外国人武道愛好家のために 「何故日本人の先生から武道を習うのが

外国人武道愛好家のために
「何故日本人の先生から武道を習うのがベストなのか」
本原稿は外国人武道愛好家を対象にして英語で書いた原文を和訳したものです。和訳の際には日本人読
者を念頭に置き、原文に若干の修正を施したことを最初にお断りしておきます。
初めに
日本の武道(以降は単に武道と称します)が始めて欧州に紹介されてから既に 100 年以上が経ちました。
その間に武道は欧州の沢山の格闘技愛好家を夢中にしたばかりでなく、世界中にあるさまざまな格闘技に
計り知れない大きな影響を与えてきました。そうした武道の代表的な一つ柔道は世界中で大流行し、その
結果 1964 年の東京オリンピックでは初めてその公式競技に数えられるほどになりました。空手や合気道
そして剣道など柔道以外の武道もいまや世界中で沢山の人たちに実践されています。
武道の欧州への普及は今から 100 年も昔、明治時代の後半に幾多の日本人柔術家がイギリス、フランス
やドイツへ柔術を伝えるべく渡って行ったことで始まりました。そうした先駆者で有名な方としては三宅
多留次先生、不遷流の谷幸雄先生そして大日本武徳会から派遣された川石造酒ノ助先生がいます。当時の
武道本家日本では柔術から派生した講道館柔道が勢力を拡大して、既存の柔術界は柔道へ転向する人や道
場が増えて、もはや昔日の勢いはなく退潮の一途をたどっていました。一方でそうした柔術の退潮を見る
に忍ばず、その可能性を信じる幾多の柔術家たちは日本以外の地で柔術再興を図るべく、新天地を求めて
はるばる海を越えて欧州へと渡っていったのです。当然ですが言葉も通ぜず文化も皆目分からない地球の
果てに在る異国の地へ、柔術を愛する気持ち一つで渡っていった当時の柔術家たちの意志の強さにはただ
ただ頭が下がるばかりです。これほどの強い意志をもった人は今の日本に果たしてどれだけいるでしょう
か。
そうした先覚者たちの努力のお陰で、第二次世界大戦が勃発する前までには、イギリス、フランス、ド
イツそしてポーランドで柔術は少なからぬ支持者を得て、確固たる基盤を築いていました。
2. 柔術はどのように西洋人の心を捉えたのか
当時でも欧州にはボクシングやレスリングを初めさまざまな格闘技がありましたが、その中に在って柔
術はどうやって欧州の人たちの心を捉えたのでしょうか。
第一に;
柔術は投げだけでなく突き、打ち、蹴り更に固め技を網羅し、格闘技として完成された技の体系をもっ
ていた。
第二に:
柔術では力よりも技が活用された。もともと柔術は試合用の競技ではなく生死を掛けて競う武術ゆえ、
体重の差などはハンデとして考慮されず、力の差を克服すべく技が最重要視されていました。背も低く体
重も軽くて欧州の人から見れば子供のような日本人柔術家が、大男のプロレスラーたちを軽々と投げ飛ば
して簡単に捌くのを実際に目にした欧州の人たちは、その東洋の秘儀にたちどころに魅せられてしまった
のでした。
第三に:
他の武道と同じく柔術は他の格闘技にはない卓越した指導計画と指導内容、更に黒帯に代表される明快
なレベル表示システム(段位制)を持っていた。生徒たちは各人が自他のレベルを明確に認識でき、更に
上達のためになすべきことをしっかりと理解できました。このようなことは欧州の他の格闘技ではまった
く期待できなかったのです。
その後不幸にして第二次世界大戦が始まり、欧州に留まることを決意したごく僅かの柔術家を除き、大半
の柔術家たちは欧州を去り、再び欧州を訪れては来れなくなってしまいました。彼らは日本にあって、遠
い欧州で自分たちの教え子たちが正しい伝統と技を守り伝えることをじっと願っていたに違いありません。
戦争が終結した後、欧州に残された弟子たちの切ない願いにもかかわらず、彼らの先生たちは二度と再び
彼らの前に姿を見せてはくれませんでした。当時日本は敗戦で国土は荒廃し、著名な柔術家は大半が戦死
してしまい、生き残った日本人たちは軍国主義の絞り粕のように見られた伝統武道にはもはや興味を示さ
