英文ビジネスドキュメンテーション の概要

第
1章
英文ビジネスドキュメンテーション
の概要
1.1
はじめに
本書の読者のほとんどは、現在あるいは将来の仕事に役立てるために英語の勉強をしておら
れるのだと思う。仕事に役立つ英語といえば、一般にはまず商談に必要な会話力を思い浮かべ
るのではないだろうか。語学教材出版社として知られている㈱アルクが 10 数年前に行ったアン
ケート調査でも、ビジネス(ウー)マンの英語学習ニーズは圧倒的にリスニングとスピーキン
グに集中しており、ライティング力の向上が必要だと感じている人は全体の 10 パーセントにも
満たないと報告されている 1。英語学習におけるこの傾向は、現在でもまったく同じである。む
しろ、オーラル・コミュニケーションを中軸に据えた新学習指導要領の導入に端的に現れている
ように、いわゆる「英会話」への傾斜は、ますます強まっているといってよい。
たしかに会話力は必要だ。相手が何を言っているのかが理解できなければ、そもそも仕事に
ならない。しかし、経験者ならだれもが知っていることだが、実際のビジネスの現場では、商
談といっても実はそうむずかしい話をしているわけではない。そのあたりの事情について、か
つて第 1 線の商社マンとして活躍し、現在、大学で後進の指導に当っておられる守誠氏は、そ
の著書の中で辛らつな内部告発 (?) をしている 2 。守氏によれば、「世間で考えられているほ
ど商社マンの英語力は高くなく」、その会話力についても「あまりたいしたことはない。むし
ろ、思ったより下手くそなのにおどろくほどだ」という。
「だが」と守氏は続ける、「その低い会話力で商談が成り立ち、大きな契約が日夜結ばれ、た
いした支障もなく動いている」のである。その理由はいたって簡単だ。ほとんどの商談はお互
いに相手の目的も仕事の中身もよく知ったプロ同士の話し合いである。したがって、少々下手
くそな英語でも十分に話が通じるのである。しかも、実際にそこで話される主要な内容は、多
くの場合、数量、納期、値段、支払条件などといった、数字を中心にした細部の詰めにすぎな
い。
要するに商談に必要な英会話力についてはあまり心配する必要はないのである。英会話と商
談は習うより慣れるものだ。守氏が「商社マンの英語力は信じられないほど低い」と嘆くとき、
実は、彼は同僚達の英会話力の低さを嘆いているのではない。彼が嘆いているのは、いたずら
に「話す」英語に力点をおく現在の国際コミュニケーション教育の在り方と、その結果として
の「書く」力の全般的かつ慢性的不足についてなのである。
1
『ビジネス英語読本』(The English Journal 別冊 1981 年 11 月号)。
2
『商社マンの書いた通じる英語』(守誠/実日新書)
1
日本人は読み書きはなんとかできるが、会話を苦手とする、というのは神話にすぎない。実
はなんとかなるのは会話であり、なんともならないのが書くことである。守氏は話すまえに読
み書きをキチンとやれ、という。たとえしゃべれても「書く英語になると文章の型態をとらな
い」人があまりに多いからだ。ビジネスの現場で本当に必要なのは的確に書く力であり、これ
がなければ的確に話すこともできない。
近代ビジネスは文書主義をその大原則として動いている。文書化され、記録に残された情報
に基づいて仕事を進めていくことが、近代ビジネスの基本なのである。現在のビジネスマンは
そのほとんどの時間を情報の受け渡しと処理に費やしている。そして、その情報活動の 80 パー
セントは文書によってなされている。したがって、書く能力の欠如は、ビジネスに携わる者に
とって致命的な欠陥だといってもよい。
ところが、実用文に関するかぎり日本では伝統的に「書く技術」の訓練をおろそかにしてき
た。その社会・文化的な背景についてはさておくとして、その結果は明らかである。英語・日
本語を問わず、しゃべることは上手でも簡単な商用文ひとつ書けない新人類社員の大量生産で
ある。もっとも、彼らばかりを責めるわけにもいかない。現在の日本の義務教育ではビジネス
文書の書き方など教えていないのである。そもそも、教育と実務は分離すべしというのが基本
方針であり、いわゆる実務教育というのは企業が分担するものと考えられている。
1.1.1 米国でのビジネス・コミュニケーション教育
一方、資本主義の総本山アメリカでは Grade 7(中学 1 年)あたりから、かなり本格的なビ
ジネス実務教育を行っている。たとえば、日本の学校では教えないビジネスレターの書き方に
ついて、Grade 7 および 8 の国語(英語)教科書では、それぞれおよそ 30 ページをこれに費や
している。Grade 8 の教科書 (Guide to Modern English) では第 1 章から第 4 章まで、それぞれ
「パラグラフの書き方」「事実と意見の区別」「資料・データの活用法」「ストーリの構築と
展開」について学習し、第 5 章が「レターライティング」、第 6 章から第 16 章までが文法・
語法、および基礎的な修辞法の学習に当てられている。
レターライティングを取り扱う第 5 章は 3 つのセクションから成り、それぞれ 1) friendly
letters, 2) social letters, 3) business letters と、内容・目的に応じたレターの書き方を学習する。
生徒はまず友達に出すレターの書き方から始める。ここではとにかく感じたこと思ったことを
そのとおりに書けばよい。次に、もてなしや贈り物に対する礼状、あるいはパーティへの招待
状などといったややフォーマルなソーシャルレターの書き方を学び、最後にビジネスレターへ
と学習を進めていく。
次ページのレターは Calvin Hicks 君という Grade 8 の生徒が書いたレターで、ある雑誌に
広告掲載されていた本を注文するためのものである。ビジネスレターのセクションはこのレタ
ーのクリティークから始まっている。一読してわかるように、これは内容的にはフォーマルな
ビジネスレターに属するものでありながら、その文面は思ったまま感じたままを文章にした「ま
まごとレター」であり、ビジネスレターとしては失格である。そこで、教師はこのレターを生
徒に読ませたあと、次のような質問をする。
Would you call it “businesslike”? Did it give the order clerk who received it all the information that he would have to know?
2
つまり、このレターは (1) ビジネス的なものになっているか、(2) 必要にして十分なインフ
ォメーションが含まれているか、と問うのである。生徒はこの質問を受けてクラス全体でディ
スカッションをし、みんなでこれをビジネスレターらしいものに書き直していく。
まず教師が教えることはビジネスレターの形式である。カルビン君のレターには発信日付も
なければ書中宛名 (inside address) もなく、返信用住所 (return address) も欠落している。ま
た、結尾敬辞 (complimentary close) もビジネスレターとして適当ではない。
Figure 1: 米国の中学生が書いたビジネスレター
3
Saturday
Dear Westchester Publishing Company,
I just read in a magazine that you have a book telling about foreign coins.
Please send me a copy. I have been looking for one for a long time, and I am
glad you have one.
I am thirteen years old and in the eighth grade. I have been collecting
coins ever since I was ten, and I’ve got some unusually good ones.
Please send me the book right away because I am in a hurry for it. I will
send you the money next week Wednesday when I get my allowance.
