第一課 私について来なさい 本課内容 漁 夫 の 話 ペテロとアンドレは魚を

第一課
聖
私について来なさい
書:マタイの福音書四章 17∼25 節、ルカの福音書五章 1∼11 節
教学目標: 1、 四人の漁師は神様の国のために自分の仕事を捨てて主に従った事を知る
2、 私は主に従います
① 主の言葉を聞いてたくさんの人がイエス様を信じるように導きましょう。
聖
句:
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人
間をとる漁師にしてあげよう」(マタ 4:19)
本課内容
みなさんも聞いたことあると思います。イエス様には12名の弟子がいました。彼らはい
つもイエス様についていきました。イエス様が各地で福音を伝え、病を癒していたとき、
弟子たちはいつも主のそばにいて、イエス様がどのように人を愛し、助け、そして、人の
為にお祈りしているかを学びました。しかし、弟子たちはどのようにしてイエス様の弟子
になったのでしょうか。彼らはどのようにしてイエス様を知ったのでしょうか?今から主
がとても愛した4人の弟子がどのようにして主の弟子になったか聞いてください。
漁
夫
の
話
イエス様が住んでいた所には大きな湖があります。それはガリラヤ湖といいます。この
湖は大きいのでガリラヤ海とも呼ばれました。そこには魚がたくさんいます。そこに住む
人たちは魚を取って暮らしています。その人たちを漁師といいます。一人の漁師がいまし
た。名前をペテロといいます。聖書の中によく出てくる人です。ペテロの弟はアンデレと
いいます。やはり同じ船に乗って魚を捕っていました。
ペテロとアンドレは魚を捕っていました。
ある夜、ペテロとアンデレは船を出し、網を下ろして魚を捕っていました。一晩中何も
取れません。魚は捕れないのに、海草とか他の物しか取れません。別の場所に網を下ろし
ても何も取れません。仕方がないので船を岸に着け、汚くなった網を洗おうと思いました。
主が海辺で証しする
この時、イエス様は証ししながら歩いていました。イエス様は多くの人々を癒していま
した。だから、多くの人がイエス様について、イエス様の説教を聞きたいと思っていまし
た。それで、ガリラヤの海まで来たのです。彼らは漁師が魚を取る所を見に来たのですか?
違います。なぜなら、海は静かで広く、説教をする良い所なのです。そこで説教すると、
みんなはよく見え、また、はっきりと聞くことが出来るのです。
イエス様は海辺に船が泊まっているのを見て、船の上に上がりました。その船はペテロ
が魚を取る船です。この時、ペテロと弟アンデレは網をきれいに洗い終わって、船に戻り
ました。イエス様はペテロに言いました:「この船を少し岸から離させてもらってもいいで
すか?」。ペテロはイエス様の話を聞いて、岸から少し船を離しました。イエス様は座っ
て岸にいる人達に向かって説教を始めました。ペテロとアンデレもイエス様の傍に座って
聞きました。
イエス様がペテロに魚を取るように言いました
イエス様が多くの説教を話し終えた後、みんなは帰りました。この時、イエス様はペテ
ロに言いました:「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」。シモンは答えて言
った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言
葉ですから、網をおろしてみましょう」。彼らは沖へこぎだし、きれいに洗った網を下ろ
しました。不思議なことに、多くの魚の群れが網入り、ゆっくりと網を上げました。魚が
多すぎたため、網が破れそうになった。彼らは近くで魚を取っている仲間に、加勢に来る
よう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈み
そうになった。
ペテロ、アンデレが主に従った
ペテロはこの不思議な事を見て、また、イエス様の説教を思い出して、この方は神であ
ると思った。そして、イエスの膝元にひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてくだ
さい。わたしは罪深い者です。」彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしい
のに驚いたからである。すると、イエス様はペテロとアンデレに言いました:「恐れるこ
とはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。ペテロとアンデレはイエス様が
彼らに福音を伝える手伝いをして欲しいと知り、喜んで「分かりました」と返事をしまし
た。そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエス様に従った。
ヤコブ、ヨハネが主に従った
彼ら三人が進んで行くと、二人の兄弟とそのお父さんが船の中で網を繕っているのが見
えました。この二人の兄弟は、兄がヤコブと言い、弟がヨハネと言いました。イエス様の
ためにバプテスマを施したヨハネではありません。漁師のヨハネです。イエス様は止まっ
て、ヤコブとヨハネに向かって言いました:「ヤコブ、ヨハネ、私に従ってきなさい」。
彼らはお父さんに向かって「さよなら」と言って、網を置き、船から離れ、岸に上がって、
イエス様に従って行きました。この日、四人の漁師が船を離れ、イエス様の生徒となり、
主のために福音を伝えます。その後、彼らはとても有名な使徒―伝道者となりました。ま
た、死ぬまで主の為に一生懸命働きました。
主の話を聞いて、人を主に帰させる
みなさん良く考えてみましょう。私たちの生活の中で、神が私たちを愛しているのを感
じたことはありますか?例えばペテロ達のように、イエス様の偉大な力を見て、イエス様
に従うと決心しました。だから、イエス様は彼らに言われた:「わたしについてきなさい。
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。彼らはすぐに網を捨て、イエス様に従
いました。私たちもペテロたちと同じようにイエス様の言葉に従いますか?どういうふう
に従えばいいのでしょうか?(子供たちに自由に発言させる)そうですね。イエス様の言
葉はこの聖書に書いてあります。私たちは集会に参加して、先生の話す物語の中で、イエ
ス様が私達にどうして欲しいのか知る事が出来ます。イエス様が唯一の真の神であると信
じ、私達が信じた後、イエス様の言葉に従うことが出来るのです。
今日は、この話を聞いて、イエス様は私達に何をして欲しいか分かりましたか?また、
出来ますか?では、聖句を二節見てみましょう。マタイ福音書四章19節∼20節です。
みんなで一緒に読みましょう。「イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。
あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イ
エスに従った。」イエス様は私達に魚を捕るのではなく、私達に福音を伝えなさいと言っ
ています。親戚の人や友達を連れて、主を知り、主を信じるように。イエス様は魚をいっ
ぱい取れるように主を信じる人を得させてくれます。
第二課
聖
勇敢に過ちを認めた者
マタイの福音書九章 9∼13 節;マルコの福音書二章 13∼17 節;
書:
ルカの福音書五章 27∼32 節,十九章 1∼10 節。
教学目標:
1、取税人のマタイとザアカイは、主に自分の過ちを認め、イエス様と良い
友達になったことを知る。
2、私は主に従います
②イエス様の行った事を1つ言えるようになる。
聖
句:
神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰
(使徒 20:21)
本課内容
ボクシングチャンピオンの話
昔、スコットランドに、ボクシングがとても強い人がいました。彼は強靭な体を持って
いたので、よく人をいじめ、悪い事をするのが好きでした。そして人々は彼をとても嫌っ
ていました。
ある日、彼は誰かがイエス様のお話をしていると聞き、好奇心から走って聞きに行きま
した。その結果、彼はイエス様が私たちを愛し、私達を救うために十字架に付けられ、流
された尊い血によって私たちの罪が洗い清められ、私たちが新しく生まれ変わって良い子
となり、神様と永遠に共にいられるようにして下さった事を聞いて、とても感動し、心か
ら悔い改めて主を信じました。悔い改めた後の彼は、完全に良い人に変わりました。また、
非常に熱心なクリスチャンでもありました。何年か過ぎると、彼はとても有名な宣教師に
なりました。
ある日、彼が説教をしていると、ある人が彼に一通の手紙を渡しました。手紙の中には
彼が昔やった悪い事がたくさん書かれていました。彼は読み終わった後、とても悲しい思
いと恥ずかしい思いでいっぱいになり、説教をやめて逃げ出したくなりました。しかし、
神の言葉が彼を慰め、彼は勇敢に台の上に立って手紙を一通り読み、自分が昔は罪人で、
神が彼を愛した事によって、昔の行いから救い出してくれたことを認めました。今、彼は
主を信頼し、主の愛を受け入れ、恐怖や恥を感じることなく、自分が主を信じるまでの経
過をみんなに証しました。その夜、たくさんの人々が彼の証を聞いて信仰に入りました。
ザアカイが主に悔い改めた
幼稚班のとき、私たちは「ちびのザアカイ」という物語を聞きましたね。彼はどういう
人でしたか?(一人の生徒に物語の内容を話してもらい、後から教員が付け足しをする)
エリコの中に、ザアカイという名の取税人がいました。取税人とは、国に代わって人々か
ら税を収集し、(税とは、国が国民からもらう一定のお金の事で、そのお金を使っていろん
な施設や学校、高速道路などを造る。)その収集した税をまた国に提出するというお仕事で
す。古代の取税人は、よく人々から多く税を取って自分のものにしていたため、とてもお
金を持っていました。
ある日、ザアカイはイエス様が自分の住んでいる町にやってくると聞いて、偉大なイエ
ス様を見てみたいと思いましたが、人が多く、またザアカイは背が低いのに、どうやった
ら見る事が出来るのでしょうか?この時、彼は道のそばに大きな木があるのを見つけまし
た。
ザアカイは思いました。そうだ!私がこの木の上に登れば、イエス様がはっきり見えるじ
ゃないか!するとザアカイは素早く木の上に登って、イエス様が通るのを待ちました。イ
エス様は木の下に来ると、木の上にいるザアカイを見上げ、「ザアカイよ、急いで降りてき
なさい。今日、あなたの家に泊まることにしているから。
」と言いました。ザアカイは急い
で木から降りてきて、喜んでイエス様を自分の家に迎え入れました。彼はイエス様に、「イ
エス様!私は以前、よく人からお金を騙し取る悪い人でした。今、私は人々にお金を返し、
二度と悪い事はしません。」と言いました。イエス様はこれを聞いて、「よし!勇敢に自分
の過ちを認めて再び悪さをしない者は私の好むものだ。」と言いました。ザアカイはとって
も喜びました!なぜなら、イエス様が彼のことを赦し、彼と友達になってくれたからです。
今日、先生はもう一人の取税人のお話をします。
取税人マタイ
ある日、イエス様がカペナウムの町を歩いていると、ある人が取税所に座っているのを
見ました。その人の名はレビと言い、別の名前をマタイと言いました。マタイはザアカイ
と同じで、食べるものも着るものも良かったけれど、ちっとも楽しくありませんでした。
