サントリー文化財団研究助成事業 平成26年度 大原孫三郎・總一郎研究会 プログラム と き:平成26年12月6日(土) 13:00~17:00 ところ:倉敷市民会館 大会議室 一般財団法人 有 隣 会 も く じ ご あ い さ つ ……………… スケジュール 1 ……………… 2 演 …………………… 3 研 究 発 表 …………………… 4 講 展 示 案 内 ………………… 一般財団法人 有隣会のご案内 主 後 …… 10 14 催/一般財団法人 有隣会 援/岡山県、岡山県教育委員会、倉敷市、倉敷市教育委員会 桜美林学園、岡山大学、川崎医科大学、川崎医療福祉大学、 吉備国際大学、倉敷芸術科学大学、くらしき作陽大学、山陽学園大学、 法政大学、早稲田大学 公益財団法人 倉敷市文化振興財団、一般社団法人 岡山経済同友会、 岡山県商工会議所連合会、倉敷商工会議所 OHK岡山放送、山陽新聞社、RSK山陽放送、TSCテレビせとうち、 FMくらしき、倉敷ケーブルテレビ 協 賛/倉敷紡績 株式会社、株式会社 クラレ、株式会社 中国銀行、 公益財団法人 大原美術館、 公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構 倉敷中央病院 協 力/法政大学 大原社会問題研究所、公益財団法人 労働科学研究所、 岡山大学 資源植物科学研究所、社会福祉法人 石井記念愛染園、 社会福祉法人 石井記念友愛社、社会福祉法人 若竹の園 ご あ い さ つ □安井昭夫 (一般財団法人 有隣会 代表理事) 第3回の大原孫三郎・總一郎研究会を皆様のご協力により、倉敷市民会館で開くこ とができありがとうございます。残念ながら会場の手当てが思うに任せず、3回とも 別々になってしまいました。今回の発表内容は孫三郎3報、總一郎2報となりました。 特に将棋棋士 有吉道夫 九段に總一郎と大山名人の将棋を通じての人となりをお 二人の現場での体験からお話しいただくことは楽しみであります。 前二回の研究成果の中で纏まったものは報文の形で発表すべく現在準備中であり、 近々皆様にご覧いただけると思います。大原の理念は世のために新しい企業を起こし、 その成果を広く社会に還元して、より豊かな地域社会を構築することです。現在日本 復活の基本は「地方創生」であると言われており、大原研究はより意義のある事業で あると考えています。皆様の一層のご協力をお願いします。 □大原謙一郎 (公益財団法人 大原美術館 理事長・公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構 理事長) 一昨年からスタートした「大原孫三郎・總一郎研究会」が、このたび第三回の研究 会を開催する運びとなりました。ご支援、ご尽力いただいた多くの方々に心から御禮 申し上げたいと思います。 これまでの二回の研究会では、多岐にわたって活動していた大原孫三郎、總一郎の さまざまな側面に光が当たると同時に、両人が育ってきた倉敷の歴史や風土について の新しい知見も加わり、貴重な成果が積み重ねられてまいりました。発表者の皆様や、 ここまでこの研究会を育ててこられた皆様に、深甚なる敬意を表したいと思います。 今年の発表も、孫三郎・總一郎の新しい表情を浮き彫りにするような興味深いもの がそろっているように感じられます。これらの発表を通じ、孫三郎・總一郎について の理解が一層深まり、それによって彼らの思いが末永く記憶されると同時に、ご参加 いただいた皆様にとっても、この研究会がなにかの糧になることができるとすれば、 これに過ぎる喜びはありません。 この研究会が今後ともますます発展してゆかれますよう、衷心よりお祈り申し上げ ます。 1 2.