神のいつくしみを 共に生き

神のいつくしみを
共に生き、伝えよう
人を癒やし(マタイ ・ )
、
教え
)
。一
を 宣 べ ま す( マ ル コ
・
す と き で す。 結 局、わ た し た ち
の
は「永遠に御父のいつくしみの
4 神のいつくしみの
)
。ルカ
章では、
「いつくしみが、
すべて
ま せ ん( エ フ ェ ソ 4・
に打ち勝つ力、
心を愛で満たし、
ゆ
またまではあるが年末か
1年目の年が開けた。た
日本の信徒発見から15
しるしとなる
るしを与えて慰める力として描か
らミサの作法にも変化が
人間はいつくしみ深い神の似姿
た ち は、こ の い つ く し み を 生 き る
です(創世記1・ ~ )
。だから、 れています」
(大勅書9)
。わたし
イエスは、
「あなたたちの父が憐れ
く し み は、
「御父のまことの子を
よ う 招 か れ て い ま す( 同 )
。いつ
感じている。昨 年は世の
あ り、時 代 の 節 目 を 肌 で
)
。イエスのたとえ
み 深 いよ う に、あ な た が た も 憐 れ
~
カ 7・
み深い者となりなさい」
(ルカ6・
見分けるための基準」にもなりま
~ )
。
) と 言 わ れ ま す。 し か も、わ た
(ルカ ・
し た ち は、神 の 憐 れ み に よって 救
ペトロ1・3~5参照)
。だから、 しむ心で行われるべきであり(大
Ⅰ
なく、
帰ってくると「憐れに思い」 われました(テトス3・4~5、
安息日に病気を癒やしたために安
参照)
。「 慈 悲 の 組 」の よ う に 心 と
ヨハネ ・ 、
フィリピ2・1~5
キリストを「信じて永遠の命を得
か に、今 私 た ち は 時 代 の
で な け れ ば な り ま せ ん。 そ れ は、 に暗い影を落とした。確
の 同 時 多 発 テ ロ も、世 相
ンバーなど。また、
パリで
安 保 法 制、
TPP、
マイナ
な事柄が決まっていった。
たらすであろうさまざま
中 で も、大 き な 変 化 を も
の中の善いサマリア人も同様です
みがえらせ、
母親に返しました
(ル
思 う と、棺 に 手 を 触 れ て 息 子 を よ
ま な ざ し の も と に あ り 続 け る 」 人息子を亡くしたやもめを憐れに
(大勅書7)のです。
3 キリストのすべてが
神のいつくしみ
神 は、自 分 の こ と し か 考 え な い
走 り 寄 っ て 首 を 抱 き、以 前 の 息 子
す。
・ 身勝手な放蕩息子を忘れたことは
イ エ ス は、「 わ た し を 見 た 者
9) と 断 言 さ れ ま し た。 つ ま
参照)
、
信者のことばと振る
、 舞 い は、い つ く し み を 伝 え る も の
勅書
従 っ て、司 牧 活 動 は 常 に い つ く
り、イエス・キリストは、
父のい
わたしたちも同じように行動しな
息日のおきてを破ったと非難され
節目にいる▲神学生の頃
イエスは、そのことばと行い、
そ
だっ た と 思 う が、あ る 殉
の 現 存 全 体 を 通 し て、神 の い つ
10
)
、
また、
す
・
以上の扱いをして喜びを表す父親
表題)。顔はその人を現します。 です
(ルカ ・ ~ )
。イエスは、 け れ ば な り ま せ ん( ル カ
つくしみのみ顔です(大勅書の
は、父を見たのだ」
(ヨハネ
15
ようとしている人々の手本となる
ました
(ルカ ・ ~
37
の所作を実践するこ
くしみを明らかになさいます
ともその一つです(大勅書 )
。
イエスのいつくしみは感情に
際の憐れみの行為です
(マタイ9・
や 祭 儀 へ の 参 加 だ け で は な く、実
る と 自 認 し て い る 人 が、な ぜ か 神
と こ ろ で、ま じ め に 生 活 し て い
が御父のもとに導く道を再び見い
べ て の 人 の 心 の 琴 線 に 触 れ、彼 ら
ため」
(Ⅰテモテ1・
く感動したことがあった。
教 祭のミサの説教でいた
れん びん
とどまりません。人それぞれに
当時の私が真面目に説教
はらわた
さ れ る ) で 表 さ れ、母 親 が 自 分
マ イ 」( 腸 か ら 憐 憫 の 情 に 動 か
だすことができるよう促すためで
いと
のいつくしみを理解できないので
そ こ か ら 出 て、そ れ を 伝 え る こ と
流れに身を任すのもひと
の行動を「流されない生
が、
その説教師は、
殉教者
を聞いていたとは驚 きだ
)
。神のいつくしみは、
正義やお
す(大勅書 参照)
。
き て を 超 え て、救 い を も た ら し ま
)
。またしば
必要な癒やし、
赦し、
よみがえり
~
となるのです。重い皮膚病の患
浦上カテドラルや地区長教会の
い た り、罪 に 定 め た り す る べ き で
たり、
裁いたりします。しかし、
裁 「いつくしみの扉」から入って神
・
のおなかを痛めた子どもを愛お
)
。 イエスの十字架上の死によって最
す( ル カ
しむ情愛を意味しています。し
・
も強く示されました
(エフェソ2・
年間の純心教育」の
身を委ねるという生き方
う。「み旨のままに」とい
を目指していたのだと思
の程度の感動だったが、
若
う言葉が好きだった。そ
い私の心は揺さぶられた。
んな私に響いた言葉「流
ら 長 崎 に 復 帰 す る と、戦
確 信 と な り、江 角 校 長 に
後 の 学 制 の 改 革 の 中、新
と は い え、そ の 後 も 流 れ
再 建 の 勇 気 を 蘇 ら せ、被
らかな最期を遂げた。こ 「
の い つ く し み の 恵 み を い た だ き、 き方」と表現したのだ▲
食べ物を持たない群衆をかわい
は な く( 大 勅 書
)
、む し ろ、憐 れ
)。神こそ慈しみに富み、憐れ
4 ~ 6)
。神のいつくしみはつね
つの生き方。その頃私は、
1935年純心聖母会を
に身を任す心地よさに溺
れは純心教育のおかげで
悲しみに学校を閉じよう
身で仙台高女で教鞭を
設立母体として純心女子
ない生き方」はおろそか
の 教 育 組 織 が 整 い、創 立
学・ 高 校、大 学・ 大 学 院
継続するために教会を立
エス様はご自分の使 命を
よいのか、
と自問する▲イ
節目の時にこんなことで
に し て き た よ う に 思 う。
者が願った教会と長崎に
イエス様の使命を引き継
である私たち一人一人が、
いでいる。それは、
全ての
てられた。教会の構成員
代 を 迎 え て い る 今、教 育
人間が神様の子どもとし
役割を担っている。日本
が担う役割は大きい。純
て大切にされること。確
が必要だ。
(S)
かに、「流されない生き方」
心教育の使命を全うする
片岡千鶴子
ことを願うものである。
も世界も大きな変化の時
貢献できる教育と研究の
今、純 心 は 幼 稚 園、中
た。
しい時代の福音宣教の働
とした時、
遺族が願った。 あ る。 学 校 を 閉 じ な い
同時に日本の教会は「信
「信徒発見」
から始まっ
学園が創立されたのであ
き が で き る よ う に、学 校
されない生き方」
。単純に
とっていた大泉かつみで 「娘たちは、
祈りながら清
た近代日本カトリック教