Your friend,
Calvin Hicks
次に本文について検討を加える。中学生とはいえ、そこはネイティブスピーカーであって、
英文自体には特にこれといった誤りはない。しかし、このレターの主要なメッセージである I
just read in a magazine that you have a book telling about foreign coins. Please send me a
copy. という書き出し部は実は何も言っていないにひとしい。そこで教師は a magazine に対
して What magazine? と質問し、同じように a book に対して What book? と問い、「具体的
に書く」ことの重要性を教えるのである。さらに原文第 3 文以下の childish な部分が指摘さ
れ、ビジネスレターとして不要あるいは不適切な部分を削除しながら、全体を grown-up(大
人)にふさわしい簡潔明瞭でビジネスライクなレターに直していく。
次ページに示す改作例は筆者が試しに書いてみたものであるが、米国の中学生の改作例もほ
とんど同じものになる。この改作プロセスをとおして、結局、彼らは次のようなビジネスライ
3
Guide to Modern English for Grade 8. (Scott, Foresman and Company: 1985, p. 141) なお、この
教科書では、Figure 1 の例に見られる Dear Westchester Publishing Company, というスタイルの冒頭啓
辞を不可とし、代わりに Gentlemen: という男性形の冒頭啓辞を使うように指導しているが、これは現在
の基準に合っていない。詳しくは第 2 章 (pp. 105-106) 参照。
3
ティングの 4 原則を学んでいくことになる。
•
ビジネスレターとしての一定の形式に従ったプレゼンテーション
•
ビジネスライクな文体とトーン
•
文面の簡潔さと明瞭さ
•
具体的で正確な記述
Figure 2: Figure 1 の改作例
1600 Pennsylvania Street
Washington D.C. 20025
August 5, 19-Westchester Publishing Company
113 Main Street
Newington, Connecticut 06111
Ladies and Gentlemen:
I just read in the August issue of Youth Magazine (page 45) that you
have the book, Coins of the World. Could you send me a copy by special
delivery since I need the book as soon as possible.
Enclosed is a money order for $5.50 ($4.50 for the book, plus $1.00 for
special delivery).
Sincerely yours,
Calvin Hicks
Calvin Hicks
前述の教科書では、このような基礎練習のあとに、一連の基本的なビジネス文書の作成演習
が続いている。その内容は、たとえばパンフレットの請求、リスト形式の注文書の作成、箇条
書きの練習、注文したものが届かないという催促のレター、送られてきたものが一部不足して
いるという苦情のレター、支払い関係の通知など実に多岐にわたり、しかもきわめて実戦的で
ある。
こうして彼らはさまざまな状況に応じた対応の仕方をケーススタディ方式で学んでいく。つ
まり彼らは、ビジネスレターの書き方を勉強しながら実は将来に備えたビジネスのシミュレー
ションを行っているのである。一般的な日本人が会社に入ってはじめて体験することを、平均
4
的米国人はすでに 13 歳の頃から疑似体験し、きたるべき時に備えているのである。ちなみに、
米国ではこのような徹底した実用教育がすでに幼稚園の段階から始まっている。たとえば、ど
この幼稚園でも必ず行う show and tell と呼ばれる一種のゲームがある。これは、自分の気に入
ったものを幼稚園に持ってきて、それをみんなに見せながら説明したり、ストーリーを展開さ
せのである。同じことをビジネスマンや技術者が行なえば「プレゼンテーション」ということ
になる。こうして、幼稚園にいる頃から実用的なコミュニケーション教育を受けて育った米国
人が、自分の意志を伝えることに比較的長けているのはむしろ当然と言ってよい。ときには、
伝えるものがなくとも「伝える」ことができるほどだ。これを称して「米国人は知らないこと
にまで意見がある」というそうだが、なるほどうなずける話ではある。
ともあれ、われわれはこういう相手と渡り合わねばならないのである。一方は中学生のとき
から徹底的な実用コミュニケーション訓練を受けている。こちらはシミュレーションなしでい
きなり実体験に入る。しかも、われわれがその中で犯す過ちの多くを、彼らはすでに中学生の
ときに疑似体験している。勝負は目に見えていると言ったら、言い過ぎだろうか。
1.1.2 日本人ビジネスマンの英文ドキュメンテーション能力は?
カルビン君のレターを読んで「まさかこんなレターは書かないさ」と思った方も多いだろう。
だが実はそうでもないのである。似たような「ままごとレター」はそれこそ山ほどある。たし
かに日本語文書であればそれなりの文章を書くことはできるだろう。しかし、これが英文レタ
ーとなるとカルビン君も苦笑いするような稚拙なものが少なくない。特に新入社員の英文ドキ
ュメンテーション能力は驚くほど低いのが実情である。その証拠 (?) をひとつご紹介しよう。
以下の和文は、筆者がある出版社と共同で実施している英文ライティング通信講座テキスト
から引用したものである。この講座の参加者は、学習を始めるに当ってまずこれを英文レター
に直したものを提出する。事務局では、その結果を分析して、学習を始めるに当たってのひと
りひとりの英語力と英文ドキュメンテーションに関する基礎的な知識の有無を測定しておくの
である。
Figure 3: 見積請求に対する返信文(和文課題文)
拝啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
このたびは弊社新製品 PC-56 に関する貴社 4 月 1 日付のお問い合わせをいただき、
誠にありがとうございました。早速、ご依頼の見積書を同封いたしますので、よろし
くご検討のほどお願い申し上げます。
なお、同見積書に関しましてご不審の点、あるいはご質問などございましたら、な
んなりとお申し付けください。よいお返事をお待ちいたしております。
敬具
(前付け」および「後付け」のデータは省略)
次ページに示す答案例は、入社したばかりのフレッシュマン A 君の書いたものである。A 君
は、現在、ある一流商社に勤務しているが、この答案を見てもわかるとおり基礎的な英語力は
十分にある。おそらく学校での英語の成績はかなりよかったに違いない。しかしその内容は「ま
5
さか、ぼくはこんなレターは書かないさ」とカルビン君に言われそうなレベルである。
Figure 4: A 君の答案と添削例(本文のみ)
Dear Gentlemen:
How are you? I suppose your company are doing very well. This time, we
thank you very much for your letter concerning our new product of PC-56. Immediately, we will enclose a quotation of your request, so please examine it.
By the way, if you have any questions or suspicious points, please ask us anything. We are waiting for your good answer.
Faithfully yours,
添削例
Dear Gentlemen:
(double space)
How are you? I suppose your company are doing very well. This time, we
Thank
(of April 1)
, the
thank you very much for your letter ∨ concerning our new product ∨ of PC-56.
We are pleased to
the
you requested (for your information)
Immediately, we will ∨ enclose a ∨ quotation of your request, so please examine
it.
If
(regarding this quotation)
contact
By the way, if you have any questions ∨ or suspicious points, please ask us
at anytime.
looking forward to hearing from you again.
anything. We are ∨ waiting for your good answer.
