2014.10.10 ノーベル平和賞受賞スピーチ(マララさん) ノーベル平和賞の受賞者に選ばれて光栄です。この貴い賞をいた だけて光栄です。初のパキスタン人,初の若い女性,初の若者とし てこの賞の受賞者となれたことを誇りに思います。 インドのカイラシュ・サティアルティさんと受賞することは本当 に幸せです。子供の権利のため,児童労働に反対する彼の素晴らし い活動は私の刺激となります。多くの人々が子供の権利のために働き,私は孤独ではないことを幸 せに思います。彼は本当に賞にふさわしい人で,彼とともに受賞できることは名誉です。 私たち2人のノーベル賞受賞者は,1人がパキスタン,1人がインド出身です。1人がヒンズー 教を信じ,もう1人はイスラム教をあつく信仰しています。これは,パキスタンとインド,異なる 宗教の人々に愛のメッセージとして届きます。私たちは互いに支え合っています。 肌の色,言語,信仰する宗教は問題ではありません。互いに人間として尊重し,尊敬し合うべき です。私たちは子供の権利,女性の権利,あらゆる人権のために闘うべきです。 まず始めに,家族,親愛なる父母の愛情と支援に感謝します。父がいつも言うように,父は私に 特別なものを与えてくれたわけではありません。ただ,父は私の翼を切り落としませんでした。 父が私の翼を切り落とさず,羽ばたかせて夢を達成させてくれたことに感謝しています。女の子 は奴隷になることが当然ではなく,人生を前に進める力があることを世界に示してくれたことにつ いてもです。女性はただの母親,姉や妹,妻であるだけでなく主体性を持ち,認められるべきです。 女の子は男の子と同じ権利を持つのです。たとえ私の弟たちが,私が良く扱われているのに彼らは そうでないと思ったとしても,構わないのです。 受賞を知った経緯について話します。私は化学の授業で電気分解を学んでいました。10時15 分頃だったと思いますが,既に賞の発表は終わっていたし,受賞するとも思っていませんでした。 10時15分になった時,受賞できなかったと確信しました。でもその時,突然女性の先生が教室 に入ってきて私を呼び, 「大事なことを話します」と言いました。そして, 「おめでとう。ノーベル 平和賞の受賞が決まったよ。しかも,子供の権利のために闘っている素晴らしい人と一緒にね」と 言われ,とても驚きました。 感じたことを表現することは時々難しいものですが,私は本当に光栄に感じ,より力強く,勇気 を得た気がしました。なぜならこの賞は,身につけたり部屋に飾ったりするための単なる金属やメ ダルではないからです。私が前に進むため,私自身を信じるため,人々が私の運動を支援してくだ さっていることを知るための,励みとなるのです。私たちは団結しているのです。私たちは皆,全 ての子供が良い教育を受けられることを確実にしたい。だから,この賞は私にとって本当に素晴ら しいものなのです。 でも受賞したことを知った時,学校にこのままいようと決めました。むしろ,学校の時間を最後 まで過ごそうと,物理の授業,英語の授業に出席しました。いつも通りに過ごしました。先生や友 達の反応はとてもうれしかったです。みんな私のことを誇りに思うと言ってくれました。私は学校, 先生,友達の愛や支援に本当に感謝しています。みんなが私を勇気づけ,支援してくれます。私は 本当に幸せです。ノーベル賞が試験に役立つわけではなく,それは私の努力次第なのですが,それ でも,みんなに支えられていることが幸せなのです。 私はこの賞を受賞しますが,これで終わりではありません。これは私が始めた活動の終わりでは なく,まさに始まりなのです。私は全ての子供たちが学校に行くのを見たいです。いまだに570 0万人もの子供たちが教育を受けられず,小学校にすら通えていません。私は全ての子供たちが学 校に行き,教育を受けるのを見たいのです。 なぜなら,私自身がスワート渓谷(パキスタン)にいた時に同じ境遇に苦しんでいたからです。 ご存じの通り,スワートはタリバン(パキスタンの反政府武装勢力「パキスタン・タリバン運動」 =TTP=)の支配下にあり,学校に行くことは誰にも許されていなかったのです。私は,自分の 権利のために立ち上がりました。そして声を上げると言いました。ほかの誰か(が何かをしてくれ るの)を待ったのではないのです。 - 1 - 私には二つの選択肢しかありませんでした。