世界史 高 2 進研 1 月 大問4「イスラーム史」 【2013】イスラーム世界の

高 2 進研 1 月 大問4「イスラーム史」
世界史
【2013】イスラーム世界の主要な都市
問 1.イスラーム教の聖殿
〇[①
カーバ神殿
]…メッカにある立方体の聖堂。ムハンマド征服後は黒
石のみが残され、イスラーム教の信仰の中心となる。六信五行の「礼拝」は 1
日 5 回カーバ神殿に向かって礼拝をする。
問 2.イスラーム教の特徴
ア
[②
ジハード
]…異教徒などに対するイスラーム教徒の戦い。語源は「困難を克服する努力」。
イ
[③
ヒジュラ
]…メッカからメディナへの聖遷。ムハンマドは「富の独占の批判」、「神による“最後
の審判”」を説いたので、危険思想と見なされた。そのためメッカの大商人クライシ
ュ族から迫害されメッカからメディナへ逃れた。メディナでは率いられた信者たちに
よってイスラーム共同体であるウンマが形成された。
[④
ウ
]…イスラーム教の聖典。ムハンマドが神から与えられた啓示の記録が、第 3 代カリフ
コーラン
であるウスマーンの時代に現在の形に編集された。
[⑤
エ
啓典の民
]…ユダヤ教・キリスト教の預言者は、ムハンマドに先立つ預言者とされ、両教徒
はジズヤの支払いを条件に信仰の自由が認められた。
問 3.第 4 代カリフのアリー
〇[⑥
シーア派
]…第 4 代カリフであるアリーとその子孫のみをムハンマドの正統な後継者として認める
一派。シーアとは普通名詞で「党派」の意味。初期に、Shī'ah 'Alī(アリーの党派)と呼ばれたことによる。
〇[⑦
スンナ派
]…代々のカリフを正統と認める多数派。スンナとはムハンマドの言行に従う者の意味。
問 4.ウマイヤ朝時代の出来事を選べ
ア
[⑧
タラス河畔の戦い
](751)…中央アジアのタラス地方(現在のキルギス領)で唐とアッバース
朝が中央アジアの覇権を巡って行った天下分け目の戦い。
‣
唐の玄宗は兵制を府兵制から募兵制へと変え、傭兵制になっていた。武将は高仙芝。[⑨
製紙法
]
が西伝。製紙法は漢代に蔡倫が改良。
‣
イ
[⑪
‣
アッバース朝は[⑩
アルハンブラ宮殿
アブー=アルアッバース
]。
]…ナスル朝のもとでグラナダに建設された宮殿。
イベリア史;ローマ→西ゴート→ウマイヤ朝→後ウマイヤ朝→ムラービト朝→ムワッヒド朝→ナスル
→レコンキスタ完成(1492)→スペイン
ウ
[⑫
ニザーミヤ学院
]…セルジューク朝時代の宰相ニザーム=アルムルクが開設、スンナ派教学の中心。
エ
[⑬
トゥール=ポワティエ間の戦い
](732)…ウマイヤ朝時代のイスラーム軍とカール=マルテル率い
るフランク王国軍の戦い。イスラーム軍は敗北し、ピレネー山脈の南に退いた。
問 5.正統カリフ時代とウマイヤ朝時代のカリフの選出方法の違い
※[⑭
〇[⑮
]とは…ムハンマドの後継者。イスラーム共同体であるウンマを指導した。
カリフ
正統カリフ時代
]…ムハンマドの死後、選挙で選出された。アブー=バクルからアリーまでの 4
人を「正統カリフ」時代という。
‣[⑯
アブー=バクル
](位 632~634)…ムハンマドの義父。初代正統カリフ。
‣ウマル(位 634~644)…ビザンツからエジプト・シリアを奪い、[⑰
ニハーヴァンドの戦い
]でササン
朝を滅亡させ、イラン・イラクを征服した。
‣ウスマーン(位 644~656)…ウマイヤ家出身。同族優遇政策を行ったので不満が高まって暗殺された。
‣[⑱
アリー
](位 656~661)…ムハンマドの従弟。シリア総督ムアーウィヤとの戦闘中、暗殺された。
〇ウマイヤ朝時代…アリー暗殺後、ウマイヤ家の[⑲
]はカリフ位を宣言。以後世襲制。
ムアーウィヤ
〇三カリフ鼎立時代…10 世紀にアッバース朝が衰退すると、[⑳
ファーティマ朝
]、後ウマイヤ朝もカ
