Federal Republic of Germany ・ドイツ語 ・キリスト教 ・イスラム教 ・無宗教 ●Summary ドイツはヨーロッパ最強の経済力と産業力を誇り、ロシアを除けば人口も最も多い。北部には、北海とバルト海沿岸から内陸へ続く豊か ●Arts な平野が広がり、そこから南下すると中央部の高地にぶつかる。さらに南へ下ると、南西の方向には起伏のあるシュワルツワルト ( 黒い森 ) ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。 があり、はるか南のアルプス山脈へと続いていく。 第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義や新即物主義を生み出し、デザインや建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。 ドイツは都市化が進んでおり、人口の約 86%が都市部に住んでいる。世界で最も出生率が低い国の 1 つで、外国人労働者が多く、移民の バウハウスに集ったヴァルター・グロピウス、ハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ヨハネス・イッテン、ピエト・モ 数は約 730 万人に上る。ドイツには、ダイムラー・クライスラー、シーメンス、フォルクスワーゲンなど、世界的に名前の知れている企 ンドリアン、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・ 業があり、環境に優しい新技術を提供している企業としては、トランスラピッド ( リニアモーターカー ) やノルデックス ( 風力タービン ) 建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。 などが挙げられる。 しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリ 1989 年 11 月 9 日、「Wir sind ein Volk(われわれは 1 つの民族だ)」という民衆の叫びと共に、東ドイツ側からベルリンの壁が崩された。 カ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。 その 1 年後の 10 月 3 日深夜、日付が変わった直後にドイツは生まれ変わった。第 2 次世界大戦終結後ずっと分断されていた民族が、再 1960 年代以降、フルクサスやヨーゼフ・ボイス、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多 び 1 つになったのだ。 数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。 とはいえドイツ統一は比較的歴史が浅い。ゲルマン諸国が初めて統一されたのは 1871 年、プロイセン王がドイツ帝国の皇帝となったと きだ。第 1 次世界大戦の敗北により帝国は滅び、国家は多額の賠償金支払いにあえいだ。 ●Food ワイマール共和国は民主的ではあったが安定感はなく、インフレと失業問題に悩まされ、絶望した国民は 1933 年、ヒトラーに再建への 料理は火を使わずに用意できるカルテス・エッセン (kaltes Essen、冷たい食事 ) と、調理してから出されるヴァルメス・エッセン 希望を託した。ヒトラー率いるドイツは再武装し、周辺諸国を侵略、第 2 次世界大戦を引き起こした。この戦争では 5500 万人が犠牲となり、 (warmes Essen、温かい食事 ) とに大別される。よく知られているものとしては、前者にソーセージ (Wurst) 、ハム (Schinken) 、チーズ ヨーロッパ全土が荒廃した。 (Käse) などの冷製食品、後者に塩漬け肉アイスバイン(Eisbein) 、キャベツの塩漬けザワークラウト(Sauerkraut)、肉や魚の団子クネーデ 1945 年、ドイツ降伏に伴い、プロイセンやシロンスクなど国土の東部は旧ソ連とポーランドに割譲され、残りの国土は連合国に割譲され ル(Knödel)などがある。 た。このとき、首都ベルリンは 4 分割された上で占領され、その後旧ソ連とほかの連合国との間に緊張が高まる中で、この暫定的な分割 ビールは 16 歳以上 ( 保護者同伴ならば 14 歳から ) の国民が飲めるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によっては の措置がしこりとして残った。 リンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンのオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りだといわれる。ドイツのワインは白ワインが 1949 年、アメリカ、フランス、イギリスの占領区がドイツ連邦共和国 ( 西ドイツ ) となり、ソ連の占領区がドイツ民主共和国 ( 東ドイツ ) 主体。かつてはリースリング種をつかった甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費とも となった。そして、東ドイツから西ドイツへの逃亡を阻止するため、1961 年にベルリンの壁が作られた。 に増加している。蒸留酒は 18 歳以上の国民が飲む事が出来る。 約 45 年の歳月を経ての東西再統一は、困難を極めた。