スケジュール 13:00 ~ 13:02 開 13:03 ~ 13:10 ごあいさつ 一般財団法人 有隣会 代表理事 13:10 ~ 13:18 ごあいさつ 公益財団法人 大原美術館 理事長・公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構 理事長 大原謙一郎 13:20 ~ 14:00 講 将棋棋士 九段 14:10 ~ 14:20 概 要 説 明 14:20 ~ 14:50 研究発表① 味野誠 氏 14:50 ~ 15:20 研究発表② 赤間道夫 氏 15:20 ~ 15:40 会 演 有吉道夫 氏 司会:倉敷芸術科学大学 教授 休 研究発表③ 辻野純徳 氏 16:10 ~ 16:40 研究発表④ 原武治 氏 16:40 ~ 16:55 講 16:55 ~ 17:00 閉 会 挨 拶 * 時任英人 氏 憩 15:40 ~ 16:10 評 安井昭夫 倉敷芸術科学大学 教授 時任英人 氏 一般財団法人 有隣会 副代表理事 大原あかね 研究会終了後、17:30 より倉敷アイビースクエアにおきまして、交流・懇親会を 開催します。ご出席のお申込みをされました方はご移動ください。 2 3.講演 テーマ:大原總一郎さんと将棋 ありよし み ち お 講 師:将棋棋士 九段 有吉 道夫 氏 講師ご略歴(岡山県出身) 師 匠:(故)大山康晴十五世名人 通 算 成 績:1088 勝 1002 敗 昇 段 履 歴:1955 年 四段 1979 年 九段 タ イ ト ル 履 歴:登場回数合計 9 回 棋 聖 1 期(第 21 期-1972 年度後期) 登 場 回 数 名人:1 回(第 28 期-1969 年) 他8回 獲 得 合 計 1期 優 勝 履 歴:優勝合計 9 回 NHK 杯戦:1 回(第 30 回-1980 年度) 他8回 将 棋 大 賞:第 8 回(1980 年度)連勝賞 第 12 回(1984 年度)勝率第一位賞・最多勝利賞 連勝賞・技能賞 そ の 他 表 彰:2001 年 備前市市民栄誉章・倉敷市将棋文化栄誉章 岡山県文化特別顕賞・宝塚市特別栄誉章(第 1 回) 2006 年 旭日双光章受章 2009 年 倉敷市文化章 3 4.研究発表 司 会:倉敷芸術科学大学 教授 時 任 発 表: 英 人 氏 1.味野 誠 氏(倉敷ユネスコ協会 会長) 「大原總一郎とクラシック音楽」 2.赤間 道夫 氏(愛媛大学法文学部 教授) 「労研饅頭誕生と『労働科学』の接点 ―中国人料理人・林樹宝を中心に―」 3.辻野 純徳 氏(㈲ユー・アール設計 相談役) 「大原孫三郎と民藝運動 ―武内潔眞の日記から―」 4.原 武治 氏(早稲田大学大学院商学研究科 非常勤講師) 「早稲田大学における大原孫三郎と原澄治の貢献 ―明治末期・大正期 校友としての交流―」 時任 英人(ときとう ひでと)氏ご略歴 上智大学大学院博士課程修了。博士(国際関係論)。上智大学助手を経て、1995 年 4 月より倉敷芸術科学大学助教授、1999 年 4 月より現職。大学院時代は「犬養 毅研究」で前国連難民高等弁務官緒方貞子氏の指導を受ける。著書『犬養毅-リベ ラリズムとナショナリズムの相剋』 (論創社)、 『明治期の犬養毅』 (芙蓉書房)、 『犬 養毅-その魅力と実像』(山陽新聞社)、『犬養木堂とアジアの人々』(犬養康彦氏、 緒方貞子氏との共著)、など。 4 研究発表1.大原總一郎とクラシック音楽 倉敷ユネスコ協会 会長 味野 誠 1.倉敷公民館 音楽図書室 昭和44年新築の倉敷公民館の三階にあり、倉敷市立図書館の施設として新設。大 原總一郎が設立の発案者であり、多額の寄付金と所蔵されていた「大原コレクション」 SPレコード、約1,900枚を提供され、設立に向けて多大な力を注がれた。氏が 愛用しており、後述のレコードコンサートにも使用されたヴィクトローラ、チニーの 蓄音機も寄贈いただき、現在もSPレコードを再生できる。さらに最近貴重品である SPレコード「大原コレクション」をCDにダビングしている。現在の音楽図書室の 施設、保有資料は、録音メディアの進歩により、別紙の通り多岐にわたり、再生装置、 メディア総数もかなり増え、主なクラシックの曲はほぼ揃っている。 