リフを名乗り、3 カリフが鼎立する時代となった。
問 6.後ウマイヤ朝の首都
a)[㉑
コルドバ
]…ウマイヤ朝滅亡後、遺族がイ
ベリア半島に逃れて後ウマイヤ朝を立てた際の都。
西方イスラーム世界の中心地となった。
b)[㉒
]…10 世紀にファーティマ朝がエ
カイロ
ジプトを征服して建設した新しい都。バグダードに
代わる文化の中心地となった。
問 7.サラディン
〇[㉓
アイユーブ朝
]…サラディンがエジプトに建国したスンナ派の王朝。首都のカイロを中心にイェ
ルサレムを領有した。サラディンは第 3 回十字軍と戦い、その勇武と寛容さはヨーロッパにも知られた。
☆重要十字軍
第1回
セルジューク朝の聖地占領
聖地回復に成功。[㉔
イェルサレム王国
]を建国
した。
第3回
サラディンがイェルサレム王国占領
独皇帝フリードリヒ 1 世、仏王フリップ 2 世、英王[㉕
リチャード 1 世
]が西欧を挙げて陸路を東進。しか
し独皇帝が溺死し、仏王は帰国。英王リチャード 1 世だ
けがサラディンと戦ったが失敗。巡礼の安全確保は得
た。
第4回
[㉖
ヴェネツィア商人
経済的利益
]の
イスラームを攻めず、ビザンツ帝国の[㉗
ンティノープル
]を占領し[㉘
コンスタ
ラテン帝国
]
を建設した。ビザンツ帝国はニケーア帝国に逃れ、後に
回復。
問 8.ウマイヤ朝とアッバース朝の税制の違い
ア)[㉙
]…人頭税の意味。ウマイヤ朝までのイスラーム世界ではアラブ人にジズヤ・ハラージュの
ジズヤ
[㉚
]があり、非アラブ人は改宗してもジズヤが課されたままという差別的な待遇を受け
免税特権
た。これらの不満を受けて、アッバース朝ではアラブ人の特権を廃止し、ムスリムは等しくハラージュを課せ
られ、非アラブ人改宗者(マワーリー)のジズヤは免除された。
エ)[㉛
ハラージュ
]…ハラージュは地租の意味。征服地の住民だけに課せられ、たとえイスラームに改宗
しても免除されることはなかった。ウマイヤ朝末期にはアラブ人にも課せられるようになった。アッバース朝
はこの政策に目をつけ、アラブ人・非アラブ人の不公平を解消するために、平等にハラージュを課すようにな
った。
イ)[㉜
]…従来は官僚や軍人に対してアター(俸給)を支払っていたが、ブワイフ朝から土地
イクター
の管理と徴税権(イクター)を与えるようになった。これにより土地に根付くようになったので地方分権が進ん
だ。
ウ)[㉝
]…イスラーム法のこと。宗教的な戒律だけでなく、家庭生活や政治・経済などを含
シャリーア
めた内容となっている。
☆ウマイヤ朝とアッバース朝の税制!総整理 ☆
ウ
マ
イ
ヤ
ア
ッ
バ
ー
ス
ムスリム
アラブ帝国
アラブ人が優遇される税制
マワーリー
イスラーム教徒の平等
ジズヤとハラージュを課税
ジンミー
ムスリム
イスラーム帝国
ジズヤ・ハラージュ免除
マワーリー
ジズヤを免除。ハラージュを課税
ジンミー
ジズヤとハラージュを課税
問 9.アッバース朝カリフ時代以降の兵制
〇[㉞
マムルーク
]…トルコ人奴隷兵士。トルコ人は勇敢で忍耐心に富み、馬上から自在に弓を射ること
が出来た。アッバース朝カリフはこれらをトルコ人奴隷兵として採用、親衛隊を組織した。以後のイスラーム
王朝も異教の世界から奴隷商人を通じてマムルークを購入し、軍隊の中核にすえることが一般化した。
問 10.イスラーム系諸王朝
ア)[㉟
イル=ハン国
]は、フラグがイランを中心に建国。第 7 代ハンの[㊱
ガザン=ハン
]はイス
ラーム教に改宗し、イスラーム教を国教とした。
イ)[㊲
ムラービト朝
]は、ベルベル人によって西サハラに建国された。首都はモロッコのマラケシュ。
11 世紀にガーナ王国などに侵攻したが、同じベルベル人のムワッヒド朝に滅ぼされた。
ウ) バグダードに入城してブワイフ朝を滅ぼしたのは、[㊳
