新潟大学 大学院医歯学総合研究科 国際保健学分野 新潟大学 ミャンマーの医学教育協力プロジェクト 活動記録【15】 2014 年 9 月秋 活動報告(2) 9 月 23 日(火) ピンウールインに向かうため早朝 5 時半にホテルを出発。チェックアウトもあるので起床は 4 時半であった。ヤデナ先生がホテルまで迎えに来てくれた。ホテルに頼んで朝食ボックスを用意 してもらい、空港にむかう車の中で食べた。本当はもっとゆっくり出たいところだが、ミャンマ ーの国内線はバスのようにぐるぐる巡回しているので、遅い便はそれだけ遅延や欠航が出やすい。 新潟の佐渡汽船と同じように朝の第一便は確実に出るため、やむなく 7 時半のエアーバガンでマ ンダレー行きの飛行機を予約した経緯がある。 ヤデナ先生は、チェックインまで付き合ってくれた。係員がしきりにはかりをさしていて、ヤデ ナ先生がミャンマー語で何事か話している。「超過料金ですか?」と聞いたら「80 ドル超過を払 えと言われたけれど、ちょっとチップあげたら見逃してくれた」とのことである。こういうとこ ろは日本と違って融通が利く。 ごったがえす国内線の待合室で「齋藤先生!」と声を掛けられてびっくり。公衆衛生学教室で博 士号を取り、いまはミャンマー在住の NGO で働いている藤野さんであった。地方に視察に行く ところだそうだ。ミャンマーは政治的な理由で調査が思うように進まないと、以前は嘆いていた が、民主化によって少し自由に動けるようになったようだ。保環研の田村先生も同じ時期に大学 院に在籍していたので旧知の仲である。しばし、ミャンマーにいるのを忘れてミャンマー情勢や 新潟のことを立ち話した。今回、私たちが訪緬することは連絡していなかったのだが、縁がある とはこういうことか。今回はミャンマーの医学部の試験があるので、ヤデナ先生は同行しない。 飛行機を逃さないように注意しなくてはならない。 なんとか聞き逃さずに飛行機に乗り、9 時過ぎにマンダレー空港についた。閑散とした巨大な空 港にモン先生が出迎えてくれていた。モン先生は今年 7 月に国際保健学教室にインフルエンザ研 修で来ていた北部医学研究所の副所長である。一同、ほっとして迎えのバンに乗り込んだ。ここ からから、ピンウールインまで、車で 2 時間近くかかる。国道は、中国との交易の主要幹線だが、 山間部に入ると日光のつづら折れにようにヘアピンカーブになる。去年はそこを長いトラックが 切り返しながら昇ったり下ったりしていて、すごいところだと思ったのだが、今年は慣れたせい か特に危ないとは感じなかった。坂をのぼると岡状の景観がみえ、すばらしい眺望である。 11 時すぎにピンウールインの北部医科学研究所に到着。所長のミン先生が玄関まで出迎えて、 長旅をねぎらってくれた。あたふたと所長室でスーツケースをあけ、セミナー用の消耗品や試薬 をモン先生やアウン先生に引き渡す。この準備に 2 ヶ月以上かかった。長かった。直前まで携行 品のチェックや連絡で、近藤君はまさに身も細るような日々を送っていたのだ。 「これから所員に先生方の紹介をします。」とミン所長に導かれて大きな会議室に移動した。 1 新潟大学 大学院医歯学総合研究科 国際保健学分野 体育館ほどの大きさで、着座している所員は、総勢 100 名 近くは居るだろうか。ほぼ全員女性。留学や研修に出ていて、 これでも数は少ないと言うが、黄色のユニフォームに身を包 んだ女性がざっと並ぶのは圧巻である。 ミン所長らしく、きっちりと議事が決まっており、1.開 会の辞、2.ミン所長の挨拶、3.齋藤の挨拶、4.新潟大 学の先生方の挨拶、5.所員紹介、6.写真撮影のような順 番であった。まだ 12 時になっていないが、早朝にヤンゴンを出発したので、すでに一日終わって しまったような感覚だった。ひとしきり自己紹介が終わり、ミン所長に質問はないかと言われた ので、 「デング熱」 「マラリア」 「HIV」 「結核」 「がん」についての状況はどうかと何気なく聞いた。 「今はわからないので、みんな調べます」とのミン先生の返答。 昼食は、カオスエという、ココナッツミルクベースのソフト麺 のようなものを用意してくれていた。朝早くヤンゴンを出たので お腹が空いておかわりしてしまった。 「午後から何か予定ありますか?」と聞かれたので「まずは明 日からのセミナーの下準備をしたい」とお願いした。生化学の部 屋は、会議室から離れた別棟にある。生化学棟で、RNA 抽出、マ スターmix の作成、電気泳動の場所などを確認した。田村先生が 担当のシークエンサーは 2 台あるが、稼働しているのは 1 台だけ であった。