第 3 部 長文読解力を測る問題

2013 年 5 月 26 日
第 1 回 法科大学院全国統一適性試験
第 3 部 長文読解力を測る問題
《タイムスケジュール》
3
15:00 「長文読解力を測る問題」の試験開始
15:40 「長文読解力を測る問題」の試験終了
《注 意 事 項》
1 .受験にあたっての注意
⑴ 試験開始の合図があるまで,本問題冊子の中を見てはいけません。
⑵ 試験時間中,机の上に置いておけるものは,受験票,鉛筆,消しゴム,手動の鉛筆削り(ナイフ,
小刀不可)
,腕時計,腕時計に準じるサイズの置き時計,眼鏡だけです。その他のもの(筆箱,眼鏡ケー
ス等)はカバン等に入れてください。
⑶ 試験時間中,試験問題の内容についての質問はできません。試験問題への疑義については,試験
終了後,適性試験管理委員会に連絡してください。個別に回答することはできませんが,疑義の内
容は出題者に伝えられます。
⑷ 解答用紙へのマークは,HBまたはBの黒鉛筆を使用してください。その他の筆記具(HB・B以
外,シャープペンシル等)を使用した場合,採点機械で読みとることができず,無答と判断されるこ
とがあります。
⑸ 解答用紙へのマークは,各問題につき 1 つだけマークしてください。2 つ以上マークすると無効に
なります。誤ってマークした場合は,跡が残らないようにきれいに消しゴムで消してください。解
答用紙は折り曲げたり汚したりしないでください。
⑹ 問題冊子の余白は利用して構いませんが,どのページも切り離してはいけません。ページを切り
離した場合,不正行為とみなされる場合があります。
⑺ 各部の試験開始から試験終了(解答用紙の回収時間を含む)までは,解答が終了しても途中退出は
できません。ただし,トイレ・急病等,やむをえない事情で退席する場合は,挙手をして試験監督
員の誘導を受けてください。
⑻ 試験を棄権する場合,挙手をして試験監督員の誘導を受けてください(問題冊子と解答用紙は回収
します)。なお,本適性試験は,第 1 部∼第 4 部すべての試験に解答が義務づけられていますので,
このうち 1 つでも棄権・欠席すると,すべての試験で採点されません。
⑼ 試験終了後,問題冊子はお持ち帰りください(解答用紙は回収します)。
2 .不正行為・迷惑行為の禁止
以下の行為があった場合,
「失格」とし,その時点以降の受験をお断りします。また,当該年度のす
べての受験を無効とし,結果の発送は行いません。次回以降の受験もお断りします。
なお,法科大学院に対して当該受験者が「失格」となった旨,報告することがあります。
①試験中に,他人に援助を与えたり,他人から援助を受けた場合
②他人に代わって試験を受けた場合
③他人に対する迷惑行為を行った場合
④試験監督員の指示に従わなかった場合
⑤その他不正行為を行った場合
3 .その他
本試験において利用した著作物のうち,問題作成の都合上,必要があるものについては,修正を加
えています。
(無断転載を禁止します)
適性試験管理委員会
公益財団法人
法科大学院協会
公益社団法人
日弁連法務研究財団 商事法務研究会
試験問題は次頁から
長− 1
(無断転載を禁止します)
【長文読解力を測る問題】
以下の問題 1∼4 は,文章およびそれに基づき出題された小問からなっている。文章に
記述または含意されている事柄に基づいて,各小問に解答しなさい。
問題 1
王朝の文芸と江戸のそれとを通じて,一般に都市住民の田舎人をみる目はきびしかっ
た。田舎人にとって残酷なまでにという感じをうけるのは,今日にあっても田舎出身者だ
けであろうか。だが,それにもかかわらず,また江戸が京都を模範としてその文化移入に
つとめたという事実にもかかわらず,江戸は田舎人にとって京都とはちがった意味をもった。
京都も江戸も,諸国の物資が集まり,田舎にはない各種の文物がゆたかにみられる土地
であった。それは,多くの田舎人にとって魅力になった。この点では両者の差は基本的に
はない。先進の地という位置を両者は諸国に対してもつことができた。
ただ,京都に対して,これをこえる都という意識をもった都市として出現したのが江戸
であった。都市江戸はその開設早々から,あずまの都を称しただけでなく,天下を支配す
る将軍家の居所として,こここそが都であるという感覚をもった。18 世紀の中頃には,
江戸人の自負は京都よりも江戸にこそ高い文化があると意識するまでに至ったが,それは
たとえば西陣機業の絹織技術独占体制がくずれて各地に機業が興っていく時期でもあっ
た。江戸の興起は,京都に対する「地方の独立」の一環でもあったのである。京都人の目
では江戸も田舎であり,江戸と田舎とは共通の立場をもったが,それはなお実体をふくん
でいた。
新興都市江戸の住民の多くが諸国からの移住者で,江戸人のいう田舎者とは,所詮早く
の江戸移住者が後来の移住者を呼んだことばにほかならなかった。京都が諸国人とくに近
畿地方以外の諸国人に対してもったような隔絶した地位を,江戸はもたなかった。江戸人
の多くは田舎に故郷をもち,また田舎人の少なくない部分のものが江戸生活を経験し江戸
に知り合いをもった。古代の諸国人が京都をみた目に比べて,諸国人の江戸との関係は
ぐっと近しいものであった。
江戸と京都とのこのちがいは,京都自体の変化の延長上にあった。漢字で表現すれば夷,
すなわち未開の異人種であるかにみた畿外の世界を畿内のなかの都ならぬ部分,すなわち
「いなか」ということばで呼ぶようになったのは,その変化のひとつのあらわれであった。
中世とくにその後半には,足利一門とともに京都に移ってきた三河出身の侍たちが,その
ことばや習俗をここに持ち込んだというし,京都貴族や職人たちの地方流出もあった。京
都と地方との文化距離は狭まっていったのであり,江戸はそうした傾向を格段と強めた位
置で出発した都市であった。地方人の活動舞台のひろがり,あるいはその歴史主体として
長− 2
(無断転載を禁止します)
の成長が京都を変え,江戸は諸国人成長の上に発展した都市だったのである。
都市文明の名を独占する立場になかったことも,江戸の位置を京都と異なるものとす
る。江戸の繁栄期にも,京都はなお王城の地としての文化伝統を誇り,江戸は大坂をふく
む三都のひとつであった。外国人との接触が将軍家政府によってきびしい取締りをうけ,
