皇帝、教皇、王は在位期間を数字で示し、 教父は生存期間を示す 皇帝名の下の年代は在位期間 ユリウス=クラディウス朝 アウグストゥス (BC27-14) イエス� 前4�生誕28�ヨハネによる洗礼30/4/9�十字架の死 ティベリウス (14-37) ペトロ�(?33-?67) リヌス�(?66-?78) アナクレトゥス�(?79-?91) アラム語:シリア語と も呼ばれる ファリサイ派としてのパウロ ダ マスコのキリスト教徒を迫害 パウロ 5-64 タルソスで生まれたユ ダヤ人でありローマ市 民権を持つ ガイウス(カリギュラ) (37-41) クラウディウス (41-54) 使徒会議 エルサレムで48年に開かれた、ア ラム語を話すユダヤ人使徒:ペト ロ、ヤコブ、ヨハネ、ギリシア語を話 すユダヤ人使徒:パウロ、バルナ バ、異邦人の改宗者:テトス、が参 加 異邦人キリスト者に律法は不要と 議決した。ユダヤ人キリスト者の割 礼と律法は救いがキリストのみによ るという印として理解された ダマスコへの途中、復活したキ リストに出会って回心�36 娘 皇后 オクタウィア 54-62 ネロ (54-68) エルサレムでヤコブに会う39 皇后 ポッパエア 62-65 ガルバ (68-69) ロゴスの種子理論:キリストは完全 なかたちで神的ロゴスであるが、 彼の受肉以前にも全ての人間が理 性的精神の内に同じロゴスをいわ ば種子として所有している。 ロゴスそのものであるキリストの受 肉により、キリスト以後、彼を受け 入れる者は完全無欠の真理を所有 する 妻 オト (69-69) フラヴィウス朝 ヴェスパシアヌス (69-79) アンティオケイアでバルナバと 共に宣教�40 アテナイのアリステイデ ス�?-117- シラスと共にシリア、キリキア、 テサロニケ、アテネ、コリント等 宣教(第2回宣教)�50-52 ペラのアリストン� ?-140- エルサレムで逮捕されローマへ 護送�61-64 ヒエラポリスのパピアス� ?-130- 反駁 ローマのクレメンス� (?91-?101) 五賢帝朝 ネルヴァ (96-98) エウァリストゥス�(?101-?108) アレクサンデル1世�(?109-?116) シクストゥス1世�(?116-?125) テレスフォルス�(?125-?136) ヒギヌス�(?136-?142) 172年頃 モンタノス(?-179) がフリギア(小アジア 中西部)で始めた予 言活動 ハドリアヌス (117-138) アニケトゥス�(?155-167) カルタゴの テルトゥリアヌス �160-220 ローマの文化・宗教・風習 (偶像崇拝、兵役、観劇、 婦人の宝飾) 批判 セヴェルス朝 セプティミウス・セヴェルス (193-211) ウィクトール1世�(189-199) ゼフィリヌス�(199-217) その後西方教会では、 sacramentumが祭儀的側 面から秘跡や典礼を意味す る語となるのに対して mysteriumはそこに秘めら れた意味・真理としての秘 義・奥義を示すものとなった ウルバヌス�(222-230) 後輩 パウロの神学用語で ある信仰の「秘義: μυστήριον」はラテ ン語ではギリシア語 から転化した mysteriumのほかに sacramentumが使 われた。 神の兵士たちの 誓約という表象と 連環 セウェルス・アレクサンデル 222-235 ギリシャ人のアンテル(235-236) 避難 殉教 ローマ教会を自らの 母教会とみなす 厳格な取り扱い シッカの アルノビウス �?