panel 共通_00 想いおこす 三六災害 三六災害50年 リレー式パネル展示 み ぞ う さんじ ■今年は、未曾有の惨事を伊那谷にもたらした三六災害から むか 50年の節目を迎えます。近年は、災害に対する危機意識が うす けねん ともすると薄れ、地域の防災力の低下が懸念されています。 ■そこで、地域の防災力向上をはかるためには、当時の災 害の様子や災害を体験された方の教訓を後世に伝えていく きかく ことが重要と考え、このパネル展を企画しました。 ■身近な場所の災害の様子を知り、いざ災害が起こった時に 備え、私たちは何をすればよいのかを考えるきっかけにし ていただければと思います。 パネル構成 がいよう ①三六災害の概要 か しょ しょうかい ②災害発生箇所の写真紹介(当時と現在) ③災害を体験された方の体験談 ④まとめ「いざという時のために」 本日は、ご覧いただきありがとうございます。 三六災害50年実行委員会 panel 共通_01 想いおこす 三六災害50年 ご う う 昭和36 (1961) 年6月梅雨前線豪雨 三六災害とは しょうとく ひつじ まんすい 昭和36年6月に発生した三六災害は、江戸時代・正徳5(1715)年の「未の満水」 以来の大きな水害・土砂災害であった。梅雨末期の豪雨が直接の原因だったが、高 い山々に囲まれ気象条件によっては大雨になることや、風化すると砂状になりやすい カコウ岩が広く分布し、断層が多い地域であることも、発生の要因となった。流域では、 土砂災害や河川の氾濫が各所で起き、人や家屋への被害が多く発生した。 どしゃ きしょうじょうけん だんそう りゅういき はんらん ひ が い ごうう はんらん 集中豪雨 河川の氾濫 台風の接近と梅雨前線の 停滞により、飯田測候所 では総雨量 577.8 mm※ を記録した。1週間で 1年間の 3 割を超え る「豪雨」 となった。 土石流などにより運ばれた大量の土 砂によって、天竜川は埋まっていき、 川底が高くなった。川路などでは土 砂と同時に大量の洪水が流れ込ん だため、たちまち堤防より高くまで 水位が上がり、多くの家屋が濁流に 浸かった。 どせきりゅう て いたい う かわじ こうずい こ こ ていぼう だくりゅう つ ※6月23日から7月1日 までの9日間の日雨 量の合計 水に浸かった川路小学校(飯田市川路) 明神橋 天竜川 昭和36年梅雨前線豪雨 連続降雨量分布図 (単位/mm) 6月23日~ 30日 どしゃ 土砂災害 だんそう 伊那谷には中央構造線などの断層が多く走り、さらに風化しや すいカコウ岩などの岩石からなる急しゅんな山々が連なってい る。そこに記録的な雨が降り山の斜面が崩れ、土石流やがけ 崩れが各地で発生し、大きな被害がもたらされた。 し ゃめん くず あじま 氾濫した天竜川の様子(飯田市の阿島橋上空から上流を望む) 伊那谷の被害 ぜん か い りゅ う しつ 三六災害での上・下伊那郡の死者・行方不明者は130名、家屋の全壊・流失・ 半壊は約1,500戸となり、このほとんどが土砂災害によるものであった。 はんかい 人的被害 (人) 1,000 500 1,012 ■上伊那郡 ■下伊那郡 家屋被害 (戸) 10,000 10,986 ■上伊那郡 ■下伊那郡 103 100 鹿塩川 北川分校 1,500 1,276 77 80 60 1,000 40 31 24 23 20 6 0 死者 行方不明 土石流に埋まった集落(大鹿村北川) 520 439 500 263 9 重傷 77 軽傷 0 全壊戸数 115 85 流失戸数 半壊戸数 浸水戸数 資料:「語り継ぐ災害の記録」 三六災害50年実行委員会 panel B1_02 想いおこす 三六災害50年 ていぼう けっかい だくりゅう 天竜川の堤防が決壊し、 濁流があふれた 上伊那地域 とくちょう 災害の特徴 つめあと 三六災害は、上伊那地域では支川沿いを中心に大きな災害の爪跡を残した。三峰 川上流や新宮川で土石流が発生し、家屋や発電所が倒壊し、また、河川の氾濫に よって森林鉄道も流失した。天竜川本川では三六災害の被害は少なかったが、平 成18年災害では天竜川本川の各地の水位観測所で警戒水位を超え、箕輪町松島 北島地区では堤防が100m以上にわたって決壊するなど、大きな被害が生じた。 どせきりゅう とうかい りゅうしつ はんらん ひがい けいかい こ 平成18年災害 本川 の災害 平成18年災害 岡谷市 松島北島 支川 諏訪湖 飯沼川 の災害 沢底川 横川川 茅野市 諏訪市 沢底川 辰野町 原村 箕輪町 南箕輪村 伊那市 南箕輪村 山室川 三峰川 黒川 けいかい こ 天 各地の水位観測所で警戒水位を超え、 伊那市、 ひ な ん か ん こく 箕輪町、南箕輪村では約3,160世帯に避難勧告 ていぼう が発令された。箕輪町松島北島地区では、堤防 けっか い が100m以上にわたって決壊した。 宮田村 太田 黒川 竜 切川 新宮川 駒ヶ根市 支川 の災害 新宮川 飯島町 与田切川 中川村 松川町 高森町 寺沢川 小 渋 川 三峰川上流 鹿塩川 の災害 三六災害 川 三六災害 竜東 天竜川本川だけでなく辰野町を中心に支川の各所 どせきりゅう ひがい で被害が続発した。沢底川や雨沢川では土石流が くず 発生したほか、小野中村ではがけ崩れが発生し、 うば お 家屋や車が押し流され、2名の命が奪われた。 大鹿村 三六災害 支川 の災害 どしゃ 上流でがけ崩れが約390か所で発生し、 土砂が こ 新宮川に一気に流れ込んだ。 そのため、死者5 およ 名、被災人員558名に及ぶ人的被害となり、 家屋 と うかい りゅうしゅつ や発電所の倒壊、橋の流出など建物にも被害 が生じた。 三六災害 支川 の災害 平成18年災害 太田切川 三峰川下流 上流にある美和ダム から毎秒700トン以上 の水が放 流された。 下流では堤防が一部 み 決壊し、 伊 那 市の美 すず つ 篶地区が水に浸かっ た。しかし、ダムにより 土砂や流木がくい止 められた ため、上 流 ほど大きな被害は生 じなかった。 しゃめん こもた て さわ 本川 斜面が崩れやすく土砂災害が発 生しやすい場所であるため、人 の居住は限られていた。そのた め、三六災害時の被害はほとん ど報告されていない。平成18年 ごうう の豪雨災害時は、上流で斜面が 崩れ、道路の通行や発電所に被 害が生じた。 こま んどうさわ 菰立沢や熊堂沢で土石流が発生し、 戸草や市野瀬の集落に大きな被害が だく もたらされた。市野瀬では、県道を濁 りゅう は んか い ゆか した しんす い 流が流れ、家屋半壊1戸、床下浸水5 戸などの被害が生じたほか、伊那里 小学校の校庭には、 1m余りの土砂が たいせき はんらん 堆積した。戸草では、河川の氾濫で家 りゅうしつ 屋全4戸や森林鉄道が流失した。 の災害 支川 の災害 竜東 の災害 各支川から発生した土砂が本川に集中し、 土砂の堆積の上に 洪水が重なる状態になりやすい。 多 が 化 多くが風化しやすいカコウ岩や中央構造線沿いのもろい場所に す 岩 中央構造線沿 も 場所 位置しているため、 大量の土砂が生産されやすい。 風化して砂状になりやすいカコウ岩で土地ができ、 風化が地中 まで達しているため、 崩れやすい。 三六災害50年実行委員会 panel B1(共通)_03 想いおこす 三六災害50年 くず どし ゃ の こ 崩れ落ちる土砂と風圧が集落を呑み込んだ! 山ごと崩れた大西山 駒ヶ根市 ご う う しゃめん だ い ほ う ら く き ぼ はば 三峰川 中川村 はい しもい ち ば は か い 鹿塩川 昭和36年6月29日朝9時過ぎ、降り続いた豪雨により大鹿村大西 山の斜面が大崩落した。崩落の規模は高さ約450m、幅約500mに 3 わたり、その土砂量は約320万m(東京ドーム2.5杯分) であった。 崩れ落ちた土砂は、一気にふもとの下市場、文満などの集落を呑 み込み、 39戸の家屋が破壊され、42名の命が一瞬で奪われた。 