それは彼が、規定を破ってお金を取っていたので、人々に嫌われていたからです。
マタイは友達がほしいと思いました。しかし、彼と同じような取税人以外に誰が彼と友
達になってくれるのでしょうか?マタイは、
「あぁ!私はこんなにお金を持っていて何にな
る?誰も私を愛してくれない。私は本当に悪い奴だ!」と思いました。
イエス様は彼の取税所に入り、マタイを見ました。マタイは税を納めに来た人だと思って、
面倒くさそうに頭を上げました。しかし、彼はイエス様を見ると、この人は他の人とは違
うと思いました。彼の目には愛と許しとが溢れていたからです。イエス様はマタイに「マ
タイ、私に従ってきなさい。」と言いました。マタイは、彼がイエス様だと分かりました。
おぉ!嬉しすぎる!マタイは彼の取税所をたたみ、二度と人々に嫌われるような取税人に
なろうとはせず、悔い改めてイエス様を信じ、イエス様の生徒になる事を決めました。
マタイがイエス様を接待した
その日の夜、マタイは彼の立派な家にイエス様を招き、まだイエス様のことを知らない
友達をたくさん招き、一緒に食事をしました。彼らが食事をしているときに、マタイは彼
らに「私はもう取税人をやらない。イエス様について行く。」と言いました。彼の友達らは
とても驚いて「どうして?」と聞きました。マタイは「イエス様が私を愛してくださった
からです。私はイエス様について行き、彼の生徒となって彼に習い、良い助け手となる。」
と言いました。彼の友達はこの言葉を聴いて、たくさんの人がマタイと同じようにイエス
様を信じました。
マタイはイエス様の弟子となった
マタイはイエス様の弟子となり、彼はイエス様を愛し、イエス様もまた彼を愛していま
した。彼は二度と悪事は行わず、また他の人にも自分の過ちを認めてイエス様を信じてほ
しいと願っていました。マタイは一生イエス様に従い、イエス様が昇天なさった後も続け
て真理を宣べ伝え、忠実に働いて教会を設立しました。
第三課
聖
書:
主よ、私をお助けください
マルコの福音書四章 35∼41 節;ルカの福音書八章 22∼25 節;
ヨハネの福音書六章 16∼21 節;マタイの福音書十四章 22∼33 節
教学目標: 1、イエス・キリストが神の子であり、大いなる力を持って弟子達を助けた事
を知る
2、イエス様が救い主であると信じる
聖
句:
神には、なんでもできないことはありません(ルカ1:37)
本課内容
今日多くの子供達が集会に参加しましたが、みなさんは何のために教会に来たのです
か?(生徒発表)そうです。私達は唯一の真の神を礼拝と讃美するために来ました。神は
全能の真の神です。神の名前はイエスです。私達は先生からイエス様の行った奇跡を聞き
ました。イエス様は奇跡をもって私達が無事に困難を過ごせるように助けてくれました。
今日、私達はイエス様がどのように奇跡を行って、海上で危険に遭っている弟子達を助け
たのか聞きましょう。
ガリラヤ海を渡る
ガリラヤ海は青くきれいな湖で、四方は山に囲まれています。ある時には、強い風が山
を突き抜けて湖面に向かって吹き荒れ、静かできれいな湖面は大きな波を作ります。この
強風が止まったとき、大きな波もゆっくりと落ち着き、平静さを取り戻します。
ある日、イエス様がガリラヤ海で説教していた時、神の愛について話し、病人を癒し、
一日中働いて、疲れたと感じました。イエス様は静かな所で休みたいと思いました。だか
ら、弟子に言いました:「 向こう岸に渡って少し休みましょう」
それで、イエス様と弟子達は船に乗り、船は静かに、穏やかに水面の上を走った。イエ
ス様は仕事で疲れていたので、船に乗ってすぐに眠られた。
突然大きな風と波が起きた
風が緩やかに吹いてきて、船もゆっくりと揺れました。イエス様がちょうど気持ち良く
眠っていた時、突然強い風が湖に吹き、更に強くなり、波が船に打ちつけ、船も水がいっ
ぱいになってしまいました。(海上で起きる暴風の現象を子供たちに討論してもらう)弟子
達は怖くなって、どうしたら良いのか分かりません?この時、イエス様は船尾で寝ていま
した。弟子達はイエス様を起こして言いました:「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、お
かまいにならないのですか」
イエス様が風と波を鎮める
イエス様は弟子の恐れた様子を見て、起き上がりました。そして、風を叱り、海に向っ
て、「静まれ、黙れ」と言われると、風は止んで、大なぎになった。イエス様は彼らに言
われた、「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか」
弟子達静かになった海を見て、非常に恐れました。彼らは風や波を鎮める事が出来る人
を知らないからです。そして、互に言った:「いったい、この方はだれだろう。風も海も
従わせるとは」。
みなさん、この方というのは誰のことですか?(生徒発表)そうですね、この方こそ天
の上の神です。多くの人達はイエス様が天の上の神であると知りません。今から話す物語
は、イエス様が本当に天の上の神であると知ることが出来ます。
イエス様が海面を歩く
ある日、イエス様は夕方の時、5 つのパンと 2 匹の魚を祝福して多くのパンと魚に変わり、
5千人に分け与え、お腹いっぱいに食べました。イエス様は忙しい一日の仕事を終えて、
弟子達に船に乗ってカペナウムに戻るように言い、一人で山に登って祈られた。
夜になって、ガリラヤ海はまた強い風が吹き荒れ、弟子達は力を尽くして、船が強い波
に耐えられるように頑張っていました。弟子達は思いました。もし、イエス様がここにい
たらなんて心強いのだろう。なぜですか?(生徒発表) もうすぐ夜が明ける時、弟子達は
恐ろしい事を見ました:ある人が彼らのほうに向って水の上を歩いているのです。弟子達
は恐れて叫びました:「幽霊だー」
主よ、お助けください
この時、弟子達には、
「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と聞きな
れた声がした。するとペテロが答えて言った:「主よ、あなたでしたか。では、私に命じ
て、水の上を渡って御許に行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われた
ので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスの所へ行った。 しかし、ペテロが水の
上を歩こうとした時、風と波が吹いてきました。彼は信仰を失い、イエス様が彼を水の上
で歩かせる事が出来るのを忘れたのです。それで、恐ろしくなり、そして溺れかけたので、
彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。
イエス様に出来ない事はありません。主はすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。もし、ペテロが主を信じていたなら、彼はそのま
ま水の上を歩いて主の御許に行くことが出来たでしょう。しかし、彼は風と波を見て、恐
ろしくなった。
真に神の子である
聖書では:イエス様とペテロが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。弟子達はもう一
度イエス様の行った奇跡を見たのです。聖書では: 「舟の中にいた者たちはイエスを拝し
て、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った」
私達はイエス様が救い主であり、永遠なる神の子である事を知りました。イエス様は永
遠に存在する神であり、その御言葉には大きな力を持っている。私達はイエス様が救い主
であり、万物を創造した神であると信じる事が出来るのは、とても幸せなことです。
第四課
聖
書:
教学目標:
命は神様の御手の中にある
ルカ7章11節∼17節
8章40節∼56節
ヨハネ11章1節∼45節
1、主イエスの力を知る、死から復活させることができる
2、イエスは救い主であることを信じる
②
聖
句:
神様が造られた命のあるものを幾つか言えるように。
イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わた
しを信じる者は、たとい死んでも生きる。」(ヨハネ 11:25)
やもめの子供
ある日、イエス様とその弟子たちがナインという町へ行きました。町の門に近づくと、
大勢の町の人たちがそこから出てきました。それはある一人の少年のお葬式だったのです。
そして彼を町の外へ埋葬する時でした。その当時、ユダヤ人は死人を棺桶の中に入れない
で、人が眠っているように台の上に載せていました。
埋葬を見送る人たちはみんな泣いていました。特にこの少年の母親は一人のやもめで、
とても悲しみ、泣いていました。なぜなら彼女の夫はすでに死に、今度はこの一人息子ま
でも死んでしまったのです。みんな、彼女はとてもかわいそうだと思いませんか?そうで
すね、これから彼女は一人で淋しい生活を送るのです。
イエス様はこのやもめを見てかわいそうに思い、彼女の為に心が痛くなって、この泣い
ている母親に向かってやさしく「泣かないで下さい」と言われました。この時、母親はき
っと不思議に思ったことでしょう。なぜなら、この見知らぬ人(イエス様)が自分に対し
て泣かないで下さいと言ったからです。イエス様はこの棺桶の前に寄り、棺桶を担いでい
た人たちは立ち止まりました。この母親はイエス様の行動一つ一つを不思議に見ていまし
た。そして、イエス様はこの棺桶に向かって、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われま
した。聖書には、この少年はイエス様の言葉通りに起き上がっただけでなく、また話をし
たとあります。イエス様はこの死から復活した少年を母親に渡しました。このお母さんと
子供はどんなに喜んだことでしょうね!!!この時、周りにいた人たちはとても驚き、イ
エス様に心から感謝しました。そして彼らは神を賛美して、「大預言者がわたしたちの間
に現れた」、また、「神はその民を顧みてくださった」と言いました。この知らせはすぐ
にこの町とその付近に広まりました。
ラザロは墓から出た
イエス様とその弟子たちはまた他のところへ福音を宣べ伝えに行きました。そこでは、
イエス様の良い友達であるラザロが病気であることを知らされました。ラザロとその姉妹
マルタとマリヤはみんなベタニヤに住んでいました。この一家はとてもイエス様を愛して
おり、イエス様も忙しい仕事の帰り、よく彼らの家に寄っていました。
しかし、イエス様は仕事が忙しかったので、すぐにベタニヤへ行って友達のラザロに会
うことができませんでした。ラザロの病気はどんどん悪くなり、最後に死んでしまいまし
た。みなさん、ラザロの二人のお姉さんは悲しんだと思いますか?そうですね。とても悲
しみました。人が死んだ後、埋葬する必要があります。ユダヤ人の習慣は私達と違って、
彼らは乾いた白い布を死人の体に巻き、それから洞窟にある墓に入れ、その入り口に大き
な石を一つ置いて塞ぐのです。悲しげな二人のお姉さんたちはラザロを埋葬してから、家
へ帰りました。
ラザロが死んで四日後、イエス様は弟子たちに、「わたしたちの友ラザロが眠ってい
る。わたしは彼を起しに行く」と言いました。この時弟子たちは、ラザロが普通に眠って
休んでいるのだと思っていました。しかし、イエス様は彼らが分からないと思い、また彼