-300- 同門 ノウァティアヌス 190対立教皇251 この頃教義上の著作 もラテン語が使われ るようになった ラクタンティウス �250-325 ファビアヌス (236-250) カタロイ(清純派 あるいは厳格派) 派をつくる ガルス帝�Gallus 251-253 没収資産の返還 フェリクス1世�(269-274) マルケリヌス�(296-304) ラクタンティウス �250-325 アフリカ出身の護教家 300頃キリスト教に改宗 ディオクレティアヌス朝 ディオクレティアヌス� (284-305) 四帝制度(テトラウルキア) を創始 エウゼビウス�(310) コンスタンティノポリス の完成 330 知遇 ミルディアデス�(311-314) ガレリウス帝�� 305-311 コンスタンティウス帝�� 305-306 マクシミヌス・ダイア帝�� 310-313 コンスタンティヌス朝 コンスタンティヌス Ⅰ世�� (306-337) 最初のキリスト教徒皇帝 帝の改宗 シェルウェステル1世�(314-335) ローマ人のユリウス1世 (337-352) 対抗 闘争 ミラノのアクセンティウス �?-374 アレイオス派司教 非難攻撃 州知事に起用されて ミラノに赴任(72-3) マリアの永 続的な処女 性を主張し 勝利 ヒエロニュムス �347-419 寡婦のマルケラ �325-410 書簡の 交換 ダマスス 1世(366-384) 弟子 ヌルシアの ベネディクトゥス 480-547 修道規則 西方教会 イスパニアを経て侵入してきた ヴァンダル族(アレイオス主義を奉 ずる)の脅威にさらされてアフリカ 教会がニカイア信条の釈義を求め た 長女三女 ヌミディアの アウグスティヌス� 354-430 ブレシラ �364-384 ラヴェンナに宮廷を移動�� 402 支持 ボニファアチウス1世(418-422) 反駁 カルタゴ教会会議 �220-536 地方教会会議の総称 220/25 異端者による洗 礼の無効性を決定(ローマ 教会の見解に反対) 418 ペラギウス説の排斥 反駁 東ローマ皇帝 アルカディウス (395-408) カソリックの洗礼 エジプトの修道制を西 方に導入(マルセイユに 男子修道院と女子修道 院を創設) リヨンのエウケリウス 380-449 ランス司教レミギウス 436-533 任命 招集 エウティケス 378-454 支持 アンテミウス 467-472 アカキウス分裂 484-519 ヒラリウス(461-468) 断罪 教皇レ オの特 使として 出席 ネポス 473-475 マリアをテオトコス(神の 母)でもなくアントローポト コス(人間の母)でもなく、 キリストコス(キリストの母) と呼ぶべきと主張 部下 シンプリキウス(468-483) ヘノティコンが カルケドン信 条に反対する ものとし破門 ロムルス・アウグストゥルス� 475-476 西方教会は 反発 教権 (Sacerdotium) の政権 (Imperium)に対 する優越を主張 する書簡送付 西ローマ滅亡 ヨハネス1世(523-526) 友好的 逮捕・投獄 推挙 フェリクス4世(526-530) 西征により東 ゴート滅亡 ゲルマン人教皇ポニファティウス (530-532) アキテーヌ分王国 ユスティニアヌス朝 ユスティヌス1世 518-527 モプスエスティアのテオド ロスの断罪 アレイオス派 を弾圧 東ゴート王テオドリクス 474-(493-526) アレイオス派を支持 ユスティニアヌス1世 527-565 カルケドン信条 に対する緩和 政策(単性説 の容認) 東ゴート王トティラ 542-552 アルルのカエサリウス 470-542 シルウェリウス(536-537) 単性説勢力の強いシリ ア、パレスチナ、エジプ トにおいて分離教会が 形成 皇后テオドラ 単性説の支持者 単性説の容認を受諾 影響 ウィギリウス(537-555) アレイオス主 義から カトリック教会 へ転向させる 支持 ランゴバルド族東北イタリア 侵入 568 ランゴバルト族 によるローマ包 囲 単性説容認により 西方教会に分裂 の危機 ペラギウス2世(579-590) 聖証者マクシモス 580-662 ヨアンネス・クリマクス 579-649 シナイの修道院長 アテナイにおける 哲学教授を禁止 