天 竜 川 伊那市 大花沢 大鹿村 ぶんまん いっしゅん 塩川 大西山 小渋橋 うば 豊丘村 青木川 当 時 小渋川 喬木村 飯田市 大西山 現在(平成23年) 青木川 小渋川 小渋橋 崩れ落ちた土砂 ↓ 小渋川 当 時 当 時 ●大鹿村落合地区上空より大西山崩壊地を望む 当 時 ヘリコプターの 出動による 救援活動の 開始 現在(平成23年) ●小渋橋周辺で復旧活動する人々 大西山崩壊地の対岸へ押し流された家屋 埋まったトラックの荷台に乗り捜索作業する人々 小渋川へ大量の土砂を押し出した大西山 三六災害50年実行委員会 崩落時の風圧により破壊された大鹿小学校の体育館 panel B1(共通)_04 想いおこす 三六災害50年 の どせきりゅう こ 土石流が集落ごと呑み込む!集団移住へ 集落の歴史を閉ざされた四徳 新宮川 さわ ね に 飯島町 与田切川 うば 四徳鉱泉 中川村 ひ さ い 小渋川 松川町 寺沢川 間沢川 現在(平成23年) ↑ 四徳分校跡 四徳川 提供:信濃毎日新聞社 当 時 当 時 ●四徳川上空から被 ●四徳川上空から被災地中心部を望む 被災地中心部を望む 当 時 自衛隊ヘリコプターの出動による救援活動 現在(平成23年) 提供:中川村教育委員会 ●土石流が流れ下った四徳鉱泉周辺の惨状 土石流により 押し流された バス 提供:中川村教育委員会 当 時 現在(平成23年) 提供:中川村教育委員会 破壊され 傾いた 農協支所 提供:中川村教育委員会 ●土砂で埋まった四徳分校 三六災害50年実行委員会 提供:中川村教育委員会 四徳分校 大鹿村 当 時 四徳分校 鹿塩川 天 竜 川 か い ち ゅう 四徳川 降り続く雨は小さな沢の水位を10m以上押しあげ、いたるところで 土石流を発生させた。土石流は5mもの岩を押し流すほどであっ た。人々は尾根をはうようにして逃げ、懐中電灯で自分の居場所を 必死に知らせ合った。しかし、7名の命が奪われ、84戸あった住宅 のうち61戸が被災したため、集団移住をすることになり、700年と もいわれる村の歴史は幕を閉じることとなった。 お 駒ヶ根市 お panel B1(共通)_05 想いおこす 三六災害50年 にご すいぼつ 濁った水が屋根まで! 駅や小学校も水没した ど ろ か わ じ た つ え た つ お か 泥の海と化した川路・龍江・竜丘 く め だくりゅう 飯田市の川路・龍江・竜丘地区は、 天竜川や久米川からの濁流で水 没し、江戸時代の大洪水である「未の満水」さながらの状態となっ た。濁水は住宅の2階まで達し、全半壊、床上・床下浸水などが相 次いだ。川路駅も屋根まで水没し、川路小学校は2階の窓まで水に 浸かった。 当時、 日本三大桑園といわれた広大な桑畑も消滅した。 え ど こうずい ひ つじ だくすい ゆかうえ そうえん ゆかした しんすい くわばたけ 松川町 田 沢川 大島 王 川 野 竜 まんすい ぜんはんかい つ 高森町 寺 底 川 川 飯 田 松川 久米川 しょうめつ かわじ 川路 阿智村 阿知川 喬木村 天 竜 川 飯田市 泰阜村 久米川 現在(平成23年) 久米川 ↓ ↑ 旧川路駅 ↑ 旧川路小学校 ↑ 川路駅 天竜川 ↑ かわらんべ 天龍峡 提供:信濃毎日新聞社 当 時 当 時 かわじ 大量の土砂が 流れ下った 川路の街 た つえ た つおか ●天龍峡上空より川路・龍江・竜丘方向を望む 当 時 現在(平成23年) 濁流がすぐ そばまで達した 天龍橋 ●2階の窓まで水に浸かった川路小学校 当 時 ●洪水により決壊した時又の堤防 土砂で埋め尽くされた川路駅前付近 提供:飯田市立図書館 三六災害50年実行委員会 現在(平成23年) 間沢川 豊丘村 加々 須 川 下條村 当 時 寺沢川 panel B1_06 想いおこす 三六災害50年 どせきりゅう おそ 河岸はえぐられ、 裏山からは土石流が襲う! て い ぼ う け っ か い 堤防が決壊した天竜川 平成18年災害 岡谷市 ご う う たお こ しゃりょう 諏訪湖 小野中村 飯沼川 辰野町 徳本水 赤羽中山 箕輪町 うば 南箕輪村 松島北島 当 時 伊那市 どせきりゅう 現在(平成19年) 決壊箇所 ↓ かわじ ← 送電線鉄塔 北島護岸 当 時 当 時 ●天竜川上空より松島北島周辺を望む 当 時 現在(平成23年) 土砂に呑み 込まれた車 (辰野町 小野中村) 提供:辰野町 土石流の 直撃を 受けた家屋 (辰野町 赤羽中山) とくほんすい 提供:辰野町 ●横川川の決壊で寸断された道路(辰野町徳本水) 当 時 現在(平成23年) 提供:辰野町 提供:辰野町 ●土石流の直撃に見舞われた家屋(辰野町小野中村) 飯沼川付近で復旧作業にあたる人々(辰野町内) 提供:辰野町 三六災害50年実行委員会 天 竜 南箕輪村 天竜川 諏訪市 とく と く ほん ほ ん すい 横川川 沢底川 平成18年7月の豪雨により増水した天竜川では、箕輪町の松島北 島地区の堤防が100m以上にわたって決壊した。また、各地で道路 路 が寸断されたほか、辰野町の沢底川などの支川では土石流が発 生し、山林の立木をなぎ倒し、巻き込みながら住宅地に達し、上伊 那地域で3名の人命と家屋・車輌などの財産が奪われた。 川 伊那市 三峰川 panel B1_07 想いおこす 三六災害50年 どしゃ お 土砂が、家、道路、森林鉄道を押し流した 景色が一変した三峰川上流 し び ら けんちょ はんらん ど しゃ くず 山室川の芝平地区では地すべりが顕著となり、 河川の氾濫や土砂崩 崩 れもいたるところで発生した。道路も流れ、土砂は家の中に流れ込 込 み、子供が亡くなった。三峰川上流の戸草地区では、河川の氾濫で で 家屋全4戸や森林鉄道が流失し、奥浦地区では地すべりで多くの家 家 屋が被災した。被害の大きかった奥浦、戸草などの地区は、集団移 移 住をよぎなくされた。 また、芝平地区もその後、集団移住した。 諏訪市 辰野町 茅野市 こ りゅうしつ ひ さ い 箕輪町 しびら 芝平 山室川 三峰川 おくうら 伊那市 天 ひ が い 宮田村 太田切川 駒ヶ根市 竜 市野瀬 新宮川 杉島 こまんどうさわ 川 熊堂沢 熊堂沢 大鹿村 現在(平成23年) こま んどうさわ ●大量の土砂を出した熊堂沢 (伊那市長谷市野瀬) 引用: 「災害復旧の記録」 当 時 当 時 現在(平成23年) 建物と森林鉄道が流失した集落 (伊那市長谷戸草)提供:伊那市 土石流が 流入した 長谷村 中心部 (伊那市長谷 市野瀬) 鹿塩川 当 時 ●水田が流失し家屋が 土砂で埋まった集落 (伊那市長谷杉島) 引用: 「濁流のあと」 提供:伊那市 当 時 現在(平成23年) 三峰川橋 ●濁流と化した三峰川 (伊那市長谷中尾) 土砂に埋まった倉庫と水田(伊那市長谷内)引用:「目で見る 上伊那の百年」 三六災害50年実行委員会 提供:伊那市 三峰川 奥浦 中川村 戸草 panel B1_08 想いおこす 三六災害50年 だくすい 三峰川の濁水が竜東の低地にあふれた の こ 田園が呑み込まれた三峰川下流 諏訪市 辰野町 長く降り続いた雨により、三峰川を流れる川の水が増え続け、昭 和36年6月28日の明け方には美和ダムが満水となった。この時の 美和ダムの放流量は、現在も過去最大の放流量として記録されて いる。三峰川の下流部では、天竜川との合流点付近を中心に堤防 が一部で決壊し、家屋の浸水などの被害がもたらされた。 茅野市 箕輪町 まんすい ていぼう けっかい しんすい ひがい とみがた 殿島橋 富県 天 伊那市 宮田村 太田切川 駒ヶ根市 竜 新宮川 三峰川 川 中川村 当 時 美和ダム 鹿塩川 当 時 山室川 下新田 三峰川 大鹿村 伊那市街 三峰川 はるち か 浸水に見舞われた殿島橋付近の家屋(伊那市東春近) と みがた ●伊那市富県上空より三峰川を望む 当 時 美和ダムからはき出された濁水 (伊那市長谷) 引用:「濁流のあと」 当 時 三峰川 ●濁流となって天竜川に流れ込む三峰川 (伊那市下新田) ●一面冠水した殿島橋周辺 (伊那市東春近) 現在(平成23年) 現在 (平成23年) 三六災害50年実行委員会 panel B1_09 想いおこす 三六災害50年 どしゃ くず だ げ き 土砂崩れが地元産業・ライフラインに打撃 う 谷が埋まった太田切川上流黒川 三六災害 平成18年災害 だ くり ゅう 三六災害時には、太田切川の護岸が濁流により破損した。