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キリスト教歴史二次元図(pdf size:1.9MB)

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セレウコス朝
セレウコス1世
(BC312-281)
皇帝名の下の年代は在位期間
マグネシアの戦
いに勝利
BC190
スキピオ・アフリカヌス
BC236-BC183
アンティオコス3世
(BC223-BC187)
皇帝、教皇、王は在位期間を数字で示し、
教父は生存期間を示す
離反
アルサケス朝パルティア
BC247-224
アンティオコス13世
(BC69-BC63)
イエス�
前4�生誕28�ヨハネによる洗礼30/4/9�十字架の死
ユリウス=クラディウス朝
アウグストゥス
(BC27-14)
ペトロ�(?33-?67)
リヌス�(?66-?78)
アナクレトゥス�(?79-?91)
ガイウス(カリギュラ)
(37-41)
オクタウィア 54-62
皇后
クインティリアヌス
�35-100
修辞学
ネロ (54-68)
皇后
ポッパエア 62-65
ガルバ (68-69)
ダマスコへの途中、復活したキ
リストに出会って回心�36
妻
ロゴスの種子理論:キリストは完全
なかたちで神的ロゴスであるが、
彼の受肉以前にも全ての人間が理
性的精神の内に同じロゴスをいわ
ば種子として所有している。
ロゴスそのものであるキリストの受
肉により、キリスト以後、彼を受け
入れる者は完全無欠の真理を所有
する
オト (69-69)
フラヴィウス朝
ヴェスパシアヌス
(69-79)
五賢帝朝
ネルヴァ
(96-98)
ローマのクレメンス�(?91-?101)
172年頃
モンタノス(?-179)
がフリギア(小アジア
中西部)で始めた予
言活動
マルクス・アウレリウス
(138-161)
セヴェルス朝
セプティミウス・セヴェルス
(193-211)
ウィクトール1世�(189-199)
ゼフィリヌス�(199-217)
sacramentumはロ
ーマ軍兵士たちの公
的誓約としての「旗
の誓い」を意味してい
た
弟子
カリストゥス1世�(217-223)
サクリフィカティ:sacrificati
実際に犠牲を捧げた者たち
東方教会では秘
義:μυστήριονの
意味を守り続けた
犠牲を捧げた者には証
明書、リベルス
リベラティキ:libellatici
偽の証明書により迫害を
切り抜けた者たち
カルタゴの
キュプリアヌス
�200-258
アフリカ最初の司教殉教者
対立
カルタゴ教会に背教者
(棄教者):lapsiの続出
迫害を神の試練、意味
深い計画であるとみな
す
カタロイ(清純派
あるいは厳格派)
派をつくる
弟子
この頃教義上の著作
もラテン語が使われ
るようになった
ラクタンティウス
�250-325
没収資産の返還
エウティキアヌス�(275-283)
帝の招聘によりニコ
メディアで宮廷付き
の修辞学教師となる
~290
クラウディウスIIゴティクス
268-70
ドナウ川以北
アウレリアヌス 270-75
ート族へ譲渡
エウゼビウス�(310)
二番目の皇后ユスティナ��
(370-388)
ギリシア語著作のラ
テン語翻案
「皇帝は教会の中に
あり、教会の上には
ない」と宣言
ラヴェンナに宮廷を移動��
402
ダマスス 1世(366-384)
西ローマ皇帝
ホノリウス
395-423
対立と一派の粛正
対立教皇ウルシヌス�
(366-367)
追放
シリキウス(384-399)
アナスタシウス1世(399-401)
ヌミディアの
アウグスティヌス�
354-430
ブリタニア出身
ペラギウス
�354-427
自由と恩寵の問題
開催
四福音書を改訂し
「ウルガタ版」を提出
384
東ローマ皇帝
テオドシウスII世
(408-450)
西方教会に大きな影響
を及ぼしたがヴァンダ
ル族の侵入により中
断、イスラム侵入により
消滅
アクイタニアの
プロスペル
�390-455
220/25 異端者による洗
礼の無効性を決定(ローマ
教会の見解に反対)
418 ペラギウス説の排斥
西ゴート王ヴァリア
415-418
スペインに西ゴート王国
反駁
ランス司教レミギウス
436-533
カソリック
の洗礼
フランク王国創始者
クロヴィス
メロビング朝
465-511
マルセイユの
サルウィアヌス
400-480
アンテミウス
467-472
教皇レオ
の特使と
して出席
子
ヌルシアの
ベネディクトゥス
480-547
修道規則
ホルミダス(514-523)
カッシオドルス
�485-580
執政官
ヘノティイコンを起
草
474-491
モンテ・カッシーノにベネデ
ィクト会創立(黒い修道士)
529
アルルのカエサリウス
470-542
レオヴィギルド
在568-586
シルウェリウス(536-537)
ウィギリウス(537-555)
アレイオス主
義から
カトリック教会
へ転向させる
罷免(統一令を支持して
いたがカルケドン会議支
持派となったため)
アカキウス分裂
484-519
ユスティニアヌス朝
ユスティヌス1世
518-527
アレイオス派
を弾圧
ローマ法大
全(Corpus
Iuris Civilis)
を編纂させる
ペラギウス1世(556-561)
レカルド
在586-601
工作
ササン朝ペルシアと永
久平和条約締結
532
大教皇グレゴリオス1世(590-604)
ランゴバルド族東北イタリア
侵入
568
ササン朝クテシ
フォン侵攻
628
ヤルムーク河畔の
戦い(636)に敗れ
てシリア・パレスチ
ナを奪われる
ボニファティウス3世(607)
ボニファティウス4世(608-615)
フェリエールのルプス
805-862
ボニファティウス5世(619-625)
ホノリウス1世(625-638)
セウェリヌス(640)
ヨハネス4世(640-642)
招集
討伐遠征の折に
エウゲニウス1世(654-657)
ローマで会見
ウィタリアヌス(657-672)
アデオダトゥス2世(672-676)
ド王が代々
グアダレーテの戦い
者の結婚を不許可とす
る等)
テオドシウス3世
715-717
ヨハネス7世(705-707)
シシニウス(708)
コンスタンティヌス(708-715)
戴冠
聖画像禁止令に反
対して破門宣告
グレゴリウス2世(715-731)
グレゴリウス3世(731-741)
ランゴバルド族を破
り、奪還したラヴェン
ナを寄進「ピピンの寄
進」
ザカリアス(741-752)
シリア(イサウリア)朝�
717-802
レオーン3世
717-741
ラベンナをランゴバルト族
に占領され、イタリアにお
ける最後の根拠地を失う
751
教皇庁はローマ帝国か
ステファヌス3世(752-757)
ら離反・自立