る。早坂司教とシスター
証しするという「流され
かっこいいと 思った。そ
あった。
会 の 最 大 の 慶 事 は、早 坂
江 角 ヤ ス は、聖 母 マ リ ア
目に遭遇した原爆被災に
れ、ど ん な 時 で も 信 仰 を
授業を再開した大村か
徒発見150周年」
、
長崎
久之助司教が日本人最初
を教育の理想に仰ぎ、「信
よって校舎は灰燼に帰
の 組 織、校 地・ 校 舎 を 整
爆後の歴史が始まった。
の町は「被爆 年」を迎
1934年「信徒発見
の サ ン タ・ マ リ ア の ご
えた。純心は長崎の節目
を刻むこの出来事ととも
像」の前で教育女子修道
の 司 教 に 叙 階 さ れ、長 崎
徒発見」を実現した女性
会 純 心 聖 母 会 が 誕 生 し、
年を歩んできたとい
に
教区長として着任したこ
た ち の よ う に、賢 明 で 自
える。
とであった。司教は長崎
たかのように司教の招き
年
に 応 え た の が、東 北 帝 大
し、動 員 中 の「 純 女 学 徒
し か し、創 立 か ら
をかけた。
と、純 心 教 育 に 大 き な 夢
立した女性を育成しよう
に女子のカトリック学校
必要な人材を得ること
の設立を志した。
が 先 決 で あ っ た が、あ た
在 学 中 に 受 洗、京 都 府 立
隊」214名の生徒・教
かも神が準備しておられ
第一高女の現職にあって
備しながら今日に至っ
で ほ し い。
」この言葉は
職員を失った。あまりの
はらわた
そうに思うとパンを与え(マタ
が で き る よ う、共 に 祈 っ て ま い り
りょう が
み深い方だからです(出エジプ
ましょう。
召命の道を探していた江
5年、創立 周年を迎え、 角 ヤ ス と、東 京 女 高 師 出
純心女子学園は201
。
よ う な 群 衆 を 深 く 憐 れ む と、病 (大勅書3)
・
イ3・ )
、
赦し合わなければなり
いと
・6、詩編 ・
・8~
イ
みのこころ〝腸〟を持ち(コロサ
ト
人に対しては「憐れみ」とな
つ く し み 」 は、苦 し ん で い る
をいつまでも愛おしむ神の「い
)。すべて
に、あ ら ゆ る 罪 を 凌 駕 す る の で す
や さ れ ま す( マ ル コ 1・
す(大勅書 〜 参照)
。それは、 し ば、ほ か の 人 の 落 ち 度 を 非 難 し
神 が 望 ま れ る の は、お き て の 厳 守
)
。しかし、 体に関する
15
者 を 深 く 憐 れ み、手 で 触 れ て 癒
リシア語では「スプランクニゾ (大勅書1、9)
。
10
15
大司教 ヨセフ 髙 見 三 明
と 霊 的 刷 新 の 特 別 の 時 」( い つ
36
かし、神のいつくしみは、母親の
32
くしみの特別聖年公布の大勅書
27
34 14
)、飼い主のいない羊の
そ れ に ま さ り ま す( イ ザ ヤ
13
3)として過ごすよう望んでお
照)。わたしたちも、教区シノド
21
ら れ ま す。 そ の 霊 的 刷 新 は、神
ス の 提 言 を 実 行 に 移 す 中 で、神
20
のいつくしみに真剣に目を注
長崎教区のすべての 皆 様 お 一
のいつくしみを共に生き伝える
12
10
ぎ、わ た し た ち 自 身 が そ の い つ
人 お 一 人 に、新 年 の ご あ い さ つ
ことで霊的刷新に努めたいと思
12
14
25
14
くしみを現すしるしとなるとい
を申し上げます。日本 の 信 徒 発
います。
41
15
12
うことにあります(大勅書3参
見150周年を記念し た 昨 年 の
で は、神 の い つ く し み は ど
るといえます。
こにあるのでしょうか。天地
創造も神の民のエジプトから
)。 言
す 」( 大 勅 書 6)。 と く に、貧
、詩 編
80
お恵みを神に感謝すると同時
に、お 祈 り と ご 協 力 を 惜 し ま な
2 神のいつくしみとあわれ
みに真剣なまなざしを
)。 こ の 地
の 救 い も、神 の い つ く し み の
・
は「忠実」「優しさ」「慈愛」を
・1~7)、病気や災いから
救い出し(詩編 ・3~5)、
・ 6)。 神
捕囚の民を祖国に帰らせる方
・
・7)、彼らの罪を赦
70
かった皆様方に心より 感 謝 を 申
し上げます。
日 本 語 で「 慈 し む 」 は、「 愛
る の で す( 詩 編
は神のいつくしみに満ちてい
す る、か わ い が る、大 切 に す る 」 現 れ で す( 詩 編
こ と を 意 味 し、「 あ わ れ む( 哀
ふ びん
れ む、憐 れ む )」 は、「 ① 可 哀 そ
い 換 え る と、「 神 は い つ も 人
類 の 歴 史 の 中 に お ら れ ま す。
意 味 す る の で、日 本 語 の「 慈 し
はほとんど「憐れみ」と訳され
で す( ゼ カ リ ヤ
のいつくしみが最もよく示さ
ヘミヤ
9)、個人であれ(詩編 ・3、
イザヤ
32
80
1 いつくしみの特別聖年と
月8日~今
教区シノドス提言実施元年
教 皇 様 は、昨 年
る、②慈悲の心をかける、③めで
う に 思 う、不 憫 に 思 う、同 情 す
月 日を「いつく し み の 特
年
そ こ に 現 存 し、す ぐ そ ば で 先
うとしているわたした ち に と っ
ています。「母胎」や「腸」を指
いかたとしておられるので
て、摂 理 的 に 時 宜 を 得 た 特 別 聖
ヘ ブ ラ イ 語 で 神 の「 ヘ セ ド 」 を 歩 む、聖 な る い つ く し み 深
る」ことを意味しています。
別聖年」と定められま し た 。 今
年から教区シノドスの 提 言 を 教
49
み 」 に 近 い よ う で す。 た だ し、 しい人や弱い人を助け(詩編
教区シノドス提言の標 語 の 副 題
の テ ー マ の「 い つ く し み 」 は、 このギリシア語訳の「エレオス」
と重なるからです。そ の た め こ
す「レヘム」の複数形「ラハミー
ム 」 は、日 本 語 の「 憐 れ み 」 と
86
15
創立 80 周年を迎えた純心女子学園
15
34
年 だ と 思 い ま す。 な ぜ な ら、そ
区全体として本格的に 実 施 し よ
64
51
聖心幼稚園
純心幼稚園
136
119
103
10
はらわた
の副題を年頭教書のテ ー マ と し
実 際、『 新 共 同 訳 聖 書 』 で は 上
26
6 14
32
17
印刷所
株式会社 藤木博英社
〒 850‐0852
長崎市万屋町 5‐13
TEL 095‐821‐2146
FAX 095‐821‐2148
156
79
ました。
て い る 目 的 は、「 わ た し た ち 一
記のように訳されています。な
11
13
10
カトリック長崎大司教区
広報委員会
ほ ぼ 同 じ 意 味 を 持 っ て い ま す。 れ る の は、民 全 体 で あ れ( ネ
人一人の霊的な刷新」 で す 。 教
お、「 ラ ハ ミ ー ム 」 の 意 味 は ギ
37
14
30
15
発行人
大 水 文 隆
119
17
教区シノドスの提言 が 目 指 し
皇 様 も、こ の 特 別 聖 年 を「 恵 み
10
13
32
16
Sr.
