1 ◆目次 ◆著者について ◆まえがき ◆はじめの祈り ◆第一留 イエス、死刑の宣告を受ける 黙想の栞(しおり) ◆第二留 イエス、十字架を担う 黙想の栞 ◆第三留 イエス、はじめて倒れる 黙想の栞 ◆第四留 イエス、聖母に会う 黙想の栞 ◆第五留 イエス、シモンの助けを受ける 黙想の栞 ◆第六留 ベロニカ、イエスの御顔を拭いてさしあげる 黙想の栞 ◆第七留 イエス、ふたたび倒れる 黙想の栞 ◆第八留 イエス、エルサレムの婦人たちを慰める 黙想の栞 ◆第九留 イエス、またも倒れる 黙想の栞 ◆第十留 イエス、衣をはがされる 黙想の栞 ◆第十一留 イエス、十字架に釘づけられる 黙想の栞 ◆第十二留 イエス、十字架上に死す 黙想の栞 ◆第十三留 イエス、十字架より降ろされ、御母に戻される 黙想の栞 ◆第十四留 イエス、墓に葬られる 黙想の栞 ◆奥付 2 ◆著者について 聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルは、1902年1月9日、スペインのバルバス トロで生まれた。15、6歳の頃、神の呼び掛けを予感し始め、司祭になる決心をする。1918 年、ログローニョの神学校で司祭になるために定められた勉強を開始し、1920年からはサ ラゴサのフランシスコ・デ・パウーラ神学校で勉強を続ける。そこでは、1922年以来、監 督の職を与えられていた。1923年、司教の許可を得て、サラゴサ大学で神学の勉強を妨げ ないやり方で民法の勉強を開始、1924年12月20日、助祭叙階、次いで1925年、司祭に叙階 された。 サラゴサ教区のペルディゲラ小教区で司祭としての仕事に従事した後、サラゴサに移る。 1927年春、大司教の許可を得てマドリードに移転。あらゆる環境の中で司祭職を続ける。 郊外の貧しい人々や恵まれない人々、中でも数々の病院で不治の病に侵された人たちや臨 終を迎える人々の世話をした。聖心の婦女使徒会の福祉事業である病者援護会の主任司祭 職と大学予備校の教授を務めると同時に、当時マドリード大学のみで可能であった法学博 士号取得のための研究を続けていた。 3 1928年10月2日、その時までは予感に過ぎなかったことを、主は明らかにお示しになった ので、聖ホセマリアはオプス・デイを創立。さらに、主の働きかけに応じて、1930年2月14 日、女性の間でオプス・デイの使徒職を始める。こうして教会内に、あらゆる社会階層の 人々が、世間において身分を変えることなく、日常の仕事を聖化することによって、聖性 を追求し、使徒職を行う道が拓かれた。 1928年10月2日以来、オプス・デイ創立者はすべての人の救いを求める熱意に燃えて、神 が託された使命遂行に挺身した。1934年、聖イサベル援助会の主任司祭に任命される。スペ インの内乱中、時に生命の危険を冒しても、マドリード、後にはブルゴスで、司祭職を果 たし続けた。その頃から、聖ホセマリアは長年にわたり過酷な艱難に出遭いながらも、超 自然的な精神をもって心静かに耐えた。 1943年2月14日、オプス・デイと密接に結びついた聖十字架の司祭会を創立。その結果、 オプス・デイの信徒メンバーの司祭叙階とオプス・デイへの入籍が可能になるだけでなく、 後に実現するように、教区に入籍した司祭が自らの地区長(教区司教)のみに従い、司祭 職を行使することによって、オプス・デイの霊性と修徳に参加することができるようにな った。 1946年、ローマに居を定め、以後その地で生涯を全うした。聖ホセマリアはローマから、 世界中にオプス・デイが広がるよう励まし導き、オプス・デイの男女に教理と修徳と使徒職 面で堅固な形成を与えるために全力を傾けた。創立者が逝去した時、オプス・デイは80か 国に6万人以上のメンバーを擁していた。 聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルは、教皇庁の法文解釈評議会や教育省の顧 問、教皇宮廷付高位聖職者、聖庁立学士院名誉会員であり、スペインのパンプロナにある ナバラ大学とペルーのピウラ大学の総長であった。 予てより自らの生命を教会と教皇のために神に捧げていた聖ホセマリアは、1975年6月 26日、逝去。その遺体はローマにある平和の聖マリア聖堂の地下墳墓に安置された。1975 年9月15日、聖ホセマリアの後継者として、長年にわたり聖ホセマリアの右腕として働い たアルバロ・デル・ポルティーリョ神父(1914-1994)が満場一致で選ばれた。 