(double space)
Faithfully yours,
Sincerely yours,
A 君の答案には、英文レターに関する基本的知識の欠如がよく現れている。たとえば、この
レターでは冒頭敬辞を Dear Gentlemen: としているが、後述(第 2 章, p. 105)のように、
Gentlemen: という冒頭敬辞は常にこの形で使うのであって、これに Dear を加えるのは誤用で
ある。また、これは米国式の冒頭敬辞であって、末尾の Faithfully yours という英国式の結尾
6
敬辞とはなじまない(男女兼用の冒頭敬辞にするためには Ladies and Gentlemen: とする)。
このほかにも、ここでは省略してある「前付け」および「後付け」部分に初歩的な形式上のエ
ラーがたくさん含まれている。
レター本文は全体がほぼ原文の直訳になっており、その結果、せっかく努力にもかかわらず
なんとも奇妙な文面になっている。特に書き出しのセンテンスでは直訳の弊害が顕著に表れて
いる。「時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます」のような挨拶文は日本語文書独特
の表現であり、本題に入る前の一種の手続きである。こうした儀礼的手続き(プロトコール)
は、各国が持つ特有の文化に起因したものであって、文化が違えばその形式も異なってくる。
したがって、このような表現をいくら頭を絞って英訳したところで、外国人にとってはなんと
も奇妙なものであることに変わりはない。なぜ「奇妙」なのかというと、日本語文書での挨拶
文は単なる形式にすぎないが、これをそのまま英訳した場合には字面どおりの意味を持ってく
るからである。そして、字面どおりにとれば自分の会社がうまくいっているかどうかは要する
に余計なお世話である。英文ビジネスレターについて多少とも知識があり、そのパターンを知
っていれば、A 君はこのレターを、添削例にあるように、Thank you for your letter . . . という
書き出しで始めていたはずだ。
同じことがその他の部分にも見られる。A 君は原文第 2 文の「このたびは」を This time と
直訳し、同じように第 3 文の「早速」、第 4 文の「なお」を、それぞれ immediately, by the way
と直訳している。しかし、日本語文書でのこうした語句は単なる起辞であり、これをそのまま
訳しても英語になるはずがない。第 4 文の . . . so, please examine it. は「よろしくご検討くだ
さい」という意味で書いたのだろうが、これはお節介というものだ。わざわざこう言わなくて
も相手は examine するに決まっている。さらに第 5 文の suspicious points はいかにもまずい。
suspicion は「(人が)何かよからぬことを考え、あるいは行っているのではないかという疑
念」のことであり、まるでこちらに何かやましいことでもあるかのようだ。末尾の We are
waiting for your good answer. も「よいお返事をお待ちしております」という日本語の直訳で
ある。これでも何とか意味は通じないことはないが、いかにもまずい英文である(詳しくは第
3 章 p. 195 の解説参照)。
A 君が犯している初歩的なエラーはいずれも原文から離れることができなかった結果である。
日本語の文章には意味のないファジー(あいまい)表現やプロトコール言語がたくさん含まれ
ている。こうした表現をそのままストレートに英語に置き換えても、まともな英文にはならな
い。英文を書くということは英語文化の文脈で書くということであり、単に日本語から英語へ
の言葉のシフトだけですむ問題ではない。つまり、ひとつの文化から他の文化への cultural shift
が必要なのである。これが英文ビジネスラィテイングの<レッスン 1>である。同じように、
ビジネス文書を書くためには日常言語からビジネス言語へのシフトが必要となる。これが<レ
ッスン 2>である。
前出のカルビン君の「ままごとレター」は、日常言語による友達間のレターのやりとりから
ビジネス文書へのシフトがうまくできていない例であった。A 君のレターは、これに加えて日
本語の文脈から英語の文脈へのシフトができていない例である。次ページに紹介する答案例で
はこうした文脈間のシフトが比較的うまく行なわれている。これは、外資系銀行に勤務する B
君が書いたものである。B 君は入社後すでに 5 年が経っており、英文ビジネスレターにもかな
り慣れていることがうかがえる。
7
Figure 5: B 君(外資系銀行勤務/勤務歴 5 年)の答案例
Re: Quotation for PC-56
Dear Mr. Doe:
Thank you very much for your inquiry of April 1 concerning our new
product, the PC-56.
We have enclosed the quotation you requested, and trust that you will find
it acceptable. If you have any questions or need further information, however, please feel free to contact us at any time.
Thank you again for your interest in our product. We look forward to hearing from you soon.
Sincerely yours,
Taro Yamada
Taro Yamada
Manager
B 君の作例も、基本的には原文に忠実に従っている。しかし、削るべきところは削り、必要
に応じて原文を意訳し、あるいは原文にない表現を補っている。つまり、原文に顕在あるいは
潜在している書き手の意図を、その日本語の字面から離れることによってより正確にとらえて
いるのである。全体の文面はごく定型的なもので、いわゆる面白味はない。しかし、この作例
は B 君が英文ビジネスレターのプロトコールをよく理解していることを示している。
さて、もう一度 A 君のレターに戻ろう。このような「ままごとレター」が実際の仕事で出さ
れたとしたら企業としてはたまったものではない。仮に A 君の年収が 500 万円で 1 カ月当りの
労働時間が平均 160 時間だとすると、彼の 1 時間当りの賃金はおよそ 2,600 円ということにな
る。つまり、A 君が 1 通のビジネスレターを書くのに 1 時間費せば、その作成コストは人件費
だけで 2,600 円にもなるのである。しかも、何時間もかけて書いたレターが何を言いたいのか
わからなかったり、相手の失笑を買うような内容のものであったとしたら、結局、そのトータ
ルコストは測り知れないほど大きなものになってしまう。
A 君は入社後ただちに企業内新人研修の一貫として前述の通信教育を受講することになっ
たが、研修担当者の選択は正しかったというべきだろう。A 君は現場で同じような内容の英文
レターを書く機会があれば、今度は立派に通用するレターが書けるはずだ。少なくとも How
are you? などと書き出すことはないだろう。前述のシミュレーション訓練の意義はここにある。
新入社員が現場に配属されてから犯すであろう過ちを、あらかじめ疑似体験しておくことで、
8
現場でのエラーコストを最小限に抑えることができるのである。仮に、米国の中学生が受けて
いるような徹底的なシミュレーション教育が日本でも行なわれるならば、それによって節約で
きる仕事量と削減できる経費は膨大なものになるにちがいない。ともあれ、近代ビジネスが「文
書主義」をその大原則として動いているかぎり、情報の発信行為としての書く力と、その基礎
になる諸能力はビジネスの最も基本的なソフトウエアであり、知のインフラストラクチャーで
ある。そこに弱点があるとすれば、これは実にゆゆしき問題だといってよい。
1.1.3 ビジネスドキュメンテーションの現状と問題点
現在の平均的日本企業におけるビジネスドキュメンテーション上の問題点は、次の 3 点に要
約することができる。
•
各種業務の内容、性格に応じた英文文書を、正確かつ説得力を持って作成できるだけの語
学力および文章力を持つスタッフが限られているため、迅速なドキュメンテーションがで
きない。
•
社内で発行される英文文書のスタイル、フォーマットが、各部門あるいは担当者毎にまち
まちで全社的統一性に欠ける。
•
実際の業務内容に即した『文例集』や『マニュアル』がなく、実務上のよりどころがない。
1.1.4 では、どうするか?