らにこう言いました、「ラザロは死んだのだ。」やっと弟子たちは、イエス様が急いでい
る理由が分かりました。みなさん、イエス様はなぜラザロが死んだことを分かったのでし
ょうか?誰が教えてあげたのでしょうか?(子供に発表してもらう。)その通りです。な
ぜなら、イエス様は神様だから、見なくても分かるのです。
イエス様と弟子たちが村の外に来た時、マルタは急いでイエス様を迎えに来ました。
イエス様を見てこう言いました、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたし
の兄弟は死ななかったでしょう。」。イエス様は答えて、「わたしはよみがえりであり、
命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。」と言われました。この意味は、
私は今ラザロを復活させると言うことです。みなさん、先生に続いて二回言ってください。
(「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生き
る。」)はい、よく出来ました!この言葉の意味は、イエス様は命を管理しており、彼は
死人を復活させることが出来るのです。
マルタは急いで帰ってマリヤを呼び、家で彼女達を慰めていた人たちも一緒に出てきま
した。イエス様は彼らがとても悲しんでいるのを見て、心が苦しくなり、彼らにこう聞き
ました。「彼をどこに置いたのか」そして彼らは主に、「主よ、きて、ごらん下さい」。
と言いました。そしてイエス様は涙を流されました。彼らが墓の前に来た時、一つの大き
な石が塞いでありました。そこで、イエス様は「石を取りのけなさい」と言い、マルタは
不思議そうに「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」と言いました。
イエス様は、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」
と言われ、彼らはその石を取り除き、イエス様は天を仰いで祈りました。そして大声で
「ラザロよ、出てきなさい」と叫びました。みなさん、すでに死んだ人が再び起き上がっ
て歩くことが出来ると思いますか?できません。しかし、主イエス様はすでに死んだラザ
ロを復活させ、彼は起き上がっただけではなく、墓から歩いて出てきたのです。外にいた
二人のお姉さんとユダヤ人たちは驚きのあまり、声がでませんでした。どうしてこのよう
な不思議な事が起きたのでしょうか?ユダヤ人はとても不思議に思い、もし神様でなけれ
ば誰も死人を復活させることは出来ないため、このイエス様はきっと神であり、救い主で
あると思いました。なぜなら、イエス様はラザロを復活させたので、多くのユダヤ人たち
はイエス様を信じました。
命のあるものはすべて神様がお造りになられた
みなさん
イエス様はどうして死人を蘇らせることができるのでしょうか?(みんなに答
えてもらう)そうですね。イエス様はすべてのものを創造された神様ですからね。人を造
っただけではなく、動物や植物も造られました。他に何を造られたか言えますか?(子供
たちに答えてもらう。図とかを利用して見せる。魚とか鳥とか小さい動物、数え切れない
くらいたくさんのものを造られました。そしてみんな命があるものですよ)みなさんこん
な動物や植物を見たことがありますか?(それぞれの特徴を話す)
象
⇒とても長い鼻があって、物を嗅ぐ事が出来る。その長い鼻で水を思いっきり吸っ
て、それを全身にぶっ掛けて水浴びをする。像の鼻の使い道はいっぱいあって、例
えば、小象が誤って川の中に落ちたとき、その鼻を使って救出してあげる。その他
にも、像はよく泳ぐことができ、水の中に長くいても恐れない。なぜなら、像の長
い鼻を水面に伸ばせば呼吸をすることができるから。
渡り鳥⇒渡り鳥は夏になると北へ飛び、冬になると南へ飛ぶ。では、鳥達はどうやって道
が分かるのでしょう?神様は彼らにある本能を授け、彼らはどのように行き、また
帰るのかが分かります。なぜなら、神様が彼らを創造したからです。
魚
⇒魚の種類はたくさんあります。ある物は食用とされ、ある物は観賞用とされます。
神様は色々な色を使って魚を装い、見た目を美しくされました。
蟻
⇒ありはとても小さな動物です。でもとても賢いので、夏に食料を蓄え、冬に備え
ます。
草花
⇒神様は一粒の小さな種から、日光の光を浴びさせ、水を与えて成長させます。
神様はなんてすごいのでしょう。神様は宇宙すべてのものを造り、命も神様から与えら
れました。だから神様は死んだ人でも生き返らせることができるのです。
第五課「私の病気が治った」
聖
書:
教材目標:
マルコの福音書五章 1∼21 節。ヨハネの福音書九章 1∼41 節
1、イエス様には病を癒し、サタンを追い払う力があることを知る。
2、イエス様が救い主だと信じる
③主に病を癒された実例を言えるようになる。
聖
句:
「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くこと
がなく、命の光をもつであろう。」
(ヨハ 8:12)
本課内容
イエス様はよくガリラヤ海付近で説教をしていました。ある時、彼は風と波を静めて、
弟子たちとガリラヤ海の東岸にあるガラサという所に渡りました。
ガラサの狂人
ある凶暴な狂人が山の墓場に住んでいました。そこの墓場はとても大きくて家のようで
したが、そこは死人を埋葬する場所でした。
誰もその狂人を捕まえる事が出来ませんでした。彼は悪霊に取り憑かれていたからです。
彼の手や足に鎖をつないでおいても、力が大きくて鎖を壊してしまいます。昼間はいつも
山の上から大声で叫び、石で自分を傷つけていました。
イエス様が岸から上がった時、彼はとても遠い所から見ていました。彼は急いでイエス
様の前に駆け寄り、イエス様のことを傷つけるわけではなく、両足を付いてひれ伏しまし
た。イエス様はすぐにこの人が悪霊に取り憑かれているのだと分かりました。イエス様は
この狂人の事を愛し、取り憑いている悪霊に向かって「汚れた霊よ、この人から出て行け」
と言いました。しかしこの人に憑いている悪霊は「いと高き神の子イエスよ、神に誓って
お願いします。どうぞ、私を苦しめないで下さい」と言いました。
イエス様が「なんと言う名前か」と聞くと、悪霊は「レギオンと言います。大勢なので
すから」と答えました。そして、自分たちをこの人から追い出さないようにとしきりに願
いました。この狂人から追い出されると住む所がなくなってしまうからです。
この時、山の中腹ではちょうど豚の大群がえさを食べている所でした。悪霊はイエス様
に豚の中に住まわせてくださいと願いました。イエス様がお許しになったので、悪霊たち
は豚の中に入りました。すると、どうでしょう?豚たちは悪霊が中に入ったので、みんな
狂ってしまって崖から海へなだれを打って駆け下り、海の中で溺れ死んでしまいました。
豚の飼い主は自分の飼っていた豚たちがみんな海の中に落ちて死んでしまったのを見て、
町に駆け込んで今起こった事をみんなに話しました。すると、ガラサの人たちはこぞって、
イエス様とは誰なのか、どのようにしてあの狂人を治したのか見に来ました。聖書には、
彼らがガラサに来た時、以前悪霊に取り付かれていた人を見てとても驚いたと書いてあり
ます。あの狂人が服をきちんと着て、ちゃんと座っていたからです。彼らはとても恐れま
した。彼らはあの狂人が癒されたから恐れたのではなく、狂人をも癒すイエス様の大きな
力を恐れたのでした。
主が盲目の人を哀れんだ
イエス様は狂人だけではなく、盲人も癒されます。
ある日、イエス様が道を歩いていると、道端に座っていた人が「先生、私を哀れんでく
ださい」と言って鉄のお皿を差し出してきました。みなさんは、この人がどんな人だか分
かりますか?そうです、盲人です。彼には何も見えません。また何もする事が出来ません。
道行く人々からもらうお金だけで生活するしかないのでした。
(現在の盲人はたくさんの技
能を身に付けることが出来ます。例えばマッサージや歌など、自分の障害を克服する事が
出来ます。)
イエス様の弟子たちは「先生、この人が生まれつき盲人なのは、誰が罪を犯したためで
すか。本人ですか、それともその両親ですか」と聞きました。イエス様は「本人が罪を犯
したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神の御業が、彼の上に現れる
ためである」と答えました。イエス様はその盲人を見て、
「私は世の光である。私が来たの
は人が見えるようになるためである」と続けました。何も見えないということは、とても
苦しい事ですよね?イエス様はこの盲人を愛し、彼の苦痛を解決してあげようと思いまし
た。
すると、イエス様は地につばを吐き、そのつばで泥を作り、その泥を盲人の目に塗りま
した。そして「シロアムの池に行って洗いなさい」と言いました。彼はイエス様のことを
知りませんでしたが、言う通りにシロアムの池に行って目の泥をきれいに洗いました。ど
んな事が起こったかわかりますか?彼は目を開いて、見えるようになったのです!これは
水、あれは天、これは私の手足、彼は住宅が見え、周囲の人々も見えました。
彼はとても嬉しくて、飛び跳ねたりして走って帰りました。「見えるようになった!見え
るようになった!」近所の人たちは家から出てきて「この人は、座って乞食をしていた人
じゃないか?」と言い合いました。ある人は「そうだよ!だけど何で見えているのだろう?
彼は生まれつきの盲人じゃなかったのか?」と言い、またある人は「彼じゃないと思うよ。
きっと、彼にすごく似ている誰かだよ」と言いました。しかしその盲人は「私です」と言
いました。みんなは彼を囲んで「誰があなたの目を治したのですか?」と聞きました。彼
は「イエスという方が、泥をつくって私の目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われま
した。それで、行って洗うと、見えるようになりました」と答えました。
ある人たちは彼が盲人であった事を疑って「彼の両親を連れて来い」と言いました。し
ばらくすると彼の両親が来て、人々は「彼はあなたの息子ですか?彼は生まれつきの盲人
でしたか?」と聞きました。両親は「はい、私たちの息子です。彼は生まれつきの盲人で、
とても可哀想でした」と答えました。
みなさん、考えてみて下さい。世界中で誰が生まれつきの盲人を治すことが出来るでし
ょう?イエス様しかいません。彼は神の子だからです。彼にしか病を癒し、悪霊を追い出
す事は出来ません。
イエス様は世の光
それではみなさん、聖書を開いてください。ヨハネによる福音書八章 12 節。(年長の生
徒に読んでもらう)イエス様は「私は世の光である」と言っています。イエス様がこの世
に来たのは、盲人を治すだけではなく、人々の心の中の目を開かせてイエス様を認識させ、
信じるようにするためなのです。
イエス様の言葉は聖書に書いてあります。彼は私たちに、どんな事をするべきなのか、
どの道を歩むべきなのか、どの様にすれば神に喜ばれるかを教えてくれています。私たち
は以前、短気で貪欲で兄弟姉妹たちと喧嘩する事を好んでいました。今はイエス様が光を
照らして、二度と間違った道を歩まないように導いてくれます。
神に癒された実例を言えるようになる
現在、イエス様はもうこの世にはいません。他の盲人たちは癒されることが出来ますか?
