2.日本での慢性肝疾患,特に肝癌の 疫学的特徴

●ウイルス肝炎!![ I ]わが国におけるウイルス性肝疾患の現状
2.日本での慢性肝疾患,特に肝癌の
疫学的特徴
大島
明*
日本は世界的にみて肝癌の多発地域のひとつである.
2000 年における全国の肝癌と
肝硬変死亡による死亡数は 43,821 人で,慢性肝疾患は,死因として重要な位置を占め
ていた.日本の肝癌の 90% 以上は肝細胞癌であり,肝細胞癌の大部分は B 型肝炎ウイ
ルス(HBV),あるいは C 型肝炎ウイルス(HCV)の持続感染による慢性肝炎,および
肝硬変を発生母地として生じる.肝細胞癌の 80% 弱が HCV 抗体陽性,10% 強が HBs
抗原陽性であるが,年齢別にみると,B 型肝炎の持続感染は 49 歳以下で発症する肝癌
の主な原因であり,C 型肝炎の持続感染は 50 歳以上で発症する肝癌の主な原因であ
る.最近肝癌罹患患者における高齢者の占める割合が急速に高まりつつあるが,これ
は HCV の持続感染者の多い昭和ひとケタ生まれの世代が高齢化する一方で,HCV
の新規感染がほとんどみられなくなったことによると考えられる.
2002 年度から,老人保健事業の基本健康診査の中に HCV 抗体検査が組み込まれ
た.しかし,この検診が肝癌死亡減少という所期の成果をあげるためには,検診の受
診率を高めること,そして検診で単に HCV 感染者を発見するだけでなく,この中のイ
ンターフェロン治療の適応者を同定して確実に治療に結びつけることが必要である.
また,検診受診者における肝癌罹患率・死亡率の測定や,検診対象とした人口集団に
おける肝癌罹患率・死亡率の測定など,検診事業のアウトカム評価のためのモニタリ
ング・システムの整備が必須である.
Characteristics of chronic liver diseases, especially liver cancer in
Japan
AKIRA OSHIMA Department of Cancer Control and Statistics, Osaka Medical Center for Cancer and Cardiovascular Diseases
おおしま・あきら:大阪府立成人
病センター調査部長.昭和41年大
阪大学医学部卒業.昭和42年大阪
府立成人病センター.昭和62年大
阪がん予防検診センター調査部長
兼検診第一部長.平成 8 年現職.
主研究領域/癌の疫学.癌の予防.
*
Key words
慢性肝疾患
肝癌
C型肝炎
B型肝炎
予防
ウイルス肝炎 13
上回った.肝癌と肝硬変を合わせた慢性肝疾
1.死亡統計からみた日本の肝癌の特徴
患は,わが国の死因として重要な位置を占め
ている.
表に 2000 年の全国における主要部位の癌
図 1 には,2000 年の都道府県別肝癌年齢調
死亡数と肝硬変死亡数を性別に示した.肝癌
整死亡率(標準人口:1985 年日本人モデル人
(国際疾病分類第 10 回改定:C22,
肝および
口)を示した.肝癌死亡率は,山梨県,沖縄
肝内胆管の悪性新生物)による死亡数は男性
県を除き,男女ともおおむね西日本で高いこ
23,602 人,女性 10,379 人で,男女合わせると
とがわかる.
