【全訳】 巨大なベルトコンベヤーで運ばれた土砂が、津波にすべてを押し流された市街地に積 み重ねられていった。岩手県陸前高田市での風景だ。 土地のかさ上げ工事が進む市中心部から車で 10 分ほどの高台に、えんじ色のトレー ラーハウスがある。 中では子供達が肩を寄せ合い、絵本に見入っていた。 「ちいさいおうち」と呼ばれるこの仮設図書館は、高橋美知子さん(65)が運営してい る。 高橋さんは、東日本大震災で被災した子供達に、がれきに埋もれて傷んだ町からほん のつかの間でも離れ、本の世界に浸ってほしいと願った。 その思いは、広さ 20 畳ほどの仮設図書館として形になった。 4 年前の 3 月 11 日、高橋さんは岩手県盛岡市で震災に遭遇した。(2)電気や何が起きて いるかについての情報が遮られた状態で、彼女は沿岸部がひどく被害を受けたらしいと いうことを近隣の人達から伝え聞いた。 陸前高田市など、海に面した町で暮らす知人のことが、すぐさま高橋さんの脳裏に浮 かんだ。 盛岡市の公民館の一角に、友人達とともに図書室「うれし野文庫」を開設して以来 40 年近く、高橋さんはずっと子供の本にまつわる活動に携わって来た。図書室には、自分 達の本を持ち寄った。 高橋さんは、NPO「うれし野子供図書室」の理事長として、子供のための図書館を運 営する仕事に身を捧げた。岩手県内各地で、本の読み聞かせ会や、大人のための勉強会 を数多く開催して来た。 そんな活動を支えて来てくれた人達が被災した。陸前高田市では市立図書館が全壊し、 館長(当時 67 歳)を含む職員 7 人が命を落とした。 震災から 3 週間後に高橋さんは陸前高田市に車で向かったが、そこで目にしたのは壊 滅した町並みだった。 大人でさえめげてしまう状況のまっただ中で、子供達を守るために何をしてあげられ るか、高橋さんは必死で自問自答した。 ある考えが浮かんだ。「子供のための小さな図書館なら作れる」 高橋さんが中高生だった頃は読書に夢中で、よく授業中にこっそり机の下で本を広げ たものだった。特によく覚えているのが、石井桃子著または翻訳の児童文学だった。 「どんなに悲しい話でも、児童文学では必ずハッピーエンドで終わります。そういう 本を読めば、きっと子供達は明日に向かっていく勇気をもてると思います」と高橋さん は語った。 心を奮い立たせ、震災直後の 2011 年の 4 月、土地を貸してほしいと陸前高田市の市 役所に掛け合った。 その年の 8 月、この計画に対し 2 つの団体による助成が決定したが、肝腎の用地選定 が難航した。 被災の傷痕を深く負った町で適切な用地を探すのはほぼ不可能に近かった。ストレス から突発性難聴を患い、苦境に涙を流したこともあった。 そんな時、 「高橋さん、無理しないで」と笑顔で語りかける、亡き図書館長が高橋さん の前に現れてくれたような気がした。 がれきとなった図書館跡に花を手向け、 「どんなことがあっても図書館を作ります」と 誓った。市から用地決定の知らせが来たのは、10 月初旬のことだった。 震災から 8 ヶ月経った 2011 年 11 月 25 日、仮設図書館の「ちいさいおうち」がオー プンした。名前は、バージニア・リー・バートン原作のアメリカの絵本、 『ザ・リトルハ ウス』を石井桃子が訳した名作にちなんでつけられた。 招待された小学生達は歓声を上げた。 「わーっ!本がいっぱい!」と叫ぶ子供もいた。子供達は皆、本棚に駆け寄った。 オープンして以来、利用者は 13,000 人を超えた。寄付金や助成金のおかげで、蔵書 も開館当初の倍近い約 4,500 冊に増えた。 図書館にやって来た子供達は、自分の城にいるかのように幸せそうに本を広げた。ま た、高橋さんや司書の中井佳織さん(35)が読み聞かせてくれる物語に、目を輝かせて聞 き入った。中井さんも岩手県大船渡市で津波により自宅を失っている。 高橋さんはこう語った。 「こういう本には聖書のような力はないけれど、心温まるファ ンタジーでも、ドキドキのサスペンス・フィクションでも、物語の主人公に心を重ねる ことは心の栄養になります。本は、子供の心を育ててくれるものをたくさん持っていま す。そんな経験ができる居心地のいい場所を、子供達のために作り続けていきたい」 必要な資金を調達するため、高橋さんは助成団体を探しては申請書を書いた。審査の 時には常に厳しく問いただされた。「人件費はどうするのか」「助成金が切れたら運営は 続けられるのか」といったものだ。 だが、私設図書館の多くはボランティアで運営されていることを説明し、 「本に対する 情熱は、お金のせいで揺らぐことはありません」と訴えた。
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