(1)2008年(平成20年) よ き お と ず れ 1カ月140円 年間1 500円( ) 第 月1日(毎月1日発行) 号 昭和 2 7年1月 1 2日 第三種郵便物認可 発行所 カトリック長崎大司教区 広報委員会 発行人 中 田 輝 次 〒852-8113 長崎市上野町10-34 カトリックセンター内 TEL095 (843) 3869 FAX095 (843) 3417 郵便振替番号 01880-5-2699 カトリック長崎大司教区ホームページ 印刷所 株式会社 藤 木 博 英 社 〒850-0852 長崎市万屋町5-13 TEL095 (821) 2146 FAX095 (821) 2148 !"#!"$%&'()*+ !"#$%& !"#$%& !"#$%&'()*+, !"#$%&'(%) *+ !"#$%& !"#$ !"#$%& よ き お と ず れ (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 2008年(平成20年) 月1日(毎月1日発行) (2) 号 第 7月 恩人を含む200人を超 える参加者の中で節目の 年の喜びを分かち合った。 日、日本 教区連合婦 人会は5月 ∼ 高めようと、長崎県観光 の紹介ブースを設置。 連 盟 が﹁ な が さ き 巡 礼 ﹂ 日は東京の日本カト リック会館で旅行エージ ェントやメディア関係者 フランシスコ 中田輝明さん がんの告知後も無用な 5月 日、肺がんのた ︵中田輝次師実父︶ め新上五島町有川病院で 延命よりも生きざまを家 帰天。 歳。新上五島町 族に残すことを選んだ。 サに行くため、漁業から 祭、多数の参列者ととも 」と は何か、そのあるべき姿 に、 な 「 がさき巡礼 などについて、長崎巡礼 性団体連盟総 本観光博覧祭旅フェア 水 主町教 会︵ 主 2008﹂開催。 万人 ミサと告別式は6月2 鯛ノ浦生まれ。 5 人 の 子 供 を も う け、 日、鯛ノ浦教会で司教総 長男は教区司祭。毎日ミ 代理橋本師ほか 人の司 導司祭・山内 分かち合いや講演会など に行われた。 ちが工夫してきた。記念 台を訪れた。 長ら 人が仙 いうことを浮き彫りにす 同 森田江里子 ︵浦上、中地区会長︶ 過ごした。 けがれなき聖母の騎士 修道女会を母体とする社 れた。 ルチア ︵山村憲一師実父︶ ペトロ 山村 章さん 会 福 祉 法 人﹁ 聖 家 族 会 ﹂ 山本 トヨ修道女 岩崎 キメ修道女 ︵ 中 山 和 子 理 事 長 ︶ 運 営 ︵お告げのマリア修道会︶ ︵お告げのマリア修道会︶ アンナ 同 吉川かづ子 同 松岡 麗子 6月1日、佐世保市内 6月1日、黒島修道院 ︵平戸口、平戸地区会長︶ ︵稲佐、中地区副会長︶ 6月 日、聖フランシ で帰天。 歳。佐世保市 スコ病院で帰天。 歳。 の病院で帰天。 歳。4 書 記 田中 直美 同 白濱美知子 ︵長与、北地区副会長︶ ︵真手ノ浦、上五島地区 黒島出身。 長 崎 市 銭 座 町 で 生 ま 日三浦町教会で葬儀。 長 年フィリ ピンの子 供 年間のマリア会海星 れ、被爆した。専任カテ 会 計 牧山 昌子 会長︶ 学園での奉仕や、教会奉 キスタとして浦頭小教区 たちのための学 校 設 立や 同 岩下 順子 ︵愛宕、南地区副会長︶ 理 事 横山ひとみ ︵福江、下五島地区会長︶ 仕などに務めた。 の信仰教育に献身し、保 給 食制度の確立を目指し 明るく、 こまめに働き、 育園園長としても活躍し たボランティア 活 動の代 現したことを旧約聖書が る、と締めくくった。 惜しみなく人をもてなす た。また、会長として二 表として活躍した。