メキシコの小児外科医 - Ken Kimura.com

航跡 10「臨床外科」
(医学書院)第 52 巻、第 6 号、1997-06、PP.750-751
Doctrina
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航跡 10
メキシコの小児外科医
木村 健(アイオワ大学医学部外科)
1984 年のメキシコ小児外科学会は、メキシコシティーから西に 1 時間程飛んだグアダラハラで開か
れた。2 年前のグアダラハラ初訪問に続いて、こんどは小児外科学会のメインゲストとして招いてもら
い、アミーゴ達と懐かしい再会をした。アミーゴ達というのは、“悪性”アレオラに率いられたグアダ
ラハラ小児病院の外科チーム 10 名。ドクトールアレオラは本名をペニグノアレオラというが、“ペニ
グノ(良性)
”とは誰一人として呼ぶものはない。みんなに“マリグノ(悪性)
”と呼ばれている。一旦
話しだすと演壇から引きずり下ろされるまでしゃべりつづける点が“悪性”と呼ばれる理由だそうだ。
学会の前夜祭は 10 人ほどのマリアッチが奏でるラテンミュージックに乗ってはじまった。400 人ほ
どの出席者の殆どはカミさんや恋人連れで休養かたがたの学会参加であるから、パーティが盛り上がら
ぬわけがない。突然会場が暗くなり、ドラムの連続音とともにスポットライトがステージ中央に立つバ
ンドリーダーに当てられる。ソンブレロを頭に載せ鼻下に八の字ヒゲを蓄えた男が、
「ドクターキムラ、
グアダラハラへようこそ」と流暢な日本語を発するのである。つづいて、「今日は日本の神戸からやっ
て来た特別ゲストシンガーに、いま日本で大流行の『雨に咲く花』を唄ってもらいます」とアナウンス
するではないか。何たる不意打ちとアミーゴ達を恨んでみてもときすでに遅し。ステージ中央にひっぱ
り上げられ、マリアッチをバックに、
「及ばぬことと、あきらめました……」と唄わざるをえなくなった。
駆けつけ三杯ならぬマルガリータのガブ飲みで、すでに出来上がっていたからよかったものの、とても
素面でできることではない。東京で講演すること 10 数回に及ぶというマリアッチの面々、そこは心得
たもので、リズム音痴に上手く合わせてくれて、学会第 1 回目のステージを無事に終えることができた。
翌朝 8 時、テキーラの残りで痛む頭ながら「食道閉鎖症の治療」の特別講演をするため会場に着い
てみると、スライド係が 1 人いるだけである。会場の向かいを見ると、パテオから何人もが手を振って
招いている。
「開会の時間ではないの」
「なあに、時間が来たらそのうち開会になりますよ。それより朝
食はまだでしょう。さあ、座って一緒に食べましょう」
。結局、始まったのは 2 時間遅れの午前 10 時。
まさにアスタマニアーナの世界であった。
アスタマニアーナは、
「またあした」と訳しているが、その本意は「どうにでもなれ」というところ
らしい。「スペインやアメリカにいじめられ、メキシコの人々はいつの間にか無念の涙をアスタマニアー
ナで偲ぶことを憶えたのですな。だから、メキシコの音楽はマイナー(短調)でうら淋しいメロディが
多いでしょう」。なるほど、日本の演歌と共通する心情が底流にあるのだと感心した。
2 時間遅れで始まった学会は 5 時前になると、当日発表が予定されていた 8 題を残したまま打切り。
パーティ疲れで昼間は死んだ魚のような眼をしているアミーゴ達も、夕方になると目が輝いてくる。会
期中連夜のパーティーは午前 3 時、4 時にも及び、これでは疲れて午前中のセッションに座長以下全員
が欠席しても不思議はない。
よその国の学会を日本の常識に照らし合わせて批判するのは間違いである。日本では学会は 1 分 1
秒の狂いもなく進行し、演者は限られた短い時間内に発表を終え、まかり間違っても演題の打切りな
どあってはならぬ。参加者は上下ダークのスーツの男ばかりで、会長の勢力を象徴するかの如く、パー
ティーでは山海の珍味を並べたテーブルに氷の彫刻その上コンパニオンの女性達にかしずかれながらあ