2. 總一郎の回想記 「欧州楽壇の思い出」 昭和11年から13年の三年間に欧州旅行をされ、各都市の有名な演奏会場で、私 たちクラシック音楽ファンにとって、垂涎の的となるような、世界的に有名な管弦楽 団、指揮者、演奏家の実演を鑑賞された記録である。總一郎の回想文を紹介する。 「もう十数年も前の欧州各国での遙かな思い出をたどりつつ、古いプログラムを眺め ては、消えかかった記憶にともかくも形を与えることを始めてから既に数ヶ月を経た。 この回想録が、どれだけの読者にどれだけの興味を持って読まれたかは私の知るとこ ろではないが、私にとっては過ぎし日々を想う機会が図らずも与えられた結果となり、 この結果を持ち得たことに対して「デモス」誌並びに読者の寛容に深く感謝したい。 今思えば、当時第一線で活躍していた人たちももはや多くは過去の人物となり、新人 の出現によって楽団の傾向も戦前とはその趣を異にしようとしている。私の聞いた音 楽会のプログラムを見ても、よくもこんなにいわゆる古典派的な音楽会ばかり聞きに 行ったものだと思う。」 氏の20歳代最後の3年間で、世界的にはドイツでナチスが勢力を広げていた第二 次世界大戦の前夜に当たるが、各都市、演奏会の雰囲気、情景を批評、感想を含めて、 細かく紹介、記録している。總一郎のクラシック音楽愛好の原点だと思う。 3. カラヤン、ウィーン少年合唱団との交流 昭和32年、当時日墺協会会長だった大原總一郎の仲介で、倉敷市はオーストリア 共和国サンクトペルテン市と友好姉妹都市提携を結んだ。その年に戦前、昭和14年 の春、現地ウィーンでベートーヴェンの運命を聞いた、当時フルトヴェングラー指揮 のウィーンフィルが、18年振りにヘルベルト・フォン・カラヤンを指揮者として来 日した。その後41年に再度来日した時、カラヤンを私宅に招いてもてなしている。 同席した彗星で有名な本田實氏が写したスナップ写真が音楽図書室に寄贈されてい る。 また、都市縁組みを契機に、昭和34年11月にウィーン少年合唱団が来倉し、記 念演奏会が行われた。その際、団員を酒津へ招いて交流会を開いている。 5 ヘルベルト・フォン・カラヤン S41年 大原家私邸にて 本田 實 氏 撮影 ウィーン少年合唱団 S34年 酒津にて 4. 国際ホテルでのレコードコンサート 昭和40年4月、クラシック音楽愛好 家である總一郎は、市民のためのレコー ドコンサートを企画、その第一回を倉敷 国際ホテルで開いた。氏は自ら曲目を選 定、プログラムの解説にも当たるという 熱心さで、以後会は毎月開催された。氏 の没後も続き、43年まで開かれ、計 58回、入場者は延べ5,600人余に 達した。 フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー演奏 交響曲第5番ハ短調「運命」 SP版 5.大原總一郞氏を偲ぶSPレコードコンサート 昭和61年7月第1回から平成7年まで、大原總一郎氏を偲ぶSPレコードコンサ ートを倉敷公民館で7回開く。プログラムは前記国際ホテルのコンサートを参考に組 まれた。 ≪略 歴≫ 倉敷市内の小、中学校で41年勤務。大高小学校長を最後に平成元年定年で退職。 倉敷公民館音楽図書室指導員として4年間勤務。元倉敷音楽図書室 室長。その間 大原コレクションを含む所蔵各種レコード等の分類、整理をし、データを4万件ほど パソコンに入力した。現在もそのデータが検索に利用されている。 6 研究発表2.労研饅頭誕生と「労働科学」の接点 ―中国人料理人・林樹宝を中心に― 愛媛大学法文学部 教授 赤間 道夫 【発表要旨】 現在に伝わる労研饅頭は,倉敷労働科学研究所初代所長の暉峻義等(1889-1966) が中国の「饅頭(まんとう)」を半分のサイズにし,少量の砂糖を加えて開発した。 1929(昭和 4)年のこととされている。 