裁きは誰のために

裁きは誰のために
橘
龍悟
Ⅰ
「裁判長、被告人田上健二を窃盗罪で起訴します」
検察官が冷たく言い放すように言った。
裁判長は重々しく頷くと、被告人席に座っている田上の顔をじっ
くりと眺めた。
「被告人は田上健二に間違いありませんね?」
裁判長の言葉に田上はコクリと頷いた。
まだ中学生の田上には、自分の身に起こっていることが理解でき
なかった。バイクで女の人のバッグを、ただ横からひったくっただ
けなのに、中学生の自分が、重犯罪者のように手足を手錠につなが
れ、なぜ裁判所の被告席に座らされているのか、どうしても理解で
きなかった。
-1-
「よろしい。それでは、今回検察官が起訴した窃盗罪について、
被告人田上健二はその罪を認めますか?」
裁判長は田上に向かって言った。
「はい」
田上の口だけが動き、その声は聞こえなかった。
ひったくりの後、運悪くバイクが転倒したところを、緊急配備中
の警察官に現行犯逮捕されたので、田上はどんな言い逃れもできな
かった。
「弁護人は何か意見があれば述べて下さい」
裁判長が言った。
弁護人は立ち上がって、田上の方をチラッと見ると、裁判長の前
に進み出た。
「裁判長、被告人田上健二は、まだ14歳の中学生です。悪い道
に進むには、それ相当の理由がある筈です。精神的にもまだまだ未
熟で、是非とも更正の機会を差し伸べるように、温情のある裁きを
-2-
お願いします」
無駄とは知りながら、弁護人は深々と頭を下げた。
「弁護人の意見は以上ですか?」
裁判長は関心のなさそうな声で言った。
「はい」
弁 護 人 は そ う 言 う と 、チ ラ ッ と 田 上 の 顔 を 見 て 自 分 の 席 に 戻 っ た 。
「被告人である中学生の少年に更正の機会をという弁護人の気持
ちは分かりますが、残念ながら私にはそのような権限 が与えられて
いません」
この国では、裁判長の前で被告人自身が罪を認めると、それで有
罪が確定し、執行される刑も手順も決まっていた。弁護人がどれほ
ど 情 状 に 訴 え た と こ ろ で 、そ の 刑 罰 は い さ さ か の 揺 る ぎ も な か っ た 。
それがたとえ中学生であろうとも、刑罰の内容は変わらなかった。
刑罰の目的は社会正義の実現と秩序の維持、人権の公平性にあるこ
とが徹底されていた。
-3-
裁判長の権限は犯罪事実を認定し、被告人が有罪か無罪かの判断
だけに限られていた。
「それでは検察官、何か意見があれば述べて下さい」
裁判長は弁護人が席につくのを確かめると、検察官の方を見て言
った。
検察官が立ち上がり、はっきりとした口調で言った。
「被告人田上健二は、自分の犯罪を認めています。それがたとえ
現在中学生であっても、犯罪に変わりありません。法律に従った厳
罰を要望します」
検察官はそれだけ言うと、次の裁判の資料を取り出し始めた。被
告 人 の 田 上 が 罪 を 認 め て い る 以 上 、言 い 渡 さ れ る 刑 は 決 ま っ て い た 。
裁判長は哀れむような目で、手錠につながれた田上を見つめた。
「被告人田上健二を、窃盗罪で有罪と確定します。しかるべき刑
罰を七日以内に執行するよう、検察官に命じます」
「はい、分かりました」
-4-
検察官は刑の執行に必要な有罪確定書を取り出すと、自分のサイ
ンをしてから裁判長に手渡した。その書類に検察官のサイン、弁護
人のサイン、裁判長のサインが揃えば、いつでも刑を執行できる。
裁判長は素早くサインを済ませると、弁護人に手渡した。弁護人の
サインが終わるのを待って、検察官が受け取ると、その書類を刑の
執行人に手渡した。二人の執行人は田上の両腕を抱きかかえるよう
にして、この場から連れ出して行った。
田上は自分がどのような刑罰を受けるのか、全く想像もつかなか
った。刑罰については、学校で詳しく教えているが、その学校に行
かなくなって随分と月日が経つ。テレビの特集番組で、刑罰の執行
が放送されているのを見たことがあるが、そんなことは現実に自分
の身に起こる筈がないと信じきっていた。しかし今は違う。逮捕さ
れ、手足に手錠をかけられ、裁判を受けた。そこで有罪判決が確定
して、七日以内に刑が執行されるという。どんな刑が執行されるの
か、田上はしきりに思い出そうとするのだが、その部分だけ記憶が