また、 平成18年には、7月の豪雨により太田切川支川の黒川で斜面崩壊 が発生した。崩れ落ちた土砂や立木は発電所を埋没させ、電力供 給に被害を与えた。また、中央アルプス駒ヶ岳へと通ずる山岳道 路は陥没や冠水などの被害を受け、最盛期の観光客や登山客の 利用に影響した。 ご う う まいぼつ ひ が い かんぼつ 三峰川 しゃめんほうかい あた 伊那市 宮田村 黒川 さんがく 太田 黒川 天 切川 かんすい 新宮川 駒ヶ根市 竜 えいきょう 与田切川 鹿塩川 飯島町 川 中川村 当時 (昭和36年) 松川町 大鹿村 小 渋 川 現在(平成23年) ●三六災害で破損した 太田切川左岸の護岸 当時 (平成18年) 現在(平成23年) 当時(平成18年) ●川の水があふれ道路を破壊した黒川 (宮田村新田) 現在(平成23年) 当時 (平成18年) 現在(平成23年) ●立木もろとも一挙に崩れた斜面崩壊 (宮田村新田) ●道路が川のようになった黒川(宮田村新田) 三六災害50年実行委員会 panel B1_10 想いおこす 三六災害50年 じ ひ び どしゃ お 地響きとともに土砂が田畑と家々を押し流す ど せ き り ゅ う お そ 土石流が集落を襲った新宮川 伊那市 くず こ りゅうしつ 黒川 宮田村 太田 しんがし 切川 新宮川合流点 駒ヶ根市 ひ さ い 飯島町 新宮川岸 与田切川 天 竜 新宮川 落合 川 鹿塩川 駒ヶ根市中沢地区の新宮川流域では、約390か所でがけ崩れが 発生した。川底の土砂を巻き込み成長した土石流は、新宮川を一 気に下り、両岸にあった谷田が完全に失われたほか、立木を押し 流し、新宮川橋を流失させた。その結果、この流域だけで死者5 名、被災家屋119戸、被災人員558名にのぼる災害となった。 三峰川 中川村 当 時 松川町 大鹿村 小渋川 現在(平成23年) 新宮川 天竜大橋 天竜大橋 ↑ かっぱ館 新宮川 天竜川 ← 水辺の楽校 当 時 当 時 ●天竜川上空より新宮川合流点を下流方向から望む 当 時 現在(平成23年) ↓ 天竜 天竜川 し ん が し 土砂に埋まった家々 に埋まった家 (駒ヶ根市中沢新宮川岸)引用:「災害復旧の記録」 に埋まった家々 決壊した 天竜川との 合流点付近 の堤防 (駒ヶ根市中沢) 引用:「わたしたちの暮らしと伊那谷」 ●新宮川橋が流された天竜川合流点付近(駒ヶ根市中沢新宮川岸) 当 時 現在(平成23年) 新宮川 提供:伊那谷総合治山事業所 ●河岸を削って流れる新宮川(駒ヶ根市中沢落合) 陸上自衛隊の道路応急工事(新宮川上流) 引用:「災害復旧の記録」 三六災害50年実行委員会 panel B1_11 想いおこす 三六災害50年 三六災害から50年を経て見つめ直す 後世に伝えたい体験や思い どしゃ これから先、自分の身に降りかかるかもしれない土砂災害・水害に備えて、私た ちはどのようにして自分の命を守り、災害発生後の地域復興を進めていけばよい のであろうか。災害を体験された方々の言葉には、そのためのヒントがたくさん 詰まっている。災害に対する備えとして、災害体験談が皆様のお役に立つことを 強く願う。 つ みなさま おそ ■災害が発生して、 どんなところに恐ろしさを感じましたか? だれ おく さけ いっしゅん せいざいしょ 誰かが奥で 「大水がくるぞ~!」 と叫ぶ声がした。 その後一瞬にして、 製材所も4~5mもある 材木も一気に大水で流されてしまった。 マッチ棒を水の中に流したようだった。 ■災害当時の一番印象に残っている光景は? 三峰川の上流から大水とともに流されてきたものが、 すべて美和ダムのダム湖の中に貯まってし まって、 あまりにもその量が多かったために、 その上を人が歩いて渡れるくらいだった。 わた 伊那市長谷杉島で災害を 体験された ■災害発生後、 つらかったこと、 苦労されたこと、不安だったことは? さわ どしゃ 沢の近くにあった自宅が土砂 で流されてしまった。 本当に 大きな災害だったし、 村は大 きな借金をして経済再建をし た。 国にいちいちお伺いをた てな けれ ばなら な かったし、 苦しい思いをしたと思う。 佐藤 八十一さん 三六災害当時33歳。 災害時は自分の家を守る のが精一杯で、周辺の戸 草や市野瀬の被害状況 は、災害後しばらく経って から知るに及んだ。 うかが ひがい およ 土砂で埋まった杉島(伊那市長谷杉島) 引用: 「濁流のあと」 協力:伊那ケーブルテレビジョン ■災害当時の印象に残っている光景は? てっ ぽ う みず 川の対岸が鉄砲水でどんどん流れて、 みるみるうちに河原になってしまった。 今まで慣れ親し んだ風景が一変してしまった。 炭の集積場や蚕糸場などの建物があったが、 全て流れて瓦礫 の山になった光景を見て、 子供心に大変な水害だと実感した。 さんし がれき あ ■災害に遭われた時、 どのようなお気持ちでしたか? い っ けん や ことう 自宅は流されなかったが、 一軒家だったので陸の孤島のようになってしまった。 2日後だったと 思うが、 自衛隊と思われる方々とか、 叔父が食料を持って濁流を渡ってきてくれた時は、 本 当にありがたいと思った。 お じ だくりゅう 木下 朝雄さん ■災害発生後、 つらかったこと、 苦労されたこと、 不安だったことは? 夜中に大雨が降ったりすると、 また水害が起きるのではないか と、 被災後1~2年間は目が覚めてしまうというトラウマのよ うな症状がずっと続いた記憶がある。 50年経っても、 もう二 度と川のそばには住みたくないというのが偽らざる心境です。 ひさい しょ う じょ う 駒ヶ根市中沢落合で災害を 体験された 三六災害当時10歳。 夜の8~9時頃に自宅にい て被災。家の中に濁流が 押し寄せてきて、2階建て の物置に家族全員で避 難し、一晩を過ごした。 お きおく ひ いつわ さるさわ 土石流の流れた新宮川上流の沢(駒ヶ根市中沢猿沢) 提供:伊那谷総合治山事務所 三六災害50年実行委員会 なん panel B1(共通)_12 想いおこす 三六災害50年 どしゃ 水害・土砂災害に備えて 「いざ」 という時のために 私たちが住んでいる伊那谷は、昔から三六災害をはじめ水害や土砂災害が多いところで す。いざ災害が発生した時、被害の軽重や生死を分けるのは、どれだけ正確な知識を持 ち、冷静に行動できるかにかかっています。それには、大人から子供まで、一人ひとりが「自 分たちの命や街は自分たちで守る」ことができるよう、日頃から備えておくことが大切です。 ひがい けいじゅう ひごろ どしゃ 水害・土砂災害が起きた時、あなたはどのように行動しますか? ひな ん 個人 ●自分が避難する場所や、そこへたどり着くまでの安全なルートを 思い浮かべることができますか? 地域 ●となり近所に住む人と普段からやりとりはありますか? 協力し、 助け合うことはできますか? う ふだん いざ、水害・土砂災害が起きたら… に 個人 自分や家族の命は自分で守る そのために 地域 自分の地域は自分で守る そのために 「逃げる」! みんなで 「助け合う」! まずは 「いざ」という時に備えて ★考えるだけでなく、体験して実感することが大切です。 ●考えるだけでなく五感をはたらかせて得た経験は、 よく身につきます。 体験・実感 あ することで… ●実際に災害に遭った時、 素早く冷静に行動できます。 STEP.1 個人 一人ひとりが災害への危機意識を持ちましょう。 例えば… ●災害伝承座談会や現地見学会へ参加してみませんか? ●災害DVDの視聴をしてみませんか? しちょう ひごろ STEP.2 地域 日頃からとなり近所の人たちと助け合う関係をつくりましょう。 例えば… ●集落での防災マップづくりに参加してみませんか? ●防災訓練へ参加してみませんか? 