上原記念生命科学財団研究報告集, 23(2009) 101. 神経細胞の一次線毛の構造と機能に関する細胞生物学的研究 竹田 扇 Key words:一次線毛,神経細胞,細胞内情報伝達,プ ロテオーム *山梨大学 大学院医学工学総合研究部 医学学域 解剖学講座第 2 教室 緒 言 神経細胞での情報伝達は通常,樹状突起,神経細胞体,軸索という流れに従っており,次の神経細胞や効果器への伝達は シナプス或いは神経筋接合部という高度に分化した構造を介して行われている.ここでの情報伝達は「全か無」というディジタ ルな様式であると考えられている.一方,神経細胞には一次線毛と呼ばれる感覚線毛が存在し,これが神経細胞外の環境変 化を感知して神経細胞の機能を微細に修飾している事 (アナログ修飾といえるかも知れない) が予想される.一次線毛は,哺 乳類に於いてからだの左と右を決定する細胞小器官として近年再発見され 1,2) ,その生物学的重要性が改めて認識された細胞 小器官であるが,神経細胞でどのようにして一次線毛が形成され,その機能がどの様なものであるのかは不明である.本報告 書では,(1) 神経細胞の一次線毛が形成される時間的変化,(2) 一次線毛を刺激した際に見られる細胞内 Ca++濃度の変 化,(3) 神経系の細胞の一次線毛のプロテオーム解析,の 3 つに関して現在までに得られている知見を紹介する. 方法および結果 初代培養海馬神経細胞を用いて一次線毛形成の経時的変化の観察と,一次線毛上の受容体分子のリガンド刺激に依る細胞 応答の観察を行った.この時の Ca++濃度の変化のモニターは Fluo-3 を用いて行った.また,一次線毛のプロテオーム解析用 にはブタ脈絡叢を材料として用いて線毛分画を採取し,現在 LC-MS/MS (Liquid Chromatography Mass Spectrometry) で解析を行っている. 1. 初代培養海馬神経細胞の一次線毛形成の経時的変化と超微細形態 生後 1 日目のマウス新生児から海馬神経細胞を培養し,培養開始後 1,3,5,7,10 日経過後に細胞を4%パラホルムアルデヒド で固定し,抗 MAP2 (Microtubule Associated Protein 2) 抗体,抗アデニル酸シクラーゼ抗体で二重染色を行い,同時 に DAPI(diamidino-2-phenylindole)で核染色を行った.一次線毛は培養開始後 1 日位から確認されはじめ,7 日でほぼ 80%の細胞に見られるようになった.線毛の長さは 5μm 位であり細胞体から伸長していた.この構造を透過型電子顕微鏡で観 察すると,軸糸構造が 9+0 でありこの線毛が一次線毛である事が確認された.神経細胞に於ける一次線毛は細胞 1 個当たり 1本であった. *現所属:山梨大学 大学院医学工学総合研究部 医学学域 解剖学講座 細胞生物学教室 1 図 1. 初代培養海馬神経細胞の一次線毛形成の経時的変化. 一次線毛は培養開始後 7 日でほぼ 80%の細胞に形成されている様子が確認された. 2. 神経細胞一次線毛の MCH (Melanin Concentrating Hormone) 刺激に依る細胞応答 1 μM の fluo-3 で培養神経細胞を標識した後,残存 fluo-3 を洗浄し,5 秒毎に time-lapse image を撮った.100 フレ ームの直後にリガンドを含んだ液を最終濃度が 100nM になる様に加え,150 フレームまで細胞内の Ca++濃度の変化を計測し た.この結果,一次線毛上の受容体分子に対するリガンドの一つである MCH を加えると,30 秒ほど遅れて細胞内カルシウム 濃度の上昇が見られたが,MCH を加えない時にも同様の変化が記録される事があった.今後,TTX (tetrdotoxin) などを 併用して神経細胞の自発的な興奮を抑制した上で MCH の一次線毛を介した神経細胞への効果を検討していく予定である. 3. 神経系細胞の一次線毛プロテオーム解析 ブタ脈絡叢から蔗糖密度勾配遠心法を用いて,一次線毛分画を精製した.この分画を抗アセチル化チュブリン抗体で染色 すると,多数の一次線毛が観察され,また電子顕微鏡でも純度の高い一次線毛分画である事が確認された.この分画をトリプ シンで限定分解し,LC-MS/MS を用いてそこに含まれている分子の同定を行っているところである. 考 察 一次線毛は細胞分裂周期と密接に関係しており,一般に分裂系の細胞では G0 期に入らないと一次線毛は形成されない 3). 神経細胞は分裂能を有さない細胞であるが,培養開始直後では一次線毛を有するものが少なく 1 日目でほぼ 30%程度であっ た.これは神経突起の伸長とも関連している様で,培養開始後 7 日目で Banker のステージング5に到達すると 80%以上の細 胞に一次線毛が存在していた.従って,今後神経細胞の軸索形成と一次線毛の関係に就いて,神経細胞の機能発現に必須 である軸索輸送の観点から検討を行っていく必要があると考えられる. また,線毛形成が阻害される疾患の代表として Bardet-Biedl 症候群 (BBS) があるが 4),この疾患では知能障害,肥満な ど中枢神経系の異常に起因すると考えられる症候が存在する.