9
純心中学校・純心女子高等学校
長崎純心大学
12
14
〒 852‐8113
長崎市上野町 10‐34
カトリックセンター内
TEL 095‐843‐3869
FAX 095‐843‐3417
振替口座 01880‐5‐2699
55
10
20
1035 号
昭和27年1月12日
昭和27年1月12日
第三種郵便物認可
第三種郵便物認可
1 月1日(毎月1日発行)
年頭教書
11
1カ月140
1カ月140
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
円
円 年間1,500円(
年間1,500円(
)
)第
カトリック教報
(1)2016年(平成28年)
しいん、として
し た 駅 員 が、無 線 で
携帯を無事に拾得
とは「教会の第一の仕事」
(
『救い主の使命』
どもの帰りを待ち望み、共に神を讃えるこ
背景にあります。いるべきはずの兄弟や子
きに座っている長崎の教会のもの悲しさが
)人たちでした。饒舌な理屈などあ
永 マ キ は「 そ の 通 り に 実 行 す る 」
(ヨハネ
の後、出向いてきた森 松次郎、下村与作、岩
になります(
『福音の喜び』 )
。信徒発見
とい う 聖 霊 と 教 会の 思いが、第 2バチ カン
と分かりやすい方法で神のことを伝えねば
した」
(公布大勅書1)
。今の人たちにもっ
り、ナ ザ レのイエスの う ち に 頂 点 に 達 し ま
しいん
だいたいお母さんてものはさ
しいん、
として
事の次第を告げなが
く の を、み ん な が 窓
待っているわけにはいきません。現状維持
の態勢で、教会に人が戻ってくるのをただ
) だ か ら で す。「 も は や 私 た ち は 受 け 身
じ 福 音 を 告 げ て い ま す。「 こ れ か ら 教 会 は
ま し た。 そ し て 今、教 皇 フ ラ ン シ ス コ も 同
みたとき、彼らは希望を差し出す人になり
りません。抱き起こした人たちの匂いがし
る。「 あ な た も 行って 同 じ よ う に し な さい」
た。 見 て、哀 れ に 思って、近 づいて、手 を 握
マリア 人の 行い」
( 福 者 パウロ6 世 )で し
公会議を開かせました。「その霊性はよいサ
としたとこがなくちゃいけないんだ
・
らホームを歩いて行
越しに眺めていまし
の教会から、積極的に探し求める教会へと
温める力です。身近さと親しさです。教会
いません。親の務めを果たしたいのです。
」 傷 を 癒 す 能 力 で す。 信 ず る 人 た ち の 心 を
見当たらない教会のぽっかり空いた席を隙
ん で し ま い ま し た。 そ し て、いつ く し み の
終わるとも知れない宣教会議のネタに仕込
コ ン サ ー ト 会 場、観 光 資 源、商 売 の 家、内 陣
て い ま す。 祈 り の 家 が 趣 を 変 え て い ま す。
に垂れ下がるスローガン……。鳴り物入り
る 人 が い る。 そ の 拭 わ れ た 画 面 に、人 の 優 「洗礼を授けただけで、聖体もゆるしの恵み
間風が吹き抜けていくようになりました。
は、キリストのみ顔の観想から生まれてき
せん。嬉しさと穏やかさを宿すいつくしみ
の騒がしさの中に神と語る場所などありま
傷 を 癒 す、傷 を 癒 す、低 い 下 か ら 始 め る べ
教令を出し、離婚や民法上の再婚で教会か
ます。受け入れ、
見守り、
養うためには底知
き な の で す 」 と 勧 告 し て い ま す( Civiltà 特別聖年に先立つ昨年9月8日、教皇は
)
。 も は や、虚 し い 会 議 『寛容な裁判官・主イエス』と題する自発
Cattolica 2013.9.19
や理屈をこねるときは終わりました。
れぬ沈黙が必要です。「神は沈黙の友です」
」 は戦闘後方の野戦病院だと思います。……
しさが映っているという豊かな光景です。 も知らない孫です。何とかできませんか。
いろあって離婚しました。息子の教会での
最初に出向く人は誰でしょうか。出向い
」
元に返って行く。大都会東京のど真ん中で、 席はもうなかとでしょうか。
電車は、さほど混んではいませんでした。 もきれいに拭き取られて、無事に持ち主の
それでも一応座席は満席で、立っている人
も ち ら ほ ら い ま し た。 そ ん な 中、な ぜ か 二 「どうだい、こんな生き方もいいだろう」と
ら孤立してしまっている仲間たちへの、迅
月 8 日、教 皇 は「いつく し みの 特
。
た。気のいい人たちの理屈のない優しい手 (マザー・テレサ)
去る
別聖年」の扉を開きました。第2バチカン
配りは、いつくしみの神と同じ波長を持っ
山川
橋本
長谷
浜崎
川口
片岡
勲
原塚
哲夫
忠
正人
勲
功
靖彦
清
久司
市
崎
市
大 司 教 館
葛嶋
平本
白浜
紙﨑
中濱
眞浦
福島
中村
牧山
鳥瀬
下山
高野
正志
繁喜
秀信
義和
満
新一
敬司
健吾
光明
倫明
強美
文武
盛朗
治
神
五
中
上
水
佐
島
神
主
稲
宝
浦
浦
佐
亀
上
浦
大瀬良直人
熊川
岡
山田
秋美
一ノ瀬輝幸
川口
幸徳
昭人
良秋
ノ
水
町
竹内
修一
繁幸
英次
浦
岩本
秀晃
尾髙
伸也
田
工藤
誠
山
鶴崎
達也
小 神 学 院
竹谷
昭如
前田
輝義
神
大 神 学 院
植
浦
川原
天
曽
靖彦
葛島
相
本田
松
大
口
和樹
浦
鶴巻
義和
健二
山口竜太郎
戸
平
岩下
セ ン タ ー
汐留
頭
福岡コレジオ
セ ン タ ー
三
大 神 学 院
の
島
原
島
込
島
差
市
鉢
出
大
仲
鉢
津
崎
知
尾
木
太
田
大 司 教 館
三 井 楽、貝 津
土 井 ノ 浦
木
五
大 司 教 館
紐
センター、
時津
福 岡 ・二 日 市
黒
イ タ リ ア
馬
熊 本・ 水 俣
神
島
町
小島
稲田
明
伸也
福
浦
修道会など
イ
⃝エズス会
信也
優
本
河
内
湯江修道院
東
湯
長
崎
江
の裾にでも触れたら癒やされる教会となる
哲也
井田
周平
明
戸村
片岡
片岡
国彦
七郎
悦夫
仁志
哲夫
進
修
練
院
小長井修道院
城
愛
〃
〃
山
〃
宕
原
原
長崎修道院
本
長崎修道院
本
長崎修道院
〃
レ
⃝デンプトール会
三輪
関口
フ
⃝ランシスコ会
江夏
末明
神
⃝言修道会
濵口
長崎修道院
聖ルドヴィコ神学院
川上
経一
好洋
西
町
長崎修道院
西
町
ヴァルガス・オスヴァルド
大川
ジェブーラ・エウゲニウス
西
ポムセノ
チャーリー ・バヌエボ ・
平野
聖
⃝アウグスチノ修道会
江
湯江修道院
聖フランシスコ園
盛雄
正
小長井修道院
マイケル ・ヒルデン
孝之
立山修道院
二十六聖人修道院
アギラール ・J ・ホセ
松村
二十六聖人記念館
デ ・ルカ ・レンゾ
繁春
小長井修道院
聖母の騎士修道院
柳本
西田
公輝
聖コルベ志願院
聖母の騎士修道院
憲志
春治
達郎
山下
聖母の騎士修道院
満治
赤尾
松田清四朗