三六災害50年実行委員会 信州大学名誉教授 北澤秋司 / 林野庁 南信森林管理署 / 林野庁 伊那谷総合治山事業所 / 気象庁 長野地方気象台 / 国土交通省 天竜川上流河川事務所 / 国土交通省 三峰川総合開発工事事務所 / 国土交通省 飯田国道事務所 / 国土交通省 天竜川ダム統合管理事務所 長野県 上伊那地方事務所 / 長野県 下伊那地方事務所 / 長野県 伊那建設事務所 / 長野県 飯田建設事務所 / 長野県 下伊那南部建設事務所 / 飯田市 / 伊那市 / 駒ヶ根市 / 上伊那広域連合(※1 )/ 南信州広域連合(※2)/ 下伊那郡町村会 / 下伊那土木振興会 ※1. 上伊那広域連合 - 伊那市、駒ヶ根市、 辰野町、箕輪町、 飯島町、 南箕輪村、 中川村、 宮田村 ※2. 南信州広域連合 - 飯田市、松川町、 高森町、阿南町、 阿智村、平谷村、根羽村、 下條村、売木村、天龍村、泰阜村、 喬木村、豊丘村、 大鹿村 [ 協 賛 ] 新建新聞社 / 特定非営利活動法人天竜川ゆめ会議 / 秋葉街道信遠ネットワーク /(社)中部建設協会 / 長野県砂防ボランティア協会 /(社)長野県建設業協会 飯田支部 / 一般社団法人長野県南部防災対策協議会 / 長野県測量設計業協会 南信支部 /(株)チャンネル・ユー [ 後 援 ] SBC信越放送 / NBS長野放送 / TSBテレビ信州 / 長野朝日放送 / 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幅約500m、 高さ約450m、 厚さ約15mにわたっ くず お どしゃ て大きく崩れた。 風圧と押し寄せる土砂によっ ぜん は んか い うば て、39戸が全半壊し、 42名の命が奪われた。 三六災害 竜東 の災害 生 田 どせきりゅう 福沢 寺沢川 川 高森町 塩川 田 沢 川 間沢川 大 島 王 川 野 竜 底 寺 川 川 飯田松川 久米川 大鹿村 豊丘村 三六災害 小渋川 加 々 須 川 かしお 支川 青木川 く 各所で土砂崩れが発生し、土石流が繰り返し おそ 集落を襲った。その結果、7名が死亡、61戸が ひさい 被災した。災害前は84戸434名が生活してい たが、集団移住をよぎなくされた。 の災害 鹿塩川 喬木村 天 竜 川 三六災害 ひっそり 本川 の災害 日曽利 ごうう 提供:中日新聞社 風化したカコウ岩のマサ土が広く分布し、大雨に ひがい よっていたるところで斜面が崩れ落ちた。被害は およ 全域に及び、谷沿いの水田は土石流で流れ、間 沢川や寺沢川、福沢川の下流では大きな被害が 出た。 引用: 「飯島町の百年」 天竜川沿いにあった田畑は、 川の水があふれて一面が河原状態となった。また、 みなみがさわ 高台にあった集落でも、南ヶ沢などから出た土石流による被害を受け、死者1名、 ゆかうえしんすい さんじょう 床上浸水253戸を出す惨状となった。 たいせき 本川 の災害 支川 の災害 豪雨による土石流で、鹿塩川 はかい 近くにあった北川分校は破壊 された。 また、西山の地すべり ほうかい おおはなさわ 崩壊や大花沢からの土石流 かしょう で鹿塩川の河床が上がり、川 沿いの家屋39戸が土砂の下 う に埋まった。 各支川から発生した土砂が本川に集中し、土砂の堆積の上に 洪水が重なる状態になりやすい。 竜東 の災害 風化して砂状になりやすいカコウ岩で土地ができ、 風化が地中 まで達しているため、 崩れやすい。 多 が 化 す 岩 中央構造線沿 も 場所 多くが風化しやすいカコウ岩や中央構造線沿いのもろい場所に 位置しているため、 大量の土砂が生産されやすい。 大型 崩壊 中央構造線に沿って分布する崩れやすい岩石(鹿塩圧砕岩) で 土地ができ、 大規模な崩壊を起こしやすい。 あっさくがん 三六災害50年実行委員会 panel B2_06 想いおこす 三六災害50年 けいこく どしゃ う つ 美しい渓谷が大量の土砂に埋め尽くされた ど せ き り ゅ う の ひ っ そ り 土石流に呑まれた日曽利 飯島町日曽利地区では、天竜川沿いの低い場所にあった田畑が 冠水したほか、南ヶ沢など集落へ流れ込む沢沿いで大きな被害 が発生した。降り続いた雨により、谷を流れる水は土石流と化し た。架かっていた橋は流され、谷底の家屋をひと呑みにし、15戸が 流失・全壊した。床上浸水も253戸と集落の大半が被害を受け、 1名の命が奪われた。 かんすい みなみがさわ こ ひ が い か りゅうしつ ぜんかい 駒ヶ根市 ひっそり 与田切川 日曽利 飯島町 松川町 南ヶ沢 天 竜 ゆかうえしんすい うば 新宮川 太田切川 川 小渋川 寺沢川 当 時 間沢川 日曽利集落 現在(平成23年) 日曽利集落 天竜川 引用: 「飯島町の百年」 ひっそり ●日曽利地区全体の惨状(飯島町日曽利) 当 時 現在(平成23年) ●氾濫した天竜川に呑み込まれた田畑(飯島町日曽利) 当 時 当 時 現在(平成23年) 引用: 「飯島町の百年」 ●谷から押し出された土砂や流木(飯島町日曽利) 土石流により破壊された家屋(飯島町日曽利) 引用:「飯島町の百年」 三六災害50年実行委員会 中川村 panel B2_07 想いおこす 三六災害50年 けいこく どしゃ う 清き渓谷が、 一夜にして土砂で埋まる谷へ せ ん じ ょ う ち し ん し ょ く 扇状地を浸食した与田切川 りゅうさい た ぎ り ち け い ど 竜西でみられる田切地形は、中央アルプスの山々から、くり返し土 石流によって運ばれた土砂でできた扇状地を、川の水が浸食して 形成された。三六災害当時も、与田切川など多くの支川で土石流 が発生し、その形成過程の一端が垣間見えた。与田切川右岸の 旧国道153号線沿いの日影坂では、がけ崩れが発生し、1名の命 が奪われたほか、家屋にも被害が及んだ。 せきりゅう い った ん か い ま ひかげざか うば ひ が い 当 時 駒ヶ根市 与田切川 飯島町 南ヶ沢 ひかげざ ひ かげ ざ か 日影坂 くず およ 新宮川 太田切川 松川町 天 竜 川 小渋川 寺沢川 間沢川 現在(平成13年) 現在(平成23年) 中央自動車道 日影 日影 日影坂 与田切川 日影坂 ← ひかげざか 現在の日影坂の様子(飯島町本郷) 与田切橋 与田切橋 引用: 「三六災害40周年」パンフレット ●与田切川上空から上流方向を望む 日影坂から与田切川上流方向を望む (飯島町本郷) 当 時 ●日影坂で復旧作業する人々 (飯島町本郷) 現在(平成23年) 与田切川に削られ露出した地層(飯島町本郷) 引用:「災害復旧の記録」 三六災害50年実行委員会 中川村 panel B2_08 想いおこす 三六災害50年 あ 地すべりが川をせき止め、 一面が荒れ地に 集団移住となった北川 か し お 駒ヶ根市 どせきりゅう 大鹿村の鹿塩川沿いにあった北川分校は、6月27日の土石流に よって破壊され、39戸あった家屋は土砂に埋まった。さらに、西山で 発生した地すべりは、鹿塩川を一時的にせき止め、架かっていた橋 を流失させた。学校や家屋の大多数を失い、荒れ地となった北川 集落は、 全戸集団移住をよぎなくされ、 集落は消滅した。 は か い ど し ゃ う 三峰川 北川分校 中川村 西山 か 鹿塩川 天 竜 川 伊那市 大花沢 かしお 鹿塩小・中学校 りゅうしつ 塩川 しょうめつ 大鹿村 豊丘村 小渋川 青木川 当 時 喬木村 飯田市 鹿塩小・中学校 現在(平成23年) 大鹿中学校 鹿塩川 鹿塩川 かしお ●鹿塩川上空から鹿塩小・中学校方向を上流より望む 当 時 当 当 時 当 時 現在(平成23年) 大花沢 鹿塩川 鹿塩小・中学校 大量の土砂を 放出した 鹿塩川支流の 大花沢 (大鹿村北川) 当 時 当 時 当 時 鹿塩川 北川分校 周辺の惨状 (大鹿村北川) ●土砂と流木で埋まった鹿塩小・中学校付近の鹿塩川(大鹿村大栗) 現在(平成23年) 鹿塩川 塩川 北川分校 塩川 平成3年頃 鹿塩川 西山の地すべり 崩壊地 (大鹿村北川) 鹿塩川 ●一面土砂で覆い尽くされた鹿塩川 (塩川との合流付近) 提供:松島信幸氏 三六災害50年実行委員会 panel B2_09 想いおこす 三六災害50年 しゃめん ごうう もろい斜面に、降り続けた豪雨が追い打ちをかける お ね す じ 尾根筋だけ残った生田 松川町生田地区の斜面は、風化すると砂状になりやすいカコウ岩 からできている。