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ウインドリバー30周年
1981年から、イノベーションの原動力として
テクノロジのほんの表面だけを見れば、
コンピューティングの世界は、PC、
ゲー
ム機、
サーバで構成され、
それがインターネットを活気づけているように見えま
す。
しかし、
その裏の見えないところでは、別の世界が広がっています。
インフラ
ストラクチャを制御するエンベデッドコンピューティング製品と、私たちの生活の
質に刻一刻と影響を及ぼすコンピュータシステムの世界です。
このあまり知ら
れていないコンピューティング分野は、従来のコンピュータ市場さえ小さく見え
るほどの規模を持っています。
この 30 年、
ウインドリバーはエンベデッドコン
ピューティングの先駆者およびリーダーとして、世界中の 10 億を超えるエンベ
デッドコンピューティングデバイスの心臓部となるソフトウェアを提供してきまし
た。
また未来を創る優良企業との協働により、
アイデアを形にして革新的な新
テクノロジを航空宇宙・防衛、
コンシューマ、
インダストリアル、
メディカル、
オー
トモティブ、携帯端末などの市場に提供してきました。
コンピューティングの未来を見極める
ウインドリバーは1981 年に、
ジェリー・フィドラーによってコンサルタント会社と
してカリフォルニア州バークレーのガレージに設立されました。
その年の後半、
フィドラーは、
デビッド・ウィルナーをこの仕事に参加するよう誘いました。2 人と
も以前は、米国エネルギー省のローレンス・バークレー国立研究所のコン
ピュータ科学者として勤務しており、
その経験は、
ウインドリバーに大きな価値と
技術的鍛錬をもたらしました。会社名は、
フィドラーがワイオミング州のウインドリ
バー山脈で過ごした休暇の大切な思い出からとったものです。
このパートナーシップは成功を収め、
フィドラーとウィルナーは1983 年にWind
River Systemsを会社組織にしました。
コインを投げた結果、
フィドラーが最高
経営責任者(CEO)
となり、
ウィルナーは主任エンジニアとなりました。初期の
ウインドリバーのプロジェクトは、
まさに注目に値するものでした。
フランシス・
フォード・コッポラ氏向けのフィルム編集システムや、米国プロフットボールリー
グNFLがデータベースを利用してゲームフィルムに注釈を付けるために使用し
たシステムなどがあります。
ウインドリバーの初期の仕事の多くは、
ミニコンピュータをベースにしたものでし
たが、
フィドラーとウィルナーはマイクロプロセッサの可能性と、
それがやがては
何百万もの優れたエンベデッドシステムへとつながるだろうことに早くから気付
いていました。
レッド・ヘリングが後に書いていますが、
ウインドリバーは
「将来
のコンピューティングは、
デスクトップ PCではなく、
日々の生活で使う無数の家
電製品の中にある」
ことを認識していたのです。
このビジョンを念頭に置いて、
フィドラーはウインドリバーをコンサルタント会社
から製 品 提 供 会 社 へと変えました。会 社 の 最 初 の 成 功は、1987 年 の
VxWorks の発表でした。成長を続けるウインドリバーチームは、
マイクロプロ
マイクロプロセッサの作業にリアルタイムOS(RTOS)
が必要となり、Hunter &
Ready 社の VRTXというROM ベースのカーネルを使用していました。
ところが、
ファイルシステムなど基本的なOS 機能が不足していることに物足りなさを感じた
チームは、VRTX の機能を拡張する付属機能を開発したのです。VxWorksとい
う製品名は、
チームが VRTXを使えるものにしたという事実に基づく遊び心で付
けたものです。
VxWorks の原型は、
ウインドリバーによるVRTX の付属機能の開発を通して作
られました。当初は、統合開発環境(IDE)
として開発されたVxWorksですが、
こ
れは後にエンベデッドアプリケーションにおけるソフトウェア開発の生産性方程
式に大変革をもたらしました。
ムーアの法則がマイクロプロセッサの急速な性能
向上をけん引しているものの、
それに対応する開発ツールの進化と洗練のスピー
ドは大きく後れを取っているという時に、
ウインドリバーチームが VxWorks IDEを
発表し、市場の空白部分を埋めたのです。今日、VxWorksは、
エンベデッド開発
向けリアルタイムOS(RTOS)
の事実上の業界標準になっています。
途方もなく複雑で重要なシステムのなかで、
ソフトウェアが最終的に持つ影響力
については、誰も予測できませんでした。
ウインドリバーのソフトウェアは、後に
NASAの火星探査機(マーズ・パスファインダー)
や火星探査ローバー
(マーズ・
エクスプロレーション・ローバー)、
ボーイング787ドリームライナーのほか、
日々