谷村
瀧
山内
萩原栄三郎
ビンセント・ラチェンダロ
濵田
中島
コ
⃝ンベンツアル
聖フランシスコ修道会
平
聖ルドヴィコ神学院
町
海 星 学 園
西
ド ュ ッ ク ・デ ィ エ ム
善彦
海星修道院
ヶ
野
倉
小ヶ倉共同体
小
愛
カリタス診療所
牧野修道院
イエスのカリタス
明夫
滑
長
〃
石
崎
)内は叙階年数
恵介
(
〃
韓国殉教福者聖職修道会
⃝
硲
木村 昌平
尾崎
オ
⃝プス・デイ
金
桐旭
古木眞理一
ソボン ・タデウス
ブリ ・ヤン
サ
⃝レジオ修道会
髙田 裕和
末吉 克久
池田 紀行
マ
⃝リア会
山崎
ペトロ ・トラン ・
ブ ー ・カ イ ン ・ト ゥ オ ン
身を置きましょう。こんなことは号令をか
町
中濱
憲一
幡
飽
けず、
まずは私とあなたから始めましょう。
崎
鍋内
晋吾
串
俵
根
仁史
も の で す。 細 や か な い つ く し み、こ れ が 教
浦
山村
英知
浜
曽
岐
小 神 学 院
早
子
西本
区シノドスの願いを叶える唯一の道です。
崎
岩崎
輝次
谷脇誠一郎
裕司
場
熊谷
木
大 神 学 院
西
克明
浅
イ タ リ ア
小 神 学 院
野
上
ト は、御 父 のいつ く し み の み 顔 で す。 ……
和則
町
下窄
俊治
達也
山添
裕志
山
野濱
直通
ツ
留
岩下
三
奈
中尾
ノ
いつく し み は 生 き た もの、見 え る もの と な
川内
々
中田
照明
久志利津男
大
町
湯浅
島
真 手 ノ 浦
浅田
五
大 浦 天 主
黒
平
堂 司 祭 館
八
浦
文隆
之
長崎の教会の原体験から150年、衣服
公会議閉幕
佐藤
猛
諫
鯛
大水
達也
田
年 を記 念して、あのとき 示 さ
れ た 神 と 人 が一つに な る 単 純 な 道 を、今 度
1 5 0 年 前 の「 信 徒 発 見 」 は、 川添
英利
三明
下口
繁
髙見
出向く人は、かかわり合う人、
寄り添う人
心に通じる道
でしょうか。ぽっかり空いた席に最初に出
て 来 た 人 に、「 安 心 し な さ い 」
「もう泣く
かったことから始まりました。何
向く人がいなければ何も変わりません。
な」と言って引き寄せ、手配りするのは誰
をすべきか内心誰もが分かってい
「心に通じる道は胃を通る」
( 開 高 健 ) ために、しいんとした静けさと沈黙の中に
い う 声 が 聞 こ え て き ま し た。 世 知 辛 く、さ
しかし、電車が次の駅に到着した時でし
ま す が、誰 か 最 初 に 出 向 い て い く
ています。
もしい心には眩し過ぎました。
た。少し離れた席に座 っ て い た 年 配 の 女 性
人がいなければ事態は何も変わ
先は、
いつくしみの道です。「イエス・キリス
席分だけぽっかり空い て い ま し た 。 よ く よ
が、携 帯 電 話 を 拾 い に 向 か っ た の で す。 女
り ま せ ん。 教 皇 フ ラ ン シ ス コ は、
こそ歩み出そうと呼びかけたのです。扉の
く 見 る と、理 由 が 分 か り ま し た。 席 に は 携
帯 電 話 が 落 ち て い た の で す。 で も、誰 も 拾
わ な い。 誰 も 見 な い。 た だ、そ の 席 だ け は
最初に 出 向 く 人 か ら
性が拾おうとすると、横に座っていた青年
こ ん な 人 の こ と を「 プ リ メ レ ア
乗客の顔から笑みがこぼれたこの出来
が、「あっ、僕が」と声をかけました。「あな
ル
大司教 大山
光男
知彦
大 司 教 館
辻原
崎
満
褥
桐
大水
大
上
(4)
避けて遠巻きに座っている。煩わしいから、
た、ここで降りるの?」「はい」と青年。「僕
し て い ま す。 時 を 読 ん で、一 番 乗
松下
戸
邦夫
方
拓也
愛 媛・ 今 治
中野健一郎
浦
(42)
か か わ り た く な い の で す。「 拾 わ な い、近 よ
が駅員さんに渡します」と言うなり、携帯
りをするという意味です。あっと
下川
豊
長崎大司教区
日本の再宣教のために出向いて来
山内
清海
岩村
馨
青
川原
一郎
中央協議会
川端
志範
大 神 学 院
(5)
(2)
(17) (20)
(22)
事は、年配の一人の女性が自分の席から立
をもって飛び出して行 き ま し た 。 二 人 に 限
思 っ た ら、話 し 合 い も 講 釈 も な く
ただ、
あの青年がホームに降りて、真っ先
た司祭たちと、潜んで時を待ち、合
山内
市
大 司 教 館
小瀬良
昌彦
早
早
大 司 教 館
諫
市
村川
実
長
烏山
朝光
石
宏樹
聡史
平
戸 松田
福 江、浜 脇、 山本
滑
嘉松
誠志
(56)
ち上がり、ぽっかり空いた切ない場所に向
らず、電車が走っていたこの一区間、誰もが
真 っ 先 に 立 ち 上 が り、出 向 い て い
お告げ本部
山内
清美
鹿
古巣
守
井持浦
中島
(1) (2) (3) (5) (6) (7) (7) (8) (9) (9) (10) (10) (10) (12) (12) (12) (13) (13) (13) (14) (14) (14) (15) (16) (16) (17) (17) (17) (17)
らない」社会の構成員たちが、しっかり吊
ずっと気になっていた は ず で す 。 一 人 が 動
く人のことです。
大 司 教 館
平
与
諸岡
崎
セ ン タ ー
橋口
聡
明
市
長
山
佐 賀・ 呼 子
山脇
大
幼きイエズス
山田
前
修道会司祭館
子
大 司 教 館
満
50
(18) (18) (18) (19) (20) (20) (21) (21) (21) (23) (23) (23) (24) (24) (25) (25) (25) (25) (25) (26) (26) (26) (27) (27) (29) (29) (30) (30) (30)
り輪を握りしめたまま 立 っ て い ま し た 。
き出せば、なぜか間髪をいれずに次の人が
12
青 砂 ヶ 浦
(19)
」という造語で表現
Primerear
動 き 出 す。 な ん と も 素 朴 で、気 の い い 人 た
に 立 ち 上 がった 女 性 が 席 に 戻って も、電 車
図を見たら間髪をいれずに出向い
ちのはっとさせる振る 舞 い で す 。
は 動 き 出 し ま せん。その 直 後、今 度 は 駅 員
徹
徳美
下村
誠一
て来た信徒たちの出会いの出来事
峰
勇
さんが 駆 け 込 んで きて、何 か を 必 死で 探 し
三村
千年
司
平野
村中
た た く 間 に 長 崎 一 円 と 天 草、今 村
野下
でした。浦上から発信された福音
「それなら、
たった今、
あの人が持って走りま
まで伝わります。受けた福音に応
好治
回っている。「携帯ですか?」とそばにいた
し た 」 とホ ームを 指 さ し ま す。 す る と、今
え た 各 地 の 世 話 役 は、競 う よ う に