イスラムから
ステファヌス4世(768-772)
ランゴバルド王国
を滅ぼす
西ローマ帝国皇帝戴冠
800
ランゴバルド王国滅亡
774
中部イタリアが
カール大帝によ
り寄進される
ハドリアヌス1世(772-795)
エイレーネーの即
エウゲニウス2世(824-827)
フォティオスの分離
グレゴリウス4世(827-844)
870 メルセン
条約によりロ
タリンギア分
割
レオ4世(847-855)
ベネディクトゥス3世(855-858)
863
ハドリアヌス2世(867-872)
皇帝主催教会会議で破門
867
ヨハネス8世(872-882)
ローマ皇帝として
ハドリアヌス3世(884-885)
ローマ皇帝
カール3世(882-887)
884フランク王国を統一
として戴冠
させる
ロマヌス(897)
公認
ストゥディオス修道院院長
のテオドロス759-826
トリコス(公主
シリアのネストリ
教)がダマスカス
ウス派や単性論者
に置かれる
千夜一夜物語
ペルシャ人哲学者
シラクサを失う
シチリア侵攻
ベネディクトゥス4世(900-903)
獄死させる
レオ5世(903)
レオーン6世
(886-912)
対立教皇クリストフォルス
(903-904)
「知恵の館」
設立
公式教義とする
攻撃
アル・アシュアリー
873-935
アシュアリー派
反対
ターヒル朝
821-873
ダミエッタ侵攻
ニカイア信条の((聖霊が)父より
ムタワッキル
(847-861)
出で)ἐκ τοῦ Πατρὸς
ἐκπορευόμενονを西方教会が(父
アナスタシウス3世(911-913)
と子から出で)ex Patre Filioque
ランド(911-914)
ファーティマ朝
909-1171
proceditとした問題
ヨハネス10世�(914-928)
アフマド・イブン・ハンバル
780-855
ハンバル派
ムータジラ派
予定論を排する
アッバース朝アグラブ王国
800-909
フィリオケ問題
セルギウス3世(904-911)
ムハースゥビー
-857
バクダード派のスーフィー
ハールーン・アッ=ラシード
(786-809)
東ローマの攻勢に反撃
新プラトン主義
ラービア・アル・アダウィーヤ
717-801
バスラ派のスーフィー
アブー・アブドゥッラー・ムハ
ンマド・シャーフィイー
-820
シャーフィイー派
775
攻勢
797,803,806
755
イスマイール派
マーリク・イブン・アナス
-795
マーリク派
ネストリオス派カ
コンスタンティノープル総
主教フォティオス1世
(858-867)
878
アブー・ハニーファ
-767
ハナフィー派
ヨハネス9世(898-900)
909に創設されたクリュ
ニー修道院からクリニュ
ニー会
ベレンガーリオ1世
(888-924)
マケドニア朝
バシレイオス1世
(867-886)
ニケフォロス・フォカスを派遣
し南イタリア(マウナ・グラエキ
ア)を(アグラブ朝から?)奪回
885
ステファヌス7世(896-897)
テオドルス2世(897)
アルヌルフ
(887-899)
パリ伯ウード
(888-898)
バクダード・アッバース朝
アブー=アル=アッバース
(750-754)
マアムーン
(813-833)
フォルモスス(891-896)
ボニファティウス6世(896)
ジャアファル・アッ=サーディ
ック
702-765
聖画像破壊論者の排斥
コンスタンティノープル総
主教ニキフォロス1世
(806-815)
任命
ミカエル3世
(842-867)
連携
ステファヌス6世(885-891)
スンナ派
反対
流刑
ハワーリジュ派
敵対
がスタッフとなる
罷免
敵対
ムルジア派
第3コンスタンティノポ
リス公会議
680-681
マリヌス1世(882-884)
戴冠させる
シャルル2世(843-877)
ルートヴィヒ2世死後イタリ
アに侵攻しカール2世
(875-877)となる
シーア派
第2ニカイア公会議
787
流刑
テオフォロス1世
(829-842)
ラテラノ教会会議にて廃位を宣言
ニコラウス1世(858-867)
イタリア王
イコン破壊派
を弾圧
アモリア朝
ミカエル2世
(820-829)
863-867
セルギウス2世(844-847)
東フランク王国
ルートヴィヒ2世
(843-876)
ロタリンギ
ア分割
ウマイア朝
ウマーウィヤ1世
(661-680)
ワリード1世
(705-715)
レオ3世による聖画像破壊
運動(イコノクラスム)
730-843
イコノグラムを継続
レオーン5世
(813-820)
パスカリス1世(817-824)
招集
聖画像擁護
エイレーネー
797-802
位を無効とする
レオ3世(795-816)
ヴェルダン条約
843
中フランク王国
ロタール1世
(843-855)
カリフ�アリー
(658-661)
ダマスコスのヨアンネス
650-750
アラブ人キリスト教徒
反対
コンスタンティノス6世
780-797
ステファヌス5世(816-817)
奪回し成立
スペイン辺境伯領
カタルーニャ
801
キリスト単意説
(Monotheletisumus)
断罪
イスラム勢力下の東方
教会をつなぎとめるた
め、キリスト単意説に関
する論争を禁止(651)
コンスタティノポリス総司教
ゲルマノス1世
(715-730)
罷免
コンスタンティノス5世
718-755
パウルス1世(757-767)
ルートヴィヒ1世(敬虔王)
�(814-840)
攻撃
ウマーウィヤとの妥協に反
対して離脱
アクロイノンの戦い
(740)に勝利して小ア
ジア西部をイスラム勢
力から奪回
ヨハネス6世(701-705)
ロンバルデ
ィアの鉄王
冠
カール大帝
�(768-814)
カリフ�ウスマーン
(644-656)
イスラムに小アジア、ア
フリカ、アルメニア、ロー
ドス島等を奪われる
ハザール王国
の援助により帝
位に復帰
ユスティニアヌス2世
(685-695), (705-711)
の署名を求める(聖職
コノン(686-687)
セルギウス1世(687-701)
コルドバのウマイヤ朝
756-1031
証聖者マクシモス
580-662
ウマイア朝によるコンスタン
ティノポリス包囲を撃退
トゥルロ公会議条項へ
ヨハネス5世(685-686)
ピピン3世
カロリング朝
�(751-768)
カリフ�ウマル
(634-644)
アガト(678-681)
ベネディクトゥス2世(684-685)
ウマイヤ朝
カリフ�アブー・バクル
(632-634)
コンスタンティノポリス包囲
674-678
レオ2世(682-683)
711滅亡
ムハンマド
570-632
610-613
コンスタンティヌス4世
668-685
ドヌス(676-678)
戴冠
勅令「エクテシス(キリスト
単意説的信仰解明書)」を
公布し単意説を擁護