降り続く雨により、いたるところで斜面が崩れ落 ち、尾根筋の集落を残して被害が全域に広がった。間沢川、寺沢 川、福沢川に流れ込んだ土砂は谷沿いの水田を呑み込み、大きな 土石流となって下流の天竜川沿いの集落へなだれ込んだ。 飯島町 くず 与田切川 ひ が い こ ど し ゃ 松川町 の 田 沢 川 大 島 川 どせきりゅう 王 竜 野 寺 底 川 川 飯 当 時 田松 川 台城公園 現在(平成23年) 間沢川 天竜川 台城公園 間沢川 寺沢川 寺沢川 寺 当 時 ●天竜川上流方向から寺沢川・間沢川との合流点を望む 当 時 現在(平成23年) 破壊された 生田診療所 (松川町生田) 提供:松川町資料館 提供:松川町資料館 ●大量の土砂が流れ下った生田農協付近(松川町生田塩倉) 福沢川の県道 仮設橋設置 作業の様子 (松川町生田福沢) 当 時 現在(平成23年) 提供:松川町資料館 提供:飯田市立図書館 ●土石流により荒らされた農地(松川町生田溝沢付近) がけ崩れにより土砂で埋まった谷(松川町生田上峠)提供:飯田市立図書館 三六災害50年実行委員会 生田 高森町 天 竜 中川村 川 小 福沢川 寺沢川 間沢川 豊丘村 加 々 須 川 渋 川 panel B2_10 想いおこす 三六災害50年 三六災害から50年を経て見つめ直す 後世に伝えたい体験や思い どしゃ これから先、自分の身に降りかかるかもしれない土砂災害・水害に備えて、私た ちはどのようにして自分の命を守り、災害発生後の地域復興を進めていけばよい のであろうか。災害を体験された方々の言葉には、そのためのヒントがたくさん 詰まっている。災害に対する備えとして、災害体験談が皆様のお役に立つことを 強く願う。 つ みなさま ■災害が発生した時、 どこで何をしているところでしたか? じょうきょう 大鹿村役場に勤務していたため、 災害状況の確認をするのに、 カメラを片手に見回っていた。 いたるところで道路が寸断されていたため、 歩いて回った。 鹿塩の高い位置で見ていたら、 大 西山がすごい勢いで崩れていった。 かしお くず ■災害当時の一番印象に残っている光景は? 消防団員200名が出動し、 自分もその中に入って 行方不明者の救助にあたった。 捜索の末に見つけ た方々の服はみな脱げてしまっていた。 また、 顔 も体も泥だらけだったので、 水で洗ってあげた。 そうさく ぬ 大鹿村鹿塩で災害を 体験された 中川 豊 どろ さん ひ さい 三六災害当時26歳。 大鹿村役場に勤務し、被 害状況について鹿塩の 高台で見回っていたとこ ろ、大西山の崩壊に遭遇 した。 ほうかい ■被災した故郷に対する今の思いは? ひがい 郷土愛があるからこそ、 とても大きな被害が発生した 災害後も、 そのまま大鹿村に残ろうと思った。 村は 大事。 残していきたい。 後世にも伝えていきたい。 そうぐう 大西山の大崩壊(大鹿村大河原) 協力:伊那ケーブルテレビジョン ■災害当時の一番印象に残っている光景は? な ん けん ちくしゃ 今でも忘れられないのは、 何軒も家が流されていく光景だ。 蔵も、 畜舎やウシも流されていっ た。 すぐ目の前で起こっている出来事だったが、 とてもとても助けるということはできなかった。 ■災害発生後、 つらかったこと、 苦労されたこと、 不安だったことは? 全戸移住は例がなかったが、 予算的に復旧できる見通 しも立てられなかった。 皆サラリーマンとしての経験が なかったので、 移住して会社勤めがうまくできるのか、 生活面でも四徳から出てうまくやっていけるのか、 とて も不安を抱えていた。 みな 中川村四徳で災害を 体験された かか 小松 昇 ■被災した故郷に対する今の思いは? ころ 今になって年に数回四徳に来てみると、 小さい頃この あたりの山を飛び回って遊んだことを思い出し、 忘れ られない。 災害については、 いまだに本当に恐ろしい 体験をしたと思う。 おそ さん 三六災害当時20歳。 災害の13年後、四徳での 思い出と災害を忘れない ように、他の災害体験者 とともに学校跡地に碑を 作った。 あとち 土砂で破壊された四徳の家屋(中川村四徳)提供:中川村教育委員会 ひ 協力:伊那ケーブルテレビジョン 三六災害50年実行委員会 panel B3_02 想いおこす 三六災害50年 か わ じ た つ え たつおか すいぼつ まんすい 松尾 ・ 川路 ・ 龍江 ・ 竜丘一帯が水没!昭和の 「満水」 に とくちょう 災害の特徴 飯田地域 え ど ひつじ 飯田市付近の天竜川沿いでは、江戸時代に発生した「未の満水」以来の大規模 な河川の氾濫となり、一帯が水没する事態となった。また、風越山など周囲の山々 は崩れやすい地質(風化したカコウ岩)であり、豪雨により竜西の支川や小河川 から発生した土石流は、山麓部から天竜川沿いの低地までを広範囲にわたり埋め てしまった。 はんらん かざこしやま くず ごうう ど せ き り ゅ う りゅうさい さ ん ろ く ぶ は ん い 三六災害 三六災害 おう り ゅ う じ 山麓部 の災害 う い が ら 支川 王竜寺川・伊賀良 の災害 大島川・田沢川 中川村 松川町 小 渋 高森町 川 寺沢川 田 沢 川 島 王 底 竜 川 寺 川 飯田松川 間沢川 大 野 川 豊丘村 加 々 須 川 提供:飯田市立中央図書館 こ く ぞ う さ ん くず どせきりゅう 王竜寺川では、 虚空蔵山が崩れ土石流となって どしゃ め ぬ 土砂が流れ下り、下流にある飯田市街地の目抜 き通りに達した。伊賀良では、南沢や滝ノ沢で土 ひさい 石流が発生し、5名が亡くなり、 45戸が被災した。 阿智村 本川 の災害 大島川では土石流が発生し、 市田駅や天竜社の う 工場などが土砂で埋まった。 200年以上切れな そ うべえていぼう けっか い かった惣兵衛堤防もこの時に決壊した。田沢川 ぎせいし ゃ は土石流により一面河原と化し、11名の犠牲者 を出した。 喬木村 天 竜 久米川 阿知川 三六災害 提供:中日新聞社 川 飯田市 三六災害 しも ひ さ か た のそこ 上村川 松尾・下久堅 下條村 支川 泰阜 ダム 遠山川 の災害 野底川・飯田松川 三六災害 かわじ 本川 の災害 たつえ たつおか 川路・龍江・竜丘 提供:飯田市立中央図書館 提供:信濃毎日新聞社 ふく 提供:飯田市美術博物館 はば どしゃ がりゅう きょう はさ はんらん 川の幅が狭い弁天と鵞流峡に挟まれ、氾濫しや すい場所で、三六災害時も、下流の鵞流峡で天 竜川がせき上げられた。天竜川は水かさを増し、 だくりゅう 弁天神社南側の堤防が決壊した。 濁流は主に松 こ はんい 尾方面へ流れ込み、広い範囲で家屋や田畑が りゅうしつ 流失した。 野底川では、市街地を大量の土砂が流れ下り、2 階のひさしまで土砂に埋まった家もあった。上流 では川沿いの製綿工場が流され、7名が亡くなっ た。一方、飯田松川では、大雨が降ったにもかか ひがく ひがい わらず、 野底川と比較して被害は少なかった。 こうずい 土砂を含んだ洪水が、 下流の天龍峡でせき上 げられて氾濫し、 広い範 つ 囲が濁流に浸かった。 川路駅前では、地上か ら3~4mの高さまで水 じょうしょう 位が上昇し、 以前から しんす い たびたび浸水していた 旧川路小学校も、2階ま で水に浸かった。 たいせき 本川 の災害 支川 の災害 各支川から発生した土砂が本川に集中し、 土砂の堆積の上に 洪水が重なる状態になりやすい。 多 が 化 多くが風化しやすいカコウ岩や中央構造線沿いのもろい場所に す 岩 中央構造線 所 位置しているため、 大量の土砂が生産されやすい。 りゅうき きゅうけいしゃ 多 山側が隆起し急傾斜になっている。 急 このため、 山麓部 多くの活断層を境に、 の災害 傾斜が緩い山麓側で土石流が氾濫し、扇状地化しやすい。 三六災害50年実行委員会 ゆる さんろく せんじょうち panel B3_06 想いおこす 三六災害50年 そ う べ え て い ぼ う りゅうしつ 築造から200年以上の惣兵衛堤防も流失! りゅう 龍の背のごとく盛り上がった天竜川 お ど し ゃ 高森町では、大島川から押し出された土砂が出砂原集落を埋め た。