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消失しているようだった。
窃盗罪の刑罰は、すべての財産を没収された上、初犯は利き腕の
人 差 し 指 を 切 断 さ れ る 。二 回 目 は 中 指 を 切 断 さ れ 、十 回 目 と な れ ば 、
両方の指全部がなくなってしまうことになる。だからどこで見かけ
ても、すぐにその人が窃盗罪を何回犯したかが分かる。もちろん事
故でなくした場合と区別するために、手の甲には{盗}と 入れ墨さ
れている。
裁判長は七日以内に執行という判決を下したが、それはあくまで
も執行される人が多い場合である。現在のように、罪を犯す人が少
なくなると、執行される人も少なくなり、刑の執行は判決が下され
ると、すぐに行われる。判決が下された日の内に、あっさりと人差
し指を切断され、翌日には外に放り出されてしまう。七日間も犯罪
人の面倒を見るような経費を、この国では認めていないのである。
田上は法廷から連れ出されると、そのまま裁判所の地下一階に連
れて行かれた。
-6-
地下一階に降りるドアは二つ並んでいる。一つは有罪が確定し、
刑を執行される部屋に通じるドア、もう一つはその執行される刑を
見学する人たちのドアである。
この国では、すべての刑の執行が公開されている。裁判所に来ら
れない人は、テレビの専用チャンネルで見ることができるようにな
っている。
地下に下りると、執行人は扉の前にいる係官に、たった今受け取
った有罪確定書を手渡した。係官が書類を確認すると、厚さが10
cmもありそうな鉄の扉を開けるボタンを押した。二人の執行人が
ガッチリと田上を押さえるようにして中に入ると、後ろでガチャリ
と扉が閉められる音がした。
田上はビクッとすると、これから自分の身に起こることに恐怖を
抱き小さく震え始めた。
二人の執行人に挟まれながら、田上が前に進んで行くと、窃盗犯
執行室とプレートがかかっているのが目に入った。その部屋の前で
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立ち止まると、田上は執行人たちの腕を振り解こうとして必死にも
がき始めたが、屈強な執行人たちは平然としてその動きを封 じ込め
た。田上はたった今有罪が確定し、その日の内に刑を執行されると
は夢にも思っていなかったので、心の動揺と恐怖が全身を駆け巡っ
ていた。
執行人が窃盗犯執行室のドアをゆっくり開けると、広い部屋の中
央に犯罪人を固定する執行台がポツンと置かれているだけだった。
二人の執行人は無言のまま田上をその執行台に座らせ、両手両足
を執行台にしっかりと固定した。そして指を固定する器具を取り出
すと、田上の右手の指を固定した。すべては手順通りに何度も行っ
ていることなので、寸分の違いもない。そこまですると、二人の執
行人は執行台の横に立ったまま、執行医師が現れるのを待った。
田上はこれから行われることを想像すると、恐怖のあまり声も出
ない。おどおどしながら辺りを見回していると、透明な強化ガラス
の向こうに、小学生の団体がゾロゾロと入って来るのが見えた。今
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日は小学校の罪と罰の課外授業の日だったらしく、小学生たちが田
上の方を指差しながら、何かを言っているようだった。もちろんそ
の声が田上に聞こえることはなかった。強化ガラスの向こう側で見
学する小学生たちと、こちら側で罰を受ける自分とは、永遠に交わ
ることはないかもしれない、と田上は思った。
部屋の片隅のドアが開いて、執行医師と看護師が入ってきた。 実
際に刑を執行するのは、医学の知識と技術をもった有能な医師であ
る。その白衣にはまだ乾いていない血が飛び散っていた。
「お待たせしました」
執行医師は執行人から有罪確定書を受け取ると、写真と名前、執
行される刑、裁判長、検察官、弁護人のサインを確認した。
「田上健二さんに間違いないですね?」
執行医師は刑を執行する前には、必ず有罪確定書の本人かどうか
を確認しなければならない。
「はい…」
-9-
田上は消え入りそうな声で言いながら、恐怖でひきつったような
顔で執行医師を見た。
「よろしい。刑の執行のことはご存知だと思いますが、一応説明
しておきます。あなたは窃盗罪で有罪と確定されましたので、あな