ひとびとの接しうる世界が限定されたことは事実だが,江戸にはない文物に長崎や対馬,
琉球などを通じて触れる機会があった。諸国人の江戸をみる目は,必ずしもただ一つの
「文明」の世界というものではなかったのである。
京都の世界は,
「ひなびた」諸国の民が都の風に接して「みやび」をならうことを期待
した。江戸の流儀を田舎に伝えたいという願望が,参勤交代で江戸のくらしを経験し城下
町でもこれに似たくらしを願う武士たちのなかなどにあったことはまちがいない。だが,
村々の住民が江戸の流行に接して,これにあこがれこれにならうことは,一般に領主たち
にとって警戒し戒めねばならないことであった。新しい物資への欲望,労力の軽減,豊富
な娯楽への願望をひとびとが強めることは,人民支配にとって好都合ではない。そこで,
城下町についても,その気風は村方に及びやすいから,江戸風化を願う武家たちの願いは
抑制されねばならない。諸国人の江戸文化の摂取は,そこで江戸将軍家を筆頭とする支配
層の意にさからって進行するという面を多分にもった。江戸の「文明」によって諸国人民
を導くというのとはまったくちがった現象であった。
現代人の多くをとらえている進歩史観とは正反対の感覚が,江戸時代には知識人層を
①
ふくめた多くのひとに抱かれていた。古い時代をよき世とし,時代を経過するにしたがっ
て世の中は悪く変わっていくという感覚である。「このごろは,田舎人も,都に来りて,
時のことばを習」っていき,
「田舎のことばもよきにかはりたり」というのは,実は「あ
しきにかはりたるなるべし」とは,荻生徂徠の意見である。人類史一般のなかではとくに
変わった見方というわけではない。江戸時代人に親しまれた中国の儒家古典や,インドに
起源する仏教経典もそうした立場をとっていた。国学者もまた「いにしへのみやび」にあ
こがれた。ここからもまた,江戸の諸国に対する位置が条件づけられる。京都がいにしえ
のみやびを,わが町の文化伝統と主張できる立場にあったのに対して,江戸は新しい都市
であった。
『竹斎』に描かれたような「みやび」の伝統を京都からうけついだ面はあったが,
そこで京都世界に追いつき追い越したことで江戸の地位が確立したわけではない。江戸は
田舎興起のなかで発展した都市にふさわしく,その繁栄は,
「みやび」を中核とするもの
ではなかった。
しかも徂徠のように,田舎にこそ「いにしへのみやび」ありとみる主張はかなりの力を
もった。それは,江戸に触れて欲望を高める人民を不当とする領主層の利害とも通ずるも
のであって,江戸を「進んだ世界」とはみても,価値の源泉である高い「文明」の世界で
あるとはみにくくした。9 世紀の京都が 15∼16 世紀までに町衆の町となり,各地のひと
びととの交流を深めていったのをうけた江戸であったが,先行の京都の存在をはじめとし
長− 3
(無断転載を禁止します)
て,諸国人が江戸を唯一の価値の源泉とみることを妨げる条件も多かった。江戸を先進と
みても,そこに高い価値観を認めない立場もあったのである。
このような江戸の位置は,近代の東京とも区別されるものであった。東京は江戸の位置
を継いだが,京都の「都」の移転でもあった。天皇と「みやび」とを東京に移した新政府
の施策は,東京に,全国の人民を教化する拠点という意味合いをもたせた。天皇は最高の
教権も手中に集約して,みずから道徳の体現者となった。その天皇の居所であり,将軍家
政府よりはるかに強力に学校と軍隊とを通じて国民教育を展開した政府の拠点が東京で
あった。
旧幕時代の悪習を強調し,人民の頑迷・未開を指摘して,その習俗をかえるという欲求
を強くもった政府は,欧米の「文明」の全国への流布をその手段とした。その際に,東京
こそが「文明」の窓口の役を担わされた。欧米の文物は,圧倒的に多くが政府ないし東京
を経由して地方に及んだ。横浜・神戸などを例外として,政府機関に属しないひとが,直
接欧米文化に触れる機会は多くはなく,地方布教をはかった欧米人キリスト教会の活動
は,しばしば官憲の妨害と警戒をうけた。アジア諸国民との交渉は必ずしも東京中心だけ
ではなく,社会の底辺で無視できぬ意味をもっていたであろうが,国民教育と軍隊とが,
また戦争と植民政策とを中軸にした政府の施策とが,アジア諸民族への敬意を失わせ,そ
こからの文化輸入を妨げた。こうして江戸に比べての東京は,地方人に対して唯一の「文
明」拠点であるかのようなすがたを強めた。
江戸の先進性は京都とも東京ともちがった。欧米を上,アジアを下にみて,その中間に
自己を位置づける発想に,江戸のばあいは結びつかないようである。
東京がますます膨張し,その全国における中心性はいっそう強まっていくかにみえるな
かで,東京と地方との関係を大きく動かす条件もまたひろがってきている。海外旅行の膨
大な経験者は,むろん東京人に限ったものではなく,各地の都市はしばしば外国都市と姉
妹都市として提携関係をもつ。東京はもはや唯一の「文明」中心地の地位をすべりおりる
運命にあるといえようか。姉妹都市のなかには,むろんアジアの都市をもふくむ。欧米文
明を人類の文化のもっとも進んだものとみる感覚自体もくずれていこうとする。あまりに
も肥大化した東京が,ひとの生活に不適合を生じさせた問題も指摘されている。そして東
京という範囲がきわめて不明確になってきてもいる。神奈川・埼玉・千葉諸県の住民のう
ち,少なからぬ部分が事実上東京住民であるかのような環境にあり,区政施行地だけを
とっても,そこに東京としてのひとつのまとまりを見出しにくくしている。荷風の見た田
舎者の東京は,今では田舎をふくみこんでしまったともいえる。
東京あるいは首都圏の今後といった問題がここでの課題ではないが,
「先進」国と「後
進」国との問題など現代の人類がかかえる大きな問題にかかわるところでは,近代の東京
に比べても,江戸のほうが示唆するところが大きいのではなかろうか。
(塚本学『都会と田舎──日本文化外史』(平凡社)より)
長− 4
(無断転載を禁止します)
⑴ 以下のうち,本文中の「江戸」に関する説明として,適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .田舎人にとって京都と同じ意味を持つ都市だった。
2 .諸国人に対して,隔絶した地位を持つ都市だった。
3 .京都人の目から見ても,京都をこえる都市だった。