堤
栄
中村
康彦
焼
香
岩崎
尾
丸
堀
(30)
(43)
深
(23) (33) (45) (46)
(34)
(28)
(5)
(2) (12) (30)
乗 客 が 尋 ね る と、う な ず い た 駅 員 さ ん に、 は、山 々 を 行 き 巡 り、海 を 渡 り、ま
度は一斉に乗客たちがホームへ目を向け、
青
年を探そうとします。中には立ち上がって、 大浦に出向いています。出向くこ
小島
劭
俊行
萩原
武仁
宮川
信徒発見150年を機に開催さ
阿野
忠秋
と の な か っ た 人 た ち は、や が て 姿
駅 員 が、青 年 を 追いか けてホームを 走 り ま
れ た 教 区 シ ノ ド ス は、ぽ っ か り と
川上
のぞき込む人もいます。「あっ、
あそこの階段
す。 幸い気 づいた 青 年 も 足 を 止 め、無 事 に
空 い た た く さ ん の 席 を 避 け、遠 巻
を消していきました。
携帯電話は駅員さんの手に渡りました。
(28)
(17)
(52)
(13) (29)
(36) (39) (47) (53) (63)
(36) (45)
(32)
(25)
(新 ) (新 )
(22)
(60)
(56)
(50) (51) (51) (51)
(22) (37) (40) (41) (42)
(38) (38) (39) (40) (40) (42) (43) (46) (46) (47) (47) (47) (48)
(31) (32) (33) (33) (34) (34) (34)
(31)
を 上っている 人 で す!」 客 に 教 え ら れ た
速で具体的ないつくしみの道を示しまし
機内誌のエッセイにう な ず き ま し た 。 そ こ
長崎の教会はぼんやりとした不安を抱え
じゃないよと呟く詩人。
快 で す。 ど こで ボ タン を 掛 け 違 え たの か、 女。「 よ く 言 っ た 」 と 喝 采 し た あ と、母 だ け
ンドセルを背負って通り過ぎる二人の少
何があったのか、こう言い放ちながらラ
(茨木のり子詩「みずうみ」
)
た。 そ の 時、乗 客 は
何ともほの温かい気
ど う あ る べ き だ と 思 い ま す か 」 と の 質 問 (ルカ
古巣 馨
に き っ ぱ り と 答 え て、
「私ははっきりと見
37
長崎教区司祭
変わらねばなりません」(「アパルシーダ文
)
。いつくしみはいつも単純明
書」
・
持ちにさせられました。あの駅員さんが自
10
には、気のいい人たちの切ないほどの息づ
)。母なる教会と長崎の信者たちの
分の白い手袋で、その携帯の指紋を、息を吹
― いつくしみの年に ―
ぽっかり空いた席
ま す。 教 会 が 今 日 最 も 必 要 と す る こ と は、 教 会 は 公 会 議の教 え を 崇 高 な 神 学 や、いつ
24
きかけながら一生懸命拭いていたのです。 思いは同じです。「この子には洗礼を授けて
17
その後いろ
人から人へと渡った携帯は、触れた人の顔 「教会での結婚式はしてないし、
ない日常の、しかしはっとする一コマです。 落とし物についた汚れを無意識に拭いてや
ささくれた心を潤すのは、たいてい何気
13
かいがありました。
548
34
(52) (52) (52) (52) (52) (53) (53) (53) (54) (55) (55) (55) (59) (65)
(48) (49) (49) (51)
1 月1日(毎月1日発行)(2)
2016年(平成28年)
カトリック教報
1035 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第
平和の使徒になろう
解決のた
め 」「 平 和
のために働
く人々のた
め 」「 私 た ち が 平 和 の 使
徒となるように」との各
意 向 で、一 連 ず つ ロ ザ リ
和を実現する人は幸い』」 日(日)、長崎カトリック
年司教団メッセージ『平
者が祭壇にコルポラーレ
当日の質問の中に「侍
ア修道会
付)は、「神
学生や志
願生が少
ております。皆様のご理解とご協力を
お願いいたします。
念撮影の場合は、
この限りではありま
なお、
小教区行事などでの記録や記
せん。
2回教区シノドス提言推
の表題にある「父のもと
同体づくり」 ②召命
のいつくしみを生きる共
化する上で取り入れてい
③『 教 区 シ ノ ド ス 提 言 』 案 も、目 標 を 説 明 し 具 体
が決定した。ただし①の
える」を目標とすること
式 提 言 振 り 分 け 表 』 が、 年』の巡礼指定教会は次
示した『教区シノドス公
今 回、シ ノ ド ス 公 式 提
項 目 の う ち、個 人 や 家
つの公式提言に含まれる
れた。これによると、9
資料として議員に配布さ
町・ 滑 石・ 相 浦・ 平 戸・
区長が居住する浦上・中
聖人記念聖堂)
、
および地
リッポ教会(日本二十六
の通り。
大浦教会、
聖フィ
『いつくしみの特別聖
言の各項目の実施主体を 〈聖年の巡礼指定教会〉
お知らせ
進会議が大司教館で開催
くことになった。
することになった。
された。前回持ち越しと
へ 帰 ろ う、そ し て 出 か け
昨年 月 日(月)
、
第
なった基本計画や優先課
庭レベルで取り組むもの
青方・福江の各教会。
題の検討と全体像の提示
は、 項 目 あ る。 提 言 を
員 会 案 が 示 さ れ、審 議 さ
まず、9月
れた。
〝神のいつくしみを
日に行わ
共に生き、伝える〟
第2回 提言推進会議で目標決まる
読 み、個 人 や 家 庭 で す ぐ
に つ い て、同 会 議 中 央 委
れた第1回会議を振り返
第3回会議は、1月
に始めることは可能だ。
致礼拝 1月 日㈯ 時、
▼第5回長崎キリスト教一
ぶどう園
り な が ら、教 区 全 体 で 共
次 回 は、優 先 課 題 と 全
よう」や「神のいつくし
日(日)に開催されるこ
み を 共 に 生 き、伝 え る 」 体像の提示について審議
とになっている。
通の目標を定めるべきか
される。優先課題に関し
を 議 論、目 標 を 掲 げ る こ
て は、中 央 委 員 会 か ら 各
新
たな家庭の聖性を求め
▼講演会「食の力
―
日本基督教団長崎教会。
て」 1月 日㈰
時、
カ
のシスターと志願生も歌
ル。講師・伊藤幸史師
(東
トリックセンター・ホー
最後に中町教会主任の
奏で皆を楽しませた。
とハンドベルの美しい演
れた。最終的に「神のい
小教区から
崎3地区の
とを確認した。
案として、 な ど、多 く の 意 見 が 出 さ
御降誕に向けて祈る
①「 聖 書 と 秘 跡 に 生 か さ
会)と母・岩田幸恵さん
議員に事前アンケートを
が 登 壇 し、話 が 進 め ら れ
つ く し み を 共 に 生 き、伝
ではない。信徒も含めた
れた共同体づくり」
と
「神
教会全体として取り組む
中町教会で子ども聖歌の集い 組の子どもた