暉峻は「「労研饅頭」について」 (『労働科学研究』第 7 巻第 1 号,1930 年)におい て,二度の満州旅行を通じて「饅頭(まんとう)」を知り,研究所で試作したこと, 日本人の口に合う味が出せなかったため「中華国」から料理人・林樹宝を招いて研究 し改良したものが「労研饅頭」であること,を述べている。 「労研饅頭」が世に出るにあたって中国人料理人・林樹宝が貢献したが,林が 1929 (昭和 4)年から 1930(昭和 5)年にかけて倉敷に滞在したこと(暉峻凌三の証言【暉 峻義等博士追憶出版刊行会『暉峻義等博士と労働科学』1967 年】)や松山でも技術指 導したこと(『労研饅頭と共に六〇年』(株)たけうち,1991 年,に林樹宝の写真掲 載)以外の詳しい事情は分かっていない。 発表者が発掘した林樹宝に関する新しい情報は以下のようである。 ・ 1902 年 山東省生まれ 1) ・ 1926-1931 年 労働科学研究所勤務(生化学研究室所属の研究者処遇か) ・ 1931-1949 年 遼寧省の日本人向け病院勤務 2) ・ 1949 年〜?年 北京の中央経済委員会より料理長として招聘 ・ 1985(89?)年 北京にて死去 ・ 倉敷滞在中に山川シズエ(長崎県出身,倉敷紡績勤務)と結婚し,一男(林成基 3)) と孫(四男と一女(林穎))を授かる。林穎と曾孫・劉偲林(九州大学大学院在学 中)は福岡県太宰府市在住。 1) 山東省栖霞県高家荘(林成基による) 2) 撫順砿務局病院(同上) 3) 1930 年 9 月長崎にて出生(同上) 今回の発表では発表者が入手した資料,写真,関係者の証言を紹介し,労研饅頭誕 生に欠かせなかった林樹宝に光を当てる。それでもなお来日前と帰国後の詳細は不明 な点が多い。 本発表が労研饅頭誕生の歴史と暉峻義等の「労働科学」にいくばかりかの新しい知 見を加えることになるだろう。 【略歴】 1952 年宮城県生まれ,1979 年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了,1985 年から愛媛大学法文学部に勤務し講師,助教授(准教授)を経て,現在教授。経済学 史専攻。 7 研究発表3.大原孫三郎と民藝運動 ―武内潔眞の日記から― ユー・アール設計 辻野 純徳 大原孫三郎を軸とする倉敷と民藝運動の由縁は工藝 70 号(1936.10)に武内潔眞寄稿 「結縁の鉢」が最初の記述である。しかし ’26 年 10 月 2 日倉敷文化協会,倉敷さつき会 主催の柳宗悦「木食上人の藝術について」の講演があり,その頃すでに柳を知り,後に 新作民藝の主導者となった吉田璋也が倉紡中央病院に在籍していたことから, 「未だ交を 結ぶに至らず」との三橋玉見年譜( ’41)にもかかわらず,ここを起点とする記述も盛ん である。 「陶説( ’97.4~6)」の「石黒宗磨と民藝運動-大原美術館初代館長武内潔眞日記・武 内宛の宗磨書簡から-小野公久」で日記の存在を知り,倉敷中央病院史の傍証にと借用 した。その中から同院名物の温室の完成が開院一年後であったこと,大原が設計に深く 関わったことなどのほか ’22 年 1 月 15 日「柳夫人独唱会ニ行ク」19 日「柳宗悦講演会」 メモを発見,改めて民藝運動との関わりを追跡してみた。 倉敷の工藝運動は,1927 年 8 月大原が武内を介し児島に命じた「倉敷名産(藝術味ア ル)促進法」に始まる。そして 12 月児島邸増築(無為堂),後藤喜美栄の木工工房の建 設,そして花莚の試作など児島の指導のもと進められた。しかし ’29 年 1 月入院中の児 島の回復の難しいことを知った武内の目に発刊直後の柳宗悦著「工藝の道」が,児島亡 き後の ’30 年 6 月大原夫人を見舞った三橋玉見の目に名産の指導者探しとさつき会バザ ーの運営の思いからか近藤悠三の店が映る。 児島亡き後の工藝運動は ’31 年近藤悠三のバザー出品に始まる,すでに柳の民藝美術 館設立趣意書に名を連ねる富本憲吉に師事した近藤は「工藝の道」の下手物の実物を教 える。