辻谷工業の砲丸と気質

辻谷工業の砲丸と気質
H17.10.17
陸上競技砲丸投げの一般男子用の砲丸を見
企業の部類ということだ。
たことがあるだろうか。初めて見た一般男子
この辻谷工業が今や世界的に有名な砲丸製
用砲丸の巨大さに私は腰を抜かすほど驚い
造メーカーになっている。ちっぽけではあっ
た。
てもその世界では知る人ぞ知るメーカーだ。
だいたい中学校の授業で使用している砲丸
何しろ、1996 年のアトランタ、2000 年の
は、中学生女子用のものが多い。中学生女子
シドニー、そして昨年のアテネオリンピック
の砲丸は直径 9.05 ㎝重さ 2.721 ㎏。男子用は
と、この競技の金・銀・銅を三大会連続して
直径 10.3 ㎝、重さ 4 ㎏。市内の中体連では
独占したのが辻谷工業製の砲丸だったのであ
男女とも 15 ㍍も飛ばせかなりの確立で優勝。
る。
有名なエピソードに砲丸紛失事件がある。
6 位入賞なら時として 10 ㍍を下回る場合さ
1992 年のバルセロナ五輪のことだ。砲丸投
えある。
それが一般男子の砲丸は直径 12.55 ㎝重さ
げの会場はメインとサブがあって、それぞれ
は 7.257 ㎏だ。まるで赤ちゃんの頭部くらい
に辻谷工業は 16 個の砲丸を納めていた。そ
の鉄の塊を 20 ㍍を超えて飛ばすのだから、
のサブの競技場から 16 個の砲丸すべてが消
砲丸選手は化け物に近い。ハンマー投げでは
えてしまった。砲丸投げは、マイボールがな
室伏が、やり投げにもかつては溝口など世界
い。会場で用意された砲丸を自分で選ぶので
的な選手が存在したが、砲丸投げで活躍した
ある。紛失事件は、どうやら、選手があまり
日本選手など聞いたことがない。日本の選手
の使い勝手のよさに持ち帰ってしまったとい
がこの競技で振るわないのは技術以前に体格
うのが真相のようで、次のアトランタ以降の
が欧米選手にかなわないからだろう。選手に
オリンピックは辻谷工業製の砲丸の独壇場と
必要なのはまずはパワー、次いで瞬発力、そ
化していく。
してパワーと瞬発力を砲丸に集中させる技
同社の砲丸の秘密は重心の確かさとフィッ
術。意外かもしれないが、砲丸投げの一流選
ト感にあるという。後にドーピング騒ぎを起
手は、30 ㍍までなら短距離の選手には負け
こしたアトランタの銅メダリストアレキサン
ないという。サークルの中で最大の瞬発力が
ダー・バガチ(ウクライナ)の弁を借りれば、
求められるからで、100 ㎏を優に超える巨人
ソフトタッチで重心の位置がいい」というこ
が巨体を揺すって突進する姿を想像したら到
とになる。重心の位置によっては 1 ㍍から 2
底日本人がかなうはずがない思うのである。
㍍も飛距離が異なるというから砲丸の重心は
砲丸の品質を決める最大のポイントだ。
ところが、砲丸投げでは日本は世界一だ。
重心と聞いて不思議に思ったのだが、あの
とは言っても競技ではなく、砲丸の製造に関
鉄の塊の中は空洞ではない。あの鉄の球体は
してだ。
鋳物で、鋳物工場から納品された砲丸の表面
日本の砲丸メーカーに辻谷工業がある。昭
を機械で粗削りしてさらに削って細部の加工
和 33 年に埼玉県富士見市に設立された従業
を施す。細部の加工は手作業だ。鋳物は密度
員わずか 10 名の町工場で、株式会社ではな
の違いで球体の左右が異なっているのは見た
く有限会社。有限会社とは資本金最低額が
目でも分かるという。それを削っていいると
300 万円。出資者も 50 人以内。株式も発行
きの音、手に伝わってくる圧力、削り終えて
できない代わりに、役員は一人で済む、設立
た時のツヤをたよりに削り方を変えて重心を
費用も株式会社に比べたら格段に安いという
確かなものにしていく。カンを頼りの見極め
利点を持っている。要するに辻谷工業は零細
仕事だ。
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余談になるが、辻谷工業の砲丸は業界をほ
この辻谷工業の砲丸には、機械を超えた技
ぼ独占している状態だが、これは 15 ∼ 6 年
術力や握りやすく重心の確かな砲丸という品
前に砲丸の国際規格によって指定された砲丸
質へのこだわり、社長自らの探求心、自社の
重量の+ 5 ∼ 25 ㌘に規定されたことが契機