4 .都市文明の名を独占する立場にある都市だった。
5 .諸国人が成長してゆく上に発展した都市だった。
⑵ 以下のうち,本文中の「京都」に関する説明として,適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .諸国人がそのみやびに接し,ならう事を期待する存在だった。
2 .江戸とは違い,諸国の物資や様々な文物が豊かな土地だった。
3 .古代から現在まで,変わらぬ唯一のものとして存在して来た。
4 .江戸と同様に,諸国人との関係は非常に近しいものであった。
5 .畿内以外の諸国人に対して,格別の違いを持ちはしなかった。
⑶ 以下のうち,下線部①の内容を表すものとして,適切なものの組み合わせを 1 つ選び
なさい。
a.中国やインドにも,同じような考え方を見出すことが出来る。
b.江戸時代において,知識人層だけに受容された考え方だった。
c.国学者にとっては憎むべき,悪しき考え方として捉えられた。
d.長い人類の歴史の中では,甚だ異例とも言うべき見解だった。
e.田舎人が都の流行り言葉に染まるのは,悪い事だという考え。
1 .ab
2 .ae
3 .bc
4 .cd
5 .de
長− 5
(無断転載を禁止します)
⑷ 以下のうち,本文中の「文明」に関する説明として,適切なものの組み合わせを 1 つ
選びなさい。
a.諸国人を導き,それにならわせるようなもの。
b.現在も東京だけが,その役割を担っている。
c.唯一それしか存在しない価値の源泉である。
d.かつて,江戸が一手にその役割を担っていた。
e.複数のものが存在し得る様な価値の源泉である。
1 .ab
2 .ac
3 .bc
4 .cd
5 .de
⑸ 以下のうち,本文中の「東京」に関する説明として,最も適切なものを 1 つ選びなさ
い。
1 .現代においては明確な範囲を持つ都市となっている。
2 .「都」は東京に移ったが,
「みやび」は京都に残された。
3 .アジア諸国との敬意を持った交流の中心都市だった。
4 .欧米とアジアの中間に位置づけられる都市だった。
5 .現在に至るまで,一貫して唯一の文明の中心地だった。
⑹ 以下のうち,本文中全体に関して,適切でないものを 1 つ選びなさい。
1 .江戸は,京都をモデルとして,その文化を移入することに努めてきた。
2 .江戸と京都の両者は,諸国人の目には,いずれも先進地として映った。
3 .田舎人と江戸人との交流は乏しく,前者にとり江戸は未知のものだった。
4 .地方人の歴史主体としての成長は,その活動舞台としての京都を変えた。
5 .東京は地方との関係からみると,唯一の文明中心地から滑り落ちつつある。
長− 6
(無断転載を禁止します)
問題 2
どこの商店街にも,顔を覚えるのが得意な店員が 1 人か 2 人はいる。筆者が学生のころ
にアルバイトしたクリーニング店にも,ほぼ全員の客の名前と顔を記憶していたおばさん
がいた。伝説的な達人では,一度泊まった客の名前とエピソードまでをも頭にたたきこめ
るホテルマンもいる。
たくさんの顔を覚えられる人は,特別な才能をもっているのだろうか……顔研究を続け
てきた今になって,改めて考えさせられることである。なぜなら,
「こんなにたくさん顔
を記憶できる人がいます!」という逸話を耳にする機会が増えたからだ。
中でも驚いたのは,特殊な捜査員の話である。一度も会ったことのない犯人の顔の写真
をリストにして 100 人ほども記憶して,検挙するのが仕事だ。写真でしか見たことのない
犯人を雑踏の中から見つけだし,逮捕した実績もあるという。
常識からすれば「へえ,それくらいは覚えられるかな」と思う程度であろうが,顔研究
を続けてきたプロの立場からすると,驚きの能力だ。記憶できる顔の数が多いだけではな
い。ふつうに顔を覚えるルートの逆をたどる,難易度の高いやり方で顔を記憶しているの
だ。
A
写真はある瞬間の顔を切り取ったものである。写真のうまい下手があるように,その切
り取り方によっても印象は変わる。そんな写真だけを使って,初対面の相手の人となりを
うかがい知るのは難しいことだ。
顔を記憶するのは,単語帳で英単語を覚えることや,歴史の年号を覚えるのとは,決定
的に違う。無意味でも覚えられる数字の記憶と違って,顔は相手の人となりを理解しない
と覚えられないところがある。顔の記憶にはその人の特徴……強い人かやさしい人か,ど
んな仕事をしているのか……などといった情報が付随している。
つまり,顔はその人とかかわっているうちに自然に覚えるのである。単語や年号のよう
に一所懸命集中して覚えるというよりも,自然と脳が活性化され,記憶される。それは顔
が( B )に結びついている証拠でもある。
もうひとつ,顔を記憶する能力は女性の方が優れているという研究者の間で言いかわさ
れるジンクスもある。表情を読みとる能力に限っていえば,女性の方が優れているという
実験結果もある。顔の記憶力はそれほど決定的ではないものの,社交的な女性の方が得意
だろうという暗黙の前提で,顔の記憶の実験では男女の比率が等しくなるようにしていた
りする。
ところが警察の捜査員の選定には,性差は通用しないそうである。新聞記者を通じて事
情を尋ねてみたところ,捜査の性質上,犯人逮捕の能力が,顔を見る能力よりも優先され
るからだという。人ごみにうまくまぎれ,犯人からは気づかれず,1 人だけでも凶悪犯と
長− 7
(無断転載を禁止します)
たい じ
対峙する能力が第一とされるのだ。顔を記憶する訓練も,体育会系の気合で覚えるらしい。
ということは,男女を問わず,誰でも訓練次第で特殊捜査員になりえるともいえる。あ
る意味で,あらゆる人が,顔を見るプロになる資質をもっているともいえるのだ。
写真だけで犯人を探しだす特殊捜査員は,( C )。犯人の顔を鮮明に記憶するた
めに,その人らしさが出ている写真を選んでいるという。どうやら人物写真には,人物写
真特有の善し悪しがあるようだ。つまりそれは,その人個人のアイデンティティをうまく
表現しているかどうかである。
そもそも顔を映しだすカメラの機能は,私たちが顔を見る目とは決定的に違う。知らな
いうちに見るものを補正しているのが,人の見方だ。人が世界を見るときは,目だけでは
なくて脳も使っているからだ。
たとえば,ビルの合間の地上に近い位置に浮かんでいる大きな満月。そんな光景をカメ