ひと昔前は各企業とも英語のエキスパートと目される人を海外関連部署にひとりずつ配置し、
それでたいてのことはうまく収まっていた。しかし、いまや日本企業の海外拠点はすでに 7,000
個所を優に超え、大手商社では社員 7 人にひとりの割合で海外に出ているという時代である。
社内にひとりやふたりの職人的な英語屋さんを抱えているだけでは、とても全体の英文ドキュ
メンテーションのニーズをまかないきれなくなってきている。
企業経営者あるいは教育担当者としては、B 君の答案例に見られる程度の英文ドキュメンテ
ーション能力を全社員に望みたいところである。本来は全社員が入社の時点でこの程度のレベ
ルに達していることが望ましいが、現状ではこれはむずかしい。そこで、社内外での社員研修
を行いながら、社員全体のレベルを底上げすることになる。
具体的に何を底上げするのかといえば、まず「英語力」ということになるだろう。英文文書
の作成に一定の英語力が必要であることはいうまでもない。しかし、実際にビジネスの現場で
発生する英文文書のほとんどは、高校卒業程度の英語力と、自分の仕事に必要ないくつかの専
門用語さえ覚えてしまえば十分に書けるものだ。カルビン君のレターの改作例も B 君のレタ
ーも英語としてはごく簡単なものである。しかし、必要にして十分な英語力があったとしても、
「どう書くか」を知らなければ、カルビン君や A 君のようなレターになってしまうのである。
1.1.5 『文例集』と『マニュアル』を整備する
後述のように、ビジネス文書には一定のパターンがある。たとえば、請求書、発注書、催促
状、苦情のレター、あるいは契約書、議事録などといったビジネス文書も、その基本的なパタ
ーンを知っていればそうむずかしいものではない。しかし、基本パターンを知らなければ書き
出しの 1 行を書くのにさえ困ってしまう。まず必要なことは、こうした文書のパターンを覚え
9
てしまうことだ。自分の仕事に必要な文書にポイントを絞れば、その数はたかが知れている。
ビジネス文書というものは多かれ少なかれ定型的であり、基本型さえマスターしておけばそ
の応用範囲は経験に応じて広がっていく。そのためには企業はまず独自の『基本文例集』を整
備し、社員が何を学べばよいのかを、具体的、体系的に示す必要がある。ある企業の研修担当
者は、自社内で実施している語学研修を称して大海に小石を投げるようなものだと述懐してい
る。研修中はそれなりの効果が上がっているように見えるが、波紋がしだいに消えていくよう
に、じきにもとに戻ってしまうというのである。一般に、社内外の語学研修が概して不毛なの
は明確な到達目標がないからである。しかし、英文ドキュメンテーションに関するかぎり、『基
本文例集』を整備することよって学習の具体的な目標を明示することができる。ビジネスドキ
ュメンテーションに関する研修(あるいは自己学習)は、まず仕事に必要な基本文例の習得を
目的に行うべきである。基本的なパターンを習得したあとは、さまざまなケースでの応用演習
に入り、前述のような徹底したシミュレーション訓練を行うのである。英語力、文章力、判断
力などといったビジネスマンに不可欠な諸々の能力と技術は、その結果として自ずと身につい
てくるものだ。
もちろん、各種文書のパターンに精通し、その結果、英文文書の作成に必要な英語力と文章
力が身についたとしても、それだけで十分というわけではない。作成した文書がビジネス文書
としての基本的ルールから外れたものであれば、期待どおりの効果を上げることはできない。
ビジネス文書は一定の約束ごとによって成立しており、宛名ひとつとってみても自己流に書く
わけにはいかないのである。筆者は、いくつかの企業で定期的にビジネスライティングのセミ
ナーを担当している。当然のことではあるが、セミナー参加者の関心はもっぱら「英語」その
ものに向いている。もっと厳密にいえば、彼らは「文法」と「ボキャブラリー」にのみ関心を
持っている。上級者の場合にはこれに「修辞法」が加わるが、その一方で英文ドキュメンテー
ションにかかわる共通の「約束ごと」を十分に理解している人はごく少ない。ほとんどの人が
それぞれ自己流の書き方をしており、しかもそれが「自己流」であることに気がついていない。
これは、たとえて言えば、野球のルールは知らないがよい道具と立派なユニフォームを揃える
ことには熱心であるというようなもので、本人はそれなりに楽しめるかも知れないが、結局、
ゲームにはならない。
ビジネスドキュメンテーションを一種のゲームとすれば、『ドキュメンテーション・マニュア
ル』はルールブックであり、その整備は企業として欠かすことのできない作業である。欧米の
企業では昔からこうしたマニュアル作りに力を入れており、各種ビジネス文書のフォーマット
から、日付、宛名などの書き方、さらに使用すべき用紙の種類にいたるまでマニュアルの中で
細かく規定している企業も少なくない。もちろん日本の企業の中にもこのようなマニュアルを
持っているところもある。しかし、全体的にみればその数は限られており、しかも実用に耐え
るものとなると数えるほどしかない。
現在の日本企業におけるビジネスドキュメンテーションの現状は、各社員の個人的努力だけ
では解決できない問題を含んでいる。あえて言えば、個々の社員の個人的努力に依存している
かぎり企業全体のドキュメンテーション力向上は望めないといってよい。必要なのは企業とし
て一定のドキュメンテーションシステムを作り上げることだ。以下、本書では、そのための基
礎的なデータを提供していきたい。
10
1.2
ビジネスと文書主義
文化人類学者のエドワード・ホールは、「文化」とは情報を創造、伝達、保存、処理するコ
ミュニケーションのシステムにほかならないと述べている。これにならって言えば、ビジネス
とは経済的価値の追求を目的とした、情報の創造、伝達、保存、処理のプロセスであり、企業
はそのためのひとつのコミュニケーションシステムだということができる。企業という近代組
織はチームプレーによって動いている。したがって組織内部のコミュニケーションは企業にと
って死活的に重要である。仕事上のコミュニケーションは、口頭での打ち合わせ・指示などに
よる「会話型コミュニケーション」と、書面によって意志の伝達・確認を行う「文書型コミュ
ニケーション」とに大別できる。このふたつは車の両輪のように相互に補完的な役割を果たし
ている。
たとえば、あなたが画期的な新製品のアイデアを思いついたとしよう。あなたはまずこれを
上司に口頭で伝えるだろう。いわゆるサウンディング (sounding)である。この段階で上司がこ
のアイデアはものにならないと判断すれば、この話はそれっきりである。しかし、たとえ上司
が「これはものになる」と思ったとしても、それだけでゴーサインを出すということはないだ
ろう。まず、あなたの提案を正式な文書にして提出するよう指示するに違いない。上司は、提
出された企画書に基づいて必要な会議を召集し、経営スタッフや関連部門との検討を重ねたの
ち、最終的な意志決定を下すことになる。承認された企画は、具体的な行動プランを伴なった
事業計画書として明確に文書化され、これに基づいて組織が動いていくのである。
このように、組織内の意志決定ルートを遡上していくのは文書であり、組織としての行動は
文書化された意志に基づいて行うのである。社内的なビジネスコミュニケーションは、まず口
頭で、次に文書でというのが一般的なパターンであり、この積み重ねで仕事が進められていく。
このプロセスは基本的には対外的ビジネスでも同じである。むしろ、社外の第 3 者が介在す
る場合には文書によって仕事を進めていくのが鉄則である。たとえば、ある会社から自社製品
の見積請求、ないし発注があったとしよう。これを口頭で受け、こちらも口頭で返事をしてす
ませるというわけにはいかない。口頭で伝え、あるいは受けたインフォメーションは、あくま
でも非公式なサウンディングにすぎず、これにもとづいて仕事を進めていくわけにはいかない
のである。なぜこれが非公式なのかというと、口頭で受け、あるいは伝えたインフォメーショ