RNA 抽出用の冷却遠心機が部屋にないため、あれこれ話した後、 「壊れた安全キャビ ネットをどけて、明日までに冷却遠心機をここに据え付けます」とのこと。さすがミン先生。1 年前は全ての機材が箱の中に入っていた。それをこの 1 年間で整備して実験室に仕立てたその手 腕はすごいものがある。 明日からのセミナーの機材の確認を 1 時間ほど行い、Mhon 先生に観光に連れて行ってもらっ た。去年はカンドージ公園に行ったので、今年はティーダ先生のお勧めの仏像のたくさんあると いう洞窟に連れて行ってもらうことにした。正式には「ピアィチンミャアウン洞窟」というらし い。 研究所から車で 1 時間ほどで洞窟に着いた。車を降りるところから靴を脱いでくれ、とモン先 生に言われた。神聖な場所なので土足は厳禁なのである。現地では、有名なところらしく、門前 市がたくさん立っている。洞窟の前にある階段状の池には、若者が多数、水遊びをしていた。楽 しそうだが、何か感染しそう。 さて、いよいよ洞窟の中に入った。鍾乳洞のようなところで、数メートルおきに金ぴかの豪華 絢爛な仏像が鎮座している。床は地下水でぬれていて、私はすぐに足が滑って転びそうになった。 モン先生がとっさに腕を押さえてくれた。誕生日の祠がぐるりとある仏塔があり、土曜日の祠の 2 新潟大学 大学院医歯学総合研究科 国際保健学分野 前で拝んだ。しばらくそろそろと歩くと、階段が有った。 「この階段を昇ると帰り道は 2 時間ぐら いかかります」と言われたため、諦めて元来た道を引き返した。明日からのセミナーに備え、体 力を温存しなければならない。モン先生がウエットティッシュをたくさん用意してくれていたの で、車の近くで泥だらけの足を拭いて、帰路についた。 今回の宿泊は Hotel Pyin Oo Lwin というところであった。 コロニアルスタイルのリゾートホテルといったところで、時 計塔や、錦鯉のいる池も有り、バンガロー風の建物が敷地に 並び、とても雰囲気が良い。去年は幽霊ホテルで怖い目にあ ったので、ミン先生にお願いして別のホテルにしてもらった のだ。部屋にはいると、床がチーク材のような切り出した板 で拭いてあり、暖炉もある。シャワーやバスも完備で気持ち が良い。リピーターになりたい。疲れがとれそうだ。 夕食はミン先生が車でレストランに連れて行ってくれた。去年も行っ たところだ。このすぐそばに去年泊まった幽霊ホテルがある。料理は中 華で、ゆっくり出てくため、食べ過ぎた。おねだり上手のネコが、私の 足元から「えさを頂戴」とすりよってきた。余ったエビの頭などをあげ る。 この日の夕食付近でカメラを無くしてしまった。せっかく撮った写真 が全て無くなってしまった。ホテルや、レストランを探してもらったが 出てこなかった。 ホテルにもどり、就寝。その後、私は食中毒になってしまった。 9 月 24 日(水) 午前 2 時頃、気分が悪くて、目が覚めた。だんだんお腹の調子も悪くなり、さらに熱が出てき た。吐き気で 1 時間おきに目が覚める。朝 5 時をすぎても症状がよくならないので、 「今日はセミ ナーに行くのは無理だ」と諦めた。今日から、北部医科学研究所でインフルエンザ検出セミナー を行う予定であり、それが今回のミャンマー出張の目玉にも関わらず。 朝ご飯も食べられずに寝ていた。隣の部屋へ、近藤君が戻ってきた気配がするので、 「具合が悪 くて今日のセミナーは出られない」と話し、予定の資料を渡した。その後、八時半に、長谷川先 生が「大丈夫?ミン先生に伝えるから」と声を掛けてくれて、私を残して一同は研究所に向かっ た。昼食頃に、ミン先生と長谷川先生がやってきて、ジュースを持ってきてくれた。 「どうします か、薬ありますか?病院行きますか?」とミン先生に聞かれたが、薬はあるのでとにかくホテル で寝ると伝えた。ホテルのベッドはとても寝心地が良かったのが幸いした。とにかくその日はず っと寝ていた。 3 新潟大学 大学院医歯学総合研究科 国際保健学分野 夕方、ミン先生が、おかゆを持ってきてくれた。ミネラルウオーターと、経口補液の粉末も。 全身倦怠感が強く、ミン先生がきても起きていられない。脂っこいものは食べる気がしないので おかゆはありがたかった。ミャンマー式のステンレス製の 4 段の容器だ。スプーンはどこかな、 と思ったら、1 段目にスプーンが入っていた。2段目には塩、3段目、4段目にはおかゆが入っ ていた。さすが気配りのミン先生。おかゆを食べ、また横になる。熱が下がってきたらしく少し 楽になった。抗生剤のクラビットを昼頃に飲んだがそれも効いてきたようだ。 (つづく) 4
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