巨岩を積み上げた長さ約500mにわたる惣兵衛堤防は、200年 以上もこの地域を守ってきたが、盛り上がった天竜川は堤防を乗り 越え、地上部のほとんどが押し流された。田沢川は、土石流により 下流一帯が一面河原となり、 11名の犠牲者を出した。 松川町 きょがん 田 沢 高森町 大 王 ぎせい しゃ 野 竜 川 川 飯田松川 飯田市 加 々 須 川 喬木村 現在(平成23年) ↓ 惣兵衛堤防 天竜川 明神橋 ← 惣兵衛堤防 天竜川 あじま 当 時 ●阿島橋付近上空から天竜川上流方向を望む 明神橋 下流での 水防作業 (高森町 下市田) 当 時 現在(平成23年) 天竜川 天竜川 旧天竜社 大島川 大島川 提供:中日新聞社 ●大島川の土砂に埋まった吉田河原・市田駅・天竜社一帯(高森町下市田) 当 時 現在(平成23年) 宙づり状態となった 飯田線の線路 (高森町山吹) やまぶき 線路を乗り越え 広がった土砂 (高森町吉田) 土石流の 直撃を受けた 田沢川沿いの 山吹診療所 (高森町山吹) そ うべえていぼう 提供:飯田市立中央図書館 ●惣兵衛堤防で水防作業にあたる人々(高森町下市田) 三六災害50年実行委員会 間沢川 そうべえ て いぼう 惣兵衛堤防 底 寺 当 時 寺沢川 川 飯田線 島 川 (鉄道) 天竜社 明神橋 市田駅 こ 明神橋 天 竜 川 う だ さ ら JA 厚生病院 豊丘村 panel B3_07 想いおこす 三六災害50年 だくりゅう の こ 濁流が農地・道路・集落を一気に呑み込んだ と も の 広大な田園が失われた伴野 そ う べ え て い ぼ う 小 松川町 惣兵衛堤防と並び、地域を守ってきた伴野地区の堤防も、ほぼそ 渋 田 川 寺沢川 高森町 沢 川 の姿を消した。また、土砂まじりの濁流と化した豊丘村の間沢川 大 芦部川合流点 島 間沢川 川 は、一晩の間に農地を根こそぎ呑み込み、川沿いの道路を全てえ 王 野 明神橋 二丁集落 芦部川 伴野堤防 竜 底 豊丘村 寺 ぐりとった。その後、河野地区の二丁集落(全10戸)は集団移住地 川 川 里原 加 々 飯田松川 須 伊久間 に指定され、約400年にわたる集落の歴史を閉じた。 川 ど し ゃ あしぶ と も の ていぼう 天 竜 川 当 時 喬木村 飯田市 当 当 時 時 天竜川 ← 伴野堤防 天竜川 虻川 芦部川 あしぶ 土砂に埋まった芦部川合流点付近(豊丘村河野) ●明神橋付近上空から天竜川下流方向を望む 当 時 当 時 家屋を押しつぶした 山崩れ (喬木村里原) 現在(平成23年) とものていぼう 提供:飯田市立中央図書館 ●破堤した伴野堤防 (豊丘村伴野) 提供:飯田市立中央図書館 当 時 現在(平成23年) 災害発生から 1 週間後の 二丁集落 (豊丘村河野) 提供:豊丘村役場 くましろ ●濁流が押し寄せた明神橋(豊丘村神稲) 自衛隊による崩落か所の復旧作業(喬木村伊久間) 提供:飯田市立中央図書館 三六災害50年実行委員会 panel B3_08 想いおこす 三六災害50年 どしゃ のそこ 大量の土砂と流木を運んだ野底川 ど せ き り ゅ う こ 土石流が流れ込んだ飯田市街地 けっかい 飯田市の野底川を流れ下った土石流は、加賀沢橋付近で決壊して その末端が市街地まで達し、 一帯を土砂で埋め尽くした。 2階のひさ しまで土砂が達した家もあり、 上流では川端にあった製綿工場が流 され、 7名が犠牲となるなど、 山麓部の街が破壊された。 一方、 飯田 松川では、 大雨が降ったにもかかわらず、 野底川などの河川と比較 して被害は少なかった。 まったん う つ かわばた ぎ せ い さんろく 高森町 野 底 王 竜 寺 川 飯 田 松川 ひ か く ひ が い 阿知川 阿智村 寺沢川 田 沢川 大島 川 のそこ 野底川 間沢川 豊丘村 加々 須 川 は か い 久米川 松川町 喬木村 天 竜 川 飯田市 下條村 当 時 泰阜村 天竜川 現在(平成23年) 上溝橋 天竜川 飯田松川 永代橋 野底川 上溝橋 永代橋 飯田松川 野底川 のそこ 引用 ﹁災害復旧の記録﹂ しぶきを上げて流れる 飯田松川 当 時 ●野底川上空から飯田松川との合流点方向を望む (当時と現在で野底川の位置が異なる) 当 時 現在(平成23年) 野底川 ↓ 飯田松川 ●飯田松川へ注ぐ野底川の濁流 提供:飯田市立中央図書館 当 時 土砂で一帯が 埋め尽くされた 城下グラウンド付近 (野底川) 現在(平成23年) 提供 飯田市立中央図書館 流木の山が押し寄せた 飯田線野底橋(野底川) 新飯田橋へ流れ着いた大量の漂着物(飯田松川)提供:飯田市立中央図書館 ● 7 名の命が奪われた 野底橋付近の惨状(野底川) 三六災害50年実行委員会 提供:飯田市立中央図書館 panel B3_09 想いおこす 三六災害50年 はんしょう どせきりゅう 半鐘が鳴り、 ごう音とともに土石流が街に! せ ん じ ょ う ち い が ら 一夜で扇状地ができた伊賀良 こ く ぞ う さ ん ど し ゃ 飯田市の王竜寺川では、虚空蔵山から大量の水と土砂が流れ下 り、土石流が発生した。土石流は、古い扇状地面をえぐりながら果 樹園や田畑を押し流し、その下流の市街地を襲って飯田駅にまで 達した。また、伊賀良地区では小さながけ崩れが重なって大きな 土石流となり、一夜にして新しい扇状地ができた。土石流により5 名の命が奪われ、 45戸の家屋が押し流された。 飯田松川 お 高森町 おそ 底 川 伊賀良 久米川 阿知川 阿知 知川 うば 間沢川 豊丘村 加々 須 川 喬木村 天 竜 川 飯田市 市 下條村 泰阜村 現在(平成23年) 伊賀良 寺沢川 田 沢川 大島 野 川 王 くず 現在 (平成23年) 松川町 ↓ 王竜寺川 ↓ 今宮球場 飯田IC ↑ 飯田駅 ↓ 飯田病院 い が ら ●中央道飯田 IC 付近上空より伊賀良方向を望む 当 時 ●飯田市街地上空より王竜寺川方向を望む 平和時計 ↓ 当 時 ●大量の土砂により 一夜でできた扇状地 (伊賀良) 提供:飯田市立中央図書館 現在(平成23年) 当 時 土石流の直撃を受けた家屋の惨状(王竜寺川) 現在(平成23年) 提供:飯田市立中央図書館 ●今宮通りを流れ下る濁流 (王竜寺川) 提供:飯田市立中央図書館 土砂が流れ下った惨状(伊賀良) 提供:飯田市立中央図書館 三六災害50年実行委員会 panel B3_10 想いおこす 三六災害50年 がりゅうきょう ていぼう お 鵞流峡でせき上げられた川の水が堤防に押し寄せる 流木が散乱した水神橋 はさ はんらん 飯田市松尾地区は弁天と鵞流峡に挟まれ、地形的に氾濫しやすい 場所である。三六災害の時にも、鵞流峡でせき上げられた川の水 があふれ、松尾地区の堤防が約200メートルにわたって決壊した。 これにより、松尾地区一帯は水没し、人々は船で救助されたほか、 流木で埋まった水神橋を渡って下久堅地区へ避難した。 けっかい 高森町 飯田 松川 寺 底 川 川 すいぼつ う わた しもひさかた 松尾 久米川 たつおか ひなん 当 時 竜丘 阿智村 松川町 田 沢川 大島 王 川 竜 野 阿知川 下條村 現在(平成23年) 水神橋 水神橋 た つおか 当 時 ●竜丘上空から天竜川上流方向を望む 当 時 現在(平成23年) 破堤後に川の水が流れ 込んだ集落(飯田市松尾) 提供:飯田市立中央図書館 破堤した 弁天橋下流の堤防 ●弁天橋に押し寄せる濁流 提供:飯田市美術博物館 当 時 流木で足の踏み場も なくなった水神橋 提供:飯田市美術博物館 川の水を せき上げる 鵞流峡の 狭窄部 がりゅうきょう ●水神橋の上を乗り越える濁流 きょうさくぶ 三六災害50年実行委員会 提供:飯田市立中央図書館 現在(平成23年) 間沢川 豊丘村 弁天橋 加々須川 水神橋 喬木村 鵞流峡 がりゅうきょう 天 竜 飯田市 川 泰阜村 天竜川 寺沢川 panel B3_11 想いおこす 三六災害50年 三六災害から50年を経て見つめ直す 後世に伝えたい体験や思い どしゃ これから先、自分の身に降りかかるかもしれない土砂災害・水害に備えて、私た ちはどのようにして自分の命を守り、災害発生後の地域復興を進めていけばよい のであろうか。