ペラギウス1世(556-561) レカルド 在586-601 ササン朝ペルシアと永 久平和条約締結 532 攻撃 キリスト単意説 (Monotheletisumus) 庇護 ムハンマド 570-632 サビニアヌス(604-606) シセブト 612-621 ボニファティウス3世(607) ボニファティウス4世(608-615) ボニファティウス5世(619-625) フェリエールのルプス 805-862 ホノリウス1世(625-638) ササン朝ペルシア の侵入を撃退 627 セウェリヌス(640) ヨハネス4世(640-642) テオドルス1世(642-649) ヘラクリウス朝 ヘラクリウス 610-641 逮捕・流刑 マルティヌス1世(649-653) エウゲニウス1世(654-657) 両性単意説支持勅令に反対 ウィタリアヌス(657-672) したため逮捕配流 断罪 断罪 ランゴバルト族 ランゴバル アデオダトゥス2世(672-676) 討伐遠征の折に ドヌス(676-678) ローマで会見 アガト(678-681) ド王が代々 レオ2世(682-683) 戴冠 イスラムに小アジア、ア フリカ、アルメニア、ロー ドス島等を奪われる ラテラノ教会会議 649� コンスタンス2世 641-668 ベネディクトゥス2世(684-685) ヨハネス5世(685-686) コノン(686-687) セルギウス1世(687-701) トゥルロ公会議条項へ ウマイア朝によるコンスタン ティノポリス包囲 674-678 の署名を求める(聖職 ヨハネス6世(701-705) 者の結婚を不許可とす ヨハネス7世(705-707) る等) ウマイア朝によるコンスタン ティノポリス包囲を撃退 シシニウス(708) コンスタンティヌス4世 668-685 招集 イスラム勢力下の東方 教会をつなぎとめるた め、キリスト単意説に関 する論争を禁止 第三回コンスタンティノ ポリス公会議 680� ユスティニアヌス2世 685-695, 705-711 コンスタンティヌス(708-715) グレゴリウス2世(715-731) グレゴリウス3世(731-741) ロンバル ディアの鉄 王冠 ザカリアス(741-752) 戴冠 ランゴバルド王国滅亡 774 ピピン3世 カロリング朝 �(751-768) ランゴバルド王国 を滅ぼす 西ローマ帝国皇帝戴冠 ランゴバルド族を破 り、奪還したラヴェン ナを寄進「ピピンの寄 進」 一部がカー ル大帝によ り寄進され る ステファヌス3世(752-757) パウルス1世(757-767) ハドリアヌス1世(772-795) レオ3世(795-816) ステファヌス5世(816-817) グレゴリウス4世(827-844) アクロイノンの戦い (740)に勝利して小ア ジア西部をイスラム勢 力から奪回 セルギウス2世(844-847) レオ3世による聖画像破壊 運動(イコノクラスム) 730-843 聖画像擁護 反対 アッバース朝との戦い エウゲニウス2世(824-827) カール大帝 �(768-814) テオドシウス3世 715-717 シリア(イサウリア)朝� 717-802 レオ3世 717-741 ステファヌス4世(768-772) パスカリス1世(817-824) 800 ハザール王国 の援助により帝 位に復帰 聖画像禁止令に反対して 破門宣告 コンスタティノポリス総司教 ゲルマノス1世を罷免 アモリア朝 820-867 ベネディクトゥス3世(855-858) ニコラウス1世(858-867) ハドリアヌス2世(867-872) 西フランク王国 中フランク王国 ロタリンギア分割 マケドニア朝 867-1056 ヨハネス8世(872-882) 東フランク王国 キエフ・ロシアのキリスト教改宗989 マリヌス1世(882-884) ハドリアヌス3世(884-885) ロタリンギア分割 ステファヌス6世(885-891) フランス王国 