ンは記録に残らず、あとからその内容を確認することができず、したがって証拠性がないから
である。
口頭主義の落とし穴
一般に、日本人の間では「話し合い」を文書化し記録に残しておくという習慣がない。ビジ
ネスにおいても、相互の話し合いの経過あるいは合意事項を文書化せず、いわゆる紳士協定
(gentlemen’s agreement) としてお互いの胸の内にしまっておくといったやり方が好まれてい
る。もちろん場合によってはそのほうがうまくいくこともあり、またそうしたやり方は日本独
自の文化に根差したものであって、その利点もまた多いことも否定できない。しかし、この
gentlemen's agreement というものが関係者相互の「記憶」と「信頼」に依存しているかぎり、
これをベースとした実務処理には「記憶違い」や「理解の相違」によるトラブルの可能性が常
についてまわる。
いうまでもなく人間の記憶能力は非常に限定されたものであり、しかもどんな情報もかなら
11
ず各人固有の「意味のフィルター」をとおして記憶される。さらに、その記憶、あるいは記憶
された意味は、時間の経過とともに変質していく。したがって、言い違いや聞き違い、あるい
は記憶違いや理解の相違などによるトラブルは、口頭主義の手軽さの当然の代償としてあらか
じめ計算に入れておく必要がある。また、「相手が自分を裏切ることはない」という暗黙の相
互信頼も、それがビジネスを進める上で必要ではあっても、無条件の前提とすることはできな
い。たとえば毎日の業務の中で頻繁に起こるいわゆる「言った、言わない」のトラブルなどは、
この「暗黙の相互信頼」というものがいかに根拠のないものであるかをよく示している。
口頭主義、あるいは「会話型コミュニケーション」にまつわるさまざまなトラブルも、それ
がひとつの組織(企業)体内部に限定されているかぎりは身内の小競り合い程度でおさまり、
危機的な状況に発展することはほとんどない。しかし、外部の組織、とりわけ外国の企業を巻
き込んだ場合にはそうはいかない。もともと文化も習慣も違う人間同士が、もっぱら自分ない
し自社の利益を追求する目的で行う国際ビジネスは、基本的に「相互不信」をベースに成り立
っていると言っても決して過言ではない。したがって、国際ビジネスにおいては、国内あるい
は自分の属する組織内部ではうまく機能していた「記憶」と「信頼」をベースにした仕事のや
りかたは、いっさい通用しないものと考えるべきだろう。とりわけ、コミュニケーションの媒
体が英語を始めとする外国語である場合には、口頭主義の限界はさらに鮮明になってくる。
最近の日本人、特にビジネスマンの英語力はひと昔前と較べると飛躍的に向上したといわれ
る。しかし、現実には世間で考えられているほど日本人ビジネスマンの英語力は高くなってお
らず、一流と言われる商社の海外駐在員でも、その交渉の現場に立ち合ってみてあまりの下手
くそさに驚くことが少なくない。しかし、すでに述べたとおり、そうした「一流商社員」のし
どろもどろの英語でも立派に商談が成り立ち、国際的な契約が毎日のように取り交わされてい
るのである。これは、当事者の英語力とか交渉力に関係なく、彼らとその相手が、お互いに仕
事の内容も、そこで何を話し、何を決めたらよいのかもよく知っているからである。実際の会
話の内容は、価格とか数量、納期などの実に簡単な定型的なものにすぎない。
彼らが「一流」といわれていることと、彼らの「英語力」とは、ほとんど何の関係もない。
むしろ、「一流商社員」の「一流」たるゆえんは、彼らが自分の(または相手の)語学力の不
足を自覚し、それをおぎなうために、交渉の経過および結果をレター、メモランダム、議事録、
契約書などの形でただちに文書化し、文書によって相互に確認された理解をベースにビジネス
を進めることの重要さを知り、それを実行しているところにある。
外国語である英語を日本人がうまく話せないのはむしろ当たり前のことだ。だからこそ「文
書」をベースにビジネスを進めることが重要なのである。たとえ、どんなに上手に英語を話せ
たとしても、文書化(ドキュメンテーション)の習慣と能力に欠けるビジネスマンは、どこま
でいっても二流でしかない。「記憶」と根拠のない「信頼」から、「記録」と「契約」にもと
づいたビジネスを展開できるようになって、はじめて一流のビジネスマンとしての資格が備わ
ったというべきだろう。
1.3
ビジネス文書の機能と役割
口頭での情報伝達に較べると、文書による情報伝達はいくつかの点で格段に優れている。そ
の特徴は、たとえば客観性、正確性、不変性、普遍性、記録性、保存性、検証性、証拠性など
といった概念で説明することができるが、これらは、すべて口頭での情報伝達につきまとう「あ
12
いまい性」の排除という一点に集約することができる。
1)
あいまい性の排除
会話型コミュニケーションは本質的にあいまいなものであり、しかも言語(発言の言語的内
容)自体の果たす役割は驚くほど小さい。たとえば That’s a good idea. ということを相手に伝
えるとしよう。これを文字にして表わした場合、この 5 語からなるセンテンスはまさに文字ど
おりの意味しか伝えない。しかし、これを口頭で伝える場合には、発話のトーンや抑揚、顔つ
き、態度、あるいは聞き手の受け取りかたによって、この単純なセンテンスが称賛にも侮辱に
もなる。一説によれば、われわれの日常会話のなかでの「意味」の伝達は、その 55 パーセント
が非言語的要素によってなされ、発話のトーン、抑揚などのボーカル要素によるものが 30 パー
セント、発話の言語的内容自体による意味の伝達は全体のわずか 7 パーセントにすぎないとい
う。つまり、われわれの日常会話のあいまい性指数は実に 93 パーセントにものぼるというので
ある 4。
会話型コミュニケーションがこのように本質的にあいまいなものだとすれば、原則として文
字どおりの意味しか伝えない文書型コミュニケーション、ないし「文書主義」がビジネスの基
本的方法論として優れている理由は明らかである。もちろん、ビジネスコミュニケーションに
もいわゆる「あいまい性」が必要な場合があり、ときにはこれを口頭・文書を問わず戦略的に
利用することがある。しかし、情報や意志を正確に伝達することを主眼とした場合には、あい
まい性やそれに伴なう相手の思い入れ、および解釈による意味の補完作用はできるだけ少なく
する必要がある。そのためには、言語的内容自体による意味の伝達比率を高め、自分と相手と
の距離を自らの言葉で隙間なく埋めつくすのである。そしてこれは「文章化」によって最も効
率的に行うことができる。自らの考えを文章化することによって、そのあいまい性や論理の不
備を客観的にとらえなおし、これを補完するのである。こうして隙間なく構築された論理は、
相手の思い入れや解釈による意味の変質作用を受けることが少なく、したがって、より正確な
コミュニケーションが可能となる。
2)
一定の内容と質を客観的に伝達する
会社での業務は情報の受け渡しとその処理で進んでいく。しかし、口頭での打ち合わせ、指
示、報告あるいは合意事項は、その場ではよくわかったつもりであっても、何日かたってもう
一度確認してみると、実はよくわかっていなかったということが少なくない。また、双方の理
解がまったく違っていることもある。前述のような理由で、これはむしろ当然のことと言わざ
るを得ない。しかも、口頭での情報伝達は、1 次、2 次、3 次とその伝達が間接的になるに従
って微妙な意味の変質作用を受ける。
こうした行き違いや、コミュニケーションプロセスでの意図的・非意図的な意味の変質を防
ぐためには、情報の受け渡しとその処理を文書によって、あるいは文書を介在させて行うのが
最も確実な方法である。文書化された情報は、時間の経過や個々人の記憶力、あるいは思惑に
関わりなく、常に一定の内容と質をそのまま客観的に伝達する。文書は客観的で不変であるが
ゆえに、正確なのである。
4
“Creativity and Learning As Skills Not Talents” by George Prince. The Phillips Exeter Bulletin, 1980.
