講義1 新約正典 ①正典性と文献性 ②霊感 ③霊感に関する諸説

講義1
新約正典
①正典性と文献性
・ イエス・キリストの二つの顔
(神として 人として)
・ 新約聖書も二つの顔を持つ(正典としての顔 文献としての顔)
・ どちらかだけにかたよることは危険
・ 聖書は神の言葉なのだから、人間の理性を用いて学問的に研究してはいけないとい
うのは誤り。
(極端なファンダメンタリズム)
・ 聖書はただの歴史的文献にすぎないのだから、誤りもあるし、現代の規範には必ず
しもならないという立場も誤り(19世紀自由主義の立場)
・ 現代のプロテスタントは聖書理解を巡って、二つの立場の間の幅で揺れている。福
音主義の立場では聖書の文献性をあまり強調してこなかった。
②霊感
・ 思いつきや不思議な体験などの怪しげなものではなく、特別な神学用語。神学で言
う霊感とは「聖書がそれぞれの聖書記者たちによって書かれた時、誤りなく記録さ
れるように働かれた聖霊の特別なお働きのこと」を言う。聖霊によるお墨付き。
・ 何故、神は聖書を記録に残す必要があったのか。神の啓示が人間の記憶だけにゆだ
ねられれば、時の流れの中で歪んだり、忘れられたり、間違って伝わったりするか
ら。書物と言うかたちで文字の記録に残すことは神の心配りだった。
・ 神の啓示を記録に残そうとする場合、人間だけにまかせると誤りも書くかもしれな
い。そこで神は啓示が誤りなく書かれるように御霊を通して働き、一切の人間的誤
りから守られた。
・ ここから「聖書は誤りなき神の言葉」という信仰が生まれる。これを聖書の無謬と
言う。だからこそ聖書は権威がある。これが福音主義的プロテスタントの立場。
③霊感に関する諸説
・ 機械的霊感説 イタコの口寄せのような理解
・ 思想霊感説 思想には神のお墨付きがあるが、言葉遣いまではその限りではない
・ 部分的霊感説 霊感は聖書の信仰的、霊的面だけ。科学的歴史的には誤りあり。
・ 自然的霊感説 霊感は宗教的天才に宿るとする説。
・ 断言的神言化説 カールバルトの立場。聖書は文献で誤りがあるが、信仰をもって
読むときに神の言葉になる。聖書は啓示の書ではなく証言の書。入り口と出口の問
題。
1
・ 解明説 シュライエルマッハーの立場。すべてのクリスチャンには霊感が働く。正
典の完結を否定している。
・ 新福音主義の霊感論
キリストの受肉をモデルに神が謙遜に当時の人間の理解に
あえて合わせて下さったという立場。それを現代から見て誤りと取るのかは微妙。
・ 十全霊感説 正統的福音主義の霊感論。霊感は聖書の全体にひとしく及ぶ。しかし、
著者の個性、性格、背景、教養なども色濃く映し出されている。
④正典
・ 反対語は外典。権威を持っている基準となる文書という意味。英語ではカノン。ギ
リシャ語カノーンから。これはもともとヘブル語のカネーから来たらしい。これは
葦のことで葦はまっすぐなことから古代ではものさしに使われた。ここから基準と
いう意味が生まれた。
・ 旧約39巻、新約27巻の計66巻を正典と言う。
・ 外典は神の啓示ではなく、従って霊感のお墨付きを受けていないので聖書と同列に
は扱えない。ただし、その時代の宗教、政治、歴史、文化などを知る上では重要な
手がかりとなる。
⑤新約正典の成立
資料面から
・ 教父の証言 使徒教父とも言う。
新約文書成立の直後に活躍した2世紀以降のキリ
スト教リーダーと彼らの手による文書群のこと。「ディダケー」(十二使徒の教え)
「クレメンスの手紙Ⅰ、Ⅱ」
「イグナティウスの手紙」
「ポリュカルポスの手紙」
「ポ
リュカルポスの殉教」
「パピアス断片」
「バルナバの手紙」
「ヘルマスの牧者」
「ディ
オグネトスへの手紙」など。使徒教父が新約正典結集事情を記録している
・ クレメンスの手紙では自分の権威と使徒の権威を分けて考え、重んじている。また
福音書や主の言葉、パウロの手紙を引用している。
・ イグナティウスの手紙では、パウロと四福音書を認めている。福音と使徒を逃げ場
として知っている自分たちは「預言者」を愛そうではないか。
・ ポリュカルポスの手紙では、パウロ書簡に通じている。しかも、主イエスの言葉や
旧約聖書と同列においている
・ バルナバの手紙 ~と記されているようにとマタイ 22.14 を権威ある言葉として
引用している。
・ ヘルマスの牧者では、福音書、パウロ書簡と並び、ヘブル、ヤコブ、ペテロの手紙
への言及がある。
2
・ ディダケーには四福音書すべてへの言及がある
・ 2世紀後半の証言 ユスティノス 四福音書を使徒たちの回想録と呼び、旧約に並
べる。
・ エウセビオスの「教会史」
。326年。容認された書物と異論ある書物、及び否定
された書物と決定的に否定された書物が区別されている。幅広い異説があったこと
が見て取れる。異論ある書物としては、ヤコブ、ユダ、ペテロⅡ、Ⅱ、Ⅲヨハネ、
黙示録。
・ マルキオンの正典表。140年頃。極端なパウロ中心主義的異端。旧約の否定。ル
カ福音書と牧会書簡以外のパウロ書簡しか認めない。結果として正統的なパウロ書
簡が集められた点が歴史的価値。
・ ムラトリ断片による正典表。2世紀頃。ヘブル、ヤコブ、Ⅰ、Ⅱペテロを除く新約
文書を網羅。ただし、ソロモンの知恵、ペテロ黙示録、ヘルマスの牧者が入る。
・ アレクサンドリアのアタナシウスの復活祭書簡。367年。今日の新約聖書と同一
の表。ただ、教会の求道者には外典も有益とのコメントあり。
・ 397年のアフリカのカルタゴ教会会議で公に正典的書物が決定された。伝説では
アウグスティヌスもこの会議に出席したと言う。
・ 古翻訳による間接的証明。150年前後のシリア語訳ぺシッタと170年頃の古ラ
テン語翻訳。もっとも古い聖書翻訳でムラトリの目録とほぼ一致。
⑥新約正典成立の事情
・ 初代教会は旧約聖書を正典として、ユダヤ教から受け継いだ。これは最初のクリス
チャンがほとんどユダヤ人だったこと、主イエスも旧約を重んじたことと関係があ
る。ただし、当時はそれを旧約聖書とは呼ばず単に「律法と預言者と詩篇」と呼ん
だ。ルカ 24.44.27。
・ いかなる宗教も旧約聖書だけを正典とするものはない。ユダヤ教は旧約プラスミシ
ュナーやタルムード。キリスト教は旧約プラス新約。イスラムは旧新約プラスコー
ラン。つまり、これは旧約は閉じられた正典とは歴史的には考えられてこなかった
ことを意味する。むしろ、未完結で未来志向。
・ やがて初代クリスチャンたちは主の言葉や行動を伝えた福音や使徒の書簡、特にパ
ウロの手紙が広く読まれたが、などを権威あるものとして礼拝で朗読するようにな
った。
・ 新約聖書中の内的証拠としては、コロサイ4の16、Ⅱペテロ3の16、
・ 異端の発生。異端文書の広がりによって、伝道と信仰教育のための正しい文書を選
定する基準が必要になってきた。
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・ 2世紀の終わりにはほぼ新約聖書の核となるものが結集されたが、選択に関してあ
る程度の幅があった。
・ 未解決な歴史上の問題 なぜ、福音書が一巻ではなく四巻なのか。なぜ、当時メジ
ャーな信仰文書、ペテロ黙示録やヘルマスの牧者を除外して、マイナーだった黙示
録が加えられたのか。
・ 新約正典の成立は四つの時点を区別し、混同しないことが大切。①新約正典の完結
した時。即ち。おそらく最も新しい文書、黙示録が書き上げられたとき。②教会が
新約聖書正典をすべて持つようになった時。これは①との間にずれがある。当時の
道路事情や印刷技術のなさから考えると一つの文書が知られるまでに時間がかか
る。
・ ③新約聖書27巻が教会で広く読まれるようになった時期。灰色の書物が受け入れ
られるのに時間がかかった。④部分的な新約聖書をもっていた教会が、一定の原則
に基づいて残りの書物を受け入れた時期。正典は66巻で閉じられている。
・ では真性の使徒の手紙が万が一、新発見されたら、正典の67巻目は理論上あり得
るだろうか。
正典とはある時点で閉じられ、増減が禁じられるものなので答えは否。
黙示録 22.18 以下。
・ 歴史的に正典を認めたのは教会会議であり、
それまでには紆余曲折や議論もあった
が、はじめに神が定めたものがだんだん人間に受け入れられるようになったという
のが信仰的な理解。決して人間が偶然に正典を決めたわけではないし、異端の発生
にあせってあわてて取りまとめたものでもない。神学者ツァーンとハルナックの正典
論争。
⑦新約正典形成の原理
・ 霊感が意識されている。使徒教父の証言によると、使徒らは霊感を受けて語り、文
書を書いたという理解があった。
2世紀から3世紀中には新約文書は霊感を受けて
書かれたという教理が認めらていた。
・ 使徒性が標準になっている。古代教会にとっては使徒のあかしはキリストの証人と
して重要だった。ルカとマルコは正式には使徒ではないものの、マルコは使徒ペテ
ロとセットで、ルカも使徒パウロとセットで考えられている。
・ ただし、使徒性という言葉は、文書の中身をあらわす言葉であって、使徒著作性と
は分けて考えないといけない。使徒の名がつくものでも中身に問題があれば、正典
とはならない。反対に使徒の手によらなくても中身が正統であれば、正典に入る。
・ 使徒教父による証言。
教父の証言は新約各文書が教会に広く受け入れたれてきたこ
とを示している。
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・ 旧約聖書の信仰との教理的一貫性をもった健全な教えかどうか。
・ 灰色文書の諸事情。なぜ正典の認定に時間がかかったのか ヘブル書 最初パウロ
書簡に数えられ、アレキサンドリアとシリア地方では重んじられたが、異端のモン
タヌス派がヘブル書を好んだので、西方諸教会で不評で慎重に扱われるようになっ
た。
・ 黙示録 ムラトリ断片の目録にもあるが、モンタヌス派の熱狂主義に利用されたの
で特に東方の諸教会で取り扱いが慎重になった。
・ その他の公同書簡 短いし、あて先がはっきりしないために教会で朗読される機会
が少なく、存在が知られず埋もれていたのか。
⑧正典と解釈史
・ 正典はいつ正典になったのかという問題。各文書は正典編纂によって初めて正典に
格上げされたのだろうか。それとも、正典化のプロセスが始まる前から正典だった
のだろうか。
・ 信仰的には始めから正典だったという立場。つまり 66 巻が書きそろってから正典
が決まったわけではなく、各文書の単位だった時代から正典としての権威は神によ
って決まっていたという立場。部分か全体かの問題。
・ これを学問的に実証することは難しいが、糸口がないわけではない。例えば、旧約
を例に取ると、歴史書や預言書にとってモーセ五書の権威は揺るがない。むしろ、
モーセ五書が正典だと言う前提の元に立って、旧約記者たちは文書を書いている。
・ では、正典が出揃った後はどうか。教会史をひもとくとどの時代でも正典が大切に
扱われ、解釈され、読まれ、説教されているのが分かる。教会史の中にあらわれる
正典の跡を正典解釈史と言う。
・ それどころか、歴史の中では正典は教会をはなれたところでさえ、読まれ、解釈さ
れ、アレンジされ親しまれている。例えば文学、絵画、劇、音楽。現代では世俗の
映画やドラマ、RPG、マンガの世界においても。このような教会を離れた正典の
文化への影響を正典影響史と言う。これだけ影響を与えたと言う事実こそ、正典が
正典たるゆえんである。
・ 即ち、正典は正典成立前の時代から正典成立後の現代に至るまで正典であり続けた
証拠が歴史の中にはちりばめられている。
・ しかし、聖書が正典だという立場は信仰ぬきに論じることは不可能。信仰抜きに聖
書を学んでもそれは単なる古典、文学、宗教書、文献になってしまう。しかしそれ
は聖書が求める聖書の読み方ではない。
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⑨正典とペンテコステ教会独自の問題
・ アッセンブリー教会の JEA 加盟問題。当初、JEA はアッセンブリーの加盟に慎重
だった。今日でもアッセンブリー以外のペンテコステ教会は加盟していない。問題
は聖書以外の直接啓示を認めるかどうか。
・ 賜物としての預言を啓示と呼んでいいかどうか。何を啓示と呼ぶのか定義する必要
性。現代における預言現象を聖書正典と同列に権威をおき、論じてもいいか。
・ 預言は正しくは聖霊による啓明とか御霊の導きと呼ぶべきであって、聖書啓示とは
区別される。誤解を避けるには、啓示という表現は避けたほうが望ましい。
・ もちろん、新約時代にも預言や黙示はあったし、現代もある。しかし、それらは歴
史的に使徒の発言と同等にみなされたことは一度もなかったし、神の言葉として記
録されたり保管されたりしていない瞬間的なものだったので永続性がない。
・ 御霊による超自然的働きがあることは確かだが、人間の罪や限界のために誤る可能
性を持つ弱さ。だから常にみ言葉と教会による吟味が必要だった。そのために啓示
と呼んではならない。
・ ペンテコステ人こそ聖書を深く学ぶ必要がある。何故なら、あらゆる霊的体験や超
自然的体験はただ聖書の土台のみによって吟味することが大切だから。
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講義2
本文批評
①本文批評とは
・ 聖書本文のオリジナル原本は残っていない。聖書本文が最初に文章にされたときのまま
の原文を正しく伝承されているかどうかを調べる学問を本文批評と言う。
・ 新約聖書各巻は印刷技術が発明されるまでは写本として手書きで書き写されてきた。
パピルスや羊皮紙は腐りやすいので絶えず書き写しの必要があった。ただし、人間の
作業なので完璧ではない。写し間違いも出てくる。
・ 写し間違いも二種類あった。一つは無意識に起こる間違い。誤字、脱字、重複など。
もう一つは意図的な書き改め。本文を分かりやすくするために、文章を変えたり、説
明したり、削除したりする例。注だったものが本文に紛れ込んだ例も。
・ このような数ある写しを比べながら、オリジナル原文を復元しようとする学問を本文
批評と言う。
・ 作業としては以下のように進める。幾つかの写本群を系統だてること。その中から最
良の写しを選び出すこと。推論を下すこと。
・ 基本となる原則。古い写本ほど信頼性は高い。難しい読み方の方が原本に近い。短い
読み方のほうが原文に近い。他の全ての写本の読みがそこから生じたと考えられる読
みは原本に近い。
②本文の型
・ 写本の流れを系統立てる作業は、本文学者グリースバッハによって手がけられ、ウェ
ストコットとホートによって引き継がれた。この結果、現在では写本は地域的に3つ
の型に分類されるようになった。シリア型(ビザンティン型)・西方型・アレキサンドリ
ア型(中立型)の3つの流れである。
・ シリア型
4世紀初頭、アンテオケのルキアノスが正確な本文確定のために種々の写
本を比べて本文の改訂を行なった。これが東ローマ帝国の首都に運ばれ、東方教会の
公認本文となった。4世紀末のクリュストソモス以後はこの本文からの引用しかない。
・ 西方型 3世紀末にローマで定着。ラテン語訳聖書は西方型からそっくり翻訳された。
多くの教父も自書にこの系統の写本から引用している。特徴としては説明的付加の多
いこと。そのために純粋性を疑われた時期もあったが、現在はかなり重要視されてい
る。
・ 中立型
エジプトのアレキサンドリアに由来し、本文は2世紀末にまで遡るとされて
いる。アレキサンドリア型とも言う。
・ カイザリヤ型
アレキサンドリア型と西方型の中間に位置するような流れ。古シリア
1
語訳との関係が深いとされる。
③重要な写本
・ 写本は大文字写本、小文字写本、パピルス断片の3種ある。大文字写本は4世紀から
8世紀までに移されたもの。それ以後の時代は小文字に取って代わった。エジプトで
見つかったパピルス断片は御言葉の一部。ほとんど断片なのだが、大文字写本より古
い。最古のものは2世紀前半とも言われる。
・ 重要な大文字写本
① B(ヴァチカン写本) アレキサンドリア型の代表写本。4世紀の半ばのもの。ヘブル
9章14節以下、牧会書簡、ピレモン、黙示録以外
‫(א‬シナイ写本)4世紀
②
B とともに信頼性の高い写本。新約聖書の全部を含む。
シナイ山の聖カテリナ修道院で発見された。
③ A(アレキサンドリア写本)5世紀
新約聖書の全てを含む。本文に欠けたところ
や修正箇所もあり、慎重さが必要。
④ C(エフライム写本)5世紀
4世紀のシリアの教父エフライムの説教が書き加えら
れていることからこの名前がついた。獣皮紙が使われている。ⅡテサロニケとⅡヨ
ハネ以外の全てを含む。
⑤ D(ベザ写本)西方型の代表
6世紀に写された二つの写本。別名ケンブリッジ写
本。第一の写本は福音書の配列がマタイ、ヨハネ、ルカ、マルコ。第二はパウロ書
簡のみ。
⑥ W(ワシントン写本)5世紀 四福音書のみで配列は D にならう。
・ 重要な小文字写本
● 書物をギリシャ語大文字で書く習慣は、すたれ小文字写本にとってかわられた。
小文字写本の出現は8世紀から10世紀。ちなみに聖書の章の区分けは13世紀
に入ってから。節に至っては16世紀。
● 小文字写本の記号は普通数字であらわす。今日二つの小文字写本の系統が重要視
されている。ファラーグループはファラーという本文学者が類似性を見つけた写
本群で13、69、124、346、543、788など。第二に重要なのがレ
イクグループで1、118、131、209
● 小文字写本は大文字写本に比べて時代が新しいが、だからと言って純粋でないと
は言えない。
2
・ パピルス断片
● 古代の人間はパピルス紙を筆記に使用した。当初は棒にまかれた巻物だったが、
便利さを考えてだんだん現代のような綴じ本に変わった。綴じ本タイプのものを
コーデックスと言う。
● 後に新約写本の殆どは高価な獣皮紙によるコーデックスにかわった。パピルスよ
りも丈夫で長持ちするため。
● パピルス断片はPという省略記号と登録番号によってあらわされる。
● 重要なパピルス断片としてオクシリンコス・パピリ(記号 P1)チェスター・ビー
ティー・パピリ(P45 P46 P47 3世紀初期、45には福音書と使徒行伝の大部
分、46にはパウロの手紙とヘブル書、47には黙示録)ジョン・ライランズ・
パピリ(P52
最古のパピルスで2世紀初頭)ボードマー・パピリ(P66
200
年ごろ、ヨハネ福音書写本)P75 ルカの写本
・ 古代の聖書翻訳
ギリシャ語による写本ではないが、古代の翻訳聖書も間接的な本文確定の材料になる。
● 古ラテン語訳の写本であるイタラ本。記号は小文字でa,b,cとあらわす。
● シリア語訳写本 シナイ本(記号sys)キュールトン本(記号syc)2世紀ま
でさかのぼれる。5世紀のぺシッタ(記号syp)
● コプト語訳 エジプトの通俗語 サヒド訳(記号sa)3世紀 ボハイル訳(記号
bo)7世紀
教父たちの御言葉の引用
教父の著作は厳密には写本ではないが、間接的な本文確定の材料になる。重要な教父
文書としては、ユスティノス、イレナエウス、テリトリアヌス、オリゲネス、アレキ
サンドリアのクレメンスなど。新約の直接引用が多く重要。
④本文批評の方法
・ ギリシャ語本文から説教を進める場合、まず本文の確定をしなければならない。ギリ
シャ語本文と言うものの、写本や翻訳によって数限りない無数の異読があるからであ
る。
・ 一応、ギリシャ語本文に目を通すが、異読がないか調べる。極端に言うと一節ずつに
異読があると言ってもいいほどである。
・ ギリシャ語写本、古代翻訳、教父の聖書引用、古代の礼拝用の聖書日課を読み比べる。
自分なりにわたしはこの読みを採用するとの作業をする。何となくではなく理由も明
3
確にすること。ギリシャ語聖書の欄外注が参考になる。
・ 本文研究で大切なのは写本の数より写本の質。当然、後代の写本は多いが、純粋性は
怪しい場合もある。原則として古い写本ほど原文に近いと言えるが、例外もある。
・ 多くの写本の間に系統図を組み立てること。この写本の起源がどの型に属するのか。
・ 古い、新しい、型などの外的証拠だけでなく、本文の前後関係、著者の語彙、文体、
神学などにも気を配る。これを内的証拠と言う。したがって、本文批評は釈義に関わ
ってくる大切な作業。外的証拠と内的証拠の二つの証拠固めで原文がなんだったかを
推理する。
・ 仮によりよい写本が発見された場合、今までの推論が覆ることもある。
⑤本文批評の意義
・ 何よりも聖書本文の原文が何であったかを出来るだけ推理すること。なぜなら、聖書
原文は失われてどこにもないから。私たち聖書信仰としては、聖書原文を特定する努
力を怠ってはいけない。
・ 写本の異読を単なる間違いや逸脱で片付けない。これは聖書をより分かりやすく伝え
ようとした先人たちの努力のあとだから。原文どおりに伝えることだけが親切ではな
い。異読を味わえば味わうほど写本家の信仰や教会状況も見えてくる。聖書は異読も
含めて聖書。
・ 聖書写本の歴史は文字通り正しく伝えようという努力と文字を変えてでも分かりやす
く伝えようと言う努力のジレンマと緊張関係。正しくても伝わらないと意味がない。
分かりやすくても原文の意味からずれてしまっても大変。つまり言葉の流動性は大前
提。
・ 批評の英語クリティシズムはギリシャ語のクリノーから。これはもともと分けると言
う意味。つまり聖書本文を判別すること。
・ 復元される新約本文は同時代の他の文献とは比べられないほどの純度がある。異読も
多いが、全体で見ると千分の一ほどの細かい違いでしかない。教理上影響を及ぼすよ
うな重大な違いなど全く無い。
・ 聖書の霊感は正しくは聖書原典のみに限定されるべきである。とは言え、写本や翻訳
にも神の特別な導きと摂理があったことを否定してはいけないというのが信仰の立場
である。写本だから、翻訳だから神の言葉ではないというのは言いすぎ。
・ 本文批評は釈義の前段階。つまり説教の大前提。牧師の中には説教用意の前に本文の
特定に時間をかける者もいる。
・ よりよい日本語聖書翻訳のためにも大前提。翻訳聖書の限界は20年。何年に一度は
大改訂される必要あり。言葉は生き物だから。翻訳の前に当然、本文の確定の作業が
4
いる。
⑥ 新約聖書の原語
・ ギリシャ語は言語的にはインド・ヨーロッパ語族に属する。現代の英語、ドイツ語、
フランス語、ロシア語、中世のラテン語、古代インドのサンスクリット語などの仲間
で互換性がある。
・ インドヨーロッパ語を話す諸民族をアーリア人種と言う。これが現代の諸民族に枝分
かれして言った。
・ もともと、紀元前5世紀頃のアッティカ方言が起源。これにイオニア方言が混ざった
ものが、マケドニアのアレキサンドリア大王と後継者によって公用語となり、世界語
になった。
・ 歴史的にはギリシャ語の普及はマケドニアによる世界制覇とヘレニズム化による。世
界の文化がギリシャ風になっていった。この時代をヘレニズム時代と言うが、当時一
般民衆がつかった日用ギリシャ語をコイネーと呼ぶ。
・ コイネーは紀元前 330 年頃から紀元 330 年頃までおよそ 600 年ほど使われた。
・ 新約聖書はこのコイネーで書かれている。誰にでも通じる素朴なギリシャ語であって、
特別な学のある者や富裕層の言葉ではない庶民の言葉。
・ 新約聖書以外のコイネーの文献としてはユダヤの歴史家ヨセフスの歴史書とアレキサ
ンドリアのユダヤ教学者フィロンの著作などが重要。
・ コイネーは古典ギリシャ語からはなれて独自の発達をした。かつての新約原語学者は
古典ギリシャ語とコイネーの違いに早くから気づいて、極端な場合聖書ギリシャ語は
どこにもない「聖霊の原語」とさえ呼んだが、エジプトで見つかったコイネーの文章
と新約との比較で今では否定されている。
・ 古典ギリシャ語と比べると文法面と語彙面で単純化が見られる。
⑦ 新約聖書諸文書の原語の特徴
・ 著者によってかなりの幅がある。マルコ福音書はもっとも素朴。マタイとルカはマル
コの素朴な言い回しに手直しを加えている。
・ ヘブル書はもっとも洗練されたコイネー・ギリシャ語を駆使する。ヘブル書についで
高度なコイネーで書かれているのがルカと使徒行伝
・ パウロ書簡の原語は豊富な語彙と修辞学、議論に対する術の知識がある。
・ ヨハネ福音書は標準的なコイネー。
・ Ⅱペテロは例外的に古典回帰の技巧的特長がある。これが成立年代の特定にからむ。
・ セム語的表現。つまりユダヤ的な表現は新約文書全体の特徴。一時期、新約文書のす
5
べてはヘブル語やアラム語からの翻訳ではないかとの極論もあった。しかしオリジナ
ルがギリシャ語である点は間違いない。
・ セム語的表現の多い理由は、ギリシャ語旧約聖書(七十人訳)からの引用。主イエス
や使徒の語ったアラム語の影響などから説明できる。
・ 一般のコイネーの語を利用しながらも、聖書独自の深い意味に変わっている語がある。
たとえば、栄光、教会、執事、長老、義、福音など。これはもともと普通の一般用語
であってむずかしい宗教用語ではなかった。
⑧ 構文法
・ 名詞 性と格を数を持つ。性は男性、女性、中性。格は主格、属格、与格、対格、呼
格によって格変化する。数は単数と複数。
・ 定冠詞 英語で言うザ。これも修飾する名詞の性、格、数によって変化する。形容詞
も同様。
・ 動詞は時制、態、話法、人称、数がある。時制は単に過去、現在、未来だけでなく、
さらに細やかな時間のニュアンスに応じて複雑に変化する。態は能動態、受動態だけ
でなく中間態。話法は直説法、接続法、希求法、命令法、不定法。人称は一、二、三。
数は単数と複数。
・ たとえば、動詞ルオーを分析してみると、直説法、現在形、能動態、一人称、単数と
いうことになる。
・ ギリシャ語を訳す練習では、日本語に訳すのではあまりにも互換性がない。たとえば、
日本語には定冠詞はない。単数、複数の違いもはっきりしない。時制もギリシャ語ほ
ど細かくない。出来ればより互換性のある英訳に取り組むことを勧める。
6
1
45
46
47
52
66
7
本文研究
補遺
写本の種類
新約聖書の写本の内、特に重要なのが、パピルス断片、大文字写本(全部で 266)
、小文字
写本(全部で 2856)である。パピルスの断片は、大文字写本より年代が古いため、その資料的
価値は非常に高い。しかし破損がひどく、決定的に情報量が少ないという欠点がある(ちな
みにパピルス断片の収集者として有名なのがチェスター・ビーティーとマルティン・ボドメ
ールである。両名が発見したパピルスには各々の名前が冠されている)。
以下、新約聖書の本文を決定する際に重要とされる写本の内、特に重要な大文字写本のご
く一部を紹介しよう(写本の名前は発見地・所有教会などに由来する)。
シナイ(ヘブライ語のアーレフで表記)写本。四世紀。ギリシャ語新約聖書大文字写本の中
で、唯一完全な形態で残っている文書。バチカン写本と共にアレクサンドリア型写本の代表
格。
B(バチカン写本)。四世紀。牧会書簡、フィレモン書、黙示録が欠如(ヘブル
書は 9 章 14 節までは収録)。シナイ写本と共にアレクサンドリア型写本の代表
格。
A(アレクサンドリア写本)
。五世紀。マタイの大部分欠損(及び他の文書も少々)
。福音書
においてはビザンチン型、他の文書においてはアレクサンドリア型をとる。
C(エフラエム写本)
。五世紀。新約文書全体の写本ではあるが、ところどころ欠損あり。型
にくくることができない、様々な読みを示す。
D(ベザ写本/クレルモン写本)
。五世紀/六世紀。ベザ写本は福音書・使徒行伝を持つ。西
方型の読みを示し、ギリシャ語・ラテン語対訳の写本になっている。クレルモン写本はパウ
ロ書簡の写本。ベザ写本と同じく西方型の読みを示し、ギリシャ語・ラテン語対訳になって
いる。
コリディティ写本(ギリシャ語のテータで表記)。九世紀。福音書の写本(マタイの一部欠損)
。
マルコ福音書の読みに特殊なカイサリア型という型を示す(他はビザンチン型)
。
W(フリーアヌス写本)
。五世紀。福音書の写本(マルコ・ヨハネの一部欠損)。様々な型の
読みを示す。基本的にはビザンチン型。
3.