ち200人余
し た 動 機、学 生 の 頃 や 今
た。司祭・修道者を目指
神学生と志願生による
京教区司祭)
。参加費無
▼一日マリアポリ
料。
教区家庭委員会主催。
現在どのように感じてい
総 評 し、良 い 時 間 を 皆 で
会も素晴らしかったと
るか、
また、
子を思う親の
過ごせたことへの感謝を
受付)
、カ ト リ ッ ク セ ン
橋本 勲師が、いずれの教
聖歌の披露(写真)をは
裕司師(長崎カトリック
ター・講堂。問合先・フォ
分
な る よ う、私 た ち が で き
張しながらも頑張ったり
かった。男の子7人で緊
℡095‐849‐3812
コラーレセンター。
みことばの祭儀で熊谷
が参加した。
さ ん で、第 2 部 の シ ン ポ
神 学 院 ) は、
「この集い
語 っ た。 来 場 者 は、
「中
1月
立 場 か ら の 話 な ど、参 加
町での集いも本当に良
参 加 者 の 一 人 は、
「日
る精いっぱいのささげを
時
者 は 熱 心 に 聴 き 入 り、質
がイエス様のご降誕に向
頃 聞 け な い 話 で、非 常 に
時(
ジ ウ ム で は、長 崎 中 地 区
けての大切な祈りの時と
興味深かった。司祭や修
日㈰
長の久志利津男師が司会
疑応答もあった。
上助任)と父・稲田清隆
▼日本二十六聖人殉教記
ひろ こ
(純
さん、池田洋子修道女
、大 勢
示 す こ と が で き る よ う ( 写 真・ 出 津 教 会 )
は、日 頃 の 成 果 を 見 事 に
話した。優秀賞は、
滑石、 メッセージ&神父さんと
る井手義美さん(飽の浦
フランシスコ・ザビエル
われた。
時折降る雨の中、
年会主催の徒歩巡礼も行
ミ サ に 先 立 ち、地 区 青
た 約 3 0 0 人 の 信 者 は、 み を よ く 黙 想 し、伝 え る
時、カ ト
ともに歌うコンサート
教 会 信 徒 ) は、
「NCK
の宣教への熱意を受け継
生月・黒瀬の辻殉教地か
人 は、 講 師・ 西 経 一 師( 長 崎
日㈭
浦上、
植松の3教会。
の 講 座 は、長 崎 で は 2 度
ぎ、福 音 を 伝 え て い く 恵
ら会場のザビエル記念教
2月
発 揮。 途 中、純 心 聖 母 会
目です。日頃接すること
髙見三明大司教は説教
みをミサの中で祈った。
会までの ㎞余りの道の
ザビエルの宣教活動に思
和推進委員会主催。
南山中高校長)
。教区平
謝
告を申し上げます。
賜りました。お礼とご報
右の方々からご寄付を
(援助物資とご芳志)
◦平戸地区信徒一同様
◦林田千尋様(俵町)
長崎カトリック神学院
―寄 付―
感
いを馳せながら歩いた。
小教区の信者約
リックセンター・ホール。
神のいつくしみを伝えよう
り を、地 区 の 青 年 と 山 田
2月7日㈰
念ミサ
に」と話した。司祭やシ
でも一つの声にまとまっ
道者のためにお祈りしま
時、西 坂 公 園( 雨 天 時 は
す」と話した。
中町教会)
。
待降節中の
てきれいな音をつくり上
中町教会で第
げ た り、子 ど も た ち 皆 が
7 章 を 説 明、
「旅する教
ス タ ー、教 会 学 校 の 先 生
会の挑戦」を語った。2
聖 歌 の 集 い が 行 わ れ、長
たちの指導のもと練習を
心聖母会)と母・池田光
女(お告げのマリア修道
日目は岡 立子修道女(け
▼教皇フランシスコ平和
されていること
「皆が聖性に召
がれなき聖母の騎士聖フ
のびのびとしていた」と
について」と題
神の救い
日( 日 ) 的召命」を解説した。続 「主の母マリア、
宣教への熱意を祈る平戸ザビエル祭
聖年』について語り、「ザ
の『 小 宇 宙 』
」のテーマ
ビエルが伝えた福音とは
で 講 話、第 8 章 を 解 説 し
平戸地区評議会は
神のいつくしみであった
いて鈴木信一師(聖パウ
た。2日間にわたる講座
6 日、平 戸 ザ ビ エ ル 記 念
の だ か ら、神 の い つ く し
月
は、派 遣 の ミ サ を も っ て
教会において平戸ザビエ
の少ない講師もおられま
の 中 で、 月 8 日 か ら 始
ように」と諭した。
す の で、長 崎 で は 得 難 い
まる『いつくしみの特別
NCKの副会長を務め
終了した。
ル祭を開催した。集まっ
ロ修道会)が第6章と第
回子ども
し、第 5 章「 教
ランシスコ修道女会)
が、
『教会憲章』を学ぶ
会における聖性への普遍
月 6 日、 重 ね て き た 子 ど も た ち
子 さ ん、岩 田 真 里 亜 修 道
修道会)
、
稲田伸也師(浦
を務め、西 経一師(神言
べきこと」と語った。
司祭や修道者だけの問題
を 覚 え る が、こ れ は 何 も
内の撮影を原則禁止とさせていただい
2回目のNCKによる講座
月
日本カテキスタ会(N
日(月)教区信仰養
CK)は
~
成 部 の 協 賛 の も と、カ ト
リックセンターで信仰養
成講座を行った。テーマ
は前回(2014年 月)
に 引 き 続 き、第 2 バ チ カ
ン公会議公文書を学ぶシ
リ ー ズ と し て『 教 会 憲
40
オが唱えられた。
第 2 部 前 半 で は、浦 上
教会全体で取り組みを
を上五島地区長の橋口朝
を 持 ち 帰 り、そ れ ぞ れ の
す。そこで長崎教区としては、
教会堂
な い 今、召 命 へ の 危 機 感
「召命」をテーマに中地区研修会
光 師( 青 方 小 教 区 主 任 ) 修 道 会 の 協 力 を 得 て 研
教会でふさわしい典礼を
が複数おられると、
祈りの空間である
章』が取り上げられ、2
23
教会信徒の深堀繁美さん
による浦上キリシタンの
歩みと自身の戦争・被爆
る。被爆マリア像が浦上
会堂内においても熱心に撮影している
日間で約140人が参加
31
体 験 に、参 加 者 は 耳 を 傾
け た。「 被 爆 直 後 は、 年
間は草木一本も生えない
と ま で 言 わ れ た が、 年
た っ た 今、何 事 も な か っ
に 戻 り、装 い 新 た に な っ
教区シノドス提言の一
つとされた「召命」への
主任司祭の久志利津男 師
が 解 説。 未 来 に 向 け て、 修 会 を 開 き、会 場 と な っ
行ってほしい」としてい
講師に招き、
浦上教会で公
を広げてもよいか」との
質 問 が あ り、そ の 際「 祭
壇奉仕者であればよい
が、他 の 奉 仕 者 は 特 別 な
事情がなければしないほ
うがいい」と答えまし
た が、後 で 確 認 し た と こ
23
13
上五島地区が被爆・戦後 年行事
被爆・戦後 年行事 が
各 地 区 で 開 催 さ れ る 中、 たかのように復興してい
日(日)に青方教会 で
上五島地区では昨年 月
た 浦 上 の 脇 祭 壇 で、平 和
を強く願う日々です」
実 施 さ れ、約 1 5 0 人 が
集まった。
と評議会議長の深堀 勝
た カ ト リ ッ ク セ ン タ ー・
月6
意 識 を 高 め よ う と、長 崎
