玄キ禎・金素羅…

金 湘 圭 の 芸 術 世 界
漢陽大学
玄
悌 禎
大 郎 カ トリック大学
金
素 羅
1.目 的
金 湘 圭 は(1922-1987)は,
『
創 造 の 神 』:イ ン ド舞 踊 を現 代 手 法 で 創 作 した作
品 で あ る 。 「自然 へ の 共 感 」 とい え る創 造, 維 持,
罷 養, 再 生, 救 済 を象 徴 し, イ ン ド民 衆 の踊 り と
歌 を代 表 す る シバ 神 を描 い た 。
と 舞 踊 芸 術
2)政
石 井 漠 に学 び, 韓
国 の大 邸 で, 新 舞 踊 を普 及 した 舞 踊 家 ・研 究 者 で
あ る。 彼 は, 激 動期 に, 崔 承 喜, 趙 沢 元 ら に続 き,
韓 国 舞 踊 の現 代 化 を は か り, 新 舞 踊(西 洋 舞 踊)
を韓 国化 した 。 本研 究 で は, 彼 の 韓 国 にお け る業
績 とそ の 思想 を明 らか にす る こ と を 目的 とす る。
2.方 法
彼 の書 い た 論 文, 新 聞 雑 誌 等 の 記 事, 彼 につ い
て の文 献 を検 討 し, 聞 き書 き を行 う と と も に, 遺
作 を考 察 す る 。
え た, 時代 性 の あ る作 品 で あ る。
3)思
想的背景
仏 教 の 宇 宙 観 を持 ち, 東 洋 思 想 に傾 倒 した彼 は
「人 間尊 重 」 を 基 に, 自 由 意 志 を 追 及 した 。 堕 落
した物 質 文 明 を忌 避 し 「自然 へ の 共 感 」 が 読 み 取
れ る。
3.韓 国 の近 代 舞 踊 の 導 入 過程 と金 湘 圭
1)近 代 舞 踊 の 導 入 過 程
韓 国 の新 舞 踊 の 始 ま りは, 1926年3月21日,
石
井漠 が京 成 公 会 堂 で"新 舞 踊 公 演"を 行 った こ と
が 嗜 矢 で あ る 。 「新 舞 踊 」 は 日本 か らの 流 入 語 と
して洋 舞 で あ り"創 作 的 な もの を加 え た 踊 り"の
意味であった。
石 井 漠 以 来 「芸 術 舞踊 」 の系 譜 が形 成 され, 韓
国 の新 舞 踊 の主 流 とな っ た 。
彼 は, 舞踊 が, 人類 発 生 か らあ っ た 芸 術 で あ る
た め に 「自然 美」 を 内包 して い る こ と を強 調 した 。
『子 供 と大 人 』:子 供 が 大 人 に な る 過 程 の 生 活
を描 き, 深 層 に あ る純 真 な 「きれ い な 心 」 素 朴 な
自然 美 を 強調 した。
5.ま
2)金
治 的, 社 会 的 背 景
日帝 植 民 地 時代 に舞 踊 を学 び, 韓 国 に帰 り6。25
を迎 え る受 難 を経 て, な お 愛 国 心 を失 わ なか っ た。
『太 公 望 』:史 記 の 受 難 の 時 節 を 克 服 し, 明 る い
日が 来 る 日 を待 つ 人 々 の 心 情 を, 太 公 望 に託 した
作 品 で あ る。
『く も と蝶 々 』:8.15解
放 記 念 行 事 の作 品 で
公 演 した作 品 で あ る。 日帝植 民 地 時 代 に 国 を失 っ
た悲 しみ を, くもの 強 者, 蝶 々 の 弱 者 と して捕 ら
湘 圭(1922-1987)
とめ
彼 の芸 術 は, 現 代 舞 踊 の方 法 を借 用 して 韓 国 民
族 の 基 本 的 な 美 の リ ズ ム を掘 り起 こ し, 東 洋 思
想 ・韓 国 魂 を求 め た とい え る。 ま た, 教 育 に お い
て, 創 造 性 ・芸 術 性 ・表 現 性 ・民 族 魂 の 回復 を,
水 晶 小 学 校 を卒 業 後, 湘圭 は, 東 京 留 学 し, 10
余 年 間 を過 ご した 。1946年 の帰 国後 は, 大 邸 を 中
心 に韓 国 現 代 舞 踊 の普 及 をは か っ た。
1949年, 万 景 館 の初 公 演 は, 『朝 鮮 舞 』 『ア リ ラ
ン三 調 』 『閑 良 』 『
黄 真 伊 』 で あ っ た。 こ れ らは 国
舞踊 創 作 の実 践 活 動 と併 用 し て, 行 っ た 。民 族 の
解 放 を, 自 らの作 品 に反 映 させ た。
を亡 く した 弱 小 民 族 と して の 思 想 的 背 景 を持 ち,
現 代 舞 踊 の 方 法 で新 しい韓 国舞 踊 をつ くっ た。
彼 の 芸 術 作 品 に共 通 す る基 本 姿 勢 は, 暗 黒 時代
の状 況 の 中 で も, 希 望 を もっ て生 きて い く民 族 魂
を謳 い あ げ た もの で あ る。 彼 は 「た だ技 法 を西 洋
の方 か ら学 び, 身 につ け た だ け で, どう して韓 国
参考 ・引用 文献
金湘圭(1971)造 形美 に現れた舞踊 的素材 の考 察.安 東
教育大学
金湘 圭(1973)舞 踊 における動 的対称 に対 す る一考察.
安 東教 育大学
金湘圭(1976)小 学校 における舞踊教育 の実態.安 東教
育大学
金湘圭(1985)舞 踊創作 の助言 になれ る知 的な一考察.
安東大学
金湘圭(1986)宗 教儀式舞の一考察ー仏教伝来 による相
悦以歌樂 を中心 に一.安 東大学
金湘圭(1987『 現代舞踊 とイサ ドラ ・ダンカン.安 東大
学
朴成実(1997)韓 国近代舞踊史 に現れた金湘圭の舞踊研
究-教 育 者的成長 過程 を中心 に-.ソ ウル 中央 大
学教育大学院
人 が 韓 国 の 精 神 を もっ て西 洋 舞 踊 をす る こ とが で
きるか 」 と言 っ た とい う。
湘圭 は 「人 間 尊 重 思 想 」 を基 に して い る。 これ
は, 石 井 漠 の 影 響 もあ ろ う。 例 え ば, 彼 の 作 品 に
「登 山 」 が あ る 。 上 体 の 力 を抜 き, 苦 しみ を忘 れ,
登 頂 した歓 喜 の 表 現 をす る作 品 で あ るが, この作
品 の題 目 と石 井 の 作 品 は同 一 で あ る。
4.金 湘圭 の 舞 踊作 品 の 考 察
1)宗 教 的背 景
東 洋 思 想 を も と に, 仏教 か ら材 を とっ て い る も
の が あ る。
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