「家族(family)」と「型(type)」
非常に多くの写本が存在している新約聖書であるが、その大本はたった一つの原本に遡る。
そこから始まって序々に枝分かれを繰り返していったのである。従って異なる枝の先の方に
位置する写本は相互に大きく異なることになるが、同じ枝上にある写本は相互に大きく似通
うことになっている。そのような写本の相互に似通った様相を示す間柄を古典文献学的に「家
族」
(Family)と呼んでいる。
大抵の古典では、この「家族」の分類でうまく区分がつけられる。しかし、新約聖書の写
本は他の古典に比べ、圧倒的に数が多い。そこで「家族」よりもう一つ大きい区分方法が必
要となる。それが「型(type)」
(
「グループ」や「系」などと呼ぶこともある)である。
「家族」
と言えるほど相互一致するわけではないが、全体的に見て類似する傾向が見うけられる写本
群のことを言う。同一の型で読みが統一している場合、そのテクストはその型の名前で呼ば
れることもある。アレクサンドリア型で統一した読み方をとる場合「アレクサンドリア型テ
クスト」というように。これは、その一致する読みが元を正せば一つの写本に遡ることがで
きると想定されるからである。
このようにして、いくつかの大本の写本を無数の写本の中から抽出し、いくつかの写本群
に分類することが先人の研究によってなされた。この分類は今なお有効なものとして本文批
評において用いられている。どのような型が存在するか以下に列挙してみよう(型の名前は
そのグループの写本が普及していた地域に由来する)。
○アレクサンドリア型(エジプト型)
最も古い写本であるシナイ写本・B写本を含む型。全体的に最も大本に近い読みを採用し
ている型であるとされている。この型の研究を精力的に行い、重要性を指摘したのはB・F・
ウェストコット(Westcott)とJ・A・ホート(Hort)である。彼らはアレクサンドリア型の中で
も古い層には「中立型」という名をつけ、特に重要なものとした。この場合の「中立」とい
うのは、写本を特定の教会的立場や政治的立場を考慮せずに中立に模写したということを意
味する。このような機械的な写本作成を行ったグループが存在していた可能性は低いため、
「中立型」という呼び方は今では基本的に否定されている。なお、ネストレ 25 版までのテ
クストやH・F・フォン・ゾーデン(von Soden)は、アレクサンドリア型を「ヘシュキオス型」
という名で呼んでいるが、これは、四世紀の人物ヘシュキオスがこの写本の型の創設者であ
るとするW・ブセット(Bousset)の仮説を受けてのものである。但し、これは論理性に欠けて
おり、アレクサンドリア型という呼び名の方が無難である。
○西方型
D写本とW写本を含む型。アレクサンドリア型と比べると、ギリシャ語を文法的に修正し
ているケースが非常に多い。主にヨーロッパ西方世界で使用されていたところからこの名が
つけられた。D写本と古ラテン語訳との一致状況からこの型が確認された。この型の特色と
しては使徒行伝の修正が非常に多いことが挙げられる。
○ビザンティン型(コイネー型)
この型はビザンティン世界に広く受け入れられていたテクストであるためこのように呼ば
れる。A写本の福音書などがこの型に含まれる。この型に含まれる写本の成立推定年代や読
みなどを確認すると、
「正統」教会が確立していくにつれて、新約テクストを教義に見合うよ
うに手を加えていく過程がみてとれる。従って本文批評においては基本的にこの型は重視さ
れない。むしろ当時の教会史を研究する上で重要になってくるものである。
○カイサリア型(マルコ福音書のみ)
コリディティ写本とW写本などを含む型。この型はマルコ福音書にしか確認されていない。
発見の発端は小文字写本の中では最も重要なものとして扱われる「家族 1」と「家族 13」の
写本の発見に遡る。その後、F・C・バーキット(Burkitt)が 1918 年にこの二つの小文字写
本とコリディティ写本・W写本とが類似していることを指摘し、K・レイク(Lake)らが他の
いくつかの小文字写本にも類似があることを指摘した。それらの研究をまとめ、オリゲネス
の著作中にあるマルコ福音書の利用の仕方などからカイサリア型の存在を立証したのがB・
H・ストリーター(Streeter)である。さらにその後チェスター・ビーティー・パピルス 45 が
発見され、この型の存在の確実性は高められた。
講義3
史的イエス問題
①史的イエス問題とは何か
・ 福音書に書かれているイエス像の歴史性については古代以来、18世紀後半までほと
んど疑われることはなかった。現代でも聖書は誤りなき神の言葉と信じる福音的な教
会にとっては、福音書に書かれたイエス像を歴史的事実として受け入れることが大前
提。
・ しかし、歴史文献学の分野では、18世紀以降、福音書に描かれるイエス像に批判さ
れるようになり、聖書にはそう書かれているけれども、実際には歴史的にはどうだた
のかという疑いの目が向けられるようになった。これを史的イエス問題と言う。
・ 歴史的には啓蒙主義と呼ばれる時代、科学や歴史学のメスが聖書研究にも入れられた。
福音書が書かれたのは一番古いマルコでも、イエスの十字架から30年経つ。この3
0年の間にイエスの歴史像は脚色されたと考えるのである。
・ 福音書の伝えるイエス像は神の子としてのキリストという信仰告白のフィルターを通
して見たイエス像であって、イエスの伝記を伝えているわけではない。信仰上のキリ
ストと歴史上のイエスとの間にはずれがあるという前提から出発している。
・ そういう意味ではイエスはキリスト教の創始者ではあり得ず、キリスト教とは正しく
は原始キリスト教の理念が生み出したものということにもなる。
・ もっとも過激な見解としては福音書からは史的イエスについては何も知ることが出来
ないとする者もいる。彼らによると福音書中、史的イエスに遡れるものは福音書中の
わずかなイエスの言葉、たとえ話、奇跡物語のみ。あとのほとんどは後の教会の創作。
創作された信仰上のキリスト像を宣教と言う言葉のギリシャ語をとってケリュグマの
キリストと言う。
②史的イエスに関する聖書外文献
・ 史的イエスについてのまとまった主要資料は四つの福音書以外にほとんどない。
・ その他のものとしては、ユダヤ人の歴史家ヨセフスの「ユダヤ古代史」
。とローマ人の
歴史家タキトウスの「年代記」。ユダヤ教の「タルムード」。ただし、ほんの断片的で
福音書とは比べ物にならない。
・ 外典の福音書も独自のイエス像を与えているが、時代的に2世紀のものであり、参考
程度にしか見ることは出来ない。
・ つまり史的イエス問題を解く鍵は聖書観にかかっている。聖書を誤りなき神の言葉と
信じるかどうか。福音書を歴史的事実としてとらえるのか、それとも事実ではないと
とらえるのか。
1
③史的イエス研究の歴史(18世紀から 19 世紀)
・ 18世紀の啓蒙主義から始まった。啓蒙主義は教会の教理から聖書研究を自由にしよ
うとする運動でもあった。イエスを神の子であることを前提としない。あくまでも人
間イエスから出発する。ライマルスという学者が始まりと考えられる。彼によると史
的イエスは地上に神の国を夢見るユダヤ主義の政治的革命家だった。
・ シュトラウスによると、福音書は神話であって史実ではない。その神話を支えるのは
当時の宗教観、メシヤ観、世界観。聖書中の超自然的要素を退けた。
・ ホルツマンによると最も古いマルコ福音書が色濃く史実を伝えている。史的イエスは
ガリラヤに理想郷を夢見た預言者。のちにイエスの中に自意識が芽生え、受難のしも
べと自分を同一視。十字架にかかった。心理的倫理的イエス像。
④史的イエス研究の歴史(20世紀前半)
・ ヴレーデ。
「福音におけるメシヤの秘密」イエスの沈黙命令を手がかりに、史的イエス
と信仰のキリストの間の溝を埋めるというもの。
・ シュバイツアー。
「イエス伝研究史」
。ヴレーデを批判。イエスは当時の黙示文学の影
響を受けた後期ユダヤ教の終末論の背景の中から自らメシヤとしての自覚を持った。
メシヤ意識は史的イエスにさかのぼる。しかし終末は来ず、イエスは失意のうちに十
字架で死んだ。
・ ケーラー。史的イエスは私たちに意味はない。聖書のキリストだけが永遠の意味を持
つとして教会の伝えた信仰のキリストだけで十分とした。
・ ブルトマン。史的イエス問題の一つの到達点。「イエス」。史的イエス研究はキリスト
教成立の歴史的事情を知るのには役立つが、信仰にとってはまったく無意味。キリス
ト教は復活から始まるのであって、弟子たちの手による信仰上のキリスト告白さえあ
れば、史的イエスがどんな人物であっても何の影響もない。史的イエスの幻影を追い
求めることはやめよう。イエスとキリストは連続していない。ケリュグマ神学と非神
話化。
⑤ 史的イエスの研究の歴史
ポスト・ブルトマン学派
・ ブルトマンの説への批判から始まった流れ。本当に史的イエスとケリュグマのキリス
トは何のつながりもないのかという疑問。
・ ただし、福音書は徹底して信仰の書であって歴史の書ではないという点ではブルトマ
ンに一致している。
・ シュタウファー、エレミアスらの説く、新しいパレスチナ資料、クムラン文書、考古
学的資料も間接的なものであって、史的イエスの生涯に光を投げかけるものではない
2
という点で一致している。
・ ケーゼマン。地上でのイエスへの関心を失うべきではない。イエスの宣教の特色と原
始キリスト教の宣教の特色の一致点を探る試み。
・ フックス。ケーゼマンがイエスの宣教に注目したのに対して、イエスの行動と原始キ
リスト教とのつながりに注目。罪人との交わりや共食。
・ ボルンカム。福音書のケリュグマの中にイエスの歴史を、イエスの歴史の中にケリュ
グマの始まりを見出すことが私達の課題である。福音書の伝承は空想の産物ではない。
イエスという歴史的人物とその使命全体への応答である。
・ ロビンソン。教会のケリュグマがあかししているキリストと福音書中、真性のイエス
の言葉と考えられる言葉の間にはつながりがある。
⑥ 史的イエス研究の新しい波
現代アメリカの研究を中心に
・ 80年代からアメリカで史的イエス研究の新しい運動が起こり、イエス・ルネサンス
と呼ばれるほど盛ん。これらの学者を第三の探求者という。
・ 「第三の探求者」たちの描くイエス像 マック―ヘレニズム的キュリニコス派の賢人―
自由思想を抱くガリラヤに生きるギリシア的人物で、形式的慣習や規範を強い使命感
で批判した人物であり、ユダヤ的な事柄への関心は極めて希薄。
・ クロッサン―ユダヤ的キュリニコス派の小農民―マック同様遍歴のキュリニコスだが、
特権的権力構造によって支配されている社会に対して、明確なビジョンをもって革命
的に闘った抑圧されたユダヤ小農民。
・ ボーグ―ユダヤ的霊能者―神秘体験を持つ霊能者である種の破壊活動をも企てた賢人、
社会的預言者。
・ フィオレンツァ―フェミニズム神学者。平等主義的な知恵の預言者―自らを「神の知恵
の子」でありまた代弁者として理解した預言的賢人で、家父長制的権力構造に挑戦し、
女性がその主たる指導者である徹底して平等主義的な共同体の創設者。
・ サンダース―差し迫った復興終末論の預言者―イエスの終末論性の強調とイエスのユ
ダヤ性ないしはユダヤ教との一致点の強調が、他の第三の探求者たちとは異なる。
・ 研究の成果は多様性に富んでおり、統一点がない。従来の史的イエス研究の意識とし
ては神学的であったのに対して、
「第三の探求」では一致して、神学的企図からの分離
を公言しているからである。どの程度、教理的に正しいかは置き去り。
・ 例えば、非終末論の強調。知恵の教師像。ポストモダン時代のイエス像。
・ 終末論的であったのか否か、都会的であったのか否か、ユダヤ的な事柄に関心が強か
ったのか否か、という結構大きなところで「第三の探求者」たちのイエス像には相違
が見られている。つまりイエスの言葉に遡れるかどうかを彼らなりの仮説で吟味し、
3
その吟味された断片を学問的な成果として自らのイエス像を再構築する。
・ 気をつけないと、自分たちの強調点を歴史的イエスに反映させようとする読み込みに
つながる。仮説性の強いイエス像を福音書の証言と同一視することは正しいか。
⑦ ダビンチコードの流行が投げかけるもの
・ 06 年の映画「ダビンチコード」流行には、歴史はいつも勝ち組の歴史であって、歴史
書に書かれた記述は勝ち組の視点しか反映していないと言う批判がある。負け組みの
声は歴史の中で黙殺されているとの問題意識。負け組みからの歴史の巻き返し。
・ これを聖書、正典、教理に当てはめてみるならば、たとえ正典と言えども歴史的には
勝ち組のものであって、社会的弱者など押さえつけられた人の立場は文章には刻まれ
ていないと言うことになる。
・ 福音書のイエス像も勝ち組の手で歪められたものであり、歴史の真実を伝えていない。
そこで聖書に書かれていない行間を想像しながら読むことや正典からもれ落ちた文書
を読むことで弱者とともに生きた生のイエスの息遣いを聞くことが出来るとする。
・ 問題点は幾つかある。まず弱者の声は黙殺されたと説く考えそのものが無神論的なマ
ルクス主義的、階級闘争史的歴史観であると言うこと。これが現代のポストモダン思
想にも影響を与えている。聖書は本当に弱者の声を取り上げていないのか。歴史はそ
れほど単純なものではない。
・ さらに聖書は誤りなき神の言葉と言う信仰の大前提を無視している。もし、聖書の証
言が勝ち組のものであって歴史をあやまって伝えているとしたなら、神は啓示の伝達
を誤ったことになり、全能ではあり得ない。歴史を導く神への信頼が鍵。たとえ、誤
りに満ちた人間の歴史であったとしてもそこに神の摂理は働いた。
・ どのような歴史観に立つのか。客観的歴史などあるのか。歴史は誰のものか。勝ち組
のものか。負け組みのものか。それとも神のものか。信仰の歴史観を持つことの大切
さ。
⑧福音主義からの史的イエス問題への反論
・ たしかに新約聖書は信仰の書であって、歴史の書ではない。そういう意味では福音書
もイエスの伝記や歴史的生涯を伝えようとしていない。とは言うものの、史的イエス
と福音書とのつながりをまったく認めない考えはあまりにも破壊的。
・ 伝承が史実性を伝えているかどうかが大きな鍵。批評的学問ではイエスの生きた時代
と福音書の書かれた時代のずれを問題にするが、古代人は何百年にもわたって伝承を
かなり純粋に後代に伝える能力があった。伝承にずれがあるという前提は現代人の思
い込み。
4
・ 史的イエスと信仰のキリストにつながりがないなら、何故何もないところからキリス
ト信仰が生まれてきたのかの説明がつきそうにない。
・ 批評学者は弟子たちが人間イエスを神の子キリストにまつりあげたと説く。しかし弟
子の多くはユダヤ人であったことを忘れてはいけない。ユダヤ人は唯一神教。そのユ
ダヤ人が人間を神の子だとまつりあげるはずがない。従って、証言の信憑性はかえっ
て確かになる。
・ ユダヤ人にとっては偽証は大きな罪。偽証までおかしてわざわざ迫害を受け、嘘のた
めに殉教していく必然性がない。
・ イエスのメシア的な主張は口調やふるまいからも見て取れるものである。
・ 旧約聖書の性格を見ても、歴史と信仰は決して切り離されてはいない。聖書の性格か
ら言って歴史上のイエスと信仰上のキリストを分けることは不可能。
・ 信仰の対象であるイエスキリストを歴史学のメスで検証しようとすることの限界。歴
史学の背後には無神論や唯物思想があることを覚えないといけない。復活を歴史的に
証明できるのか。証明できたら信じると言うのは誤り。
・ ただし、福音的教会は歴史的イエス研究の成果を黙殺するのもあやまり。研究の成果
にもある程度、耳を傾けつつ、反論するなら学問的に反論する努力が大切。
・ 歴史的客観的にイエスキリストをとらえるのは不可能。むしろ、わたしにとってイエ
スキリストとは、という信仰の視点が大切。
5
6
講義4
Qと共観福音書問題
①共観福音書とは
・ 新約聖書中、福音書は4つある。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。四つあわせて四福
音書とも言う。そのうち、第四福音書のヨハネを除いたマタイ、マルコ、ルカの3つ
の福音書を共観福音書と言う。
・ マタイ、マルコ、ルカをあわせて共観福音書と呼ぶようになったのは中世末期に入っ
てからのことである。なぜ、共通の観察が見られる福音書と呼ばれるのか。それは3
つを比べてみるとヨハネとは違った類似点がかなり見られるから。
・ 具体的にはマルコの記事の 91 パーセントがマタイかルカのどちらか、あるいは双方に
見出せる。さらにマタイの全記事の 50 パーセント、ルカの全記事の 40 パーセントは
マルコとの共通項目。
・ そこでどうしてこの三書に類似点が多いのかという疑問と興味が生まれてきた。たま
たまや偶然では片付けられない。
②共観福音書問題
・共観福音書の全体が歴史的にはどのように成り立ったのか。それを共観福音書問題と言
う。
・ 共観福音書の類似点を説明するもっとも説得力のある答えは、おそらくマタイとマル
コとルカの記事はもともと一つの記事から派生しているというもの。ことによるとマ
タイやルカはマルコ福音書を知っているか、読んでいるかしており、それを自分なり
に手直ししているという考えが生まれた。
・ 常識的に考えると、マルコの 91 パーセントがマタイ、ルカに見出せるのだから、歴史
的にはマルコの成立が一番古いという仮説が生まれる。マタイ、ルカが後の時代にマ
ルコを利用した。
・ しかし、それだけでは説明のつかない問題が出てきた。それはマルコにはないのに、
マタイとルカだけに共通の記事がある。この記事はいったいどこから来たのだろうか。
・ たまたま同じ記事が載っているのだとは考えにくい。
・ そこでマタイとルカだけが知っていた共通の資料があったに違いないという仮説が生
まれた。
・ 最後に残った問題は、マタイだけにしかない独自の記事とルカだけにしかない独自の
記事の存在。これを学問的にはマタイ特殊資料、ルカ特殊資料などと呼ぶ。
・ 細かいことを言うとさらに多くの仮説が生まれたり消えたりし、いまだに定説はない
のだが、学問的には今のところ、この基本的な線がベースになっている。マルコがベ
1
ースでマタイ、ルカ共通資料が加味されているという意味で二資料仮説と言う。
③Q 仮説
・ マルコにはないのに、マタイとルカだけに共通する記事があることは先ほど述べた。
これを新約学者たちは Q と名づけた。これはドイツ語で資料を意味する Quelle の頭
文字をとったもの。よく Q 資料と呼ぶ人がいるが、間違い。
・ では、もし Q と呼ばれるものがあったと仮定したなら、それはどんな中身のものだっ
たのか。学者たちはこれはイエス様の短い言葉だけを集めた一種の語録集のようなも
のだと考えた。それがマタイとルカに別ルートで伝わったのだと。
・ Q はあくまでも仮説であってそんな語録集が目に見えるかたちで現在残っているわけ
ではない。しかし、この考えはリベラルな学問から生まれてきたものであるが、現代
では福音派・ペンテコステ派の学者の中にも Q 仮説を受け入れている者もいないわけ
ではない。もちろん、信じていない学者もあって議論の幅がある。福音派の中にも右
と左がある。モーセ五書問題との最大の違いは?
④Q 仮説を巡る諸問題
・ 福音派学者をも巻き込む Q 仮説。果たして鵜呑みにしてもいいものか、どうか。もう
少し検討を加えてみよう。
・ まず、イエス様の語録集だという前提についてだが、では当時の他の文献に人物の語
録集的なものがあるのかというと全く出てこない。たまたままだ見つかっていないと
言うことも出来るのかもしれないが、他に例がないのなら、仮説そのものに疑いをさ
しはさむ余地がある。
・ ところが、1945 年から 46 年。エジプトのナグハマディというところで世紀の大発見
があった。2世紀のキリスト教の異端の文書群が出てきた。これをナグハマディ文書
と言う。その中に「トマス福音書」という外典が出てきた。これが一種のイエス語録
集だった。
・ 学者たちはこう考えた。これこそ Q があった何よりの証拠だ。Q はマタイ、ルカだけ
でなく他のルートにも流れ、エジプトにまで流れて異端化したのだと。
・ ただし、ここに三つの問題がある。第一に中身の問題。第二に時代の問題。第三に仮
説の上塗りの問題。第一にトマス福音書の中身は異端のグノーシス派のものであって、
正典のマタイ、ルカとは違いのほうがはるかに大きい。それがたとえイエス語録集的
なものであったとしても同じ土俵で論じることは難しい。
・ 第二にマタイ、ルカの成立年代はおそらく 70 年代。つまり1世紀。ナグハマディ文書
の成立は2世紀。時代的にかみあわない。
2
・ 第三に、もしQが異端化したものがトマス福音書だとしたなら、しかもエジプトにま
でQが伝わったのだとしたなら、エジプト以外のもっと各地に Q の名残が文書として
残っていてもおかしくないはずだ。しかし、そんなものは今のところ出てこない。こ
れは Q があるという前提に立って仮説に仮説を上塗りしただけともとれる。
・ こうなるとそもそも本当に Q などあったのかという前提から疑ってかかってもいい。
もし、Q があったとしたなら、それをまとめ上げたのは相当、熱心なクリスチャンな
りキリスト教集団であったはず。そんなに有力な人々が歴史的に影も形もないのは何
故か。
・ Qの中身にも問題がある。まず Q があると信じる学者でも福音書中、どこからどこま
でがQかという範囲については議論の幅があり、一貫性がない。しかし、ただ一つ共
通している認識はQには受難物語がないという結論である。あるという学者もいるが
少なくとも表面的には出てこない。十字架と復活はキリスト論の大前提のはず。十字
架と復活のないキリスト論というのは想像がつかない。ましてやそんなキリスト論を
担った集団がいたとしたなら異端ではないか。異端の文書をマタイ、ルカが利用する?