たの利き腕の人差し指、つまり右手の人差し指の第二関節 から切断
し ま す 。そ し て 手 の 甲 に 、{ 盗 }と い う 文 字 を 入 れ 墨 し ま す 。二 度 目
の窃盗は中指になります。三度目は薬指と、罪を重ねる毎に指がな
くなっていきます。これ以上罪を重ねないことを願います。それで
は、これから刑を執行致します。ほんの数分で済みますから、そん
なに怖がらなくてもいいです」
執行医師はそう言うと、執行人に目で合図をした。執行人が田上
の人差し指を強く引っ張るようにして切断機の中に通すと、指の先
を動かないように強く握った。
執行医師がすばやく切断機のボタンを押すと、音もなく田上の人
差し指は切り落とされた。
- 10 -
「うっ…」
田上は小さくうめいたが、痛みはあまり感じなかった。 医師がす
ばやく止血と消毒処置を済ませると、次に入墨のボタンを押した。
田上は手の甲にチクチクと痛みが走るのを感じた。それが3分ほど
続いた。
「はい、終了!」
執行医師は有罪確定書の執行欄にサインをすると、切断した指を
袋に入れ、執行人に手渡した。
「お手数をおかけしました」
二人の執行人は執行医師に頭を下げると、田上を執行台から立ち
上がらせた。
これから地下5階にある療養と監禁を兼ねた留置室に田上を入れ
て、執行医師がサインした有罪確定書、執行写真と切断した指を裁
判長に渡せば、執行人の仕事は終わる。
明朝、田上はその留置室から解放され自由の身となるが、一生消
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すことができない体の烙印は彼の罪を一生許さない。
Ⅱ
「次の被告人を入室させて下さい」
前の被告人が法廷から連れ出されたのを確認すると、裁判長はす
ぐに検察官に命じた。
検察官がドアの近くにいる係官に目で合図をすると、次の被告人
が入ってきた。
両手両足に手錠をかけられた被告人が、おずおずと被告人の席に
ついた。
「それでは次の裁判を始めましょう。検察官は罪状の説明をして
下さい」
「はい、裁判長。被告人吉井正を強姦罪で起訴します」
そう言うと、検察官は蔑んだような目で被告人を睨みつけた。
- 12 -
「被告人は吉井正に間違いありませんね?」
「はい」
吉井は顔を上げて、裁判長の顔をまっすぐに見つめた。その表情
に は 、絶 対 に 無 実 を 獲 得 し な け れ ば な ら な い と い う 悲 壮 感 が あ っ た 。
「被告人吉井正は女性を強姦した罪で、検察官より起訴されまし
たが、あなたは罪を認めますか?」
裁判長は吉井に訊いた。
「いいえ、裁判長、僕は無実です」
そう言うと、吉井は悔しそうな表情をして、自分の唇をかみしめ
た。
「そうですか…それではこれから有罪か無罪か、審議をすること
にしましょう」
裁判長は吉井が無実を主張したので、落胆したように言った。
審議となると、相当な時間を費やして、さまざまな証拠を吟味し
なければならない。しかし犯罪毎に裁判の制限時間が決められ、も
- 13 -
っとも長い裁判でも150時間を超えることはできなかった。たと
え証拠を吟味する時間が足りなくとも、決められた裁判時間が経過
すると、裁判長は同席している裁判官二人と協議して、有罪か無罪
かを決めなければならなかった。明白な証拠がある場合なら問題は
ないが、それがないとなると、本当のことなど誰にも分かりはしな
い。もしも間違って被告人が有罪の刑を執行された場合は、その体
は二度と元に戻らない。もしも間違って無罪とされた場合は、被害
者だけが大きな損失を受けたままになり、それを犯した被告人は野
放し状態のままになってしまう。
一 度 決 定 し た 有 罪 判 決 が 、後 に 間 違 っ て い た こ と が 立 証 さ れ れ ば 、
裁判長だけでなく、検察官にも被告人と同じ刑が執行される。また
有罪であるべき者を無罪としたことが、後に立証されれば、裁判長
と弁護人が処罰される。
裁判長はいつも自分の身体と生命を賭けて、人を裁き続けている
の で あ る 。だ か ら 裁 判 長 の 判 断 を 誤 ら せ る 行 為 は 、検 察 官 、弁 護 人 、
- 14 -
証人など誰にも認められていなかった。証人が虚偽の証言をした場