イタリア王 フォルモスス(891-896) 神聖ローマ帝国 ボニファティウス6世(896) ステファヌス7世(896-897) ロマヌス(897) テオドルス2世(897) オットー1世 (962-973) ヨハネス9世(898-900) ベネディクトゥス4世(900-903) コンスタンティノープル総 主教ミカエル・ケルラリオス (1043-1059) 相互破門 1054 アンゲロス朝 1185-1204 ベネディクトゥス9世 (1032-1044) (1047-1048) 戴冠 レオ9世(1049-1054) ハインリヒ4世 (1084-1105) カノッサの屈辱 アレクサンデル2世 (1061-1073) 1077 グレゴリオス7世 (1073-1085) フリードリヒ1世 (1152-1190) 破門 1165 第3回十字軍総司令官 1189 アレクサンドル3世 (1159-1181) オスマン・トルコにより滅亡 ダマスコスのヨアンネス 650-750 アラブ人キリスト教徒 反対 ストゥディオスのテオドロス 759-826 レオ4世(847-855) ヴェルダン条約 843 パライオロゴス朝 1261-1453 東方教会:十世紀 頃から古代修道制 の記録として評価さ れる アンティオケイアのヨアンネス -442 ヨアンネスは、マリアを神の母と宣言するとともに、 それが「神であるロゴスが受肉し、人間となって、 受胎の瞬間から処女から受けた神殿を自分に一 致させたからである」と述べた。キュロリスはこれ以 後「神のみことばの唯一の受肉した本性」という表 現を避けるようにした 西方教会:十六世 紀以降、古典著作 として影響を与える 「神の恩恵が命じているこ ととは、自分の知恵と自分 の意志によって、また自ら の労苦や努力によって、各 人が精神的な成長を自ら のものとすること」と自由意 志について述べる プラトン主義の影響 オリゲネスの断罪�553 エウアグリオス・ポンティコ スの断罪�553 異端となったメッサリア派と共 通部分を持つマカリオス文書を 守るため何者かが古代マカリ オスの名を用いた マカリオス文書 引用 オリゲネス論争 第二回コンスタンティノ ポリス公会議 553� 西ローマを打倒し ラヴェンナに都 偽マカリオス(メソポタミア のシメオン?380-430?) 友人 ディデュモス の断罪 キリスト単性説とカルケドン 信条との調停を図る統一 令(ヘノティコン)を宣布 (482) ゼノン アナスタシウス1世 491-518 アカキウス分 復位に協力 裂和解提案 キリスト両性説、すなわち、キリ ストは「真に神であり、理性的 魂と肉体からなる真の人間で ある」を宣言 カルケドン公会議において確認 されたキリスト両性説を否定す るキリスト単性説 ヘノティイコンを起草 キリスト論における人間性 の強調、聖書の字義通り の解釈。人間性はロゴス・ 知恵・神性の神殿・幕屋と 定義され、イエスは「神を 宿した人間」、「神を担う人 間」と呼ばれる。キリスト養 子説と取られかねない表 現でもある。そこでアン ティオケイア派はこれを 「分離のキリスト論」を唱え る オリゲネス主義者 エウアグリオス・ポンティコス� 345-399 ポントスに生まれる カルケドンの公会議 451� コンスタンティノポリ ス教会会議 448� 474-491 イタリアの王オドアケル� (476-493) 教父達の封印: キュロリスによる論法(権 威の定まった著述家の証 言による論証) 断罪 アカキオス(コンスタン ティノポリス総主教) 471-489 子 小アジアで広まる。人間の 霊魂には悪魔が存在してお り、それは洗礼を通しても 追い出されえず、祈りと禁 欲生活を通してのみ、聖霊 が霊魂に入り、欲情から救 われると説いた 大教皇グレゴリオス1世 在位590-604 セビリャのイシドルス 560-636 コンスタンティノポリスの助 祭に叙する コンンスタンティノポリスの ネストリオス 381-451 指導者となる エウノミオス派(非相似派) 父の本質と子の本質との間 には類似がないとする、極 端なアレイオス主義。