33,981 人であり,肺癌,胃癌,大腸癌による
死亡数に次いで多かった.肝癌死亡と肝硬変
(アルコール性を除く)
死亡とを合わせた死亡
数は 43,821 人で,大腸癌死亡数
(35,948 人)
を
2.肝癌と慢性感染
World Cancer Report によると,世界の癌の
表 主要部位の癌および肝硬変による死亡数(全国,2000 年)
男
女
総計
全癌
179,140
116,344
295,484
肺癌
39,053
14,671
53,724
胃癌
32,798
17,852
50,650
大腸癌
19,868
16,080
35,948
肝癌
23,602
10,379
33,981
6,401
3,439
9,840
30,003
13,818
43,821
肝硬変
肝癌+肝硬変
男性
女性
40∼
30∼39
20∼29
∼19
12∼
9∼11
7∼ 8
∼ 6
図1
肝癌の都道府県別年齢調整死亡率
(人口動態統計特殊報告,2000 年,人口 10 万対)
14 第 123 回日本医学会シンポジウム
(%)
100
男(n=2,268)
HBs抗原陽性
HCV抗体陽性
(%)
100
80
80
60
60
40
40
20
20
0
30 35 40 45 50 55 60 65 70 75
∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼
34 39 44 49 54 59 64 69 74
診断時年齢
(歳)
図2
0
女(n=739)
HBs抗原陽性
HCV抗体陽性
30 35 40 45 50 55 60 65 70 75
∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼ ∼
34 39 44 49 54 59 64 69 74
診断時年齢
(歳)
性・年齢別にみた肝細胞癌患者の HBs 抗原と HCV 抗体陽性割合
(1992∼1999 年診断患者,大阪肝炎肝硬変研究会)
30% は喫煙,30% は食事,そして 18% は慢
に,同研究会の調査データに基づき,性・年
性感染が原因であるとされ,慢性感染による
齢 階 級 別 肝 細 胞 癌 の HBs 抗 体 陽 性 割 合 と
主な癌として,ヘリコバクター・ピロリ菌に
HCV 抗原陽性割合を示した.男女とも 49 歳
よる胃癌,ヒト・パピローマウイルスによる
以下では HBs 抗原の陽性割合が HCV 抗体陽
子宮頸癌,肝炎ウイルスによる肝癌が挙げら
性割合を上回っていたが,50∼54 歳でこれが
1)
れ て い る .Cancer Incidence in Five Conti-
逆転し,55 歳以上の年齢階級では HCV 抗体
nents 第 8 巻2)によると,肝癌の罹患率は,日
陽性のものが大部分を占めるようになり,60
本を含むアジアとアフリカに高い地域が多
∼74 歳では 80% を超えていた.B 型肝炎の
く,西欧諸国,米国では低い.肝吸虫による
持続感染は 49 歳以下で発症する肝癌の主な
肝内胆管癌
(胆管細胞癌)
の多いタイ・コンケ
原因であり,C 型肝炎の持続感染は 50 歳以上
ンのような地域を除くと,
肝癌
(大部分は肝細
で発症する肝癌の主な原因であることがわか
胞癌)
の罹患率の差の相当部分は,
一般人口に
る.
おける B 型肝炎ウイルス(HBV)あるいは C
一般人口における HCV 抗体陽性率を世界
型肝炎ウイルス(HCV)のキャリアの有病率
的にみると,日本のほか,エジプトやモンゴ
(prevalence)
の差で説明できる.
ルに高いことが示されている3).エジプトで
日 本 の 肝 癌 の 90% 以 上 は 肝 細 胞 癌 で あ
は,特にナイル川流域で高いが,この原因と
り,肝細胞癌は HBV,あるいは HCV の持続感
してこの流域に流行していた住血吸虫に対す
染による慢性肝炎,および肝硬変を発生母地
る注射治療(Parenteral Antischistosomal Tre-
として生じる.大阪肝炎肝硬変研究会の調査
atment, PAT)における注射器・針の汚染が挙
によると,肝細胞癌の 80% 弱が HCV 抗体陽
げられている4).また,東日本の中で特に山
性,10% 強が HBs 抗原陽性で あ っ た.図 2
梨県で HCV 抗体陽性率と肝癌が高い理由と
ウイルス肝炎 15
男
(人)
25,000
20,000
15,000
75以上
70∼74
65∼69
60∼64
55∼59
45∼54
0∼44歳
75以上
70∼74
65∼69
60∼64
55∼59
45∼54
0∼44歳
20,000
15,000
10,000
10,000
5,000
5,000
0
女
(人)
25,000
1975 1980 1985 1990 1993 1995 1997
0
1975 1980 1985 1990 1993 1995 1997
(資料:厚生労働省がん研究助成金「地域がん登録」研究班協同調査)
図3
肝癌罹患数の性別,年齢階級別推移(全国)
して,この地域に流行していた日本住血吸虫
研究班による全国癌罹患数・率推計の協同調
症の治療における酒石酸ナトリウムアンチモ
査の結果によると,肝癌の罹患数は男では
ニウムの頻回な静脈注射が感染の機会を増や
1975 年の 6,967 人から 1997 年の 24,868 人へ
5)
したものと推定されている .このような例
と 3.6 倍 に 増 加 し,女 性 で は 3,858 人 か ら
から類推すると,世界や日本各地にみられる
10,449 人へと 2.7 倍に増加していた.年齢階
HCV 多発地域の原因は必ずしも細部までは
級別に推移をみると,図 3 に示した通り,
特定できないが,汚染された注射器・針など
1990 年代になって 59 歳以下の年齢階級のも
が感染の機会を増やしたと推定することがで
のでは男女とも減少する一方,65 歳以上の年
きる.また,輸血用血液の HCV 抗体検査導入
齢階級での増加が著しい.