13
3)
時間、空間を超えて情報を共有化できる
ある情報を文書化するということは、それを記録として残すことである。ひとつのコミュニ
ケーションシステムとしての企業にとって、記録を残すことの最大の意味は情報の共有化、あ
るいはネットワーク化という点にある。たとえば、ある仕事の担当者が休んだり、急に退職す
るようなことになった場合でも、その人が自分の仕事の記録をきちんと残してあれば、仕事の
内容が容易にわかり、引き継ぎもスムーズに運ぶことができる。ところが、仮にその人が自分
の仕事の大部分を口頭ベースで行い、記録として残していない場合には、その人がいなくなっ
た時点で仕事がストップしてしまう。その仕事を引き継ぐ人は、また一からやり直さなければ
ならないのである。
こうした仕事のやり方は、昔のいわゆる「職人」といわれる人達に特徴的なものである。情
報の記録・保存は、単に仕事の経過を事実として記録するだけにとどまらず、仕事上のさまざ
まな経験・知識、つまりノウハウの共有化ということをも意味する。職人、あるいは職人的企
業(つまり前近代的な企業形態)の最大の弱点は、この「ノウハウ」が一代限りで消滅し、あ
とに引き継がれていかないところにある。したがって、企業が近代的な「組織」として有機的
に機能していくためには、その企業を構成するスタッフひとりひとりの経験・知識が、時間・
空間を超えて共有され得るようなシステムを作る必要がある。近代経営における文書主義とは、
ひとつにはそうしたシステム作りの重要性をも意味している。
4)
証拠性がある
いうまでもなく、ビジネスは相手があってはじめて成立する。ただし、その相手が常にこち
らに好意的であるとはかぎらない。また、仮に好意的であったとしても、ちょっとしたいき違
いで思わぬトラブルに発展することもある。口頭での情報伝達や合意には「証拠性」がなく、
口頭ベースで行われた仕事上のトラブルは、いつでも「言った、言わない」の水掛け論に終わ
り、あとに気まずい思いを残すだけである。これも、同じ会社の同僚との間でいさかいをして
いるだけならあまり問題はないが、企業間のトラブルとなると思わぬ違約金や賠償を請求され
ることがある。
とりわけ、基本的には「相互不信」をベースに成り立っている国際間のビジネスにおいては、
「記録」と「証拠」こそがすべてであり、最終的には「訴訟」という事態を常に念頭に入れ、
トラブルに備えて「証拠力」のある文書を作っておくことが必要となる。つまり、記録を残す
ことは、後日なんらかのトラブルが生じた場合の「証拠」を作ることでもある。Is it on the
record?(記録にあるか)という言葉が、ビジネスにおける最も重要なキーワードのひとつであ
る理由もここにある。
1.4
ビジネス文書の種類と区分
企業活動に伴なって発生する文書の種類は数えあげたらそれこそきりがない。たとえば、あ
る大手商社では 1 日平均 800 kg もの文書を裁断処理しているという。これを A4 判用紙に換算
すると、毎日およそ 1 万 6000 枚もの書類が廃棄されていることになる。ひとつの企業でこれだ
けの書類が毎日発生しているのである。この中には、一般的なビジネス通信文書から、専門的
な技術文書、あるいは経営、雇用、会計などに関する内部資料、さらに広報関係文書などさま
ざまなものが含まれているが、これらの文書は、その内容および形式上の区分から、次の 9 つ
14
のグループに大別することができる 5。
•
ビジネスレター (business letters)
•
メモランダム (memorandums)
•
ファクシミリ (facsimile messages)
•
電子メール (e-mail)
•
議事録 (minutes of meeting)
•
ビジネスレポート (business reports)
•
プロポーザル (proposals)
•
契約書 (contracts)
•
その他 (miscellaneous documents)
このうち、ビジネス文書として最も基本的なものがビジネスレターとメモランダムであり、
前者はおもに社外文書として、後者は社内文書として使われる。ファクシミリと電子メールは
いずれも通信手段上の区分であり、内容的にはビジネスレターおよびメモランダムと同一のも
のと考えてよい。
1.4.1
ビジネスレター
国際ビジネスではその業務の全体が「ビジネスレターに始まりビジネスレターに終わる」と
いわれるほど、ビジネスレターが基本的なコミュニケーションメディアとなっている。したが
って、そのカバーする範囲は広く内容も多用であるが、大きく分けて、社交的・儀礼的な性格
の「ビジネス社交文書」と、業務に直接関連した「取引文書」のふたつのグループに分類する
ことができる。
1)
ビジネス社交文書 (business social correspondence)
個人と同じように企業にも「付き合い」がある。たとえば、商用で海外の企業を訪問し相応
のもてなしを受けたとすれば、帰国後それに対して礼状を出すのが礼儀である。同じように、
取引先の誰彼に不幸があったと聞けばとりあえず文書をもって哀悼の意を表しておくのである。
このような「ビジネス社交文書」はビジネスから派生する人間関係あるいは企業間の友好関係
を維持・発展させることを目的としたもので、商取引に直接かかわるものではない。しかし、
その果たす役割は取引文書に劣らず重要なものがある。ビジネス社交文書のうち代表的なもの
は次のとおりである。
5
なお、このほかに 10 年ほど前まで国際通信の主要手段のひとつとしてさかんに使われていたテレックス
(telex) があるが、テレックスは現在ではファクスおよび電子メールにとって代わられ、例外的なケースを
除いてほとんど使われることがなくなった。したがって、本書ではテレックスについては取り扱わない。
15
•
礼状 (thank-you letters)
•
招待状 (letters of invitation)
•
紹介状 (letters of introduction)
•
推薦状 (letter sof recommendation)
•
祝い状 (letters of congratulations)
•
感謝状 (letters of appreciation)
•
悔やみ・見舞い状 (letters of condolences and/or sympathy)
•
季節の挨拶状 (seasonal greetings)
•
各種通知・連絡状 (general notice)
このほかに、各種のアレンジメントやアポイントメントのための文書がある。たとえば、海
外の相手先を訪問する場合にはあらかじめ文書で相手の都合を尋ね、アポイントメントを取っ
ておく必要がある。また、場合によってはアポイントメントに加えて、旅行、宿泊関係の手配
を依頼することもある。もちろん、こちらがそうした手配を依頼されることもある。このよう
なケースで発行する文書は商取引に直接かかわるものでないという意味で、一応、ビジネス社
交文書のひとつと見ることができる。
これらの社交文書のうち最も重要なのは「礼状」である。最近のようにビジネスのスケール
が国際的になってくると、好むと好まざるとにかかわらず海外出張などの機会が多くなる。そ
の際、取引先を訪問して何日か一緒に過ごすということになれば、単なるビジネスを超えてか
なりパーソナルな付き合いが出てくる。ビジネスの本当の財産は、結局のところこうした個人
的な付き合いであることはいうまでもないだろう。
ところが、どうも日本人は一般にビジネス上の社交が苦手のようであり、特に相手が外国人
となると、せっかくビジネスで生じた人間関係をのちのちまで大切にフォローアップしていこ
うという努力が足りないか、あるいはその意志がないかのように誤解されている節がある。こ
の点について、元駐日英国大使で歴史家でもあるヒュー・コータッツイ氏は、次のような辛ら
つなコメントを述べている。