合は、舌を切り取られるという処罰を受ける。
裁判長が正確な判決を下せるように、脳の動きを感知し、証言の
真偽が分かるような器具が開発されていた。審議中は常にその器具
が被告人、検察官、弁護人、証言者の頭に取り付けられ、裁判長が
判定を誤らないようにしている。しかしその器具によって真偽が判
定できるのは80%の確率でしかなく、残りの20%は裁判長自ら
の判断になる。
裁判では、すべての人が真実を明らかにするように義務付けられ
ている。弁護人でさえ、真実に反しての被告人に有利な発言は禁止
されている。真実がすべてに優先するのである。
「審議を始めますので、検察官、弁護人、被告人はそれぞれ規定
の器具を着用して下さい」
裁判長が言うと、係官が検察官、弁護人、被告人それぞれに器具
を取り付けた。器具のスイッチが入ると、裁判長席にあるモニター
- 15 -
にそれぞれの映像が映し出された。
「念のため被告人吉井正に忠告しておきますが、あなたの証言内
容が嘘か真実かは頭に取り付けた器具で判定できるようになってい
ます。たとえ被告人であっても、嘘の証言によってこの裁判の審議
を誤らせることは許されません。もしもそのようなことを行えば、
審議される罪以上の厳罰に処せられます。分かりましたか?」
吉井は表情を変えずに頷いたが、心の中は不安と動揺でいっぱい
だった。
「被告人吉井正にもう一度訊きますが、あなたは罪を認めます
か?」
裁判長はそう言うと、モニターに映し出されている波形と吉井の
表情とを交互に見た。そこには明らかに異常な波形が映し出されて
いた。
「さ、裁判長、僕は、む、無実です」
吉井は動揺を隠し切れずに、言葉を詰まらせながら言った。頭に
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取り付けられた器具が、自分の心の中のすべてを白日の下に曝け出
しているような気がして、喉はカラカラに渇き、無実を勝ち取る意
欲がしぼみ始めた。
裁判長は怪訝そうな顔をして、少し考え込むような素振りをみせ
た。しばらく沈黙が続いた後、検察官に言った。
「それでは検察官、被告人吉井正を強姦罪で有罪とする根拠を説
明して下さい」
「はい。まず被害者の体内に残存していた体液及び被害者の爪の
間に付着していた皮膚の一部をDNA鑑定致しましたところ、被告
人吉井正のDNAと完全に一致しました。この鑑定書が有罪の決定
的な証拠となるでしょう」
検察官は裁判長の方にゆっくりと歩いて行くと、鑑定書を手渡し
た。
「次に、被告人吉井正が強姦を行った被害者についてですが…」
「検察官、少し待って下さい」
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裁判長は検察官の言葉を遮って、渡された鑑定書をじっくりと見
た。一通り読み終えると、検察官に言った。
「この鑑定書について、被告人吉井正の意見を聞いてみることに
しましょう。異論はないですね?」
「もちろんです」
検察官は自信満々に言った。
「この鑑定書によりますと、被害者の体内に残存していた体液の
DNAが、あなたのDNAと一致していますが、それについてどう
考えますか?」
裁判長は吉井に訊ねながら、モニターを注意深く見つめた。
「そ、それはでっち上げです。僕は被害者の女性を全く知らない
し、会ったこともありません。女性を襲ったことなど、一度もあり
ません。だから僕の体液が残っていたことなど、考えられ ません。
僕は絶対にやっていません」
吉井は真剣な眼差しで、裁判長に訴えた。
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もしもこの裁判で有罪が確定すると、その決められた刑罰によっ
て、吉井は去勢されてしまうことになるから必死である。
「しかし事件直後、被害者はすぐに病院に運ばれ、その時採取さ
れた体液に間違いないと、診察した医師も証言しています。もしも
それが間違っているのなら、その医師も罰せられることになります
ね」
裁判長は余裕を含んだ目で、吉井を見た。
「みんなでウソをついて、この僕を陥れようとしている。僕は無
実だ!絶対無実だ!」
吉井は耐え切れなくって、大きな声で叫んだ。
「静かにしなさい。ここは法廷です。そんなに大きな声を出さな
くとも、普通に話せば分かります」