638
筆頭秘書官に任ぜられる
単意説批判を布告
断罪
ラテラノ教会会議
649�
反対
ニハーヴァンドの
戦い(642)に敗れ
ササーン朝滅亡
エルサレムを奪
三章論争、すなわちネスト
リウス派としてのモプスエ
スティアのテオドロスの著
作、キュロスのテオドレトス
がアレクサンドレイアのキュ
リロスを論駁した書、エデ
ッサのイバスがセレウケイ
アのマリに宛てた書簡が断
罪された
われる(638)
参加
ランゴバルト族
第二回コンスタンティノ
ポリス公会議 553�
単性説勢力の強いシリ
ア、パレスチナ、エジプ
トにおいて分離教会が
形成
単意説反対に協力
逮捕・流刑
したため逮捕配流
マルティヌス1世(649-653)
ランゴバル
エルサレムのソフロニオス
(634-638)
エルサレムの総主教
コンスタンス2世
641-668
両性単意説支持勅令に反対
テオドルス1世(642-649)
ネストリオス派教会設
立
オリゲネス主義
の断罪�553
マを招く
カルケドン信条
に対する緩和
政策(単性説
の容認)
筆頭秘書官を務める
和解を工作
サビニアヌス(604-606)
シセブト
612-621
庇護
起草
単性説支持者との
ヘラクリウス朝
ヘラクリウス
610-641
受け容れを拒否
指導
断罪
ヨアンネス・クリマクス
579-649
シナイの修道院長
(611-614)
皇后テオドラ
単性説の支持者
エデッサのイバス
350-428
影響
ヤズデギルド3世
632-651
ランゴバルト族
によるローマ包
囲
ヨアンネスは、マリアを神の母と宣言するとともに、
それが「神であるロゴスが受肉し、人間となって、
受胎の瞬間から処女から受けた神殿を自分に一
致させたからである」と述べた。キュロリスはこれ以
後「神のみことばの唯一の受肉した本性」という表
現を避けるようにした
ディデュモスの断罪
エデッサの神
学校を閉鎖
出席を拒否しシス
セルギオス(コンスタンティ
ノポリス総主教)
(610−638)�
ペラギウス2世(579-590)
セビリャのイシドルス
560-636
セウェロス
465−538
アテナイにおける
哲学教授を禁止
ユスティニアヌス1世
527-565
支持
ホスロー1世
531-579
小アジアで広まる。人間の
霊魂には悪魔が存在してお
り、それは洗礼を通しても
追い出されえず、祈りと禁
欲生活を通してのみ、聖霊
が霊魂に入り、欲情から救
われると説いた
反対
マケドニオス2世
に代わり助言者と
なる
哲学者移住
東ゴート王トティラ
542-552
単性説の容認を受
諾
キュリロスとアンティオ
ケイアのヨアンネスの
合同文書�433
キリスト両性説、すなわち、キリ
ストは「真に神であり、理性的
魂と肉体からなる真の人間で
ある」を宣言
エウアグリオス・ポンティコ
スの断罪�553
ディオニュシオス
(Dionyusios)文書
500頃シリアで成立
キリスト単性説とカルケドン
信条との調停を図る統一
令(ヘノティコン)を宣布
(482)
マケドニオス2世(コンスタ
ンティノポリス総主教)
(495−511)�
追放
西征により東ゴ
ート滅亡
セビリャ司教
レアンデル
560-601
ファーラービー
870-950
新プラトン主義下のアリスト
テレス研究
レオ6世�(928)
ステファヌス8世�(928-931)
ヨハネス11世�(931-936)
戴冠
原因
レオ7世�(936-939)
ステファヌス9世�(939-942)
ニケフォロス 2世フォカ
マリヌス2世�(942-946)
フランス王国カペー朝
ユーグ・カペー
940-996
サンチョ3世ガルセス
�(1004-1035)
ザクセン朝
ローマ皇帝オットー1世
(962-973)
ヨハネス12世�(955-964)
(963-969)
ストゥディオスのシメオン
(新神学者シメオン)
949-1022
イマーム・アル・ハラマイン
レオ8世�(963-965)
サーマーン朝
873-999
ベネディクトゥス5世�(964)
ヨハネス13世�(965-972)
オットー2世
(967-983)
ベネディクトゥス6世�(973-974)
1036以降分裂
ヨハネス15世�(985-996)
オットー3世
(996-1002)
グレゴリウス5世を追放し
グレゴリウス5世(996-999)
血縁
対立教皇 ボニファティウス7世�
(974、984-985)
死に関係?
ヨハネス14世�(983-984)
バルセロナ伯
ラモン・ベレンゲー4世
�(1004-1035)
高官の子弟
ベネディクトゥス7世の
ベネディクトゥス7世�(974-983)
アラゴン王国
ラミロ1世
�(1035-1063)
アンティオ
ケイア奪回
ス
アガペトゥス2世�(946-955)
ローマ皇帝とし
て戴冠させる
対立教皇 ヨハネス16世�
(997-998)
て簒奪
南イタリア守備担当マニアケス
シルウェステル2世�(999-1003)
が反乱し死亡の後、ノルマン人
ヨハネス17世(1003)
アラゴン連合王国成立
アルフォンソ2世
�(1004-1035)
ヨハネス18世�(1004-1009)
ザーリアー朝
コンラート2世
(1027-1039)
セルギウス4世�(1009-1012)
罷免
ヨハネス19世�(1024-1032)
ンリヒ2世の支持得
選出後破門される
グレゴリウス6世�(1045-1046)
クレメンス2世�(1046-1047)
(1042-1055)
シルウェステル3世�(1045)
簒奪と売買
ダマスス2世�(1048-1048)
大シスマ
レオ9世(1049-1054)
ステファヌス10世�(1057-1058)
1098に創設されたシト
ー修道院からシトー会
(白い修道士)
ニコラウス2世�(1058-1061)
カノッサの屈辱
1077
擁立
グレゴリオス7世(1073-1085)
対立教皇�クレメンス3世
(1080,1084-1100)
ホノリウス2世(1124-1130)
皇帝戴冠を条件に支持
ロタール3世の支持得
イノケンティウス2世(1130-1143)
対抗のためローマ教
アレクシオス1世コムネノス
(1081-1118)
ファーティマ朝から
皇ウルバヌス2世に傭
擁立
擁立
フリードリヒ1世
(1152-1190)
兵提供を要請
新暦の編纂
エウゲニウス3世(1145-1153)
パスカリス3世(1164-1168)
ハドリアヌス4世(1154-1159)
カリストゥス3世(1168-1178)
アレクサンデル3世(1159-1181)
インノケンティウス3世
(1179-1180)
ルキウス3世(1181-1185)
アナスタシウス4世(1153-1154)
アイユーブ朝
1169-1250
ウルバヌス3世(1185-1187)
サラーフッディーン
(1171-1193)
