降臨節第 1 主日 A年 聖餐式・説教 2026 年 11 月 27 日 主よ わが岩よ わがあがない主よ わが口のことば みこころにかなわしめたまえ アーメン。 わがこころのおもいを 本日は降臨節第 1 主日です。今日から教会のこよみは新しい年になります。 教会では「新年あけましておめでとうございます」と、ご挨拶しなければなら ないのでしょうが、日本の文化ではなじみませんので、「おはようございます」 とご挨拶いたします。「おはようございます」 わたしたちは、降臨節を「アドベント」と呼んでいます。ラテン語では「ア ドベニオー」と言います。「アド」は「そばに、近くに」という意味で、「ベニ オー」は「来る」という意味であります。その二つの言葉「アド」と「ベニオ ー」が合体されて「アドベニオー」 (近くに来る、到来)という言葉が生まれて きたとされています。そのラテン語の「アドベニオー」から英語の「アドベン ト」という言葉が生まれてきています。それ故に、 「アドベント」は「だんだん やってくる」という意味を持っているのです。 「何がやってくるのか」と言いま すと、 「救い主イエス」あるいは「来臨の主イエス」がやってくるというのです。 「救い主イエス」をワクワクしながら待つ、それが降臨節であるのです。 ちなみに「アドベンチャー」 (冒険)という言葉は、このアドベニオーから生 まれてきたといわれています。何がやって来るのか、何が起こるかわからない、 そのわからない中を、ワクワクしながら期待し、心を躍らせながら進んでいく、 それが冒険「アドベンチャー」だというのです。 降臨節は、11 月 30 日に最も近い日曜日からクリスマス前日までの、4 週間の 期間であります。今日はアドベント・クランツの 1 本目のローソクに火が灯さ れました。主日を迎えますと 1 本ずつローソクの火が増えて行きます。4 週目 は 4 本のローソクに火がともされます。そうしますと、 「救い主イエス」がおい でになるのです。そして、イエスの誕生日である降誕日(クリスマス)を迎え るのです。この 4 週間、こころをワクワクさせながら、こころの準備をし、イ エス・キリスト(救い主)の誕生を待ち続けて行きたいと思います。 一番、最初に今日は、教会のこよみは新年(新しい年の初め)ですといいま した。それも A 年です。教会のこよみは A 年、B 年、C 年の 3 年を1サークル にして繰り返されています。ですから、今日は 3 年の第一日目でもあるのです。 今年は、特別な思いをもって救い主の誕生を迎えたいと思います。 さて、今日の福音書はマタイによる福音書 24 章 37 節-44 節が選ばれていま す。新共同訳聖書では「目を覚ましていなさい」という小見出しが付いていま 1 す。ここでは、人の子(救い主イエス)が来るのは、思いがけない時に来るか ら「目を覚まして待っていなさい」と言っています。 「目を覚ましている」とい うことはどんなことなのでしょう。 「眠らずに、目をあけて待つ」ということな のでしょうか。救い主イエスが来るのは思いがけないときであります。いつ来 られるかわからないのです。それを「目を覚まして待つ」そんなことは肉体的 に無理であります。今日は「目を覚ましている」とはどんなことなのかを、考 えて行きたいと思います。 イエスが「目を覚ましていなさい」と言われた物語は、どのような文脈の中 で書かれているかを見ますと、そのときは、はっきりしています。その場面は、 イエスが十字架に架けられるようになった場面の直前であります。 「目を覚ましていなさい」と、イエスが言われると幕が下がります。そして、 次に幕が上がります。すると、イエスの十字架の物語に移って行くのです。 このマタイによる福音書のこの箇所は、マルコによる福音書 13 章 32 節-37 節の並行記事となっています。マタイによる福音書とルカによる福音書は、マ ルコによる福音書を元本(基盤)にして、自分たちが持っている口伝によって 知らされていた資料を加えて、福音書を書いたとされています。元本であるマ ルコによる福音書 13 章では「目を覚ましていなさい」という言葉で、イエスの 長い終末についての説教が終り、13 章が終わっています。そして 14 章から「イ エスを殺す計略」が始まり、十字架への道へと展開していくのです。マタイに よる福音書は、後に詳しく語りますが、 「目を覚ましていなさい」というイエス の警告の後、マルコによる福音書とは全く違う資料をもって、十字架への道へ と導いていきます。その資料で「目を覚ます」ということを、説明しているよ うです。 ともかく、マタイ、マルコ、ルカの共観福音書は、表現方法は違っても、共 通して「目を覚ましていなさい」とイエスが警告をした後に、イエスの十字架 と復活への道が始まっているのです。それは、 「目を覚ましていなさい」という 言葉をもって、 「わたしは十字架に架けられ死ぬ。しかし三日目に復活する。そ のことをしっかりと「目を覚まして」見つめていて欲しい。