一つは,声を上げずに殺されること。もう一つは, 声を上げて殺されること。 私は後者を選びました。当時はテロがあり,女性は家の外に出ることが許されず,女子教育は完 全に禁止され,人々は殺されていました。当時,私は学校に戻りたかったので声を上げる必要があ りました。私も教育を受けられなかった女の子の一人でした。私は学びたかった。私は学び,将来 の夢をかなえたかった。 私にも普通の子供のように夢がありました。当時私は医者になりたかったのですが,いま私は政 治家になりたいのです。それも,良い政治家に。 私が学校に行けないと聞いた時,私は医者になれないだろう,私はなりたいものに決してなれな いだろうと思いました。私の人生は13歳か14歳で結婚するだけで,学校にも行けず,なりたい ものにもなれないと。だから,声を上げようと決めたのです。 私は,私の経験を通じて,世界中の子供たちに権利のために立ち上がらなければならないと伝え たいのです。ほかのだれかを待つべきではないのです。彼らの声はより力強いのです。彼らは弱く 見えるかもしれないけれど,誰も声を上げない時に声を上げれば,その声はとても大きく,誰もが 耳を傾けざるを得なくなるのです。これは世界中の子供たちへの私からのメッセージです。権利の ために立ち上がらなければならない。 受賞の決まったノーベル平和賞についてですが,ノーベル賞委員会は私だけに与えたのではない と思っています。この賞は声なき声を持つ全ての子供たちのためにあるのです。そしてその声に耳 を傾けなくてはならない。私は彼らのために語り,彼らとともに立ち上がり,彼らの声が届くよう 彼らの運動に加わります。彼らの声を聞かなくてはならない。彼らには権利があります。彼らには 良い教育を受け,児童労働や人身売買に苦しめられない権利があるのです。彼らには幸せな人生を 送る権利があります。だから私はこれら全ての子供たちとともに立ち上がります。この賞はまさに 彼らのためにあり,彼らを勇気づけるのです。 最後に,私が尊敬するカイラシュさんと電話で話したことについてお伝えします。名字を正しく 発音できず,すみません。失礼ですが(名前の)カイラシュさんと呼ばせていただきます。 彼とちょうど電話をしたばかりで,全ての子供が学校へ行き,良い教育を受けることの大切さに ついて話しました。苦しみながらもいまだ知られていない子供たちがいるという問題が,どれほど あるかについてもです。私たちは,全ての子供が良い教育を受け,悩むことのないよう協力して活 動することを決めました。 また,彼がインド出身で,私がパキスタン出身ということもあり,私たちが両国の強い関係を築 こうと決めました。最近,国境が緊張し,状況は望ましいものではなくなりつつあります。私たち はパキスタンとインドが良い関係であることを望みます。緊張状態にあることはとても残念で,私 は本当に悲しいです。なぜなら,両国が対話し,平和について語り合い,前へ進むことや開発につ いて考えることを望んでいるからです。戦いよりも教育や開発,前進について注目することが重要 です。それが,両国にとって良いことなのです。 だから私たちは2人で決めました。カイラシュさんには,尊敬するインドのモディ首相に12月 のノーベル平和賞授賞式への参加をお願いしていただくよう頼みました。私も尊敬するパキスタン のシャリフ首相に出席をお願いすると約束しました。 私からも,両首相に出席をお願いします。私は心から平和,寛容,忍耐の正しさを信じています。 両国の発展には,平和で,良好な関係がとても重要なのです。それを成功させ,前進させていくこ とが重要なのです。耳を傾けていただけますよう,謹んでお願い申し上げます。 最後に,皆様からの支援をいただき,心から幸せと申し上げたいです。私はかつて,ノーベル平 和賞には値しないと言ってきました。今もそう考えています。しかし,これは私がこれまでしてき たことに対する賞というだけでなく,活動を進め,継続する勇気と希望を与えてくれるための激励 なのだと考えています。自分自身を信じるため,そして,私は1人ではなく,何百人,何千人,何 百万人の人たちに支えられているのだと知るためのものなのです。 改めて,みなさんに感謝いたします。 - 2 -
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