以前には輸血後肝炎が多発していた.大阪赤
大阪府癌登録資料から主要部位の癌年齢調
十字血液センターにおける初回献血者のデー
整罹患率の推移をみると,肝癌は,男性では
タによると,HCV 抗体陽性率は昭和ひとケタ
1995 年ごろピークに達し以降は減少しつつ
生まれの世代で最も高く,より若い出生世代
あり,女性では増加が止まりつつある.図 4
6)
ほど陽性率は低くなっている .輸血用血液
には,生年別,年齢階級別の肝癌罹患率の推
の HCV 抗体のチェック,
ディスポーザブルの
移を示した.男女とも,昭和ひとケタ生まれ
注射器・針の普及により,
最近では感染の機会
のところにピークがあることが認められる.
がほとんどなくなったためと考えられる.
このような最近の変化は,HCV の持続感染者
の多い昭和ひとケタ生まれの世代が高齢化す
3.がん登録資料から見た肝癌の記述疫
学的特徴
厚生労働省がん研究助成金
「地域がん登録」
16 第 123 回日本医学会シンポジウム
る一方で,
最近は HCV の新規感染がほとんど
みられな く な っ た こ と7)に よ る と 考 え ら れ
る.
大阪府癌登録資料から主要部位の癌患者の
1,000
1,000
男
100
95
1∼
05
191
1∼
15
192
1∼
25
193
1∼
35
194
1∼
45
195
1∼
55
出生年
出生年
図4
190
1∼
188
1∼
85
1
189
15
1∼
25
193
1∼
35
194
1∼
45
195
1∼
55
192
05
1∼
191
95
1∼
190
1∼
1∼
85
10
189
188
80∼84歳
75∼79歳
70∼74歳
65∼69歳
60∼64歳
55∼59歳
50∼54歳
45∼49歳
40∼44歳
35∼39歳
100
罹
患
率
︵
人
口
10 10
万
対
︶
1
女
肝癌の性別・年齢階級別・出生年別罹患率の動向(大阪府)
生存率をみると,
生存率によって,
高位グルー
硬変の進展度を確認する,#治療を必要とす
プ(乳房,膀胱,子宮など)
,中位グループ
る例はインターフェロンなどの抗ウイルス
(胃,結腸,直腸など)
,低位グループ
(食道,
薬,
あるいは肝の抗炎症薬を用いて治療する,
肝,胆のう,肺,膵など)
の 3 グループに分か
を提言した.また,2001 年に公表された「新
れ,肝癌は生存率低グループに含まれる.肝
9)
たながん検診手法の有効性評価報告書」
で
癌の 5 年相対生存率は最近少し改善しつつ
は,多くの文献をレビューして,肝癌検診の
あるとはいえ,1993∼1995 年診断患者で 15.7
有効性評価について,超音波を主体とする肝
%にとどまっている.
癌検診については,死亡率減少効果を判定す
る適切な根拠となる研究や報告が現時点では
4.肝癌の予防対策
みられないと判定する一方,肝炎ウイルス
キャリア検査については,キャリアの発見精
49 歳以下の肝癌の原因である B 型肝炎の
度が高く,発見されたキャリアに対する治療
持続感染の予防に関しては,1985 年度から B
介入により,その後の肝癌発生率が低下する
型肝炎母子感染防止事業が行われてきた.問
という相応の根拠がある,と評価した.
題は,50 歳以上の肝癌の主要な原因である C
これらの提言や評価を受けて,2002 年度か
型肝炎対策である.日本肝臓学会は,1999
ら老人保健事業の基本健康診査の中に HCV
8)
年「肝がん白書」
をまとめ,緊急に行うべき
抗体検査と HBs 抗原検査が組み込まれた.
対策として,! 40 歳以上の人の HCV 抗体,
2002 年度には約 183 万人が受診し,約 3 万人
HBs 抗原検 査 を 1 回 は 行 う,"こ れ ら マ ー
が新たに C 型肝炎の感染者と判定された.こ
カーが陽性の場合はウイルス核酸の有無,肝
の検診の受診率が高まり,さらに感染者と判
ウイルス肝炎 17
定されたもののうち,インターフェロン治療
の適応あるものが専門医療機関できちんと治
療を受けることにより,すでに減少しつつあ
る肝癌死亡率の減少速度はさらに速まること
が期待できる.
おわりに
各種の資料により,日本での慢性肝疾患,
特に肝癌の疫学的特徴を述べた.日本は,C
型肝炎を原因とする肝癌の多発国である.こ
years of follow-up in Yamanashi Prefecture , Japan .
Bull WHO 1999 ; 77 : 573―581.
6)Tanaka H, Tsukuma H, Hori Y , et al . : The risk of
hepatitis C virus infection among blood donors in
Osaka, Japan. J Epidemiol 1998 ; 8 : 292―296.