現プレラートゥス(属人区長)も同じように、数十年間、聖ホセマリア・エスクリバー とその最初の後継者であるデル・ポルティーリョ師と共に働いた経験がある。草創期から 教区権威者の許可を得て活動を続けてきたオプス・デイは、1943年のappositio manuumと 称されている認可を始め、聖座の諸認可を受けた後、1982年11月28日、ヨハネ・パウロ二 世教皇によりプレラトゥーラ・ペルソナーリス(属人区)として設置された。 ホセマリア神父は聖人であるという噂が生前から広がっていたが、死後その聖性の誉れ が世界の隅々にまで広がったことは、神父の執り成しに帰せられる膨大な数の霊的物的な 恵みに関する証言によっても明らかである。その中には、医学的に説明不可能な治癒が含 まれている。五大陸から届いた列聖請願書の数も非常に多く、69名の枢機卿、世界の司教 団の3分の1に当たる1300人近い司教がホセマリア神父の列福・列聖手続きを開始するよう 教皇に願った。列聖省は1981年1月30日、手続き開始にnihil obstat「問題なし」の決定 を下し、同年2月5日、ヨハネ・パウロ二世教皇がその決定を批准された。 1981 年と 1986 年との間に、ホセマリア・エスクリバー神父の生涯と諸徳に関する二つ 4 の認知手続きがそれぞれローマとマドリードで行われた。両方の手続きの結果と、列聖省 の枢機卿・司教委員会、神学委員会の賛成意見に従って、1990 年 4 月 19 日、教皇はホセ マリア・エスクリバー神父の諸徳の英雄性を宣言し、尊者の称号を授与した。1991 年 6 月 6 日、教皇は尊者ホセマリアの取次ぎによって治癒したとされる奇跡的な治癒を教令によ って宣言した。それによって、列福に必要な手続きをすべて完了された結果、1992 年 5 月 17 日、ローマの聖ペトロ広場で、ヨハネ・パウロ二世教皇の司式により荘厳な列福式が挙 行された。1992 年 5 月 21 日以来、聖ホセマリアの聖遺骨はオプス・デイ属人区本部にある 属人区長教会・平和の聖マリア教会に安置されてあり、オプス・デイ創立者の模範と教え に惹き付けられた世界中から訪れる大勢の人々の祈りと感謝に付き添われている。 2001 年 12 月 20 日、列聖省が教令によって創立者の取次ぎに帰せられた奇跡を認め、2002 年 2 月 26 日、定例会議に集う枢機卿と司教の意見を聞いた上で、ヨハネ・パウロ二世教皇 は、2002 年 10 月 6 日、ホセマリア・エスクリバー神父を列聖された。 聖ホセマリアの著作には、「ウエルガスの女修道院長」のような神学・法学的研究の他 に、『道』『聖なるロザリオ』『知識の香』『神の朋友』『十字架の道行』『拓』『教会を愛す る』『鍛』などがある。『道』と『聖なるロザリオ』以外は、聖人の死後に出版されたもの。 なお、いくつかのインタービューを収録した「エスクリバー・デ・バラゲル師との対話」 がある。(『』は邦訳あり) 聖ホセマリアについて広範囲にわたる資料をご希望の方は次のアドレスにアクセスし てください。 http://opusdei.jp/ja-jp/ (オプス・デイ公式HP) http://www.escrivaobras.org/ (英語・西語などで) http://www.josemariaescriva.info/ (英語・西語などで) 5 ◆まえがき 「十字架につけられたキリストの御傷のうちに入りなさい」。内的生活のた めの助言を求める人々に、聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルは、自 分の経験をこう伝えていました。自らが歩む地上での近道を教えたのですが、 その道は師をして最高の霊性に導いたのです。イエスヘの師の愛は常にだれも が気付くほどで、たくましく、優しく、神の子としての愛情にあふれ、人の心 をとらええずにはおきませんでした。 キリスト信者の生活は要約すれば、「キリストに従うことだ」と言い、「これ が秘訣だ」と繰り返し説いたオプス・デイ創立者の言葉には、強い説得力があ り、聞く人に強い示唆を与えました。「ちょうどあの十二使徒のように主のす ぐかたわらにつき従い、主と共に生きようではありませんか。ほんとうに身近 にいることによって主とひとつになるのです」。それゆえ、聖書のことばをた えず黙想するよう勧めていましたが、幸運にも師の説教を聞き得た人々は、キ リストのご生活を非常に生き生きと目前の出来事であるかのようにとらえ、 「登場人物の一人になり切って」福音書の場面に浸ることができるのでした。 