(出来る)みなさんはイエス様が人を癒した実例を言う事が出来ますか?(生徒に証がな
かったら先生が次の実話を話す)
主が良いおじいさんの目を癒した
台東の隆昌教会には一人のおじいさんがいました。彼は78歳のときにイエス様の癒し
を受けました。これからこのおじいさんの証を聞きましょう。おじいさんは8年前までは
神を信じていませんでした。その時おじいさんの目はよく痛くなって、とても痛いときも
ありました。毎日痛いのを我慢していたら、段々と見えなくなってきました。最後には何
も見えなくなってしまい、お医者さんも薬を飲ませたり、注射を打ったりしましたが全く
効果がありませんでした。彼は盲人になってしまったのです。もう二度と青い空や、緑の
山、綺麗な花や可愛い孫を見ることが出来ません。目の前はただ暗闇が広がっているだけ
で、家にいても、手であたりを探ってから進まなければ椅子を倒してしまうし、可愛い孫
にも触る事しか出来ません。このように彼は3年間かわいそうな盲人の生活を送ったので
す。そんな時、ある人がイエスを信じるように勧めました。彼は長老教会に入信し、イエ
ス様に憐れんでもらえるように願いました。そして彼の家で信者たちと一緒に家庭集会を
開き、彼が集会に多く参加できるように祈りました。しかし目は痛くなる一方でした。彼
の娘(成人)は他の教会に説教を聞きに行き、彼女が聞いている道理こそが真理で、人を
救うことが出来ると分かりました。彼女は帰ってくるとお父さんに彼女が行った教会に行
くようにしきりに勧めました。そして彼はこの教会が完全に聖書に沿って道理を伝えてお
り、聖霊もあって人の魂を救うことができ、彼の目の病もきっと癒されるだろうと思いま
した。みなさん、このおじいさんの娘が彼に勧めた教会はどこだか分かりますか?そうで
す、真イエス教会です。
おじいさんは真イエス教会のバプテスマを受けると決心しました。バプテスマを受けた
後は、毎朝子供に連れられて会堂に行き、イエス様が彼を憐れんで、救って、癒してくれ
るように祈りました。このようにして毎朝、会堂に行ってお祈りをしました。一日、一日
と過ぎていき、三年が経ちましたが、彼はまだ盲人でした。しかし彼はあきらめずに毎日
会堂に行って癒されるために祈りました。この三年間で彼は一日も会堂に行くのを忘れま
せんでした。また一度も面倒くさいからと言って会堂に行かなかった日はありません。
民国四十三年6月上旬のこと、ある日、家にいて何もする事がなかったとき、彼はベッ
ドの上に寝て休息を取りました。その時、突然天井が見えたような気がしました。彼はお
かしいと思い、起き上がってまじまじと見ましたが何も見えませんでした。二日目も一日
目と同じでした。三日目に、彼は目の前に真っ白なものが見え、それが何なのか分かりま
せんでした。彼がその真っ白なものを見ていると、全てのものが見えるようになりました。
彼の目が見えなくなって8年、この時に神は彼の祈りを聞き入れて癒してあげました。そ
の時、彼は嬉しすぎてこのことが夢のように思えました。急いで外に出てみると、8年前
に見た空はあの時と同じ青く、山も美しいままでした。8年前に見た子供たちも大きく成
長していて、分からなくなったほどでした。この時彼は嬉しすぎて何を言えば良いのか分
かりませんでしたが、ただ心からイエス様に感謝することだけを知っていました。次の日
は安息日で、朝早くから会堂に行って兄弟姉妹の顔を見ました。みんなは彼が8年間も盲
人で、突然見えるようになったことに驚き、喜び、共に大声で「ハレルヤ、全ての栄光が
神に帰しますように」と言いました。
みなさんも、このおじいさんのことが喜ばしくありませんか?はい。イエス様は真に力
のある神です。私たちが一生懸命に願い求めれば、彼は私たちを癒してくれます。
第六課
復習
書:マタイの福音書四章 17∼25 節、九章 9∼13 節;マルコの福音書四章 35∼41 節、
聖
五章 1∼20 節;ルカの福音書七章 11∼18 節
教学目標:
1、1∼5 課までの教材を復習
2、1∼5 課までの行いを復習
聖
句:
1∼5 課までの聖句を復習
復習内容:
ある人は空を飛ぶ鳥が好きです。彼は鳥が窓の近くで飛び回っているのを毎日見て、鳥
達に近づき、触ってみたいと思いました。しかし、彼がご飯粒を鳥達に与えようとした時、
鳥達はみんな逃げていきました。彼が離れると、鳥達はまた帰ってきました。彼は鳥達と
一緒に居たいのに、鳥達は彼の気持ちをまったく理解しません。彼を見たらすぐに逃げる
のです。彼は思いました、鳥が人の考えていることを理解するためには、人が鳥の言葉を
話すしかありません。また、鳥になって彼らの内で一緒になって飛ぶしかありません。し
かし、彼は鳥になる事も出来なければ、鳥に自分の考えを理解してもらえる事も出来ませ
ん。
神は私達に対しても同じです。神は私達を愛し、私達が神に親しむことを願っている。
しかし、私達は神の御心を理解していない。神は預言者を通して私達に「神は世の人を愛
する」と教えられた。それでも、私達は神の苦心を理解せずにいた。最後に、神は自分で
この世界に来て、一人の人間となりました――それこそイエス様です。
イエス様は神だから、しるしや奇跡を行うことが出来ます。イエス様が世にいたとき、
多くの病人の病気を治し、悪魔に憑かれた人を癒しました。目の見えない人が見えるよう
になり、耳の聞こえない人が聞こえるようになりました。そして、死人を甦らせる事も出
来ます。ある時、イエス様が船に乗っていたら、風が強くなって、船が波に呑まれそうに
なってしまい、弟子達は怖くなりました。イエス様は起きて風と波を怒りました。そした
ら、風と波も穏やかになりました。この時、イエス様の弟子はみんな漁師でした。彼らは
イエス様の行った奇跡を見て、網を置いて、イエス様に従いました。今、私達はイエス様
の偉大さと力を見ました、私達はイエス様に従いたいと思うべきですか?そうです、私達
は悪い性格を直して、ザカリヤやマタイのようになって、イエス様に従いましょう。
今からクイズを始めます。
準備:1、1∼5 課の聖句をそれぞれ別の紙に書いてください
2、生徒をチームに分けて、聖句の書いた紙を各チームに示し、聖句の記載されて
いる話を答えてもらう(時間限定)。答えられなかったら、別のチームに回す。
多く答えたチームが優勝とする
聖句1:イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をと
る漁師にしてあげよう」
答:マタ4:19、4人の漁師がイエス様に従った
聖句2: ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエ
スに対する信仰とを、強く勧めてきたのである。
答:使徒20:21、ザカリヤやマタイは同じように取税人ですが、悔い改めて主を信じた。
特にマタイは十二弟子の一人となった。
聖句3:神には、なんでもできないことはありません
答:ルカ1:37、イエス・キリストは神の子である。大いなる力を持って弟子を助け、
暴風雨を鎮めた。
聖句4:イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信
じる者は、たとい死んでも生きる
答:イエス様には力がある。ラザロと若者(やもめの息子)を甦らせた事がある
聖句5:イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに
従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
答:イエス様はゲラサで汚れた霊に憑かれた人を癒し、命の光を得させた。また、盲
目の人を癒し、イエス様こそ救い主であると彼に知らせた。
第七課
聖
書:
最も良いものを捧げましょう
マルコの福音書四章十二章 41∼44 節;レビ記二十二章 17∼25 節;マラキ書
一章 6∼8 節;出エジプト記二十三章 19 節;創世記四章 4 節、二十二章 2 節
教学目標:
1、イエス様がやもめのささげを喜んだ事を知る、彼女は神を愛していたから
2、主の喜ばれる子となる
①捧げの精神を話せるようになる
聖
句:
ただで受けたのだから、ただで与えるがよい(マタ10:8)
本課内容
昔、人々は聖なる宮で神を礼拝しました。彼らの礼拝方式と今の私達の礼拝方式はあま
り変わりません。みなさん、イエス様が 12 歳の時、聖なる宮に行って神を礼拝した情景を
覚えていますか?(生徒発表、先生補充)そうですね、イエス様はまじめに真理を聞きま
した。今日、私達はどんな方法をもって神を礼拝しますか?(生徒発表、讃美歌、祈り、
説教を聴く、ささげ)
多くの人がささげる
みなさん、私達が自動集会に参加する時、お父さんとお母さんが私達にお金を渡して、
これをささげなさいと言います。なぜですか?(生徒発表)そうですね、いい答えです。
このお金を教会に捧げて、教会が教材を買ったり、会堂を建てたり、貧しい人を救ったり
……などに使います。(先生は教会の実際状況に基づいて実例を挙げる)
実際、ささげる時、お金の多さ、少なさとかは関係ありません。大事なのは、心の底か
ら喜んでお金を神に捧げることです。
やもめの二枚の小銭
今日は、聖書に書かれてある本当のお話をします。ある日、イエス様は聖なる宮で会衆
に教えられ、説教を話し終えた後、賽銭箱の隣に座って休んでいました。
多くのお金持ちが歩いてきました。そのうちの何人かは多くのお金を持って、周りを眺
め、自分が多くのお金をささげる事をみんなに見せたいのです。彼はゆっくりとお金を賽
銭箱に投げ入れ、箱から声が出るようにするのです。それから、得意げに離れました。ま
た、ある人は、袋から一部分のお金を取って、賽銭箱に投げ入れました。ちょうどこの時、
イエス様は破れた洋服を着た一人のやもめが頭を低くして、歩いてくるのを見ました。彼
女は申し訳なさそうに二枚の小銭を取って、賽銭箱に投げ入れ、静かに離れていきました。
イエス様は、このやもめの夫が死んだことを知っています。彼女は一生懸命働いてやっ
と食べ物を買うことが出来るのです。今、彼女がささげたのは彼女の全財産です。イエス
様は弟子達に言いました:「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れ
ている人たちの中で、誰よりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ
入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたから
である」
みなさん、考えてみてください。この貧しいやもめは僅かに残った二枚の小銭をささげ
たのですか?(生徒発表)
このお話しを通して、5つのパンと2匹の魚をささげた男の子を思い出します。この男
の子はイエス様を愛し、自分の持っていた全ての物をイエス様にあげたのです。イエス様
はこの食べ物を祝福した後、5千人に分け与え、お腹いっぱい食べられました。
だから、イエス様は私達が多くささげる、少なくささげる事を見ているわけではありま
せん。大事なのはいやいやではなく、誠意をもってささげているかです。ある子供は、毎
回教会に来て嬉しそうにお金を全部主にささげます。また、ある子供は、ささげたとお母
さんに嘘をついて、自分のポケットに入れた子もいます。他には、半分を主にささげ、半
分を買い物に使った子もいます。みなさん、どの子が一番誠意あるささげをしていますか?