398 年アルカディウス帝による 焚書に遭う アンティオケイア学派 キュロスのテオドレトス 393-466 エウノミオス 335-392 カッパドキアに生まれる 父と子の関係を説明するにあ たりギリシャ哲学におけるロゴ スの概念を援用する。これによ り、子の永遠の誕生、被造界の 原型、認識の原理としてロゴス の機能を説明 極端なアレイオス 主義を非相似派 (アノモイオイ)と 呼ぶ 反駁 影響 キュリロスとアンティオ ケイアのヨアンネスの 合同文書�433 断罪 レオ朝 レオ1世、トラキア出身帝 457-474 ゴート族への布教 攻撃と追放に 成功 メッサアリア派 招集 西方皇帝に 指名 西方皇帝 に指名 ニコメディアのエウセビオス� -342 フィロカリア(オリゲネス 文書の抜粋集)編集 反駁 断罪 追放 工作 セビリャ司教 レアンデル 560-601 エフェソスの公会議� 431 フラウィアノス(コンスタ ンティノポリス総主教) -449 マルキアヌス 450-457 カルケドン公会議の開催要請 軍司令官�オレステス 475-476 執政官 カッシオドルス �485-580 執政官 レオヴィギルド 在568-586 反駁 神の母と呼ぶべきと して攻撃 唯一の人格 (prosopon)に おける神性と人 性の合一 エフェソス強盗会議 449� 開催 ホルミダス(514-523) ベネディクトゥスの 修道規則 ネウストリア分王国 415:アレクサ ンドレイアの ヒュパティアを キュリロス派が 虐殺 コンスタンティノポリス司教に叙階:428 著書を焚書命令:435 支持 大教皇(Magnus)レオ1世 (440-461) ゲラシウス1世(492-496) ボエティウス �480-524 西方アリストテレス哲学の源泉 モンテ・カッシーノ 修道院設立 529 ナジアンゾスのグレゴリ オス�325-390 カッパドキアのアリアン ゾスに生まれる アポリナリオスの異端が 潜んでいるとして「キュ リロスの12の破門条項 アレクサンドレイアの司教 反論」を著述 ディオスコロスによって罷 免・追放される アレキサンドレイアのキュリ ロス � 370-444 支持 コンスタンティノポリス の大司教に 397 フン族アッティラ (433-453)と会見 し引揚を説得 フェリクス3世(483-492) エイサゴー ゲー注解を著 す ヌルシアのベネディクトゥス 480-560 単性説の影響 ウァレンス�� 364-378 司教罷免 アルルのホノラトゥス レランスの修道院設立 410 マルセイユの サルウィアヌス 400-480 ニュッサのグレゴリオス 335-394 ヨアンネス・クリュソストモス 344-407 甥 従属説:御子は父に従 属する� 友人 キリスト単性説(Monophysitismus):人 間の本質をなす精神と肉体がそれぞれの 独自性を失うことなく合一して一つの全体 となっているように、キリストはロゴスと肉 から一つの統一された現実的生命となっ た。肉を支配する活力はロゴスに由来する アポリナリオス派 アレキサンドレイアの司教 テオフィロス � 345-412 招集 エクラヌムの ユリアヌス �380-454 フランク王国創始者 クロヴィス メロビング朝 465-511 キリストは神および聖霊 から自らを区別 断罪 エウアグリオス・ポンティコ ス� 346-399 本性的に同等であるが 起源として父を有する 東方教会 アレイオス派をサベリオ ス主義として反駁 反駁 ケレスティヌス1世(422-432) 追放 著書「自由意志」において「神はすべてのこ とをあらかじめ知っておられるが、このことは 我々から自由を奪うことにならない、なぜな らば神はわたしが自由に何を選択するかを 予知されるのだから」と説く。