ず、武道は本家本元の日本でまさに死滅の一歩手前ともいえる悲惨な状態にありました。僅かに残った柔
術の伝承者たちも、何とか流派が絶えない様に自分の身の回りで普及活動をするのが精一杯で、外国へ教
えにゆく余裕などまったく無かったのです。
そして年月が経ち戦後から 25 年が過ぎて高度経済成長によって日本が豊かさと活力を取り戻した 1970 年
代、多くの柔道家、空手家そして少し遅れて合気道家たちが自分たちの武道を普及させるために次から次
へと欧州や米国へと渡って行きました。その頃の日本では、武道の中心は柔術などの古武道からそうした
明治以降に発展した現代武道に取って代わられていましたが、欧州では昔ながらに古式柔術を習い続ける
人たちがかなりの人数で残っていたのです。本家の日本では象徴的な存在(古典芸能)と化してしまった
柔術が、先人たちの努力が実って欧州の地では大きな勢力として残っていたのでした。戦争のため日本か
ら先生が教えに来てくれなくなってから、彼らは嘗て教わったことを反復し、分からなくなったところは
自分たちなりに工夫して補完しながら柔術を保存したのです。こうして欧州で再興した柔術を私たちは日
本の伝統柔術(古流柔術)と区別してヨーロピアン柔術と呼んでいます。一方ブラジルで柔道から派生し
た格闘技がブラジリアン柔術と称されますが、これは柔術とはとても呼べないラフな格闘技であるのにた
いして、このヨーロピアン柔術は日本の伝統柔術と直接に繋がっているために正統な柔術の一派と看做さ
れています。
現代での武道の学びかた
武道が世界中に広がった今日では、武道を習うもの教えるものは日本以外でも実に沢山の数を数えられる
までになりました。柔道など本家の日本を遥かに上回るものもあるくらいです。その結果、武道を教える
外人の先生の数も数え切れないほどに増えました。その昔では外国人が武道を習おうとすれば、日本人の
先生から習うしかありませんでした。当時外国に住んでいる人が武道を習おうとすれば、自分の近くに住
んでいる日本人の先生を見つけるか、日本へ修行に訪れるか、そのいずれか一つの道しかなく、外国で暮
らしている日本人武道家の数は限られていたので、修行のため日本を訪れるのが唯一実際的な武道習得方
法でした。しかしいまや武道を教える道場は世界中に溢れていて、どこの国にいてもたやすく武道を習う
ことが出来ます。柔道や空手そして合気道の道場はどこの国でもそこら中に在って、そうした地方の町道
場ですら 4 段や 5 段といった高段者の先生が教えています。現代は日本以外に住む武道愛好家にとっては
まさに天国となりました。
しかしそうした状況となっても、「武道を習うのなら日本人の先生から」という言葉を外国人の武道愛
好家たちからよく聞きます。彼らの意図するところはいったい何なのでしょうか。彼らは日本人の先生か
ら教わるほうが自分たち同国人の先生から教わるよりもうまく上達できると信じているのでしょうか。そ
れは果たして真実なのでしょうか、それとも彼らの単なる幻想に過ぎないのでしょうか。
そうした彼らの願望を私は以下のように 2 つに分類してみました。
彼らは、武道をより効率よく習得するには、本家の日本人の先生から習うのが一番と信じています。彼ら
は“効率よく”(要するに外国人が好きな「短期間かつ少ない練習量でより高いレベルへ到達できるよう
に」という意味)武道を習得したいという願望が強く、それを満たしてくれるのが日本人の先生から習う
ことだと信じている。
彼らは武道を技術的な面だけでなく精神的な面もからも捉えていて、高い技術レベルへと到達するには精
神的な修養を積むことが必要不可欠と考えている。そして精神修養を図るには現地人の先生ではダメで、
日本人の先生から習わなければいけないと信じている。
西洋人たちが武道における精神修養を、技の上達を促進するために不可欠な要素と考えていることは興味
深い。われわれ日本人にとっては、武道の鍛錬は人間としての完成に不可欠となる精神の調和を達成する
ためで、武道に秀でるようになることは決して目的ではありません。西洋人たちにとって日本式の武道修