ささげの精神を話す
ささげとはどういう意味ですか?(生徒発表)〈ささげるとは、私達が神から与えられた
物を神にささげる事です〉私達はどのようにささげれば良いのでしょうか?〈神が私達を
愛したから、私達も神を愛さなければならない。だから、喜びの気持ちをもってささげる〉
神の好きなものは、私達の最も良いものです。旧約聖書では、神が人にどのように燔祭
するかを教えています。全てささげるものについては喜びの心をもって、最も良いものを
選ばなければならない。例えば:牛、羊、あるいはやぎの雄の全きものをささげなければ
ならない。すなわち獣のうちで、盲目のもの、折れた所のあるもの、切り取った所のある
もの、うみの出る者、かさぶたのある者などを主にささげてはならない。以上のことを通
して、私達は必ず最も良いものをイエス様にささげなければならない。自分のお父さんお
母さんに送るプレゼントと同じです。しかし、私達は最も良いものではなく、二番目に良
いもの、壊れたものをささげます。例えば:イエス様は私達のお父さんとお母さんの心の
様に、私達が良い子になる事を願っています。これは最も良いプレゼントです。しかし、
私達は人に対して不誠実であったり、わがままであったり、人とケンカしたりと、このよ
うな事をイエス様にささげています。まるで病気になった羊を神にささげると同じ事です。
このようなプレゼントは神に喜ばれますか?
どのようにささげる
ささげはお金だけではなく、他のものも主にささげられます。ある時、イエス様はベタ
ニヤのある家庭で休んでいました。その家には、マルタ、マリヤとラザロがいました。彼
らはイエス様が彼らの家にいた時、一つのものをささげました。それは何でしょうか?
マルタとマリヤは永遠に忘れる事がありません。イエス様が彼女たちの愛する弟を甦ら
せた事です。心の中でいつも感謝していました。イエス様がマルタの家に来た時、マルタ
は豊かな食事を作ります。ある時、マリヤは自分の結婚用に取っておいた高価な香油が入
れてある石膏のつぼを持ってきて、イエス様の足に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足
を拭きました。すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ
使をするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。イエス様は
それを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれた
のだ。」
彼ら一体何をイエス様にささげたのでしょうか?(マルタは才能と時間をささげた。彼
女は主のために食事を準備したから。マリヤは自分の最も尊い香油を主にささげた)
以上の事からも分かる様に、私達は時間、お金、能力(特別な才能)をもって神に仕え
る事が出来ます。
聖書では:神は私達にどのようにささげるべきかを教えてくれています。マタイの福音
書十章8節を開いてください。(生徒を指名し、読んで貰う)
「ただで受けたのだから、ただ
で与えるがよい」。
「ただで受けた」の意味は、神が私達を愛し、多くのものをただで私達に与えてくれた。
神が私達に与えてくれたものは何ですか?(生徒発表)
「ただで与える」、この言葉は私達に無条件に人を愛し、神を愛し、神に感謝する。私達
に主を愛する心があるなら、喜んでささげ、最も良いものをささげ、神も喜んで受け入れ
てくれる。
第八課
聖
書:
教学目標:
誰が賢いのか見てみましょう
マタイの福音書二十五章 1∼13 節;ルカの福音書六章 46∼49 節
1、おとめはどのように新郎を迎える準備をしたのかを知る
2、主の愛される子となる
②いつも集会に参加し、聖霊に満たされるようまじめに求める
聖
句:
だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来る
からである(マタ24:44)
本課内容
みなさんは学校に行くとき何を持っていきますか?(生徒発表)では、これらの物を持
っていかなかったら、どうなりますか?(一つ一つ考えて答えてもらう。例えば:教科書
がなければ授業が出来ない、ペンを忘れたら字が書けない……)
私達が授業するとき、これらの物がないと不便ですね。友達から借りればいいですけど、
友達も自分で使います。だから、一番いいのは自分で準備することです。宿題も同じよう
に準備が必要です。家でしっかり復習すれば、成績は必ず伸びます。
イエス様は私達に大事なことを準備して欲しいのです。イエス様は言いました:
「だから、
あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(予め
黒板に書いた聖句を指す)イエス様は私達に何を準備して、イエス様を迎え、天国に連れ
て行ってくれるのでしょうか?今からイエス様の話された事を聞いてみましょう
10 人のおとめが花婿を待つ
ある日、とても賑わっていました。ある人の家では結婚式が行われるので忙しくしてい
ます。ユダヤ人の規則では、花婿とその介添えが朝早くから家を出て、親友の家で夜遅く
まで飲み食いしてから家に帰ります。でも、いつ帰るかは花婿にしか分かりません。
花婿が家を出た後、きれいに着飾った花嫁には 10 人のおとめが側について、一緒に花婿
の家に行きます。この 10 人のおとめは必ず明かりを持たなければなりません。なぜなら、
花婿の帰ってくる時間は深夜になるので、彼女たちは明かりを点けて、花婿の帰りを迎え
入れるのです。
花嫁が花婿の家に来て、休みに入りました。10 人のおとめは明かりを持って、花婿の家
の門で花婿の帰りを待っていました。彼女達は夜遅くまで待っていましたが、花婿はまだ
帰ってきません。彼女達は明かりを点けたまま待っていましたが、次第に疲れてきて、一
人、また一人と眠ってしまい、ついには全員寝てしまいました。
10 人のおとめが花婿を迎える
深夜になって、「花婿だ、迎えに出なさい」という声がしました。10 人のおとめはこの
声で起こされ、見てみたら、明かりが消えかかっているのを見て慌てました。どうしよう?
その内の賢い 5 人のおとめは、初めから油を準備していたのです。今、彼女達は準備した
油を足した。そして、5 人の明かりはまた明るくなりました。
しかし、愚かな5人のおとめは、油を準備していなかった。彼女達の明かりは消えそうに
なっていて、どうすればいいのでしょうか?彼女達は賢い5人のおとめ達に求めました:
「あ
なたがたの油を私達に分けてください。私達の明かりが消えかかっています。」しかし、
賢いおとめ達は言った:「私達とあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に
行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
賢いおとめ達は花婿を迎える
愚かなおとめ達が町に買いに出ているうちに、花婿が着きました。そこで、5人の賢いお
とめ達は明かりを持って花婿を迎え、花婿と一緒に婚宴の部屋に入った時、門が閉められ
ました。この婚宴に来た親戚や友達は花婿と一緒に入って、宴席を楽しんだ。
愚かなおとめ達は入れない
5人の愚かなおとめはやっとの思いで油を買ってきましたが、みんなが家の中に入ってい
き、門も閉められたのを見て、大きな声で叫びました:「ご主人様、ご主人様、どうぞ、
開けてください。」しかし主人は答えた:「はっきり言うが、私はあなたがたを知らない。」
当時の習慣として、花婿がいつ家に帰るかは誰も知りません。しかし、彼が家に帰ってき
て、門が閉められたら、もはや開ける事は出来ません。この5人のおとめは可哀相ですか?
そうですね、この5人のおとめは一晩中花婿の帰りを待っていたのに、しっかりと準備出
来ていなかったから、花婿や花嫁と一緒に喜ぶチャンスを見逃してしまったのです。
いつも集会に参加し、聖霊に満たされる事を求める
イエス様は昇天される前、イエス様の再臨を私達に教えてくれました。イエス様を信じ
る人を天国に迎えて、イエス様と永遠に住むのです。しかし、イエス様はいつ来るのです
か?花婿がいつ家に帰ってきて、花嫁を娶るかは誰にも分からないように、イエス様がい
つ来るのかは誰にも分かりません。
さっきのお話では、10人のおとめは私達信仰に入っている人を指します。もし、いつも
礼拝に参加し、聖霊に満たされ、神の言葉を守れば、賢い5人のおとめになれるのです。彼
女達の明かりには油が準備されています。聖霊に満たされない、集会にも参加しない、祈
りも不真面目で、側にいる子供達と冗談を言う事は、神に対して礼儀がありません。神も
このような祈りは好きではありません。この人達は、イエス様が来た時、あの愚かな5人の
おとめの様に、明かりはあるのに、油がない(信仰に入っているけど、行いが悪い)から、
門の外に追い出されて、「ご主人様、開けてください」と叫んでも、もう遅いのです。
聖書にはイエス様が弟子達に教えられた事が書かれてあります。マタイの福音書二十四
章44節を開いて、みんなで読みましょう。「だから、あなたがたも用意をしていなさい。
思いがけない時に人の子が来るからである」
みなさんはイエス様がいつ来るか分かりますか?分かりませんね、先生も分かりません。
世界中で知っている人は誰もいないと思います。イエス様だけが知っています。もし、私
達がしっかりと準備をしないと、イエス様が来た時、私達を待ってはくれません。例えば
時間が私達を待ってくれないと同じように。だから、いつでも準備をして、私達が良い行
いをしていれば、イエス様がいつ来ても「主よ、私は準備できました。私は良い子で、人
を助けたり、いつも集会したり、嘘もつかない、怒らない……」と言える事が出来ます。
願わくは、全ての子供達がいつでも、どこでもしっかりと準備し、イエス様が来たとき
には、喜んで主を迎え入れる事が出来ますように。
第九課
聖
書:
主イエスはもっと私を愛す
ルカの福音書十二章 22∼31 節;マタイの福音書六章 25∼34 節
教学目標: 1、天の父はこの世のすべてを愛す
2、主に喜ばれる子供になる
③生活のために心配したり、争ったりしないようになる
聖
句:
何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのこと
で思いわずらうな。(ルカ 12:22)
本課内容:
ある集会が終わったあと、幼年班の先生は子供たちに嬉しいお知らせをしました。
「来週、
みんなで山に登りましょう。みんなでパンや、水、果物、それにお菓子も持っていきまし
ょう。多すぎてはいけませんよ。」帰り道で恵ちゃんは「わたしとっても嬉しいわ。来週、
きれいな新しい服と靴を履いて遠足に行こうかな」と言いました。
それを聞いたリリは、お母さんに「お母さん、来週みんなで山登りに行くのよ。新しい
服作ってもいい?」と言いました。お母さんは「山に登るのに新しい服は要らないわよ。
すぐに汚れて破れるわよ。あの水色の服まだあたらしいじゃないの。あれを着ていったら
いいじゃないの。」と言いました。それを聞いて面白くない様子で自分の部屋に入りました。
日曜日の朝、リリと弟は朝ごはんを食べている時、ママはパンやお菓子、フルーツと水
を準備してくれました。さあ出発です。でも食いしん坊の弟は果物が少ないと言って行き
たくないようです。ママは、「たくさん持っていかないようにと言われているじゃないの。
歩きづらいわよ。食べ過ぎたらお腹が痛くなるよ。」弟はまだ行きたくないようです。ママ
はもうすこし持って行かせます。「全部自分で食べないでね、みんなと分けるのよ。」
リリは弟を連れて教会に行きました。すぐに恵ちゃんが真っ赤な服と黒い新しい靴を履
いているのを見ました。
「ママが着させてくれなかったけど無理に着てきたのよ。見て!!