聖ホセマリアは福音書の中でもイエスの死去と復活の箇所に愛を込めてとど まり、事細かく黙想していました。なかでも、好んでキリストの人性について 観想していました。それは、人々に近づかんとする熱意に動かされて、キリス トが人間的な弱さと全ての神的素晴らしさを啓示してくださっているからです。 「主の受難に関する本を読むようお勧めします。それらの書物には誠実な信心 にあふれ、我々と同じく人であり、そして真の神である御子が世を救うために 自ら苦しみを忍び、愛に生きたことを考えさせてくれるからです」。 実にキ リスト者は、聖母マリアにも出会える十字架のもとにとどまってこそ、信者と して完成され、強められるのです。 カルワリオでの場面を黙想した結果、オプス・デイ創立者は主の受難の黙想 に役立つこの十字架の道行を準備しました。しかし、この真にキリスト教的な 信心を勧めるに当って、強要するつもりは全くありません。それぞれの良心の 自由を愛し、一人ひとりの内的生活に深い敬意を払っていたからです。オプス・ デイの召し出しを受けた人たちに対しても、神がオプス・デイにお与えになっ た精神の中心をなすもの以外で、特定の信心の方法を強制したことは一度もあ りません。 聖ホセマリアの帰天後に出されるこの作品も他のもの同様、祈りに役立てる ため、また神の恩寵に助けられて、痛悔―愛の痛み―と、尊い御血で贖ってく ださった、神への感謝の心を増すための手助けとして準備されたものです。黙 6 想の栞として活用できるよう、神についてのみ話した師の、熱意あふれる説教 や講話から選んだ言葉を集録し、各留のあとに加えました。 十字架の道行は決して悲しい勤めではありません。聖ホセマリアがたびたび 繰り返したように、「キリスト信者の喜びは十字架の形をした根をもっていま す」。キリストの受難は悲しみの道であることは確かですが、それはまた希望 と確実な勝利の道でもあります。師は説教で次のように説明しています。「あ なたが満足していることを主はお望みです。出来るだけ努力をすれば、たとえ あなたの十字架が絶えることはないとしても、この上なく幸せになることがで きるはずです。十字架は単なる刑具ではなく、支配者キリストの玉座になりま す。十字架のかたわらには我らの母でもある聖母がおいでになり、確かな足取 りで御子の後に従うために必要な力を与えてくださるでしょう」。 1981年9月14日 十字架称賛の祝日 ローマにて アルバロ・デル・ポルティーリョ (2015年9月27日より福者アルバロ) 7 ◆はじめの祈り わたしの主、わたしの神、 聖母マリアの慈しみ深い眼差しのもと、 わたしたちの救いの代償として歩まれた苦しみの道を、 あなたと共に歩むつもりです。 あなたの苦しみをすべて忍び、 罪の痛みに泣くわたしたちの哀れな心を お捧げしたいと思います。 まことに罪深いのはわたしたちで、 あなたは罪なきお方であるのに、 8 わたしたちにためにお亡くなりになりました。 わたしの母、悲しみの聖母、 土くれでできたわたしたちが <神の子としての自由と光栄>のうちに過ごすために、 御子が地上でのご生活中お望みになった あの苦しみの時を、 わたしたちが再び<生きる>ことのできるよう、 お助けください。 9 ◆第一留 イエス、死刑の宣告を受ける 10 すでに朝の十時を過ぎたが、確証も得られないまま裁判は終りに近づいた。 裁判官は敵たちが嫉妬のために主を渡したことを知っていた。そこで彼は愚か な手を打つ。強盗と殺人のかどで訴えられている悪人バラバと、キリストと呼 ばれているイエスの、いずれか一人を選べと言うのである。群衆はバラバを選 ぶ。そこでピラトは叫んだ。 「それではイエスをどうするのか」(マタイ27、22)。 「十字架につけよ」と人々は答える。 「しかしこの人がどんな悪事を働いたというのか」。 裁判官は重ねて尋ね た。 群衆は再び、「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫ぶ。 騒動が大きくなるのを恐れたピラトは、水を持って来させ、群衆の面前で手 を洗い、「この人の血について、わたしには責任がない。あなたたちの問題だ」 (マタイ27,24)と言った。 そして、イエスを鞭打たせたあとで、十字架につけさせるため引き渡した。 憑かれたようにたけり狂う群衆も、あたかも神が打ち負かされてしまわれたか のように静まりかえる。 イエスはたったおひとり。