ラで撮ってみたところ,大きいはずの満月が米粒のように小さく写っているのに驚いたこ
とはないだろうか。それはカメラがおかしいのではなくて,私たちの目が「ずる」をして
いる証拠である。見たいものだけに焦点を当て自動的に大きさを調整しているのが,私た
ちの目と脳の連携による巧みな技なのだ。
人の目や脳と比べれば,カメラはありのままを写すだけの機械だ。そんなカメラをどの
ように使いこなせば,私たちの期待を裏切らない世界を作りだせるのか,ありありとした
「その人らしさ」を撮ることができるのだろうか。
プロの立場で,人物写真はどのように撮っているのだろうか。
『ASIAN JAPANESE』
や『十七歳』に代表されるような,印象的な人物写真集を撮っている,カメラマンの小林
紀晴さんに伺ってみた。
私たちの目とカメラの最大の違いは,陰影の受けとり方にあるという。人が対象を観賞
しようとするとき,目を動かして上から下へと眺める。そしてそのわずかな時間の合間に,
目は光を自動的に調整する。結果として,陰影の印象が薄れることとなる。
とら
一方でシャッターを押す瞬間にすべてを捉えるカメラでは,陰影を強く表現することが
できる。その特徴を生かして,陰影で人物を表現することも可能なのだ。こうした特徴を
知り尽くしたカメラマンは,光がどこから届き,どのように影ができるかを常に意識して
いるそうだ。
影による表現テクニックは,奥深い。被写体が男か女かで,影のつき方を使い分けるこ
ともできる。男性には影をつけ,逆に女性には影をつけず,反射した光で表現する。顔で
男女を見分けるのは,骨格と肉づきにある。ごつごつした男性の顔は影をうまく使って表
現できるし,女性の丸みを帯びた顔は影を消すことによって演出できるのだ。
私たちの目と比べると,その機能は単純なカメラではあるが,使い手によってはまった
く違うものを作りだすことができる。カメラマンにとって,カメラは自分の気持ちや感情,
長− 8
(無断転載を禁止します)
それに伴う生理的なものまでも表現しうる手段になるというのである。たとえば『ASIAN
JAPANESE』に表現された独特な緊張感,読者をひきつける存在感をもつアジアの国々
で暮らす現地の人々。素人ではなかなか足を踏みこめないところに忍びこんだような危険
な感じ。カメラという道具を使って,自分と対象との人間関係までをも切りだしているよ
うである。
小林さんの話を聞いているうちに,人物写真の撮影は,個人と個人とのガチンコ勝負の
ようにも感じられた。カメラという道具を間に置いて,写真を撮影する側とされる側とが
ぶつかりあう。日常から切り離されたスタジオでも,撮影は悠長に進んでいるわけではな
い。小林さんは,撮影を開始する前にイメージを作りあげ,短時間で撮りきるようにして
いるそうだ。
こうした個性的な人物写真と対立するのが,構図の決まった証明写真や卒業写真など
だ。卒業写真では学生はいかにも学生らしく,教員は教員らしく写っている。こうした写
真は,その人の属する集団を強く写しだす。そこでは漠然とした個人差は表現されても,
その人らしさをおおっぴらに表現するのは難しいようだ。先の特殊捜査員も,記憶する媒
体としては,この手の写真を避けているのではなかろうか。
小林さんはかつて,新聞社の専属カメラマンであった。新聞に掲載される人物紹介の写
真にも,決まった構図があるという。作家は作家らしく,政治家は政治家らしく撮られる
ことが優先される。
そんな枠組みを捨て去るため,専属カメラマンからフリーランスになる際の最初の写真
集では,すべての写真を頭に入れ,そのすべてが違った構図になるように努力したそうだ。
写真集 1 冊分の写真を残らず頭の中にたたきこむとは,ずば抜けた能力ともいえる。ま
さしく,カメラマンとしての訓練のなせる技だ。
余談だが,カメラマンとしての特殊な技能の話も聞いた。新聞社のカメラマン時代,白
黒が反転したネガを見続けていたために,ネガでも顔がわかるようになったという。そし
て,ネガで視線が合っているかどうかも,見抜くことができたという。これも立派な特殊
能力だ。先にも書いたように,通常ネガになっただけで,人物はわかりにくくなる。それ
ほど強い影響があるにもかかわらず,ネガを見続けることによってそれを克服できたとい
うのは,驚きだ。
( D )について話を進めているうちに, アマの能力の意外な高さが見えてき
①
た。顔を見るプロは,アマがふだん気にもとめずに使っている顔の見方を,意識して積極
的に使っているだけなのかもしれない。とすれば,私たちは誰でもプロになれるのだろう
か。
(山口真美『美人は得をするか「顔」学入門』(集英社)より)
長− 9
(無断転載を禁止します)
⑴ つぎの 7 つの文章は,本文の A に入るものである。以下のうち,これらを正しく
並び替えた順序を示すものを 1 つ選びなさい。
a.そこにはしぐさもあるし表情もある。
b.いろいろな向きの顔をみることもできる。
c.顔を覚えるのが上手な商店街のおばさんは,会話上手である。
d.しぐさや表情は,その人らしさを的確に表現する大切な情報だ。
e.こうした現実の顔と比べると,写真だけに頼って顔を覚えることは,相当難しいと
いうことがわかるであろう。
f.一般的には,現実に出会った人の顔を記憶する。
g.お客さんと接しながら,その人のもつ特徴的なしぐさや表情をうまいこと引き出し
て記憶している。
1 .c−g−a−b−d−f−e
2 .d−a−b−c−g−e−f
3 .d−f−a−b−e−c−g
4 .f−a−b−d−c−g−e
5 .f−c−g−a−b−e−d
⑵ 以下のうち,
( B )に入るものとして,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .「形」や「大きさ」
2 .「教育」や「経験」
3 .「社会」や「感情」
4 .「色」や「音」
5 .「言語」や「記号」
⑶ 以下のうち,
( C )に入るものとして,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .できるだけ顔のはっきり写った写真を探す
2 .どんな写真でも記憶できるように訓練している
3 .写真にない情報も収集している
4 .記憶すべき写真を的確に選んでいる
5 .毎日のように写真を見るようにしている
長− 10
(無断転載を禁止します)