グレゴリウス8世(1187-1187)
ハインリヒ6世
(1191-1197)
クレメンス3世(1187-1191)
ローマ皇帝に戴冠
第4回十字軍コンスタンティ
ノープルを陥落させる
1204
ケレスティヌス3世(1191-1198)
インノケンティウス3世(1198-1216)
フリードリヒ2世神聖ローマ皇帝
(1220-1250)
バレンシア征服
1238
レコンキスタは
一応の終結
(1242-1258)
知識人として交流
グレゴリウス9世(1227-1241)
(1218-1238)
アレクサンデル4世(1254-1261)
承認、フランシスコ会の会
ウルバヌス4世(1261-1264)
クレメンス4世(1265-1268)
コンクラーヴェ
グレゴリウス10世(1271-1276)
カルメル会創立パレス
ティナで発祥1226
を改正
インノケンティウス5世(1276)
ハドリアヌス5世(1276)
テンプル騎士団を異端
審問により壊滅させる
1307
ヨハネス21世(1276-1277)
ニコラウス3世(1277-1280)
パライオロゴス朝
ミカエル8世パライオロゴス
(1261-1282)
破門
マルティヌス4世(1281-1285)
ホノリウス4世(1285-1287)
ニコラウス4世(1288-1292)
教皇離宮アナーニを
フィリップ4世
(1285-1314)
ケレスティヌス5世(1294)
襲撃
支配
ボニファティウス8世(1294-1303)
アビニョン教皇庁
アラゴン王家が
シチリア奪回を目論む
シチリア王となる
ベネディクトゥス11世(1303-04)
1282
クレメンス5世(1305-14)
シャルル4世
(1322-1328)
父は元老院議員
ベネディクトゥス12世(1334-42)
シエナのカタリナの訴え
クレメンス6世(1342-52)
カラブリアのバルラアム
1290-1348
によりローマに帰還
インノケンティウス6世(1352-1362)
カール4世神聖ローマ皇帝
(1355-1378)
オスマン帝国
(1281-1922)
オスマン1世
(1299-1326)
アンドロニコス2世
(1282-1328)
ヨハネス22世(1316-34)
ハインリヒ7世神聖ローマ皇帝
(1312-1313)
養育
ヴァロワ朝
フィリップ6世
(1328-1350)
アル・カーミル
インノケンティウス4世(1243-54)
ドミニコ会、カルメル会を
則を認可
ペドロ3世
�(1276-1285)
ムスタアスィム
ケレスティヌス4世(1241)
ハイメ1世征服王
�(1213-1276)
フィリップ3世
(1270-1285)
アンゲロス朝
イサキオス2世アンゲロス
(1185-1195),1203
ホノリウス3世(1216-1227)
破門
アッシジにてフランシス
コ会創立
1209
マリク・シャー
(1072-1092)
エルサレムを奪う
ウマル・ハイヤーム
1048-1131
対立教皇�ウィクトル4世
(1159-1164)
(1377)
ウルバヌス4世(1362-70)
グレゴリオス・パラマス
1296-1359
アトスの修行者を非難
オルハン
(1326-1362)
ムラト1世
(1359-1389)
グレゴリウス11世(1370-78)
ウルバヌス6世(1378-89)
ボニファティウス9世(1389-1404)
破門
シャルル5世
(1364-1380)
支持
インノケンティウス7世(1404-06)
ピサ教会会議
廃位
廃位
グレゴリウス12世(1406-15)
クレメンス7世(1342-1394)
1409
選出
退位を宣言
ベネディクトゥス13世(1394-1417)
廃位宣言
コンスタンツ公会議
(1414-1418)
アレクサンデル5世(1409-1410)
不支持
ヨハネス23世(1410-15)
選出
公会議主義者が推挙
マルティヌス5世(1417-31)
エウゲニウス4世(1431-47)
ニコラウス5世(1447-55)
バーゼル公会議
(1431)
廃位
コンスタンティノス11世ドラ
ガセス
(1449-1453)
コンスタンティノー
プル攻略により滅亡
メフメト2世
(1444--1446)
(1451-1481)
フェリクス5世(1439-49)
カリストゥス3世(1455-58)
ピウス2世(1458-64)
パウルス2世(1464-71)
シクストゥス4世(1471-84)
子
チェザーレ・ボルジア�1475-1507
インノケンティウス8世(1484-92)
アレクサンデル6世(1492-1503)
ピウス3世(1503)
マルティン・ルター
1483-1546
レオ10世(1513-21)
ためにドイツにおける贖宥状
ハドリアヌス6世(1522-23)
の販売を認める
95か条の論題
1517
カール5世神聖ローマ皇帝
(1519-1556)
イタリア戦争
1521-1525
否定
セリム1世
(1512--1520)
クレメンス7世(1523-34)
認可
イエズス会
1534設立
フランソワ1世
(1515-1547)
バヤズィト2世
(1481--1512)
ユリウス2世(1503-13)
サン・ピエトロ大聖堂建設の
1537
パウルス3世(1534-49)
密約
ユリウス3世(1550-55)
招集
マルケルス2世(1555)
トリエント公会議
(1545)
パウルス4世(1555-59)
ピウス4世(1559-65)
ウルガータ版が唯一の聖書であることを確認
ピウス5世(1566-72)
教皇庁艦隊派遣
レパントの海戦
(1564)
グレゴリウス13世(1572-85)
信仰義認、聖書のみ、
万人祭司
シクストゥス5世(1585-90)
トリエント信条
(1564)
ウルバヌス7世(1590)
天正遣欧少年施設謁見
グレゴリウス14世(1590-91)
グレゴリオ暦採用
インノケンティウス9世(1591)
ジョルダーノ・ブルーノ処刑
クレメンス8世(1592-1605)
ブルボン朝
アンリ4世
(1589-1610)
レオ11世(1605)
パウルス5世(1605-21)
グレゴリウス15世(1621-23)
ウルバヌス8世(1623-44)
ルイ13世
(1610-1643)
裁判
ガリレオ・ガリレイ接見
インノケンティウス10世(1644-55)
アレクサンデル7世(1655-67)
ルイ14世太陽王
(1643-1715)
弾劾
ガリカニスム
クレメンス9世(1667-69)
クレメンス10世(1670-76)
インノケンティウス11世(1676-89)
フリーメーソン排斥の
アレクサンデル8世(1689-91)
ルイ15世
(1715-1774)
カルロス3世
(1759-)
スペインからイエズス会を追放
弾劾
ジャンセニスム
フランスからイエズス会を追放
反イエズス会
イエズス会擁護