同時に彼は「意 志が正しく起動されるためには、恩寵が絶 対的に必要である」と論ずる(キリスト教神 学事典:教文館) 弟 仲介・調停 ラオディケイアの アポリナリオス 310-390 コンスタンティノポリス 公会議�381 ニカイア信条の再確認 招集 時課:共同体の祈りの 時間を守ることへの求 め 影響 アレキサンドレイア学派 391:アレクサ ンドレイアの 非キリスト教 施設破壊を許 可 東ローマ皇帝 テオドシウスII世 (408-450) 反アレイオス 反駁 エルサレムのキュリロス 315- 対立教皇エウラリウス(418-419) シクストウス3世(432-440) ヨハネス・カッシアヌス� 360-435 半ペラギウス主義 半ペラギウス論を論駁 アクイタニアの プロスペル �390-455 新約聖書正典 が制定された ディデュモス 310�-398 西ゴート族にトラキア定住を 許可 西ゴート族、アラリックI世に ローマを蹂躙される 410 アレイオス 256-336ー ロゴスは神の被造物で あるので同質ではない 教会会議 で破門 キリストに人間の霊魂 がなかったとすると人 間の霊魂の救済がなく なる ペラギウス主義 西方教会に大きな影響 を及ぼしたがヴァンダ ル族の侵入により中 断、イスラム侵入により 消滅 同一本質説 フン族に追われたゴート族にド ナウ川を渡ることを認め、その 後、ゴート族の反乱にハドリアノ ポリスで敗れヴァレンス帝戦死 シリキウス(384-399) アナスタシウス1世(399-401) バシレイオスの規則 断罪 恩恵論を擁護 ブルグント分王国 西ローマ皇帝 ホノリウス 395-423 対立教皇ウルシヌス� (366-367) 参加 エウストキウム� 368-418 アウストラシア分王国 グラティアヌス (375-383) テオドシウス朝 テオドシウス帝�� (379-395) ゾシムス(417-418) ブリタニア出身 ペラギウス �354-427 自由と恩寵の問題 反駁 開催 西ゴート王ヴァリア 415-418 スペインに西ゴート王国 帝のテサロニケ虐殺 に対して後悔懺悔を 要求し屈服させる インノケンティウス1世(401-417) 弟子 プロスキリアヌス �340-386 厳格主義 元老院から 勝利の女 神の祭壇を 撤去させる バシレイオス330-379 カッパドキアのカイサレ イアに誕生 メッサアリア派 師父の言葉 ドナトゥス 寡婦のパウラ �347-404 ヴァレンティニアヌ幼帝�� (375-392) 弟子 親交 弟 アレキサンドレイアのアタナ シオス� 296-373 キリスト教正統信仰の父 東方皇帝 ヴァレンス 364-378 アレイオス派擁護 長男 「ウルガタ版」を提出 384 弟子 弟子 アレキサンドレイアのアレク サンドロス�250-328 キリストは父の本性より神 の独り子として生まれ、造ら れずして生まれ、父と同一 本質(ホモウーシオス)であ る 異端と異教徒を弾圧 (キリスト教の国教化) アンティオケイ アにおいて講 義を聞く 380頃コンスタティノポ 知遇 リスにおいて教えを受け る 四福音書を改訂し 小マクリネ 327-379 断罪 弟 「皇帝は教会の中に あり、教会の上には ない」と宣言 ヘルウィディウス� 380頃活動 大マクリネ -340 父方の祖母 ニカイア公会議�325 ニカイア(ホモウーシオ ス)信条を採択 ヴァレンティニアヌス朝 ヴァレンティニアヌス�� 364-375 二番目の皇后ユスティナ�� (370-388) ミラノ(メディオラヌム)の アンプロシウス �339-397 ギリシア語著作のラテン語 翻案 弟子 弟子 ユリアヌス帝背教者�� (361-363) 息子 擁護 著書「テオポントスへ� ー�神における受苦と不 受苦について グレゴリオス・タウマトゥルゴス 213-270 黒海沿岸ポントス地方生まれ カッパドキア教会の創設者 