行が耐えがたく、厳しく、そして彼らの理解しにくいものとなっている背景には、まさに以上の点が原因
となっているのではないかと私は考えます。彼らが技の上達のために精神修養をやるという考えから抜け
出せない限り、武道を真に理解することは困難でしょう。
最初の動機に関しては、それを信奉する人は今ではほとんどいないでしょう。例えば柔道を例に取れば、
現在国際大会で優勝するのは日本人よりも外人のほうが圧倒的に多くなっていて、日本人柔道家は嘗ての
ような特別な存在ではなくなってしまいました。一般の柔道修行者たちにとって、特に日本人から柔道を
習う必要はまったくなくなりました。
興味深いのは第二の動機です。ほとんどの外国人武道家は依然として、「日本人の先生からのみ、高い
精神性に裏づけされた最高度の技を教えてもらえる」と信じています。彼らのこうした願望はしばしば武
道映画に表現されますが、その一番有名なものが「空手キッヅ」でしょう。
映画「空手キッヅ」に見られる理想的な武道の先生
武道における師弟関係を描いた外国製の映画の中で、この「空手キッヅ」は出色の出来です。この映画
の製作者は、「高邁な精神に裏付けられた者だけが、その結果として武道の技を極められる」という理念
を非常によく理解しているに違いありません。登場人物の宮城先生とダニエルさんの二つのキャラクター
から、武道における師弟関係のあり方に就いて私たちは多くのことを学ぶことができます。
1
宮城先生は不特定多数の弟子をとることをせず、ダニエルさんは彼のめがねにかなった唯一の人で、
その結果弟子にしてもらった。
このことは、武道の達人が弟子を取って教えるのは、その技を次世代に適切に伝承するためだとい
う理念を象徴化しています。達人はその技を習いたい人誰にでも教えるのではなく、純粋な武道精神を持
ったものだけを慎重に選んでその技を伝えるものなのです。それがその流派を適切に後世に伝えることに
ほかならないからです。
2
宮城先生は無料でダニエルさんを指導した。
このことは、本当の達人は利益を得るために武道を教えたりはしないということを示しています。
勿論現実には達人といえども生きていくために収入を得なければならないのは確かです。従って月謝をと
って弟子を教えることは止むを得ません。これは弟子を教えるのに際して収入を得ることを決して第一優
先とはしない、という意味に捉えるべきでしょう。この例として、名古屋で尾張貫流槍術を教えている春
風館の加藤先生は「入会金、月謝など一切無用」と断言されていますが、武道指導者として正に理想的な
姿勢だと深く敬服する次第です。現実にはこうした立派な方ばかりではなく、洋の東西を問わず、両目が
円マーク{\x\}やヨーロ・マーク{€x€}と化した金銭第一主義の指導者が少なくないのは残念です。
3
宮城先生はダニエルさんに技を教えるに際して、直接的な指導方法を採らなかった。
当初ダニエルさんは空手の技を教わる代わりに宮城先生の家の塀のペンキ塗りをさせられました。
ダニエルさんは宮城先生が空手の突きや蹴りの技を教える代わりに何故ペンキ塗りをさせるのか、自ら考
えなければなりませんでした。例えその意味が理解できなくとも、宮城先生を信じて言われたことを実行
していくだけの姿勢が求められたのです。この例のように日本人の先生から教わる場合、弟子には先生が
意図するところを察する鋭いアウエアネス(気付き)が要求されます。
4
宮城先生はダニエルさんを自分の息子のように扱い、大切にしている車までプレゼントした。日本
人の先生は大切な弟子を自分の子供として遇します。彼らは大切な伝統を受け継いでくれる貴重な存在だ
からです。 達人にとって一番大切な課題は、自分が先生から受け継いだ伝統を正しく適切な方法で適切
な後継者へと伝承することなのです。ですからそれを託す弟子は先生にとっては自分の子供とも言える大
切な存在となります。
以上の要点が把握できれば、日本人の達人から技を習う意味、有益性がはっきりとしてきます。そして