裁判長は吉井の興奮をたしなめるように言った。
「すいません。つい…」
吉井がうなだれるように言った。
- 19 -
「それでは検察官、次の証拠を示していただけますか?」
裁判長は時計を見ながら、先を急がせた。今日は6件の事件を処
理しなければならない。問答を繰り返していると、最後の裁判が昨
日と同じように、夜中の0時を回ってしまう。今日こそ早く終わら
せて、家でのんびりと過ごしたいと思っていた。
「分かりました。次の証拠は、被害者本人の口から、この場で証
言していただきます。被害者の方を入廷させて下さい」
検察官が係官に指示すると、被害者の女性がおどおどした様子で
入ってきた。
裁判長の判決を誤らせないために、被害者本人であっても 出廷し
て証言する義務があった。
被害者が証人席に座ると、その頭にすばやく器具が取り付けられ
た。
「あなたを強姦した犯人は、そこに座っている被告人吉井正に間
違いないですか?」
- 20 -
検察官は吉井を指差しながら、単刀直入に訊いた。
「はい、あの男に間違いありません」
被害者は憎悪のこもった目で、吉井を指差した。
「裁判長、これほど明白な事実はありません」
検察官は自信満々に断言した。
「 被 告 人 吉 井 正 は 今 の 被 害 者 の 証 言 を 聞 い て 、ど う 思 い ま す か ? 」
裁判長は吉井の表情、汗の状態、態度などをつぶさに観察しなが
ら、モニターの動きを見つめていた。
「そ、それはウソです。そんな女、僕は見たこともありません」
吉井の額には汗が浮かび、手が小刻みに震え始めた。被害者の姿
を目の前で見ると、吉井は抑えがたい衝動にかられ、事件当日の情
景がまざまざと蘇ってきた。その異常な感情の動きは、被告人の頭
に取り付けられた器具を通じて、裁判長の前にあるモニターにはっ
きりと映し出されていた。
「被告人吉井正、嘘をついているのはあなたの方ですね。あなた
- 21 -
が証言する度に、このモニターは異常を示します。このモニターを
見ていますと、あなたの犯罪であることがはっきりと分かります」
裁判長は吉井自身の口から、直接犯罪事実を認める言葉が欲しか
った。被告人本人が犯罪を認めると、裁判長はすべての責任から解
放される。たとえそれが無実であったとしても、被告人本人が犯 罪
を認め刑を執行されると、それはすべて被告人の責任になるのであ
る。
吉井が黙ったまま小さく震えているのを見て、裁判長は弁護人に
向かって言った。
「弁護人は何か意見がありますか?」
弁護人は立ち上がって、何かを言おうとしたが、首を横に振りな
がら座り直した。弁護人は被告人が無実の罪に問われていると確信
できる場合のみ、弁護を許されている。弁護人は真実を明らかにす
ることによって、被告人が無実であることを立証する義務が課せら
れている。しかし弁護人が無罪と確信できない場合は、被告人を弁
- 22 -
護する義務も必要もなかった。
「被告人吉井正、最後にもう一度訊ねますが、あなたは今回の強
姦罪を認めますか?」
裁 判 長 は 被 告 人 席 で う な だ れ て い る 吉 井 に 、厳 し い 口 調 で 言 っ た 。
「……」
吉井は体の力が抜けていくのを感じた。裁判長の前にあるモニタ
ーで、自分の犯罪であることが明白になったと思うと、何も言うこ
とができなかった。
「黙秘権ですか…無実をもう主張しないのですか?」
裁判長は根気よく吉井が発言するのを待った。三分ほど 沈黙が続
いた後で、裁判長は両脇にいる二人の裁判官に目で合図をした。二
人 の 裁 判 官 は そ れ に 応 え て 、そ れ ぞ れ 有 罪 の 判 定 を 裁 判 長 に 示 し た 。
裁判長はゆっくりと頷くと、吉井を厳しい目で見つめた。
「それでは判決を言い渡します。被告人吉井正を強姦罪で有罪と
確定します。しかるべき刑の執行を七日以内に行うよう、検察官に
- 23 -
命じます」
裁判長は法廷内に響き渡る声で言った。
「これで被告人吉井正は、二度と同じ罪を犯すことはできなくな
ります。女性の敵が一人消え、社会の害悪が一つ取り除かれたこと
に感謝します」
検察官は満足そうに言うと、有罪確定書を取り出し、裁判長と弁
護人にサインを求めた。検察官はサインを確認すると、執行人に吉
井を連れ出すように命じた。
屈強な二人の執行人は、検察官から有罪確定書を受け取 り、吉井