現在、旧東ドイツの経済は弱体化しており、若者たちは西側に職を求めるため、か ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。全て つての東側の人口は減少の一途をたどっている。旧東ドイツで活気があるのはベルリンだ。統一ドイツの首都で国内最大のこの都市では、 の地域で肉はしばしばソーセージのかたちで食べられる [136]。有機農産物が市場の約 2%を占めており、今後も増加する見込みである 建設ラッシュが続いている。新しいガラス張りドームの連邦議会議事堂など多くの斬新な建築が観光客に人気である。 [137]。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依 欧州連合 (EU) の設立メンバーであったドイツは、2004 年に加盟を果たしたチェコ共和国やポーランド、そのほかの国と貿易を行い、利 然として年間一人当たり 116 リットルが消費されており、世界最大である [138]。ミシュランガイドは 9 件のレストランに三つ星を、15 益を拡大している。 件に二つ星をつけている [139]。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で二番目に賞を受けている [140]。 ●Economy ●Music 主要産業 : 鉄 , 鋼鉄 , 石炭 , セメント , 薬品 , 機械 , 車 , 工作器具 , 電子機器 ドイツは同じドイツ語圏のオーストリアと共にヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヨハネス・ブラー 主要農業 : ジャガイモ , 小麦 , 大麦 , 砂糖大根 ; 畜牛 ムスの「ドイツ三大 B」を初めとする、クラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出している。ベルリン・フィルをはじめ 主要輸出 : 機械 , 車 , 薬品 , 金属製造業 , 食品 , 繊維 とする世界クラスのオーケストラや音楽祭も多い。文学と同じくオーストリアと併せた括りで(相互の移動や各時代における国民意識な ど分離して考えることが困難なため。ベートーヴェンがドイツ音楽でブルックナーはオーストリア音楽というような分け方は殆どされな ●Culture い)世界最大のクラシック音楽大国とされている。オペラ、コンサート、演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には州立 ( 国立と呼 ばれる場合もある ) ないし市立の劇場、オーケストラがおかれている。各地の放送局が所有しているオーケストラも総じてレベルが高い。 歴史的にドイツは「詩人と思想家の国」(Das Land der Dichter und Denker)と呼ばれてきた [114]。連邦各州が文化施設を担当しており、 オペラはオーストリアとスイスのドイツ語圏をあわせるとイタリアの 4 倍近い年間上演数を誇る、世界でも群を抜く中心国であり、諸外 ドイツには助成を受けた 240 の劇場、数百の交響曲オーケストラ、数千の博物館そして 25,000 以上の図書館がある。これらの文化施設 国からドイツ語を学んだ歌手が多く集まっている。逆にいえばドイツ人だけでは陣容を維持できない規模になっているともいえ、ポピュ は多くの人々に利用されており、毎年延べ 9100 万人のドイツ人が博物館を訪れ、20 万人が劇場やオペラ、3600 万人が交響曲オーケス ラー系のショービジネスや野球におけるアメリカに似た地位にある。その他、オペレッタ、ミュージカル、バレエ、ストレートプレイの トラを観賞している [115]。国際連合教育科学文化機関はドイツでは 36 件を世界遺産リストに登録している [116]。 上演も盛んである。 ポピュラー音楽については、1979 年、ジンギスカンの『Dschinghis Khan(ジンギスカン) 』『めざせモスクワ (Moskau)』や、1980 年代に ドイツは高いレベルの男女平等 [117]、障害者の権利促進そして同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパー NENA(ネーナ)がアメリカ合衆国などでもヒットさせた『99 Luftballons』(ロックバルーンは 99)などが知られている。 トナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001 年以降にはシビル・ユニオン (en)(結婚に準じる権利)[118] が認められた [119]。 2005 年、ミラノでのアポカリプティカとのライブ 1990 年代半ば以降ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可され また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成された Die Prinzen(ディー・プリ ねばならないと認識するようになった [120]。ドイツは 2010 年に世界で最も賞賛される国の統計で 50 カ国中第 2 位にあげられた [121]。 ンツェン)が、2002 年のサッカー「FIFA ワールドカップ日韓大会」で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーで 2011 年の BBC の世論調査によれば、ドイツは世界で最も肯定的な影響を与えている国と認められている あるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼ぶ。 ●History ●Environment 現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは石器などが発見された地層から約 70 万年前と考えられている。60 万年から ドイツは世界的に環境保護先進国と呼ばれている。1994 年、基本法第 20 条 a 項として「国は未来の世代に対する責任といる面におい 55 万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4 万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人は約 35000 年前か ても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。エコノミーとエコロジーは対立するものではない、大気、 ら現れ、紀元前 4000 年頃の巨石文明を経て紀元前 1800 年頃までに青銅器文明に移行している。紀元前 1000 年頃にはケルト系民族によって 土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭い上に、海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、その上、 ドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。 廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、 1998 年に同盟 90/ 緑の党が連立政権に参加した。 紀元前 58 年から 51 年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経てゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んで 行き、紀元後 375 年には西ゴート族の移動を初めとする大移動によって現在のヨーロッパに定着する。西ローマ帝国の滅亡後、ケルト系民族 1986 年 廃棄物発生防止・処理規正法 産業廃棄物等の発生源によって規制する規則 を北方に追いやったゲルマン人は各地に王国を建てたが、フランク王国が統一した。843 年のヴェルダン条約によって三分割されたうちの 1 1991 年 6 月 包装材廃棄物政令 つである東フランク王国。 1994 年 10 月「リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法」( 廃棄物リサイクル促進法 ) 1996 年 10 月 同法施行 東フランク王国の国王オットー 1 世(ザクセン朝)は 962 年アウグストゥス(古代ローマ帝国皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国 と呼ばれるゆるやかな連合体を形成した。しかし中世におけるドイツには国家としての統一や民族意識はほとんどなく、各地に領邦国家が分立 した歴史は現在に続く連邦主義の基盤となっている。各領邦は近隣諸国に比べて弱体で、また宗教改革では新旧両教に分かれて互いに争ったた 製造業者の関与を深める法体系を作った 2002 年 1 月 デポジット制の制定 環境にやさしくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される め三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊された。1600 万人いたドイツの人口が戦火によって 600 万人に減少したと言われる。 2011 年 7 月 脱原発法の成立 それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15 世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation」と 2011 年 3 月の福島第一原子力発電所事故の発生を機に反原発の声が高まり、2022 年までに国内 17 基の原発を全て停止することになっ 称し、対ドイツ搾取的な教皇サイドからの自立の姿勢を示した。1667 年にザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) た。 が著した書ドイツ帝国憲法について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が確定できる。 現在では量り売り、デポジット制などの努力により、ごみの大幅な減量に成功している。ドイツのごみ排出量は日本の 4 分の 1、特に 包装物は 10 分の 1 である。こうした環境への姿勢が近隣諸国に影響を及ぼし、1994 年 12 月に EU の包装材指令 (2001 年までに加盟 西南部のシュヴァーベン地方のホーエンツォレルン城一帯出身の東北部のプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家は 17 世紀半ばから勢力を 各国で廃棄物リサイクル促進法を法制化することを求める EU 指令 ) がくだった。 拡大し、1701 年にはプロイセン王国を形成した。ドイツ人はナポレオンによる侵略を経て民族意識と統一国家への志向を強め、19 世紀前半に ドイツは循環社会への転換を果たしているといわれている。