多くの外国人武道家が日本人の先生から技を習いたいと希望するに違いありません。ただしそれには一つ
重要な問題があります。ポイントの 1 番目を思い出してください。達人は希望者の誰にでも技を教えるも
のではありません。つまり達人は教える相手を注意深く選別するのです。特に達人のめがねにかなって後
継者と看做してもらえたら、全てを無償で伝承されるという大きな幸運に巡り会えることになります。
しかしこのことから次の疑問が生じます。
「後継者として認められなくとも、日本人の先生に就いて技を習う意義は果たしてあるのか」
日本人の先生から習えるものは何か
例え後継者と看做されなくても、日本人の先生からしか習えない貴重なものは沢山有ります。 それを
以下に挙げてみましょう。
1 礼節
武道では礼節は技と同等、もしくはそれ以上に重要視されるものです。例え技が素晴らしい人であっ
ても礼節や礼儀に欠ける人は、日本では武道家として尊敬されることはまず有り得ません。武道家たるも
の、先生には言うに及ばず、同輩や弟子に対しても敬意を持って接するのは当然のことです。試合に臨ん
でもそのことは厳しく要求されます。試合に勝っても、勝者は敗者に対して試合の機会を作ってくれたお
礼の気持ちを、礼節を尽くすことで示さなければなりません。日本の伝統的な格闘技である相撲において
も勝負の終わりで互いに一礼することは、このことを意味しています。
嘗て高校生の剣道試合で一本を取って勝った方がガッツ・ポーズをしたために敗けとされた実例がありま
すが、武道ではお互いに礼節を尽くすことが如何に重要視されるかを示した好例と言えます。
1964 年の東京オリンピックでの柔道無差別級優勝決定戦では、オランダ期待のアントン・ヘーシン
クが日本代表神永 5 段を破って、国際試合では初めての外国人優勝者となりました。ヘーシンクの技が決
まって神永を破った瞬間、喜んで興奮したオランダ人サポータたちが試合場へ駆け寄ろうとしたのを、へ
ーシンクは片手を上げて静止しました。
彼はそれが礼節に反することがわかっていたのです。ヘーシンクは単に試合に勝ったということだけ
でなく、きちんと礼節をわきまえた立派な武道家として、それ以来日本中の武道家から尊敬の目で見られ
ることになりました。
最近起きたことで、一人のモンゴル出身の相撲とりがまったく逆のことをして軽蔑されるにいたった
事件があります。この人は相撲では最高位の横綱にまで上り詰めましたが、不祥事が重なり相撲協会から
引退を強制され、辞めざるを得なくなって引退しました。実際に彼の強さは並外れており、不世出の横綱
として大きな期待と人気を集めていたのですが、とても武道家とは思えない破廉恥な所業が度重なり、そ
れを注意されても自分の人気を頼んで開き直って改める姿勢を見せなかったため、最後はとうとう相撲フ
ァンから愛想を尽かされてしまいました。この時に愛想を尽かされたのは彼一人ではなく、彼の指導者で
ある親方、更に彼の人気を計りに掛けて最後まで処分を躊躇いとおして醜悪さを広げた相撲協会の理事た
ちも同様でしたが、彼らは責められて当然です。
この力士の引退は外国でも興味深く報道されました。彼の出身国モンゴルでは「彼は並外れた実力を
日本人たちに妬まれて辞めさせられた」と報じられましたが、私の住んでいるオランダでも同じような報
道がなされました。同郷出身で横綱となった白鳳関が日本中の相撲ファンから愛され、尊敬されているこ
とを考えれば、そのようなことがあるはずがないことは分かるのと思うのですが、他の感情が絡まってそ
のような偏向報道がなされたのだと思います。
2 口伝により伝えられる奥義
武道、特に一つ一つの技が重要なノウハウからなる柔術では、技は大勢を相手にして行うマス・トレ
ーニングや書き物では満足に伝えられません。従って技の一つ一つは実際に手や腕をとって説明を受け、
体感しながら伝えられるしか教わりようがありません。この方法では、教わるほうは常に神経を研ぎ澄ま
し、ところどころでなされる先生の言葉による説明を聞き逃さないように、常時気持ちを集中する必要が