きれい?」リリは口ではきれいよと言ったけれど心の中では面白くなかったのです。
みんなが集まってお祈りをした後、出発しました。子供たちはみんな喜んで飛んだり跳
ねたりして歩き出しました。弟だけは荷物が重くて手がしびれてしまいました。清君はた
った一個の弁当だけ、それで弟は彼に持ってもらおうと思いました。清君は今日あまり嬉
しくないのです。どうしてでしょう。彼のお父さんは病気で仕事にいけないからです。そ
れでお金がなくて、今日たくさん持って来られませんでした。それにお父さんの病気が心
配です。もし、もっとひどくなったらどうしよう。もうご飯が食べられなくなるかもしれ
ない。そうしたらどうしよう。心配で、今日は嬉しくないのです。
山を登っていくうちにみんなは疲れてきました。それで樹の下で休むことにしました。
水を飲み、また歩き出しました。その時、ある女の子が歩けなくなりました。彼女の足に
水ぶくれが出来たからです。水ぶくれは破れてしまいました。みんなその女の子は誰だか
分かりますか?そう恵ちゃんですね。先生は薬を塗ってあげました。でも歩けません。先
生は靴を脱いで、裸足で歩くように言いました。足の裏は痛く、その時になってやっぱり
ママの言う事を聞いて古い靴を履いてくれば、こんな事にはならないと気づきましたがも
う遅いのです。
山の上に着いて草や樹もありました。子供たちは樹の上で鳥が鳴いているのを見ました。
鳥たちは樹の実を食べて飛び回っています。虫を食べてあっちこっちに飛んでいる鳥もい
ます。みんなは樹の下や草の中にきれいな花も見つけました。みんなは摘んでみようと思
いました。
先生がホイッスルを吹いてみんなを集めました。先生と子供たちは、この大自然の教室
で集会を始めました。お祈りをした後、先生はイエス様の話を始めました。
イエス様は小鳥たちも養っています。
先生の話は:ある時
イエス様が山の上に座って弟子たちやみんなに言いました:「空の
鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだの
に、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかに
すぐれた者ではないか。天の父はもっとあなたたちを見ていてくださる。だから食べ物が
ないとか心配する事はない。天の父は餓死させることはない。」
イエス様は野の花も見ています
イエス様はまた言いました:天の父はみんなを見てくれています。どうして着る物のこ
とで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、
紡ぎもしない。野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ
以上よくしてくださらないはずがあろうか。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あ
るいは何を着ようかと言って思いわずらうな。ただ健康を求めれば、それで良いじゃない
ですか。天の国にいけるように助けてくださいとお願いすれば良いのです。」
最後に先生は:「みなさん、イエスさまの言葉をよく聞いて、ママにもっと美味しいもの
が食べたいとか、新しい靴や服が欲とか言わないように。ママが用意したものを感謝して、
天の父にもいつも私たちを見守っていることに感謝すれば良いのですよ。」先生が話し終わ
ったころ、清君が手を挙げて;「イエス様が必ず見守ってくれるからパパの病気もきっと良
くなるね。」と言ってもう心配しなくなりました。
リリも先生の言った事が正しいと思いました。ママの言う通り、新しい服を欲しがった
りしないようにと思いました。恵ちゃんは恥ずかしくて下を向いていました。「もしママの
言う事を聞いていたら足もこんなに痛くないし新しい服もよごれたり破れたりしなかった
のに。今度から神様とママの言葉をよく聞いていい子になろう。」
集会が終わって、みんなは食事をしました。弟と清君は一緒に座って分け合って食
べました。突然ある子は「先生 !!お腹が痛いよ!!」食べたものを全部吐き出しました。
弟はそれを見てこう思いました。「ママの言う事を聞いてよかった。いっぱい食べ過ぎなく
てよかった。今度からいっぱい持ってこないようにしよう。」
生活のことで心配しない、争わない
みんな、天のお父さんは毎日見てくれていますか?(はい)天の父は家の人みんなを養
ってくれています。明日何を食べようか心配しますか?(いいえ)他の人が美味しいもの
を食べているのを見て、ママにおねだりしても良いですか?(よくない)きれいな服や靴
をみてママに買ってよと言ってもいいですか?(だめです)美味しいものが食べられなく
ても新しい服がなくても構いません。なぜですか?希望があるからですね。どんな希望で
すか?(天国に行く)もし天の国に行けるのなら、いつも新しい服を着たり、美味しいも
のを食べたりして地獄に行くよりどんなに良いでしょう。どうかイエス様が私たちをもっ
と神様の言葉に従うように助けてください。あれが欲しい、これが欲しいと言わないよう
にしてください。天の神様が私たちの生活に必要な物を与えて下さるからです。
第十課
さ迷う子羊
書:マタイの福音書十八章 12∼14 節;ルカの福音書十五章 3∼7 節、8∼10 節
聖
教学目標:1、神はさ迷う子供達を探している事を知る。羊飼いがさ迷う羊を探す事に似
ている。
2、主に好かれる子供となる
聖
句:罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人
のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。(ルカ15:7)
本課内容
みなさん、大事な物を失くした事はありませんか?本、おもちゃ、お金などいろいろな
物。その時、心の中でどう思いますか?絶対に見つけてやると思いませんか?そして、見
つけた時、とても喜びませんか?(子供たちの経験を聞く、先生も自分の経験を話し、失
くした物が見つかった気持ちを強調する)
ある日、イエス様は一つの物語を話した。羊飼いが一匹の羊を失くした話です。
羊飼いは子羊を愛する
イエス様は言われた:一人に羊飼いに 100 匹の羊がありました。彼は非常にこの羊達を
愛し、毎日この羊の群れを草原に連れて行き、羊達に新鮮な草を食べさせ、お腹がいっぱ
いになったら、羊飼いは羊達を澄んだ川に連れて行き、水を飲ませて休ませました。羊飼
いは羊をとても愛していました。彼には杖が一つあります。杖の頭はデコボコしていて、
羊達が列から離れたり、穴に落ちたりした時、羊飼いは杖で羊を軽く叩き、列に戻らせ、
穴から引っ張り出します。
太陽が沈んで、羊飼いが羊に「め∼、め∼」と叫びました。羊達は自分の主人の声を知
っているので、羊達は頭を上げる事もなく、主人の声がする方に帰っていきます。道で、
もし、羊が疲れて歩けなかったら、羊飼いは羊を抱きかかえます。また、羊が傷ついた場
合、羊飼いは自分の肩に乗せ、無事に家に帰ります。
家に帰った後、羊飼いは自分の羊を数えます。彼は柵の所に立って、羊が柵に入ってい
く時、一匹一匹数えます。百まで数えて、羊飼いは安心して羊の柵に鍵をかけて、家に帰
って休みます。羊飼いは毎日彼の愛をもって全ての羊の面倒を見ています。
さ迷う子羊
ある日、羊飼いは同じように、朝早くから羊の群れを連れて草を食べに行きました。太
陽が沈んで、羊飼いはお腹いっぱい食べて、遊びつかれた羊達を家に連れ帰り、同じよう
に羊達を柵に入れて、数え始めました。
「一匹、二匹、……」。しかし、羊飼いが「九十七、
九十八、九十九」まで数えた時、彼はビックリしました。おかしい、一匹足りない?数え
間違えたかな?羊飼いはもう一度数え始めました。やっぱり一匹足りない。羊飼いは慌て
ました。みんな一緒に帰ってきたのに、なぜ一匹足りないのだ?どの羊がいなくなったの
だ?彼は探して、一番の悪戯っ子――白です。彼は「白、白、何処にいるんだ」と何度も
呼びましたが、返事はなく、本当に帰っていないのです。
白は活発で、言うことを聞かない羊です。白は遊びが好きで、自分で勝手にいろんな所
に行ってしまいます。白が毎回いなくなっても、羊飼いに発見されて、無事に帰れたから
良いのですが、羊は一人では遊べません。とても危険なのです。荒野には狼が出てきて羊
を食べてしまいます。だから、羊は羊飼いと一緒にいないと、狼に食べられてしまいます。
白はとても機嫌がよく、羊飼いは羊達を青々とした草原に連れて行き、白は嬉しくて飛
び跳ねました。多くのチョウチョが宙を舞い、白はチョウチョと友達になりたくて、チョ
ウチョを追いかけました。そして、遠い場所まで来てしまいました。空も暗くなってしま
い、風も強くなってきました。白は突然寒く感じました、早く羊飼いの所に帰りたいと思
いました。しかし、白は道に迷ってしまいました。どっちに行けばいいのだろう?白は「め
∼、め∼」と叫びました。でも、羊飼いの声はありません。白は怖くなりました。空も暗
くなって、道も見えません。山壁の傍に隠れ、怖くて泣いていました。皆さん、考えてく
ださい。白に危険はありますか?羊飼いは助けに来てくれますか?