セルジューク朝
]。始祖のトゥグリル=
ベクは入城後、アッバース朝カリフからスルタンの称号を得た。
‣[㊴
ホラズム朝
]はセルジューク朝のマムルーク;アヌシュ=テギンが自立し、セルジューク朝
滅亡後のイランと中央アジアを支配した。
エ) [㊵
サーマーン朝
]は中央アジアで最初のイラン系=イスラーム王朝。この王朝のもとで、サマル
カンドやブハラなどの都市が繁栄し、イラン=イスラーム文明が勃興した。
‣[㊶
カラ=ハン朝
]は、サーマーンを滅ぼした中央アジア最初のトルコ系イスラーム王朝。中央ア
ジアのトルコ化・イスラーム化に重要な役割を果たす。
※補論; イスラーム王朝総まとめ
世紀
イベリア・モロッコ
7
西ゴート王国
エジプト・シリア
イラン・イラク
中央アジア
[①
正統カリフ時代
]
インド
ヴァルダナ朝
都はトレド。ゲルマ
ムハンマドの死後、選挙制によって選出された 4 代のカリフ。ア
都;カナウジ。ハルシ
ン国家。
ブー=バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの 4 人。
ャ王建国。
[②
8
ウマイヤ朝
]
ムアーウィヤが開いた王朝。都はダマスクス。以後カリフは世襲制となる。アラブ人優
遇政策をとったので改宗者が不満を持ち、アッバース家に滅ぼされた。
9
10
11
[⑧
③後ウマイヤ朝
13
分裂時代
シーア派とマワーリーの不満を利用して建国。後、シーア派は弾
家の遺族が建国。フ
圧されスンナ派を保護する。アラブ人優遇税制を改めイスラームの平
ァーティマ朝に続い
等を実現し、アラブ帝国からイスラーム帝国へ転換がなされた。
てカリフと称す
⑨ファーティマ朝
⑭
都;カイロ。カリ
④
⑱サーマーン朝
㉓
イラン系シーア派
中央アジア初最
アルプテギン建国。
フを称する。過激
イクター制。アミ
初のイラン系イ
アフガンのガズナ
なシーア派。
ールの称号。
スラム王朝
が中心。インド侵
⑮セルジューク朝
⑲カラ=ハン朝
入を繰り返し、
トルコ系のトゥグリル=ベ
中央アジア初の
インドのイスラーム化
クがブワイフ朝を倒し
トルコ系イスラ
の道を開いた。
スルタンと称す。マリク=シ
ム王朝
ムラービト朝
⑩イェルサレム王国
⑤
第 1 回十字軍
が建国する
ア
ッ
バ
ー
ス
ブワイフ朝
トルコ系という
説。
ャー時代に最盛。
⑯
モロッコ。ベルベル
サラディンがファーティマ朝
トルコ系。アヌシュ=テ
西遼。遼の遺族の
人。レコンキスタと
を倒して建国
ギン建国。チンギスに
耶律大石が建国
㉔
戦う。
イェルサレムを占領
より滅亡。
チンギスにより滅亡
アフガンのゴールを
㉑チャガタイ=ハン国
中心に建国。北
ナスル朝
ホラズム朝
ガズナ朝
⑪アイユーブ朝
⑥
ムワッヒド朝
キリスト教
ゴール朝
⑰
都;グラナダ。アル
都;カイロ。バイ
都;タブリーズ。フラグ
チンギスの遠征
インドをイスラーム化
ハンブラ宮殿を建国
バルスがモンゴル
がアッバース朝を滅ぼ
で成立。オゴタイ
した。イラン系と
するがレコンキスタ
と十字軍を撃退し
し建国。ガザン=ハンの
=ハン国を併合す
いう説。
で征服される。
アッバース朝カリ
時イスラームを国教化。 るも、東西に分裂
[⑦スペイン王国
]
が 1492 年征服完了
[⑬
国
イル=ハン国
⑳カラ=キタイ
⑫マムルーク朝
フを保護。
以後
]
都;コルドバ。ウマイヤ
フ
モロッコ。ベルベル ァ
人。ガーナ王国を滅 ー
テ
ィ
ぼす。
マ
12
アッバース朝
名宰相ラシード=ウッディーン
チャガタイ=ハン国の分裂を機に[㉒
]のセリム 1
ィムール
世がマムルーク朝
を滅ぼす
・奴隷王朝
する。
オスマン帝
㉕デリー=スルタン朝
テ
]が建国し、イル=ハン国征服。
・ハルディ-朝
・トゥグルク朝
・サイイド朝
・ロディー朝