魚の乳酸菌飲料

共生・共進化──時間と空間の中でつながる生きものたち
魚の中にも,たくさんのバクテリアが共生しています。魚のもっている能力だと思っていたものが,
じつは体内
のバクテリアの働きだった,ということもあります。それを積極的に利用しようとしている研究があります。魚の
中の細菌の分析からわかったことを活かして,養殖している魚を元気にしようという試みです。生きものの共
生の研究が人の暮らしに応用されている例です。
えてもいきなり海産魚を扱うのは困難と思われた。そこ
菌からランダムに選んだ80株の16SrDNA塩基配列解析
で,大学近くの霞ヶ浦に着目し,茨城県内水面水産試験
で,乳酸菌叢をおおむね明らかにし,現在,生菌剤(プロ
場の協力を仰ぎ,まずは淡水魚で研究を始めることにし
バイオティクス)
として利用できる乳酸菌を探すため,抗菌
た。
活性,胆汁酸抵抗性,腸管付着性などを順次検討して
霞ヶ浦は古くは汽水湖だったものを淡水化した湖で,
今もワカサギやウナギ,コイなどの養殖と漁獲が盛んだ。
魚の乳酸菌飲料
?
腸内共生細菌を活かした新しい養殖法
星野貴行
微生物屋である私の最大の趣味は釣りだ。獲物の味
と,ここまでは比較的順調に進んできたが,問題はこ
淡水化に伴い富栄養化が進んだ湖沼の一つで,最近少
れからだ。じつは,生菌を利用するための菌選定の基準
(藻類
しは改善されたものの,今も富栄養化によるアオコ
に確かなものはないし,必須となる消化管内での菌の挙
の一種)の発生が問題になっている。最初に研究材料に
動や腸内細菌叢の変遷の調査は非常に難しい。それぞ
選んだのは,1943年にわが国に食用として移入された
れの菌に特有の遺伝子を増幅するなどの方法で,菌を
中国原産のコイ科の魚,ハクレンだ。フィルター状の摂
検出・追跡するシステムの予備実験もしているが,消化
餌器官をもち,緑藻,ケイ藻,ラン藻などの浮遊性藻類
(死菌も含まれる)
,なかなかう
管内では微生物密度が高く
を食べるので,アオコ対策のためにも放流され,現在は
まくいかない。また,乳酸菌とアオコ分解菌との関係に
霞ヶ浦・利根川水系などに生息している。
ついては検討できそうだが,ほかの多くの細菌も含めた
一般に魚の消化管は短いが,ハクレンの消化管は異
q
いる。
を楽しめる沖釣りによく出かけるが,釣りなら何でも好き
常に長く,体長の約10倍もある。食べた藻類をこの長い
で,川や湖でのフライフィッシングも下手の横好きでたし
消化管にとどめ,その間に微生物の力を借りて分解し,
全体の関係を調べる方策は未だ見出せていない。
このように,魚の生菌剤開発を目指す科学の確立は
前途多難だが,現場ではすでに挑戦が始まっている。養
なんでいる。ドライフライという水面に浮かぶ疑似餌は,
栄養にしているらしい。消化管が,家畜の飼料を発酵貯
殖場からは,飼料に微生物製剤(ただし,これは魚由来では
その時その場所で羽化している水棲昆虫の成虫に,水
蔵するサイロのような働きをしているわけで,中には藻類
なさそうだ)の添加で,ハマチなどの成長が促進されると
中に沈めるウェットフライは,魚が常食する水棲昆虫の
分解菌だけでなく乳酸菌など多くの菌が存在するに違い
の報告がある。理化学研究所と韓国・東南アジアとの共
幼虫に似せたものが最適だ。釣り上げた魚の胃袋の中
ないと考え,消化管の内容物に含まれるアオコ分解菌の
同研究では,魚由来の乳酸菌をヒラメやテラピアに供与
身をスポイトで吸い出し,一番多く食べている虫に似た
検索と乳酸菌の分離という二本立てで研究を始めた。
する実験も行なわれている。タイ,ヒラメ,クルマエビな
フライを使ったりする。昆虫の生態にも詳しくなければな