「Apostolicum pascendi」
1765
ルイ16世
(1774-1792)
フランス革命
1789
1738
クレメンス11世(1700-21)
インノケンティウス13世(1721-24)
1764
1767
教皇文書「イン・エミネンティ」
インノケンティウス12世(1691-00)
イエズス会の東洋宣教のための適応政策を禁止
ベネディクトゥス13世(1724-30)
「Ex quo singulari」
クレメンス12世(1730-40)
「Omnium solicitudinum」
ベネディクトゥス14世(1740-58)
クレメンス13世(1758-69)
クレメンス14世(1769-74)
ナポレオンが教皇領に侵攻
ピウス6世(1775-99)
1793
ピウス7世(1800-23)
レオ12世(1823-29)
サルデーニャがローマを占領しロ
ーマはイタリア王国首都となる
1871
第一次世界大戦
1914=1918
イエズス会復興
1814
イエズス会解散命令
Dominus ac Redemptor
1773
ピウス9世(1846-78)
無原罪の御宿り(Immaculata
Conceptio Beatae Virginis
Mariae)を信仰箇条と決定
1854
レオ13世(1878-1903)
回勅、資本と労働の権利と義
務(Rerum Novarum)
ピウス10世(1903-14)
1891
ピウス8世(1829-30)
グレゴリウス16世(1831-46)
ベネディクトゥス15世(1914-22)
ピウス11世(1922-39)
イタリア政府とラテラノ条約
1929
ピウス12世(1939-58)
ヨハネ23世(1958-63)
聖母の被昇天を教義に
1950
パウロ6世(1963-78)
ソ連崩壊
1991
ヨハネ・パウロ2世(1978-2005)
ベネディクトゥス16世(2005-13)
第二バチカン公会議
1962-65
フランシスコ(2013-)
回勅、いのちの福音
(Evangelium Vitae)
1995
批判
1094
イスマイール派分裂
ルキウス2世(1144-1145)
ホーエンシュタウフェン
家
コンラート3世
(1138-1152)
ドミニコ会創立
1206
スーフィズムの理論化
対立教皇�アナクレトゥス2世
(1130-1138)
られず
ケレスティヌス2世(1143-1144)
国内通過
対立教皇�グレゴリオス8世
(1118-1121)
ハインリヒ5世の支持
カリストゥス2世(1119-1124)
第3回十字軍総司令官
1189
コンスタンティノープル総
主教ミカエル・ケルラリオス
(1043-1059)
ミカエル7世ドゥーカス
(1071-1078)
第1回十字軍の
パスカリス2世(1099-1118)
批判
ガザーリー
1058-1111
ヨーロッパ名アルガゼル
アを失う
ウルバヌス2世(1088-1099)
ゲラシウス2世(1118-1119)
ロタール3世
(1133-1137)
捕虜となり小アジ
ウィクトル3世(1086-1087)
破門
フィリップ1世
(1270-1285)
クに認められる
(1059-1067)
ロマノス4世ディオゲネス
(1068-1071)
南イタリア最後の拠点バ
ーリを失う
1071
アレクサンデル2世(1061-1073)
イブン・スィーナー
980-1037
ラテン名アウィケンナ
宰相ニザームルムル
ドゥーカス朝コンスタンティ
ノス10世ドゥーカス
相互破門
1054
ウィクトル2世�(1055-1057)
ハインリヒ4世
(1084-1105)
分裂を抑えられず
弟子
セルジューク朝
1038-1157
コンスタンティノス9世モノ
マコス
ベネディクトゥス9世�(1047-48)
キエフ・ロシアのキリスト教改宗
989
帝国領が失われる
られず
ベネディクトゥス9世�(1032-44)
庇護し戴冠を受ける
(976-1025)
キエフ大公ウラジーミル1世と
妹アンナを縁組みさせる
1043
対立教皇 グレゴリウス6世�
(1012)
世を追放するもハイ
ベネディクトゥス8世�(1012-24)
議によって3人を
ハインリヒ3世
(1046-1056)
コルドバのイブン・ルシュド
1126-1198
ラテン・アヴェロエス派
スートリ教会会
バシレイオス2世ブルガロ
クトノス
が南イタリアに侵入
ベネディクトゥス8
偽マカリオス(メソポタミア
のシメオン?380-430?)
アンティオケイアのヨアンネス
-442
教父達の封印:
キュロリスによる論法(権
威の定まった著述家の証
言による論証)
ネストリオス派と
して弾劾
カルケドン公会議において確認
されたキリスト両性説を否定す
るキリスト単性説
西方教会は
反発
アナスタシウス1世
491-518
東ゴート王 オドリクス
474-(493-526)
アレイオス派を支持
単性説容認により
西方教会内に分
裂の危機
コンスタンティノポリ
ス教会会議
448�
復位に協力
フェリクス4世(526-530)
アキテーヌ分王国
アレクサンドレイアの司教
ディオスコロスによって罷
免・追放される
断罪
カルケドンの公会議
451�
断罪
アカキオス(コンスタンティ
ノポリス総主教)
471-489
スレイマン1世
(1520--1566)
オスマン・マムルーク戦争
メッカ・メジナを保護権を得る
マムルーク朝
1250-1517
キリスト論における人間性
の強調、聖書の字義通り
の解釈。人間性はロゴス・
知恵・神性の神殿・幕屋と
定義され、イエスは「神を
宿した人間」、「神を担う人
間」と呼ばれる。キリスト養
子説と取られかねない表
現でもある。そこでアンテ
ィオケイア派はこれを「分
離のキリスト論」を唱える
オリゲネス主義者
エウアグリオス・ポンティコス�
345-399
ポントスに生まれる
アポリナリオスの異端が
潜んでいるとして「キュ
リロスの12の破門条項
反論」を著述
積極的に受け容れ
アカキウス分
裂和解提案
ゲルマン人教皇ポニファティウス
(530-532)
追放
エウノミオス派(非相似派)
父の本質と子の本質との間
には類似がないとする、極
端なアレイオス主義。398
年アルカディウス帝による
焚書に遭う
コンスタンティノポリスの助
祭に叙する
メッサアリア派
断罪
フラウィアノス(コンスタンテ
ィノポリス総主教)
-449
レオ朝
レオ1世、トラキア出身帝
457-474
ゼノン
西ローマを打倒し
ラヴェンナに都
推挙
ネウストリア分王国
反駁
引用
ペーローズ
459-484
逮捕・投獄
ベネディクトゥスの
修道規則
開催
エウノミオス
335-392
カッパドキアに生まれる
反駁
アポリナリオス派
マリアをテオトコス(神の
母)でもなくアントローポト
コス(人間の母)でもなく、
キリストコス(キリストの母)