「日本の人々はビジネスを離れた個人的なつきあいでは極めて誠実で、受け取った手紙に
はかならず返事を出し、贈り物や人の好意に対しても丁寧な礼状を出す。しかし、いった
ん仕事の世界になると、経済界、政界を問わず、少なくとも外国人に対してはこのような
礼儀、丁重な行為はまれで、どうも手紙を出すのが苦手のようである。私は日本と仕事の
つきあいを始める英国人には、日本に手紙を出しても、特に英語の手紙の場合、受け取っ
たという返事も期待してはならぬと、あとで失望しないようにそれとなくアドバイスして
いる。日本人は一般的に非常に礼儀正しく、まじめ人間、仕事人間であり、日本式経営は
海外で高い評価を得ているのに、どうして一通の手紙を受け取ったという返事が出せない
のか、誠に不思議である」(日本経済新聞 1985 年 11 月 13 日夕刊)
たしかに、普通の日本人にとって英語で手紙を書くということはそう簡単なことではない。
しかし、英語がビジネスの共通言語となっている以上、「英語が苦手なのだ」といってみたと
ころで有効な言い訳にはならない。その苦手な英語で商売をし、いまや世界一の貿易黒字国に
16
なっているのが日本なのである。その日本人が、外国人相手のビジネスとなると「礼状」はお
ろか、「お手紙受け取りました」というだけの acknowledgment さえ出さないということは、
彼らにとって「誠に不思議なこと」だというのである。
一般に、海外での日本人ビジネスマンの評判があまり芳しくないことは残念ながら認めざる
を得ない。品物を売りつけるのには一生懸命だが、商売がすめば、それこそ「飛ぶ鳥後を濁し
て」ばたばたと去っていく、というのが日本人ビジネスマンに対するごく一般的なイメージで
ある。せっかくビジネスで生じた人間関係を、のちのちまで大切にフォローアップし、育てて
いこうという努力が足りないといわれるのも、まったくの誤解とは言い切れないだろう。
ともあれ、日本人ビジネスマンがビジネス上の儀礼・社交文書を書かないというのは、なん
といっても言葉の障害が最大の理由である。しかし、こうした文書は出すこと自体に意味があ
るのであって、英語上の間違いや、表現上あるいは構成上の不備は、むしろいっそうこちらの
誠意を伝える効果さえある。英語が苦手だとか文章が下手だとかいうことは、その人の人間性
にはほとんどかかわりのないことだ。だが、たとえば相手の好意に対して thank you と言う
ことができない、あるいは言わないのは、ビジネスマンである前に人間として致命的な欠陥で
ある。前掲のコータッツイ氏のエッセーは、日本人ビジネスマンには欠陥人間が多いといって
いるかのようだ。わずか一通の手紙がこの誤解を解き、ビジネスとその中での人間関係をより
スムーズにしてくれるかもしれないのである。ビジネスとは結局のところ人間関係であり、そ
れを維持・発展させるためのビジネス社交文書の果たす役割には、通常の取引文書に劣らず重
要なものがある。
2)
取引文書 (business correspondence)
ビジネス社交文書のおもな目的がビジネス上の人間関係の維持だとすれば、取引文書はビジ
ネスに直接かかわる特定業務の遂行を目的とした文書である。対外取引文書の多くは、基本的
に「案内・通知」「依頼・照会」「通達・指示」「交渉・説得」のいずれかの目的を持って発行
される。その具体的な内容はさまざまであるが、いずれも「…状」ないし「…書」と呼ぶこと
ができるような性格と目的がはっきりしたものであり、たとえば次のようなものがある。
• 売り込み・勧誘状 (sales letters)
• 問い合わせ・引き合い状 (business inquiries)
• 資料請求書 (requests for information)
• 見積もり請求書 (requesst for quotation)
• 見積もり書 (quotations and/or estimates)
• フォローアップレター (follow-up letters)
• 注文書 (purchase orders)
• 受注確認書 (order acknowledgments)
• 請求書 (requests for payment)
• 支払い通知書 (payment notice; settlement of accounts)
• 督促状 (reminders)
• 苦情・抗議状 (claims and/or complaints)
• 合意確認状 (letters of confirmation)
17
• 送達状 (letters of transmittal)
• 照会状 (reference inquiries)
• 依頼状 (letters of request)
• 提案書 (proposals)
• 承諾状 (letters of acceptance)
• 断り状 (letters of refusal)
• 詫び状 (letters of apology)
ここに挙げたものは、いわゆるビジネスレターと呼ばれる対外文書全体のうち、あくまでも
代表的なカテゴリーを例示したものである。また、ひとくちに「引き合い状」とか「売り込み・
勧誘状」といってもその具体的内容はさまざまである。そして、その具体的内容が千差万別で
あるがゆえに、多くの人がビジネス文書で苦労しているということになる。しかし、後述のよ
うに大半のビジネス文書にはそれぞれのカテゴリーごとに一定の基本パターンがあり、これを
覚えてしまえばそれぞれの文書の個別性はごくマイナーな変化にすぎなくなる。ビジネス文書
を苦手とする人の多くは、そうした基本的なパターンを知らずに、あらゆる文書をまるで文学
作品でも書くかのようにいちいち最初から文案を練っていることが多い。これでは苦労ばかり
多くて、結局、嫌になってしまうのも当然だろう。
前述のとおり、ビジネスレター(ファクスレターを含む)はビジネス文書の中核となるもの
であり、本書では、第 2 章でビジネスレター作成のための一般的ガイドラインについて述べ、
続いて第 3 章で一定品質のビジネスレターを効率的に作成するための基本的な考え方と方法に
ついて解説する。また、第 5 章では前記の「ビジネス社交文書」と「取引文書」の各カテゴリ
ーの中から代表的な文例を 85 例ほど選び、それぞれ「基本フォームレター」という形で提示す
る。
1.4.2
メモランダム
メモランダムはおもに社内文書として発行されるものである。日本では一般に「メモ」は正
式な文書ではないものの総称として使い、たとえば電話メモのようなその場かぎりの情報を伝
えるための走り書きを意味することが多い。一方、欧米の企業では社内の連絡文書はすべて専
用のメモランダム用紙を使って作成するのが普通であり、「メモランダム」といえば、通常、
社内連絡文書 (interoffice memorandum) のことを指す。
ビジネスレターと同じく、メモランダムの内容はさまざまであり、人事に関する文書から上
司への提案や報告、あるいは同僚間の打ち合せメモやごくパーソナルな連絡事項まで多岐にわ
たる。対外的に発行されるビジネスレターが一定のフォーマリティを必要とするのに対し、原
則として身内間の通信文書であるメモランダムでは機能性と簡潔性が重視される。したがって、
その形式はもちろん、文面構成や文体においても通常のビジネスレターとはやや異なる部分が
ある。一般には、社内メモランダムの形式は、次ページに示すような体裁のものであり、宛先
(To)、発信者名 (From)、文書主題 (Subject)、発信日付 (Date) などの、いわゆる「前付け(ヘ
ッダー)」に当たる各項目のヘディングがあらかじめ印刷されているのが普通である。なお、
文面が複数ページにわたる場合は、2 ページ目以下にはヘッダーの印刷されていない続きペー
ジ専用の用紙を用いる。これは、通常のビジネスレターの場合と同じである。
18
Figure 6: 英文社内メモランダムの例(フォーマルな通達文)
MEMORANDUM
Japan Trading Co., Ltd.