⑷ 以下のうち,本文中の指摘と合致するものを 1 つ選びなさい。
1 .特殊捜査員の能力は,多くの顔を記憶できるだけではなく,その人の特徴を想像す
ることができる点にある。
2 .顔を映し出すカメラの機能は,人間の顔を見る能力よりもかなり単純で,多様な表
現には向いていない。
3 .顔の記憶は,英単語や歴史の年号の記憶と異なり,より高度の集中力が必要とされ
る。
4 .人間の目は,陰影を調節することによって,みたいものに焦点を当て,大きさを自
動的に調節する。
5 .写真は,構図の取り方によって,その人の所属する集団を強く写し出したり,個性
を強調したりすることもできる。
⑸ 以下のうち,下線部①が示す能力と合致するものを 1 つ選びなさい。
1 .どこの商店街にも,顔を覚えるのが得意な店員が 1 人か 2 人はいる点
2 .僅かな時間の間に,目が光を自動的に調節することのできる能力
3 .目と脳の連携により見たいものだけに焦点を合わせることができる点
4 .相手の人となりを理解したうえで顔を記憶している点
5 .訓練すればネガで視線が合っているかどうかも見抜けるようになる点
⑹ ( D )には本文のタイトルとしてふさわしい語句が入る。以下のうち,最も適切
なものを 1 つ選びなさい。
1 .顔を見るときの脳と目の働き
2 .顔の見かたのプロとアマの違い
3 .カメラマンの視点と素人の視点
4 .顔の記憶の訓練法
5 .写真の写し方と使い方
長− 11
(無断転載を禁止します)
問題 3
カメレオンの本当の色は何だろうか。もちろんそんな色などがないことは誰でも承知し
ている。木の葉の中での緑色,岩場の上での茶褐色,それぞれその場その場の色のどれも
が真実の色であって,その中でこれこそ本物の色だというような色はありはしないからで
ある。だがカメレオンや七色変化の紫陽花とは違って,色変わりをしないものには「本当
の色」がある。そう思う人もいるだろう。
しかし例えば着物の生地に本当の色といったものがあるだろうか。昼と夜,窓辺と部屋
の隅,蛍光灯と白熱電球,生地をのせた台の色,見る人の眼の具合,こういった様々の状
況でその生地は様々な色に見える。それら様々な色の中でどの色がその「本当の色」だと
言えるのか。青磁の壷や翡翠の帯留めは,どの向きからどのような近さで見たときにその
本当の色を見せると言うのだろうか。いやこういう場合にもその折々の様々な色のすべて
が本当の色なのであって,特定の一つの色が他を差しおいて真実の色になるわけではある
まい。ステレオのハイファイ※ 1 が音響マニアの間でやかましくいわれるのは,その装置
が出す音が演奏現場の生の音をどれだけ忠実に複製しているかということであろう。しか
し演奏会の生の音自身が座席によって様々に聞こえる。そこでこの座席で聞く音こそ本当
の音なのだ,といえるような座席があるだろうか。座席によって料金が違うのは高い席ほ
どより真実の音が聞けるからだろうか。そうではあるまい。いい席ほどよく聞こえるだろ
うが,よく聞こえることがすなわち本当の音が聞こえるということではない。天井桟敷で
聞く音もそこで聞こえる本当の音であることでは平土間で聞く音と何のかわりもない。真
へん ぱ
実とは貧しく偏頗なものではなく豊かな百面相なのである。
それなのに人はえてしてことを一面相で整理したがるようにみえる。例えば知人の人柄
をあれこれ品定めするとき。彼は本当はいい奴なんだ,一見人付き合いは悪いけど本当は
親切な男なんだよ,こうした評言はどこにいても聞かれる。こうした言い方の中には,人
しばしば
には「本当の人柄」というものがあるのだが屢々それは仮面でおおいかくされている,と
いった考えがひそんでいるように思われる。人を見る眼,というのもこの仮面を剥いで生
地の正体を見てとる力だと思われている。しかし,
「本当は」親切な男が働いた不親切な
行為は嘘の行為だといえようか。その状況においてはそういう不親切を示すのもその親切
男の「本当の」人柄ではなかったか。人が状況によって,また相手によって,様々に振る
舞うことは当然である。部下には親切だが上役には不親切,男には嘘をつくが女にはつか
まだら
ない,会社では陽気だが家へ帰るとむっつりする,こういった斑模様の振る舞い方が自然
なのであって,親切一色や陽気一色の方が人間離れしていよう。もししいて「本当の人柄」
を云々するのならば,こうして状況や相手次第で千変万化する行動様式が織りなす斑なパ
ターンこそを「本当の人柄」というべきであろう。そのそれぞれの行為のすべてがその人
間の本当の人柄の表現なのである。普段はケチな男が何かの場合涙をのんで大盤振る舞い
長− 12
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をしたとしても,それは演技でも仮面でもない。それはその人間の涙ぐましい真剣な行為
であり,その人の本当の人柄の現れなのである。その演技にだまされたと言う人は何も嘘
の行為にだまされたのではなく,その行為から誤ってその人は普段もおごり好きだと思い
こんだだけである。それは統計的推測の間違いであって,その大盤振る舞いが何かにせの
行為であったというのではない。
観世音菩薩も衆生済度のため様々な姿をとられた。六観音とか三十三観音とか。その多
様な観音の本元は聖観音だといわれるが,だからといって他の観音がにせの観音だという
ことにはなるまい。その変化変身のいずれもが正真正銘の観音である。聖観音はただ,観
音の基本形だというだけであって唯一真実の観音だというのではないであろう。人間もま
た済度のためではなくても生きるがために様々な姿を示すのである。そのいずれの姿も真
実の一片であり百面相の一面なのである。人の真実はどこか奥深くかくされているのでは
ない。かくそうにもかくし場所がないのである。その真実の断片は否応なく表面にむきだ
しにさらされている。そしてそれらを集めて取りまとめれば百面相の真実ができあがるの
である。 人の真実は水深ゼロメートルにある。
①
世界の姿もまた百面相であらわれる。小石一つとってもその姿は私のそれを見る角度や
距離,お天気具合やまわりの事物によって無限に変化する。そのどの姿も等しく真実の姿
であり,その中から何か一つの姿を,これこそ真実だ,と特権的に抜き出すことはできな