いつも 講 座 後 の 茶 話 会 で は、 シスターだった。 証明した▼イエスさまの 自 分のことより 人のこと 期 を 務 め 、 明 る く 柔 和 に 教えこそが私たち人間に 参加者が和やかな雰囲気 を優先、一人ひとりを大事 葬 儀 ミ サ・ 告 別 式 は 会員を導いた。 とって本質的なものだと の中、交流のひとときを 3 日 、 黒 島 教 会 で 行 わ に素 晴 らしい人 生の先 輩 葬 儀ミサ・告別式は 日、 本部聖堂で行われた。 だった。 ︵シナピス会代表︶ ヨハネ 廣田 義雄さん タッフも良き巡礼者の来 針尾 サキ修道女 中村 鈴代修道女 崎を願ってパンフレット ︵お告げのマリア修道会︶ ︵お告げのマリア修道会︶ 日は教区連合婦人会総会 をカトリックセンターで 行い、新役員が任命され た。 会 長 山岡千代子 いに補い合い、福音書の 一字一句がある意味で旧 約聖書に関係がある、と 相対箇所を紹介しながら 分かり易く説いた。 ︵東長崎、北地区会長︶ 配布を手伝った。 新 し い 旅 の 提 案﹁ 巡 礼 ﹂ 副会長 中村 泰子 を通して長崎への関心を 教会へ。今年列福式を迎 た。3日目は山形県米沢 遺 産 登 録 推 進 を 契 機 に、 父が話し、 日は横浜の 畜産業に職を変える。 式典はその﹁総括する会﹂ 1日目は元 寺小路教会で の機会とするよう信徒た であるとともに、また小 教区共同体の新たな﹁出 総会。2日目 が来場した。 センター長の中村 満神 時 から 発式﹂でもあった。 は広瀬川殉 教地を巡礼、平賀徹夫仙 き、次回開催地の大分に 一貫している▼特に新 画は創世記のはじめから て、▼神さまの救いの計 所 床を含む180床。 画された。定員は短期入 者の利便に沿うように計 各種リハビリ室など利用 だ。 もたちの成長に心を注い として 良いことも悪いこともお マリア で小教区創立 マリア 実師とともに 司 教の司 式、小 教区歴代の司 サ、 祭 も集い記 念ミ 長 崎 インター 共同体にとってこの節 ナ ショナ ル ホ 目の年が188殉教者の ペナントが引き継がれ の重症心身障害児施設み さかえの園 む 「つみの家﹂ がこのほど完成し、髙見 大司教を迎え祝別落成し 新施設は鉄筋造り3 た。 聖書の役割﹂をテーマに、 約・イエスさまによって ししていくかが問われる 旧約聖書と新約聖書は互 真家・栗林慧氏の記念講 演があり、フィナーレコ た。 年間勤め、子ど 長としての任務を6年間 歳。久賀 島出身。三菱重工長崎造船 所に勤 務。6人の子供に恵 余 人の 司 祭 が 列 席、 多くの友人に見送られた。 教と 浦教会で行われ、髙見大司 儀ミサと告別 式は7日飽の 析、晩 年 は闘 病 だった。葬 だった。9 年 前から人工透 生き、特に聖母信心に熱心 務 め、 地 域 に あ っ て は、 まれ、熱心な信仰者の姿を た。 関係者は﹁全面新築で 下積みの仕事を黙々と 保育事業・教会活動を通 障害者の要望、 外来診療、 引 き 受 け 、 誠 実 に 果 た す し て 、 人 々の信仰教育の 窄 繁 子 修 道 女 は、 ﹁ 被 爆 在宅福祉、療育福祉サー シスターだった。 ために、 精力的に働いた。 地での開 催で、 〝いのち 〟 ビスにも応えることがで 葬儀ミサ・告別式は 葬儀ミサ・告別式は6 日、三井楽教会で行われ 日、神ノ島教会で行われ きます﹂ 。 深く考える機会となった 写真は新築落成した ようだ﹂と感想を話した。 ﹁むつみの家﹂ 病院にて死去。 階、地下1階、病棟居室 6月 日、五島市聖マ 7月4日、神ノ島修道 7月6日、脳 内出血のた 室。 第一に各病棟、 浴室、 リア病院で帰天。 歳。 