忠実であり続けなさい

待降節第 1 主日(Lectio Divina B 年)
11 月 30 日 待降節第 1 主日
忠実であり続けなさい
マルコによる福音書 13 章 33 ~ 37 節
33「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからで
ある。34 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番
には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。35 だから、目を覚ましていなさい。
いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分か
らないからである。36 主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。
37 あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
他の朗読:イザヤ 63:16, 17, 19, 64:2 ~ 7 詩編 80:2, 3, 15, 16, 18, 19 Ⅰコリント 1:3 ~ 9
Lectio …読む
私たちは待降節というこの素晴らしい季節の準備を、イエスの誕生からではなく、主の再臨を待ち
望むことから始めたいと思います。
マルコ 13 章の冒頭において、終末の時、自身が地上に戻ってくる前に何が起こるのかについて、
イエスはとても大切な真理を教えています。これから起こることについて幾つかのヒントが示される
一方で、イエスは明らかに私たちの注意を「それがいつ起こるのか」という不毛で対立を招く事柄を
推測することにではなく、誠実な奉仕へと向かわせています。
そのためイエスは、私たちが目を覚まして、与えられた使命を忠実に行い続けるようにと説くこと
で、自身の再臨についての教えを締めくくっています。このことを私たちがより理解できるように、
イエスは僕たちに仕事を割り当てて旅に出る主人のたとえを用います。主人がいつ帰ってくるのか、
確かには誰も知らないのです。
Meditatio …黙想する
今日のたとえの一番大事なメッセージは何でしょうか。イエスが帰ってくるとき、我々が任された
仕事をしていることを見ることをイエスは望んでいるのでしょうか。
たとえの中で、僕たちはそれぞれ「仕事を割り当てて責任を持たせ」(34 節)られています。イエ
スはキリスト者全体にどのような「仕事」を与えたのでしょうか。あなた個人には、どのようなこと
を任せられていると思いますか。
あなたが他のキリスト者と、イエスの再臨がいつかという議論をした場合、どうなると思いますか。
そのような議論をすることと、イエスのたとえのように、私たちが使命の責任を果たすことに忠実で
あり続けることの大切さと比較してみてください。どちらが建設的でしょうか。
マルコ 13 章は私たちに、この世界はいつか終わりを迎えるということを思い出させてくれていま
す。私たちは過ぎ去っていく一時的なものに多くの時間を費やしてはいないでしょうか。
Oratio …祈る
神を賛美しましょう! いつかイエスは限りない力と栄光の内に再臨し、歴史の終わりは神の御手
に委ねられます。
神の赦しをまだ受け入れていない人々のために祈りましょう。聖霊が彼らにイエスを明らかにし、
待降節第 1 主日(Lectio Divina B 年)
彼らがイエスの恵みと慈しみに応えることが出来ますように。
あなたが神に仕え、神のみ旨を行うことが出来るよう、必要な恵みと力を願いましょう。神があな
たを疲れや落胆から守ってくださいますように。
Contemplatio …観想する
今日の典礼の朗読はイザヤとⅠコリントからです。第一朗読のイザヤ 63 章と 64 章は壊れてしまっ
た神との関係の修復を求める、人々の嘆きの訴えです。神からの特別な愛と信頼を知っていながら、
イスラエルの民は繰り返し神から離れていきました。私たちもそれぞれの人生において、彼らと同じ
轍を踏んでいる、と思うときがあるでしょう。イエスが地上にこられたのは、私たちにやり直す方法
を教えるためです。悔い改めは神との関係を修復します。神を称えましょう!
Ⅰコリント 1 章 3 ~ 9 節は私たちに勇気を与えてくれます。人生の旅路においてキリスト者として
の生き方を貫こうとするとき、私たちは決して放っておかれているのではないことを思い出させてく
れます。私たちはキリストによって与えられた霊的豊かさに与ることができるのです。イエスが再臨
するときまで私たちが忠実であり続けることができるよう、イエスは我々の人生に常に働きかけてく
れているのです。