・ そもそも語録集という仮説が生まれてきた背景には神の言葉中心というプロテスタン
ト教会の大きな伝統が影響しているかもしれない。言葉が中心の信仰、だからイエス
様の言葉。
・ み言葉中心はもちろん大きな柱で大切。ただしペンテコステ教会としてはプロテスタ
ントの大きな伝統にさえ反論の余地がある。み言葉だけでなく、聖霊体験も大切だと
の二本柱。イエス様はみ言葉を語られただけではない、しるしも不思議も奇跡も行な
われた。その強烈な体験を切り捨ててイエス様の言葉だけをまとめるだろうか。
・ これはしるしや奇跡や力あるわざなどない、もしくはどうでもいいという色眼鏡から
出てきた仮説と言えなくもない。
・ すなわち、ペンテコステ教会こそ Q 仮説を切り崩す鍵を握っている。福音派学者が Q
に傾いた背景には聖霊体験を強調しない伝統とみ言葉中心主義というプロテスタント
の大きな伝統からは逃れられない限界があるのか。聖霊体験がないと聖書学はたとえ
福音派のものであってもリベラル化する危険性。み言葉と聖霊の二つの窓。
・ 最近の Q 研究では Q は広く言うと旧約の知恵文学の影響を受けたものであって、イエ
ス様の知恵の言葉集だとする説も出てきた。では知恵文学の特徴とは何か。第一に歴
史に興味がない。たとえば箴言。第二に終末論もない。現在に生きる知恵だけ。預言
書とは違う神学の流れ。救いの歴史と終末論は信仰の鍵。これを取り除くとイスラエ
ルの宗教の独自性は剥ぎ取られる。
・ その証拠に知恵文学はイスラエル以外の地でもたくさん流布している。中には箴言や
伝道の書とまったく同じフレーズまで一部見つかっているほど、普遍的で国際的。い
3
つでもどこでも通用する面。知恵文学は旧約正典全体のパッケージとして組み込まな
いと危ない。気をつけないと知恵文学だけだと宗教多元論に行き着く。
・ イエスキリストから十字架と復活という歴史面、終末論の独自性を抜いて、知恵の言
葉だけを強調するとどうなるのか。キリスト教から独自性は剥ぎ取られ、宗教多元論
への道を開くことになる。絶対的なものはないと言うポストモダンの問題。
・ 知恵の言葉集という仮説の背後にポストモダン的読み込みや我田引水はないか。
・ 以上の議論を踏まえた上で Q を受け入れるか、否かを決定する。しかし、たとえ、Q
はないという結論に達したとしてもマルコからマタイ、ルカへという相互関係は基本
的に受け入れてもいいと思われる。その場合は、マタイ、ルカの共通の記事に Q に変
わる説得力のある仮説を生み出せるかどうかがポイント。
⑤ 編集史的研究
・ マタイ、マルコ、ルカの共通点ということについては成立の過程から理解できた。た
だし、共通点だけあげるのでは弱い。共通点と同時に相違点もあるはずだ。共通点し
かないのなら、福音書が4つもある必然性はない。
・ 相違点とは別の言葉で言えば、独自性と言うこと。マルコの独自性、マタイの独自性、
ルカの独自性。
・ 独自性は資料の面をみてもある程度見当がつく。例えば、マタイ特殊資料とルカ特殊
資料。こういったものがわざわざ付け加えられたのは、著者がマルコにない独自の主
張を盛り込もうとした熱意の表れ。
・ 特殊資料だけではない。マルコと共通した記事であったとしても注意深く読んでみる
ならば微妙な違いが浮かび上がってくる。言葉遣いの違い、順番の違い、削った言葉、
足した言葉など。こういったものを丁寧に読んでいけばマタイやルカに独自の主張が
見えてくる。
・ さらにマタイ、ルカから遡ってオリジナルのマルコを読めば、マルコの独自性も浮か
び上がる。このように福音書をどのように編みなおしたかを研究することで著者に独
自の神学を読み取ろうとする研究の方法論を編集史的研究と言う。
・ もともと編集史的方法論はリベラルな神学から生まれたものなので、従来福音派の中
ではタブー視があった。しかし、最近では福音派の学者でも編集史を自由に駆使する
者がいる。もちろん今でも拒む学者もいる。そこでこの方法論を受け入れるにせよ、
拒むにせよ、編集史のいい面、悪い面を両方考えておく必要がある。
・ いい面としては著者独自の主張を浮かび上がらせるのに一役買っているという点であ
る。
・ 詳しく言うとマタイやルカの教会や時代で何が問題になっていたのか。どうしてその
4
ような主張をする必要があったのかという歴史的背景が浮かび上がる。つまり、いつ、
何故、誰に書かれたのかと言う釈義の前提の問題。
・ 実践的には説教の豊かさにつながる。同じような記事からでも独自のメッセージが浮
かびあがてくるから。
・ 課題点としては幾つかある。マタイやルカは福音書の伝承を曲げてしまったのかと言
う素朴な疑問。つまり歴史的事実ではないのか。史的イエスの問題にも関わってくる。
マタイやルカの創作物なのか。ここまではイエス様の本物の言葉だが、編集された部
分はマタイやルカの時代の意見を反映したものにすぎないという線引き。
・ 福音書の記事はマタイやルカの時代の空気までは読み取れても、さらに遡った歴史的
なイエス様の実像までは伝えてはくれないのか。編集史という立場と聖書は誤りなき
神の言葉という立場はかみ合うのか。
・ ここで大切なのは伝承の持つ歴史的正確性である。ただし、歴史的正確性とは言葉遣
いまでそっくりそのまま後代に伝えたと言うことではない。マタイやルカの状況にあ
わせてアレンジされている。福音書とは歴史的なイエスキリストをベースとした四つ
の変奏曲。
・ マタイやルカはマルコの福音書を受け取ったとき、これもいいけれども自分の時代の
状況にはあわないと考えたと言うこと。そこでイエス様の言葉を自分たちの言葉で解
釈しなおした。その際、どこまでがオリジナルの事実でどこからが解釈で適用かとい
う分け方など無意味。すべてがイエス様の言葉だと言い切るのが信仰。あまりにも深
い言葉なので多様性が出てくる。言葉とは常に解釈をともなうものだから。説教でも
古代と現代、み言葉と適用を行きつ戻りつする。
・ 私たちも現代と言う時代に生きる以上、現代人に通じるわたしたちの言葉で福音を伝
えるダイナミックさを持とう。先人の言葉や方法論を踏むだけでは時代から取り残さ
れ、教会は死ぬ。伝統を受け継ぐこととあなたのオリジナリティーを打ち出すことの
二つの目。
・ 聖書の統一性とは 66 巻すべてが同じ主張と言う意味ではない。多様な神学、多様な声
が盛り込まれている。教会も同じで教会の一致とは同じ事をして、同じ事を言えと言
うことではない。賜物の違い、ミニストリーの違い、伝道対象の違い、地域の違い、
個性の違いを認めて寛容になる。自分の色だけに染め上げようとしない。事実、マタ
イとルカは同時代に書かれたが主張が全く違う。
・ 地域的なことで言うとグローバルスタンダードとローカルスタンダード。グローバル
スタンダードだけだと信仰的植民地主義の危険性。ローカルスタンダードだけだと宗
教混合の危険性。キリスト教の大伝統と小伝統の区別と組み合わせが課題。
・ 神学の言葉で言うと記述と規範。聖書はたしかに信仰の規範。ただし、時代や文化の
5
制約を考えて、いったん記述としてリセットする。その上で解釈と言うフィルターを
通して現代への規範を導き出す。聖書の規範しか強調しないとファンダメンタリズム。
記述しか強調しないとリベラリズム。デボーション的な聖書の読み方の限界は?
6
講義5
マルコ福音書
① 著者問題
●福音的見解
・ 「マルコによる」という表題は著者の手によるものではない。後の時代に他の福音書
と区別するためにつけられた。
・ 聖書に登場するマルコと言えば、エルサレム教会のメンバーであったヨハネ・マルコ
のことが思い浮かぶ。使徒 12.12、12.25、13.5、15.37、ピレモン 24、コロサイ 4.10、
Ⅱテモテ 4.11 に言及されている。
・ 新約聖書の伝えるマルコは母をマリヤと言い、エルサレムに大きな家があった。ここ
で信徒の家の教会があった。親の影響で早くから信仰をもった可能性。コロサイ 4.10
によるとバルナバとはいとこ。
・ 使徒 12.25 によるとバルナバとともにアンテオケへ。使徒 13 章パウロの第一回伝道旅
行ではパウロとバルナバに同行、しかしエルサレムに帰ってしまう。そのために使徒
15 章の第二回伝道旅行ではマルコを連れて行くかどうかでもめ、パウロとバルナバは
別行動に。
・ その後の10年間の彼の行動は不明。コロサイ 4.10、ピレモン 24 によるとマルコは
パウロといっしょにローマの牢獄にいた。マルコは同労者とさえ呼ばれている。
・ その後、小アジアで活動した可能性がある。Ⅱテモテ 4.11~12
・ マルコはペテロとも師弟関係ほどの親しい関係にあった。Ⅰペテロ 5.13。パウロの殉
教後、マルコはペテロを助けたのか。
・ 外的証拠としては2世紀の教父パピアス「この福音書の著者はペテロの通訳だったマ
ルコであって、彼は主が語り行なったことのついてペテロが思い出すことをすべて正
確に、しかし順番どおりでなかったが、書きとどめた」
・ 他に教父イレナエウス、アレキサンドリアのクレメンスらもマルコがこの福音書を書
いたと証言している。
●リベラルな見解
・ マルコ福音書の著者はヨハネ・マルコではなく、今となっては名前も分からない無名
の人物である。
・ 福音書の著者を使徒やその周辺人物にあてはめる傾向は2世紀以降のものであってパ
ピアスの証言はそのまま受け入れにくい
・ Ⅰペテロは2世紀の作品であって、ペテロとマルコを関係付ける伝説はここから生ま
れたもので史実ではない。
・ マルコ福音書は初めからギリシャ語で書かれたことははっきりしている。アラム語な
1
ど他の言葉からの翻訳などではないので、パピアスの証言そのものが間違っている。
・ イエス様とマルコ福音書の間には 30 年ほどの口伝と伝承の時期がある。著者はパレス
チナとヘレニズムの教会で形成された伝承を利用しているのであって、ペテロら目撃
者の証言にじかにふれているわけではない。
・ 著者はパレスチナの地理に正確な知識をもっていない。7章 31 節の旅行順序は地理的
に矛盾している。
・ 著者はユダヤ的習慣に論争的態度でのぞんでいるので異邦人クリスチャンとしたほう
がふさわしい。
・ マルコはパウロの同伴者なのにパウロの神学の影響がほとんど見られないのは何故か。
パウロは十字架以外のイエス様の生涯にふれていない。
● 反論
・ パピアスの証言に出てくる翻訳の矛盾だが、通訳や翻訳と言う意味ではなく、もっと
広く仲介者と訳すことも可能。つまり、ペテロの説教を伝達しなおす人という意味。
アラム語などから翻訳したという意味ではない。
・ 教父は使徒の弟子にあたる世代であって、その証言の信憑性は信じるに値する。初め
から疑ってかかるのは色めがねとも言える。
・ Ⅰペテロが2世紀の作品であると言う前提から議論したほうがいい。本当に著者はペ
テロではないのか。
・ ペテロの証言を記録したと言うことと、伝承を利用したと言うことは相互補完的なも
のであって矛盾ではない。むしろ、マルコ福音書ではペテロへの言及が多い。
・ パレスチナの地理に暗いと言う批判は解釈者の偏見からそう見えるだけにすぎず、実
際にはかなり正確。
・ 7章 31 節の問題も決して説明のつかないものではない。
・ ユダヤの習慣に批判的といってもユダヤ人一般を否定しているのではなく、パリサイ
人や律法学者を批判しているにすぎない。これはマルコに限らず、初代教会の全体的
な特徴とも言える。
・ たとえユダヤ人クリスチャンでも異邦人信徒の習慣や慣習に慣れ親しめば、影響を受
ける。マルコはパウロに同行した。そのパウロは異邦人への宣教者だった点を忘れて
はいけない。
・ パウロが十字架のイエス様にしか関心がないというのは偏見。パウロ書簡を詳細に読
めば地上のイエス様にまつわる伝承もすけてみえる。Ⅰコリ7.章 10 節。9 章 14 節。
11章 23 節~25 節。Ⅰテサロニケ 4 章 15 節。
2
② 成立年代
●外的証拠
・2世紀「反マルキオン序文」によると、ペテロの死後、マルコはこの福音書をイタリヤ
地方で書いた。
・イレナウエス「ペテロとパウロの死後、マルコはペテロの伝えたことを書きしるした」
ただし、死後という言葉は出発とも訳せる。ペテロとパウロが生きているとき、どこか
に出発した後に書いたとも受け取れる。
・ アレキサンドリアのクレメンスによるとペテロがローマで福音を伝えた際、そこに居
合わせた大勢がマルコにペテロのことばを書き残すように頼んだ」
・ 教父同士の証言も食い違っていて、成立年代もペテロ生前説とペテロ死後説で意見が
分かれる。
・ 両者の食い違いを解決する考えもなくはない。マルコはペテロの生前に伝承の収集を
はじめ、死後に書き上げたと考えると問題ない。
● 内的証拠
・ マルコ 13 章 14 節 荒らす憎むべき者は 66 年~70 年のユダヤ戦争をほのめかす。し
かしエルサレムの陥落をまだ知らないようだ。
・ リベラルな学者はこのテキストを事後預言で片付け、イエス様の預言能力を信じない。
そこで成立年代を70年以降に引き下げる。
・ イエス様の超自然的預言能力を信じる者はこのテキストは成立年代の決定打にならな
い。ただし戦争への緊迫感は感じられる。
・ そもそも 13 章は小黙示録と呼ばれる黙示文学的テキストであって歴史を超えている。
ユダヤ戦争だけを想定するわけには行かない。その証拠に戦争後に成立したはずのマ
タイ福音書にも荒らす憎むべき者への言及がある。マタイ 24 章 15 節
・ 成立年代を正確に決定することは困難だが 60 年代と考えられる。
③執筆場所
・ ローマ説。マルコがパレスチナの習慣を説明しているし、ラテン語表現がしばしば出
てくる。教父の証言との一致も。反論としてはラテン語表現は当時どこでも見られた。
ローマの読者でなくても異邦人が読者ならパレスチナの習慣は説明するはず。教父の
証言も2世紀から3世紀であって正しいか分からない。
・ ガリラヤ説。この福音書がガリラヤを強調しているから。マルクスセンによれば、マ
ルコの属した教会はガリラヤで成立し、再臨のキリストを待ち望んだエルサレム志向
とは別の流れの地方教会。
・ アンテオケ説。異邦人教会の中でもっともパレスチナ地方に近いシリア地方。その中
心都市アンテオケの教会こそマルコの執筆場所にふさわしいと考える。ヘレニズム的
3
なキリスト論のふるさとか。
・ エジプト説。4世紀の教父にみられたが、現在ほとんど支持者なし。
④読者
・ 非ユダヤ人。著者ははっきりと異邦人伝道に開かれている。
・ 異邦人教会の中の指導者層を教化することを目的としたものか。
⑤ 福音書と言う類型
・ 福音と言う言葉を書物の名前にした最初の人物はマルコである。マルコが福音書と言
うジャンルの創始者。マルコは福音と言う言葉をイエス様の地上での歩み、受難と復
活のすべてだと理解した。十字架と復活だけが福音ではない。
・ 福音と言う言葉は新約では常に単数。唯一の福音があるのみ。証言者はさまざまでも
福音は唯一。
・ 福音書の三つの基本構造。イエス様の洗礼、ペテロの信仰告白(受難予告と変貌がセッ
ト)、受難・復活物語。
・ カール・シュミットは福音書というジャンルの起源を奇跡行為者や聖人にまつわる大
衆的な書物とした。
・ ユダヤ教のハガダーおよびミドラッシュを手がかりに理解しようとする試みもある。
・ 古代の伝記から説明付ける研究もある。
・ ヘレニズム的な伝記の諸類型、特に「奇跡談」や「賞賛文」から説明しようとする研
究。
・ 初期ユダヤ教の義人の物語の伝統。とくに非業の死を遂げる預言者たちの物語の伝統。
・ 結論としては福音書と言うジャンルはほかの文学ジャンルとの接触はないとは言えな
いまでも、キリスト教が形成した独自のものである。ただの伝記ではない。マルコに
は誕生物語すらない。
・ 適用として福音を物語というかたちで伝えると言うことの大切さ。説教における例話
やあかしの重要性。
⑥ マルコ福音書の神学的な構想
・ 神の国 終末論的だがすでに始まりつつある。神の国は隠されているが、今すでにこ
こにある。しるしと不思議が伴う。神の国というよりは神の支配の中に入ること。
・ 神の子
霊に満たされた者としてのイエス。神の霊の担い手。旧約のエリヤ、エリ
シャの伝統。悪霊との対決。1.9~11、5.7、3.30、9.2~8
・ 人の子
7
3つの伝承群 神の代理人として最後の審判を逆転させる罪の赦し。2.5~
受難と死、復活にまつわるもの。8.31、9.31、10.32 以下。黙示的メシヤにまつわ
4
るもの。13.26 以下。14.62
・ ダビデの子
イエス様がメシヤとしてあらかじめ定められていたことを示す。力ある
者の右に座すこと。将来の即位。王としてのメシヤ。しかし受難の王。
・ 宣教は教えることと結びついている。その教えはしるしと不思議を引き起こす権威あ
る教えであり、分かりやすくたとえで語られることも多い。
・ 奇跡は悪霊追い出し、いやし、自然奇跡などからなり、しばしば群集が神を賛美する
きっかけになる。
・ 受難は旧約の苦難の詩篇と結びついている。
・ 教会共同体とは 12 弟子の周りに集まる新しい神の民。詳細な教会論と聖霊論が希薄な
のか?。
・ 復活と再臨の間は非常に緊迫した艱難と誘惑のときである。目覚めていることと常に
備えていること。
⑦ マルコ福音書の特色
●ガリラヤの強調
・ イエス様の宣教とガリラヤを主要舞台とした結びつきをどの福音書にもまして関心を
よせている。ガリラヤ地方に出来た教会から派生した伝承か。
・ ガリラヤは復活のイエス様と出会う再会の場所として脚光をあびている。
・ ガリラヤは名もなき庶民、民衆の地であって、ユダヤ教から見て汚れた民の住む差別
された地。
・ 一方、大都会エルサレムは敵対者律法学者の本拠地であり、論争と受難の場として批
判的にとりあげられる。エルサレムはイエス様を拒み、ガリラヤはイエス様を受け入
れる。
・ マルコの歴史的状況から考えれば、エルサレムを中心とする正統的ユダヤ教の権威主
義とそこからはじき出された辺境の地に生まれた罪人の集まりのキリストの教会との
光と影がある。
・ 同時にガリラヤは異邦人のガリラヤとも呼ばれ、異邦人宣教の最前線でもあった。
・ 適用としては抑圧された民からはじまったペンテコステ運動との比較。新しい歴史は
マイノリティーが作る。ペンテコステ教会の誘惑は成功主義。
・ 宣教学的には文化的観点から遠い外国よりも、身近な地から。日本宣教もいっしょ。
● 民衆と弟子
・ 民衆が積極的に評価されている。民衆のともとして生きるイエス様。
・ 民衆が宣教活動にされ用いられる。1 章 45 節、5 章 20 節
・ 一方、弟子はイエス様のそばにおかれる。3 章 14 節。しかも特別な教えも受ける。4
5
章 10 節、7 章 17 節。これは世界に向けて伝えるものだが、弟子は不信仰でイエス様
を理解できない。
・ マルコは弟子たちを中心に出来たエルサレム教会を批判しているのか。
(田川建三、滝
沢武人)
・ おそらくそうではなく、マルコは弟子と自分を重ね合わせ、自分の不信仰とそれを乗
り越えさせてくださるイエス様の力を強調している。マルコの教会への挑戦。
・ 奇跡を起こす超越的な神の子が、十字架を背負う衝撃的逆説。
・ 適用としては信仰とは上昇志向ではなく、貧しい人の中に下って宣教すること。自分
の十字架を背負うこと。現代日本で抑圧された人とは誰か。
●律法からの自由
・イエス様は律法にしたがえない罪人の友としてふるまう。
・ マルコの教会は律法から自由な教会だったのか。だからこそ律法にとらわれずに異邦
人宣教が出来たのか。
・ イエス様の権威は律法を乗り越えている。
・ 取税人など食物規定を守ることの出来ない民の側につくイエス様。これは教会でのユ
ダヤ人と異邦人の愛餐をほのめかす。
・ 安息日の規定に関しても、規定よりも人間への愛を優位におく。安息日規定は異邦人
伝道の大きな足かせになる。イエス様の福音はユダヤ教の形式的礼拝から自由。
・ 神への愛と隣り人への愛はワンセットであり、そこさえ抑えればすべての律法の規定
は優先順位ではない。特に祭儀律法。
・ 離婚の規定も異邦人にむけて緩和されている。夫からでも妻からでも再婚をしなけれ
ば離婚はゆるされる。
・ 適用としては伝統的キリスト教の形式を重んじる礼拝を乗り越える自由なペンテコス
テ礼拝。その礼拝でしか導けない伝道対象がいる。
・ 聖霊の働きは人種の壁を打ち破る。初期のペンテコステリバイバルでは白人と黒人が
いっしょに礼拝した。
・ 教会の中に伝統にしばられた新しい律法主義はないか。それが足かせになって救いに
導けない人はいないか。聖霊は非聖書的な伝統を倒す。
●奇跡をおこなう神の子
・ イエス様の奇跡が大きな比重をしめる。しかも奇跡はイエス様の福音の大切な一部と
して理解されている。
・ 奇跡はイエス様が神の子であることを証明するもの。
・ 奇跡なしにイエス様の説教の権威は考えられない。説教にともなう奇跡。
・ 奇跡を実現する原動力は祈りにおかれる。9 章 29 節
6
・ 公衆閉め出しと秘密保持のモチーフがある。牧会的配慮。5 章 40 節、7 章 33 節、8 章
23 節。
・ 奇跡は体験した本人の口からあかしされる。
・ 弟子たちはイエス様に無理解だが、奇跡を通してイエス様を正しく理解すべきだと主
張されている。6 章 52 節
・ 信仰が奇跡に優先する。信仰がなければ奇跡はおきない。2 章 5 節、5 章 34 節、36 節、
10 章 52 節
・ 弱い人をたすけるため、隣人に仕えるための奇跡である。
● 十字架
・ マルコ福音書は詳細な序論のついた受難物語である。ケーラー説。確かにマルコの中
心は 14 章以降の受難物語にある。
・ 反対に田川建三は受難物語はマルコ福音書の付録であって、本来のマルコ福音書には
なかったとの説に立つ
・ 人の子という称号のばらつきから付録説は受け入れがたい。マルコが受け入れたキリ
スト伝承は受難の人の子伝承であり、地上で生きた方、奇跡の方、再臨の方が同時に
受難の人の子だという逆説的な信仰がある。
・ 13 章以前に旧約預言によるメシヤ証明のモチーフがつらぬかれており、受難物語との
一貫性がある。1 章 2 節、9 章 12 節、12 章 10 節以下。
・ 贖罪的信仰が言い表されている。
・ ギリシャ語カイで始まる文章の頻度は 13 章以前と 14 章以降で変わらない。
・ イエス様の奇跡と権威ある教えによる生と十字架刑の死という両者は排除しあわない。
むしろ、弟子たる者は迫害と殉教の嵐の中でこの受難を模範とせよとの要求がある。
それが仕えるということ。
・ 適用としてはペンテコステ教会はみ言葉の権威としるしと不思議だけにかたむきがち。
イエス様の十字架から学ぶのは苦難をどう評価するかの積極的意味。
7
講義6
マタイ福音書
① 著者問題
● 福音的見解
外的証拠
・ 表題は後代についたもの。著者がマタイと言う立場は2世紀末には定着。125
年ころにはギリシャ語本文の一部になっていたはず。
・ 2世紀中ごろのパピアスの証言がマタイが書いた最古の証言。マタイが語録を
書いた。語録とは福音書のことか。
・ パピアスにはヘブル語で書かれたとあるのがネックだが、たとえギリシャ語で
書かれたものでも広くユダヤ的文学形態でという意味にとれば食い違いはない。
・ 語録とは Q を指すと言う立場もあるが、仮説の域を出ない。
・ 2世紀後半のイレナエウスの証言もパピアスを裏付ける。
・ エウセビオス
「パンタイノスはインドでバルトロマイによってもたらされた
ヘブル語のマタイ福音書を発見した」。真正性は疑問視されるが、マタイ著作説
を支持する面で意義がある。
内的証拠
・マタイの召命物語でマルコ、ルカはレビと書くのに、マタイだけがマタイと記して
いる。9.9 著者は意識的に自分の召しを神の賜物と受け止めた。
・ 貢物、納入金、借金返済、財産、報酬などの細やかさが取税人らしさを思わせる。2.11、
5.26、10.9、13.45、17.24 など
● リベラルな見解
・ マルコ優先説に立つなら、何故、十二使徒のマタイが使徒でないマルコの著作を下敷
きにすることがあろうか。従って著者はマタイではない。
・ マルコにあるような鮮やかさや迫るものがない。これはイエス様のじかの目撃者とし
ては解せない。
・ マタイ福音書はある教会がある個人か、編さん委員会に書くことを依頼したもの。筆
者、もしくは集団はそのとき、資料としてマタイに遡る Q を利用したのでやがて全体
がマタイのものと誤解され、マタイ福音書と名づけられた。(ストリーター説)
・ 個人著作と教会公認著作の違いを分けるキルパトリック説。無名の著者の書いた福音
書が教会の権威筋によって使徒的内容と認められマタイと仮称された。個人著作の正
典性基準は厳しいが、教会公認著作の場合、著者問題は無名でも基準が甘かった。
・ マタイの伝承を受け継ぐマタイ学派著作説に立つステンダールによるとマタイ学派は
教会の指導者、教師集団。福音書はキリスト教ラビによる信仰教育書。
1
・ シュトレッカーによると著者はユダヤ人ではなく異邦人。預言成就というかたちは福
音書以前の伝承であって、異邦人信徒でも使える。ユダヤ的色彩の文章は古い伝承か
らのもの。
● 反論
・ マタイ福音書はマルコ福音書を下敷きにはするが、資料をそのまま用いてはいない。
言葉遣いも変えている。使徒マタイだからこそ、マルコの福音書を真正性を承認する
立場にあったのだ。
・ マタイは鮮明さよりも洗練された神学を優先したから。目撃者の使徒だからこそ、イ
エス様の意図を正しく汲み取り、伝承を正しく神学化することが出来た。
・ Q そのものが仮説の域を出ない。Qがなければ、ストーリーター説も崩れる。
・ 当時の教会は使徒のメッセージを大切にしており、教会公認著作なる偽書が入り込む
余地はないものと思われる。
・ マタイ学派が本当にあったのなら、何故、パピアスはそれに触れないのか。そんなに
短期間にそれほど有名な集団が歴史から忘れられるだろうか。
・ 伝承と編集の間の循環論法が見られる。都合の悪いユダヤ的なものは伝承に属すると
避けている。素直に読めば著者はユダヤ人。
② 成立年代
・ 遅い成立年代説に立つ学者は1世紀末説をとる。理由は成熟した教会主義。迫害の激
しさ。再臨の遅れと危機感
・ 115 年ごろのイグナティウスの手紙に引用されているので絶対にそれ以前。
・ ディダケーもマタイを引用している。
・ マルコ優先説を受けいれれば、マルコ成立以後。つまり 60 年代以降。
・ 紀元 70 年のエルサレム陥落をイエス様の預言能力ととり、まだ起こっていないと採る
か実際に起こったあとととるか。
・ はっきりしたことはいえないが、エルサレム陥落直後の70年代か。
③執筆場所
・ パレスチナ説 ユダヤ色の強さから
・ シリアのアンテオケ説
マタイ福音書は伝統的にシリア地方で愛読されている。アン
テオケ教会は複合文化教会。アラム語もギリシャ語も使われていた。全世界へという
意識は世界宣教の発信基地アンテオケを思わせる。
④ 読者
・ 教会の礼拝用に用いられた成句集の物語版か。根拠として明晰な文体、マルコの細か
2
い叙述が短い。対照や対句などのリズム、定型引用の多さ。用語が礼拝的に洗練され
ている。
・ 教会内の信仰教育読本か。しかも指導者教育をめざす高いものか。あるいは回心者教
育のための公認教科書か。死海文書の「ハバクク書注解」との共通点も
・ ユダヤ教会堂から出つつある集団か、出てはっきりと距離を置いた集団か、それとも
ユダヤ会堂からの分離がすでに済んだ段階か。
・ 適用として既成教会から追い出された初期ペンテコステクリスチャンと比較せよ。
・ 終末論的倫理に生きる集団説。終末が近いからこそ倫理的に生きる
・ イスラエルから教会へと向かう道。旧約伝統はパリサイ派ではなく、クリスチャンに
よって受け継がれると言う意識を持った集団。
・ エルサレム陥落のためにユダヤ人伝道を後に回して、異邦人伝道を行なおうと決心す
る集団説。
⑤ 内容と構成
・ マルコ福音書を下敷きとしながら、その枠組みをイエス様の誕生物語と独自の復活顕
現の物語で拡大している。誕生物語のインマヌエルと復活後のイエス様の最後の言葉
28 章 20 節が対応している。歴史的なイエス様が、今も臨在し、マタイの教会を導く
と言う信仰。
・ 誕生物語では東方の博士が「ユダヤ人の王」を礼拝する。2章 2 節 ここで既に死へ
のほのめかしがあり、王の称号は受難物語の罪状書きに改めて再登場する。27章 37
節。
・ 物語を中心にした部分と説教を中心とした部分を交互に配列している。福音書全体の
中心に13章の天国のたとえ話がおかれている。長い説教が5つのブロックにまとめ
られる。モーセ五書を意識している?イエス様は新しい律法の解説者。モーセを越え
る権威。
⑥ マタイ福音書の思想的特色
・ 教会に関心がある。福音書中、教会と言う言葉が登場するのはマタイだけ。16 章 16
節、18 章 17 節
・ マタイにとって教会とは、正しいキリスト論的告白に立ち(生ける神の子キリスト)、
神の権威を預けられた(天国の鍵)
、キリストの祝福を受けた信仰者の集団。
・ 新しい民と兄弟姉妹の交わりとしての弟子共同体。
・ 時代的にはユダヤ教とのきしみ、それにともなう伝道戦略の建て直し。異端の出現に
よる神学教育の必要性。
3
・ 教会維持と管理への牧会的心配りと心構え
謙遜、人をつまづかせないこと、ゆるし
あうこと、信仰の離脱者を出さないこと。
・ それでも秩序を乱す者には、訓戒があり、教会の回復へのプロセスがある。
・ 同時に教会の極端な理想化は避け、現実問題として教会内にも悪や罪や弱さの問題が
あることを認める現実路線。玉石混合集団という面。13.24 以下。22.11 以下。
・ だからこそ、強いものだけの集団でなく、弱いものにどれだけ心が配れるかが教会の
成熟度。18.10
・ 弟子像の変化
マルコに特徴的な弟子批判は消え、弟子はイエス様を理解する者とし
て成長している。無理解は一時的。16.9 と 12、13.36 と 51、17.13、14.33、13.11、
13.19、13.23
・ 弟子は信仰のモデルを提供する。適用としては信仰生活における手本となる人物の大
切さ。
・ マタイにとって伝道と弟子となすことはワンセット。28.19 以下。理想的な12弟子
の姿にまで引き上げられること。人を作り変える教えでなければ意味がない。瞬間型
霊性と訓練型霊性。
・ マルコと違い、イエス様が神の子であることは初めから隠されていない。弟子たちは
折に触れてイエス様に信仰を告白する。14.33、16.16
弟子も病の群集もイエス様を
礼拝する。礼拝すると言う言葉はマタイに13回と一番多い。
・ 適用として礼拝こそ、弟子化への道。日々の礼拝。
・ 預言証明としての旧約引用区の多様。み言葉を通してキリストへの信仰を確かめる。
2.15、2.23
どの旧約句の引用かも分からない。それくらいみ言葉と自分が1つにな
っている。
・ マルコと違い、律法の有用性は失われていない。ユダヤ教指導者以上に深く律法に生
きる。ユダヤ教に対してはクリスチャンとどちらが神のみ心を行なっているかの弁証。
教会周辺に対しては過激なカリスマ運動への警戒。彼らは律法を否定し、倫理的に不
法。7.23
・ 適用としては聖書を抜きにした、聖書で吟味されない霊的体験(預言、奇跡、幻、現
象)の危険性。ペンテコステ教会は聖書を土台にしないと神秘主義に。
・ 聖霊に満たされたら、何をしてもいいのか。世の中の常識に従わなくてもいいのか。
信仰のない人や初信者への配慮はいらないのか。愛の問題。
・ 御霊の賜物と御霊の実。偽者は実によって見分ける。サタンは御霊の実のマネは出来
ない。
・ パリサイ人以上の義を現代に適用すると、ペンテコステ教会は聖霊の働きによって、
リベラル以上に聖書を学び、ホーリネス以上に聖い生活を目指すと言うこと。霊的現
4
象だけに聖霊の働きを制限しないこと。
・ 日本文化の中では、仏教徒以上に親や先祖を大切にし、神道以上に自然を大切にし、
ヒューマニズム以上に人間を大切にするなど証しの面。聖霊の力によってのみ可能。
⑦ マタイ福音書の神学
●約束と成就
・ 旧約聖書と結びつく神様の救いの計画を指し示している。おそらく旧約とならんで本
書を教会内で朗読することを意識している。ユダヤ教からの分離へ。成就はユダヤ教
ではなく教会において成し遂げられたという信仰のあらわれ。
・ イエス様の誕生物語をモーセの物語と重ね合わせている。2.13 以下
・ 預言証明の二つの機能。旧約聖書はすべてイエス様を目指す。したがって、イエス様
を通して旧約を読め。
●天国
・ マルコの神の国は天国に書き改められている。これはマルコとは違って神様の支配の
将来的性格が強調されているから。6.10、5.20、7.21、18.3、19.23 以下。過激なカリ
スマ主義への警戒か。ただし、救いの力は幾分経験できる 6.33.