災害を体験された方々の言葉には、そのためのヒントがたくさん 詰まっている。災害に対する備えとして、災害体験談が皆様のお役に立つことを 強く願う。 つ みなさま ■三六災害は、 どのような災害でしたか? のそこがわ てっ ぽ う みず どせきりゅう おそ きょせき 野底川を鉄砲水・土石流が襲い、 巨石がぶつかり合って火花が出ていた。 石と石のぶつかった イヤな臭いや、 土のアクの臭いがしていたのをよく覚えている。 今でも土のアクの臭いがすると、 当時を思い出す。 にお ■水防活動の様子は? こ て ん ま ば し きょうきゃく くず こ だく 小伝馬橋の橋脚の崩れを防ぐために土のうを投げ込んでいる時、 水防資材に巻き込まれて濁 流の中に落ちそうになった。 後になって恐ろしさがこみ上げてきた。 対岸が見えていても濁流 の音で声が届かず、 橋が落ちそうなので避難を呼びかけても通じなかった。 りゅう おそ た い がん ひ な ん かみさと 飯田市上郷で災害を 体験された 寺岡 義治 あ ■災害に遭われたとき、 どのようなお気持ちでしたか? さん せいざいしょ 三六災害当時25歳。 災害時は消防団として野 底川の水防活動に参加。 主に小伝馬橋が落ちる のをくい止める水防活動 をおこなっていた。 小伝馬橋のすぐ上流にあった製材所が、 濁流に崩されて 泥をこねまわすような流れの中に消えていく様子を見て、 自 分の体が引き込まれそうで恐ろしかった。 桜町駅の東側 に流木がたまってダムができ、 濁流が線路沿いに伊那上 郷駅から役場方面に流れ込むのではないかと心配だった。 どろ こ 小伝馬橋で水防活動する人々 (飯田市上郷) ■災害に遭われたとき、 どこで何をしていましたか? か じ ば ばかぢか ら み そ だ る 水の勢いがすごく荷物を2階に上げたが、 「火事場の馬鹿力」 で味噌樽まで一人で持ち上げた。 辺りが暗くなったころ停電になり、 2階にまで水が上がってきた。 逃げるに逃げられず、 消防団 のイカダで助けられた。 その時の水深は10m以上で、 竿が底に届かなかった。 に す い し ん さお ■災害に遭われたとき、 どのようなお気持ちでしたか? か わ じ こわ 川路は水害が多くて慣れていたが、 その 「慣れ」 が恐ろしいと感じた。 怖いとも感じたが、 そ の時は無我夢中だった。 翌日になって避難した先から自宅近くに戻ると、 泥沼の状態で手がつ かず、 誰も動く気力がなくなった。 皆、 高台に座ってぼう然とし、 途方に暮れていた。 む が む ち ゅ う ひ な ん だれ みな ど ろ ぬ ま もど たかだい とほう かわじ 飯田市川路で災害を 体験された 吉川 武夫 ■災害を体験して何か伝えたいことはありますか? さん じょ う し ゅ う 川路小学校は「水つき学校」と呼ばれ、水害が常襲的であっ たため、 その備えができていた。 「災害は忘れたころにやっ てくる」 というが、それが現実となる時代になってきたと感じる。 水害が起きることを前提に、 日頃から防災に対する心構え を養っておかなければと感じる。 ぜん て い ひ ご ろ 川路駅付近の浸水の様子(飯田市川路) 三六災害50年実行委員会 三六災害当時19歳。 市内に勤めていたが、苦 労してなんとか駅前近く の自宅にたどり着くと、 水が線路を越えてくると ころだった。 panel B4_02 想いおこす 三六災害50年 ごうう ひんぱん 山間部への豪雨が頻繁に災害を引き起こす 下伊那南部・遠山地域 とくちょう 災害の特徴 ひ か く 天竜川沿いは、近年、比較的大きな災害は発生していない。一方、支川では、豪 雨に見舞われるたびに各所で災害が発生してきた。天竜川水系の阿知川や遠山川 では、河川の氾濫や土石流の流下によって、各所の道路や田畑、家屋が流失する 被害を受けた。矢作川水系の上村川や小川川では、床上・床下浸水に見舞われる などの河川氾濫や土石流による被害が発生した。 み ま はんらん ひ が い 支川 の災害 どせきりゅう りゅうしつ や は ぎ 三六災害 昭和43年災害 昭和58年災害 平成3年災害 本谷川など ( ゆかうえ ゆかした しんすい 平成22年災害 支川 天竜川 流域 の災害 ) 遠山川・上村川 高森町 豊丘村 大 大大大鹿 大大 大大大大 鹿鹿村 鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿鹿 村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村村 王 竜 寺 野 川 底 川 飯田松 川 久米川 本谷川 下伊那南部一帯は昔から各所で多 み ま くの災害に見舞われてきた。三六災 どせきりゅう 害では本谷川で土石流が発生した。 ごうう 昭和43年には集中豪雨と台風が重 おおこうち はんらん なり、大河内川が氾濫するなどして、 うば 6名の命が奪われた。昭和58年や平 うるぎ 成3年には、豪雨により、売木川など りゅうしつ ひがい で河川、道路、田畑が流失する被害 小川川 を受けた。 阿智村 天 竜 川 阿知川 下條村 喬木村 ど 飯 田 市 平成22年に国道152号沿いでは、 土 しゃ 砂の流出により道路が寸断され、集 こりつ し ゃめん ほ うかい 落が孤立した。斜面崩壊が各所で 発生し、土石流となって流下した。砂 しせ つ かしょ 防施設の設置された箇所では、 土砂 をくい止め、下流の家屋への被害は なかった。 上村川 泰阜 ダム 泰阜村 上村川 平谷村 阿南町 売木村 川 遠山 三六災害 売木川 平岡ダム 支川 の災害 大河内川 根羽村 昭和40年災害 遠山川 天龍村 平成12年災害 支川 の災害 上村川・小川川 ( やはぎ 矢作川 上流 ) 提供:松島信幸氏 つ 三六災害では、大町集落が水に浸かるなどの被害が発生した。 昭和40年9月 けっかい に発生した災害では、 遠山川が決壊して53戸が全壊したほか、 中央橋など3つ の橋が流失した。 以前は、 現在の昭和通りが遠山川本川で、 大正末期以降に道 もど 路として利用されるようになったが、 この災害では再び河道に戻る形となった。 提供:平谷村役場 けいなん 平成12年に連続雨量595mmという記録的豪雨が発生した。いわゆる「恵南 豪雨」で、阿智村、平谷村、 根羽村では土石流や地すべりが発生した。 平谷 ゆかうえ ゆかした しんすい ひ な ん か ん こく 村では、中心部で床上・床下浸水が87戸あり、262世帯に避難勧告が出さ れた。根羽村では、 国道153号線が不通になるなどの被害が発生した。 支川 の災害 多くが風化しやすいカコウ岩や中央構造線沿いのもろい場所に 位置しているため、 大量の土砂が生産されやすい。 三六災害50年実行委員会 panel B4_06 想いおこす 三六災害50年 ごうう おそ いく 急しゅんな谷を豪雨が襲い、幾たびとなく災害が発生 災害の絶えない下伊那南部( ) 天竜川 流域 せっ 三六災害 昭和58年災害 昭和43年災害 平成3年災害 き ゅう り ょ う 天 下伊那南部一帯は急しゅんな谷地形と、 これに接する丘陵地に多く 竜 久米川 本谷川 川 の生活の場があり、 過去幾たびも災害に見舞われてきた。 三六災害 横川川合流点 飯田市 阿智村 では、 阿知川で土石流が発生し、 橋が冠水するなどの被害が生じ 阿知川 下條村 泰阜 ダム た。 昭和43年には、 大河内川などで洪水が発生して6名の命が奪わ 平谷村 南宮橋 泰阜村 れ、 道路や住宅に多大な被害が出た。 昭和58年や平成3年には、 売 阿南町 売木川 川 遠山 木川などで道路や田畑が土石流や河川の氾濫により被害を受けた。 