院で帰天。 歳。 め入 院 先の聖フランシスコ 互いに学び合っていくこ る基調講演、その後、ブ 講座がカトリックセン そして、旧約と新約と ターで行われ、約130 が 関 連 す る 意 味 に つ い とが大事﹂と話した。 ロック会議や2時間にお 人が参加した。 上教会︶ 、平和巡礼と懇 三井楽町生まれ。保育士 お告げのマリア修道会 の前身、聖婢姉妹会の会 親会。2日目、ミサ︵日 よぶフォーラム、アニメ る の で な く 包 み 込 ん で、 講師の髙見三明大司教 は﹁福音書の中での旧約 聖人記念聖堂︶に始 神さまの救いの計画が実 本 映 画﹁ ア ン ゼ ラ ス の 鐘 ﹂ をもって終了した。 の尊厳、 〝平和〟について 24 テルで祝 賀 会 へ向かって歩みだす新た な決意を固めた。 館館長デ ル ・カ レ ・ ンゾ 師︶﹂﹁キリシタンが見た 真宗 ︱異なった宗教間 における共生のまなざし ︱︵真宗大谷派教学研究 所研究員・僧侶藤原正寿 師︶﹂﹁殉教者が伝える現 代へのメッセージ︵列聖 列 福 特 別 委 員 会 委 員 長・ あり、興味深い内容に約 溝部 脩高松教区司教︶ ﹂ と題し提言。質疑応答が 司教主司式のミサへと続 150人の参加者は皆聴 き入っていた。 21 10 53 ンサートとミサ、閉会式 72 31 同協会長崎支部長の赤 22 時から髙見大 周 年 を 祝 っ た。 を行い、節目の年を成長 ︵小ケ倉、南地区会長︶ 31 71 ブースで、同センタース 会に参加、指 カトリック女 6月 ∼ 日、パシフ ィ コ 横 浜 で、 ﹁第 回日 14 ﹁長崎の教会群とキリ 森内千惠子会 スト教関連遺産﹂の世界 任 岩 崎 晋 吾 師 ︶ 祈 り と 教 会 の 環 境 整 備、 周年を迎えるに当 日︵ 日 ︶大 村・ たって1年前から特別の 22 が 行 わ れ た。 列福式と重なることを摂 台教区司教の 家 「庭は召 える米沢の殉教者 人の ︵早岐、佐世保地区会長︶ 関 係 司 祭、修 理と受け止め、殉教者た 命の苗床 」基調講演、日 殉教地3カ所を巡った。 道 女、 牧 師、 ちを生み出した教会の姿 カ連顧問 宮 ・ 原良治福岡 また5月 日、6月1 植松教会の代 表 信 徒などの 〝 対 話 〟 徹夫司教︵仙台教区︶の を通し考え 司会で、シンポジスト3 る ︱。 ﹁殉 教者をださ ない社 会 ﹂ をテーマに シン ポ ジ ウ 国家と差別 ム2008 ︵日本カト リック部 落 問題 委員 会 主催、長崎教区共催︶が 日、カトリックセ 19 ことになる。人を排除す 平和や愛をどのように証 しすること、単に死んで 6 月 日、教区生涯養 い く と い う の で は な く、 成委員会主催の公開聖書 考えるときに、信仰を証 ンターホールで行われた。 人が﹁差別とキリシタン 参加した司祭の1人は 殉教者︵日本 聖人記念 ﹁ 私 た ち が﹃ 殉 教 者 ﹄ を 6月 13 11 20 79 76 同委員会委員長・平 賀 20 教区連合婦人会総会(5月 31 日カトリックセンター) 94 7 月 1 日 か ら 3 日 間、 回日本カトリック 保 22 14 まり、大学院教授で臨床 85 12 を観賞した。最終日は写 13 第 育施設協会全国研修会 が 長崎市内のホテルをメ イ ン会場に開催、全国か ら い 「 のち ∼ 関係者約200人が集ま り、 テ ー マ 見まもり・育む∼ に 」 つ 如己堂巡礼 91 11 25 13 26 17 50 心理士の西村喜文氏によ 40 いて学び合った。 