の両腕を抱え込むようにして連れ出して行った。
吉井は法廷を出ると、そのまま裁判所の地下一階にある執行室に
連れて行かれた。そのドアには(強姦犯執行室)というプレートが
かかっていた。そのプレートの文字を見ただけで、吉井の足は恐怖
のために震え、一歩も動けなくなった。
吉井は強姦犯の刑の執行を、テレビで何度か見たことがあった。
- 24 -
それは苦痛に顔を歪めながら悲鳴を上げて、最後には悶絶する被告
人の姿ばかりを映し出していた。
「い、いやだ!助けてくれ!」
吉井は執行人の腕をふりほどこうとしたが、屈強な執行人はビク
ともしない。それどころか、腹部に強烈なパンチを二発受けると、
吉井はうめき声を上げながら倒れそうになった。
吉井は引きずられるように、執行台のところまで連れて行かれる
と、手錠を外され、着ている服をすべて脱がされた。そのまま執行
台の上に放り投げられると、両足を広げた格好で、体中をきつく縛
り付けられた。
これから強姦罪の刑罰である去勢が執行される。もちろん腕のい
い専門医によって執行されるが、刑罰の本質が苦痛である以上、当
然麻酔は一切使用されない。苦しみ、悶絶しようが、お構いなく刑
は執行される。多くの被告人は途中で気を失ってしまうが、まれに
ショック死もある。しかし刑の執行中だと、専門医の責任は問われ
- 25 -
ず、そのまま執行死という扱いで済まされる。
裁 判 で 有 罪 と 確 定 さ れ る と 、他 人 の 権 利 を 蹂 躙 し た 犯 罪 者 と さ れ 、
犯罪者自身の権利はすべて剥奪されてしまうのである。
執行医師と二人の看護師が部屋に入ってくると、執行人は黙って
有罪確定書を差し出した。
執行医師は書類の写真と名前を見比べながら、執行台の上で恐怖
に顔を引きつらせている吉井に訊いた。
「強姦罪と確定された吉井正に間違いないね?」
全裸で執行台に縛り付けられている吉井は、これから行われよう
としている刑罰を思うと、怖くて返事もできずに、ただワナワナと
震えているだけだった。
「人名確認で本人が沈黙したため、写真との照合で同一人と判断
します」
執 行 医 師 は 吉 井 の 返 答 を 待 た ず に 、は っ き り と し た 口 調 で 言 っ た 。
「それでは、これから強姦罪の刑の執行を行います」
- 26 -
執行医師が目で合図すると、執行人は素早くテーブルの上に置い
てある布をまるめ、吉井の口の中に押し込んで猿轡をした。麻酔を
使用しないので、苦痛のために大声で喚くのを防ぐためだ。
「先生、準備ができました」
執行人が言うと、執行医師はゆっくりと吉井に近寄った。右手に
持ったメスが、露になった吉井の下腹部に近づいていく。
吉井は目を大きく見開いて、その様子を見つめていた。大声で叫
びたくても、口の中に入れられた布と猿轡のせいで、唸り声にしか
ならなかった。首を左右に振ろうとしても、きつく締め付けられて
いるので、もがけばもがくほど首が締め付けられて苦しくなる。
執行医師のメスは素早く動いて、吉井の男の部分を切り取ってい
く。
吉井は激痛に耐え切れなくなって、ついに気を失ってしまった。
吉井の男性機能は完全に取り除かれ、犯罪者の証しとして、額に
は{姦}という入墨がされて、刑の執行が終わった。
- 27 -
吉井には二度と同じ犯罪ができないような刑罰が執行され、その
犯罪の事実は生きている限り永遠に消えることはなく、人々の知る
こととなる。自らが犯した罪を一生背負って生き続けなければなら
ないので、その罪の重さに耐え切れなくなり、自ら命を絶つ者も少
なくなかった。
この国では、犯罪者を許し、受け入れることは絶対にな かった。
一度でも有罪と確定されると、その時点からすべての権利、人格が
消失し、社会から疎外されてしまうのである。
去勢という刑罰の執行が終わると、執行医師は有罪確定書の執行
欄にサインを済ませ、執行人に手渡した。
執行人は吉井の刑罰執行の証拠写真とともに、それを封筒に入れ
ると、まだ気を失っている吉井を担架にのせ、地下5階の療養室ま
で運んだ。
吉井は下腹部の痛みで目が覚めた。ズキンズキンと痛むが、痛み
止めの薬を与えられる筈がなかった。ただその痛みに耐えるしかな
- 28 -
かった。
一週間の療養日数が過ぎると、吉井は外に放り出された。トボト