7)Tanaka H, Hiyama T, Tsukuma H, et al. : Prevalence
of second generation antibody to hepatitis C virus
among voluntary blood donors in Osaka, Japan. Cancer Causes Control 1994 ; 5 : 409―413.
8)日本肝臓学会編:肝がん白書.日本肝臓学会,東京,
1999.
9)久道 茂編:新たながん検診手法の有効性評価報告
書.日本公衆衛生協会,東京,2001.
の予防対策は,
欧米先進国にはモデルはなく,
日本自らがモデルを作り上げ,広く対策とし
て実施してその効果を検証する必要がある.
質
2002 年度から開始された HCV 抗体検査によ
疑
応
答
る検診が肝癌死亡減少の成果をあげるために
は,
単に感染者を発見するだけにとどまらず,
座長
(吉澤) ありがとうございました.最
感染者の中のインターフェロン治療適応者を
後に先生がいわれた通りでありまして,日本
同定して,確実に治療に結びつけなければな
の医学は,どちらかというと,明治以来欧米
らない.このためには息の長いフォローアッ
から教えられることばかりでしたが,今回の
プが必要で,感染者本人と医療機関だけでな
肝癌対策について成果をあげることができれ
く,検診実施主体の市町村や保健所の保健師
ば,日本から欧米に,医学の分野で初めて発
によるきめの細かい取り組みが必須である.
信できることになるのではないか,と期待さ
また,肝癌罹患率・死亡率の測定によるアウ
れています.どなたかご質問,あるいはコメ
トカム評価のためのモニタリング・システム
ントがございましたらお願いいたします.
の整備も必須である.このようにして,はじ
稲葉
裕
(順天堂大) 素晴らしいデータを
めて C 型肝炎検診による肝癌予防の成果を
ご提示下さって感謝しております.二つ質問
日本から世界に発信することができる.
があるのですが,一つは山梨県のことに少し
触れられましたが,住血吸虫の治療のために
〔文献〕
1)Stewart BW, Kleihues P(eds.): World Cancer Report.
IARC, Lyon, 2003 ; 56―61.
2)Parkin DM, Whelan SL, Ferlay J, et al.(eds.): Cancer
Incidence in Five Continents. Vol. 8. IARC Scientific
Publications No. 155, IARC, Lyon, 2002.
3)Cohen J : The scientific challenge of hepatitis C. Science 1999 ; 285 : 26―30.
4)Frank C, Mohamed MK, Strikckland GT, et al. : The
role of parenteral antischistosomal therapy in the
spread of hepatitis C virus in Egypt . Lancet 2000 ;
355 : 887―891.
5)Iida F, Iida R, Kamijo H , et al . : Chronic Japanese
schistosomiasis and hepatocellular carcinoma : ten
18 第 123 回日本医学会シンポジウム
静脈注射を頻回に行ったことによって,この
県は C 型肝炎の発生が東日本では著しく高
い県になっているのですが,西日本が高い理
由というのは,やはり頻回の静脈注射による
と考えてよいのでしょうか.
大島
西日本がどうして高いのかについて
は,残念ながら東日本の中の山梨県のような
特異な状況がありませんのでよくわかりませ
ん.ただ大阪府の中でも,たとえば私どもが
調査したある地域は非常に高いのですが,さ
まざまな状況証拠を調べてみますと,やはり
きちんと消毒されていなかった注射器,注射
針に原因があるのではないかと推定されるよ
いただければと思います.
大島
絶対的に必要なものとしてウイルス
うなケースもあります.そのほか,民間医療
を申しましたが,ウイルスのキャリアを追跡
というものがあるのですが,必ずしも稲葉先
した場合,あるいは慢性肝炎という状態から
生がご質問されたことに的確な答えができる
追跡した場合,喫煙している,あるいは飲酒
ほどの情報を私は持っておりません.
をしていると肝癌に進むリスクが高まるとい
稲葉
もう一つは,先生のいままでのご研
うデータを私どもは持っております.生活習
究から,今回は触れられなかったところだと
慣病という定義についてはいろいろあります
思いますが,肝癌が生活習慣病の中に入るか
が,
肝癌も,
禁煙や節酒という生活習慣によっ
ということです.
今のお話の流れからいうと,
て,一定のリスクを低めることはできるとい
ウイルス感染のみによる疾患と考えてしまい
うことはいえると思います.
がちになるのではないかと思いますが,もう
座長
ありがとうございまし た.最 後 の
少しお酒やたばこなどといった生活習慣との
テーマについては,総合討論の場でもう一度
関わりでご存じのことがありましたら教えて
改めてディスカッションしたいと思います.
ウイルス肝炎 19