1 日目は総会、髙見 大 司教司式の開会ミサ︵ 浦 20 53 10 14 50 26 38 953 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第 よ き お と ず れ 8 月1日(毎月1日発行) (3)2008年(平成20 年) 人 を対 象 いることにふれ、この子 以下の子供・少年が る188人のうち、 人 歳 レジオマリエ 福岡巡礼 会では主任神父、婦人部 た︵ 参 加 ずつに分かれて見学、福 料館︵個人所蔵︶を数人 け、昼食後、隣接する資 人︶ 。小郡教 などの歓待を受け交流を ﹁秋月平和賞﹂を創設 岡教区の歴史やキリシタ 委員会は会創設者・故秋 会で 行 わ ン時代の遺品などに触 月辰一郎氏の平和への思 長崎原爆孤児の救済 まで長崎県美術館で 開かれた。ポーラン と片言の日本語で支 援を 日ポーランドのTV局 ﹁ ﹃この子たち食べるもの ない、 お腹︵なか︶すいてる﹄ が訪れ、資料館などコル 19 3 0 年 コ ル ベ 神 求めていたことを思い出し ド人・ゼノ修道士は 父、ヒラリオ修道士 うかがった。 を創設した。第1回受賞 県地域 体連合会長︶を長崎の平 日原 和運動に尽力したと推 示館には岐部神父がロー 影を行った。 会の中心人物だった た。日出藩の重臣で教 爆資料館で行った。 薦、授賞式を6月 マでイエズス会に入 会 す が、信仰を捨てないの ベ神父の足跡をたどる撮 るため、ラテン語で書か 会 の 指 導 者 と な り、 巡礼者の目をひいていた。 この後、精神的弱者 を 回 復 さ せ る 施 設 と、 れ た 願 書 の 写 し が あ り、 で処刑されている。 九 州 市 小 倉、 武氏による岐部神父の像 ︵ あ じ む ︶ 厳 律 シ ト ー 共同体がある安心院 た。しかし 藩 主の細 川忠興が将軍の圧力 公園には西坂の 聖人 多くの信者が生まれ 記念碑を制作した舟越保 大分地区に巡 に負け、 処刑された﹂ 。 が 悠 然 た る 態 度 で 立 ち、 会︵トラピスチン︶に 次に188殉教者 巡礼者は像の前で祈った。 も立ち寄り、クッキー 翌 日は別府教会でミ 直売店で買い物するな 名の筆 頭にあがって サにあ ずかる。バルタザ ど、巡礼中に頂いた神 神父記念公園に向 ペトロ・カスイ 岐 部 いる大分県国東市の ディエゴ加賀 上出身︶から かった。公 園 内の展 天 草、 有 馬、 然 公 園になっている墓 前 7 月 5 日 を遂げた細川ガラシア夫 熊 本、 八 代、 人 ︱ の 墓 稜 を 参 詣。 自 島原の聖な 彼 女の高潔な生涯にあら で、ほっとし た と と もに 分 後、同じく細川 人が復 活を待って 教会に着く。ここで 歳 花岡山の感動から約2 時間︱、私たちは八代の 眠る花岡山の殉教墓碑に、 含む その子供たちと奉公人を 玄也とその妻マリアみや、 家 とゆかりの深い小 笠原 く。 ためて尊 敬の気持ちを抱 殉教者 る たちの偉業 を慕って 人の巡礼者 は朝7時前 三ツ山教会 を後にした。 は 時頃には熊本入り、 して立った。 美をささげた。 ル加賀山半左衛門と4歳 つつ長崎に帰った。 さまのお恵みを感謝し ︵西町・鵜池 實︶ の息子が殉教した日出殉 教公園にも足を延ばし のトマス、5歳のペト 会 で ミ サ に あ ず か り、 人の互いの一致を確 ご聖体を通して巡礼者 先駆者について素晴 会所属︶から 人の う。 長 浜 氏︵ 八 代 教 次に場所を変えて 麦島の殉教地に向か ロザリオを唱えた。 ルタザル、アントニオ の幼いイグナチオ、バ 港での殉教︱。港口で 祈りにも感動。島原外 川沿いに走る車中での 認。富岡城跡でのアダ ・・・﹁テ・デウム﹂︵我ら神 200倍の実りと る模範を示してくだ 翌6日は天草、大江教 ︵三ツ山・吉野良介︶ りをたたえて歌った。 