学校法人専修大学(地位確認等反訴請求控訴)事件

大
第7回 学校法人専修大学
(地位確認等反訴請求控訴)事件
学校法人専修大学(地位確認等反訴請求控訴)事件
(東京高裁 平25.7.10判決)
業務上疾病(頸肩腕症候群)により休職中で労災保険給付(療養補償給付・休業補償
給付)を受けている従業員に対し、労働基準法81条の打切補償を支払って行った解雇
について、解雇は無効であるとして、労働契約上の地位確認請求が認容された例 掲載誌:[一審]東京地裁 平24.9.28判決 労判1062号5ページ
※裁判例および掲載誌に関する略称については、こちらをご覧ください
1 事案の概要
原告(反訴被告。学校法人専修大学、以下「Y大学」)が、同大学の従業員であって、業
務上疾病(頸肩腕症候群)により休職し労災保険給付(療養補償給付・休業補償給付)を
受けていた被告(反訴原告。以下「X」)に対し、Xの休職期間満了後に労働基準法(以
下「労基法」)81条の打切補償を支払って行った解雇(以下「本件解雇」)は有効であ
るとして地位不存在確認を求める訴えを提起したところ、Xが、本件解雇は労基法19条1
項本文に違反し無効であるとして、地位確認および不当解雇等を理由とする損害賠償を求
める反訴を提起した事案である。本件はその反訴請求の控訴審である。
[1]本判決の認定した事実
概要は以下[図表]のとおり。
年月日
事実
H14.3
Xが肩こり等の症状を訴えるようになる。
H15.3.13
Xがクリニックを受診し、「頸肩腕症候群(右胸郭出口症候群、左手指病変)」に罹
患(りかん)しており(以下「本件疾病」)、「症状所見著明」「当面2か月間の休
業通院加療」を要するとの診断を受けた。
H15.5.1~
Y大学はXを従前と異なる課に異動させたものの、本件疾病を原因とする欠勤が続
H16.6.2
き、症状に改善の兆しはなかった。
H15.5.1~H15.6.2の欠勤は「有給休暇」として処理された。
H16.6.3
Y大学は、その後のXの欠勤(H15.6.3~H16.6.2)は就業規則に定める私傷病によ
る「欠勤」に当たるとして、Xを1年間の私傷病「休職」に付した。
H17.5.13
Xは、「頸肩腕症候群」「症状改善が進み就労可能……ただし勤務諸条件について十
分な配慮が必要」との診断を受けた。
H17.6.3
Y大学は、上記診断により、Xを復職させた。
H17.12~
Xは、完治していなかった本件疾病により、業務に従事することができなくな
H19.3.31
り、H18.1.17から長期欠勤を余儀なくされたことから、H19.3.31付でY大学を退
職した。
H19.11.6
中央労働基準監督署長は、H15.3.20の時点で本件疾病は「業務上の疾病」に当たる
ものと認定(以下「本件労災認定」)し、上記欠勤中のXに対し、労災保険給付(療
養補償給付・休業補償給付等)の支給を決定した。
H20.6.25
Y大学は、本件労災認定を受け、XのH19.3.31付退職を取り消し、同日にさかの
ぼってXを復職させた(もっとも、Xは勤務できる状態ではなかったことから、引き
続き欠勤した)。
また、Y大学は、本件労災認定を踏まえ、Xの本件疾病に基づく欠勤・私傷病休職に
ついても、遡及的に「学校法人専修大学勤務員災害補償規程」(以下「本件災害補
償規程」)に基づく労働災害による「欠勤」に当たるものと認定した。
H21.1.17
Xが長期欠勤を開始してから、本件災害補償規程に「欠勤」期間として定められた3
年が経過したものの、本件疾病の状態にほとんど変化はなく、「就労できない」状
態が続いたため、Y大学は、本件災害補償規程に基づき、Xを2年の業務災害「休
職」(以下「本件業務災害・休職」)に付した。
H21.12.8
Xは、本件業務災害・休職期間中に、「頸肩腕症候群」「診断主文 療養、治療によ
り、症状・所見は改善し、下記の注意・配慮のもとで就労可能と見なします」との
診断を受けたことから、Y大学に診断書を提出し、職場復帰訓練としてリハビリ就労
を目的とする復職を求めた。
H22.1.29
Y大学の指示により、同大学の産業医がXと面談したところ、当該産業医は「右肩上
がりに改善は、現時点では、難しいと思われるので、まず、短縮業務にて復職し、
その後については、業務再開後再度検討が必要と思われる」との報告書をY大学に提
出した。