・ 天国のメッセージは救いのテーマと並んで裁きのテーマが役割を演じる。伝道とは救
いと裁きの両面がある。
・ 宣教とは天国を近づけること。4.23、9.35、24.14
● キリスト論
・ 処女降誕。聖霊によって受胎する。1.18~25 イザヤ 7.14 を引用。下降的系図。人間
的に何の救いの可能性のないどん底。不可能の中から聖霊によって解決が起こる。
・ ヨセフとの養子縁組によって正式にダビデの子孫に組み込まれる。命名の説明によっ
てイエス様の救済論的な機能が際立てられる。1.21
・ 誕生物語では世界に救いをもたらす者として紹介される。2.1 以下
・ キリストと言う言葉でマタイはイエス様が地上の歩みの間、ずっと救い主であったこ
とを強調する。1.16、1.17、2.4、11.2、22.42、23.10、24.5、24.23
・ 言葉と業のメシアと理解するキリスト論。信仰の二つの軸。み言葉と業。
・ 神の子という言葉は御霊の担い手としての働きと結びついていて、これはマルコから
引き継いだもの 16.16、8.29、14.33、17.1、17.5
・ 人の子という言葉は十字架の苦難と、再臨との二つの場面で使われる。17.10、12.38
24.27 以下。19.28
・ 復活と昇天によって教会共同体のただ中にキリストがいるという信仰
5
・ 教師としてのイエス様が強調されている。弟子とはイエス様の教えに従う者のこと。
● 義
・ パウロの用語とは分けて考えないといけないマタイ独特の概念。
・ 山上の説教では、律法と預言者(即ち旧約聖書)はイエス様によって解体されるのではな
く、成就されると教えられる。律法の誤った解釈が問題視され、イエス様による正し
い解釈が受け入れられる。古い時代の生活規範ではなく、新時代の聖霊による規範は
旧規範を超える。
・ 天国に入るためには行いがいるのか?そうではなく、救いの結果としての正しい行い。
正しい行いとは救われたことをたしかにするしるし。救われたことをもっと確かに。
・ マタイでは義という概念には二重の意味がある。第一に神の救いと同じ意味。5.6、6.33、
3.15. 第二に父なる神の御心のことでもある。7.21、12.50、18.14、21.31 行いをも
たらす救い。救われたから神の御心に生きよ。神の御心は高い倫理だが、一言で言え
ば愛の戒め、聖霊によれば可能。マタイではクリスチャンとは聖霊に満たされた人。
・ 徹底命題 律法の要求をさらに深めて高くする戒め
・ 反対命題 廃棄される戒め
山上の説教で取り上げられ、15.1~20、19.3 以下の論争
テーマで繰り返される。
・ パリサイ派と律法学者への批判は、マタイの時代の状況とも二重写しにされている。
同時に彼らを反面教師としながら、クリスチャンもそうならないようにとの警告。
・ 御霊による高い水準と律法主義の違いは?御霊に満たされなければ、形式主義と肉の
力に振り回される。
● 終末論
・ どの福音書よりも裁きの思想を貫く 3.7 以下、7.13 以下、8.11 以下、10.14 以下、11.20
以下、12.31 以下。
・ 裁きはイエス様を拒んだ者だけではなく、教会共同体のメンバーに対してさえもたら
される。裁きのテーマは弟子の正しい信仰と責任ある行動、目覚めている状態をうな
がすため
・ 適用としては、恵みによって救われることだけが強調されていいのか。そこを言い訳
に霊的成長を目指さない甘さは日本の教会にないか。
・ 裁くのは神であって人間が先走って裁いてはいけない。評価は終末時に決定する。人
の評価、この世でも評価を求めやすい人間。
・ 将来の報酬について書かれている。これは救いとは別のものらしい。救いを生かして
何をしてきたのかが問われる。5.12、5.46、6.1、6.16、10.41
6
講義7
ルカ文書(ルカ福音書・使徒行伝)
① 著者問題
● 福音的見解
外的証拠
・ 155 年から 160 年頃のユスティノスの「トリュフォンとの対話」が最古の証言。
ルカを名指してはいないが、パウロ同行者が第三福音書の書き手だとほのめか
す。
・ イレナエウス「異端反駁論」の一節「パウロに従っていたルカは、自分の教師
であるパウロの宣べ伝えた福音を一巻の書物にしるした」
・ ムラトリ断片「第三の福音書はルカによるものである」
・ 「ルカ福音書の反マルキオン的序文」ルカはアンテオケ出身のシリヤ人で職業
は医者である。パウロの殉教まで彼に同伴した。妻も子もなく、84歳でボイ
オティアで眠りについた。ルカのアンテオケ出身説の最古の証言。
・ おそらく2世紀前半にはルカの著作性は確かめられている。
内的証拠
・ ルカがどういう人物かは聖書に断片的 ピレモン 24、コロサイ 4.14、Ⅱテモテ 4.11
・ 医者は当時、差別されていた職業だった。貧しい人、サマリヤ人ら差別されていた人
へのあわれみの目は差別されていた者どうしの共感がある。
・ ギリシャ語の質の高さ、医学用語の多さ、細やかな観察力は著者が医者であることを
思わせる。
・ 悪霊から来る病気とそうでない病気を分けて書いている。
・ 長血の女の物語でマルコ版にある医者批判を消している。
・ われら章節と関係の深いコロサイ 4.7~17、ピレモン 23、24 節の5名の人物リストの
中に著者がいるはず。マルコは3人称で出てくる。エパフラスの本拠地は小アジアな
のでピリピとつながらない。デマスは後に信仰から離れた。ユストはユダヤ人。残り
は消去法でルカしかいない。
● リベラルな見解
・ 使徒行伝にわれら資料と呼ばれるものがあった。しかし、これは文学上の技巧であっ
て本当のパウロの同伴者かは疑わしい。
・ 著者の神学がパウロのものとはほど遠い。パウロの旅行の同行者とは思えない。
・ 使徒版ではパウロの回心にアナニアが関わるが、パウロ書簡では自分が使徒になるの
に人間の手は用いられなかったとある。ガラテヤ 1.12
・ 書簡では割礼と激しく戦うパウロが使徒版ではテモテにあっざり割礼をほどこしてい
1
る。
・ 使徒行伝のパウロは手紙をまったく書かないのは何故か。史実に反する。
・ 著者は三代目の異邦人クリスチャンで、ローマの有力者とも親しい無名の人。七十人
訳旧約聖書に造詣が深いのでユダヤ教にかなりふれていた人物。
・ 偽名説。2世紀当時、無名の文書に著名な人物の名前を仮につけることはよくあるこ
とだった。
● 反論
・ パウロの回心の超自然性は使徒行伝もはっきり記録している。パウロの手紙はその点
をさしており、アナニアが関わっていなかったと言う意味ではない。
・ テモテへの割礼はユダヤ人にはユダヤ人のようにというパウロの信仰のあらわれ。ガ
ラテヤ教会の異端問題とは分けて考えるべき。
・ われら資料の存在そのものが仮説。ましてや文学上の技巧と言うことは証明できない。
本当の同行者だったととらえたほうが自然。
・ パウロの同行者だからと言って、教会の状況によって強調点が違うのは普通。著者の
関心にないことは省くことはあり得る。ましてや書簡と歴史物語では文学ジャンルが
違う。
・ 聖書にわずかしか出てこない人物の名前を無名の文書につける必然性があるだろうか。
これはかえってルカが著者であることをあらわさないだろうか。
② 成立年代
・ マルコ優先説に従えば、60年代よりあとであることは間違いない。
・ ルカはエルサレム陥落を知っているようだ。それなら70年以降。
・ルカは多くの福音書の存在を前提にしているが、複数の福音書は70年以前にあった証
拠がない
・ マタイとルカは同年代の著作と思われる。
・ ヨハネ福音書はこの福音書を知っているようだ。だとしたら、90年以降であること
はあり得ない。
・ 1世紀末のクレメンスの手紙やイグナティオスの手紙にルカの神学から派生したらし
い思想がある。
・ はっきりしたことはいえないが、エルサレム陥落直後の70年代か。ただし、60 年代
説もある。
③執筆場所
・ 少なくともパレスチナではない。パレスチナの外の読者を想定している。ルカ 23.51、
2
24.13
・ カイザリヤ説。パウロがカイザリヤで幽閉されていた2年間が伝承の収集期間か。
・ ローマ説。しかし、ローマへの船旅は難破もあって困難。
・ 他に古代の証言からはアカヤ、ボイオティア、小アジア、エペソなど。
④ 読者
・ 実在のテオピロと言う人物に贈呈した文書。神が愛した人という意味。恐らくローマ
の高官。この書物の出版費用を負ったスポンサーかもしれない。
・ テオピロだけでなく、広くヘレニズム世界全体の人々に訴えている。
・ マタイと違い、パリサイ派との対立をあえて避けている。たとえば、受難物語にパリ
サイ派は登場しない。使徒行伝でもパリサイ派は教会を妨害しない、キリスト教に寛
容な指導者さえいる。
(使徒 5.34)これはユダヤ教との対立が問題のない読者だからか。
それとも、反対に関係を悪化させないための心配りか。
・ ユダヤ人にしか分からない伝承ははぶかれている。ラビを主に変えるなど。マルコ
10.51 とルカ 18.41 を比較。
・ 信徒の受難が前提にされているのは迫害のただ中にある教会だからか。
・ 貧しさへの強調があるのは、教会がエビオン主義的共同体の影響があるのか。
・ 逆に富裕層への教会の世俗化への批判を狙ったものか。農村型ではなく都市型教会。
上記三説をつなぎあわせるのは難しいが、どの説をとるにせよ、聖霊によるカリスマ
神学が貫かれている。
⑤ 内容と構成
・ 間にヨハネ福音書を挟んでいるので、見過ごしやすいが、もともとルカ福音書と使徒
行伝は同じ著者による二部作。一貫した構想で練られている。後の時代に分断された
もので、ルカは通しで読むことを求めている。
・ イエス様の誕生から教会の進展までを物語として記録している。その際、イエス様と
教会の物語を出来る限り一般歴史の中で描こうとしている。
・ 福音書ではマルコから引用した部分と、非マルコ的な部分をブロックごとに交互に並
べる。たとえば、3.1~6.19、8.4~9.50、18.15~24.11 がマルコから。その間に非マ
ルコ物語。
・ 独特のエルサレム旅行記事が 9 章 51 節から 19 章 27 節まであり、特に弟子の倫理的
な生活が説かれる。サマリヤに光が当てられる。
・ 福音書では異邦人宣教はていねいに省かれ、使徒行伝で開始される。
・ 使徒行伝では前半をペテロが中心に活躍し、後半はパウロを中心に活躍する。
3
・ 使徒行伝では天にあげられたキリストが聖霊を注ぎ、聖霊の導きが主の弟子たちの宣
教の源であることをあきらかにする。
・ 使徒行伝の6つの進展報告。6.7、9.31、12.24、16.5、19.20、28.31
・ 使徒行伝には多くの説教が記録されている。全体の4分の1が説教。
・ 福音がローマまで伝えられたことや、初代教会の歴史のすべてを収めることは目的で
はない。むしろ、聖霊による教会の宣教と教会形成のモデルを提供すること。
⑥ 異言のともなう聖霊のバプテスマを巡って
・ ルカと使徒行伝はペンテコステ教会の神学のふるさと。
・ アッセンブリー教団の「基本的真理の宣言」の7と8から引用する。
7「信者はみな、主イエスキリストの命令にもとづいて父の約束である聖霊と火のバプテ
スマを受ける資格があり、熱心に期待し、真剣に求めるべきである。これは初代教会にお
いては全員の通常的体験であった。それに伴って生活と奉仕に対する力と賜物及び伝道奉
仕の働きにおける賜物の活用が与えられる。この経験は、新生体験とは別個のものであり、
その後にくるものである。聖霊のバプテスマと共に御霊のあふれ出るような充満、神に対
する敬虔の深まり、神への献身とその働きに対する献身の強化、キリストとそのみことば、
及び失われた者に対する実際的な愛などを経験することが出来る。」
8「信者が受ける聖霊のバプテスマは、神の御霊が語らせるままに異言を語るという、肉
体的な最初のしるしによって証明される。この場合において異言を語ることは、異言の賜
物と本質的に同じであるが、その目的と用法において異なっている」
・ 異言を聖霊のバプテスマを巡って、福音派やカリスマ派との対話、アッセンブリーの
学者の中にも議論の深まりがあり、体験からだけでなく聖書からしっかりと論じる必
要性が出てきている。しかし、
「異言をともなう聖霊のバプテスマ」を前提に論じるべ
き。
・ 異言は使徒行伝では預言者とされたしるしである。この場合の預言者とは福音宣教に
働く者という意味であり、パウロ書簡の預言者と言う言葉とは用法が違う。聖霊のバ
プテスマについて論じるのは組織神学の対象であって、使徒行伝だけでなく、旧新約
全体から論じるべきだ。
(メンジーズ)
・ 使徒行伝は歴史書であるので、ここから聖霊のバプテスマの教理を導くには無理があ
る。聖霊の教理はむしろ書簡から論じるべきだ。記述と規範の問題。
・ パウロ書簡の聖霊論からは聖霊のバプテスマは出てこないようだ。むしろ、パウロは
聖霊を救いや霊的成長に関連付けている。(フィー)
4
・ ルカは歴史家であると同時に神学者でもあるので、単に歴史を書いただけではない。
綿密な神学に基づいて書かれたものである以上、そこから聖霊の教理を打ち出すこと
は可能。ルカは解釈された歴史を記録している。
(ハワード・マーシャル)
・ 歴史的物語と教理を区別することなど出来るのだろうか。聖書の文学ジャンルがどの
ようなものであれ、そこから教理を引き出すことは出来る。使徒行伝における聖霊の
活動に関する歴史的記録は御霊の教理を打ち立てる上で、確固たる基礎を提供するも
のである。
(ストロンスタット)
・ ルカは教会の歴史を記録したいだけなのか。それなら、どうしてアレキサンドリアの
教会にはふれないのか。むしろ、聖霊による教会の宣教のモデルを提示しているので
はないか。
・ ルカの独自性としてはマタイ、マルコに比べて聖霊と言う語が一番多いこと。第二点
はマタイもマルコも書かない続編を書いたこと。第三点はパウロとは違う独自の聖霊
論を持っているらしいこと。第四点は旧約における神の霊の働きをなぞっているらし
いこと。
・ 聖霊の満たしに異言がともなうことは、使徒行伝からある程度推測可能。可能性とし
ては異言がともなわない可能性もゼロではない。異言が書いてないケースがあるので。
ただし、使徒行伝から聖霊の満たしに異言がともなわないということを証明するのは
かなり苦しいのでは。
・ ア・サインか。ザ・サインか。つまり、異言は聖霊のバプテスマの唯一のしるしか。
それとも、数多くあるしるしの中のひとつか。異言がともなわなくても聖霊に満たさ
れるということがあり得るのか。
・ しるしを絶対視する危険性はないのか。異言さえ語っていれば、聖霊に満たされてい
るということでいいのか。
(万代栄嗣)
・ 異言はもっとも特徴的な一番確かめやすい目に見える聖霊に満たされたしるしという
ことではないのか。
・ 異言は神との交わりを深めるということに意義があり、これはルカにもパウロにも共
通。聖霊のバプテスマを力を与えると言う面だけでとらえるのは狭いのでは。
・ ルカと使徒行伝では聖霊の満たしには「高潔な倫理」という側面もあるのでは。力と
宣教だけに限定されないのでは。
・ ルカと使徒行伝の「聖霊に満たされる」と「聖霊に満ちた」のニュアンスの違い。前
者は霊的な発言に関係し、後者は高い品性に関係する。
(マックス・ターナー)
・ 御霊の満たしとは、第一に特定な使命や職務のための瞬時的な経験ではないか。第二
にこれは人物の描写であって人柄に関係するのではないか。第三に継続が求められる
体験ではないのか(宇多進)
5
・ 聖霊に満たされることを、抽象的、主観的に考えすぎる危険性をさけるためにからだ
にあらわれる異言があるのでは。霊と肉体の関係。肉体にあらわれるからこそ、宣教
やよいわざなどの行動にも移せる。
・ その他のペンテコステ神学者
ドナルド・ジョーンズ、ワンスク・マー、サイモン・
チャン、フランク・マッチア、スティ-ブン・ランド、クリストトファー・トーマス、
ローリー・デ・ラ・クルーズ、J.D.ダンら。
⑦ ルカ・使徒行伝の神学
・ 一種の歴史神学がある。その場合、ユダヤ人でない者の歴史さえ、神の支配の中にあ
る理解がある。適用として、キリスト教宣教以前の日本に神の導きはあるか。武士道
は日本の旧約である(内村鑑三)
・ 神の国はしるしをもってくるのではない。しかし、悪霊を追い出す力あるわざである。
・ イエス様の十字架から踏み込んで、復活と高く上げられたキリストの力が強調されて
いる。復活と高挙の神学。
・ 世の終わりまでに福音が伝えられなければならない。福音には不思議としるしがとも
なう。
・ すべての人間は悔い改めへと導かれている。
・ ローマ帝国への護教論があるのではなく、むしろ御霊に満たされたクリスチャンは国
家にも益になる。トランスフォーメーションの例。
・ 財産の共有が教会の理想として描かれる。個教会主義は聖書的か。
・ 教会の一致が描かれている。教会一致の鍵は聖霊。
・ パウロ書簡とは違った面を強調するパウロ像がある。異邦人伝道への情熱と最大の異
邦人伝道者としてのお手本。奇跡行為者としてのパウロ。説教者パウロ。パウロを使
徒とは呼ばない。使徒に起源をおくエルサレム教会の自然消滅。
・ 神殿祭儀への批判がある。
・ 貧しい者への慈しみと富める者への手厳しい批判がある。適用としては格差社会への
モデル。教会の二極化問題。霊的であると言うことは倫理的であると言うこと。
・ 特にサマリヤ人への好意が特徴的。
・ 女性と子どもに関心が寄せられている。
・ 祈りが強調されている。聖霊と祈りの関係。3.21、5.15、6.12、9.18、9.29
・ 賛美と喜びが特徴。聖霊と賛美の関係は、ペンテコステ教会こそ実感できる。
・再臨への恒常的な待望がある。再臨信仰とともに始まったペンテコステ運動。聖霊が終
わりの日に注がれる。
6
7
講義8
ヨハネ福音書とヨハネ書簡
① 著者問題
● 福音的見解
外的証拠
・表題がつけられたのは2世紀の後半
・イレナエウスの証言 使徒ヨハネの直弟子ポリュカルポスから、他の福音書が書かれた
後、使徒ヨハネがアジアのエペソで福音書を書いた。
・パピアスは二人のヨハネ、即ち使徒ヨハネと長老ヨハネに触れ、使徒が福音書を長老が
黙示録を書いたと記録している。
・他に、反マルキオン序文、アレキサンドリアのクレメンスの証言、ムラトリ断片、ポリ
ュクラテスの証言など
内的証拠
・ 著者は少なくともユダヤ人。七十人訳ではなく、ヘブル語旧約からの自由な引用。過
ぎ越しの祭の強調。
・ パレスチナの慣例、婚礼、埋葬に精通していることが考古学の光で明らかになった
・ 著者は歴史的なイエス様の目撃証人。2.14、5.2、7.45、8.1、19.17
・ 著者はイエス様の愛弟子 13.23、19.26、20.2、21.20 この愛弟子は告別説教で主の
みそばちかくにおり、マリやとも親しく、ペテロとも親密
・ ヨハネは12弟子。マタイ 17.1、マルコ 5.37、マルコ 14.33
・ 初代教会でも教会の柱として活動 使徒 4.13、8.14、ガラテヤ 2.9
・ これらの内的証拠の状況証拠に最もあてはまる著者がいるとすれば、使徒ヨハネがふ
さわしい。
● リベラルな見解
・ 無学なただ人である漁師が高度な福音書を書けたはずがない。
・ ヨハネが自分のことを愛弟子と呼ぶのは不自然なので著者ではない。
・ 主が愛した愛弟子とはヨハネではなく、ラザロである。11.3、11.5
・ ブルトマンはヨハネ福音書は二つの資料の組み合わせだと論じた。
「しるし資料」と「啓
示的説話」であり、
「啓示的説話」はグノーシス起源。
・ ドットは福音書の背後に口伝として存在した「前正典的伝承」の存在を推理した。こ
れは共観福音書の伝承に近いが、独立のものとしている。これは福音書内の共観福音
書に似た記事の説明としてある程度評価される。
・ 福音書はユダヤ的聖句集でユダヤ暦にそって配列されている。
・ 出エジプト記との予型論を重視する見解。
1
・ ミークスは地理的シンボルに注目。エルサレムは審判と拒否の主題、ガリラヤとサマ
リヤは受容と弟子作りの主題。
・ 福音書はイエス様の最初の一週間と最後の一週間を中心にまとめられている。最初は
受肉を最後は過ぎ越しの子羊を映し出している。
・ 統一性の問題。5章と6章はならべかえるべき。
● 反論
・ 無学なただ人と言う表現は専門教育を受けていないと言う意味であって、ユダヤ人の
家庭教育や信仰教育には目を見張るものがある。ましてやヨハネは漁師とは言え、網
もとの息子である。
・ 愛弟子という言葉を主の弟子でもない人間が使い、ペテロとつきあいがあったと書く
方がよほど不自然。
・ 資料の問題は、資料そのものの発見がなく仮説の域を出ない。特にブルトマンの説だ
がヨハネは異教起源の資料を使うだろうか。
・ 5章と 6 章のならべかえは写本に何の証拠もない。ヨハネは地理よりも神学的配列に
関心がある。
② 成立年代
・ イレナエウスによると、ヨハネは98年のトラヤヌス帝の時代までエペソに滞在して
いた。
・ 1920 年代から 30 年代、2世紀前半に書かれたジョン・ライランズ・パピルス断片か
らヨハネ福音書が見つかった。これは少なくとも 90 年代には福音書が知られていた証
し。
・2世紀前半のエジプトでの新福音書断片。
・ はっきりしたことはいえないが、福音書中、最も遅い90年代。
③執筆場所
・ 古典的なエペソ説は教父の証言から。パレスチナで成立した伝承がエペソに移され、
福音書が生まれたとも仮定できる。
・ 最近、シリア説も有力。しかし、マルコやマタイにもシリア説があり、四国ほどの広
さに3つの福音書が成立し、ヨハネが共観福音書を知らないことなどあり得るだろう
か。
④ 読者
・ ヘレニズム世界の異邦人に対して書かれているという説が古典的だった。ユダヤ教、
2
ユダヤ人キリスト教を背景とした福音がまったく思想の異なるヘレニズム世界で語ら
れるときに、ヘレニズム的な思想、概念、言語の中で解釈されなおされたものとされ
てきた。
・ しかし、死海写本の発見が古典説の前提を崩し始めた。クムランの文書の中にヘレニ
ズム的でグノーシス的な要素が濃厚に含まれていることが分かり、パレスチナの分派
的ユダヤ教がすでにヘレニズム化していたことが判明。
・ 一般論としてはヘレニズムの影響を受けたユダヤ人キリスト教の流れに位置づけられ
る。
・ ユダヤ人とイエス様との対立が福音書成立の時代のシナゴーグとの対立を反映してい
る。これはマタイ福音書に似た状況だが、時代的にさらに激化している。ヤムニヤ会
議が鍵。ここでキリスト教徒への呪いの言葉。
・ ユダヤ教とキリスト教が分かれていない状況から、決別へ。ヨハネ共同体とも言うべ
き教会が生まれたのではないか。ここではシナゴーグには伝道を、教会内では福音の
再確認としての教育がなされていたのか。
・ この共同体は、愛弟子を理想と仰ぐ集団だったと思われる。
・ 適用としてアメリカからの直輸入の教会形成でいいのか。福音がアジア的な思想、概
念、言語を通して再解釈される可能性。
・ 適用として正統と分派の線引きの難しさ。分派の中にいいものがあることも。雑多な
アッセンブリー教会の強み。締め出しではなく核と周辺、白黒と灰色を見極める寛容。
⑤ 内容と構成
・ ヨハネ福音書は共観福音書をじかには知らないと言う説が有力。独自の視点で編んだ
福音書。
・ 韻文で書かれた序文の 1 章 1 節~18 節までを「ロゴス賛歌」と言う。先在のキリスト
論は共観福音書にはない視点。
・ 1 章 19 節以下から序文の散文部分で物語部分が始まる。バプテスマのヨハネの登場。
35 節以下ではヨハネの弟子が師のもとを離れてイエス様に従い、彼らが他の人をイエ
ス様に連れてくる。
・ カナで二つのしるし。2章ではカナの婚礼の奇跡、4章では子どもの癒しの物語。そ
の間に3章に宮清め、ニコデモとの会話、サマリヤの女との会話。個人的対話の多さ。
イエス様は既に復活を終えた天にいる者として語っている。3.13。時間のずれが重要。
・ 5章から 10 章にかけては、イエス様は祭りのたびにエルサレムに上る。共観福音書と
違う伝承で、イエス様は祭りを利用して何度も上京し、説教する。安息日に病人を癒
す話、5.1 以下。パンの奇跡、6.4.。
3
・ 11章、12章は死といのちのテーマ。13 章以降のテーマの前ぶれ。
・ 13章から 17 章 告別説教
最後の晩餐での長い説教。
・ 18章~19 章 受難物語。共観福音書とかなり違う。超越的存在としてのイエス様が
粛然と勝利に向かって歩む姿。
・ 20章~21章 復活物語。
・光の到来と退去までと言う主題の三幕構成の舞台劇にたとえることが出来る。第一幕は
1 章 19 節~12 章 50 節。父なる神から到来し託された業を世に行なうイエス様。第二幕は
13 章~17 章。暗い背景を背にイエス様と弟子たちだけに光の当たっている最後の晩餐と
告別説教。第三幕は 18 章~20 章 29 節父なる神の業を完成するため、十字架に向かうイ
エス様。これにプロローグとエピローグのアクセント。(大貫隆)
⑥ ヨハネ福音書の特色
・ 20 章 31 節に執筆目的がある。今まで四つの説が検討されてきた。洗礼者ヨハネの弟
子たちに伝道する目的説。ユダヤ人に対する論争説。キリスト教グノーシス的異端と
の対決説。教会内のクリスチャンを励ますため。