さった殉教者一人ひと ちもと決意。 なってよみがえる。私た そ れ が 今、 1 0 0 倍、 を︱︶を私たちに生き 殉教のうちに死し 八 代 の 殉 教 者 ︱、 3兄弟の一部始終に涙 一 粒 の 麦 と し て 生 き、 し た。 旅 の 終 わ り に ム荒川への祈り、有馬 らしい解説を頂いた。 教 の 姿 を 思 い 起 こ し、 ロの健気で勇敢な殉 ﹁恵みの風に帆をはって﹂ 長崎中地区評議会企画② 山隼人の話を 教 会 所 属、 浦 井 修 氏︵ 門 司 初日は小倉 教 会 で、 酒 礼した。 人有志が北 周年を記念し同実行 深めた。今村教会では指 れ、今後の活動への糧を ながさき平和大集会の 導司祭Mヒルデン神父司 得ることができた。 式でごミサをささげ、婦 に中 町 教 めていった。 人会からお茶の接待を受 信仰を確認し、親交を深 日から シドニー大会が 7月 道院・今村教会を巡礼し いを継ぎ、 ﹁秋月平和賞﹂ れが自分の重荷を背負い、 ゼノ修道士の写真展 とを分かり易く説いた。 者に小 演、午後 の基調講 馨神父は、今秋福者とな 長崎レジアでは恒例の 7月6日、長 崎 南 地区 れ、約200人が集まった。 供たちを育てたのが、そ 同タイトルの本をまと の当時の﹁親たち﹂であ 戸外行事として、福岡の 信仰教育 委員会主催﹁恵 ﹁ 教 会 ﹂ で あ っ た こ 小郡教会・聖クララ会修 めた主要メンバーの古巣 り、 ます﹂ ﹁ゼノさんの一枚一枚 池スイ 会が小学生高学 年から大 とともに長崎に入り、 の写 真に﹃ 愛 ﹄の深 さ を 氏︵元 みの風に帆をはって﹂講演 に あ た っ た ゼ ノ・ ゼ ブ 年、長崎市本河内の聖母 感じました﹂と鑑賞者。 までの徒 歩 巡 礼、それぞ ロフスキー修道士の写 の騎士修道院で被爆、翌 に、ペトロ岐部と187 催︶が6月3∼8日 真 展︵ 聖 母 の 騎 士 社 主 は同理事 6 日カトリックセンター 殉教者の列福が問い掛け 乗り出す。 婦人団 で開催され、午前中は列 るものについて語り、約 い、神さまの愛のメッセ ﹁隼人は苦労人、立 派な人格と功績で家 200人が聴講した。 脩高松司教 ンジャーとなって、1人 老 を 務 め、ま た、教 長・ 溝 部 信仰の芽生えを感じまし でも多くの友を伴い、教 崎・ 中 地 区 の 6月 ∼ 日にジェ ブーラ神父︵西町︶を 若者たちの姿に、未来の ビエル生誕5 00 年記 教会を力強く担う希望が となるシンボルとして堅 歩みを共にした。教 皇と バチカンの招きでミュー た ザ 「ビエル エ ・ ンジェ ルズ カ ・ ン パ ニ ー 」が、 念ミュージカルを演じ ともにする夕の祈 りでは 見えたように感じた。 信式も行われ、参加した 各自がともしたロウソクが 団長として長 聖列福特別委員会委員 今年度の聖ヴィンセン 会会議が行われた。 溝部司教は﹁列福を前 シオ・ア・パウロ会長崎 にした心構え﹂を演題 中央理事会総会が、7月 大 会の頂 点、教 皇ミサ 日まで開催さ のために 前日はミサ 会 場 れ、日本からは 公式巡礼団とし てアシスタント を含む120余 人の青年が参 加、長崎教区か らは3人の青年 と 2 人 の 司 祭、 髙見大司教が参 加した。 大会テーマは﹁あな た がたの上に聖霊が降る と、あなたがたは力を 受 ける。そして、わたし の 証 人 と な る ﹂︵ 使 徒 言 行 録1・8︶。聖週間の典礼 をベースに組まれたプ ロ グラム、午前中は司教に よるカテケージスを通 し 動を呼んだ。 ま た 大 会 期 間 中 の ジカル T「ESTIGO て祈り、午後は教皇歓迎 自らの信仰の灯に見えた。 