羊飼いがさ迷う羊を見つける
羊飼いが白のいなくなったのを知って、すぐに杖と明りを持って、風や雨にも恐れず、
真っ暗な草原や、川に行って白の名前を呼びました。彼の足は草に刺されて血を流しまし
た。しかし、どんな危険があっても、羊飼いは必ず白を見つけ出します。
見つかったら喜びましょう
羊飼いはやっと微かな声を聞きました。
「め∼、め∼、」の声です。羊飼いは喜びました。
すぐに声のする方向に向かって歩きました。羊飼いは「白、白」と叫びました。白も「め
∼、め∼、」と叫びました。羊飼いは一睡もしないで、荒野でさ迷っている羊を探し、そし
て、やっと見つかったのです。彼はどんなに喜んだか。みなさん、この気持ちが分かりま
すか?(生徒に羊飼いの気持ちを発表してもらう)白は悪戯が過ぎて、羊の群れを離れ、
夜になって空も暗くなり、家に帰ろうとしたら、道が分からなくなってしまったのです。
白は谷に隠れていて、羊飼いは白を抱きかかえて、傷ついているかどうか見ました。白は
今もう怖くありません。羊飼いに抱きかかえられているからです。
羊飼いは喜んで白を家に連れて帰りました。道で彼は友達やお隣さんに言いました:「私
の失くした羊が見つかりました。みなさん、私と一緒に喜んでください。」その夜、羊飼い
の家では大いに賑わいました。彼らは失くした一匹の羊が見つかった事を喜びました。
主の愛を感じましょう
聖書では:「罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい
人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」と教えています。イエス様
はこの羊飼いと一緒で、私達みんなを愛しています。イエス様は私達がイエス様の言う事
をよく聞くようにと願っています。イエス様は天の上にいました。しかし、世の人が言う
事を聞かないで、悪い事ばかりしました。イエス様は心を痛めました。だから、この世界
に来て、みんなに悔い改めて、イエス様の言う事を聞くように言いました。また、私達の
ためにイエス様を信じない人達に、十字架に付けられてしまいました。死んで三日後に復
活しました。イエス様は天の上で私達のためにもっと良い場所を準備しています。将来私
達がイエス様と永遠に楽しく過せる事が出来ますように。
だから、私達は常にイエス様の大きい愛を思わなければなりません。イエス様は世界の
全ての人を愛しています。どんな人でもイエス様の子供です。私達が言う事を聞かない、
間違った事をした場合、イエス様は良い羊飼いのように私達を見つけます。私達がイエス
様の声を聞いたら(聖書の話を思い出す)、すぐに直しましょう。そうすれば、神が見て
喜ぶだけではなく、天にいる天使達も一緒に喜んでくれます。
第十一課
聖
種まきの話
書:マタイ福音書十三章 1∼9 節、19∼23 節;ルカの福音書八章 4∼15 節
教学目標:1、種まきの喩えにおける四種類の土地の中で、どの種類が私達に
とって学ぶべきかを知る
2、主に喜ばれる子となる
⑤ 聖書を読むことを好きになる
聖
句: ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは
六十倍、あるものは三十倍にもなった。(マタ十三:9)
本
課
内
容
皆さん、この種たちを土に蒔いたら、将来どうなりますか?(芽を出して、
成長します)皆さんは、お父さんやお母さんが花や木を植えるところを見たこ
とがありますか?花や木が立派に成長するためには、何に注意すればいいと思
いますか?(生徒発表:例えば:良い土、日当たり、適度な水)
イエス様も農夫が種をまく話をしました。では、聞いてみましょう。ある農
夫が多くの種を地に蒔きました。では、この蒔かれた種は全部立派に育つかに
ついて考えてみましょう?
朝早く、農夫は袋に入っている種を持って畑に行きました。農夫畑では歩き
ながら種を蒔きました。種は風に揺られて空中に舞い、あるものは遠くへ、あ
るものは近い所へと飛んで行きました。農夫は、この種が全部良い土に落ちて、
立派に育ち、花を咲かせて実を結ぶ事が出来るようにと願いました。
道ばたに落ちた種
しかし、ある種は風に揺られて悪い土に落ち、誰もが通る道ばたに落ちまし
た。種はこの硬い地に落ちて、充分な水分も取れず、地の中に入りたいけど、
入ることも出来ない。昼間、人通りの多いこの道は、種が落ちていることも知
らないので、そのまま種を踏みつけました。踏まれなかった幸運な種も夜にな
ると、鳥たちが飛んできて、全部食べてしまいました。
土の薄い石地に落ちた種
ある種は、風に揺られて飛び、良い所を見つけようとしましたが、不運なこ
とに土の薄い石地に落ちてしまいました。この種たちは薄い土の上に落ちて、
安全だと感じました。種たちにとって必要な水分があり、死ぬこともなければ、
人に踏まれる心配もないからです。種はすぐに芽を出し、葉は太陽の光を受け、
根は栄養を吸収しようとして地中深くまで伸びていきました。
しかし、種たちは薄い土の石地に落ちたので、伸びた根は地中の石にぶつか
り、すきまを見つけて入ろうとするが、どうする事も出来ない。昼間の太陽は
すぐに薄い泥土を乾燥させ、可哀想な芽は、水分が足りないので、太陽に照ら
されてクラクラしてしまい、茎はゆっくりと曲がってしまい、最後はまっすぐ
に伸びることが出来ませんでした。
いばらに落ちた種
農夫が畑の四方を回って、空中から種を蒔いた、種はみんな肥沃の土地に落
ちて、高く大きく育ちたいと願った。しかし、この種たちは雑草の土地に落ち
た。この種は芽を出して、雑草と共に成長した。彼らは一緒に光と水分を分か
ち合い、雑草は早く成長した。間もなくして、雑草は長く伸びて、大きく成長
した。雑草は土の中にある養分を全部吸収してしまいました。芽を出したばか
りの種は順調に成長することが出来ず、光を見ることも出来ない。種は成長し
たいのだが、雑草が彼らの成長を妨げた。この良い種は、雑草に落ちた事から、
悲しい結末をもたらした。種は雑草と戦い抵抗するが、雑草の強さの前には何
も出来ず、閉じ込められてしまいました。
良い土に落ちた種
ある種は良い土に落ちました。この種たちは暖かく湿った土に寝て、待ってい
ました。毎日心地よい陽の光と甘い雨を受けて、土の中から小さい緑の芽が出
てきました。彼らの枝は天に向かって伸び、根も地中深くまで伸びた。石や野
草がなかったので、すぐに緑いっぱいの植物へと成長しました。元は小さな種
だった彼らでしたが、今では、大きく成長して数百粒の種が実っています。
聖書を読むことを好きになる
イエス様がこの物語を話し終えた後、弟子達に言いました:私達の心は土地
に似ています。神の言葉は種に似ています。イエス様は農夫です。この物語で
は、イエス様が 4 種類の土地をもって私達が神の言葉を聞く状況を表します。
私達の心は皆違います。ある人は、教会に来て集会に参加し、伝道者の説教を
聞いて、右の耳で聞いて、左の耳から出ます。真理の種を心に撒かないのです。
悪魔は鳥のようにやってきて、神の言葉を食べてしまいます。
また、ある人は、神の言葉を聞くのは好きですが、聖書の事をよく勉強しな
い。神の言葉を心に留めないから、人に傷つけられたり、笑われたりすると、
「私
はもう信じない」と言う。この枝は根が深くないので、太陽に当たると干から
びて死んでしまう。
次の人は、神の言葉を聞いて、イエス様の言葉を心に留めました。しかし、
彼はイエス様を愛していますが、他の事も愛している。例えば:テレビ、球技、
漫画、おもちゃなど。それで、聖書を読む、祈る、集会の時間をほったらかす。
芽が雑草に塞がれたのと同じです。彼は聖書を読まない、祈らない、だから、
苗がちゃんと成長し切れない。イエス様を信じているけど、信仰が足りない。
完全に神の言葉を理解せず、福音を人に伝えることも出来ない。
最後の人は、彼らの心はとてもいい土地です。彼らはしっかりとイエス様に
従って、神の言葉を聞き入れ、また行った。彼らはイエス様を愛し、兄弟姉妹
が互いに愛し合い、良い行いをもって子供達に福音を伝えた。正に良い種が良
い土に落ちて、芽が出て大きく成長し、花を咲かせて実を結んだ。
イエス様は言われた:
「ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、
あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」。みなさんの心はどういう
土地になりたいですか?また、どうしてですか?(生徒発表)
第十二課
聖
良い実を結ぶ
書:マタイ福音書七章 16∼19 節
教学目標:1、良い実を結ばない木は切られて、火の中に入れられる
2、主に喜ばれる子となる
⑥ 自分が良い子であると肯定できる
聖
句:良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる
(マタ七:9)
本
課
内
容
ある日、イエス様は弟子を連れて山に登りました。山の上で説教を始めよう
としました。この時、多くの民たちが集まってイエス様の説教を聞こうとして
待っていました。その日、イエス様は多くの話をしました。また、良い実を結
ぶ樹の話もしました。イエス様は言いました:「良い樹から悪い実は結ばない、
おおよそ樹であるなら、その結ぶ実が良いか、悪いかを見れば、その樹が良い
樹か、悪い樹かを知ることが出来る。
悪い実を結ぶ樹
皆さんはみかんを食べたことがありますか?あるみかんはとても甘くて、ある
みかんは酸っぱくて苦くて、おいしくない。もし、皆さんの家にみかんの樹が
あって、去年生ったのが酸っぱくて苦いみかんで、私達も、みんなも食べられ
なくて、この樹が嫌いでした。では、どうしますか?そうです。その樹を切っ
て、焚き木として燃やしてしまいます。それから、甘いみかんの生る苗を買っ
てきて植え、将来私達の好きな甘いみかんが生るでしょう。だから、イエス様
は言いました:
「良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込ま
れる。」
私達は実を結ばせる
皆さん、イエス様は酸っぱくて苦いみかんの生る樹を切るだけではなくて、