Y大学は、当該報告書の内容等を踏まえ、Xの復職は認められないと判断した。
H23.1.17~
本件災害補償規程に定められた本件業務災害・休職の期間(2年)が経過したことか
H23.10.29
ら、Y大学は、Xに対し、復職を可能とする客観的資料の提出を求めたが、Xはこれ
に応じず、復職が不可能であることを前提として「訓練」としての「リハビリ就
労」を要求した。
そこで、Y大学は、本件業務災害・休職期間の満了は本件災害補償規程に定める解雇
事由に該当すると判断し、H23.10.24、労基法81条に基づき打切補償金として
1629万3996円をXに支給した上、解雇の意思表示を行い、当該意思表示
は、H23.10.29、Xに到達した。
[2]主な争点
本件の争点は、①本件解雇の有効性((ⅰ)労基法19条1項の解雇制限に違反するか、
(ⅱ)違反しないとしても、労働契約法16条の解雇権濫用法理が適用され無効とならな
いか)、②一連の手続きの中でY大学がXに対して行った解雇および本訴の提訴等が不法
行為に該当するか否かである。
本稿では、上記争点のうち、主な争点として検討・判断がなされている①(ⅰ)について
取り上げる。
Xは、当該争点について、労基法81条の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」
とは、使用者自らが負担する療養給付等の支給を受けている労働者に限られ、労働者災害
補償保険法(以下「労災保険法」)により労基法上の災害補償に相当する給付の支払いを
受けている労働者は含まれないなどと主張した。
一方、Y大学は、業務上負傷し、または疾病にかかり、労災保険法により療養補償給付・
休業補償給付を受けている労働者は、労基法81条の「第75条の規定によって補償を受け
ている労働者」に該当し、使用者は平均賃金1200日分の打切補償を支払うことにより、
労基法19条1項本文による解雇制限の適用を免れることができるなどと主張した。
第1審において、裁判所は、Xは労基法81条の「第75条の規定(療養補償)によって補償
を受ける労働者」に該当しないと判断し、本件解雇は無効であるとしたため、Y大学が控
訴した。
2 判断
本判決は、主に以下の理由から、労災保険法により療養補償給付・休業補償給付を受けて
いる労働者は、労基法81条の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」に該当しな
いと判断し、Y大学の控訴を棄却した。
[1]労基法81条は、同法の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」が療養開始
後3年を経過しても負傷または疾病が治らない場合、打切補償を支払うことができる旨を
定めており、労災保険法に基づく療養補償給付・休業補償給付を受けている労働者につい
ては何ら触れていない。
また、労基法84条1項は、労災保険法に基づいて災害補償に相当する給付がなされるべき
ものである場合には、使用者はこの災害補償をする義務を免れるものとしているにとどま
り、この場合に使用者が災害補償を行ったものとみなすなどとは規定していない。
[2]労基法19条1項ただし書前段の打切補償の支払いによる解雇制限解除の趣旨は、療
養が長期化した場合に使用者の災害補償の負担を軽減することにあると解されるため、療
養開始後3年を経過しても負傷または疾病が治らずに労働ができない労働者に対し、①労
基法上の災害補償を行っている場合には打切補償を支払うことにより解雇することが可能
となるが、②労災保険法に基づく療養補償給付・休業補償給付がなされている場合には打
切補償の支払いによって解雇することができない――との差が設けられたことは合理的で
ある。
②の場合、雇用関係が継続する限り、使用者は社会保険料等を負担しなければならない
が、使用者の負担がこうした範囲にとどまる限りにおいては、症状が未だ固定せず回復す
る可能性がある労働者について解雇制限を解除せず、その職場への復帰の可能性を維持し
て労働者を保護する趣旨によるものと解されることから、使用者による社会保険料等の負
担が不合理なものとはいえない。
[3]上記のように解すると、①療養開始後3年を経過しても負傷または疾病が治らずに
労働ができない労働者について、傷病補償年金の支給がされている場合には打切補償を支