の生活で使われているデバイスなど、多くのシステムの実現を可能にしました。
「痛みのマトリクス」
ウインドリバーは製品ラインを拡張し、複数のマイクロプロセッサファミリや開発プ
ラットフォームにそのテクノロジを普及させています。
コーディング規則の厳守、同
じ分野の専門家による評価、新出テクノロジへの鋭い洞察力、複雑なものに取
り組む粘り強さ、
シンプルで洗練されたソリューションの理解によって成功がもた
らされました。
ウインドリバーの粘り強さを具体化しているのが、親しみをこめて
「痛みのマトリク
ス」
(Matrix of Pain)
と呼ばれている方法論です。1 つの軸にさまざまな開発ホ
ストデバイスを置き、
もう1 つの軸にはさまざまなプロセッサを置くこの方法論は、
ウインドリバーのサポートの指針となりました。
この拡張を続けるチャートは、新たな
プロジェクトに取りかかる際の意思決定にあたり、新しいエンジニアリングの課題
を常に思い起こさせ、
チームを秩序だったアプローチで導きました。
目の前の課題
に関係なく、
ウインドリバーチームは複雑な問題に対処し、
シンプルで洗練された
ソリューションを提供することに駆り立てられました。
フィドラーが指摘したのは、
ほ
とんどの問題が
「初めは簡単に見える」
ということです。
ところが、取り組んでいくう
ちに、複雑な問題が明らかになり、
それが往々にして、高度に、
また、多くの場合は
不必要に複雑なソリューションになっていくのです。真の能力を持つ者は、
シンプ
ルな結果へと立ち戻れるような統合の因子を見つけ出すまで、忍耐強く取り組
みます。
投資を増やしていき、営業、
マーケティング、
および国際的な足がかりを広げ、新
たな成長市場に進出し、重要な企業買収を行いました。
社内では、
すべての開発プロジェクトでウィルナーが設定した厳密な基準に
従っています。
ウィルナーは、
ウインドリバーの最初の仕事の 1 つとして、
コー
ディング規則のドキュメントを作成しました。
こうしたガイドラインを忠実に守りな
がら、
エンジニアリングチームはそれぞれの作業を開発プロセスと並行してド
キュメント化し、同じ分野の専門家による評価を受けることを求められました。
ま
た、
このコーディング規則によって、
オブジェクト指向プログラミングツールが発
表されるよりかなり前に、
モジュール形式の再利用可能なコードが生まれまし
た。
ウインドリバーの企業買収の多くは、1990 年代後半に行われました。
なかでも最
も重要な買収となったのが、1999 年に行われた、最大の競合相手であった
Integrated Systems Inc.(ISI)の買収でしょう。ISI の買収により、pSOS オペ
レーティングシステムとDiabコンパイラを入手しました。
厳密なアプローチは、
ウインドリバーによる初めてのカーネル開発に伴い、非常
に重要であることが証明され、最終的にVRTXカーネルと入れ替えられました。
後にWindカーネルと呼ばれるものの開発タスクは、
ジョン・フォグリンが責任
者となりました。
フォグリンは、
カリフォルニア大学バークレー校在学中に17 歳
で入社し、
めきめきと頭角を現して20 代の始めにエンジニアリングのトップの
地位に達し、2001 年にはついに最高技術責任者(CTO)
になりました。
ウィルナーは、
ウインドリバーでは大部分を高レベル言語で開発することに当
初からこだわり、当然のことながらC 言語を選択しました。1980 年代当時、
マ
イクロプロセッサに携わる開発者のほとんどはアセンブリ言語を使用していまし
た。
ウィルナーは、賢明にもマイクロプロセッサの処理速度が向上し、
アセンブ
リ言語の性能の優位性はすぐに消失すると主張して、
アセンブリ言語最適化
の使用を控えるよう唱えました。
良き師であるウィルナーとともに仕事を進めながら、
フォグリンは非常に優れたリ
アルタイム性能(エンベデッドシステムでの割り込み処理にかかる時間で測
定)
を持つカーネルを生み出しました。C 言語をベースとするカーネルは、OSイ
ンタフェースを簡素化し、開発者は各自のコードを標準のCライブラリに実装で
きるようになりました。
ウインドリバーは1989 年にそのカーネルを市場に送り出
し、VxWorksリアルタイムOSとなりました。
C 言語に賭けたことにより、
ウインドリバーはサポートできるプロセッサが増え、
そのソフトウェアを提供できる開発ホストも増えるという恩恵にあずかりました。
厳密なアプローチに従って、
チームはプロセッサ固有のコードをモジュール化
し、移植プロセスを簡素化しました。今日に至るまで、
コードの移植と最適化は、
ウインドリバーの大きな強みとなっています。
ウインドリバーはもう1つ、1995 年にTornadoを発表し、業界の流れを変えま
した。
これは、
エンベデッド向けのGUI ベースの完全統合型 IDEです。
この新し
い製 品カテゴリは、