・ 恐らく教会内のクリスチャンを励ますために書かれた。その根拠としては現在的終末
論の強調。キリスト論の強調。礼典論の重視。助け主である聖霊への言及など。
・ 告別説教は最後の晩餐のはずなのに、聖餐への言及がない。むしろ、聖餐は6章のい
のちのパン講話に収められているのか。
・ 福音書の思想は基本的にはユダヤ的・セム的背景から説明できる。旧約の影響がきわ
めて顕著。
・ ラビ的ユダヤ教の言葉との類似。たとえば、6 章のいのちのパン講話は出16章 4 節
のハガダーが前提とされているようである。
・ 分派的ユダヤ教である黙示文学からの影響。14 章 2 節と黙示文学「エノク書」39 章
が似ている。
・ 同じく分派的ユダヤ教の文学である遺言文学と告別説教の近い関係。遺言文学の代表
としては「十二族長の遺言」
・ 死海文書とクムラン教団の中に光と闇の二元論が見られ、ヨハネ的ともいえる。
・ ユダヤ教グノーシスとしてのマンダ教。ユダヤ戦争後、東に逃れ、グノーシス化した
集団。
「アダムの黙示録」
・ キリスト教グノーシスとしてのナグ・ハマディ文書群。
・ ヨハネはこれらの言葉を借りながら、これを受け入れるのではなく、対決し独自の信
仰理解を示している。但し、ヨハネ福音書が後代、異端に影響を与えた可能性は否定
できない。
4
⑦ ヨハネ福音書の神学
・ 愛弟子という主張が繰り返され、彼が伝承の担い手である。13.13、19.26、20.2.人物
名は明らかでないが、信仰のモデルとされる弟子である。
・ イエス様はエルサレムにおける活動に強く方向付けられている。ガリラヤ志向のマル
コとは違う流れ。
・ エルサレムから始まり、福音書と手紙形成に至ったヨハネを中心とした独自の集団が
あったはずだと仮定しても良い。
・ パリサイ派とユダヤ人しか敵として登場しない。共観福音書と違って単純化されてい
る。ヨハネの共同体はおそらくユダヤ人会堂からの追放に直面している。9.22、16.2
ひとり立ちした信仰共同体の形成を余儀なくされている。
・ 同時に異邦人の側からの迫害も想定されている。
・ キリストの先在と受肉、復活と昇天が四重写しになっている複雑なキリスト論。とり
わけ、肉を身にまとったロゴスが受肉の神学の独自性としてあらわれる。ロゴス思想
は知恵文学からの影響。
・ 先在の神学の前例としてはパウロにある。
・ わたしが~である神学。エゴーエイミー。6.35、8.12、10.7 以下、14.6、15.1. これ
は旧約のありてある者からの影響。共同体に臨在のキリスト。
・ 高く挙げられることが。12.32、3.14、8.28.ヨハネによると高く挙げられるとは、十字
架に始まり、天への帰還を経て、再臨にいたる全期間。
・ 長い講話はかなり神学的に練られている。
・ 福音をのべつたえるという言葉の代わりに「証しする」という言葉が使われる。
・ すでにキリストが共同体とともにいるという現在終末論。救いの行為に対立する概念
としての世。世とはヨハネにとっては神に敵対する姿。パウロの言う肉に近い。
・ 唯一の父が出発点。イエス様は父から派遣され、父の御心を行い、父のみもとに帰る
方。父は霊、光、愛としてたとえられる。
・ 神の国という言葉の代わりに永遠のいのちが多用される。
・ たとえ話と悪霊追い出しが欠けている。
・ 神の栄光と真理が強調される。栄光とはおそらく、働きを成し遂げると言う意味であ
る。5.41、8.54、5.44、7.18、8.50、12.43。真理はおそらく交わりに関係がある。
・ 聖霊と言う語はほとんど使われない。1.33、20.22、14.26
・ 何かと結びついて霊があらわれる箇所としては 3.5、4.23
・ 独自の真理の霊という表現
14.17、15.26、16.13、Ⅰヨハネ 4.6
・ 告別説教の中では霊は助け主と呼ばれている。14.16、14.26、15.26、16.7 その動詞
5
形の意味は「呼び寄せる」
「願う」「慰めを持って語りかける」「勧告する」。人格的。
三位一体のよりどころに。とりなしの祈りに関係するのか。霊の派遣が言われ、御子
の派遣と並行している。教会共同体は聖霊が派遣される場。霊がキリストの働きを継
続させる。14.12 によれば教会は地上でのイエス様以上の働きをする。
・ 助け主の5つの機能。思い起こさせる。教える。証しをする。あらゆる真理に導く。
来るべき事を告げ知らせる。
・ イエス様の再臨は助け主がおいでになることで先取りされている。14.18
・ 霊は人を生かすもの。永遠のいのちを媒介するもの。過ぎ去るこの世の現実と比べら
れる。6.63
霊は人を新しく生まれさせ、再び生まれさせる。今既に永遠のいのちに
あずかっている。
・ 主の言葉は霊を無制限に授ける。3.34
・ 信じると言う言葉と従うと言う概念の事実上の同一視。6.35、8.12. 1.35 以下
・ 信じることには聞くことと、認識すること、見ることが前提となっている。
・ 信仰から生まれる行動として愛のうちにとどまること、み言葉と戒めを守ること
・ 教会と言う語は出てこず、比喩で語られる。ヨハネの教会論で大切なのは共同体の一
体性としての愛、いのちの力としての霊、羊を飼うこと。
⑧ ヨハネの手紙
・ 言葉遣いが福音書と似ている。同一共同体内での作品でヨハネ福音書よりもすこし後。
・ リベラルでは、福音書と書簡を違う著者と見るが、著者の晩年の作品と見れば別に差
し支えない。
・ ヨハネ版牧会書簡。パウロの手紙と牧会書簡の関係に似ている。
・ 福音書を誤解してキリスト仮現説を唱える人々があらわれ、共同体が分裂したのか。
2.19、2.22、4.3 異端の出現が終末的様相とつながる。2.18
・ ヨハネはあらためて福音書の解説書を自らの手で書く必要を迫られた。誤った教えと
行動への警告と正しい信仰理解を保つこと。
・ キリストの受肉を否定することは謙遜を否定すること。結果として霊的傲慢に。
・ 愛の倫理の実践の否定。ある種のカリスマ主義に中にもある考え。
・ 学者はヨハネ共同体とも言うべき教会の存在を想定している。福音書執筆時よりもや
や発達した教会制度。
・ 第一の手紙は地域の諸教会あて。第二は特定の教会あて。婦人は教会のたとえ。第三
は個人あて。巡回教師の問題。教団と個教会の制度上の関係。
・ 適用としては、聖書が書き手の意図を離れて他宗教や異端に間違って使われる可能性。
最近の過激な解釈学、
「読み手反応批評」では意味は読者が持つ。デボーションは?
6
講義 9
パウロ研究Ⅰ
① 回心前のパウロの生い立ち
・ パウロの実像にせまる新約文書は3種ある。パウロの直筆の手紙群。ルカの視点によ
るパウロ像(使徒行伝)
。公同書簡の中にあらわれる間接的なパウロの影響。それぞれ
に視点が違うので立体的、総合的に判断する。
・ 自伝的報告としては、ガラテヤ 1 章 10 節~2 章 21 節、Ⅱコリント2章 14 節~6 章
10 節、Ⅱコリント 10 章1節~12 章 21 節、ローマ1章 1 節~7 節、ローマ 15 章 14
節~33節、ピリピ 3 章 2 節~11 節。
・ 二次的資料として使徒 8 章 3 節、9章 1 節~29 節、21 章 15 節以下、22章 3 節~21
節、26 章 9 節~20 節。
・ 紀元1世紀の最初の10年間にタルソで厳格なユダヤ教信仰の家庭で生まれた。
・ 父親の代からローマとタルソの市民権を持っていた。
・ 少年期にエルサレムに移り、ユダヤ教の学校とラビ・ガマリエル一世のもとで教育を
受けたと使徒22章3節は記録する。
・ ただし、一部のリベラルな学者は使徒行伝の記録の歴史性を否定。ガラテヤ 1 章 22
節に基づき、パウロはずっとタルソで過ごし、回心前はエルサレムにはいかなかった
ことを主張している。
・ 論点はパウロの信仰の基礎がエルサレムのユダヤ教にあるのか、それともエルサレム
外のヘレニズム化されたユダヤ教にあるのかという点にある。
・ 保守的な立場としては、使徒22章3節の報告を全面的に支持する。理由は①ガラテ
ヤ 1 章 22 節のユダヤは全パレスチナをさす言葉であってエルサレムではない。②ガマ
リエル一世は有名なラビ・ヒレルの息子。ヒレルはディアスポラのユダヤ人でバビロ
ニアからエルサレムに移った人。この派からギリシャの言語と修辞学を学べる可能性
がある④紀元70年以前にエルサレム以外で組織化されたパリサイ派の学校とトーラ
ー研究の場があったか歴史的には疑問視される。⑤パウロの七十人訳の引用、律法の
精通、ラビの規定の自在の駆使、アラム語、ヘブル語、ギリシャ語の熟達、修辞学を
駆使した手紙、これらの能力はエルサレムでの教育を指し示す。
・ 適用として自分の回心前の生い立ちを考えてみよう。時代、環境、家族、場所など。
じかに信仰に関係のないことやマイナスの体験も神様はあとで大きく用いて下さる。
② 青年期以降のパウロ
・ 使徒 7 章 58 節でパウロは若者と紹介されている。若者と訳されたギリシャ語ネアニア
スは26才から40才くらいの年代をさす。
1
・ ここから逆算すると、主イエスの死を紀元27年から30年くらいに位置づけて、パ
ウロはイエス様の十字架後、わずか数年後、おそらく32年ごろ、ダマスコで回心。
使徒として召された。
・ダマスコ体験後、2年間、伝道者としてアラビアのナバテヤ王国とダマスコで活動した。
黙想に専念した面もあっただろう。ガラテヤ 1 章 17 節、Ⅱコリント 11 章 32 節以下。
・ 34年、最初の短期エルサレム訪問。その後、合計14年間、タルソ、ツロ、キリキ
ヤで活動。ガラテヤ 1 章 21 節~2 章 1 節。使徒 9 章 30 節
・ 48年頃、バルナバによってアンテオケへ。異邦人伝道の拠点となす活動に参加。使
徒 11 章 22 節~26 節
・ 第一次伝道旅行で回心した異邦人に割礼を要求することを廃棄。使徒 13 章 1 節~14
章 28 節。
・ 48年ごろ、割礼問題が表面化。エルサレム会議。パウロは自由な異邦人伝の承認を
得る。ガラテヤ2章6節~10節。しかし使徒教令の問題。使徒 15 章 36 節~40 節、
ガラテヤ 2 章 11 節以下。
・ 49年~50年ころ、二つの大きな伝道旅行。エルサレム教会への献金を募る側面も。
・ 献金を届けるために訪れたエルサレムで、56年から57年ころ、神殿で捕らえられ
た。
・ ユダヤ人らはパウロを殺そうとするが、ローマ人によって保護され、拘置される。
・ 2年間、未決囚としてカイサリアで勾留。
・ 59年ころ、パウロ自身の権利請求で皇帝に上訴、ローマに送検される。
・ ローマでの軟禁生活。その後、63年ころ、一回釈放され伝道活動を再開。スペイン
伝道の可能性。ローマ 15 章 22 節~29 節。
・ 67年ころ、再逮捕。ネロ帝の迫害の下で殉教。
・ パウロの年代を決定する聖書外資料として重要なものにガリオ碑文があげられる。こ
れは 1905 年に発見された碑文で、これによってガリオが地方総督としておさめた期間
は 51 年5月から 52 年5月までと判明している。これと使徒18章 12 節~17 節を重
ね合わせる。ガリオはストア派の哲学者セネカの兄で、セネカは皇帝ネロの家庭教師
だった。
・ もう 1 つはナバテヤ王アレタス四世の在任期間。これは名前を刻んだ金貨の出土状況
から紀元前9年~紀元後 38、9年ころまでが統治時期だったと推測できる。これとⅡ
コリント 11 章 32 節を重ね合わせる。ただし、在任期間が長いのでガリオ碑文ほど決
定的ではない。パウロの回心の時期が36年以後ではあり得ないことだけは分かる。
③地上のイエス様とパウロの関係
2
・ Ⅱコリント5章 16 節に基づき、パウロは十字架と復活のキリスト以外のイエス様の生
涯に関心がなかったのかどうかが激しく論争されている。
・ この論争の背景にあるのは、パウロはイエス様の信仰を継承したのだろうか、それと
も、パウロの信仰とイエス様の教えはかけはなれていたのかというリベラルな学者の
問題意識がある。
・ 保守的な立場に立つと、イエス様とパウロは一致していると言うのは自明のことであ
るが、それにしてもパウロの書簡にはイエス様の地上での歩みについての記事はない
ように見える。これをどう理解すればいいのだろうか。
・ しかし丁寧に書簡を読むとイエス様の言葉が引用されていないわけではない。Ⅰコリ
ント 7 章 10 節~11 節、Ⅰコリント 9 章 14 節、Ⅰコリント 11 章 23 節~25 節、Ⅰテ
サロニケ 4 章 15 節以下。これはそれぞれ、マルコ 10 章 11 節、ルカ 10 章 7 節、ルカ
22 章 19 節~20 節、マタイ 24 章 31 節ほかに対応。しかし少ないことは事実。
・ これは福音書と書簡という文学ジャンルの違いで説明がつくかもしれない。たとえば
ヨハネ福音書とヨハネ書簡の関係。ヨハネ書簡には主の言葉はまったく出てこない。
・ もう 1 つの説明はパウロの論敵の存在。パウロの論敵が知恵の言葉を駆使していたの
か。リベラルな学者はこれを Q,と同一視する。Ⅰコリント 1 章 17 節、2章 1 節。彼
らがイエス様の生前の言葉を悪用したのか。パウロは誤解をさけてイエス様の言葉を
使うことを避けたのか。Ⅰコリント 10 章 12 節、10 章 25 節、10 章 40 節。
・ ゲオルギ説によると、Ⅱコリントの異端者たちはユダヤからの巡回伝道者で彼らはイ
エス様を奇跡の人と同一視し、奇跡物語の伝承を自分たちの奇跡行為と結び付けて誇
っていたから。Ⅱコリント 11 章 4 節。
・ ダン説。キリスト教成立直後はイエス様のじかの言葉を権威として引用することは不
自然。イエス様の言葉は生々しい形でまだ記憶されている。むしろ、ほのめかしで伝
えるだけで十分イエス様を思い起こさせる。パウロにはこの種のほのめかしは多い。
・ Ⅰテサロニケ 5 章2節とマタイ24章42節以下、Ⅰテサロニケ 5 章 13 節とマルコ 9
章 50 節、Ⅰコリント2章8節と受難物語、Ⅰコリント4章 11 節以下とルカ6章27
節以下、ガラテヤ4章6節とマルコ14章68節、ガラテヤ5章14節とマタイ22
章 39 節、ローマ4章4節以下とマタイ20章 1 節以下 他多数参照せよ。
・ 結論として、パウロ書簡には福音書のイエス様の伝承への反映がある。したがって、
パウロは地上のイエス様に無関心なわけではなく、ましてやイエス様の教えと全く異
なる信仰を生み出したわけでもない。むしろ、連続性がある。
④ 現代のパウロ解釈の主要型
・ パウロ神学の歴史的起源を巡っては、論争が繰り返されている。パウロを解釈する主
3
要な型を紹介する。すなわち「救済論・人間論的パウロ像」
「黙示文学的パウロ像」
「ユ
ダヤ教起源のパウロ像」
「社会学的パウロ理解」「修辞学的研究」である。
「救済論・人間論的パウロ像」
・ ブルトマンの立場。パウロは人間と信仰を個人化している。個人的体験としての救い。
パウロ神学の中心は個々人の罪人の義認の思想である。
・ ブルトマンは史的イエスに対して懐疑的であり、従って、史的イエスとパウロとの間
の信仰的連続性を認めない立場。
・ ブルトマンの立場はキルケゴール以来の実存主義の影響を受けている。実存主義とは
わたしの体験はわたしだけの体験であって、他の誰の体験にも還元できないという個
人主義的なもの。果たして、古代の世界に個人主義があっただろうか。
「黙示文学的パウロ像」
・ ケーゼマンの主張。ブルトマンへの3つの批判。①パウロの人間論は人間の個人にで
はなく、神と他者と宇宙の諸力との関係の中にある人間論ではないのか。②義認はパ
ウロ神学の中心点なのは確かだが、全被造物に対する救いも視野にあるのではないか。
③ブルトマンは創造と終末を神話で片付け、創造を個人の救いに終末を個人の死に結
び付ける。しかし、黙示文学的世界観こそパウロ神学の中心ではないのか。
・ 黙示文学的世界観とは世界の終わりと完成への希望、悪しき世における霊的な力との
対決を含む世界観。
・ ブルトマンとケーゼマンの論争は多くの学者を巻き込んで現代パウロ研究の基礎をつ
くった。
・ コンツェルマン。ブルトマンの弟子。基本的にブルトマンを支持。パウロは初代教会
の信仰伝承を受け入れたが、それを実存論的に深めたと考える。
・ ボルンカム。ブルトマンの弟子。パウロの歴史理解と伝道概念を結びつけた。伝道と
黙示的信仰は切り離せない。結果的にケーゼマンの立場の正当性を証明したかたち。
・ アイヒホルツとクッス。コンツェルマンを批判。初代教会の伝承はパウロにとって実
存的に理解されるものではなく、規範的に理解された。その際の教えの中心はキリス
ト論である。キリスト論から宣教が導き出される。ケーゼマンに接近。
・ キュンメルとゴッペルト。イエス様の黙示的な神の国のメッセージが、パウロの神学
の中に反映されている。
・ ブルトマンかケーゼマンかと言う二者択一は難しい。むしろ、イエス様から、初代教
会の伝承へと続く線でパウロ神学を理解すべき。その際、パウロは伝承をどう受け取
ったかが理解の鍵になる。
・ もう 1 つの課題は信仰義認というプロテスタントの教理を、そのまま古代のパウロに
歴史的にあてはめることがふさわしいかどうかを問い直す必要がある。
4
「ユダヤ教起源のパウロ像」
・ 近年、パウロ時代のユダヤ教の全貌が学問的に明らかになってきたことに対応し、パ
ウロの信仰をユダヤ教との関連から問い直す立場が起こってきている。
・ サンダース。ブルトマンとケーゼマンに代表されるルター的な信仰義認神学に基づく
パウロ理解は誤りだと反論。
・ パウロは特殊な歴史状況から、パレスチナ・ユダヤ教の律法理解の一面だけを伝えた。
初期ユダヤ教を正しく評価するにはユダヤ教を行いによる義の宗教とみなすべきでは
ない。
・ 当時のユダヤ教は契約的尊法主義が規範であり、
「選びと最後の救いは人間の努力では
なく、神の恵みによる」ことが分かってきた。
・ 契約的尊法主義とは「従順は律法に従うことによって、契約関係のもとでの人間の地
位を持続するが、神の恵みそれ自体を獲得することではない」
・ パウロの神学の中心は義認ではない。それはルターの中心である。むしろ、キリスト
の中にあるクリスチャンの存在が中心。
「信仰により義とされる」とは法律的な考えで
はなく、クリスチャンがみ霊によって、キリストの死と新しい命に劇的に変化するこ
と。
・ サンダースの立場はかつて「使徒パウロの神秘主義」を書いたシュバイツアーのパウ
ロ理解を推し進めたものであり反響を及ぼした。パウロは当時のユダヤ教を誤解して
おり、パウロの信仰はユダヤ教のそれとは違った体系である。
・ ダンも同じ立場を明らかにする。パウロの言う律法による義とは行いによって救われ
ると言う考えではなく、律法を守ることがユダヤ人のアイデンティティーになってい
るという点である。パウロは神の恵みは契約のバッジをつけているものだけに及ぶの
ではないと自文化優先主義を否定しているのである。
・ ユダヤ人クリスチャンの間ではキリストを信じる義という理解が、割礼、安息日、食
物規定という契約のしるしのアイデンティティーと並行していた。しかし、パウロで
はキリストを信じる義が最も大切なアイデンティティーとなり、ほかのアイデンティ
ティーを二次的なものにした。
・ パウロは行いそのものを否定しない。契約のアイデンティティーにつながる特定の行
いだけを否定している。パウロは民族主義を否定している。律法そのものを否定して
いるのではなく、ユダヤ人のアイデンティティーにつながる律法の行いを否定してい
る。むしろ、聖霊の働きと言う出発点から契約を全人類的に捕らえなおす。
・ シーガル。パウロの中に初期ユダヤ教的、黙示文学的な神秘主義を見る。回心と神秘
的変化が使徒としての自覚と伝道神学を生み出した。義認は聖霊によるものであり、
ユダヤ人と異邦人を含む全人類に対する神のあわれみを意味する。
5
「社会学的パウロ理解」
・ 学際化の進む現代の傾向。パウロ神学の理解に社会学的考察を導入する学者の増加。
・ ブルトマンはかつて伝承の背後には教会の実体験があると説いた。これを「生活の座」
と呼ぶが、社会学的方法論の場合は教会と言う狭い領域だけで伝承を考えるのではな
く、広く伝承を生んだ社会状況、生活世界にも目を向ける。
・ 代表的学者としてタイセン、わが国では荒井献や大貫隆。
・ ミークスはパウロと彼の協力者たちのグループ、パウロの設立した教会と教会員の社
会的地位や諸階層の持つ尺度や範疇を論じた。
・ 福音に生きる礼拝が、いかに広範囲の社会的地位の境界線をやぶるかたちで人々を集
めたかの経緯があきらかになってきた。
・ 問題は古代社会を現代社会学で論じようとする際のデータ不足。価値判断が中立かど
うかなど。
・ 社会学的考察はパウロ理解に補助的な役割は与えても、信仰的なものを社会学だけで
わりきるのは難しいのではないか。役割と限界に線を引いた方が良い。
・ 「社会学なき神学は幻想に終わる。これは悪い。神学なき社会学は幻滅に終わる。こ
れはもっと悪い。
」ピーター・バーガー。
「書簡文学の修辞学的研究」
・ 西欧には古代ギリシャ文学やラテン文学に関する修辞学の伝統がある。ローマ時代の
書簡にもヘレニズム的な修辞学は駆使されており、パウロ書簡も例外ではない。
・ 書簡の修辞理論を詳しく知ることでパウロの理論の展開の流れをつかむことが出来る。
・ 書簡の基本的要素は、序論(エクソディウム)、陳述(ナラティオ)、論証(プロバテ
ィオ)
、結語(コンクルージオ)からなる。
・ たとえば、ベッツはガラテヤ書の手紙の構造を研究し、ガラテヤ書は一種の弁明書簡
であることを説明した。
「結論」
・ パウロ神学の理解を巡る主要類型は多岐にわたっており、全てを否定することも、全
てを肯定することも問題である。むしろ、様々な立場を吟味しつつ、総合的に判断す
ることが求められる。
・ ペンテコステ派としては聖霊論を中心としたパウロ神学を打ち出すことが大きく期待
されている。その際、ルカとパウロの共通点は何なのか。相違点は何なのかが明らか
にされなければならない。
6
7
講義10
パウロ研究Ⅱ
① 地中海諸都市の社会状況
・ローマ帝国内の諸都市には二つのタイプがあった。第一のタイプは「ローマ市民権植民
市」でローマからの入植者によって建設された都市。ピリピやコリントがこれにあたる。第
二のタイプは「ローマ市民権自治市」で非ローマ人がローマの支配を受けることに甘んじて、
総督の下である程度の自治が認められた都市。
・ホックによると、パウロの伝道旅行の総距離は1万マイルに及ぶ。これはローマの都市を
結ぶ道路網を抜きに考えられないことだった。パウロが街道で出会えた旅行者は「役人、商
人、病人、飛脚、観光客、脱走奴隷、闘技者、職人、教師、学徒」らだった。旅行事情は良
好、都市間の移動は自由で盛んだった。
・都市の経済を支えるのは地方の農村の農業だった。しかし、都市への人口集中が地方を荒
廃させ、都市が地方の土地所有者になった。都市的債権者と地方的債務者という光と影があ
った。地方農家は小作農から奴隷へと転落した。軍隊に入隊する者もいた。彼らが都市の下
層部分を形作った。
② 社会的移動
・ 豊かなエリート集団では階級は世襲。非エリート集団では社会層の移動もあった。ロ
ーマでは以下の七つの社会階層があった。①言語と出身地②貴族か平民か③自由人、
奴隷、解放奴隷④財産⑤職業⑥年齢⑦性別
・ ここから様々な組み合わせがおこる。たとえば、豊かな職人や商人は財産では高収入
だが、職業的には低いクラスになる。
・解放奴隷の場合は未解放奴隷より立場が上。しかし、かつての所有者であるパトロンに
様々な義務もあった。かつて奴隷だったと言うレッテルは一生消えなかった。奴隷だっ
たときにみがかれた技術で商売や知的職業に就くことも可能だった。
・ 解放奴隷の子どもは自由人とみなされた。
③パウロの教会の社会層
・ 社会学的な分析により、パウロの教会の社会層を知ることはある程度可能である。そ
の際、パウロ書簡と使徒行伝に名前のある80名のうち、社会的地位についての何ら
かの手がかりのある30名の分析から始める
・ 奴隷・奴隷所有者についての言及、エルサレム教会への献金についての言及、教会員
の財力、教会員の訴訟問題についての言及、商業用語の比喩なども有力な手がかりに
なる。
・ 分析の結果、パウロの教会に土地所有貴族、元老院議員、騎士、司会議員などの社会
1
の頂点をなすエリート集団はいなかったようだと分かる。
・ 同時に社会の最下層の信徒も見当たらないようである。
・ 中心メンバーはいわゆる庶民。奴隷、解放奴隷、自由職人、中小商人、パトロンの役
割を果たし、家や集会所を提供できる富裕層など。
④パウロの時代のヘレニズム宗教
・ パウロの生きた時代を知るには、当時のヘレニズム世界の宗教を知ることが大きな手
がかりになる。
・ ローマ帝国全体に広がっていた密儀宗教。使徒 19.23
アルテミスは元々小アジアの
大地母神キュベレー。
・ エジプト起源のイシス・オシリス神話がギリシャではディオニュソスやデーメーテー
ルに変化。アレクサンドリアではセラピスに。
・ パウロの後期の手紙の洗礼様式と密儀宗教のイニシエーションが似ている。エペソ 1.3
以下。コロサイ 2.12。キリスト教のヘレニズム化? ヘレニズムのキリスト教化?