ちこちでポリスティックのひそひそ話。これが異様と思わぬなら、アミーゴスタイルの学会を異様と思っ
てはいけない。常識はそれぞれの社会で違うのである。
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航跡 10「臨床外科」
(医学書院)第 52 巻、第 6 号、1997-06、PP.750-751
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1982 年にグアダラハラに初めて来たとき、なんと美人の多い街だろうと思った。1 週間の滞在中、
午前中は大学で講義、午後はグアダラハラ小児病院で手術というスケジュールであった。仕事を一緒に
してみると学会でパーティーに虚けているアミーゴとは全く違う姿を見ることができた。
丁度生後 63 日目の胆道閉鎖症の子供が入院して Kasai 手術を見せてくれと頼まれた。メキシコでは
それまで Kasai 手術は 1 例も行われたことがないとのことであった。さて当日、手術場に入ってみる
と、意外にもギャラリーがいないのだ。アシスタントの外科医、手洗いのナース、それに麻酔医まで英
語のできない連中ばかりを相手に、葛西森夫教授に教えていただいた直伝の Kasai 手術を施行した。一
体見物人は何をしているのだろう。昨日まであれほど熱心にスライドを見て質問をくり返していたのに
といぶかりながらも、手術は淡淡と進んでいく。言葉の通じ合わないチームと一緒に手術をするのはな
にもこれが初めてのことではないが、道具出しや鉤引きのタイミングはどうしても狂いがちである。一
方、悪態の限りをつくしても相手は知らん顔という利点もある。リラックスした気分で、結紮糸がきれ
るたびに Goddamn だの Fxxx だの、遠慮会釈なしに紳士にあるまじき言葉を発しながら上機嫌で手術
を終えたのであった。すると、十数人の人々が室内になだれ込んで来た。あるアミーゴは「すばらしい
手術でした」、別のアミーゴは「別室のビデオで見ていて、手術もよかったが、何よりも新鮮だったの
は、あなたの言葉づかいです。Goddamn だの Fxxx だの、一層身近に感じました」というではないか。
中の 1 人は、「今日の手術のビデオは音声付で編集し、メキシコ中の医学部に配布する予定です」と悪
魔の囁きのようなセリフを吐く。今頃はメキシコ中の大学で「悪態のケン」とでも仇名されているので
はないかと思い出すたびに冷汗の出る思いでいる。1 年後、患児は黄疸もとれて健在と聞いた。
学会が終わったあともグアダラハラのアミーゴ達はおいそれと日本に帰らせてはくれない。3 日間滞
在を延期し、再びグアダラハラ小児病院で手術をすることになった。今度の手術は cloaca(汚膣)の
女児の膣肛門形成術である。この手術は多くの症例で 10 時間を越える長時間を要する。前日、手術室
へ出向いて婦長以下 4 ∼ 5 人のナース達に手術道具を見せてもらった。手術の段取りを彼女達に説明
したあと、
「言いにくいのですが聞いて下さい。膣形成術では、その国の社会の“独自の形態”に合う
ように造るのが一番大切です。だが、残念ながら私はメキシコの御婦人方の“独自の形態”を観察する
機会を持つに至っておりません。そこでお願いがあります。明日はどなたかがボランティアとなって下
さり、この脇にもう 1 台手術台を置いて、その上にあがり、開脚位になっていただき、手術の間中メキ
シコ女性の“独自の形態”の見本をお見せ下さればありがたいのですが……」と真顔で言ってみた。通
訳するアミーゴも一生懸命笑いを抑え、真剣な顔で若いナース達に訳している。意味を知った彼女達の
表情から微笑みが消え去り、戸惑いが浮かぶ。「もういいよ。今のは冗談だといってくれ」
。アミーゴに
言うと、何やらスペイン語で話している。
「何と言った」とたずねると、アミーゴ曰く。
「これはマジで
す。誰かこの役を買って出なさい」といったという。翌日、勿論、“独自の形態”の見本を欠いたが手
術は無事終了したのであった。
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