タウマトゥルゴスとは奇跡を行う 人の意味である ホモウーシオスとい う語がサベリオス主 義に通じるとして使サベリオス 的異端を感 用に反意 じていた コンスタンティウス�Ⅱ世�� (337-361) アレイオス主義者 アタナシオスを ローマで保護 皇帝の意向に沿 う会議 ベジエ教会会議�356 ニトリア砂漠に修道院 建設 マカリオス(エジプトの マカリオス) オリゲネス的 従属説の神 学的傾向の ため同情的 リキニウス帝�� 308-324 隠修士アムン 288-350 親交 魂の先在と万物救済 神の国の現れとみる サルディカ教会会 議342-343でアレ イオス派を弾劾 コンスタンティヌスI世と リキニウスの共同統治 313-324を経て 砂漠の師父アントニオス� 251-356 旧約に対する安易な アレゴリー解釈を忌 避した予型論的解釈 (typologia)を主張 ポルフュリオス駁論 キリスト教徒寛容令 ミラノ寛容令 313 マルクス�(336) ルキアノス 240-312 アンティオケイア学派 カイサレイアのエウセビ オス� 263-339 マクシミアヌス帝�� (285-305) マルケルス1世�(306-309) 共同修道生活 パコミオスPachomios 287-347の修道院建 設 東方 西方 四つの勅令 ラテン訳 アフリカ生まれの マリウス・ウィクトリヌス� 281-365 キリスト教に回心 355 独居あるいはその集落 カイサレイアのパンフィ ロス�-309 新プラトン主義 ポル フュリオス�232-305 「エイサゴーゲー」を著 す ラテン訳 アウレリアヌス 270-75 帝の招聘によりニ コメディアで宮廷 付きの修辞学教師 となる ˜290 独居 アリストテレスに基礎 弟子 クラウディウスIIゴティクス 268-70 エウティキアヌス�(275-283) 修道生活 神の三一性の否定 プロティノス205-270 の新プラトン主義 「エネアデス」を著す 寵をうける ガリエヌス帝 253-68 殉教 カイウス�(283-296) モドウス(様態)的モナ ルキアニズム:唯一の 神が様々なモドウスを 取って現れたとする(サ ベリオス主義) 弟子 ガリア皇帝朝(ガリアの簒奪 者) ポストゥムス� 260-269 プロブス 276-82 修辞学を学ぶ サベリオス的なニカイア 信条と相似本質説は和 解が可能とする サモサタのパウロス� -272 のキリスト養子説 コプトの師父 ガリア統 治を委 任 子(共同皇帝) ギリシャ人のディオニシウス� (259-268) 反対したため小ア ジア(フリギア)に 追放され後に復帰 弟子 ホモウーシオ スの語も排斥 アンティオケイア教会会議� 268 ウァレリアヌス帝� Valerianus� 253-260 法的措置による国家諸 神礼拝 ローマ人のステファヌス (254-257) 怒りを含む「感情」 πάϑοςが元来「苦しみ」 「受動性」を意味する言 葉であるので、エピクロ ス学派は神に感情があ ることを否定し、ストア学 派も神が怒ることはあり 得ないとした ポワティエのヒラリウス �315-367 西方で最初に三位一体論 を著した デュナミス的モナルキ アニズム:キリストは洗 礼の時に神の霊により 力(デュナミス)を受け たことで神の養子とさ れた サベリオス� -260 の天父受苦説( 父受難説) 貞操の賜物について ギリシャ人のシクストゥス2世 (257-258) シッカのアルノビウス ˜300˜ 後にキリスト教に改宗 反駁 断罪 コルネリウス (251-253) ローマのノウァティアヌス 対立教皇�251 弟子 �?