ボと街を歩くと、額に入墨された文字に気付いた人は、吉井を蔑ん
だ目で見ながら、避けるように遠のいていく。
吉井が欲望を満足させるために犯した罪に対する代償は、刑罰の
苦痛と社会生活からの抹殺だった。
Ⅲ
「次の被告人を入室させて下さい」
裁判長は検察官に言った。
検察官は裁判長に軽く頭を下げると、係官に被告人の入室を指示
した。
次の被告人は顔に幼さの残っている十二~三才の少年だった。そ
の両手両足には、やはり手錠を付けられていた。この国では、少年
- 29 -
だからといって特別扱いはされず、普通の犯罪者と同じように扱わ
れる。一度罪を犯すと、それが少年であろうと子供であろうと、誰
もが平等に裁かれ、平等に罰を受ける。少年だから更正が可能だと
思う人は、この国にはいない。社会に害悪をもたらす犯罪者は、徹
底的に排除されるのである。
少年が被告席につくのを見て、裁判長は検察官に言った。
「検察官、どうぞ始めて下さい」
「はい、裁判長。被告人山中洋介は同級生加藤裕を金属バットで
執拗に殴り続け、殺しております。よって殺人罪で起訴します」
検察官はそれだけ言うと、腰を下した。
「被告人は、山中洋介に間違いありませんね?」
裁判長は少年に訊ねた。
「はい」
少年はうつむいたまま、小さな声で答えた。
「よろしい。被告人山中洋介は、検察官より殺人罪で起訴をされ
- 30 -
ていますが、その罪を認めますか?」
裁 判 長 は 哀 れ む よ う な 目 で 少 年 を 見 た 。も し 有 罪 と 確 定 さ れ れ ば 、
この少年の生命は消えていく。殺された被害者が苦しんだ以上の苦
しみを与えられながら処刑され、その臓器はすべて摘出され、病院
で臓器待ちの患者に提供される。当然麻酔もなく、意識のある状態
で、自分の目の前で、次から次へと自分の臓器が切り取られていく
のを見るのである。もちろんそのことは少年自身も学校で習い、テ
レビでも公開されているので分かっている筈である。
被告人の少年は答えようもなく、ただ怯えるように震えていた。
「どうですか、罪を認めますか?」
裁 判 長 は 何 も 答 え よ う と し な い 少 年 に 、少 し 苛 立 つ よ う に 言 っ た 。
「……」
「困りましたね。私の質問に被告人が答えないと、審議の時間が
長引きます。そのように沈黙したままですと、質問に異議がないと
して、肯定したものとみなしますが、それでもいいのですか?」
- 31 -
「……」
少年はじっと一点を見つめたまま、ガタガタと震えているだけだ
った。
殺人罪の審議ともなると、間違った判決を下すと、裁判長自身の
生命も失いかねないので、裁判長は慎重に審議を進めなければなら
なかった。
「仕方ありませんね。それでは代わりに弁護人に訊いてみること
にしましょう。弁護人は被告人山中洋介の罪を認めますか?」
裁判長は弁護人に向かって訊いた。
弁護人も困ったような顔をしながら立ち上がって、被告人席に座
っ て い る 少 年 に 近 づ い て 行 っ た 。腰 を か が め 、少 年 の 耳 元 で 訊 い た 。
「君は裁判長の前で、殺人の罪を認めますか?」
「……」
少年の頭の中では、処刑という言葉が響き渡るだけで、誰の言葉
も耳に入ってこなかった。
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弁護人は少年の返答をしばらく待ったが、口をガチガチと鳴らし
続けて震えるだけで、何も言うことができないようだった。
「 裁 判 長 、私 は 昨 日 、被 告 人 山 中 洋 介 と 接 見 致 し ま し た 。そ の 時 、
被告人が殺人の罪を認めたことを裁判長にお知らせします。もちろ
ん殺人罪を認めると、どのような刑が執行されるか、詳しく説明し
ております。その刑罰を恐れるあまり、被告人は震えるばかりで、
話すことができないように思われます」
弁護人は被告人が無罪を主張し、弁護人自身も無罪と確信できな
ければ、その被告人の弁護はできない。さらに弁護人には、裁判長
の判断を誤らせるような言動は一切禁止されていた。真実のみを追
究する義務が、被告人を含むすべての人に課せられていた。
「よろしい」
裁判長は満足そうに微笑んだ。
「判決を言い渡す前に、被告人山中洋介に一度だけ発言の機会を
与えます。被告人は何か言いたいことがありますか?」