い。そのとき私の眼に故障があると小石はいびつな形の姿に見えるだろう。しかしそのい
びつな小石の姿もまた真実であってにせ物ではない。正常な眼に見えるまろやかな小石の
姿と,故障のある眼に見える歪んだ姿との間には何の真偽の別もない。その小石は健全な
眼にはまろやかに,悪い目には歪んで見える,そういう小石なのである。
夕暮れに山道を歩いていてふと前方の道の曲がりかどに人がたたずんでいるのが見え
た。だが近よってみると奇妙な形をした岩であった。こうしたとき人は先刻見えた人影を
錯覚だとか幻影だとかと言うだろう。そこには岩があるばかりで人間などはいなかった,
だから私に見えた人影はただ私の心だとか意識の中にだけあったものだと。だがこの一見
無邪気で至極当然な考え方が実は 危険な世界観の発端になる。というのはこれが,真実
②
の世界と私に映じたその世界の姿という「本物─写し」の比喩の入り口だからである。一
つの本物の世界(客観的世界)とその十人十色の写し(主観的世界像)という図柄の比喩
である。この比喩からいえば,同じ一つの世界が人様々に映じるのは当然のことであるし,
人間レンズや人間フィルムが悪ければ歪んだ像が映るのも道理である。またフィルムがど
うかしておれば実物がないのに幻影が生じることにもなる。こうして真実の世界は,われ
われに映じたその姿という映写幕によってさえぎられへだてられることになる。事実,大
脳生理学や精神病理学はこの比喩をベースにした言語で語られているようにみえる。
だがこの比喩こそが実は幻影なのであるまいかと私には思われる。だからこの比喩の入
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り口に立ち戻ってみよう。山道の人影はそれが私に見えたとき真実そこにあったのではな
いか。そのとき世界は真実そのような姿であらわれたのではあるまいか。奇妙な形の岩は
白昼近よって見ればまごうことなく岩の姿であらわれる,それと同様に薄暗がりの遠目に
は時に人の姿であらわれる,そういった種類の物ではないか。その岩もまた,そしてその
岩を含む世界もまた百面相であらわれるのである。それはかくし絵だとかロールシャハ図
形だとか反転図形だとかが様々な姿であらわれるのと同様である。芥川の有名な「藪の中」
の一見互いにくい違う証言も実はすべて嘘いつわりのないものであった,ということも不
可能ではない。一つの事件が当事者の各々にそれぞれ違った姿であらわれることはありう
る,というよりはそれがむしろ常態ではあるまいか。
それにもせよ,遠目に見えた人影が見誤りであったことには違いない。だがこの「誤り」
とはこの世界に実在しない虚妄の姿を見たという意味での「誤り」ではない。その人影は
たしかに一刻そこにあらわれたのである。岩はたしかに人影にあらわれたのである。ただ
その一刻の面相を永続する堅固な面相だと思いこんだ,という点においての「誤り」なの
である。それは,金ばなれのいい振る舞いをただ一度だけ見てその人は常々も金ばなれが
いい人間だと思いこんだときの誤りと同類の誤りである。この種の「誤り」は時に致命的
な結果を引きおこす。暗い波止場で海面を道路だと「見誤った」ドライバーは命を失いか
ねないし,アパートの隣室をわが家と見誤った人は面倒なことになる。だからこの「誤り」
にはわれわれの命と生活がかかっている。
しかしこの「誤り」は上に述べてきた意味での真実に対しての誤りではない。それは
( A )なのである。真実の百面相の中でわれわれの命の安全と生活の安穏の目印
になる面相を「正しい」とし,われわれを誤導しやすい面相を「誤り」とする,こうした
生活上の分類なのである。だからこの分類は世界観上の真偽の分類ではなく, 極めて動
③
物的でありまた極めて文化的でもある分類なのである。それを取り違えて真実と虚妄の分
類だとするとき,( B )とその( C )の剥離の幻影に陥ってしまう。そ
してわれわれは世界とはじかに接触できず,その主観的映像というガラス戸越しにしか世
界を眺められないといった虚妄にはまるのである。
※ 1 ハイファイ:ここでは高品質の音響再生装置のこと。
(大森荘蔵「真実の百面相」『大森荘蔵セレクション』(平凡社)より)
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⑴ 以下のうち,下線部①の比喩の趣旨として,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .人の表面に惑わされずその奥深くにある「本当の人柄」を見抜くことが大切である。
2 .「本当の人柄」は,人の表面的な行動や言動に現れている。
3 .人はえてして変化する状況を無視して物事を一面的に捉えてしまいがちである。
4 .表面的な変化の奥深くに「本当の人柄」が存在するという想定は誤りである。
5 .唯一絶対の真実などというものは人柄については存在しない。
⑵ 以下のうち,下線部②「危険な世界観」として著者が本文で想定しているものを 1 つ
選びなさい。
1 .客観的世界は実在するが人間はそれを認識できないという想定
2 .すべての主観的世界像がそれぞれ真実であるという想定
3 .客観的世界は実在せずすべては私の意識であるという想定
4 .主観的世界像は客観的世界の写しであるという想定
5 .主観的世界像と客観的世界とを区別することはできないという想定
⑶ 以下のうち,
( A )に入る語句として,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .虚妄の中での「正しさ」
2 .真実の中での「誤り」
3 .虚妄に対しての「正しさ」
4 .真実とは異なる「誤り」
5 .虚妄とは異なる「誤り」
⑷ 以下のうち,下線部③の趣旨として,適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .その人の感性や文化によって異なる相対的な分類
2 .それぞれの人の主観によって異なる相対的な分類
3 .生活の安穏や命の安全を基準とした独自の分類
4 .客観的な世界の姿とは異なる誤った分類
5 .客観的に正しいかどうかを基準とした分類
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⑸ 以下のうち,
( B )