ソフトウェア開 発の生 産 性を大きく向 上させました。
Tornado は、1995 年 に 業 界 誌『EDN』の Embedded Development
Software Innovation of the Yearを受賞しました。
表面をとらえたにすぎない
1999 年の
『EE Times』
のコラムに、
フィドラーは
「これまで、我々は製品や機
器のほんの表面をとらえたにすぎない。
それらは、計り知れないさまざまな理由か
ら今後インターネットに接続されるだろう」
と書いています。
このビジョンの実現
に向けて、会社は成長のために注ぎ込む資本が必要でした。1990 年に初め
てベンチャー基金を受け、1993 年には株式を公開した初めてのエンベデッド
コンピューティング会社となりました。
この資金注入を利用して研究開発への
会社にとって最も大きなパラダイムシフトとなったのは、
オープンソースにチャンス
と価値を見出し、
デュアル OSモデルへの移行を決めたことでしょう。新世紀に
入ったばかりのころ、OS 市場ではLinuxが大きな力を持ちつつありました。
サー
バなどの IT 製品からまず積極的にLinuxを採用し始め、
すぐに広く注目されるよ
うになりました。
ウインドリバーは、2004 年には正式にLinuxを採用し、特にテレコミュニケーショ
ン市場向けに設計されたエンベデッドLinuxプラットフォームを発表しました。
たっ
た1つのコンセプトからLinuxビジネスを立ち上げてから4 年で、
ウインドリバーは
市場シェアで市場収益全体の30% 以上を達成しました。
Linux 採用への動きは、
ウインドリバーのお客様にとっても戦略的に有利となりま
した。VxWorksでは、
メモリフットプリント、性能、
リアルタイム機能などが最適化さ
れています。Linuxは、業界標準ユーザインタフェーステクノロジの利点を生かし、
IT 機能の堅固なサポートを提供します。
実際、
デュアルOSも合わせて定期的に展開されています。
たとえば、多機能プリ
ンタには、用紙にインクを置くノズルの正確な噴射を制御するためにリアルタイム
OS(RTOS)
が必要です。同時に、Linuxは完璧なプラットフォームを提供し、開
発者はそのプラットフォーム上で堅牢なユーザインタフェースを作成し、
ネットワー
ク接続などの機能を追加することができます。
デュアル OSを実現するキーは、
エ
ンベ デッド 仮 想 化 です。
ウインドリバーはこれを、2008 年 に Wind River
Hypervisorと呼ばれる製品により発表しました。
オープンソース採用におけるウインドリバーの成功は、
モバイルコンピューティング
という次なる成功のチャンスに導きました。
ウインドリバーは、Linux 商用化のオリ
ジナルパートナーとしてGoogle 社のオープンハンドセットアライアンスに2007
年に参加し、後にAndroidと呼ばれるものの専門知識を蓄積し、2009 年には
商用 Androidプラットフォームを発表しました。
この Android の提供は、
グローバ
ルなサービスとサポートの組織、幅広いモバイル専門知識、
テスト用フレームワー
クの作成と組み合わせて、
ウインドリバーのモバイルビジネスへの参入を成功へ
と導きました。2011 年までに、
ウインドリバーは20か所以上の開発センターを設
置し、
モバイルのみならず幅広く特殊テクノロジまでカバーしています。
社歴のなかで最大のニュースとなった出来事も、2009 年に起こりました。Intel
社が約 8 億 8,400 万ドルでウインドリバーを買収し、市場に影響を及ぼしたので
す。
ウインドリバーはIntelの完全子会社として運営され、
ソフトウェア・サービス・
グループの一員となっています。
ウインドリバーはこれからも、
エンベデッド開発者
の、
また、新しいところではモバイル開発者の力となるという使命を果たしていきま
す。
マイクロプロセッサとムーアの法則が、
エンベデッド設計チームに小型のプログラ
ム可能なプラットフォームをもたらすことにより、非常に複雑なハードウェア中心の
システムを置き換えられるようになりました。機能、柔軟性、拡張性を追加しなが
ら、
ソフトウェア内の複雑なシステムをチームが理解できるようにするのが、
ウイ
ンドリバーのテクノロジです。
2003 年、
フィドラーは社員あてのメモに次のように書きました。
「センサ、
プロ
セッサ、家電製品、乗物、建築物、電話、
そして、
まだ名前もないデバイスなど、
数千億個ものスマートデバイスが接続された
『つながれた世界』
の構築は、
いま
だ始まってもいない。
これはウインドリバーにとって壮大なチャンスであり、我々
がその世界を導いていくだろう。
そのためにも、懸命に働き、楽しみ、本当に素
晴らしい何かを作り出し、
よりよい世界を作っていこう」
と。
この信念は、今も生き続けています。