・ 1世紀には密儀宗教では裕福な女性が自宅を開放し、礼拝をした。家庭礼拝はキリス
ト教起源ではない。むしろ下地があった。
・ 最近のポストモダンの流行は大地母神信仰を復活させている。特にエコロジーとフェ
ミニズムの世界で。
・ パウロはヘレニズム哲学の用語を用い、ヘレニズム哲学の弁証法で伝道説教をしてい
る。使徒 17.16 以下。28節によるとパウロはストア派哲学者のゼウス賛歌を知って
いる。この説教の偶像崇拝批判はセネカの偶像批判に似ている。
・ コロサイ2.8 の哲学の教えはエンペドクレス以来の運命論で人間は宇宙の元素の呪わ
れた輪廻の運命に巻き込まれており、この呪いの輪廻から逃れるには厳しい禁欲の修
行しかないというもの。現代の星占いや運命論と比較。遺伝子問題も新たな運命論に。
・ コロサイの哲学は運命論的ギリシャ哲学とユダヤ教的天使礼拝が宗教混合を起こした
ものと思われる。
・ 家庭訓の倫理も、もともとアリストテレスの「政治学」「家政学」が起源。コロサイ
3.18 以下、エペソ 5.21 以下。信仰共同体の市民社会化。
・信仰と他宗教の用語、世俗文化との関わりについて考えるべき。
④ パウロの神学
-聖霊論を中心に
・ パウロは霊という言葉を人間の霊という意味でも使うし、聖霊という意味でも使う。
霊と言う言葉が出てくるからといって、ただちに聖霊に結び付けずに前後関係の中で
確かめることが大切。Ⅰテサロニケ 5.23 「内なる人」という考えも人間の霊に関係
がある。Ⅱコリント 4.16
2
・ 聖霊を御子の霊と呼ぶ。ガラテヤ 4.6。これはキリストと聖霊が同一視されているサベ
リウス主義ではなく、おそらく御子をあかしする霊という意味である。
・ 聖霊は三位一体の中で理解されており、交わりにあずかる対象である。Ⅱコリント
13.13.
・ 聖霊はクリスチャンのうちに住む。ローマ8.9、8.11、Ⅰコリント 3.16
クリスチャ
ンは聖霊の宮であり、キリストのみ霊を持たないものはキリストに属さない。
・ 聖霊は天国の保証であり、天国の初穂、手付金のたとえで語られる。ローマ 8.23、Ⅱ
コリント 1.22、5.5
・ 聖霊はクリスチャンを神の子とする霊であり、特に祈りの交わりで重要。ローマ 8.15、
ガラテヤ 4.6
・ 神の子とするとは救いと同時に、信仰の成長面でも働く。ガラテヤ 5.25、ローマ 8.4
以下。み霊によって歩むとは肉に従って歩むの反対語。具体的にはみ霊の実。肉の悪
徳表と比較せよ。Ⅰコリント 6.9 以下。ガラテヤ 5.19 以下。
・ み霊によって歩む中に超自然のカリスマ現象は特に現れていないことに注目。霊的と
は神のみ心を知り、神のみ心に従って生きている状態。生活の全てをみ霊の支配の中
におくこと。目に見える現象とは関係ない。
・ み霊によって歩むとはキリストのからだである教会に結びつけられて生きることであ
って、教会を批判し、破壊し、教会から離れさせようとする聖霊の働きなどあり得な
い。パラチャーチの可能性と限界。
・ み霊は知恵と認識を与える。Ⅰコリント 2.6 以下。み霊こそキリストの思いを知る方
であり、み霊に満たされるとはキリストのみ心を知ること。
・ み霊の働きにおいてはキリストご自身が臨在されるに等しい。ガラテヤ 2.20、Ⅱコリ
ント 3.16 以下。み霊において心の覆いが取り除かれ、キリストとともに生きる次元へ
と引き上げられる。
・ パウロにとってクリスチャンとはみ霊をうちに持つ者。み霊をうちに持つ以上、当然、
み霊に導かれて生きることが出来るのであり、み霊に満たされて主のみ心の中を生き
るように期待されている。
・ クリスチャンがみ霊に導かれて生きる以上、信仰共同体である教会もみ霊に導かれる
霊の賜物のあふれる共同体である。Ⅰコリント 3.16。Ⅰコリント 12.13、ローマ 8.2
・ 霊的体験が個人的次元だけにとどまるだけでは不十分。教会共同体に仕えるための体
験でなければいけない。信仰のナルシズム化の危険性。
・ 教会は霊的賜物にしたがって建てあげられなければいけない。種々の賜物は個人の欲
のためではなく、仕える為に発揮されなければいけない。賜物は個人に与えられない。
教会に与えられる。クリスチャンにとっては教会の領域を離れた個人などあり得ない。
3
・ 聖霊は信仰をひとり立ちさせるが、信仰を一致もさせる。
・ 霊の賜物リストは記述だろうか。規範だろうか。一例を挙げているのか。それともこ
れが霊の賜物のすべてか。Ⅰコリント 12.7 以下。ローマ 12.6 以下。
・ 時代的制約のあることだろうか、それともいつの時代にもあてはまることだろうか。
使徒職と預言者職の問題。現代における使徒職の復活は権威主義に陥る危険性の方が
強く、教会のカルト化を招きかねない。使徒職とは宣教の働きだと理解すれば、現代
では教会全体が使徒の働きを担うと理解するべき。
・ 預言者職の問題は個人預言の牧会倫理上の問題で論じるべき。個人預言は原則として
ありえる。但し、クリスチャンはみ霊を持ったものなのだから、自分で祈り、自分で
み言葉を読み、自分で導きを信じて答えを出せるように成熟しよう。み言葉を深く学
ぶこと。
・ 人の人生を誘導して左右することはマインドコントロールであり、倫理上絶対にして
はいけないこと。
・ 日本のような異教的風土では個人預言はむしろ、宗教混合に陥る危険性のほうが高い。
・ むしろ、パウロにおける預言の賜物は礼拝の中であらわれ、会衆全体を引き上げる慰
めや励ましのような機能であって、超自然的で瞬間的な説教のような役割。預言のあ
らわれを期待しない集会も消極的。
・ 伝統的な神学では説教と預言を同一視するものもあるが、これも間違い。説教は理性
で準備するもの。預言は瞬間的。プロセスが違う。
・ 預言と啓示の問題。預言を啓示と呼ぶことは誤解を招きかねない。正しくはみ霊の導
き、あるいは啓明と言うべき。預言を聖書啓示と同列に扱うことはしてはいけない。
聖書啓示は普遍的。預言は瞬間的。預言を書きとめて記録し、後世に残せとは神は求
めていない。聖書は誤りのない神の言葉。預言は誤りうる。Ⅰテサロニケ 5.20 以下。
Ⅰコリント 11.23
・ パウロの時代にも偽使徒の問題と偽預言者の問題が大きかった。預言は霊を受けた人
の間で吟味すべき。Ⅰコリント 2.13.預言は教理に対応しているかどうかを土台とすべ
き。ローマ 12.6 さらに霊の賜物は動機で判断されるべき。Ⅰコリント 13 章。教会
を建てあげる目的かどうか。Ⅰコリント 14.3 以下。
・ ペンテコステ教会は体験主義である。だからこそ、その体験が正しいかどうかが何十
にもチェックされなければ不健全になる。そのために深い聖書の学びが大切。一方、
他の教会の伝統の影響を受けて霊的体験を警戒するあまり、み霊のあらわれに消極的
になるのも間違い。み霊は消してはいけない。但し、吟味せよ。
4
講義11
パウロ書簡
① Ⅰテサロニケ
・ 現存するパウロの手紙の中で最古のもの。同時に恐らく新約聖書中、最古のものであ
ってマルコ福音書よりも古い。
・ 紀元49年の第二次伝道旅行の出来事の記憶が前提になっており、少なくとも紀元5
0年には書かれた。コリントで書かれたものと思われる。ガリオ碑文が手がかり。
・ イエス様の伝承→それを受け取り、解釈したパウロの書簡群→福音書および使徒行伝
の順で書かれた。
・ テサロニケはパウロがピリピについで福音を伝えたヨーロッパの二番目の町。港湾都
市で交通の要。人口の密な都市だった。ユダヤ教の会堂があり、敬虔な異邦人もいた。
・ 教会メンバーは殆どが異邦人。それに若干のユダヤ人信徒がいたと思われる。
・ パウロのテサロニケ滞在は使徒行伝によると三週間。しかし、親密な関係がずっと続
いた。ピリピ 4.16
・ ユダヤ人からの迫害が背景としてある。迫害下で動揺しないように手紙を書いた。
・ 再臨に関する質問に答えるために後半部分は書かれている。これも迫害に関係するか
もしれない。
・ パウロはテサロニケで制度的教会組織をつくりあげたわけではない。5.12.初期の頃に
しか使われない指導者という言葉がある。自由な兄弟姉妹の奉仕。
・ 感謝と喜びがこの手紙の特色。1.6、2.9、3.9 神の恵みを思うことが感謝の内容であ
り、感謝とは恵みへの応答である。それは持続性と普遍性がある。喜びは聖霊による
喜びであり、感謝と深く結びつく。
・ 神の言葉の宣教の内容としては①聖霊によるわざである。1.6 ②信仰の模範へと導く
宣教である。1.7 以下③悔い改めと唯一神信仰への招きである。1.9 以下。④十字架の
メッセージがない。
・ テサロニケ教会を迫害したのはユダヤ人なのだろうか。それとも異邦人なのだろうか。
手紙と使徒行伝で違う証言がある。2.14 と使徒 17 章を比較。おそらくユダヤ人と異
邦人の両方から複合的に弾圧された。多分、テサロニケのクリスチャンは元々、ユダ
ヤ教の求道者だった。
・ イエス様の再臨について教えられている。パウロは最初、自分が生きている間に再臨
があると信じていた。2.19 以下。
・ 終末が近いからこそ自分の仕事をし落ち着いた生活をすることが勧められている。パ
ウロ自身もテサロニケで働きながら伝道した。
・ 信仰義認の教理も、律法問題もこの手紙には見られない。
1
② ガラテヤ人への手紙
・ ガラテヤ教会の場所について北ガラテヤ説と南ガラテヤ説の2説があって論争されて
いる。53 年~55 年頃書かれた。
・ 弁明書簡としてのガラテヤ書。ベッツによると法廷における陪審員、被告、告発人が
ガラテヤ書では手紙の受取人、パウロ、パウロの反対者にあてはまる。
・ パウロの使徒職を巡る問題とユダヤ主義キリスト教の問題。
・ パウロは、伝承を確かに用いながら、使徒職の委任に関しては復活のキリストから受
け取ったと理解している。1.1、1.11 以下。1.15 以下。召命体験と共同体との関係は。
・ アンテオケでの使徒ペテロとの衝突事件とエルサレム会議。2.11 以下。アンテオケで
は普通にユダヤ人と異邦人が会食していた。エルサレムの風土と違う。
・ ペテロが律法主義者だったことは、その後のペテロ伝承にも一度もあらわれない。た
だし、状況主義的な弱さがあったのか。首尾一貫していない。わたしの行動が教会内
で影響を与えることがある。
・契約のアイデンティティーとしての割礼、食物規定、安息日規定。
・ 契約のマークは目に見えるものなのか、それともみ霊を内にいただくことなのか。一
度ユダヤ人にならないといけないのか、それとも異邦人のまま救われ、ユダヤ人も異
邦人もみ霊をいただけるのか。
・ 洗礼、聖餐は救いのマークになるだろうか。受けても救われない人はいるだろうか。
・ 礼拝は絶対に日曜日でなければいけないのだろうか。他の日に礼拝してもいい聖書的
根拠はあるか。機能主義的にではなく聖書的答えは?
・ 聖霊は差別の壁を打ち破る。もはや男も女もない。初期ペンテコステ運動の女性教職。
・ 歴史的状況としては、エルサレム内外の流血事件。反ローマ感情の高まりとユダヤ人
宗教熱の盛り上がり。律法に熱心かどうかでユダヤ人かどうかが、はかられる時代。
パレスチナのユダヤ人キリスト教徒にとっては恐れがあったのか。
・ 福音の原則を貫くパウロ。ただし、エルサレム教会とのつながりを否定したいわけで
はない。ユダヤ人クリスチャンの律法遵守の問題は棚上げに。
・ パウロは徹頭徹尾、旧約聖書を参照する。4.24 以下。予型論的解釈法。前後関係に関
わりなく、旧約テキストを自由に用いることは当時のユダヤ教では当たり前。必ずし
も旧約テキストと同じ意味ではなく状況に応じて解釈されている。
・ パウロは約束と律法を分けて考えている。3.6 以下。3.15 以下。アブラハムへの神の
約束が先行したのであって、律法が先行するわけではない。約束が律法と旧約聖書を
越えた先まで指し示している。約束を受け取るとは新約的にはみ霊を受け取ること。
・ その約束はみ霊の導きによって歩み、み霊の実を結ぶところまで続いている。
2
③Ⅰコリント
・ 54 年ごろ、コリント教会の問題をおさめるために書かれた。
・ コリントは港町で乱れた町だった。
・ 極端なカリスマ主義の問題。
・ キリストのからだである教会を破壊するような個人的霊的体験などはあり得ない。キ
リストのからだを大切にすることと、自分のからだを聖霊の宮として大切にすること
はどこかでつながっている。わたしのからだはキリストのからだの肢体だから。コリ
ント教会では自分のからだを罪に引き渡していた。
・ 聖霊に満たされることは倫理を否定することになるのだろうか。
・ 霊的カリスマとは人に仕えるためのものであって、人を支配するためのものではない。
牧師の言うことに間違いがないという思考停止は牧師個人を聖霊の地位にまで高める
こと。
・ 知恵を強調する初期グノーシスの流れ。キリストの言葉の悪用。聖霊体験は異端化し
やすい。霊的エリート意識と高ぶりの問題に直結するから。
・ パウロは十字架の神学でカリスマの問題を問い直す。謙遜と弱い人への再評価。
・ パウロの人間観。自然の人。肉の人。霊の人。自然の人とは救われていない人。肉の
人とは救われているが霊の導きに従っていない人。霊の人とは成熟したクリスチャン。
・ 結婚問題。切迫した終末意識をすべての生き方の土台にせよ。この世に深入りするな。
ただし、あわてずまっとうに生きよ。いつでも本国に帰れる外務省の気持ちで。
・ 食物問題。当時は偶像の捧げものへの余りものが市場に出回っていた。これを食べる
のは是か非か。信仰の弱い人への心配りを優先せよ。
・ 伝道者の経済問題。労働は卑しいものと言う異教的世界観と戦っている。現代の労働
間は経済優先になっていないか。神のために働くのか、生活のために働くのか。
・ 男女の問題。短い髪の女は遊女のしるしだった。あえて反抗して文化の中の自然の常
識に逆らうな。真の革新はパフォーマンスやゼスチャーによらない。
・ 主の晩餐の問題。当時は愛餐そのものが聖餐だった。貧しいものを軽んじ、先に食べ
酔っている金持ち信徒。忙しい人を待つ心配りはないのか。教会に行けば食事にあり
つけると考えるさもしさも捨てよ。家で出来ることを教会に持ち込むな。
・ カリスマ問題。礼拝を建てあげていくために愛をもって霊の賜物を発揮する。
・ 倫理問題とカリスマ問題のすべてにけりをつける主の復活のメッセージ。最古の復活
証言。復活信仰こそ福音の核。世が終わる。肉体蔑視と戦っている。日本人の死生観
は。死について真剣に考えると生きることにも真剣になれる。
・ 福音の基本問題を異教社会の新たな状況で解く応用問題。
3
④ Ⅱコリント
・ Ⅰコリントを書いた後、恐らく 1.2 年後に書かれたと思われる。おそらくマケドニア
で書かれた。2.13、7.5 以下。
・ Ⅱコリントで書かれている状況とⅠコリントで書かれている状況はかなり違う。パウ
ロとコリント教会の関係に変化があったと思われる。
・ Ⅰコリントでは使徒として問題解決に乗り出しているが、Ⅱコリントではパウロの使
徒職そのものが攻撃されている。そのため、パウロの個人的心情が良く出ている。
・ リベラルな学問でもパウロの著者性は認めているが、複数の手紙を編集したものを後
のパウロ学派の弟子たちがまとめた複合書簡説をとっている。理由は前後関係がかみ
あわないことがあるから。
・ 福音派学者でも複合書簡説をとる者もいる。しかし以下の理由で統一性を擁護するこ
とも出来る。①当時の手紙の書き方は現代人の感覚とは違っている。従って、一見前
後関係がかみあっていないように見えても、当時の書き方としては問題がない場合も
ある。②ペンテコステ人としては執筆中の霊的体験が議論を中断させる可能性も認め
るべき。③パウロ自身の編集の可能性もある。
・ 奇跡を行なうことこそ、使徒のあかしだと考える異端者の存在。
⑤ ピリピ書
・ ヨーロッパ最初の教会が第二次伝道旅行で生まれた。ピリピはマケドニア州第一の都
市だった。
・ 52 年~55 年、エペソで書かれたと思われる。
・ 監督と執事と言う役職名が出てくる最古の証言。おそらく1世紀後半から2世紀の進
んだ教会制度とは違う。
・ 冒頭に使徒の称号が欠けている。紹介する必要も使徒の権威を擁護する必要もない。
・ ピリピ教会からパウロへの献金が捧げられたことを感謝している。パウロ自身の近況
報告と福音の前進。
・ キリスト賛歌はパウロのオリジナルではなく、多分当時の教会で歌われていた賛美の
歌詞。もしかしたら、パウロ自身の手による改作の可能性。先在と受肉のキリスト論。
・ 求めたが得られなかった自分の義と体験した信仰による神からの義が比べられている。
3.7 以下。義と信仰が密接に結びついている
・ リベラルな学問ではⅡコリントと同じく3つの手紙の編集説がある。4章 10 節~23
節、感謝の手紙。1 章 1 節~3 章 1 節、身辺報告の手紙。3 章 2 節~4 章 9 節、勧告の
手紙。しかし統一的に読むことも十分可能。
4
・ 主にある喜びが主題。主にあるとは主に結び付けられている状態。環境からくる喜び
ではない。死や殉教さえも喜ぶ信仰。しかし神秘主義ではない。徳目表の倫理面。
・ ユダヤ教的キリスト教徒が論敵。
⑥ ローマ書
・ 57 年ごろ、全ローマ帝国の首都ローマの教会にあてて書かれた。パウロにとって未知
の教会だった。ローマ宣教を計画するパウロの自己紹介の手紙。
・ ローマの教会はどこかの地で信仰をもった信徒がローマに移住して自然発生的に家で
集会を開いたのが始まりとおもわれる。
・ 49年のクラウデオ帝迫害以前にクリスチャンがいたと思われる文献的証拠がある。
・ ユダヤ人と異邦人からなる混合教会。
・ すべて信じる者を救う神の力としての福音。それは神の啓示によって示される。啓示
とは神様だけの方法でという意味。
・ 神の義の啓示の怒りの面と恵みの面。1 章~3 章
・ ユダヤ人の誇りが砕かれている。ユダヤ人も異邦人と変わらない。
・ 信仰によって救われる聖書証明としてのアブラハムの例。4 章
・ アブラハムは割礼によってではなく、信仰によって救われた。その後、割礼を受け、
無割礼者と割礼者の代表になった。
・ サラが約束を信じる信仰。不妊と死んだ状態を引っ掛け、イエス様を死者の中から復
活させる神様の約束と重ね合わせる。
・ 信仰によって救われるとは、死の力から自由にされること。アダムキリスト論。5章
・ 割礼を受けていないアダムからアブラハムまでの歴史的人物も死んで罪からは免れな
かったと説き、万人の罪の普遍性とキリストによる万人の罪の可能性を打ち出す。
・ 信仰によって救われるとは、今の困難の中で終末的希望を持つこと。その保証として
聖霊が与えられている。
・ 信仰によって救われるとは、罪の力から自由にされること。義の武器としてからだを
捧げること。6章
・ 義とされた罪人は恵みの下にあるから正しい行いへと向かう。死からの解放。
・ 信仰によって救われるとは、律法から自由にされること。律法は罪ではないが、律法
が罪をかき立てる。ユダヤ人アイデンティティーの誇りさえ罪に。7 章
・ 律法廃棄への反駁。律法は霊的。
・ 信仰によって救われるとはみ霊の自由の中を生きること。全被造物でさえ対象とした
黙示的終末論。8 章
・ 聖霊が鍵になって、単なる律法主義でもない、律法違反でもない、第三の細い道があ
らわれる。
5
・ 聖霊は人間を含むあらゆる被造物に奉仕する生き方へ導く。み霊によるうめきとは恐
らく異言。救われていない弱い人の代表としてのとりなしの霊。
・ ユダヤ人問題。9章~11 章。神義論に関する歴史神学。選びの問題。神義論に答えは
ない。最後は賛美だけ。ヨブ記の問題。
・ クリスチャンの日常生活における神の義。倫理的勧告。救いを暮らしの中に具体的に
あらわしていくこと。12 章以下。
・ パウロ自身の伝道計画と挨拶 15 章、16 章
・ フィベは神話のフィオベからの命名。当時は奴隷に神話から名前をつける習慣があっ
たので解放された女性の奴隷だった可能性がある。16.2
・ パウロ書簡の三大テーマ。神の義、十字架の言葉、和解。
⑦ ピレモン書
・ 奴隷の立場を擁護したパウロの私信。最も短いパウロ書簡。
・ エペソ執筆説をとれば 56 年頃の作品。ローマ執筆説をとれば 61 年頃の作品。
・ ノックスによると、個人宛の手紙の形をとった教会宛の手紙。9節の「年老いている
パウロ」は「大使であるパウロ」とも訳せる。
・ あて先はコロサイ教会であり、コロサイ書との結びつきが強い。
・ ピレモンはエペソでパウロによって信仰を持った人物。恐らく、フリュギア地方のコ
ロサイの出身でコロサイ教会で信仰生活を送った。
・ 名前の配列からアピヤがピレモンの妻、アルキポがピレモンの息子であると推測する
説もある。
・ 古代世界の奴隷制とキリスト教倫理を知る上で有益な文書。家庭訓との関係も深い。
コロサイ3.22 以下、エペソ 6.5 以下、Ⅰコリント 7.21 以下、Ⅰテモテ 6.1 以下、テ
トス 2.9 以下、Ⅰペテロ 2.18 以下参照。
・ 聖書は奴隷制を反対も賛成もしていない。近代の人権意識を古代の文献に読み込むの
は時代錯誤。ただし、み霊による人格の向上は奴隷制が問題にならないまでの共同体
の交わりへと導いている。
・ 聖書は人権や差別解放を声高に叫ばない。救いとみ霊による解放の結果として社会変
革が起こる。トランスフォーメーションの例。パウロはローマ帝国の支配反対などの
活動を行なっていない。むしろ、人間の内側から起こる変革。
・ クリスチャンの家では奴隷の扱いは他の家に比べてまったく異なっていた。
・ 兄弟である主人と兄弟である奴隷の関係。キリストにある生活のネットワークは一般
社会とは次元が違う。
・ 愛の人としてのパウロ。困った人にあふれる共感と心配りを示し、犠牲さえ払える人
物像。
6
7
講義12
いわゆる第二次パウロ書簡
① 問題の所在
・ 新約聖書中、パウロの名前のつく手紙は全部で 13 通ある。保守的な信仰では、これら
全てがパウロがじかに書いた手紙であると受け入れているが、リベラルな教会では真
正のパウロの手紙をⅠテサロニケ、ガラテヤ、ピリピ、Ⅰ、Ⅱコリント、ローマ、ピ
レモンの七通だけに限定して考えている。
・ それ以外の6通、即ち、エペソ、コロサイ、Ⅱテサロニケ、Ⅰ、Ⅱテモテ、テトスは
パウロの影響を受けた次世代のパウロの無名の弟子たちの手によって書かれた偽書で
あるという結論に達している。場合によってはコロサイとⅡテサロニケがはずされる
場合もある。これがいわゆる第二次パウロ書簡の問題でこれをどう理解するかが福音
派の大きな課題となる。
・ 今回は牧会書簡と呼ばれるⅠ、Ⅱテモテ、テトス以外のエペソ、コロサイ、Ⅱテサロ
ニケの問題を中心に考察する。
・ リベラルは真正のパウロの手紙を確定するための議論として以下の点を挙げる。①年
代的、時代史的基準。つまり、手紙の中に前提されている状況がパウロの生前中に収
め切れるかどうか。②言語的基準。パウロの言語や文体から逸脱していないかどうか。
③神学的基準。神学上、内容上の違いがないかどうか。パウロの神学を大幅に発達さ
せていないかどうか。
・ これらの標準をあてはめた上でリベラルは第二次パウロ書簡はパウロの死後、60年
代以後、2世紀前半までの間に書かれたと想定する。
② 時代史的背景
・ 福音派からの反論はあとでまとめて取り上げるとして、時代史的に60年代以後、2
世紀前半までのキリスト教会の状況を知っておくことは大切になる。
・ 60年代にはパウロの他、エルサレム教会の指導者ヤコブや使徒ペテロも殉教したと
考えられている。
・ 使徒教父時代の文書も生まれてきた時代。
・紀元64年、ローマの出火をきっかけにネロ帝によるキリスト教迫害が激しくなる。元
来、ローマ帝国は宗教的寛容政策をとってきたが、ローマの神々を否定したことで無神
論のレッテルを貼られ、反逆罪と処罰の対象になった。
・ 帝政によるローマ皇帝の神格化が追い討ちをかけた。ネロ帝以前にも 49 年、クラウデ
ィオ帝の時代にはローマからのユダヤ人追放令が出されている。迫害の範囲は小規模
か。
1
・ 66年~70 年、パレスチナではユダヤ戦争が起こる。エルサレム陥落と神殿破壊。サ
ドカイ派の消滅。会堂中心主義のパリサイ派が生き残る。多様なユダヤ教の一本化。
・ 80年ごろ、ラビの学校はヤムニヤに移される。85年頃、有名なヤムニヤ会議はこ
こで開かれた。正典の確認と異端との区別。後に 135 年ごろ、学校はティベリアに移
る。
・ 70年以降、パレスチナのキリスト教はエルサレムからペラに映ったとの伝承がある。
・ キリスト教の主流はパレスチナ型から東地中海中心の異邦人型キリスト教へシフトさ
れる。シリア、エデッサ、小アジアからやがてローマでの影響が強くなる。
・ 90年頃、ドミティアヌス帝のよる皇帝礼拝の強化とキリスト教への迫害。広範囲な
迫害でローマだけでなく小アジアにも及ぶ。ローマ帝国はユダヤ教を公認宗教に数え、
キリスト教を無認可宗教とみなした。
・ 112 年ごろ、トラヤヌス帝による迫害。小アジアで組織的迫害。
・ 132 年~135 年。第二次ユダヤ戦争勃発。バルコクバの乱。エルサレムの名前も改名
され、アエーリア・カピトリーナに。ユダヤ人の出入りは禁止されパレスチナを離れる。
パレスチナのキリスト教徒は二度の戦争には距離を置いたと思われる。
③ 初期カトリシズム
・60 年代以後の展開とは1世紀の原始キリスト教から2世紀の初期カトリシズムへの以降
と言う変化に要約される。
・信仰的にはパレスチナ中心、ユダヤ人中心のキリスト教からディアスポラや異邦人中心の
キリスト教へ。エルサレム教会との接点が失われる。
・使徒たちが次々に亡くなり、使徒の文書をまとめる必要に迫られた。使徒伝承の形成。パ
ウロ書簡集がかたちをなした。ヨハネ書簡集や公同書簡集もまとめられた。
・使徒伝承を賛美にしたキリスト賛歌が教会の礼拝に使われるようになる。コロサイ 1.15
以下、エペソ 5.14 など。
・終末意識の変化。すぐにでも来ると言う緊迫感から、試練にたえて忍耐せよという方向転
換。
・異端の出現。ユダヤ教とグノーシスがからみあった異端や仮現論。使徒の教えを守り、継
承することが異端から教会を守る手立てになると言う考えがある。正しい教えと正しい生き
方。
・教会制度の確立。使徒、預言者、教師という地域を越えた働きから、監督や執事という地
域に根ざした役職。監督制度。多様な教会から、1 つの聖なる使徒的な教会へ。
④ コロサイ書
2
・リベラルな学者でも、パウロの直筆の書簡か、第二パウロ書簡かで意見が分かれる。
・保守的な反論としては以下。①マルキオンの正典表とムラトリ断片に収められている。②
ピレモンの手紙との密接なつながりがある。③ピリピ書との間に多くの共通語、共通概念が
ある。
・コロサイは小アジアのフリュギア地方にあるリュコス渓谷に沿った小さな町だった。教会
はパウロが建てたものではなく、エパフラスが伝道したものらしい。ピレモンもコロサイ出
身。異邦人とユダヤ人からの混合教会だった。1.6
・教会内に異端勢力が浸透、エパフラスが獄中のパウロに助言を求めた。パウロは異端から
教会を守るために筆をとった。60年ごろ、ローマに投獄中に書かれた。
・どのような異端思想だったのか。①哲学体系を持っていた。2.8。②パウロは相手の異端用
語をあえて反論のために用いている。1.19、2.3、2.8.2.20、2.23。③この世の諸霊力をキリ
ストを同列においている 2.8④諸霊力を強調する傾向が天使礼拝を生んだ。2.18⑤祭日や暦
を守ることを強調、星の力を信じた。2.16⑥この世の霊力の中に満ち満ちた神の徳が宿って
いる。⑦禁欲的な戒律を守るものだけが霊的体験に預かるとするエリート意識。⑧神からの
流出物という考え。人は神にならないといけない。そのために儀式と霊的体験が必要。
・グノーシス主義とユダヤ教が混ざり合ったものと考えられる。
・当時のヘレニズムユダヤ教の考えとしては、神はユダヤ人には律法を、異邦人には天使を
送った。天使がそれぞれの文化に戒めを与えた。パウロはキリストがあらわれた時に、律法
の役割も天使の役割も終わったと見る。現代における天使の強調は危険。
・ポストモダンのニューエイジ思想とコロサイの異端は似ている。キリストの力を過小評価
する点で。
・油注ぎを過度に強調する現代のペンテコステ・ミニストリーの問題点は?