( C )に入る組み合わせとして,適切なものを 1 つ選びな
さい。
1 .B:主観的世界像 C:客観的世界
2 .B:主観的世界 C:客観的世界像
3 .B:主観的世界像 C:客観的世界像
4 .B:客観的世界像 C:主観的世界
5 .B:客観的世界 C:主観的世界像
⑹ 以下のうち,本文全体の趣旨として,最もふさわしいものを 1 つ選びなさい。
1 .生活上の真偽の分類を世界観上の真偽の分類より優先してしまうことで生じる様々
な危険は,なるべく回避するべきである。
2 .世界観上の真偽の分類を生活上の真偽の分類より優先してしまうことで生じる様々
な危険は,なるべく回避するべきである。
3 .様々な「写し」の背後に「本物」が存在するという世界観を捨てることで,世界と
じかに接触することを試みるべきである。
4 .様々な「写し」の背後に「本物」など存在しないという危険な世界観を捨て去るこ
とで,世界の実相を見定めるべきである。
5 .様々に変化する表面に惑わされず,その背後にある「本物」の世界を見定めるよう
に務めるべきである。
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問題 4
アフリカ大陸中央のやや東側を,南北に巨大な峡谷が走っている。グレート・リフト・
バレー,日本語で大地溝帯と呼ばれる大地の裂け目だ。そこでは灼熱の太陽の下,北から
順にヴィクトリア湖,マラウィ湖,タンガニイカ湖という 3 つの巨大な古代湖が,悠久の
時の流れをものともせずに蒼い水をたたえている。いずれの湖からも,そこに固有の生物
種が多数,それも様々な分類群で見つかっている。中でもアフリカン・シクリッドと総称
されるカワスズメ科に属する淡水魚の種は,群を抜いて高い多様性を誇る。ヴィクトリア
湖では 500 種,マラウィ湖では 1000 種,そしてタンガニイカ湖では 200 種といった具合
だ。200 種とは,日本に生息する純淡水魚の全分類群を足し合わせてやっと届く種数だ。
①
1990 年代初頭,この巨大な湖群の小さなシクリッドで,左右性に関する大発見があった。
タンガニイカ湖のシクリッドの生態調査に世界で初めて本格的に着手したのは,日本の
京都大学のチームだった。1979 年,川那部浩哉(当時京都大学教授)を隊長とする最初
の調査隊がタンガニイカの湖岸に辿り着いたとき,若き群集生態学者,堀道雄もそこにい
た。調査隊が目標としていたのは,多種多様なシクリッドが湖の中でどのように共存して
いるのか,その機構を明らかにすることだった。そのためにはまず,シクリッドの各種が
どこに生息し,何を餌にしているのかを丹念に調べていく必要があった。調査隊は数カ月
の滞在ののちに帰国するというサイクルを数年おきに繰り返した。気の遠くなるような労
力を払い,複雑に絡み合ったシクリッド群集の全貌が徐々に明らかになってきた頃,偶然
か必然か,堀に予期せぬ幸運が訪れた。
タンガニイカ・シクリッドの一部に,鱗食魚(スケール・イーター)が知られていた。
鱗食魚とは読んで字のごとく,他種の魚から鱗を剥ぎ取って食べるという変な魚のことで
ある。全部で 6 種もいるのだが,そのうちの 4 種は深場に生息し,浅場でおこなわれてい
る普段の潜水調査では見かけることがない。深場のシクリッドを見るなら,湖畔の魚市場
をぶらつくに限る。ある日,堀は市場でザルに盛られ,一山いくらで売られているシク
リッドの中に,見慣れぬ姿の鱗食魚を目にした。深場に生息するものの一種だろう。あま
り欲しそうにして買い求めると高値でふっかけられるので,あくまでさりげなく選んで買
い求める。
持ち帰り,さっそく名前を調べる。日頃の調査でよく見かける 2 種と異なることは確か
なのだが,はっきりとした特徴がつかめない。 ② ,口を開けば確実に同定でき
るはずだ。そこで折りたたまれて格納されている下顎を引っぱってみたところ,その魚は
異様な口の開き方をした。真正面にではなく,右に大きくゆがんで開いたのだ。驚いた堀
は,同じザルに入っていたもう 1 匹の口も開いてみた。すると,今度は逆方向に開くでは
ないか!
2 度も驚かされた堀は,2 匹の口を何度も開け閉めしているうちに,この鱗食魚を新種
として記載した論文の一節を思い出した。そこには,この鱗食魚,ペリソダス・エキセン
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トリカス(
)の重要な特徴として口が左右のどちらかに曲がって開
くという記述があった(Liem and Stewart 1976)
。そしてそれは鱗を食べるための特殊化
であろうとも。つまり, 右に口が開くなら,餌食となる魚の左後方から突進し,魚の左
③
体側から鱗を剥ぎ取るのに好都合だろうということだ。学名の種小名にあるエキセントリ
カスとは,新種記載をおこなった当人たちの驚きを率直に表現したものである。
先人の驚きを追体験できた喜びの次に,堀の頭には疑問が湧いてきた。もし口が曲がっ
ていることが鱗食への適応なのだとしたら,他の鱗食魚でそうなっていないのはなぜだろ
うか。
とはいえ,たったの 2 個体を見ただけで仮説を立てるのは心もとない。何にせよもっと
標本を手に入れなければならないと堀は考えた。そこで暇を見つけては市場でエキセント
リカスを探してみたものの,結局その年の調査期間中にはそれ以上の標本を集めることが
できなかった。新たにこの深場にすむ鱗食魚をたくさん集めるのは容易なことではなさそ
うだ。でもひょっとしたら,これまでの長年にわたる調査で採集し,蓄積してきたシク
リッドの標本の中に混じっているかもしれない。そう思って帰国後,勇んで未整理の標本
を調べてみた。
鱗食魚だけを取り出し,口を片っぱしから開いて歪みを確かめていく。結果としてエキ
セントリカスは 1 匹も見つからなかったが, しかし,堀は気がついたのだ。…隠された
④
真実とは,疑ってかからないと見れども見えぬものである。
続いて堀の頭には,次々と疑問が浮かんできた。鱗食魚の各個体は,獲物の片方側の体
側しか襲えないことになるが,本当にそんなことになっているのだろうか。また左右二型
は遺伝的に決まっているのだろうか。それとも,使い勝手に応じて成長とともに変わって
いくのだろうか。そしてその比率は,人間の利き手のように一方に偏っているのだろうか。