と呼ぶべきと主張
モプスエスティアのテオド
ロス
350-428
エフェソスの公会議�
431
エフェソス強盗会議
449�
オリゲネス論争
イタリアの王オドアケル�
(476-493)
友好的
ヨハネス1世(523-526)
執政官
西方皇帝に
指名
西方皇帝
に指名
西ローマ滅亡
教権
(Sacerdotium)
の政権
(Imperium)に対
する優越を主張
する書簡送付
エウティケス
378-454
庇護
カイロ・アッバース朝
1508-1517
父と子の関係を説明するにあ
たりギリシャ哲学におけるロゴ
スの概念を援用する。これによ
り、子の永遠の誕生、被造界の
原型、認識の原理としてロゴス
の機能を説明
指導者となる
フィロカリア(オリゲネス
文書の抜粋集)編集
キュロスのテオドレトス
393-466
る断罪
グノーシス主義が本来、
キリスト教と別個に存在
した証拠とされている
極端なアレイオス
主義を非相似派
(アノモイオイ)と
呼ぶ
ナジアンゾスのグレゴリ
オス�325-390
カッパドキアのアリアン
ゾスに生まれる
唯一の人格
(prosopon)に
おける神性と人
性の合一
招集
ロムルス・アウグストゥルス�
475-476
ヘノティコンが
カルケドン信
条に反対する
ものとし破門
ゲラシウス1世(492-496)
ヤズデギルド2世
438-457
支持
ネポス
473-475
部下
軍司令官�オレステス
475-476
フェリクス3世(483-492)
従属説:御子は父に従
属する�
友人
哲学者流入
マルキアヌス
450-457
カルケドン公会議
の開催要請
大教皇(Magnus)レオ1世
(440-461)
リヨンのエウケリウス
380-449
ボエティウス
�480-524
西方アリストテレス哲学の源泉
ブルグント分王国
フン族アッティラ
(433-453)と会見
し引揚を説得
ヒラリウス(461-468)
ラオディケイアの
アポリナリオス
310-390
キュリロス派によ
対岸のナグ・ハマディで
1945年にコプト語で書
かれたグノーシスの諸
文書が発見された
本性的に同等であるが
起源として父を有する
招集
シンプリキウス(468-483)
エイサゴーゲ
ー注解を著す
アウストラシア分王国
シクストウス3世(432-440)
エジプトの修道制を西
方に導入(マルセイユに
男子修道院と女子修道
院を創設)
アルルのホノラトゥス
レランスの修道院設立
410
招集
相互不可侵条
約441
追放
著書「自由意志」において「神はすべてのこ
とをあらかじめ知っておられるが、このことは
我々から自由を奪うことにならない、なぜな
らば神はわたしが自由に何を選択するかを
予知されるのだから」と説く。同時に彼は「意
志が正しく起動されるためには、恩寵が絶
対的に必要である」と論ずる(キリスト教神
学事典:教文館)
415:アレクサ
ンドレイアのヒ
ュパティアをキ
ュリロス派が虐
殺
東方教会
神の母と呼ぶべきと
して攻撃
単性説の影響
アレキサンドレイアのキュリ
ロス �
370-444
断罪
支持
ヨハネス・カッシアヌス�
360-435
半ペラギウス主義
エクラヌムの
ユリアヌス
�380-454
攻撃と追放に
成功
ケレスティヌス1世(422-432)
反駁
半ペラギウス論を
論駁
甥
支持
断罪
恩恵論を擁護
コンンスタンティノポリスの
ネストリオス
381-451
コンスタンティノポ
リス司教に叙階:
428
著書を焚書命令:
435
下エジプトのケノボスキ
オンに修道共同体を創
設した。
時課:共同体の祈りの
時間を守ることへの求
め
ディデュモス
310�-398
ヨアンネス・クリュソストモス
344-407
コンスタンティノポリス
の大司教に
397
任命
バシレイオスの規則
友人
弟子
弟子
パコミオスPachomios
287-347の修道院建
設
反駁
タルソスのディオドロス
-394
エウストキウム�
368-418
三女
対立教皇エウラリウス(418-419)
司教罷免
380頃コンス
タティノポリス
において教え
を受ける
反駁
ペラギウス主義
カルタゴ教会会議
�220-536
地方教会会議の総称
長女
寡婦のパウラ
�347-404
弟子
ブレシラ
�364-384
小マクリネ
327-379
弟
アレイオス派をサベリオ
ス主義として反駁
ニュッサのグレゴリオス
335-394
キリスト単性説(Monophysitismus):人
間の本質をなす精神と肉体がそれぞれの
独自性を失うことなく合一して一つの全体
となっているように、キリストはロゴスと肉
から一つの統一された現実的生命となっ
た。肉を支配する活力はロゴスに由来する
知遇
アンティオケイ
アにおいて講
義を聞く
弟子
親交
反駁
参加
ヒエロニュムス
�347-419
後にマカリオスが著した
と称する文書「偽マカリ
オス文書」が出現する
アレイオス 256-336
ー
ロゴスは神の被造物で
あるので同質ではない
影響
断罪
弟子
アレキサンドレイアの司教
テオフィロス �
345-412
東ローマ皇帝
アルカディウス
(395-408)
ボニファアチウス1世(418-422)
マリアの永
続的な処女
性を主張し
勝利
寡婦のマルケラ
�325-410
エウアグリオス・ポンティコ
ス� 346-399
キリストに人間の霊魂
がなかったとすると人
間の霊魂の救済がなく
なる
プラトン主義の影響
ヘルウィディウス�
380頃活動
師父の言葉
西ゴート族、アラリックI世に
ローマを蹂躙される
410
ウァレンス��
364-378
追放
ゾシムス(417-418)
招集
書簡の
交換
支持と
インノケンティウス1世(401-417)
アレキサンドレイア学派
391:アレクサ
ンドレイアの
非キリスト教
施設破壊を許
可
弟子
仲介・調停
コンスタンティノポリス
公会議�381
ニカイア信条の再確認
西ゴート族にトラキア定住を
許可
異端と異教徒を弾圧
(キリスト教の国教化)
バシレイオス330-379
カッパドキアのカイサレ
イアに誕生
影響
アンティオケイア学派
ゴート族への布教
グラティアヌス
(375-383)
テオドシウス朝
テオドシウス帝��
(379-395)
新約聖書正典
が制定された
ニコメディアのエウセビオス�
-342
フン族に追われたゴート族にド
ナウ川を渡ることを認め、その
後、ゴート族の反乱にハドリアノ
ポリスで敗れヴァレンス帝戦死
(エジプトの)マカリオス
300-391
断罪
キリストは神および聖霊
から自らを区別
ヴァレンティニアヌ幼帝��
(375-392)
帝のテサロニケ虐殺
に対して後悔懺悔を
要求し屈服させる
反駁
弟子
父方の祖母
弟
キリストは父の本性より神
の独り子として生まれ、造ら
れずして生まれ、父と同一
本質(ホモウーシオス)であ