みの短期的な利益ではなく日本全体にまで及
だった。それまでは大量生産のためにNC機
ぶような視野と度量の広い決断が込められて
械で造っていたが、この規格では 7 割が不良
いる。そこには、砲丸という陸上競技に使う
品。同業者は相次いで製造から撤退し結局辻
用具でありながら、人の気質や生き様が集約
谷工業に注文が集中することになったのだそ
されたように感じられるのである。
うだ。カンを頼りに手間暇かけて精緻な仕事
技術立国日本の生命線は大田区にあると言
をするのでは商売にならないということだろ
った人がいるが、おそらくは辻谷砲丸も大田
う。
区も同じ気質が流れているのであろう。
砲丸の材料は鋳物だ。鋳造業は 3 Kの一つ
戦後、我が国が灰からの復興をなしとげ、
に数えられるような過酷な仕事だ。夏の鋳物
近代工業化社会の勝者とも言える地位を獲得
工場に職場見学で生徒を連れていったことが
していったが、そこにはかような国民性とも
あるが、40 ℃を超える室内で真っ赤になっ
言うべき気質が流れていたのである。これを、
て煮えたぎっている流鉄が型に流し込まれて
どのようにしたら受け継げるのか、また育ま
いく。逃げ出したくなるような暑さだ。その
れるのか。ここまで考えて私ははっとしたこ
鋳物工業に辻谷さんは修行に出る。そこで分
とがある。
かったことは、夏は鋳物 100 個に 4 日かかる。
学力低下が叫ばれて確かな学力が提唱さ
冬は 3 日。鉄の膨張具合は気温に関係してい
れ、百升計算が絶賛されたり、小学校英語が
る。さらには鋳物をつくる行程で 1 個目と 2
話題になったり、教えて考えさせるがテーマ
個目では 100 ㌘くらいの誤差が出る。要する
になったりしても、そこで論議されているこ
に鋳物は生き物と同じで一つ一つが違う。そ
とは殆どすべてが学校教育に重心を置いた教
れをNC機械で同じ削り方をしても不良品が
育のことで次世代の継承者としての人づくり
出るのは当然だ。
、、
辻谷工業の砲丸にはもう一つ秘密があっ
、
た。バルセロナで工夫したのは、握りやすく
から発した論議ではない。そしてまた、教育
するために指紋にヒントを得た溝を施すこと
子どもの姿をデータでしか捉えらえられなく
だった。女性が 1 ㌢に 14 本。男子が 8 本。
なっている。さらには、おそろしいことに 21
中間をとって 1 ㎝あたり 10 ∼ 12 本の溝を砲
世紀を担う人材をはぐくむ教育施策のトップ
丸に作り、しかも指紋の形状から上を細かく
にいる人までもが、次なる社会作りの視点を
下を粗くした。それが握りやすい、手にフィ
欠いていると言わざるを得ない状況なのであ
ットする辻谷の砲丸の秘密だった。しかし、
る。「生きる力」は国が生きる力でもあるは
2001 年、突如この溝が禁止され、辻谷工業
ずで、辻谷社長のような人材をどうはぐくん
の「得意」が消えた。それでアテネでは重心
でいくかが課題のはずなのである。
の有り様を決している人達の殆どが背広にネ
クタイ姿の人たちで、中枢にいけばいくほど
の精度で勝負した。結果は先に述べたとおり
辻谷の砲丸づくりや大田区の町工場に流れ
だ。カン仕事の極みのようなものだ。
実は、辻谷工業製の評判が上がるにつれて、
る空気と精神は、かつての松下やHONDA
海外のメーカーから技術指導のオファーがあ
やSONYであっても同様だったし、このも
った。3 年間で 3 億円の好条件だったが、辻
のづくりに対する気質が日本の製造業の発展
谷さんは 1 人で考え 1 人で断ったのだそう
の源だったと思うのである。
だ。理由は三つ。一番目に上げているのは日
しかし、こうした気質や技術の継承・発展
本の技術の海外流出。二つはここまでの砲丸
が、跡を継ぐ人材の不足に加えて、3Kを厭
ができるまでにいろいろな人の知恵やアドバ
いまじめを嘲笑する風潮の前に危機に瀕して
イスを受けてきた、その人達を裏切ることに
いるのが現状で、そのことに私は憂いという
なる。2001 年の溝禁止はこのオファーを断
より恐ろしさを感じているのだが、これは杞
った後の突然のことだったのである。
憂で済む話なのであろうか。
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