折からの紡績不況は 8 月武内を休職,一年後退職とし,時間のある武内はこれら の世話を一手に引きうけることとなり,工藝運動にとっては好運に恵まれる。’32 年大原 父子の山陰旅行は舩木道忠の来倉となり,その直後舩木は柳を知り,柳・河井らの見聞 を武内らに伝え, 「工藝」の発刊も教えたと思われる。新作民藝の吉田璋也へ牛ノ戸の注 文,小山冨士夫の世話で三橋に届けられた浜田庄司の黒土瓶,争って浜田作品への傾倒, そして ’32 年浜田と柳の来倉となり,以来柳を中心とする民藝同人の指導に移る。 大原は 1923 年頃から児島と共に河井寛次郎作品を買求めていたが,’31 年 8 月頃から 数度柳を知り作風の変わる以前の旧作を三橋・林・武内に下げ渡しており,この頃に求 めた石黒宗磨,迦洞無塀らの作品同様大原の許に残っていないという。河井の作品の変 貌から大原の美の規準が大きく変ったと見てよい。これは後の大原本邸,有隣荘などの 改庭とも共通する。 やがて 1935 年 5 月 12 日,日本民藝館のために 10 万円の寄贈となり, 以来民藝運動に深く関わる。今後は武内の目のほか,大原・三橋・林らの目での検証が 望まれる。その時,大原と民藝運動の全てが明らかになる。 〈略歴〉 大阪大学工学部卒業/㈱藤木工務店・倉敷レイヨン㈱・㈱倉敷建築研究所(現 浦辺設 計) ・㈲ユー・アール設計代表取締役を経て相談役/ ’70~ ’75, ’84~ ’89 大阪大学講師 / ’59~倉敷中央病院設計担当/(公財)大阪日本民藝館評議員,日本民藝協会(元)常任 理事,大阪民藝協会(元)会長 8 研究発表4.早稲田大学における大原孫三郎と原澄治の貢献 ―明治末期・大正期 校友としての交流― 早稲田大学 原 武治 本報告は、明治末期から大正期において、早稲田大学校友である大原孫三郎と原澄 治の大学への貢献及び大学との関係を明らかにするものである。また、早稲田大学並 びに大学関係者から得た知見・助言等が、その後の大原孫三郎や原澄治の経営戦略や 社会事業に与えた影響について当時の資料を分析しながら論述する。最後に、大原孫 三郎は大隈重信と性格の上で大いに似ていたとされる点についても考察する。 大原孫三郎は明治 30 年 1 月に東京専門学校(現早稲田大学)入学を目指し上京し た。6 月法律科に入学が決まるが、勉学に励まず、遊蕩を重ね多大な借金をしてしま う。翌年 1 月、義兄の原邦三郎が上京し連れ戻し、借金問題の処理に当る。倉敷に戻 った孫三郎は報徳記・聖書に触れ深く内省し、自己の天職を自覚するようになる。学 校には復帰せず明治 34 年 1 月中途退学した。同月倉敷紡績に入社し、明治 39 年 9 月 社長となり、労働理想主義に基づく経営理念を掲げ実践する。 原澄治は明治 34 年 9 月東京専門学校英語政治科に入学した。明治 36 年 7 月に早稲 田大学(明治 35 年早稲田大学と改称)を卒業し、中外商業新報(現日経新聞)に入 社した。その後故郷に帰り孫三郎の姉・原卯野の娘婿となり、明治 42 年 12 月倉敷紡 績に入社し、大正 4 年 1 月取締役に就任した。以降約 30 年間、孫三郎の公私に亘る 補佐役となった。また、校友として早稲田大学との交流に関わり、大正 2 年 10 月評 議員に就任し、約 30 年にわたり岡山県校友会の発展に尽力した。 明治 44 年 5 月第 60 回「倉敷日曜講演」に早稲田大学大隈重信総長が招聘される。 その年、大原孫三郎は推薦校友となった。また、12 月早稲田大学の浮田和民教授が 「第 4 回倉敷日曜講演付属大講演」に来倉した。浮田教授は全国誌の月刊『太陽』の 主幹でもあり、翌年 2 月号に孫三郎について記載した。また、同年 5 月、孫三郎は早 稲田大学に労働問題の研究調査を委託し、安部磯雄教授が主査となった。大正 2 年 3 月孫三郎は中国民報(現山陽新聞)を買収し、原澄治が社主となり、浮田教授を訪問 して客員を委嘱した。