ごみの排出回避、素材・エネルギーの再利用、環境に配慮した処理法、ま はプロイセンに主導的な役割を期待する機運が高まった。分裂国家ドイツの中でも比較的強い中央集権国家であったプロイセンをリーダーとし た「排出者責任」は企業責任と明確にしているなど、廃棄物が巡る経済を実現している。 てドイツの統合が進められてゆく。1806 年まで神聖ローマ皇帝位を世襲していたオーストリア(その後はドイツ連邦議長国)は、ハンガリー Duales System Deutschland の略で、1991 年にドイツの企業が協力して設立した、プラスチック、缶、ビン、紙などを回収・リサイクル やチェコなど非ドイツ人地域を多く領有するため、「大ドイツ主義」派(オーストリアから非ドイツ人地域を分離させたうえで統一ドイツの中 する組織。国内に 195 の分別工場を有し、現在 17500 企業が払う 20 億ユーロのライセンス料で共同処理を行っている。ここからリサ 心とする)にも与することができなかった。オーストリアの主張は、旧神聖ローマ帝国版図を軸とした多民族国家の支配権をドイツ人が握る中 イクルされたものを使用した商品は、グリューネプンクトが表示され、販売価格にリサイクル価格が上乗せされる。この制度をデュア 欧帝国構想と呼ばれるもので、これは国民国家の潮流に反するため多くの支持を得ることはできなかった。「小ドイツ主義」派のホーエンツォ ルシステムという。デュアルシステムはドイツを手本に EU 圏内で広がっている。フリーライダーの存在、コストの問題、普通ごみの レルン家とオーストリアのハプスブルク家はドイツ統一の役割を争ったが、1871 年、プロイセン国王ヴィルヘルム 1 世の戴冠によってドイツは、 混入など課題もある。 ドイツ系オーストリアを除く、小ドイツとしてのドイツ国(ドイツ帝国)として統一され、ベルリンを首都とした。 1918 年、第一次世界大戦の敗北によってドイツは共和制に移行したが、ヴァイマル共和政は小党乱立により政局は不安定で、驚異的なインフ レなど経て 1931 年には、アドルフ・ヒトラーの指導下で極右的民族主義やユダヤ人の排斥、再軍備を唱える国家社会主義ドイツ労働者党(ナ チス党)が選挙で国民からの支持を受け 1933 年に政権を握ると、ナチス・ドイツとなり、軍事力の増強や周辺諸国の併合などを行った。 1939 年 9 月に緊張関係にあった隣国ポーランドと開戦し、第二次世界大戦が始まった。 ●World Heritage ・ポツダムとベルリンの宮殿と庭園 ・ベルリンの博物館島 ・ムスカウア公園 ・ドレスデンのエルベ渓谷 1945 年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を領土として完全に喪失。これに より、戦前の領土の 25% を失うこととなった。さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され、1949 年、ボ ンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分 裂した。冷戦の時代を通じて東西ドイツは資本主義と共産主義が対立する最前線となったが、1989 年ソビエト連邦のペレストロイカに端を発 した東ドイツの民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊し、翌 1990 年、再統一を達成し、再びベルリンを首都と定めた。以 降、旧東ベルリンを中心とするベルリンの再開発・インフラ整備と、ボンからベルリンへの連邦政府機関移転による実質的な首都機能移転が順 次進められ、2001 年 5 月 2 日にベルリンへの首都機能移転が完了した。 ・ワイマールとデッサウのバウハウス ・デッサウ・ヴェルリッツの庭園 ・アイスレーベンとヴィッテンベルク ・クベトリンブルク修道院、城と旧市街 ・シュトラールズントとヴィスマール ・ハンザ同盟都市リューベック ・ブレーメンのマルクト広場 ・ヒルデスハイムにあるふたつの聖堂 ドイツは現在ではヨーロッパで最大の国家のひとつとなっているが、長期間の分裂を原因とする東西の経済格差や統一税がそれまでの順調な成 長を妨げている。一方で、歴史的に統一されたドイツが周辺諸国に対して脅威となってきた問題を懸念する見方もあったが、反対に米ソによっ てドイツが冷戦後の強国の一つになることを容認されたとの分析もある。実際、統一ドイツはフランスと共に欧州連合の中核国として発言力を 増し続けている。近年のユーロ危機では、競争力の高いドイツが域内から黒字を吸い上げる一人勝ち構造が批判されるとともに、これまで合理 化に耐えてきた国民からは援助支出への不満の声が高まるなど政府は難しい舵取りを迫られている。 ・ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー ・エッセンのツォルフェライン炭鉱遺産 ・アーヘン大聖堂 ・ブリュールのアウグストゥスブルク宮殿 ・ケルン大聖堂 ・ロルシュ修道院 ・メッセルの化石遺跡 ・中部ライン渓谷 ・シュパイヤー大聖堂 ・トリーアのローマ遺跡、大聖堂と聖母聖堂 ・フェルクリンゲン製鉄所 ・古典主義の都ワイマール ・ヴァルドブルク城 ・マウルブロン修道院 ・修道院の島ライヒェナウ ・バンベルク ・ヴュルツブルクの司教館、庭園と広場 ・ヴィースの巡礼堂 ・レーゲンスブルク旧市街 ・ローマ帝国の国境線
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