そうすれば、あな たたちはその中に救い主を見ることができる」という、イエスの警告であった と考えてもいいのではないかと思うのです。 それにしても、 「目を覚ましている」ということが、どんなことなのかは、は っきりしません。先ほど、マタイによる福音書は、 「目を覚ましている」という ことを明らかにするために、 「目を覚ましていなさい」と「イエスの十字架と復 活」の幕間に、特別な資料を挿入していると言いました。それは 4 つの物語で す。その物語は、 「忠実な僕と悪い僕のたとえ」「10 人のおとめのたとえ」「タ 2 ラントンのたとえ」そして「すべての民族を裁く」であります。 「忠実な僕と悪い僕のたとえ」は「主人が帰って来たときに、僕が言われた 通りにやっていたかどうか」のたとえであります。「10 人のおとめのたとえ」 は、「花婿を迎えるとき、ともし火と一緒に、壺に油を用意していたかどうか」 のたとえであります。そして「タラントンのたとえ」は「預かったタラントン を用いて、タラントンを増やしたかどうか」のたとえですが、 「目を覚ます」と いうことについては、なんとなくわかるのですが、はっきりとはしません。し かし、4 つ目の「すべての民族を裁く」の物語で本当に「目を覚ますとは何か」 が明らかになるのです。 その物語を簡単に説明しますと。 王はすべての人を集めます。そして、神から祝福された人と呪われた人とに より分けます。そして、王は祝福された人たちに言います。 「あなたたちは、わ たしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をして いたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに 訪ねてくれたから祝福されるのだ」と。すると、祝福された人たちが「わたし たちは、貴方に対していつそんなことをしたのでしょうか」と答えます。する と、王は「わたしの兄弟であるこの最も小さいものの 1 人にしたのは、わたし にしてくれたことなのである」と答えるのであります。 この物語を通してマタイによる福音書の著者は、 「目を覚ましている」という ことは「出会う人や出来事の中にキリストを見いだすことである」、と言いたい のだと思われます。それは、霊的覚醒(かくせい)であります。霊的に物を見、 目をさまし、悟り、その中に真実を見つけ出すことが、 「目を覚ます」というこ とである、としているのです。わたしも、それが、イエスのおっしゃる「目を 覚ます」ということなのではないかと思うのです。 マザーテレサが創設した「神の愛の宣教者会」には、働き人の修女たちが大 切にしていました「精神」というものがありました。そしてそれをいつも確認 し合っていたと言われています。 それは「神の愛の宣教者会の精神は、完全に神に従うこと、他人を信じ愛す ること、そして、だれに対しても陽気でいること。喜びとともに苦難をも受け 止めなければなりません。貧しい人生を明るく信じて生きなければなりません。 そして、最も貧しい人の中にいるイエスの世話をしなければなりません。神は 陽気に与えるものを愛するのです。ほほ笑みながら与えられたものこそ最高の 贈り物なのです。 ・・・」というものです。その精神を読みますと、マザーテレ サたちの働きの力の源泉(原動力)は、 「最も貧しい人の中にイエスを見、その イエス(貧しい人)に対してほほ笑みながらお世話をする」ことであったので 3 す。 マザーテレサの残した言葉に、 「ご聖体の内に、わたしはキリストをパンの形で見ます。スラムでは、キリス トを貧しい人々の心痛む姿の中に見ます。傷ついた体、子どもたち、そして死 にかけた人々の中に見ます。だからこそ、わたしはこの仕事ができるのです」 「貧しい人々を目にしたとき、わたしは、まず、第一にその人のうちで苦しん でおられるイエス様が見えます」があります。 マザーテレサは「出会う一人一人の中にキリストを見いだし」 「苦しむ人、虐げ られている人を通してキリストに出会う」と言っているのです。 わたしたちには、マザーテレサたちと同じような霊性を持ち、イエスに出会 い、同じような行動を行うことはなかなかできません。しかし、こころの目を 開きものを見ることはできるのです。マタイによる福音書、マルコによる福音 書、ルカによる福音書の共観福音書が求めているように、霊性をもって、ここ ろの目を開き, 「目を覚まして」イエスの十字架と復活を見つめるとき、今まで 気づかなかった新しい救い主イエス・キリストに出会うことができるのです。 そのことによって、新鮮なイエスの誕生を知ることができます。 今年のクリスマスは、新しく出会った新鮮なイエスを迎え、今までとは違っ た喜びをもって祝ってください。ワクワクしながら 4 週間を過ごし、イエスの 誕生を感謝しながら祝ってください。 4
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