さんによって運ばれた 被
ホ ー ル に は、約 2 0 0 人
中地区評議会は
爆マリア像が祭壇に置 か
参加者一人一人が平和の
第2部後半は「戦後
れた。「被爆マリアととも
使徒として働き続けるこ
神学院とお告げのマリア
に平和を祈る」と題さ れ
第1部の基調講演で山
が集った。
る。最後に変更箇所を取
認し、研修を終えた。
から浦上教会
り 入 れ た ミ サ を さ さ げ、
内清海師(お告げのマリ
に 変 更、関 心
講座は修了した。
礼委員長の下山盛朗師
の高さをうか
は、「 講 座 で 学 ん だ こ と 【お詫びと訂正】
がわせた。典
日、白 浜 満 師(日本カ
教区典礼委員会は
月
ミサ総則の一部 変 更 に 備 え て
公開典礼講座を開催
た め 」「 世 界 各 地 の 紛 争
「 原 爆 殉 難 者・ 戦 没 者 の
へ の 献 花 と 献 香 に 続 き、 と、働 き 掛 け る こ と を 確
た 第 1 部 で は、マ リ ア 像
始 め に、浦 上 教 会 か ら
止としております。
ろ、「 他 の 奉 仕 者 も コ ル
30
14
どの人が撮影機器を所持しており、
教
1 日 目 最 初 の 講 話 は、
14
13
10
14
マートフォンや携帯電話など、
ほとん
した。
23
24
11
11
マナーとして教会堂内の撮影を原則禁
ポラーレを広げることが
31
すでに各教会においては、
ポスター
できる」との解説があり
11
機会のひとつ」と話して
いる。
10
70
70
下窄英知
教区本部事務局長
70
トリック神 学 院院長)を
日の
開典礼講座を開催した。
同 講 座 は、 月
待降節第1主日から実 施
される、新しい『ローマ・
ミサ典礼書の総則』の 一
部 変 更 を 見 据 え た も の。
月7日の同師による 司
祭 研 修 会 の 内 容 を、信 徒
予想を上回る500 人
向けに行った。
12 13
現代においては、
カメラに限らずス
NCK顧問司教でもある
12
の掲示で告知されているところもあり
ました。お詫びして訂正
24 12
様子が見られます。特にこのような方
22
教会堂内での撮影禁止にご協力を
いたします。 (白浜 満) 髙 見 三 明 大 司 教 が 担 当、
20
近 い 申 し 込 み が あ り、会
場をカトリックセンタ ー
12
教会堂内の雰囲気を保つことは困難で
11
11
29
11
70
11
23
11
ますが、
長崎教区としては、
教会の見学
12
1035 号
1 月1日(毎月1日発行)
70
15
15
10
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
カトリック教報
(3)2016年(平成28年)
寝食を共に親睦を深める
大槌ベースボランティア募集
2月 日㈭~ 日㈬ (1/ 締切)
⃝
日㈭~ 日㈬ (2/ 締切)
3
⃝月
申 し 込 み は 所 属 小 教 区 へ。 問 い 合 わ せ は 教 区
095‐842‐4450
本部事務局(松尾)まで。
物資(米・野
が集めた援助
095‐842‐4460
召命を支える犠牲
菜・日用品な
ど)と寄付金
同地区の取り組みは今
を届けた。
平戸地区と教区女性部が寄付
日(日) 時半
回
日した理由もさまざまで
ラ ジ ル な ど さ ま ざ ま、来
も こ の よ う な 機 会 に、信
ことでしょう。これから
日、日 本 二
の
し た。 し か し、記 念 館 で
い最近まで知りませんで
右近像を作ったことをつ
氏 の こ と、ま た 彼 が こ の
えてなりません。
が働いてこそできたと思
し た こ と も、不 思 議 な 力
演奏会が無事に行われま
よる説明・レセプション・
す。
見事に語っている作品で
の原動力であったことを
十 字 架 が 中 心 で あ り、彼
的 な 主 イ エ ス、特 に そ の
間としての右近には絶対
印 象 的 で す。 や は り、人
理石を貫く光が何よりも
ら、十 字 架 の 形 で 白 い 大
高山右近像でありなが
通用するところが多いこ
が現代人に知られるべき
え た こ と は、右 近 の 証 し
を長崎で展示したいと考
右 近 に 憧 れ て、そ の 作 品
ト が い に し え の 侍、高 山
アの現代的なアーティス
持ち始めました。イタリ
知 り、彼 の 作 品 に 興 味 を
き方に憧れていたことを
と に 興 味 を 持 ち、そ の 生
がかなり前から右近のこ
ら ず、こ の 社 会 全 体 に ま
し た 模 範 が、信 者 の み な
この世を去った右近が残
こそ、
忠実に生き、
忠実に
が求められる現代だから
ます。リーダー的な存在
が整ったことを表してい
え た 今 こ そ、列 福 の 準 備
右近死去400周年を迎
まいりましたが、
それは、
ベントが頻繁に行われて
このような右近関係のイ
振 り 返 り ま す と、昨 今
展示したいという話をい
なぜこの作品が日本二
た だ い た 時、サ ヴ ェ リ 氏
十六聖人記念館で展示さ
われました。
デ・ルカ・レンゾ
高山右近の不思議な導き
月
日本二十六聖人記念館館長
去る
すます必要になってきま
十六聖人記念館にてイタ
し た。 教 会 と し て、右 近
リアの彫刻家エンリコ・ 理由を考えますと不思議
とを物語っているように
の各志願院、大司教館、カ
思えました。
トリックセンターにも贈
亡くなったすべての人の
す。顔も名前も知らない人です
「行って、あなたも同じように
上教会で行われた。
大 司 教 は、戦 争 や テ ロ
のため多くの人が亡く
なっている現実に触れな
が ら、
「カトリック信者
に と っ て、死 と は 終 わ り
で は な く、復 活 す る こ と
新たな始まり。そこに通
また 月 日(火)に
始める愛を呼び掛けた。
によって永遠の命を得る
じ る 道 は、私 た ち が 他 人
正
15年 月号3面「感謝・
『カトリック教報』20
〈長崎カトリック神学院〉
訂
感じたいものです。
の精神性を広める使命を
れ る に 至 っ た の か、そ の
れ、神 学 生・ 志 願 生 の た
さまざまな制限があっ
めにと同地区の各小教区
た 中 で、除 幕 式・ 作 者 に
サヴェリ氏が完成させた
修道会司祭
教 と 教 区・
な導きがあったとしか言
高山右近像の披露会が行
命は愛とゆるしから
えません。私はサヴェリ
られた。神学生らは感謝
時 頃、教 区
ら計9人が大司教館を訪
ために祈る教区主催の追
が、① 憐 れ に 思 っ た サ マ リ ア 人
え て、心 か ら の 関 わ り が で き る
場が提供されています。たとえ
ば、日 用 品 や 本 な ど の 差 し 入 れ
の も と、浦
教区主催「死者の月・追悼ミサ」 の共同司式
死者の月に当たる 月
れ、髙 見 三 明 大 司 教 に 神
悼 ミ サ が、髙 見 三 明 大 司