力石 み ま どせきりゅう かんすい おおこうち ひがい こうずい うば うる ぎ はんらん 売木村 根羽村 当時 (昭和36年) 大村 川 石あら 内 大河 天龍村 横川川 現在(平成23年) 横川川 本谷川 本谷川 園原IC ●三六災害で土砂が押し寄せた本谷川の横川川合流点(阿智村園原) 当時(昭和43年) 当時(昭和58年) 現在(平成23年) 昭和43年の災害で被害を受けた集落(阿南町大村) 提供:阿南町役場 当時 (平成3年) 提供:阿南町役場 ●昭和58年の災害で冠水した南宮橋(阿南町温田) 平成3年の 災害で 土石流被害を 受けた林道 (売木村内) 当時(平成3年) 現在(平成23年) 提供:売木村役場 当時(平成3年) 年) 提供:売木村役場 ●平成3年の災害で水量の増した売木川(売木村石あら) うるぎ 平成3年の災害で濁流が橋に押し寄せた売木川(売木村力石)提供:売木村役場 三六災害50年実行委員会 平岡ダム panel B4_07 想いおこす 三六災害50年 どせきりゅう 台風による土石流が幹線道路を寸断 ど し ゃ 土砂があふれた根羽・平谷( ) やはぎがわ 矢作川 流域 しゅうらい 平成12年災害 けいなん ご う う 平成12年9月に襲来した台風14号による豪雨は 「恵南豪雨」 と呼ば れ、 長野県では根羽村や平谷村を中心に大きな被害が出た。 これら の地域では、 床上や床下の浸水が相次ぎ、また主に人工林の山腹 が崩壊し、 土石流による災害が発生した。 国道418号、 153号などの 主要幹線道路が寸断され、 多くの小河川や田畑が土砂で埋まった。 阿智村 ひ が い ゆかうえ ゆかした 上村川 しんすい 中町 ほうかい 平谷村 阿南町 う 小川 小川川 万場瀬 当 時 売木村 大畑 根羽村 いどいりさわ 井戸入沢 当 時 壊滅的な被害を受けた家屋 (平谷村内)提供:平谷村役場 いどいりさわ 提供:根羽村役場 ●井戸入沢上流の山腹崩壊(根羽村下小戸名) 当 時 現在(平成23年) 当 時 ●濁流となった小川川 (根羽村大畑) 土砂と流木が押し寄せた公民館 (根羽村万場瀬)提供:根羽村役場 提供:根羽村役場 当 時 ●道路に流れ出た土砂の撤去作業(平谷村中町) 大量の土砂で不通となった国道153号線(根羽村小川)提供:根羽村役場 三六災害50年実行委員会 現在(平成23年) panel B4_08 想いおこす 三六災害50年 だいこうずい こわ ていぼう こ おそ 大洪水が橋を壊し、 堤防を越え、 学校を襲う 街を河原に変えた遠山川 およ 飯田市南信濃を襲った昭和36年及び昭和40年の災害は、過去の歴史を 顧みても大きな被害となった。昭和40年の災害では、旧遠山中学校近く の堤防が決壊し、濁流が校庭を土砂で埋め、校舎は破壊された。市街地 を貫く昭和通り沿いの家々も土砂で埋まり、病院は流れの中に孤立した。 遠山川に架かっていた3つの橋も流され、道路も各所で不通となった。 かえり ひが い けっかい だくりゅう どしゃ う は か い つらぬ 三六災害 昭和40年災害 加々 須 川 天 竜 川 豊丘村 大鹿村 喬木村 上村川 こ りつ 飯田市 か 泰阜村 旧遠山中学校 昭和通り 遠山川 大町 当時 (昭和36年) 天龍村 現在(平成23年) 大町橋 遠山川 提供:荒井義明氏 ●三六災害で氾濫した遠山川 (旧南信濃村大町) 当時 (昭和40年) 当時(昭和40年) 現在(平成23年) 昭和40年の災害で復旧作業をする人々(旧南信濃村和田) 提供:松島信幸氏 当時 (昭和40年) 昭和40年 の災害で 河原に なった集落 (旧南信濃村 和田) 和田保育園 ●昭和40年の災害で旧遠山中学校を襲った濁流(旧南信濃村和田) 提供:松島信幸氏 当時(昭和40年) 現在(平成23年) 当時(昭和36年) 和36年 年) 提供:松島信幸氏 ●昭和40年の災害で河原となった昭和通りの惨状(旧南信濃村和田) 三六災害で遠山川で水防活動をする人々 (旧南信濃村内) 三六災害50年実行委員会 panel B4_09 想いおこす 三六災害50年 ごうう どせきりゅう は か い 局所豪雨で発生した土石流が幹線道路を破壊! こ り つ 道路寸断で孤立した上村、 南信濃 平成22年7月、活発化した梅雨前線による豪雨は、南信濃で 273mm(24時間)の降水量に達した。支川から出た土石流が国 道152号などの幹線道路を寸断し、飯田市上村・南信濃、天龍村 で、1,009世帯、2,229名が一時孤立状態になった。災害が、過去 のものではないことを知らしめた。 加々 須 川 平成22年災害 豊丘村 大鹿村 喬木村 天 竜 川 上村川 飯田市 ツベタ沢 泰阜村 押出橋 遠山川 当 時 天龍村 当 時 ツベタ沢 道路を寸断 ↓ 上村川 土砂に埋まったトラック(ツベタ沢) ●上村川上空からツベタ沢を望む 当 時 現在(平成23年) 土石流で堆積した土砂の上を濁流が流れる (ツベタ沢) ●濁流となって流れ下る遠山川 (押出橋下流) 当 時 現在(平成23年) 沢沿いの道路を埋め尽くした土砂 (ツベタ沢) ●国道を寸断した土石流 (ツベタ沢) 三六災害50年実行委員会 panel B4_10 想いおこす 三六災害50年 三六災害から50年を経て見つめ直す 後世に伝えたい体験や思い どしゃ これから先、自分の身に降りかかるかもしれない土砂災害・水害に備えて、私た ちはどのようにして自分の命を守り、災害発生後の地域復興を進めていけばよい のであろうか。災害を体験された方々の言葉には、そのためのヒントがたくさん 詰まっている。災害に対する備えとして、災害体験談が皆様のお役に立つことを 強く願う。 つ みなさま ■平成12年災害は、 どのような災害でしたか? ゆかうえしんすい 最近の平谷村では最も大きな水害だった。役場は床上浸水してパソコンなどは使えなくなった。 自宅待機中、 深夜2時頃まで起きていたが、 当時住んでいた住宅がトタン屋根であったため、 雨音がすごく大きくて、 テレビの音も聞き取れないくらいだった。 ごろ ひ なん ■避 難 の様子はどうでしたか? つめしょ 消防団の詰所に消防団員が集合し、 その中で避難の指示や安否確認をおこなっていた。 小 学校の体育館に避難を誘導したが、 川の水が夜に増えたこともあって、 住民の皆さんはとて も不安な様子だった。 ゆうどう 平谷村中平で災害を 体験された 原 竜二 みな あ ■災害に遭われたとき、 どのようなお気持ちでしたか? さん はんらん ひがい 川の氾濫によって被害がどんどん大きくなる様子 をみて、 復興にはかなりの時間がかかるように 思えた。 万が一に備え、 天候などの情報をしっ かりと集め、 避難が容易にできるような準備をし ておくことが重要だと思った。 平成12年災害当時28歳。 平谷村役場に勤務し、避 難指示や安否確認をして いた。消防団としても活 動し、河川を見回って状 況を確認していた。 けい なん ごう 小屋沢を流れ下る土砂 (平谷村入川新田) 提供:飯田建設事務所 う ■平成3年災害 (恵 南 豪 雨 ) は、どのような災害でしたか? うるぎ 台風と集中豪雨が重なって、 売木川が増水した。 河川の増水の被害が主であり、 山での土砂 崩れ等はなかった。 三六災害の時に護岸として設置した蛇篭が、 川の流心側へ倒れ込んだ。 少し下流の前川橋に流木が引っかかってせき上げ、 近くの教員住宅が浸水した。 くず じ ゃか ご たお こ しんすい ■災害に遭われたとき、 どのようなお気持ちでしたか? けず 増水した川の水が護岸を削ったり、 あふれ出たりするところを目の当たりにして、 自然の力や水 の力に対して、 大変な恐怖を身をもって感じた。 きょうふ 売木村南部第二で災害を 体験された ■災害を体験して何か伝えたいことはありますか? こわ 後藤 嘉彦 ふだん 経験がないと災害の怖さが分からない。 普段からの 心構えが大切だと思う。 山が崩れる場合、 植林して から7~8年くらいの山が一番危険である。 このような若 い山が以前崩れたことがある。 昔から学校では、 雨が 多い時には橋を渡って帰らなければならない子供を先 に帰す習慣があった。 わた 増水した売木川 (売木村力石) 提供:売木村役場 三六災害50年実行委員会 さん 平成3年災害(恵南豪雨) 当時62歳。 自宅前の売木川を見てい た。護岸の上まで水があ ふれ、川沿いにあった車 庫が流されそうになった。
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