フ ェ ス テ ィ バ ル で は、 S︵ 証 人 ︶ 」を 熱 演、 感 2006年に長崎でザ のだと思います。 入っていないほかの羊も はイエスさまが大好きで 話するので、ぼくのお祈 な危険が起きても必ず命 りが聞こえたら合図して をかけて羊を守る覚悟が 万人が参加した教皇 式や十字架の道行など の ミサ、聖霊を受けて証人 節 あることを羊は知ってい この話の最後には、﹁わ す。毎日イエスさまにお た し に は、 こ の 囲 い に るからです。 いる。その羊をも導かな ければならない。その羊 る。こうして、羊は一人 に、準備された聴く心と、 もわたしの声を聞き分け と、純粋なまなざしの奥 く だ さい﹂ 。素 直な言葉 この話は、救いのため に命をかけたイエスさま が語ってく ださったご自 イエスさまを深く愛する の羊飼いに導かれ、一つ 在 するイエスさまへの想 た。そして、私の心に内 15 大 き な イ ベ ン ト、 夜 は ヨハネ 章 ﹁わたしは良い羊飼い である。わたしは自分 の 羊を知っており、羊も わ たしを知っている。﹂ あるグループで、羊 飼 いと羊の人形を使って こ のみことばを味わいま し た。少しずつゆっくり と の 群 れ に な る。﹂ と 記 さ れています。 御父がお創りになった すべての人がひとつにな ること、それが御子イエ スさまの想いであり使命 なら、名指しで招かれた 身の愛の姿です。子供に 私たちは、互いに助け合 も大人にもすべての人に て い き た い も の で す ね。 私たちは最初の巡礼地と こえたよ!﹂の返事を聞 神さまと仲間に感謝しな この地であらためて小 まずは戦国武将・細川 倉、大分の殉教者に思い 高速道路を 飛 ばしたバス この 活 動 を 体 験 し た 小 きたい、続 くメッセージ がら! 会共同体の愛の輪を広げ 学2年生の男の子が、イ を期待する想いは、神さ 忠興の妻﹁玉子﹂︱ 最 エスさまに次のような手 後 までキリスト者 とし ての信仰を捨てず 最期 を馳せ心からの祈りと賛 まから与えられる恵みな ﹁聞 通用する愛のメッセージ。 いが刺激されました。 25 20 45 み こ と ば を 聴 き な が ら、 心 は す っ か り 羊 の 気 分。 15 64 おいしい草を食べに連 れ 出してくれるのは大好 き 14 紙 を 書 き ま し た。 ﹁ぼく ︵山藤喜美修道女︶ 15 20 26 11 な羊飼いです。 羊飼いは一匹ずつ名 前 を 呼 ん で 連 れ 出 し ま す。 いつもの聞き慣れた優 し い声です。呼ばれたら 喜 んで返事をしてついて 行 く。柵の外にはどんな 危 険が待っているか知れ な いのに、羊飼いと一緒 な ら絶対に大丈夫なのだ と いう信頼が不安を遠ざ け カット 木村百恵 修道女 31 20 50 ゼノ修道士が働いた聖 年から戦災孤児の救済に 母の騎士修道院に同 ∼ 第 回 ワ ー ル フェスティバルと若者た ド ユ ー ス デ ー・ ちはシドニーの街全体で 33 20 45 23 15 14 ます。羊飼いには、ど ん 浦上教会学校スタッフ 10 45 13 30 15 45 みことばにふれて 小倉・大分地区巡礼 熊本・島原地区巡礼 10 50 8 月1日(毎月1日発行) (4) 2008年(平成20 年) よ き お と ず れ 953 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
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