あります。こうした実際に技をかけながら、要所要所で言葉によってなされる補足説明を口伝と呼びます。
この欧州の地で兼相流柔術を 21 年間に渡ってさまざまな道場、団体で教えてきた私の経験から言え
ば、欧州では柔術の真のノウハウは伝えられていません。昔伝わったのが、その後の指導を受けられなか
ったために断絶したのか、あるいはもともと教わった期間が短すぎて本当の奥義まで教えてもらえなかっ
たのか、いずれにせよ欧州で行われている柔術は、単に写真あるいはビデオで見た技をそのまま動作だけ
真似て行っているとしか思えないレベルです。例を挙げればきりが無いのですが、例えばこちらの大抵の
柔術教室で教えられている腕三角攻め連行(七里曳き)では、捕りは受けの上腕をできる限り奥深く捕え、
受けの体に自身の体を密着させて腕を決めるといったノウハウが無く、捕りは単に受けの上腕を固めるだ
けなので切れのない痛さを与える中途半端な技で終わっています。また合気落としでも合気術自体が理解
できていないので、受けの両肩に背後から両手を置いて力いっぱい引き倒す乱暴な技として此方の柔術道
場では教えられています。力を入れずにただ軽く乗せただけで受けを崩れ落とす本当の技を見せると、道
場の先生も含めて皆信じられないといって驚きます。此方は此方で、何故本当のノウハウがきちんと伝え
られていないのだろうと知って驚くのです。
柔術は非常にデリケートなテクニックを要求します。ほんの僅かでも掴む場所や力を入れる方向が外
れると、相手に与える痛みは切れをなくして不完全なわざとなってしまうのです。
彼らが行って見せて
くれる同じ技を、その本当のノウハウを説明しながら技を掛けてやって見せると、此方の人たちは驚きが
大きくてまるでショックを受けたような状況となってしまいます。あるいはまったく驚かない振りをして
無視を決め込むかのいずれかで、そのほうが多かった気がします。
3 伝統の継承
これこそが日本人の先生からのみ学べる最も重要なことと考えます。伝統はそう簡単に口頭で説明され
たり、書き表せたりするものではないからです。それはさまざまな方法、つまり歩き方、礼のしかた、優
雅な立ち振る舞い、教え方そのものなどで表現されます。それは聞いたり読んだりして学ぶものではなく、
自ら見て触れて感じて会得するものなのです。
そのよい例が武道で云うところの残心(残身)です。柔術の型稽古では最後で常にこの残心を執るこ
とが必須です。これは武道が他の格闘系競技と明確に一線を画す非常に重要な点です。他の格闘競技では、
ゴングがなって試合が終われば完全に終了で、勝者は V サインなどを出して喜びを表します。武道ではそ
れは許されません。われわれは油断を防ぐために残心を執ります。現代の試合では相手を傷つけなない配
慮とルールで戦いますから、勝負がついても相手はぴんぴんしています。つまり油断をすればいつでもた
ちどころに反撃されてしまう恐れがあります。従って武道では、最後の止めを刺して相手を完全に無力化
しない限りは決して気を抜いてはならないことを教えるために残心の構えを取らせるのです。この理念は
日本人以外にはなかなか理解されず、従って外国人の先生は通常生徒に残心を教えません。あるいは教え
られません。
数年前のことですが、ポーランドのワルシャワで日本から高名な先生を迎えて合気道の昇段審査会が
行われました。ポーランド人で非常に技が優れた人が4段位の審査を受けましたが、全ての技は素晴らし
く演舞されたにもかかわらず、ただ一点を指摘されてこの人は日本人の先生から段位を認定されませんで
した。つまり型審査でこの人は一回も残心を執らなかったのです。因みに、ポーランドの合気道道場で残
心をきちんと教えているところは、当時もそして今に至っても私が聞き知る限りでは一つもありません。
欧米の武道家たちは彼らが日本で武道を学んだ際には、間違いなく武道の伝統を感じとったに違いあ
りません。しかし日本を去って自分たちの国に戻り生徒を集めて教える際に、その嘗て自分が体感した伝