良い実を結ばない樹も全部切って、火の中に投げなさいと言いました。イエス
様は一人の人間を一本の樹と例えました:良い実を結ぶことはその人の行いが
良いという事であり、悪い実を結ぶことは行いが悪いということです。皆さん
は実を結ぶことが出来ますか?カリンですか?りんごですか?それともブドウ
ですか?皆さんはこの果物を食べることは出来ますが、果物の実を結ばせるこ
とは出来ません。イエス様は良い実を結びなさいと言いましたが、私達はどう
すればよいのでしょうか?イエス様が私たちに言った実を結ぶという事は、カ
リンやりんごではなく、しかも、口に入れて食べるものでもない。私達が結ぶ
実は愛の実で、誠実の実です。もし、私達が誠実で良い子なら、私達のこの樹
から誠実の実が生ります。
この樹は切られて燃やされる
もしある子供が、毎日うそをついて、物を盗んでいたら、この樹から良い実
と悪い実のどちらを結びますか?悪い実ですね。イエス様はこの悪い実を結ぶ
樹を切ってどうしますか?火の中に投げられて燃やされてしまいます。つまり、
地獄に投げられるのです。皆さんは良い樹ですか、悪い樹ですか?今日、皆さ
んがこの話を聞いてから、地獄に落ちて苦しみ受けないためにも、良い樹にな
って、良い実を結べられるように頑張ってほしいと思います。
誠
実
の
実
明君というかわいい子がいました。ある日学校で、休みの時間に遊んで帰っ
てきたら、自分の机の上にきれいな鉛筆削りがあって、欲しくなりました。も
し、それを自分の鉛筆箱に入れれば、誰も見ていないので、誰もわからない。
でも、誰かは知っている、イエス様は絶対に知っている。明君はこれが他人の
ものであると知っている。私達は人のものを取ってもいいですか?ダメです。
人が忘れたとしても、自分の机にあったとしても、また、私達の鉛筆箱にあっ
たとしても、人のものは人のものです。取ってはいけません。では、どうする
べきですか?人に返すべきです。学校では先生に渡します。道でお金を拾った
ら、どこに届けますか?警察のところですね。明君は鉛筆削りを持って、「こ
れは誰の物ですか?」と言った:「私のです」と恵ちゃんは言いました。恵ち
ゃんは鉛筆削りを持って明君に言いました:「明君、ありがとう、ずっと探し
ていたんだけど、見つからなかったの。ありがとう。」恵ちゃんと明君は一緒
に喜びました。なぜなら、明君の樹には誠実の実が結ばれたからです。
愛
の
実
明君の隣に座っている玲ちゃんは明君の友達です。玲ちゃんにはお父さんが
いなかったので、苦しい生活をしています。明君の家はお金持ちではないけど、
玲ちゃんに比べたら良い方です。午後、お弁当を食べているとき、玲ちゃんの
弁当箱には干しブドウを炒めたものしかありません。玲ちゃんの体は悪くて、
栄養のあるものを食べなければなりません。例えば、肉、玉子、魚とか、でも、
彼女の家ではそれを買える事は出来ません。明君は肉をあげようと思ったけど、
玲ちゃんが「いいよ、自分で食べなよ」と言われると思ったので、明君は玲ち
ゃんに言いました:「玲ちゃん、その干しブドウおいしそうだね、食べてもい
い?」もちろん「いいよ」と玲ちゃんは言いました。明君は食べたかっただけ
ですか?違います。
明君は言いました:「こんなに貰ってありがとう、もうお弁当食べられなく
なっちゃった。一緒に食べてよ。」明君は肉を玲ちゃんにあげました。玲ちゃ
んは「ありがとう、でもいいよ」と言いました。それでも、明君は肉を玲ちゃ
んの弁当箱に入れました。明君は良い事をしたので、喜んでいます。だから、
干しぶどうも余計おいしく感じられました。その後、明君はいつもこの方法を
使って自分のおかずを玲ちゃんに分けてあげました。でも、誰も知りません。
はじめ、玲ちゃんもなぜ明君がこんなことをするのか分かりませんでした。明
君は人に知ってもらおうとは思いませんでした。なぜなら、イエス様はこう言
いました:「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知ら
せるな。」このように真心を持って友達を愛する明君は「愛」の実を結んだの
です。
憐
れ
み
の
実
日曜日の集会が終わって家に帰ろうとした時、華君は門の前に破れた服を着
た人を見て、走っていきました。見ると、病気をしたかわいそうな乞食のおじ
いさんでした。彼は乞食に言いました:「ここで待ってください」彼は家の中
に入って、ボールを買おうとして残したお金を取って、乞食に全部あげました。
このかわいそうな乞食は、こんなにも良い心を持った子供を見たことはありま
せんでした。彼は、「ありがとう、ありがとう……」と言い続けた。華君はそ
れを見て、「もうありがとうはいいですよ、それじゃ、さよなら」。
昼ごはんを食べて、彼は友達と外でかくれんぼを遊んでいました。彼はいい
所を見つけて、そこに隠れていました。ここはあるおばあさんの住む破れ家の
後ろです。彼が待ちきれなくなった時、おばあさんが小さいお椀に盛ったご飯
と机に並べてある少ない青菜を見ました。彼は、あれでお腹いっぱいになれる
の?と思いました。彼はおばあさんの家に入って聞きました:「おばあさん、
こんにちは。」おばあさんは言いました:「ご飯は食べたの?あなたにあげる
食べ物はないけど、お座りなさい。」華君は言いました:「すいません、聞い
てもいいですか?」おばあさんは答えました:「はい、何でも聞いてください」
彼は言った:「おばあさん、それしか食べないで足りるのですか?」おばあさ
んは答えました:「いい子だね、私にはお金がないから、少なくても食べられ
ればいいのですよ。」華君は何も言えずに、ただ、「すいません、さよなら」
と言いました。華君は家を出た後、かわいそうなおばあさんの事をずっと考え
ていました。華君はおばあさんを助けたいけど、彼はまだ働けません。それか
ら、華君はお小遣いを節約して、玉子を買っておばあさんにあげました。正月
の時、家には腸詰がいっぱいありました。彼はお母さんに二本くださいと言い
ました。お母さんはどうしてと聞いたら、彼はかわいそうな人にあげるのと答
えたら、お母さんはもう三本くれました。彼は喜んで、紙に包み、おばあさん
の家に行きました。それから、お母さんもこのおばあさんがとても貧乏だと知
り、いつもいろんな物をあげました。また、おばあさんを、教会に連れて行き、
真理を聞きました。おばあさんは愛があって、憐れみ深い華君を見て、華君を
良い子にした神様を拝むと決めました。神様もいつも憐れみの実を結ぶ華君を
祝福しました。
自分が良い子であると肯定する
皆さんはどのような良い実を結びましたか?(生徒発表)
九つの実について
愛
わがままを言わない、他人を思いやる
喜び どんな時でも、いつも喜ぶ
平和 温和である、人と争わない
寛容 感情の衝動を抑制して耐える、すぐに怒らない
慈愛 慈しむ、人に施す
善意 正しい道を歩む、謙った態度
忠実 信じられる、頼られる、自分の信念を貫く
柔和 温かく、優しく、和める
自制 自身の欲望を制限する
第十三課
聖
総復習
書:マルコ福音書十三章 41∼44 節;マタイ福音書二十五章 1∼13 節;ル
カ福音書十二章 22∼31 節;マタイ福音書十八章 12∼14 節;マタイ
福音書十三章 1∼9 節、19∼23 節;マタイ福音書七章 16∼19 節
教学目標:七課∼十二課の復習
聖
句:七課∼十二課の聖句
復習内容:
第七課の重点: 一番いい物を捧げる
お金を捧げる以外に、私たちは他にも主に捧げることが出来ます。皆さん、
私達は何を捧げる事が出来ますか?(生徒発表;先生は七課の内容を把握して
子供たちの復習を手伝い、彼らを励ます)
第八課の重点:誰が賢いかを見る
十人のおとめが新郎を迎える話では、彼女たちはあかりに油を入れていたが、
唯一違っていたのは何でしょうか?(生徒発表)そうです、五人のおとめが別
に油を用意して、他の五人が油を用意しなかったのです。その結果どうなりま
したか?(彼女が町に出て油を買って戻ったときには、新郎と新婦は家に入っ
ていきました。五人の賢いおとめは家の中で一緒に喜び、愚かなおとめは外で
泣いていました。)皆さん、いつも良い行いをして、主を迎える準備をしましょ
う。
第九課の重点:イエス様は私を深く愛している
(先生は九課の内容を生徒と共に復習し、詳しい説明も付ける)皆さん、毎
日楽しく暮らしましょう。小さいことでお父さんやお母さんと喧嘩をするのは
やめましょう。なぜなら、天の父は私達に必要なものを準備しているからです。
第十課の重点:迷った子羊
1、子羊はなぜ迷ったのですか?
(羊飼いの話を聞かないで、ずっと遊んでいたから)
2、私達と子羊の似ている所は何でしょう?
(話を聞かないで、自分の好きな事だけをする)
3、良い羊飼いは羊を愛しましたか?また、どのように愛しましたか?
(正しい道へと教え、自分の命も顧みずに子羊を助けた)
4、イエス様と良い羊飼いの似ている所は何でしょう?
(良い子になるように私達を教え、私達の過ちのために自分を犠牲にして、
私達を救った)
5、イエス様はどのように私達を愛したのか?
(私達のために十字架に付けられて死に、願って私達の友となった。また、
いつも私達を共におり、私達を守っている)
第十一課の重点:種まきの話
イエス様が農夫の種まきという話をしました。図を見てその内容を話してく
ださい。皆さんはどこに種をまきたいですか?(良い土に)そうですね、皆さ
ん、神様の話(種)を聞くだけではなく、良い行いという芽を出すことが出来
るのです。
第十二課の重点:良い実を結ぶ
皆さん、この数週間、いろいろな話を聞きましたね。イエス様が私達を助け
て、鍬を持って地を掘って、掘って、掘って、石と草は捨てて、捨てて、捨て
て、主の言葉を心の中にまいて、百倍もの実を結びましょう。
聖句復習
紙に聖句の前半部分を一枚書き、後半部分をもう一枚に書いて、生徒を 2 組
か 3 組に分けて答えてもらいましょう。
マタイの福音書 10 章 8 節、マタイの福音書 24 章 44 節、ルカの福音書 12 章
22 節、ルカの福音書 15 章 7 節、マタイの福音書 13 章 8 節、マタイの福音書 7
章 19 節。