神経細胞の一次線毛は種々の受容体分子を発現しており,そ の種類が神経細胞の機能をある程度規定している可能性がある.今回,MCH 受容体を神経細胞の一次線毛で同定し,その 影響を検討したが,上述の様に少なくとも幾つかの細胞でカルシウム濃度の変化が起こる事が観察された.MCH は視床下部 の神経細胞に於いて L-, N-, P/Q-タイプの電位依存性カルシウムチャネルを抑制する事が報告されており 5),今後微小電極 などを用いて一次線毛近傍へのリガンド投与を行い,一次線毛を介したシグナル伝達がどのようにして神経細胞の機能を変化さ せ,その後の表現型を表出させるかを電気生理学的手法を用いて検討していく予定である.これらの解析を通じて神経細胞の 興奮性と BBS の神経・精神症状の関係を解明していく予定である. 2 最後に,神経細胞の一次線毛の機能を解明していく上でその膜上に存在する分子群を同定する事は必須である.網膜光受 容細胞の一次線毛 (則ち桿体の部分) プロテオームは報告されているが 6),これは余りにも特殊な細胞であり,神経系の一次 線毛を代表するとはいえない.従ってここでは,脈絡叢上皮細胞をモデルとして一次線毛のプロテオーム解析を行う事にした. 現在進行中の解析が終了すると一次線毛に備わっているエフェクター分子の全貌が明らかとなり,今後の神経系に於ける一次 線毛の研究が飛躍的に進行する事が期待される. 謝辞 本研究のうちカルシウムイメージングにご協力戴いた東京大学大学院医学系研究科の岡部繁男教授,西井清雅助教に感謝 致します.また,本研究は山梨大学大学院医学工学総合研究部解剖学講座細胞生物学教室の成田啓之助教と共に行いまし た.最後に,本研究に助成を頂きました上原記念生命科学財団に深謝致します. 文 献 1) Nonaka, S., Tanaka, Y., Okada, Y., Takeda, S., Harada, A., Kanai, Y., Kido, M. & Hirokawa, N.: Randomization of left-right asymmetry due to loss of nodal cilia generating leftward flow of extraembryonic fluid in mice lacking KIF3B motor protein. Cell, 95: 829-837, 1998. 2) Takeda, S., Yonekawa, Y., Tanaka, Y., Okada, Y., Nonaka, S. & Hirokawa, N.: Left-right asymmetry and kinesin superfamily protein KIF3A: New insights in determination of laterality and mesoderm induction by kif3A-/- mice analysis. J. Cell Biol., 145: 825-836, 1999. 3) Molla-Herman, A., Boularan, C., Ghossoub, R., Scott, M.G., Burtey, A., Zarka, M., Saunier, S., Concordet, J.P., Marullo, S. & Benmerah, A. Targeting of beta-arrestin2 to the centrosome and primary cilium: role in cell proliferation control. PLoS ONE 3: e3728, 2008. 4) Badano, J.L., Mitsuma, N., Beales, P.L. and Katsanis, N. & The ciliopathies: an emerging class of human genetic disorders. [Review] Annu. Rev. Genomics. Hum. Genet., 7: 125-148, 2006. 5) Gao, XB. & van den Pol AN.: Melanin-concentrating hormone depressed L-, N-, and P/Q-type voltage-dependent calcium channels in rat lateral hypothalamic neurons. J. Physiol., 542: 273-286, 2002. 6) Liu, Q., Tan, G., Levenkowa, N., Li, T., Pugh, E.N., Jr., Rux, J.J., Speicher, D.W.& Pierce, E.A.: The proteome of the mouse photoreceptor sensory cilium complex. Mol. Cell. Proteomics., 6:1299-1317, 2007. 3
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