る
ニトリア砂漠に修道院
建設
大マクリネ
-340
ニカイア公会議�325
ニカイア(ホモウーシオ
ス)信条を採択
アレキサンドレイアのアタナ
シオス�
296-373
キリスト教正統信仰の父
砂漠の師父アントニオス�
251-356
エルサレムのキュリロス
315-
反アレイオス
神の国の現れとみる
東方皇帝
ヴァレンス
364-378
アレイオス派擁護
弟
オリゲネス的
従属説の神
学的傾向の
ため同情的
ホモウーシオスとい
う語がサベリオス主
義に通じるとして使
用に反意
同一本質説
親交
弟子
教会会議
で破門
シャープール2世
309-379
隠修士アムン
288-350
弟子
サベリオス
的異端を感
じていた
長男
元老院から
勝利の女
神の祭壇を
撤去させる
グレゴリオス・タウマトゥルゴス
213-270
黒海沿岸ポントス地方生まれ
カッパドキア教会の創設者
タウマトゥルゴスとは奇跡を行う
人の意味である
万物救済
アレキサンドレイアのアレク
サンドロス�250-328
クテシフォンの戦い
363
ユリアヌス戦死
ヴァレンティニアヌス朝
ヴァレンティニアヌス��
364-375
ベジエ教会会議�356
ミラノ(メディオラヌム)の
アンプロシウス
�339-397
著書「テオポントスへ�
ー�神における受苦と不
受苦について
カイサレイアのエウセビ
オス� 263-339
ミラノ寛容令
313
非難攻撃
擁護
カイサレイアのパンフィ
ロス�-309
帝の改宗
息子
イスパニアを経て侵入してきたヴ
ァンダル族(アレイオス主義を奉ず
る)の脅威にさらされてアフリカ教
会がニカイア信条の釈義を求めた
独居あるいはその集落
ルキアノス 240-312
アンティオケイア学派
魂の先在と
コンスタンティヌスI世と
リキニウスの共同統治
313-324を経て
ユリアヌス帝背教者��
(361-363)
州知事に起用されて
ミラノに赴任(72-3)
ポルフュリオス駁
論
ガレリウス帝�� 305-311
コンスタンティウス2世��
(337-361)
アレイオス主義者
追放 355
358 復帰
皇帝の意向に沿
う会議
�?-355
秘跡の正当な授け手の問
題
コプトの師父
アリストテレスに基礎
東方
コンスタンティヌス朝
コンスタンティヌス Ⅰ世��
(306-337)
最初のキリスト教徒皇帝
アタナシオスをロ
ーマで保護
リベリウス(352-358-366)
ラテン訳
リキニウス帝�� 308-324
知遇
ローマ人のユリウス1世(337-352)
新プラトン主義 ポルフ
ュリオス�232-305
「エイサゴーゲー」を著
す
マクシミヌス・ダイア帝��
310-313
コンスタンティノポリス
の完成
330
ドナトゥス
旧約に対する安易な
アレゴリー解釈を忌
避した予型論的解釈
(typologia)を主張
キリスト教徒寛容令
マルクス�(336)
ミラノのアクセンティウス
�?-374
アレイオス派司教
独居
弟子
弟子
コンスタンティウス帝��
305-306
闘争
断罪
弟子
アフリカ生まれの
マリウス・ウィクトリヌス�
281-365
キリスト教に回心
355
マクシミアヌス帝��
(285-305)
マルケルス1世�(306-309)
対抗
修道生活
モドウス(様態)的モナ
ルキアニズム:唯一の
神が様々なモドウスを
取って現れたとする(サ
ベリオス主義)
ホモウーシオ
スの語も排斥
ラテン訳
のダキアをゴ
西方
シェルウェステル1世�(314-335)
サベリオス的なニカイア
信条と相似本質説は和
解が可能とする
サモサタのパウロス�
-272 のキリスト養子説
アンティオケイア教会会議�
268
ガリア皇帝朝(ガリアの簒奪
者)
ポストゥムス� 260-269
ディオクレティアヌス朝
ディオクレティアヌス�
(284-305)
四帝制度(テトラウルキア)
を創始
四つの勅令
カイウス�(283-296)
反対したため小ア
ジア(フリギア)に
追放され後に復帰
デュナミス的モナルキ
アニズム:キリストは洗
礼の時に神の霊により
力(デュナミス)を受け
たことで神の養子とさ
れた
共同修道生活
マルケリヌス�(296-304)
ポワティエのヒラリウス
�315-367
西方で最初に三位一体論
を著した
オリゲネス�
185-254
神の三一性の否定
ガリエヌス帝
253-68
ミルディアデス�(311-314)
プロスキリアヌス
�340-386
厳格主義
259
ガリア統
治を委
任
サベリオス�
-260 の天父受苦説(
父受難説)
寵をうける
フェリクス1世�(269-274)
サルディカ教会会
議342-343でアレ
イオス派を弾劾
仮現説:十字架上のイ
影響
エスからデュナミスは
去ったとする
異端を宣告
エデッサの戦い
著書「救われる富者は
誰か」
著書「創世記講話」
反駁
プロティノス205-270
の新プラトン主義
「エネアデス」を著す
プロブス 276-82
ラクタンティウス
�250-325
アフリカ出身の護教家
300頃キリスト教に改宗
正統教義に立脚した覚
知(グノーシス)の神学
批判
子(共同皇帝)
ギリシャ人のディオニシウス�
(259-268)
修辞学を学ぶ
ホモイウシオ
ス神学を学
ぶ
マニ教に改宗
244
ウァレリアヌス帝�
Valerianus� 253-260
ギリシャ人のシクストゥス2世
(257-258)
シッカのアルノビウス
~300~
後にキリスト教に改宗
マニ
� 216-277
ミッシケの戦い
貞操の賜物について
殉教
アレクサンドレイアのク
レメンス� 150-215
弟子
ガルス帝�Gallus
251-253
法的措置による国家諸
神礼拝
ローマ人のステファヌス(254-257)
怒りを含む「感情」
πάϑοςが元来「苦しみ」
「受動性」を意味する言
葉であるので、エピクロ
ス学派は神に感情があ
ることを否定し、ストア学
派も神が怒ることはあり
得ないとした
北方民族に優勢
シャープール1世
241-272
ノウァティアヌス
190対立教皇251
コルネリウス(251-253)
ローマのノウァティアヌス
対立教皇�251
最初の軍人皇帝
二元論:グノーシス主義�精神的な
もののみを認め、物体的なものは
否定(ヘレニズム世界における、人
間を魂として理解し、神から遣わさ
れた救済者によって自分がこの世
や身体を超えるものであると知らさ
れ、そして開放される)->
(天地創造の教えの否定)(キリスト
の人間性否定)
戦闘
殉教
ローマ教会を自らの
母教会とみなす
厳格な取り扱い
アレキサンドレイア学派
弟子
デキウス帝�Decius
(249-251)
ファビアヌス(236-250)
シッカの
アルノビウス
�?-300-
アレクサンドレイア教理
学校創始者
アレクサンドレイアのア
ンモニオス・サッカス�
?-?
