは合格答案に至る
ものと確信します。
問題点はどこか、問題点は何点あるかを見極め、どの問題点から論ずるべきかの順
序を決定し、各問題点につき、①問題点はこれだ、②自分はこう考える、③なぜなら
こういう理由だからだ、と述べていけばよいのです。
金を借りたかどうかという問題と、借りた金を返したかどうかという問題は、厳密
に言えば次元、あるいは段階が異なる問題なのです。
民事の裁判では、金を貸したかどうかの立証責任は貸した甲にありますので、貸し
たことを立証する証拠がなければ甲の負けとなります。逆に、返したことの立証責任
は乙にありますので、返したことの立証ができなければ、乙は返したことにはなりま
せん。
このように問題を分解した上、順序を踏んで段階を一段、一段、踏みしめるように
赤の問題は赤の問題として、青の問題は青の問題として、黄色の問題は黄色の問題
として、分けて論じなければならないのです。赤の問題と青の問題と黄色の問題を混
ぜて論じては、黒に近い灰色となってしまい、何を言っているのかわからなくなりま
す。これでは、とても合格点はもらえません。
このような考え方は、法律の答案に限ったことではなく、企業経営などにおいても
応用できるのではないでしょうか。