-355 秘跡の正当な授け手の問 題 仮現説:十字架上のイ エスからデュナミスは 去ったとする 異端を宣告 背教者の教会へ の復帰願い 迫害を神の試練、意味 深い計画であるとみな す オリゲネス� 185-254 批判 デキウス帝�Decius (249-251) 250 キリスト教禁令の 発布と犠牲委員会の組 織 カルタゴ教会に背教者 (棄教者):lapsiの続出 緩和策 対立 ホモイ ウシオ ス神学 を学ぶ 著書「救われる富者は 誰か」 著書「創世記講話」 犠牲を捧げた者には証 明書、リベルス リベラティキ:libellatici 偽の証明書により迫害を 切り抜けた者たち アンキュラのバシレイオス� ?-364 類似(相似)本質( ホモイウシオス)説 正統教義に立脚した覚 知(グノーシス)の神学 アレクサンドレイアのク レメンス� 150-215 影響 軍人皇帝朝 マクシミヌス・トラクス 235-238 サクリフィカティ:sacrificati 実際に犠牲を捧げた者たち カルタゴの キュプリアヌス �200-258 アフリカ最初の司教殉教者 アレキサンドレイア学派 ポンティアヌス(230-235) 北アフリカの教父(ニカイ ア公会議以前のラテン 教父の方向を定めた) 東方教会では秘 義:μυστήριονの 意味を守り続けた 弟子 エラガバルス 218-222 ローマのヒッポリュトス 170-235 対立教皇�(217-235) 非難 カリストゥス1世�(217-223) グノーシス主義者のエ ジプト出身のウァレン ティノス�?-160- 二元論:グノーシス主義�精神的な もののみを認め、物体的なものは 否定(ヘレニズム世界における、人 間を魂として理解し、神から遣わさ れた救済者によって自分がこの世 や身体を超えるものであると知らさ れ、そして開放される)-> (天地創造の教えの否定)(キリスト の人間性否定) 弟子 マクリヌス (217-218) 弟子 三一神論における三性の強調、キ リスト論における神性の強調、聖書 の比喩的解釈(予型論と寓喩的解 釈) アレクサンドレイア教理 学校創始者 カラカラ (211-217) 迫害時代に棄教しその後教会 に復帰した人々に対して厳しい 償いを課した ラテン語神学術語を創作 三位一体:trinitas 実体・本性:substantia 位格:persona 秘跡:sacramentum 信仰規範:regula fidei パンタイノス� ?-200 パウロ神学の弁証法的全 体の動機づけは、義と慈愛 が同一の神の中に共存す ることによる緊張である(H. ヨナス「グノーシスの宗教」 受肉論 から反 駁 エレウテルス�(175-189) 参加 スミュルナのポリュカル ポス�?-156 リヨンのエイレナイオス� 130-200 コンモドゥス (177-192) � プラトン哲学の影響 ソテル�(167-174) モンタノス派 sacramentumは ローマ軍兵士たちの 公的誓約としての 「旗の誓い」を意味し ていた マルキオンの二元論: 旧約の神(創造、律法、義の神)と新約の神(福音の神、イエスの父なる神、善な る神)を対立させる。 イエスの到来は預言の成就ではなく、キリストは突然カファルナムに降りたとす る。旧約聖書の予型的解釈を拒否し、パウロ主義に立って新約聖書編纂(ルカに よる福音書とパウロの10書簡)した。この説に対する反動として を中心とした比喩的解釈の発展と聖書の正典が定められた 三世紀末までには大部 分がマニ教に吸収され た マルクス・アウレリウス (138-161) パウロ主義の単純化 マルキオン派 アントニヌス・ピウス (138-161) ピウス1世�(?142-?155) 異端宣言 殉教者ユスティノス 100-165 アンティオケイアのイ グナティオス�?-110 バルナバと共に小アジア宣教 (第1回宣教)46-49 二元論の ポントスのマルキオン� 85-160 クインティリアヌス �35-100 修辞学 ディオニュシオス (Dionyusios)文書 500頃シリアで成立 マケドニオス派 聖霊の神性を認めない
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