払ったものとみなされて解雇が可能となるのに対し、療養補償給付・休業補償給付の支給
がなされているにとどまる場合には使用者が現実に打切補償を支払っても解雇することが
できないという大きな差が生じることとなる。
しかし、①負傷または疾病の症状が厚生労働省令で定める重篤な傷病等級に該当する場合
(編注:傷病等級1級ないし3級に該当する常態として労働不能な状態の場合)は、復職
の可能性が低いものとして雇用関係を解消することを認めるのに対し、②症状がそこまで
重くない場合には、復職の可能性を維持して労働者を保護しようとする趣旨によるものと
解されるのであって、上記のような差異も合理的である。
3 実務上のポイント
労働災害を被った労働者の解雇制限等を定める労基法19条では、その制限が解除される
ケースについて、ただし書きにおいて、①同法81条による打切補償が行われた場合
と、②天災事変その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となった場合の二つ
に限定している。本判決は、このうち前者に該当するケースについて、負傷または疾病の
療養開始から3年を経過してもなお療養が必要な労働者に対し、①労基法75条による療養
補償を行っている使用者が打切補償を支払う場合か、②労災保険法上の傷病補償年金が支
給されることとなった場合(労災保険法により打切補償を支払ったものとみなされるた
め)に限定した。
一般に、労働災害が発生した場合において、(ⅰ)労災保険法上の療養補償給付が受けら
れること、また、(ⅱ)被災した労働者が休業する場合でも、休業4日目以降は労災保険
法上の休業補償給付が受けられること(休業特別支給金も支給される。なお、労災保険の
適用がある場合であっても、使用者は休業する最初の3日間については労基法76条に基づ
く責任を負う)、(ⅲ)労災保険は政府が管掌する保険制度であり使用者の資力に関係な
く、確実に、療養の費用その他の給付等を受領できること等の理由から、労働者が使用者
から労基法上の療養補償を受けることはまれであり、通常、労災保険法に基づく保険給付
を受ける。
そして、労働者が労災保険法に基づく保険給付を受けている場合、使用者は労基法75条
による療養補償を免責されるため、打切補償を行おうとしても当該補償を履行することが
できなくなることから、労基法上の打切補償が実際になされることは、実務において少な
い。
したがって、本判決を前提とする限り、労基法81条の打切補償を支払うことによって同
法19条1項本文の解雇制限を解除される労働者は極めて限定されることとなる。
本判決の結論が維持されたまま確定すれば、使用者は、上記①・②の労働者以外は打切補
償を支払って解雇することができないことになり、実務に大きな影響を及ぼすものと考え
られる。
なお、Y大学は本控訴審判決を不服として上告を行ったようである。
【著者紹介】
清水池 徹 しみずいけ とおる 森・濱田松本法律事務所 弁護士
2009年同志社大学法学部卒業、2010年弁護士登録。
◆森・濱田松本法律事務所 http://www.mhmjapan.com/
■裁判例と掲載誌
①本文中で引用した裁判例の表記方法は、次のとおり
事件名(1) 係属裁判所(2) 法廷もしくは支部名(3) 判決・決定言渡日(4) 判決・決定の
別(5) 掲載誌名および通巻番号(6)
(例)小倉電話局事件 (1) 最高裁(2) 三小(3) 昭43.3.12(4) 判決(5) 民集22巻3号(6)
②裁判所名は、次のとおり略称した
最高裁 → 最高裁判所(後ろに続く「一小」「二小」「三小」および「大」とは、そ
れぞれ第一・第二・第三の各小法廷、および大法廷における言い渡しであることを
示す)
高裁 → 高等裁判所
地裁 → 地方裁判所(支部については、「○○地裁△△支部」のように続けて記載)
③掲載誌の略称は次のとおり(五十音順)
刑集:『最高裁判所刑事判例集』(最高裁判所)
判時:『判例時報』(判例時報社)
判タ:『判例タイムズ』(判例タイムズ社)
民集:『最高裁判所民事判例集』(最高裁判所)
労経速:「労働経済判例速報」(経団連)
労旬:『労働法律旬報』(労働旬報社)
労判:『労働判例』(産労総合研究所)
労民集:『労働関係民事裁判例集』(最高裁判所)