「あなたの一歩で優しい社会へ」 さくら清修高等学校 一年 神戸 あかり

「あなたの一歩で優しい社会へ」
さくら清修高等学校
一年 神戸 あかり
「障害のある人や高齢者の人たちに優しい社会」とはどのような社
会なのか。電車で優先席が確保されていたり、目の不自由な人のため
の点字ブロックが置いてあったり、また横断歩道の音楽があったり、
というように、既にある「細やかな配慮が行き渡った社会」なのでは
ないかと思われる。
しかし、そのような設備より先に、私たち自身が自ら考え、行動す
ることによって「障害のある人や高齢者の人たちに優しい社会」を作
ることが大切なのではないだろうか。
なぜなら、私たちが自然に高齢者の人や足腰の不自由な人に席を
譲ることができたなら、優先席などをわざわざ作る必要はないわけ
だし、杖を使って歩いている人や目が見えなくて困っている人に対
して、私たちが自然に手を差しのべられれば、点字ブロックや横断歩
道の音楽の必要はなくなるからである。
では、なぜ優先席や点字ブロック、横断歩道の音楽などが設置され
ているのだろうか。それは、社会が自然な心配りができる人ばかりで
構成されていないためかも知れない。
「日本人は他の国の人から親切な人が多い国だと言われている」と
TV の番組で見たことがある。確かに私の周りにも親切で優しい人は
たくさんいる。だが、相手が自分と関わりのない他人だとすると、歩
み寄る勇気の大きさはだいぶ違ってくるのではないだろうか。
私も実際に同様の経験をしたことがある。部活動の帰り道、駅の階
段で大きな荷物を持った、足の不自由なおばあさんが一段一段ゆっ
くりと階段を下りていた。だが、私はその人に声をかけ、歩み寄り、
手を貸すことができなかった。
「大丈夫ですか?」のたった一言を言
う勇気が出せなかったのである。私はおばあさんが無事に階段を下
りることを見届けることしかできなかった。その時、ほんの少しの勇
気も出せなかった自分がとても悔しかった。
世の中にはこのように、心の中で思っていても実際には行動に移
せないという人がたくさんいるのではないだろうか。私自身も含め、
勇気を出すことが難しい人が当たり前のように声をかけ、手を差し
のべることができるような社会を作ることは可能なのだろうか。き
っと、このような社会を完璧に作ることは不可能だろうし、どうした
らいいのかと言われたら「自分たちが変わらなくてはならない」とし
か言いようがない。
だが、そのことを真剣に考え、実行に移したいと考えているうちに、
一歩ずつ実行に近づくことができるのではないかと私には思える。
なぜならそのような人はさらに一歩進んで実行に移せた人に対して、
うらやむ気持ちよりも「自分も行動に移そう」という気持ちの方をも
つと思うからである。そして、私たちが少しずつ前に進むならば「障
害のある人たちに優しい社会」に近づけるのではないだろうか。
まずは自分が考えよう、そして一歩進んでみよう。そうすればきっ
と、実行することは難しくなくなるし、自然に思いやりのある行動が
とれる。そして、優しい社会の実現に近づいていくと私は考える。少
子高齢化社会の先端を行く日本に住んでいるのだからなおさら、互
いに助け合いながら生活をしていく努力をしたい。
このような努力により、いつかは障害のある人や高齢者の人だけ
でなく家族や友人達そして周囲の人すべてに優しい社会を作ってい
きたい。