日(月)
、
長崎教区の
学生養成援助金810万
代表と各地区女性部代表
評議会女性部の五島 忍
また同日
願いします」と述べた。
い ま す の で、お 祈 り を お
道を歩んでいきたいと思
し、「 こ れ か ら も 召 命 の
レンゾ師(左)と作者サヴェリ氏
ながさき県民 の 森 で 外 国 籍 信 徒 の 交 流 会
わせる機会がなかっ
た 人 々 が、寝 食 を 共
城山教会のチャー
にし親睦を深めた。
リー・ポムセノ師(聖
アウグスチノ修道
会)司式によるミサ
の 後、髙 見 三 明 大 司
教がサプライズの訪
問。 参 加 者 が 用 意 し
月
頃、平 戸 地 区 評 議 会 の 松
とお告げのマリア修道会
た国際色豊かな料理
を 囲 み な が ら、和 や
本久幸議長ら5人が長崎
の 1 泊 2 日 で、長 崎 市 の
す。母国語や英語での祈
交流会には佐世保地 区
仰を通して皆さんと関わ
年 目 で、純 心 聖 母 会
カトリック神学院を訪
国籍の夫を持つ日本
佐 世 保 在 住 で、外
人 信 徒 は、「 メ ン バ ー の
かな時を過ごした。
教区人権委員会(川 口
ル ー ツ は、フ ィ リ ピ ン・
日( 日 ) ア メ リ カ ・ ベ ト ナ ム ・ ブ
「ながさき県民の森」に
りの場を通してつながる
日( 土 ) と
昭人委員長)は昨年 月
お い て、県 内 に 居 住 す る
1 月1日(毎月1日発行)(4)
外国籍信徒の交流会を
人、長 崎 市 と 諫 早
こ と は、ど ん な に 心 強 い
から
行った。
市から 人が参加。英 語
1512円を渡した。
見上げた青空は金網が張り巡
は②近寄ります。③傷に油とぶ
あ り ま す が、幸 い な こ と に 大 村
ら さ れ、そ こ に 見 い だ し た も
じています」と話した。
ミ サ に あ ず か り な が ら、 りを深めていきたいと感
これまでゆっくり顔を 合
「行って、あなたも同じよう
のは〝希望〟からかけ離れた
ど う 酒 を 注 ぎ、包 帯 を し ま す。 し な さ い。」 こ の み こ と ば を 携
は長崎教区です。
も の で、本 当 に 胸 の 痛 む 所 で
した。収容者も同じ人間です。 ④自分のろばに乗せます。⑤宿
屋に連れて行って介
抱 し ま す。 ⑥ 介 抱 を
香典返し」の欄に、
堤 惠吉
さんの所 属 教 会を浦上と
記載していましたが、
正し
くは「木鉢」です。訂正し、
お詫び申し上げます。
月号3面「核兵器廃
〈教区広報委員会〉
を 愛 し、ゆ る す こ と か ら
追悼ミサがあった。
長崎教区聖職者のための 「
は 赤 城 の 聖 職 者 墓 地 で、 目の日付「
月5日」を
絶に向けて」の本文3行
始 ま る 」 と 説 教 し、世 界
月1~5日」に訂正
平和と身近なところから
1933年6月 日生
いたします。
家 計 を 支 え、中 学 卒 業 と
た た め、子 ど も の 頃 か ら
教会出身。父親が戦死し
まれ。仲知小教区の米山
くことが生きがいのよう
に 出 る な ど、と に か く 働
だ っ た が、そ れ 以 外 は 畑
格。 釣 り が 唯 一 の 趣 味
前に出るのを好まない性
に よ る と「 口 下 手 で、人
井 楽・ 貝 津 小 教 区 主 任 )
ともに漁師として約 年
これからの6ケ月、
受け入れ態勢の整備等様々な
節
日、
ヨゼフ
(竹谷 誠師の父)
竹谷 茂さん
間 働 い た。 そ の 後、佐 賀
日、葬 儀
準備に取り掛かります。ご協力よろしくお願いし
ルカ 章
日~
によって〝あなたを忘れていま
せん〟というメッセージを届け
私たちは新しい年を迎えまし
ることができます。
た。彼らのことを無関心という
通り過ぎる風景にしてしまうの
で は な く、人 々 に 心 を 向 け る 良
い機会にしましょう。勇気のい
月
だった」という。
ミサ・告別式は髙見三明
通夜は
で 酒 造 り、地 元 の 仲 知 で
大司教主司式により
は養殖にも携わった。2
男5女の父親として家族
二文字を心まちにしています。
にしなさい。」
月
してくれるように頼
み ま す。 ⑦ 費 用 を 払
い ま す。 一 つ 一 つ が
神様の私たちに対す
る 愛 を 示 し、神 様 の
心を教えてくださっ
ているように思いま
す。 そ し て、そ れ ら
る一歩かもしれません。
しかし、
を 養 い、米 山 教 会 で は 6
私共をはじめ多くの民間団体の方々も「登録」の
27
神様のお恵みをいただいて動き
日、老 衰 の
る予定です。長崎大司教区、
関係行政機関、
そして
16 17
42
は私たちの日々の生活におい
月
連遺産」の登録についての審議がトルコで行われ
援助物資を運ぶ神学生
て、実 践 可 能 な 事 柄 で あ る こ と
昨年
そして今年7月、
「長崎の教会群とキリスト教関
11
出すための大きな一歩になると
さて、
私共の活動もはや 10 年目を迎えます。
24 27
思います。
察します。
10 11
東 日 本・ 関 西・ 大 村 と、全 国
かれては、
健やかに新年をお迎えになったことと拝
FAX TEL
10
にも気づかされます。
り行われた。
あけましておめでとうございます。皆様方にお
浦上教会で行われた追悼ミサ
次 男 の 竹 谷 誠 師( 三
長崎の教会群インフォメーションセンターニュース〔第 3 号〕
12
11
難民移住移動者委 員 会 の 全
国研修会が
佐世保・三浦町教会 で 開 催 さ
れ、大 村 入 国 管 理 セ ン タ ー を
訪問しました。
センターの設置目 的 は 「 不
法 に 入 国 し た り、在 留 中 に 好
ま し く な い 行 為 を し て、日 本
から退去を強制され る こ と に
なった外国人を送還 で き る ま
での間とどめておく 」 た め で
よきサマリア人のたとえに
していることでしょう。
す。 施 設 は 重 苦 し い も の で、 ど の よ う に 感 じ、日 々 を 過 ご
は、サ マ リ ア 人 に と っ て の 外
窓から木々の緑や青 空 が 見 え
ない世界でした。屋 外 運 動 場
12
50
年間、
教会役員を務めた。 日、福 岡・ 笹 丘 教 会 で 執
ます。
10
11
が 設 け ら れ て い ま す が、土 や
ため福岡市内の病院で逝
去。 歳。
25
(お告げのマリア修道会)
11
22
に3カ所の入国管理センターが
23
11
24
Sr. 藤村みちよ
37
22
12
11
みことばにふれて 124
10
11
11
20
23
15
10
17
14
木 な ど 自 然 の 安 ら ぎ は な く、 国人が傷を負って倒れていま
11
82
50
42
2016年(平成28年)
カトリック教報
1035 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
第