神であり人である御方のおことばが人々に光と 希 望を与えていたあの頃、癒された病人のあの長い行列、おとなしい子ロバに乗 った主がお着きになった時のエルサレムでの勝利の歓呼、すべては過去の出来 事となった。もし人々が神の愛に対して別の方法で答えていたなら…。もしあ なたとわたしが主の日を知っていたなら…。 11 黙想の栞(しおり) 1 .ゲッセマニにおけるイエスの祈り。「父よ」(マタイ26、39)。 「アッバ、 父よ (マルコ14、36)。 たとえ苦しみをお送りになっても神はわたしの父であ り、わたしを打ちながらも優しく愛を注いでくださる。イエスは御父の御旨を 果たすために苦しまれる。わたしもまた主のあとに従い、神の御旨を果たした いと思っている。どうして道の途中で出会う苦しみなどに不平をこぼせようか。 その苦しみはわたしが神の子である証拠なのだ。神の御独り子と同じように 扱ってくださるのだから。それなら、主のように、「わたしのゲッセマニ」に おいて一人で嘆き悲しもう。そして、地に平伏し、無に等しい自分の姿を認め る。「わが父よ、御旨のままに」という、心の深奥から出る叫びは主の御前に 届くだろう。 2.捕われ。「時は来た!人の子は罪人達の手に渡される」(マルコ14、41)。 そ れでは、「罪人である人間の時があるのか」。「そう、あるのだ。そして神に は永遠。 イエスの鎖。自らお受けになった鎖、その鎖でわたしをくくり、主と共に苦 しませてください。死の体を屈服させるためである。肉体を滅ぼすか、自分が 卑しくなるか、他に道はない。自分の肉体の奴隷になるよりも、わたしの主の 奴隷になるほうが、どれほどいいことだろう。 3.表向きだけの裁判の間、主は黙しておられる。「イエスは黙り続けておられ 12 たった」(マタイ 26、53)。 その後、カイアファとピラトの質問にはお答え になったが、むら気で汚れたヘロデとはひとこともお話しにならなかった。ル カ23、9参照)。 ヘロデは救い主の御声すら聞き得ないほど不倫の罪で堕落して いたのである。 真理に逆らうような環境においては、黙し、祈り、犠牲を捧げながら待ちな さい。すっかりだめだと思えるような人々でさえ、神への愛に立ち返る可能性 を秘めているものだから。 4.判決が下されようとしている。ピラトはあざ笑っていう。「これがあなたた ちの王だ」(ヨハネ 19、14)。 司祭長たちは憤激して「わたしたちの王はチ ェザルのほかにはありません」(ヨハネ19、15) と答える。 主よ、「あなたの友はどこに」、「あなたの弟子はどこにいるのでしょうか。」 皆があなたを置きざりにした。それは二十世紀も続いている敗走である。わた したちはあなたの十字架、聖なる十字架から逃げてしまう。 流血、苦悩、孤独、人々の救いに対する癒し得ない飢え…すべてあなたの王 威のお伴である。 5.「見よ、この人を!」(ヨハネ19、5)。 傷だらけの主の至聖なる人性を眺 めると、心は震えおののく。 「あなたのからだにある傷はなんですか」と尋ねるなら、主はお答えになる だろう。「これは、わたしを愛している人々の家で加えられた傷である」と(ゼ カリア13、6)。 イエスをごらんなさい。一つひとつの傷があなたをとがめている。むち打ち は、あなたとわたしの罪のためであるから。 13 ◆奥付 十字架の道行 …………………………………………………… 2015 年 9 月 15 日発行(第4版デジタル版) 著 者:聖ホセマリア・エスクリバー 訳 者:新田壮一郎 発行人:中井俊已 発行所: セイドーブックス(ホセマリア出版事業部) 〒659-0095 兵庫県芦屋市東芦屋町 12-12 …………………………………………………… 【表紙と各留の絵】ジャンドメニコ・ティエポロ作「十字架の道行・十二留」(1747 年) ヴェネツィアの聖ポロ教会所蔵。 【各しおりの絵】ビセンテ・ロペス(1772~1850 年)の銅板彫刻画。スペイン国立銅板彫 刻館所蔵。 【はじめの祈り・写真】ミケランジェロ作「サン・ピエトロのピエタ」(1500 年)、ローマ、 サン・ピエトロ大聖堂所蔵 【題 字】安井圭次 本書は、『十字架の道行』1990 年 2 月 22 日第 3 版の改訂電子書籍版です。 本書の第1版(1981年11月22日)は、吉津喜久子と郡山敬両氏の訳をもとに、文体その 他の面で統一した結果、出来上がりましたが、今回の第四版は、オプス・デイの方々の協 力を得て改訂版を準備することができました。心から御礼を申し上げます。 (改訂版編 訳者) 14
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