新約では油注
がれるのはイエス様だけ。特別な霊的体験を持つ者だけが神に近づけるのか。
・1 章 15 節以下 キリスト賛歌。おそらくオリジナルはグノーシスの原人・救済者賛歌。パ
ウロはこれを手直しして、反論として用いる。キリスト礼拝は諸霊の礼拝と共存できない。
・コリント書のソーマキリスト論を受け継ぐが、違いもある。それはキリストがかしらであ
るという神学。
・1.24 以下。キリストは今なお、共同体を通して苦しみ続けておられる。イザヤ 53 章の苦
難のしもべの延長線上にある信仰。個人と共同体が分けられない。エリート意識ではなく謙
遜に教会に仕える信仰。
・洗礼によってキリストとともに死んだのだから、諸霊に縛られた古い習慣とはもう無関
係。キリストにある新しい生き方が求められる。
・家庭訓。もともとヘレニズム起源の道徳。しかし、クリスチャンは未信者よりも立派な
市民たるべき。地に足のつかない霊的神秘体験や人に仕えない霊的エリート意識を否定。
3
・知恵の言葉という偽りの預言現象を重んじた異端とキリストの言葉が比べられている。
キリストの言葉は聖書ではなく、恐らくカリスマ的預言。預言を吟味し、教えを見分け
る。賛美のバリエーション。霊的即興の賛美。
⑤ エペソ書
・パウロ著作説を支持する根拠としては①2世紀以降のグノーシス主義が背景にあると言う
が、グノーシスの起源そのものが古くパウロ時代にあってもおかしくない。②この書簡の宣
教理解や賜物理解は後代の発達した教会論だと言うが、同じ理解はパウロ著作が認められる
コリント書やローマ書にもある。③ムラトリ断片とマルキオン正典表にある。
・但し、紀元70年以降の劇的変化を考慮するなら、パウロ自身の手紙をパウロの弟子たち
が全面改訂したアップデート説も捨てがたい。それなら1世紀末から2世紀の言葉やパウロ
にない用語、思想が出てきてもおかしくない。それはパウロの著者性を否定したことにも編
集したということにもならない。パウロのものだからこそ、権威を持って書き直された。
・オリジナルは 60 年代にローマの獄中で書かれたものだろう。しかし、アップデート説を
受け入れる場合、オリジナルの著作年代にはあまり意味がない。むしろ、第二パウロ書簡説
にも一理ある。
・エペソは小アジアにある町でパウロが伝道旅行に訪れて教会が生まれた。小アジアは1世
紀後半以降、パウロ主義の一大拠点となっていった。
・あて先に問題がある。有力な写本にエペソの文字が欠けている。多分、回状だったのであ
て先が初めから書かれていなかったのでは。地域教会にあてたと言うよりもどこにでもあて
はまる内容。但し、恐らくエペソ教会もあて先の 1 つだったことは確か。
・コロサイ書との多くの類似が認められる。コロサイ書を下敷きにして書かれた。同じ著者
が自分の作品を下敷きに書き直すことはあり得る。コロサイ書の解説版。
・この書簡はアンテオケのイグナティウスに影響を与え、後のキリスト教グノーシスの中の
パウロ像に直結していった。パウロ主義左派へとつらなる系譜。
・ユダヤ人キリスト教会の崩壊によって異邦人教会が救済史の伝統から離れて、教会の普遍
性が崩れてしまうことへの危機感が背景にある。エペソ書は異邦人になじみのある秘儀や神
話や宗教用語を用いて、教会の一致を勧める。
・伝統的教会が聖霊体験した場合のアイデンティティーは? ペンテコステ教会が弱い歴史神
学。
・独自の神学的発言。キリストの奥義とは、キリスト自身というよりは、ユダヤ人と異邦人
が一致すること。コロサイ 2.2、エペソ 3.6、2.16、5.27
・プレローマの思想。1.23、3.19、4.13 満たす方と満たされる方の相互依存関係。
・教会と言う語は個教会的でなく、ひとつしかない全体教会として理解されている。1.22、
4
3.10.3.21、5.23、5.29、5.32
適用として聖霊による教会一致の関心事。
・キリストと教会の関係を聖なる結婚にたとえる表現はエペソ書に独自。
・使徒と預言者に対する高い評価。2.20.3.5
但し、ここから現代における使徒職と預言者
職の復活を導くことは問題。むしろ、使徒機能と預言機能は教会に与えられた。
・終末が近いということは強調されていない。結婚は評価されている。
・霊的戦い。地域霊との戦いはほのめかされていない。パウロにとって霊的戦いとは地域か
ら悪霊を追い出すことではなく、福音を伝えることと、清く生きること。前後関係は倫理に
光をあてており、正しく生きることこそ霊的戦いだとの信仰がある。
⑥ Ⅱテサロニケ書
・パウロ著作説を支持する根拠としては①同一著者が短期間で同じ中身を繰り返すのはおか
しいと言うが、同一著者が同じことを言うのは当然だ。第二の手紙は第一の手紙をいい直し
て解釈している。②第一では終末の時期は知らないと言い、第二では終末の兆しが語られて
いる。この食い違いは第一の手紙の間違った受け方を直すためとして説明できる。むしろ、
両者の終末論とは黙示文学的で一致している③第一に比べて旧約からの引用が多いと言うが、
これは教会内のユダヤ人に書かれたからとも説明できる。④ムラトリ断片とマルキオン
・Ⅰテサロニケの直後、50年代初期に書かれたものと思われる。ただし、アップデートの
問題は考慮に入れたほうがよい。
・主の日がきてしまったという間違った終末論を批判している。神秘的熱狂主義。霊的体験
が強烈すぎるとこの世と天国が同一視されてしまう。2.2
・同時に、霊的体験に逃げて、この世でのつとめをはたさない怠惰。
・主の報復という主題が旧約聖書と結びついている。1.8 とイザヤ 66.15、エレミヤ 10.25、
詩篇 79.6。1.9 とイザヤ 2.10、2.19、2.21。1.10 とイザヤ 49.3、2.11、2.17、詩篇 89.8。1.12
とイザヤ 24.15、66.5、マラキ 1.11。2.5 とダニエル 1.36、エゼキエル 28.2
・エルサレム神殿があることが前提になっている。2.4
・歴史の終わりと共に神に敵対する力は深刻化し、増大するという考えを受け継ぐ。ダニエ
ル 8.23、マタイ 24.12、聖書以外ではエノク書 93.9、第四エズラ書 5.1、ディダケー16.4
・人格化されている不法の者と滅びの子。2.3、2.4、2.8 人間の自己神化はいつの時代にで
もあてはまる。信仰と自己神化の対立の頂点としての終末。
・世の終わりが近いからといってあわてない。死への解決があるからこそ、生を確かに正気
に生きよ。
5
講義13
牧会書簡
①名称
・ 英語パストラル・エピストルズの日本語訳で、Ⅰテモテ、Ⅱテモテ、テトスの手紙の
総称。
・ 18 世紀のアントンが命名してから広まった。状況や文体の共通性から三つの手紙を一
括して扱うことが一般的。
・牧会的指導に関わる事柄が中心だからこの名前がついたものと思われる。
②緒論を巡る問題
● 著者問題 パウロ説を否定するリベラルの立場
・第二パウロ書簡よりも遅い第三パウロ書簡説。著作年代は最も遅いと二世紀前半。
・ 2世紀のマルキオンの正典表に牧会書簡は入っていない。マルキオンが牧会書簡の存
在を知らなかったのか、あえてはずしたのか、まだ存在していなかったのか、決断は
下せない。
・ 2世紀後半から著者がパウロだと広く受け入れられるようになった。例えばムラトリ
断片。
・ チェスター・ビーティー・パピルス 46 はパウロの書簡を網羅しているのに牧会書簡だ
けがない。
・ 19世紀に入って、パウロ著作説に否定的な意見が出だした。シュライエルマッハー
が用語と伝記的記述の両面で少なくともⅠテモテはパウロが書いたとは言えないとし
た。アイヒホルンは3つの手紙のパウロ著作を否定。バウルは手紙の状況は2世紀を
反映すると考えた。用語、文体、史的記述、思想の全てがパウロにあわない。
・ 用語を考察すると牧会書簡の語彙848語のうち、他のパウロの手紙に出てこない言
葉が306語もある。しかも306語のうち175語は新約の他の文書にも出ないほ
ど独自。また211語は2世紀のキリスト教文書に一般的な言葉。牧会書簡とパウロ
のほかの手紙では同一語が違う意味を持つ。パウロの手紙に見られる破格構文がない。
・ 牧会書簡の状況が使徒行伝のパウロの活動の記録にあらわれない。
・ 教会の制度がパウロ以後のかなり発達した段階を示している。監督、長老、執事、寡
婦の取り扱いなど。使徒的伝統が確立している。
・ 異端への反駁論が他のパウロ書簡と違う。神学的議論がない。無用だから退ける。同
時に教会の教えの正しさは論じるまでもなく自明。
・ 終末論が他のパウロの手紙と違う。終末への緊迫感がない。
・ この世における価値基準に開かれた態度。対決姿勢ではなく、教会の定着が前提。安
1
定した市民生活。キリスト教的家庭の形成。
● パウロ説を受け入れる保守的立場
・ 牧会書簡がマルキオン正典表に含まれていない理由は、2世紀以降に書かれた偽書だ
からと考えない。マルキオンは牧会書簡の存在を知っていたが、自分の異端的信仰に
かみ合わないのであえてはずした可能性もある。実際、牧会書簡には反マルキオンに
つながる傾向がある。
・ ムラトリ正典表は牧会書簡をパウロのものとして含んでいる。初代教父の証言として
はイレナエウス、テルトリアヌス、クレメンスもパウロ著作を支持。
・ チェスター・ビーティー・パピルス 46 に牧会書簡がないのは事実。しかし、写本は断
片的。もともとあったのに失われた可能性もある。チェスター・ビーティー・パピル
ス 46 以前にクレメンスはパウロ説を受け入れている。
・ パウロの自伝部分がある。これはパウロ本人の手によらないとかけない内容。
・ 新約の書簡はよく知られた人物からよく知られた諸教会にあてるのが基本。最近死ん
だばかりの同時代人の名前を借りて偽書が勝手に作り出される証拠はない。むしろム
ラトリ断片は偽書の危険に敏感。
・ 明らかなパウロ偽書と比べて、牧会書簡は品格や質で勝っている。
・ 牧会書簡の状況は使徒行伝 28 章以後のパウロの生涯とつながるので、使徒行伝に書か
れていないからという理由では偽書にはならない。
・ 後代の発達した教会制度というリベラル派の前提は間違いがある。監督と言う語はパ
ウロ以前のクムランからも出てくる。
・ パウロの他の手紙との文体の違いは確かにある。それは第三者の手でアップデートさ
れた言葉ととれば何の障害にもならない。
・ Ⅰテモテの状況。パウロはテモテをエペソに残し、教会の責任を任せた。パウロはマ
ケドニアに進んだ。パウロはエペソに残したテモテを心配し、パウロのエペソ帰還が
遅れる可能性もあって、助言を書いた。
・ テトス書の状況。使徒行伝にクレテ島伝道の記事はない。ただ、パウロはローマに行
く途中、立ち寄って伝道への関心を持ったと思われる。テトスはパウロの代理者とし
て島で教会を導いた。パウロはギリシャ北西ニコポリでテトスと合流できることを期
待。3.12
・ Ⅱテモテの状況。新約中、パウロが最後に書いた手紙。使徒行伝の記録後、一度釈放
されたことが前提。二度目の投獄。遺言としての役割。
・ 著作年代は 60 年代後半。パウロの晩年。但し、書簡全体のアップデートを考慮した場
合、著作年代以上にアップデートされた年代も重要になる。
2
③牧会書簡の歴史的背景
・ パウロの手による書簡が、パウロの流れをくむ教会の中で保管され、パウロの死後の
状況に適用出来るように、パウロ書簡の正典化の中でアップデートされたものと考え
られる。
・ パウロその人が伝統になっている状態。信仰の理想像、手本、模範としてのパウロ像。
パウロにならえ。Ⅰテモテ 1.15 以下、Ⅰテモテ 1.18 以下、Ⅱテモテ 1.3 以下
・ パウロは、旧約の伝統と主イエスの伝統をくむものとして理解されている。Ⅱテモテ
4.16 以下。詩篇 22 と主イエスの苦難。
・ これは、パウロの死後、パウロ系の教会がユダヤ系の教会から批判されたことと関係
しているかもしれない。パウロの律法への過激な態度は間違って受け取られて、放縦
主義を産む危険性もあった。
・ 放縦主義を生み出しかねないパウロ主義という疑いに答えて、真の信仰は倫理的に清
い姿を目指すものだという反論が牧会書簡にはある。パウロの教えは健全な教えであ
る。Ⅰテモテ 4.6、1.10、6.3、Ⅱテモテ 1.13、4.3、テトス 1.9、2.1
・ 従って、異端への反論も間違った教えの内容よりも、異端者の道徳上の誤りを指摘す
る面が強い。健全な教えと健全な生活。適用としては現代には教理面だけでは線の引
きにくい異端も。
・ 教会の世俗化にともなう教義的、道徳的、教会的統制を目指す。教会とは使徒パウロ
の伝統を保存し、守るところ。
・ 同時に個教会の成熟に応じて、地域教会を導く監督が立てられる。全体を網羅する使
徒や預言者や教師の働きは減退。使徒と預言者の機能は個教会に吸収された。牧会書
簡では偽使徒、偽預言者として退けられる。監督のほかに長老、奉仕者もいる。
・ 内容よりも形式が、理論よりも実践が問われている。ペンテコステ教会は実践に強く、
理論に弱くないか。霊的体験重視で形式軽視の面はないか。
・ 牧会書簡では聖霊への言及はまれ。Ⅰテモテ 1.2、3.16、4.1、Ⅱテモテ 1.1 以下、1.14
テトス 1.1、3.5. 伝統の中でカリスマをどうやって生かせるのか。伝統と言う服を着
たカリスマ。
・ パウロから牧会書簡のアップデートまでの歴史の流れをまとめると以下のようになる。
①パウロが異邦人伝道の奉仕を通して律法からの自由を説く。②律法が信仰のマーク
になるのではなく、聖霊体験が信仰のマークに。③60年代、パウロの死。④70年。
エルサレム陥落とエルサレム教会の消滅。以後、異邦人教会が主流に。⑤第一期パウ
ロ書簡のアップデート(エペソ書)
。割礼問題はもうない。ユダヤ人と異邦人の一致。
これはエルサレム教会が消滅したからといってユダヤ伝統から離れてはいけないとい
うメッセージ。⑥一方、パウロ系の教会から聖霊体験が薄くなる教会が出てくる。律
3
法無用論から放縦と世俗化へ。グノーシス化する教会も? ⑦非パウロ系教会からの批
判。パウロは教会の伝統を壊した。⑧この批判に答えるために第二期パウロ書簡のア
ップデート(牧会書簡)
。パウロ系教会の生き残りをかけた弁明。パウロは伝統破壊と
も放縦とも無関係。むしろ、倫理的に生きていくことと制度化づくり。
・ 教会の制度化がリバイバルを消すのではない。むしろ、教会の世俗化が聖霊体験を消
す。聖霊体験と制度化はじかには無関係。それなら制度や伝統の中に聖霊体験を盛り
込むことは出来る。同時に聖霊体験なき教会規律は新しい律法主義に落ちる危険性。
④牧会書簡の神学
・ 神の恵みによる救いを説き、パウロの伝統を踏む。Ⅰテモテ 1.15、テトス 2.11、3.5、
3.7、Ⅱテモテ 1.10。ただし、神やキリストの表現が独自。Ⅰテモテ 6.15 以下、Ⅰテ
モテ 2.5
・ 将来の再臨への期待がある。復活はすでに済んだという教えは退けられる。Ⅰテモテ
6.14、Ⅱテモテ 2.17、4.1、テトス 2.13、3.7
・ 社会の中にとどまりつづける教会と言う意識が強い。市民的キリスト教倫理。世の中
の倫理との接点がはかられている。教会と社会との距離が縮まる。テトス 1.12、Ⅰテ
モテ 2.1.2
・ 現代の宗教でも①発生②社会とのぶつかり③社会との協調④組織化、安定化、既成宗
教化というプロセスをたどる。教会でも世からの分離が強調される時代と世との接点
をはかる時代に揺れる。
・ アッセンブリー教会も、発生当時の周囲からの異端視から、既成教団化へのプロセス
を辿っている。
・ 生活のあらゆる面を信仰化する聖霊の働き。信仰の妥協ではなく、世俗倫理の信仰化。
信仰の倫理と日本人の一般道徳とどこかに重なりあう部分があると思うか。
・ 敬虔とは個人的主観的なものではなく、よいわざを行なう実際的なもの。
・ 教会と家庭の結びつきが強い。教会は家に例えられる。教職者の条件として信仰的家
庭の形成が重んじられている。Ⅰテモテ 2.15、5.8、5.10、5.14、3.4、3.12、テトス
1.6、Ⅱテモテ 1.5。適用としては二つのモデル。家族を犠牲にしてでも献身か、マイ
ホーム主義か。
・ 寡婦に対する明確な規定がある。寡婦は当時、社会的経済的に困難な立場にあった。
・ 異端との論争は避けよ。Ⅰテモテ 6.20、Ⅱテモテ 2.23、2.14、3.5、テトス 3.9
むし
ろ、生活の証しで勝負する。
・ 牧師のカリスマ性によって教会の存続を考えない。むしろ、牧師職を機能、制度とし
て考え、按手による任職による世代継承。6.11 以下は多分就任式の式文。牧師の個人
4
的ビジョンだけで進む教会は次世代に問題あり。むしろ教会共同体としての成熟が鍵。
・ パウロから第二世代のテモテ・テトスへ。テモテ・テトスから第三世代へという世代
間信仰継承がテーマとなっている。
・ 信仰の変化は世代間だけでなく、同時代の個人間でも起こりうる。たとえば霊的にす
るどい人とそうではない人。霊的リーダーとは突出することだけでなく、相手の霊的
レベルにあわせる面も。パウロのカリスマの幅の両極。庶民感覚に合わせる姿。Ⅱコ
リント 11.23 とⅠテモテ 2.2 を比較せよ。
・ カリスマによる教会指導から離れて、カリスマなき普通の人が一般倫理の知恵による
教会指導を行なう現実。
・ 律法は正しいもののためにではなく、神なきもの(異端者)のために定められている。
Ⅰテモテ 1.9
・
5
講義14
公同書簡
①名称
・ 英語ジェネラル・エピストルズの日本語訳で、新約中、パウロの手紙以外の書簡を指す
総称。ヤコブ書、Ⅰ、Ⅱペテロ、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲヨハネ、ユダ。これにヘブル書を加える者
もいる。この講義ではヘブル書を一応、パウロ書簡とは分けて考える。
・ 公同というのは普遍的、一般的ということで、特にある特定の教会や個人にあてられ
たわけではないという意味で使われている。
・公同書簡と言う言葉の歴史は古いが、七つの手紙すべてを公同書簡と呼んだのは、4世
紀のエウセビオスに遡る。
・ 書簡の形式をとってはいるが、むしろ書簡のかたちをもった勧めや説教と定義したほ
うがいいものもある。例えば、ヤコブ書、Ⅰヨハネなど。
・ 正典と認められるまでに議論と時間がかかったものが多い。
・ 初期キリスト教のパウロとは違った流れや角度を持つ信仰として重要な意義があり、
当時の教会事情を映し出す貴重な文献。
・ 公同書簡の収集と正典化はおそらく、パウロ書簡集の収集に刺激を受けて、違った角
度から使徒たちの死後、進められた。
・ 残念ながら、新約研究は福音書研究とパウロ研究がどうしても中心となりやすく、軽
く扱われることが多いのが今後の課題。
②ヘブル書
●著者問題
・ パウロ説
アレキサンドリアのクレメンスから始まる古い説。彼によるとパウロがヘ
ブル語で書いてルカがギリシャ語に翻訳した。オリゲネスは著者は神のみぞ知るとし
たが、思想はパウロのものとした。3世紀、ギリシャとシリアの教会がパウロ説に立
ち、西方教会は認めなかったが、4世紀以後パウロ説を取り入れた。宗教改革時代、
人文学者エラスムスがパウロ説に疑問を出し、現代では少数のカトリック学者以外、
支持していない。
・ バルナバ説
テリトリアヌスによって唱えられた説で西方教会で主に支持された。近
代に入ってからも根強い支持者がある。バルナバ説の起源は小アジアの異端モンタヌ
ス運動、もしくはローマ。しかし、律法や祭儀にまつわる見解がバルナバとしてはか
み合わないようにも見える。高度な修辞学上の技術やアレキサンドリア的な考え方が
バルナバにあったかどうかで疑わしい。
・ アポロ説
ルターが最初に唱えた。20世紀に入り新約学者スピックがアポロ説を支
1
持する12の理由をあげた。ただし、著作年代やあて先の点で課題が残る。
・ 他に少数意見としてはローマのクレメンス説、ステパノの弟子説。
・ 結論としてはヘブル書の著者の特定は出来ない。匿名は匿名とすべき。しかし匿名性
が本書の価値を落とすものではない。
●あて先の問題
・ エルサレム仮説
クリュソストモス以来の立場。ヘブル書はユダヤ教に逆戻りするお
それのあったエルサレム教会のユダヤ人クリスチャンにあてられたという考え。反対
意見としては貧しいエルサレム教会が自ら他教会を助けたと6章1節にあるのはおか
しいというもの。
・ 対異邦人説
19世紀のロエツ以来の説。本書は小アジアの異邦人クリスチャンにあ
てられたとする。棄教の危険にさらされた異邦人信徒を励ます目的である。ケーゼマ
ンなどはグノーシスの危険にさらされた異邦人信徒をあげる。批判としては著者が何
故、旧約の諸制度と根本的に対決しないといけないのかの具体的説明がつきにくい。
特になぜ祭司制度と犠牲について詳細に述べているのか。
・ 対ユダヤ人説
受け取り人はユダヤ教の祭司から改宗したクリスチャンで本書は元祭
司再教育プログラムの一環か。特にクムラン教団の信仰と本書の間には類似があり、
元祭司はエッセネ派出身者も含むとする。ブルースによるとあて先は正統派ユダヤ教
よりも非正統的ユダヤ教を背景にしたほうが分かりやすい。批判としては具体的なあ
て先がはっきりしない。
・ 混合教会説
ユダヤ人、異邦人と分けるのに無理がある。当時の教会は多くの民族を
かかえる複合文化教会だった。一見ユダヤ人相手のように見えてもユダヤ教の不完全
を示す点では異邦人にも有効。ローマにある混合教会である可能性あり。外的証拠と
してはクレメンスの第一の手紙。ローマでは本書がパウロのものでない伝承が保たれ
ていたことも裏づけに。
●執筆年代
・ アポロ説に立つ者は50年代という早い時期を支持するが、本書は64年のローマ皇
帝ネロの迫害の経験を通り抜けたようであり、64年以前は無理がある。また本書で
触れられる神殿はエルサレム神殿ではなく、かなり理想化された天の聖所である。7
0年の神殿崩壊の後と見たほうがいい。
・ 第二世代のクリスチャン宛。50 年代~60 年代以前ではあり得ない。
・ 95年にローマに書かれた「クレメンスの第一の手紙」は本書に触れているので、可
能性のある年代としては少なくとも95年以前。
・ 70年神殿崩壊以後から95年クレメンスの手紙の間。70年代から90年代前半ま
で。
2
●執筆場所
・ 決定困難。古くからあがっている地名としてはローマ、エジプト、エペソ、アンテオ