アオコの代表的菌株(Microcystis viridis)に殺活性をもつ
ど,日本人が好む高級魚向け用の生菌剤が開発される
らないわけで,サイエンスの心が必要だ。私もサイエン
か,その細胞壁成分だけで増殖できるかという二つの活
qハクレン(写真=オアシス)
性で検索した結果,両方の能力をもつ細菌を多数分離
ティストのはしくれとして,調理の際に必ず胃袋の中を調
べ,次に備えている。しかし,これは肉眼で見えるもの
のチェックだ。ところがある時,見えない微生物が気に
なり始めた。
哺乳動物では,消化管内にたくさんの腸内細菌が棲
息していて(ヒトの便 1 g当たり約3000億個いるらしい),消化
日もそう遠くはないかもしれない。
できた。そのうち一つは,溶菌酵素をもつことがわかり,
wハクレンの長い腸。
体長45cmのハクレンの腸の長さは470cmもあった。
e霞ヶ浦内水面水産試験場の実験用飼養池。ハクレン,コイ,マ
ブナ,ヘラブナ,ナマズなど,多数の魚が飼育されている。
(写真=2点とも筆者)
酵素も精製できた。一方,乳酸菌は,一般的な乳酸菌培
地に生育できるものが,腸内全菌数の 1 %程度にもなる
ほしの・たかゆき
1952年三重県生まれ。筑波大学応用生物化学系教授。応用分子
微生物学。枯草菌,高度好熱菌の分子育種に関する研究に従事
してきたが,最近,魚の微生物学研究にも着手した。
(哺乳動物では0.1%程度だ)
。分離した乳酸
ことがわかった
w
やビタミンの供給などで宿主を助けている。乳酸菌を中
そう
心とするいわゆる
「善玉菌」が腸内細菌叢を健全にする
との理由から,生菌を入れた乳酸菌飲料も考え出され
た。ところが,魚の腸内微生物については,青魚に多く
含まれる不飽和脂肪酸―DHAやEPA―や,フグ毒のテ
トロドトキシンなどが,じつは腸内細菌の作るものとして
知られているだけで,腸内細菌叢やその働きについての
研究は多くない。養殖場では,高密度の魚同士の接触
による細菌感染を防ぐため,抗生物質が飼料に添加さ
れている。抗生物質を使わずに,腸内細菌叢の制御に
よって魚を丈夫にしてより安全な食品を得たり,魚肉の
栄養価を高めてみよう。これが研究を始めた経緯だが,
白状すると,魚と微生物の関係を研究して魚の誘因物質
を見つけ,釣りに役立てようという下心もあった。
このような次第で,当初は海の魚をターゲットにと考え
ていたが,研究材料の安定入手(自分で釣ってくるのでは大
いに不安定)
,運搬や取り扱い,さらには生きた魚での研
究に発展した場合の施設や設備の問題など,どれを考
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Biohistory, March,2002
e
r湖面に発生したアオコ。
アオコ(藍藻の一種)
によ
る環境汚染は,世界的な
問題になっている。強力
な毒素であるミクロキス
チンを生産し,ときには
家畜や人にも被害をもた
らすという。大量発生に
よる酸欠,悪臭も問題だ。
(写真=オアシス)
tアオコ分解菌によるハ
ロー形成。
アオコの代表的菌種の一
つである M i c r o c y s t i s
viridisの生菌体の上にア
オコ分解菌を接種し一晩
培養したもの。殺アオコ
活性によるM.viridisの溶
菌(色の変わっている部
分=ハロー)が認められ
る。この活性が溶菌酵素
によるものであることが
明らかになりつつある。
(写真=筆者)
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魚の乳酸菌飲料?
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