ピリップス・アラブス
(244-249)
250 キリスト教禁令の
発布と犠牲委員会の組
織
背教者の教会へ
の復帰願い
ササーン朝ペルシャ
アルダシール1世
(226-241)
ゴルディアヌス
(238-244)
避難
緩和策
パンタイノス� ?-200
グノーシス主義者のエ
ジプト出身のウァレンテ
ィノス�?-160-
弟子
三世紀末までには大部
分がマニ教に吸収され
た
軍人皇帝朝
マクシミヌス・トラクス
235-238
ギリシャ人のアンテル(235-236)
北アフリカの教父(ニカイア
公会議以前のラテン教父
の方向を定めた)
三一神論における三性の強調、キ
リスト論における神性の強調、聖書
の比喩的解釈(予型論と寓喩的解
釈)
弟子
受肉論か
ら反駁
侵攻により滅亡
207
セウェルス・アレクサンデル
222-235
ポンティアヌス(230-235)
神の兵士たちの
誓約という表象と
連環
ティア戦争
エラガバルス
218-222
ローマのヒッポリュトス
170-235
対立教皇�(217-235)
非難
ウルバヌス�(222-230)
アンキュラのバシレイオス�
?-364
類似(相似)本質(
ホモイウシオス)説
マルキオンの二元論:
旧約の神(創造、律法、義の神)と新約の神(福音の神、イエスの父なる神、善な
る神)を対立させる。
イエスの到来は預言の成就ではなく、キリストは突然カファルナムに降りたとす
る。旧約聖書の予型的解釈を拒否し、パウロ主義に立って新約聖書編纂(ルカに
よる福音書とパウロの10書簡)した。この説に対する反動として
を中心とした比喩的解釈の発展と聖書の正典が定められた
マクリヌス
(217-218)
後輩
パウロの神学用語で
ある信仰の「秘義:
μυστήριον」はラテ
ン語ではギリシア語
から転化した
mysteriumのほかに
sacramentumが使
われた。
スミュルナのポリュカル
ポス�?-156
アルタバヌス4世
(216-224)
第8回パル
カラカラ
(211-217)
迫害時代に棄教しその後教会
に復帰した人々に対して厳しい
償いを課した
ラテン語神学術語を創作
三位一体:trinitas
実体・本性:substantia
位格:persona
秘跡:sacramentum
信仰規範:regula fidei
ヒエラポリスのパピアス�
?-130-
プラトン哲学の影響
リヨンのエイレナイオス�
130-200
エレウテルス�(175-189)
ローマの文化・宗教・風習
(偶像崇拝、兵役、観劇、
婦人の宝飾)
ペラのアリストン�
?-140-
エルサレムで逮捕されローマへ
護送�61-64
ソテル�(167-174)
批判
パウロ神学の弁証法的全
体の動機づけは、義と慈愛
が同一の神の中に共存す
ることによる緊張である(H.
ヨナス「グノーシスの宗教」
アントニヌス・ピウス
(138-161)
モンタノス派
カルタゴの
テルトゥリアヌス
�160-220
アテナイのアリステイデ
ス�?-117-
マルキオン派
コンモドゥス (177-192)
参加
シラスと共にシリア、キリキア、
テサロニケ、アテネ、コリント等
宣教(第2回宣教)�50-52
オスロエス1世
(109-129)
テシフォン占
領
アニケトゥス�(?155-167)
�
バルナバと共に小アジア宣教
(第1回宣教)46-49
パウロ主義の単
純化
殉教者ユスティノス
100-165
ア戦争(116)ク
ハドリアヌス (117-138)
アンティオケイアでバルナバと
共に宣教�40
二元論の
ポントスのマルキオン�
85-160
(101-102)
(105-106)
アンティオケイアのイ
グナティオス�?-110
エルサレムでヤコブに会う39
反駁
第5回パルティ
ピウス1世�(?142-?155)
異端宣言
ダキア戦争
トラヤヌス (98-117)
エウァリストゥス�(?101-?108)
アレクサンデル1世�(?109-?116)
シクストゥス1世�(?116-?125)
テレスフォルス�(?125-?136)
ヒギヌス�(?136-?142)
使徒会議
エルサレムで48年に開かれた、ア
ラム語を話すユダヤ人使徒:ペト
ロ、ヤコブ、ヨハネ、ギリシア語を話
すユダヤ人使徒:パウロ、バルナ
バ、異邦人の改宗者:テトス、が参
加
異邦人キリスト者に律法は不要と
議決した。ユダヤ人キリスト者の割
礼と律法は救いがキリストのみによ
るという印として理解された
ファリサイ派としてのパウロ ダ
マスコのキリスト教徒を迫害
クラウディウス (41-54)
娘
アラム語:シリア語とも
呼ばれる
パウロ
5-64
タルソスで生まれたユ
ダヤ人でありローマ市
民権を持つ
ティベリウス (14-37)
その後西方教会では、
sacramentumが祭儀的側
面から秘跡や典礼を意味す
る語となるのに対して
mysteriumはそこに秘めら
れた意味・真理としての秘
義・奥義を示すものとなった
マウリア朝
チャンドラグプタ
(BC317-298)
協定締結
メガステネスを派遣
異端となったメッサリア派と共
通部分を持つマカリオス文書を
守るため何者かが古代マカリ
オスの名を用いた
マカリオス文書
東方教会:十世紀
頃から古代修道制
の記録として評価さ
れる
西方教会:十六世
紀以降、古典著作
として影響を与える
「神の恩恵が命じているこ
ととは、自分の知恵と自分
の意志によって、また自ら
の労苦や努力によって、各
人が精神的な成長を自ら
のものとすること」と自由意
志について述べる
マケドニオス派
聖霊の神性を認めない
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