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入室してからずっと震え続けていた少年は、初めて顔を上げて、
裁判長の顔を見た。
「僕は処刑されるのですか?」
少年は消え入りそうな声で言った。
「殺人罪が確定しますと、学校でも習ったと思いますが、被害者
が苦しんだ以上の苦痛を与える方法で処刑されます。もちろん使用
可能な臓器はすべて切り取られ、臓器待ちの患者に提供されます」
裁判長が厳しい表情で言った。
「あいつはいつも僕を殴ったり、お金を巻き上げたりしていまし
た。あの日もあいつに殴られて、お金を取られました。あの日はど
うしても腹の虫が収まらなくて、このままだといつまでも殴られ、
お金をむしり取られる。そう思うと、我慢できなくなって、バット
を持ち出して、あいつがやって来るのを待ちました。あいつの顔を
見 る と 、無 我 夢 中 で 飛 び 出 し て 、こ れ ま で の 恨 み を 晴 ら す つ も り で 、
何度も何度もバットで殴りつけてやりました。あんな悪いやつ、死
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んだ方が世の中のためです。僕はそう思っています。それなのに、
どうして僕が処刑されなくてはならないのですか?」
少年は堰を切ったように一気に話すと、食い入るように裁判長の
顔を見つめた。
「いいですか、よく聞くのですよ。被告人山中洋介は人を殺しま
したね。たとえそれがどのような人間であろうとも、人を殺したこ
とは事実です。そうですね?」
裁判長が穏やかな声で、念を押すように言うと、少年はコクリと
頷いた。
「よろしい。この国では人の生命を奪った者は、自らの 生命で償
わなければならないのです。それは大人であっても、被告人のよう
な少年であっても、あるいは子供であっても同じことなのです。罪
を犯した者は誰もが平等に処罰されるのです。唯一許されているの
が、検察官の権限下で、刑を執行する医師たちです。もしも被告人
が殺人を犯す前に、その者を暴行や恐喝の容疑で訴えていれば、警
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察が適切な処理をして、その者は罰を受けていたでしょう。もしも
そうしていれば、被告人山中洋介は、その被告人席にいなかったで
しょう。そして刑を執行されることもなかった筈です。しかし被告
人はそうしないで、自分の怒りに負け、自分の手でその者を殺しま
した。この裁判では、犯罪に至った個人的な事情や精神の未熟性、
異常性、憎しみや感情的な興奮などは一切関係ないのです。この社
会を正義と真実と平等で守るためには、その者が現実にどのような
犯罪事実を行って、社会にどれほどの害悪をもたらしたか、その事
実だけが問題なのです。人の生命を奪った者は、自らの生命も奪わ
れて当然なのです。殺した相手から未来を奪った以上、君も未来を
奪 わ れ て 当 然 な の で す 。そ れ が 生 命 の 尊 さ で も あ り 、平 等 で も あ り 、
犯罪を許さない理念なのです。分かりますか?」
「はい」
少年は少し口を動かせただけで、その声は聞こえなかった。
「よろしい。それでは判決を言い渡します。被告人山中洋介を殺
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人罪で有罪と確定します。刑の執行を七日以内に行うよう、検察官
に命じます」
「はい、分かりました」
検察官はそう言うと、少年を退出させるように指示した。
少 年 は 二 人 の 執 行 人 に 両 腕 を 抱 え ら れ な が ら 、静 か に 出 て 行 っ た 。
殺人罪の刑罰の執行は、臓器の取り出しや移植手術の関係上、す
ぐには執行できなかった。被告人の臓器の検査、臓器の取り出し、
移植先の準備、配送計画を緻密にたてなければ、せっか くの臓器が
ムダになるおそれがあるからである。
少年は裁判所の地下3階にある検査室に入れられた。
七日後、刑罰が執行され、少年の体から使用可能なあらゆる臓器
が摘出された。
完
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