今週の本棚 : 中村達也・評 『金融が乗っ取る世界経済』=ロナルド・ドーア著 毎日新聞 2012 年 04 月 29 日 東京朝刊 ◇投資家資本主義の歪みを告発する ケインズの『一般理論』の中にこんな一節がある。 「企業活動の堅実な流れがあって、投機家がその流れの上に浮かぶ泡の ようなものなら、何ら害はないかもしれない。しかし、企業活動が投機の大渦に浮かぶ泡のようなものになってしまったら、 ことは重大である。ある国の資本の発展が、賭博場のカジノ活動の副産物となってしまったら、とても始末におえるもので はない」 。著者が見据えているのは、こうした経済のカジノ化が、グローバルな規模にまで拡(ひろ)がっている現実、そし てそのことによってもたらされる憂うべき社会状況。そうしたさまを「金融が世界経済を乗っ取る」と言い、 「二一世紀の憂 鬱」だと表現する。 まずは、引き合いに出されている興味深い数字を紹介してみよう。 (一)アメリカの金融業の利益は、一九五〇年頃には全 企業利益のおよそ一〇%ほどであったが、二〇一〇年には三六%にまで増えた。 (二)二〇〇七年、世界の為替取引額は、一 日当たり三・二兆ドル、貿易総額は三二〇億ドル。つまり、実需一に対して空需が一〇〇にまで膨らんだ。 (三)アメリカ企 業の経営トップ層の報酬は、三〇年前には社員の平均賃金のおよそ二五倍だったが、現在では四〇〇倍を遙(はる)かに超 えている。 (四)アメリカでは株式資本の集中化が進んで、年金基金・保険会社・投資ファンドなど機関投資家の株式所有シ ェアが、一九九〇年には四五%、二〇〇五年には六一%にまで上昇した。その結果、株主の利益を最優先する「投資家資本 主義」の様相がいちだんと強まっている。一体、何が起きているのか。 おびただしい種類の金融派生商品が登場した。様々なリスクを切り分け組み合わせ、まるで中身が分からぬほどに複雑化 した取引が急速に拡大してきた。そんな具合に信用バブルが膨らんだのは、一つには、金融業に携わる従業員の報酬システ ムに原因がありそうだ。所定内給与よりも、個々人の取引高に応じて支払われるボーナスの方が桁違いに巨額だ。経営者の 報酬もまた、ボーナスやストック・オプションのウェイトが大きく、さながら「ボーナスは自分に、リスクは会社に」とい った案配だ。モトローラの社長が記録的な高報酬を手にした二〇〇八年度に、同社の収益は、実は前年比で七一%も減少し ていたという。もう一つは、リスク管理モデルに対する過信。何しろ、ノーベル経済学賞級の金融工学を駆使したモデルを もとに取引しているのだから、危ういところなど何もないという思い込みが、取引を勢いづかせてしまった。 結局のところ、経済の金融化・投機化は何をもたらしたのか。著者の見立てはこうだ。第一に、格差の拡大。前述のよう な高所得者がいる一方で、途上国との低賃金競争にさらされる労働者が増えている。第二に、不確実性と不安の増大。拡大 したのは所得格差だけではない。生活の不安定度が高まってしまった。収益増大を求める投資家の圧力が強まるにつれ、リ スクはますます従業員に振り向けられ、賃金も雇用も不安定となった。第三が、人材配分の歪(ゆが)み。各世代の優秀な 人材が金融業界に流れるようになった。有名ビジネス・スクールは、職業的投資家・金融工学専門家を養成して金融業界に 送り込む。大学の理工学部の卒業生も、その数学的能力を見込まれてスカウトされる。そして第四が、信用と人間関係の歪 み。銀行貸し出しとは異なり、証券の売買を通じるやりとりは、取引の無名化・非人間化の過程でもあって、かつてのよう な信頼関係や人と人との絆が薄れ、そのことが人と人との信頼関係を弱めることにつながっている、と。 そんな中でのあのリーマン・ショック。まさに「金融が世界経済を乗っ取る」事態が生じたのだが、著者は日本の実情に ついても目配りを怠らない。リーマン・ショック直前に出た『経済財政白書』には「リスクに立ち向かう日本経済」という 副題が付されていて、日本企業のリスク・テーク意欲が弱いことが低成長の一因であり、国民が証券文化に馴染(なじ)ん でいないこと、金融リテラシーが足りないことが問題だと指摘されていた。著者は、こうした白書の姿勢を見逃さない。次 年度の白書の副題は「危機の克服と持続的回復への展望」となっていて、さすがに、前年度のような能天気な証券文化の勧 めは姿を消しているのだが。 最後に、経済を見るいかにも著者らしい二つの視点が提示されている。一つは、GDPの大きさないし成長率が他国と比 べて高いか低いか、つまり、国際サッカー連盟のランキングと同様、国際GDPリーグでの自国の位置づけに注目する捉え 方。いま一つは、たとえ成長率が高くはなくとも、格差がさほど大きくはなく、教育・医療・福祉がそこそこに整っている こと、総じて「より住みやすい国」になっているかどうかをメルクマールとする捉え方。著者によれば、前者は小人のそれ、 後者が君子のそれ。もちろん、著者が与(くみ)するのが後者であるのは言うまでもない。
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