統を忘れたか、あるいは人に伝えられるほど深くは会得できなかったためか、それを無視して技のみの指
導になってしまいました。大半の外国人にとって、最も重要なことは物理的な技の上達です。彼らは教わ
るほうもそして教えるほうも、武道の伝統を身に着けることの重要さを理解していません。しかし、武道
の究極の目的でそれなしには技を極めることなど出来ない精神修養は、武道の伝統を全身で受け入れるこ
となしには達成できないのです。
今の段階では、武道の伝統は日本人の先生から習う以外には他に方法はないと私自身は受け止めてい
ます。日本人は長い歴史からこの伝統を DNA として受け継いでいるからです。しかしこれから何世代も
後では、外国人指導者でもきちんと伝統を伝えられる人たちが育っていって欲しいものです。またそうな
るように期待しています。
結論
欧州の一角オランダの地で暮らして早や 21 年が過ぎました。この 21 年間で 4 段以上の現地武道家にこ
れまで 30 人以上出会いました。しかしこの中で武道精神をきちんと確立していると思える人は本の僅か
に過ぎません。特に柔術系では、本当のノウハウを身につけていないにもかかわらずマスター(達人)を
自称する人がほとんどでした。
欧州では柔術を実践する人たちの大半が、日本の団体や組織とのつながりを持っていません。尤も本家
の日本で柔術を教える人は非常に限られていて、日本人ですら柔術を実際に見た人がまれにしかいないの
ですから、欧州に沢山ある柔術組織がつながりを持とうにも持てないのも事実です。日本では柔術を学ぼ
うとする人は少なく、あと 50 年もすれば今かろうじて残っている現存する柔術の流派も半減するのでは
と危惧しています。
ですから欧州の柔術家たちが日本とのつながりも無く自分たちで独自の道を間策しているのを私たちは
責められません。それでもごく少数の柔術家たちは自分たちが継承した日本伝来の柔術の技を出来るかぎ
りオリジナルを大切にして伝承しようと心がけていますが、大半は競技主体の力技を発展させる方向で活
動がなされています。
それは嘗て柔道が歩んだ道に他なりません。柔道は世界中に普及しましたが、その結果競技重視のスポ
ーツと化して、国際化した柔道はもはや武道とは呼べないものとなってしまいました。武道から離れた柔
道ではもはや精神修養は求められず、それを教わるために日本人の先生から習うことも必要でなくなりま
した。 国際競技で優勝する外人柔道選手も増える一方の今日、ただ競技で勝つための柔道を学ぶには、
むしろ外人の先生に就いたほうが早道といえるでしょう。
柔道本家の日本ですら、国際競技で勝ち残るために伝統柔道を世界の新しい柔道に合わせて直していこ
うという傾向が現れてきています。しかしもしそうなれば、柔道はもはや武道と呼べないものになってし
まうことは間違いありません。そもそもの柔道の成立が安全に試合を出来るよう柔術の技を整理統合して
できたとするならば、あるいはそれは歴史的な必然だったのかもしれません。
武道は日本の誇る何百年もの歴史を持つ伝統文化です。268 年も続いた徳川将軍家の時代に、武士は恐
らく生涯で一回もそれを実践に使うことのない武術の鍛錬を毎日熱心に続けました。一回も活用すること
のない技術を毎日鍛錬する武士たちは自らに問いました。
「一体何のために役に立てることの無い武術をこうして毎日鍛錬し続けねばならないのだ」
そして「武術の鍛錬は技の上達だけではなく、より完成された人間を目指すための精神修養の手段とし
て行うのだ」という結論にたどり着きました。まさにこの時点で武術は単なる格闘技から、人間としての
完成のために精神の修養を目指す道の一つ、武道へと昇華したのでした。そしてこの一点で武道は世界に
多々在る他の格闘技から抜きん出た存在となりました。
現時点では、武道精神を真に理解する欧米の武道家の数はごく限られています。従って真に武道精神を
学びたいのであれば、日本人の先生に就くしかありません。これが私の結論です。
平成 22 年 8 月 15 日
合気柔術逆手道宗師
倉部 至誠堂