それとも,シオマネキのように五分五分だったり,あるいは極端な偏りがあったりするの
だろうか。
ミクロレピス(
)とストラエレニ(
)は浅場に生息する鱗食魚
であり,手元に標本もたくさんある。堀はさっそく,その次の年の調査で囮を使った実験
をおこない,確かに口の曲がりに応じて襲う体側が決まっていることを確かめた。また親
魚と稚魚の組み合わせを調べることで,左右性は遺伝的に決められていると考えるのが妥
当だということまで明らかにした。さらに,これまでに捕り溜めた膨大な数の標本を調べ
た結果,これらの左右二型は比率にしておよそ五分五分であることもわかった。
ただし,この比率はあくまで全標本を合計して出した値だ。比率は毎年一定というわけ
ではないかもしれない。そこで年ごとに時系列を追って比率を並べていくと,奇妙なパ
ターンが浮かび上がってきた。すなわち比率が 5 割を中心にしてゆっくりと振動している
ように見えたのだ。つまり,頻度が 5 割を超えるまでは,少数派タイプが多数派よりも高
い割合で増加するという法則があるということだ。この法則は,左右性が次世代に遺伝し,
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かつ,少数派のタイプが多数派のタイプよりも多くの子どもを次世代に残すという仕組み
があるとしたら説明がつく。
つまり,たとえば左利き個体(左の体側がより発達し,右側に口が開くタイプ)が多数
派のとき,餌にされる魚たちは ⑤ 体側をより頻繁に襲われることになるので, ⑥ 側に注意が向くだろう。その状況では,注意が比較的おろそかになっている ⑦ 側から
襲いかかる ⑧ 利き個体のほうが高いハンティング成功率を上げることができるだろ
う。結果として, ⑨ 利き個体は ⑩ 利き個体よりもたくさん子どもを残すことがで
き,左右性の比率は五分五分に近づいていく。5 割を超えると今度は立場が逆転し,
⑪ 利き個体の割合は徐々に減少に転じるという按配だ。少数派に有利に働くこのよう
な自然選択のことを,負の頻度依存選択と呼ぶ。当時はまだ理論上でしか認められていな
かった,多様性の維持機構だ。
着想から 3 年。重厚なデータで幾重にも補強された研究成果は,権威ある科学雑誌サイ
エンスに掲載された。
私は京都大学総合人間学部の 3 年生のとき,他学部の講義をいくつか聴講していた。卒
業に必要な単位として認められるわけでもないのに,まことに殊勝なことであった。その
うちのひとつで,理学部で教授をされていた堀先生からこの研究の話を直々に聴く機会に
恵まれた。アフリカの古代湖というロマン,鱗食という驚くべきシクリッドの生態,そし
て左右性の周期的な変動という数学的な美に,いたく感動したことを覚えている。
(細 将貴『右利きのヘビ仮説──追うヘビ,逃げるカタツムリの
右と左の共進化──』(東海大学出版会)より)
⑴ 下線部①の「大発見」とはどれか。以下のうち,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .鱗を食べるために口が左右にゆがんで開くシクリッドを発見した。
2 .鱗食魚の口が右か左のどちらかに開く左右二型の比率が約 5 割であることを発見し
た。
3 .鱗食魚の右利きと左利きの割合が周期的に変動していることを発見した。
4 .左右性が少数派に有利に働く自然選択の実証例を発見した。
5 .左右性の周期的な変動という負の頻度依存選択理論を発見した。
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⑵ 以下のうち, ② に入るものとして,適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .鱗食魚は科ごとに歯の形と配列が違うので
2 .シクリッドは科ごとに歯の形と配列が違うので
3 .鱗食魚は種ごとに口の開く方向が違うので
4 .シクリッドは種ごとに口の開く方向が違うので
5 .鱗食魚は種ごとに歯の形と配列が違うので
⑶ 以下のうち,下線部③で例に挙げられている鱗食魚について,著者の考えと合致する
ものを 1 つ選びなさい。
1 .右利きの鱗食魚である
2 .左利きの鱗食魚である
3 .右利きの鱗食魚か左利きの鱗食魚かは不明である
4 .右利きの鱗食魚か左利きの鱗食魚かは定義しない
5 .右利きか左利きかは定義次第であり重要なことではない
⑷ 以下のうち,下線部④で示唆されている,堀の気づいた「隠された真実」の内容とし
て,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 .深場にすむエキセントリカスをたくさん集めることは容易でないこと
2 .エキセントリカスは未整理の標本の中には存在しないこと
3 .どの鱗食魚の標本も右か左のどちらかに口が開くこと
4 .浅場に生息する鱗食魚の左右性について,年ごとに時系列を追って比率を並べると,
それが 5 割を中心にしてゆっくり振動していること
5 .鱗食魚の左右二型が遺伝的に決まっているのか成長とともに変わるのか分かってい
ないこと
⑸ ⑤ から ⑪ には「左」または「右」が入る。以下のうち,正しいものの組み合
わせを 1 つ選びなさい。
1 .⑤左 ⑥左 ⑦右 ⑧右 ⑨右 ⑩左 ⑪右
2 .⑤右 ⑥右 ⑦左 ⑧左 ⑨左 ⑩右 ⑪左
3 .⑤右 ⑥右 ⑦左 ⑧左 ⑨右 ⑩左 ⑪右
4 .⑤左 ⑥左 ⑦右 ⑧左 ⑨左 ⑩右 ⑪右
5 .⑤左 ⑥右 ⑦左 ⑧右 ⑨左 ⑩右 ⑪左
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⑹ 以下のうち,本文全体の内容に則したタイトルをつける場合,最も適切なものを 1 つ
選びなさい。
1 .私が進化生物学を志したきっかけとなった研究
2 .左右性の進化の数学的な美に感動させられた研究
3 .高校生にもわかる負の頻度依存選択の理論的研究
4 .左右性についての進化理論の鱗食魚での実証研究
5 .鱗食魚についての進化生物学者の素晴らしい研究
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以下,余白
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