大正 13 年孫三郎は大学への貢献により、校賓に推挙された。 昭和 27 年原澄治は校友誌『早稲田学報』5 月号に「早稲田の生んだ人材 大原孫三 郎」と題し、孫三郎について執筆している。 <略歴> 早稲田大学大学院商学研究科(MBA)非常勤講師 早稲田大学商学部卒業、神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得。倉敷 紡績株式会社製品開発部長後、株式会社倉敷競技場代表取締役社長。早稲田大学校友 会岡山県支部長後、商議員。所属学会 日本商業学会、日本経営学会、経営史学会、 日本消費者行動研究学会、国際ビジネス研究学会。 9 第 3 回大原孫三郎・總一郎研究会企画展示 於 倉敷市民会館第1会議室(12:00~16:00) 大原家に関する書籍たち 〔大山康晴宛大原總一郎書簡〕(倉敷市大山名人記念館所蔵) ①有隣会会員・大原ネットワーク関連書籍 1 『大原社会問題研究所五十年史』法政大学大原社会問題研究所 編 (法政大学大原社会問題研究所、非売品、1970 年) 2 『労働科学の生い立ち 労働科学研究所創立五十周年記念』労働科学研究所 編 (労働科学研究所、1971 年) 3 『労働科学研究所 60 年史話 4 『中國銀行五十年史』創立 50 周年記念誌編纂委員会 編 (中國銀行、1983 年) 5 『倉敷紡績百年史』倉敷紡績 編 (倉敷紡績、1988 年) 6 『大原美術館所蔵品目録』大原美術館 編 7 『倉敷アイビースクエア二十年史』倉敷アイビースクエア 編 創立 60 周年記念』労働科学研究所 編 (労働科学研究所、1981 年) (大原美術館、1991 年) (倉敷アイビースクエア、1993 年) 8 『創立 50 年のあゆみ』 9 『倉敷中央病院 75 周年記念誌』75 周年記念事業委員会 編 (山陽技術振興会、1996 年) (倉敷中央病院、1999 年) 10 『倉敷繊維加工 50 年史』社史編纂委員会 編 11 『若竹の園 (倉敷繊維加工、1999 年) 75 年の保育のあゆみ』若竹の園記念誌編集委員会 編 (若竹の園、非売品、2000 年) 12 『創新 クラレ 80 年の軌跡 1926-2006』 13 『中国銀行八十年史』80 年史プロジェクト 編 14 『倉敷国際ホテル 50 年の歩み』 (クラレ、2006 年) (中国銀行、2011 年) (倉敷国際ホテル、2013 年) 15 『倉敷中央病院 90 周年記念誌』倉敷中央病院 90 周年記念誌編集委員会 編 (倉敷中央病院、2014 年) 16 『岡山大学資源植物科学研究所 100 周年記念誌』 岡山大学資源植物科学研究所 100 周年記念誌編集委員会 著編 (岡山大学資源植物科学研究所、2014 年) 10 ②大原家関係書籍 1 『大原孫三郎父子と原澄治』犬飼亀三郎 (倉敷新聞社、1973 年) 2 『大原總一郎年譜』 3 『わしの眼は十年先が見える―大原孫三郎の生涯―』城山三郎 (クラレ、1980 年、2 冊) (新潮社、1997 年、初出は 1994 年飛鳥新社より刊行) 4 『大原總一郎―へこたれない理想主義者』井上太郎 (中央公論新社、1998 年、初出は 1993 年講談社より刊行) 5 『福祉実践にかけた先駆者たち―留岡幸助と大原孫三郎―』兼田麗子 (藤原書店、2003 年) 6 『大原孫三郎の経営展開と社会貢献』大津寄勝典 7 『大原孫三郎の社会文化貢献』兼田麗子 8 『大原總一郎生誕 100 年記念展 (日本図書センター、2004 年) (成文堂、2009 年) 大原總一郎の美術館創造』大原美術館 編 (大原美術館、2009 年) 9 『大原孫三郎生誕一三〇年記念特別展 大原孫三郎 大原美術館 編 日本美術への眼差し』 (大原美術館、2010 年) 10 『いま、よみがえる大原總一郎の思想』犬島肇 ([犬島肇]、2010 年) 11 『戦後復興と大原總一郎―国産合成繊維ビニロンにかけて―』兼田麗子 (成文堂、2012 年) 12 『大原孫三郎―善意と戦略の経営者』兼田麗子 ③大原家出版書籍 1 『追憶』片山次郎 編 (中央公論新社、2012 年) ([片山次郎]、非売品、1930 年) 2 『大原壽惠子歌集』大原壽惠子 著、三橋玉見 編 3 『化學纎維工業論』大原總一郎 4 『母と青葉木菟(新版)』大原總一郎 5 『夏の最後のバラ』大原總一郎 6 『イヌワシの生態』シートン・ゴードン 著、大原總一郎 訳 7 『大原總一郎随想全集(全 4 巻)』 8 『大原孫三郎傳』大原孫三郎傳刊行会 編 9 『倉敷からはこう見える ([三橋玉見]、非売品、1931 年) (東京大学出版会、1961 年) (春秋社、1964 年) (朝日新聞社、1969 年) (平凡社、1973 年) (福武書店、1981 年) (中央公論事業出版、非売品、1983 年) 世界と文化と地方について』大原謙一郎 (山陽新聞社、2002 年) 10 『大原孫三郎・總一郎研究会報告書』有隣会 編 11 (第 1・2 回、2013・2014 年) ― メ モ - 12 ― メ モ - 13 一般財団法人 有隣会のご案内 沿 革 大原孫三郎は、明治 35 年、信濃毎日新聞に掲載された山路愛山の所論に啓発され 「『高等なる学術の通俗的普及』を目的として広く公衆の知徳を啓発し社会の公益を 増進する」ため「倉敷日曜講演」を創設しました。 この講演会は大正 14 年まで続き、回を重ねること 76 回に及びました。昭和 18 年、 孫三郎が逝去するとその遺志は總一郎に引き継がれ「敬堂会記念講演会」となり、さ らに昭和 43 年、總一郎逝去後は敬堂会を改組した有隣会の主要行事となりました。 明治、大正、昭和と時代を経て平成の世に入り社会は大きく変わり、人々の価値観 も多様化しました。さらに、グローバル化した世界に目を向けると人口問題や地球環 境問題など新たな問題が提起され、人類の生存さえ脅かしております。 このようなとき、倉敷発展の礎を築いた先人、特に大原孫三郎が目指した社会、總 一郎が追及した生き方、企業の在り方を探りそして学び、現代に活かす努力をするこ とが私たちの使命と考えます。 そこで、有隣会は平成 22 年 4 月、孫三郎・總一郎の事績を顕彰し、その志を広く 世に伝えることを目的に一般財団法人として法人格を明確にし、より良い未来を築く ための努力をして参りたいと存じます。皆様方のご理解とご支援をお願い申しあげま す。 再編趣意書 二十一世紀も十年が経過した今、世界では国際社会が直面する諸課題が人類の前に 大きく立ちはだかり、日本社会でも私たちが抱える諸問題が相次いで顕在化していま す。 私たちは、今、新しい模索の時代の入り口に立っているのです。 そのような時、倉敷の大原家が代々継承してきた事業の中に生きている精神は、貴 重な指針を与えるゆるぎない精神遺産であると、私たちは考えます。その精神遺産は、 大原孫三郎、總一郎父子の思想と行動の中で、現代的意義付けを獲得し、今に活きて います。 有隣会は、大原孫三郎、總一郎父子の事績を顕彰し、その志を広く世に伝えること を目的とする会です。ここに集うのは、その「大原精神の理念」で結ばれた精神的隣 人たちです。 私たちは、この有隣会をして、より広く「大原精神の理念」の真髄を極め、これを 後世に伝えるための活力ある組織として再発足させたいと考えます。 その趣意に沿い、ここに、有隣会は、新しい規約を定め、有志を募り、再発足しま す。 平成 22 年 3 月 26 日 設立者 大原 謙一郎 14 一般財団法人 有 隣 会 〒710‐0055 倉敷市阿知2丁目25番33号 TEL(086)434‐6277 FAX(086)434‐6244 Email [email protected] U R L http://yurinkai-kr.or.jp
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