ケなどが候補に。著者がアレキサンドリアでの教養があることから、アレキサンドリ
ア説も唱えられるが、当時、アレキサンドリア的な教養はどこでも得られたはずで決
め手にはならない。ドミティアヌス帝による新たな迫害の危機が迫っていることが読
み取れ。エペソ周辺も可能性があるが。あて先地よりも決定不可能。
●本書のジャンル
・ 手紙説 13章の結尾に最後のあいさつがある。ヘブル人への手紙という表題がつい
ている。しかし強烈な反対意見によって手紙説は根拠が薄い。たしかに終わりにあい
さつがあるが、最初のあいさつが欠けているのは手紙の形式として無理がある。最初、
あった書き出しのあいさつが何かの理由で失われたと言うのも無理がある。冒頭の立
派な言葉の前に書き出しがあたとは考えにくい。表題も正典に入れられた後、便宜上
ついたものでそれ以前にはなかった。
・ 神学的論文説
大祭司キリスト論という独特のキリスト論を論じていく神学論文とい
う説。しかし本書の重点は教理よりもむしろ勧告におかれているので単なる論文とす
るには無理がある。
・ 説教説 本書は書かれた説教であるとする説。一つの説教と言うよりは幾つかの説教
をまとめた説教集とする説もある。ただし、それでは末尾のあいさつが何かがよく分
からない。
●内容と神学
・ キリスト論
大祭司キリスト論と呼ばれるもので新約中、他には見られない独特のも
の。天を永遠の聖所と見ている。キリストの働きは地上と天の両方の領域にまたがっ
ている。キリストは天の聖所に仕える真の祭司である。キリストはメルキゼデクの系
譜につながる新しい祭司である。大祭司キリスト論の思想的起源については諸説ある。
①アレキサンドリアのフィロンに代表されるヘレニズムユダヤ教から②クムラン、エ
ッセネに代表される黙示信仰的大祭司③グノーシスの救済神話との対決の中から生ま
れた。しかしいずれも一長一短あり無理がある。詩篇110篇の解釈がかぎに。
・ 予型論 古い出来事の新しい新約の出来事との救済史的関連付けと対応関係。旧約の
大祭司と新約の大祭司。地上の神殿と天の神殿など。
・ 救済論 十字架と復活への直接の言及は無い。むしろそれは大前提とされているので
あえて書いていない。キリストは新約の大祭司であり、罪のない方が一度ご自身を捧
げたことで、罪の清めと永遠の救いが完成した。今や一人一人が自由に天の聖所に近
づける。
・ 終末論 巡礼のモチーフが強調されている。さまよえる神の民。天のエルサレムを目
3
指す旅人。安息はそこにしかない。この励ましは地上での信仰生活の疲れや弱さを乗
り越えさせる力の源となる。未来志向であると同時に、現在的。クリスチャンは来る
べき世の力を味わったもの。6章5節。
・ パウロ書簡と比べて違いがある。パウロでは前半教理、後半勧めという形式だが、本
書では単なる教理はひとつもなく、信仰生活にただちに直結。教理と勧めがかたく結
びついている。
・ さらに律法論の違いがある。パウロの手紙では律法の倫理部分に光があてられている
が、本書ではむしろ祭儀律法に光があてられている。
●特色
・ 旧約とレビ的祭儀に精通している
・ 古い契約が新しい契約にとってかわったという説明は、読者が古い契約を前提として
いたことを想定する。
・ 七十人訳の引用が多い。読者はヘレニズムユダヤ教からキリスト教に回心したものか。
・ キリスト教を信仰しながら、ユダヤ教の古い契約に戻ろうとする信徒を思いとどまら
せる目的。背景には自分たちが先祖の文化的遺産の主流の外にいることに嫌気がさし
たこと。これにキリスト教迫害と新しい異端の魅力が加わる。
・ ペンテコステ派はどこまで教会内の主流派だろうか。他教会への伝統の憧れは。日本
的伝統への回帰願望は。
④ヤコブ書
・ 受信者 離散している12部族の人々とは。パレスチナ外のユダヤ人か。異教世界の
中のユダヤ人クリスチャンか。あるいは全クリスチャンか。
・ 著者問題。伝統的には主の兄弟ヤコブ説。しかし、批判的学者はこれを否定し、ヤコ
ブの名前を借りた偽書とする。理由としては、生前の主イエスのことが何も書かれて
いない。パウロへの対決姿勢が見られるのは、パウロの手紙が影響を持ち出した時代
以降をほのめかす。パレスチナ出身者がギリシャ語を書けたか。
・ 保守的教会では主の兄弟ヤコブ説を支持する。その理由としては①自然への比喩の多
さはパレスチナで育った環境をほのめかす。②使徒行伝のヤコブの語彙とヤコブの手
紙の語彙がかなり重なり合っている。③パレスチナへのギリシャ語の浸透を無視して
はいけない。
・ 最近、リベラルな学者からもヤコブ著者説が最注目されている。それは知恵文学との
関係から。しかし、Q との絡みもあって福音派としては慎重に扱いたい。
・ 公同書簡は全てパウロの系統ではない流れのキリスト教。形式と内容ともにユダヤ的。
ユダヤ人キリスト教。1世紀後半から2世紀。
4
・ エルサレム教会の指導者が特定の地方教会に書簡を出すと言うスタイルはユダヤ教か
ら引き継いだもの。エルサレムのユダヤ教指導者がディアスポラにユダヤ教全体の祭
儀的一致を命じる伝統。Ⅱマカベア 1 章、2章
・ 新約聖書からの証拠としては使徒教令。使徒 15 章 23 節以下
・ 教会の世俗化への警戒が主題。救われただけで良いのか。
・ パウロの信仰の誤った拡大解釈が世俗化に一役買っているのか。信仰義認と聖化の関
係は?
・ パウロとヤコブの対立面だけを強調してはいけない。2.10 はパウロと正反対の立場で
は書けない。1.25、2.12 は厳格な律法遵守主義からは書けない。
・ 十字架、あがない、復活について一言もない。救いに預かっていることが前提だから
と思われる。
・ 意外なことに割礼、食物規定、安息日など儀式律法には何の関心もない。むしろ、倫
理面に集中。正しいキリスト教生活への手引き。
⑤Ⅰペテロ書
・ 異教徒に囲まれた環境下で信仰をかたくまもって生きるように命じた書簡。
・ ローマ帝国からの迫害もさることながら、クリスチャンが日常生活の中で異教徒から
受ける圧迫やストレスが映し出されている。信仰は外圧には強い。内部崩壊の方が恐
ろしい。
・ 立派な行いによって証しをすることこそ、異教徒の信頼をかちとる道。
・ ある面で、当時のヘレニズム世界の倫理道徳と重なり合う部分がある。
・ パウロの間接的影響。ローマ 13 章 1 節~7 節。
・ ヤコブ書とは違う方向性。ヤコブ書は世俗の価値観から離れよ。本書は世俗の倫理と
の接点をはかれ。現代にも通じる問題。埋没と攻撃の間の細い道。
・ リベラルはペテロ著作を否定。70 年代から 80 年代を指し示す。
・ 理由①バビロンと言うローマへのあだ名は、ローマの軍隊がエルサレム神殿を破壊し
た 70 年以後の状況を示す。5.13
・ 理由②ローマの教会の状況はパウロのローマ書執筆時代よりも後の時代を反映。1 世
紀末のⅠクレメンスの状況に近い。5.13
・ 理由③ローマへの従順の教えはトラヤヌス帝やネロ帝の迫害の時代にあてはまらない。
・ 理由④黙示文学の影響がある。
・ ペテロ著作説を受け入れることは 60 年代の状況そのままを反映させているという意
味ではない。執筆と手紙の収集は別の問題で、アップデートされていないと考える方
がおかしい。ペテロ著作を否定する必要はない。
5
⑥ユダ書、Ⅱペテロ書
・ 内容的にも形式的にもよく似ている。Ⅱペテロはユダ書を前提に書いているようであ
り、ユダ書を知っている。
・ 二つの手紙の共通部分はⅡペテロ 2 章とユダ 3~16 節、Ⅱペテロ3章 1 節~16 節とユ
ダ 17~23 節。異端者への批判と再臨の希望が共通している。
・ 偽教師による異端への警告文書。
・ 異端の特徴はコロサイ書の異端以上に進んだ天使論(ユダ6、9)
、幻の体験(ユダ 8
節)
、放縦な生活(ユダ 4.7.8.16 節)
、Ⅱペテロではこれに加えて再臨はないという考
え(1.16、3.3 以下)
・ 使徒的な伝承を正しい信仰の基礎においている。一度限り伝えられた信仰(ユダ 3、
20)が基準であり、そこからそれることは異端。Ⅱペテロの場合は使徒的伝承がヘレ
ニズム化されている。
・ Ⅱペテロは新約中、特異な文書。他の新約にない単語が 57、そのうち、七十人訳にも
見られないギリシャ語が 32、32のうち 15 はヘレニズム・ユダヤ教の著作に出てく
る。
・ 技巧的な文体で、古典調。
・ 手紙ではあるが遺言文学。
・ ユダ書のほか、パウロ書簡、Ⅰペテロ、黙示文学にも精通している。ペテロが死の直
前に書いたという設定は本書から明らかで 60 年代著作は動かない。
・ しかし、著作年代と公同書簡の収集時期は分けて考えるべき。収集時期は 80 年代から
100 年代頃と思われ、使徒たちの死の後。収集時期に手紙のアップデートは当然なさ
れたはず。リベラルはペテロ著作を否定するが、そこまで否定する必要はない。
・ ユダ書の著者は、ヤコブの兄弟となっている。ヤコブの兄弟であるユダは主イエスの
兄弟しかあり得ない。
・ リベラルは使徒的名称を利用した偽書だと言う。しかし、それなら何故わざわざマイ
ナーなユダを選んだのか、何故主の兄弟とはっきりと書かないのかが説明つかない。
・ 著者はヘブル語旧約聖書、アラム語のエノク書に精通している。
・ しかし、ギリシャ語もマスターしている。ガリラヤの田舎の人間がギリシャ語をマス
ターできたのかという批判については①ギリシャ語とヘレニズム文化の影響はパレス
チナにも強かったことは最近の研究が明らかにした②ガリラヤ出身のユダだが、巡回
伝道者だった可能性もある。ガリラヤの外でギリシャ語を磨いた可能性は否定できな
い。
6
講義15
ヨハネ黙示録
①黙示文学の起源を巡って
・ 預言がより先鋭化したものが黙示文学だという立場がある。ただし、預言と黙示では終
末論が違う。預言では歴史の延長線上に終末がくるという理解。これを歴史的終末論と
言う。黙示の場合は歴史の延長線に終末を考えない。歴史に興味がない。黙示的終末論。
・ フォンラートは、知恵文学と黙示文学のつながりを強調。彼によると預言は歴史的、
救済史的だが、黙示は非歴史的で知恵文学と類似しているとした。知恵文学(箴言、
伝道の書、ヨブ記など)も過去や将来に興味がない。
・ 知恵には終末論がないが、黙示文学には終末的関心が深い。
・ イスラエル預言者の伝統にペルシャの世界観、ヘレニズムの終末観の影響を受けて黙
示文学が生まれた。
・プレーガーとハンソンの説 黙示文学の発生は預言者の唱える歴史的終末論から黙示的
終末論への移行過程に結びついている。
・ エルサレム第二神殿の祭司貴族とヘレニズム化に対して幻滅する集団が終末論を先鋭
化させたのか。宇宙的終末論。外圧ではなく民族内の格差が黙示文学を産んだ。
・ 幻と現実の緊張関係。預言から黙示への移行期としての原黙示。イザヤ24章~27
章、ゼカリヤ 14 章、ヨエル等。
・ 最近のコッホによる研究。
②黙示文学の本質
・ 正典内の黙示文学としてはダニエル書、ヨハネ黙示録、マルコ 13 章の小黙示録と平行
記事、パウロ書簡のある部分。
・ 黙示文学はむしろ、中間時代の正典外文書の中に数多く存在する
・ 黙示文学の共通点としては、二元論、終末論、幻、偽名性、メシア、天使論と悪魔論、
獣の象徴、数字論、嘆きの予告、天体の影響、悲観主義的歴史観など
・ もともと、黙示の意味は隠されていた神の秘密が開かれることで個人の超越的神体験
によって支えられる→ペンテコステ運動的。
・ 国家の滅亡が預言者の活動を制限、次第に超地上的運動に変化
・ ヨハネ黙示録の本質はこれから将来に起こる予定表を特定することではない。むしろ、
現在の現実を信仰の目で幻を通して見つめなおすということ。
③ヨハネ黙示録の著者問題
・ 使徒教父は使徒ヨハネが著者であることを一貫して認めてきた。
1
・ 黙示録自体の内的証拠としては、著者はヨハネとあるだけだが、小アジアの七つの教
会によく知られ、権威を持つ人物は使徒ヨハネのほかに考えられない。
・ 正典以外の黙示文学では偽名が一般的だが、もし黙示録がヨハネの名を借りた偽書な
ら、わざわざ使徒ヨハネと書くはず。単にヨハネとしかないことが帰って信憑性を物
語る。
・ ヨハネ福音書と黙示録の用語の類似性。たとえば、
「ことば」
「子羊」
「命の水」
「マナ」
「まことの」など。
・ 黙示録のギリシャ語は基本的文法からはずれた破格が多く、ヨハネ福音書の文体とは
違う。しかし、これは著者が違う根拠にはならない。これはヘブル語の慣用表現をギ
リシャ語に直訳したときに生まれた破格だから。また黙示文学は特殊なので文体が変
わることは自然。
・ 福音書や書簡では神の愛が強調されているのに、黙示録では神の審判が強調されてい
る。これは著者が違うのではなく、主題が違うだけである。悪への審判は同時に信仰
者への神の愛の裏返し。あがない主であるキリストが黙示録では支配者に変わってい
るのも同様。
・ 他にも長老ヨハネ説、預言者ヨハネ説、無名のヨハネ説もあるが、すべての反対論は
著者が使徒ヨハネであることを否定するものではない。
④ヨハネ黙示録の執筆年代
・ 迫害の規模から想定してローマ皇帝ドミティアヌス帝が支配した 81 年から 96 年とい
う説が有力。
・ たとえば、皇帝礼拝の強要。13.4 以下。皇帝礼拝はドミティアヌス帝の時代に最も盛
んだった。
・ 迫害による投獄や殉教がほのめかされている。2.10、2.13
・ ドミティアヌス帝の時代にはエペソにカエサルの神殿が建てられている。ローマ以外
の地に弾圧があった文献的記録は発見されていないが、ローマ以外の地にも弾圧の手
が伸びた可能性もある。
・ 皇帝ネロの再生神話が 13.3、17.8 以下に見られるが、このデマは 80 年以降に流布し
た。
・ アジアの諸教会の状況が 1 世紀末の姿を映し出しているように思われる。
・ 他にも少数派の意見として 54 年から 68 年のネロ帝の時代や 69 年から 79 年のヴェス
パシアヌス帝の時代を考える学者もいるが、この時代の迫害は短期間で地域も限定さ
れており、根拠は薄いと思われる。
2
⑤あて先と執筆場所
・ 黙示録は黙示文学だが、形式としては書簡のかたちをとる。従って、あて先は小アジ
アにある七つの教会だと考えられる。
・ 当時小アジアには他にも教会があったので、何故この七教会があて先に選ばれたのか
はっきりと分からない。
・ 七つの都市を結ぶ環状線があったので、地理上、郵便事情から代表的教会として選ば
れたのかもしれない。
・ あて先となった諸教会がパウロの伝道圏と重なっている。小アジアではパウロの影響
の後でヨハネの影響があったのかもしれない。
・ 執筆場所は黙示録によるならパトモス島。当時ヨハネは迫害されて島流しになってい
たと思われる。
⑥ヨハネ黙示録の構成
・ 1.1-8 枠組み部分。本書が黙示であること。著書の役割は黙示を証しすることである。
さらに本書が手紙であることが説明され、頌栄が捧げられる。
・ 1.9-3.22 第一の主要部分。特別な任務への幻。七つの回状。教会の状況は非常に異な
る。天使に書くと言う定型句。天使は教会の天上の代表者。
・ 4.1-22.5 第二主用部分。五つの幻のかたまり。4.1-5.14 玉座の幻。6.1-8.1 七つの封
印の幻。8.2-14.20 七つのラッパの幻。15.1-19.10 七つの鉢の幻。19.11-22.5 最後の幻。
天上の即位と礼拝から、地上の審判を通して新天新地へという構造。封印、ラッパ、
鉢は重なりあっている。
・ 22.6.21 枠組み部分。書物の変更は効かないこと。み言葉の真実。み言葉を守る者へ
の幸い。ときが近いから黙示を封印してはならないという要求。再臨への祈り。
⑦ヨハネ黙示録の解釈モデル
・ 過去主義
紀元 1 世紀の歴史状況だけにあてはめる。本書はローマの圧政に苦しむ教会にあてら
れた励ましの書であって、1 世紀以後への預言的要素はないとするもの。
・ 歴史主義
この立場は黙示録が紀元 1 世紀から現在までの歴史を象徴的に述べていると見る。た
とえば、第一のラッパは 395 年のゴート族のローマ侵入。第五のラッパは 6 世紀のイ
スラム教の誕生。第六のラッパはトルコの勃興という具合。フランス革命やナポレオ
ンの登場を読み取る解釈もあった。しかし、その解釈は主観的で基準がなく、一致点
3
がないのが問題。
・ 未来主義
黙示録の 4 章以降の出来事は未来に対する預言であると解釈する。ここに空中軽挙、
大艱難時代、再臨、ハルマゲドンの戦い、千年王国、最後の審判、新天新地を読み取
る。この際、七つの教会を歴史主義のように解釈する場合もある。黙示録の預言的要
素を見失わない点は重要だが、歴史的タイムテーブルを作ることには慎重になる必要
がある。多くの異端が黙示録の解釈の間違いから生まれている。
・ 精神主義
寓意的な解釈。すべてをたとえとしてとらえ、霊的、精神的に理解する。黙示録はい
つの時代にもあてはまる霊的原則を示すものであって、教会の未来を預言したもので
はない。教会はたえず霊的試練にさらされており、たえず悪と戦う必要がある。キリ
ストの勝利は約束されている。
・正しい解釈モデル
すべてのモデルに長所短所があり、かたよるわけにはいかない。1世紀の歴史状況に
照らし合わせて読むことは当然だが、それを越えた超自然的預言的要素と普遍的メッ
セージを無視するわけにはいかない。黙示録は黙示文学であると同時に預言書でもあ
る。ペンテコステ教会がもともと黙示的運動だったことを忘れてはいけない。
⑧ヨハネ黙示録の神学
●神の超越性と世界支配
・ 神中心的な構想が扱われている。玉座の幻では神の超越性が宇宙の諸勢力の代表者に
取り囲まれて叙述される。4.8、1.8、11.17、15.3、16.7
・ 神は裁き主である。5.9、12.13
・ 神が救いを完成させ、実現させる。7.2、7.15、7.17.14.6、15.3、19.1、22.1 以下。
・ 神自らがイエスキリストの黙示を著者に与える。1 神は全能者と呼ばれる。1.8、4.8、
11.17、15.3、16.7、16.14、19.6、19.5、21.22.
● キリスト論 子羊としてのイエス
・ キリストは黙示録の中で 28 回、子羊と呼ばれている。3回はほふられた子羊と呼ばれ
る。5.6、5.12、13.8
・ 子羊の称号は十字架の死と結び付いており、死んで甦った方が裁き手として任命され
4
たという理解がある。1.5、1.17、2.8
・ 子羊称号はイザヤ 53.7 のたとえの伝統を引き継いでいる。
・ 子羊の死は救いをもたらす。子羊の血は救いの力である。1.5、1.18、5.9、7.14、12.11
● キリスト論 高く挙げられた方としてのイエス
・ イエス様は高く挙げられた人の子である。ダニエル書の伝統を受け継いでいる。1.9 以
下、14.14
・ 人の子はその尊厳さが詳しく特徴づけられている。1.13 以下。2.1、2.8、2.12、3.1、
3.7、3.14
・ 人の子は「神の子」2.18「聖なる者、真実な者」3.7「アーメンである者」3.14「神の
創造の初め」3.14 と結び付いている
・ 高く挙げられたイエス様に裁きと世界支配の権威がゆだねられる。5.6
・ イエス様がすべての神に逆らう勢力を打ち負かす。17.14
● キリスト論 完成者としてのイエス
・ 高く挙げられたキリストの再臨 19.11 以下。
・ 救いの完成は「子羊と彼のために身支度をした花嫁の婚礼」にたとえられる。19.7、
21.9、22.17
・ 救いの完成は新しいエルサレムとしてもたとえられる。21.1 以下。神と子羊が神殿で
あって神殿そのものがない。
・ 天の都の命の水が神と子羊の玉座から流れる。22.1
● 先在と受肉のキリスト論
・ ひかえめにほのめかされていて前面には出ない。3.14、22.13
・ 5.5、22.16 が受肉をわずかにほのめかす。
● 教会論
・ 悪の力からの解放とキリストが成し遂げた救いにあずかるように定められていること
が信仰共同体の特徴。1.5、5.9、14.3、20.6、22.5、17.14
・ 召され、選ばれていることの刻印としての洗礼。エゼキエル 9.4 が引き合いに出され
る。9.4、14.1
・ 14 万 4000 人という象徴的数字は実数ではなく 12×12×1000 の意味。12 はイスラエ
ル十二族と 12 弟子を1000は完全をあらわす。つまり旧新約全ての民からなる共同
体。7.4
5
・ 地上では神への服従が求められる。堕落への警告と迫害の下でも踏みとどまること。
勝利者の言葉に約束されて進む。2.4、3.8、7.13、
・ 12 章のたとえは女はイスラエルと教会をあらわしていると思われる。男の子はメシア
をあらわす。詩篇 2.9
● 艱難の時
・ 復活から再臨までの時間を艱難のときと理解している。1.9、2.9、7.14
・ 苦難と災いのときを乗り越えて最終的な勝利が与えられる。
・ この世は終わりに向かっているというメッセージがある。
・ 悪の力はますます増し加わる。
・ 悪の力の本質は神に逆らうと言うことにあらわれる。13 章の獣のたとえ。ローマ帝国
の皇帝崇拝をほのめかす。17 章のバビロンのたとえ。
・ 艱難のあとに千年王国があらわれる。20.4.これは黙示録にしか出てこない独自の考え。
● 最後の審判
・ 裁きの叙述 19.17、20.1、20.7、20.11 反復がある。
・ 獣に対する裁き、サタンへの裁き、人間への裁きはそれぞれ別。
・ 裁きは誘惑の終わり、悪の終わり、死の終わりを指し示す。
・ 救われた者は白い衣を来て玉座の前に立つ。7.4
・ 新しい歌が捧げられる。14.3
・ 救いは多くのたとえで語られる。21 章、22 章。
・ 救いは新しい創造であって、新天新地をもたらす。
⑧ヨハネ黙示録の現代的意義
・ ペンテコステ信仰は最初から黙示的信仰だった。
・ 神が裁き手であるという信仰は、人間が復讐する必要がないという平和主義を産む。
神が審判者だからこそあらゆる戦争を放棄する。
・ 賛美としての祈り。黙示録は賛美の祈りに満ちている。
・ わたしたちの地上の礼拝が天上の礼拝につながっているという意識。
・ 世の中に流されない。むしろ黙示録の幻はこの世のすぎゆくありさまを映し出す。
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