To:
All Section Heads
Page No.: 1/5
Ref.:
OP/GAD/345
From:
Taro Yamada TY
Documentation Project Team
Date:
April 1, 19--
Cc:
--
Subject:
New Documentation Guidelines
As from May 1, 19--, we will adopt a new policy concerning our in-house documentation procedure. The following guidelines will describe some of the main features of
the new policy:
1. All documents shall be prepared as concisely as possible, and should follow the
“one letter, one subject” principle.
2. All documents shall be prepared on the principle of “the less, the better.” Any interoffice correspondence exceeding three pages can be accepted only in exceptional cases. If more than three sheets of paper are required, always attach a succinct summary of the document (see Attachment 1).
3. All documents shall be prepared on “A” size sheets (JIS). For general correspondence, use A4. For most statistical documents and other data sheets, either A4 or
A3 may be used.
4. All documents shall contain the names of the person in charge of the subject matter, the person who has written the documents, and the department/
section
head (see Attachment 2).
To provide a more detailed explanation of the new documentation procedure, a
meeting/workshop will be held at 1:00 p.m. on April 10 in Training Room A. Please
have at least one representative from your section attend the meeting. For further information, please call Yamamoto at ext. 013. Thank you.
Attachments:
as mentioned above
TY/Yamamoto
【仮訳】19--年 5 月 1 日より、文書作成に関する新たな社内規定を採用します。以下のガイドラインはそ
の概要を示したものです。
1.
文書・資料はできるだけ簡潔にまとめ、「1 文書 1 件」の原則にしたがって作成する。
2.
文書枚数はできるだけ削減し、社内文書については 3 ページ以内を原則とする。これを超える場合
は要約版を添付する(添付資料 1 参照)。
3.
文書・資料は JIS 規格の A 判を基準とし、通常文書には A4 判、統計その他の資料文書には A4 ま
19
たは A3 判を使う。
4.
各文書・資料には、担当者氏名、作成者、および各部署の発行責任者名を必ず明記する(添付資料
2 参照)。
なお、4 月 10 日午後 1 時より A 研修室にて詳しい説明会を行いますので、各セクションより代表者 1
名ずつご出席ください。本件に関するお問い合わせは山本(内線 013)までお願いします。
*
メモランダムは、あくまでも情報伝達を第 1 の目的としたものであり、用件のみをできるだ
け簡潔に記すのが原則である。したがって、その文体もごくビジネスライクなものでよい。こ
の文例も、文面はきわめて簡潔明瞭で、いかにもメモランダムらしい内容となっている。構成
上は、まず冒頭の第 1 文で全体の主題を提示し、以下、その具体的内容を「箇条書き」で提示
している点に特徴がある。後述(第 4 章)のとおり、このようなプレゼンテーションは、社内
メモランダムの典型的なスタイルである。
ただし、すべてのメモランダムが同じように事務的なトーンで書かれるというわけではなく、
同僚間の日常的な業務連絡文書では、どちらかといえば口語体に近いトーンで書くことが多い。
たとえば、次の例文はあたかも相手に話しかけるような文体で書かれている。
Figure 7: 英文社内メモランダムの例(インフォーマルな連絡文)
MEMORANDUM
To:
From:
Japan Trading Co., Ltd.
Peter Burrough
Page No.:
2 (w/attachment)
Sales Div.
Ref.:
--
Ichiro Tanaka
Date:
Cc:
April 1, 19--
Overseas Div.
Subject:
--
Inquiry from ABC Trading Co., Ltd.
Peter,
Here’s the letter from ABC Trading I told you about on the phone this morning. The
letter sounds very promising to me and, with a little bit of luck, we may hit the
jackpot!
Since I’m flying for the U.S. tomorrow, I want you to take care of this matter. Read
the letter first and let me know what you think. I’ll be in my office until 5:00 p.m.
today. Thanks.
I. Tanaka
【仮訳】これが(添付したものが)今朝、電話で話した ABC 社からのレターだ。これを読むかぎりでは
なかなか見込みのありそうな話だと思う。うまくいけば大当りということになるかも知れない。自分はあ
20
したアメリカに飛ぶ予定なので、この件をよろしく頼みたい。まず、これを読んで意見をきかせてくれ。
きょうは午後 5 時までオフィスにいる予定だ。よろしく。
*
この文面を先ほどの Figure 6 のメモランダムと比べると、そのトーンの差は歴然としている。
もちろん、この差は偶然の結果ではなく、それぞれの文書の性格・内容、および受信者との関
係に応じたものである。一般に、このような口語的な文章を書くのは、一見やさしいようで、
実はなかなかむずかしい。ただ「くだけた」調子で書けばよいというものでなく、相手と内容
に応じた、適切な「くだけかた」を必要とするからである。一方、Figure 6 のようなごく事務
的な文章は、ほとんど相手を選ばず、しかも用件の趣旨をなんらのニュアンスなしに的確に伝
えることができる。したがって、不特定多数宛ての業務連絡用の文章としては、このようなご
く機能的な英文のほうがむしろ好ましい。
なお、メモランダムは社内コミュニケーションの手段として中心的な役割を果たしてきたが、
現在では次第に「電子メール」に取って代わられつつある。電子メール先進国の米国では、す
でにほとんどの企業で電子メールへの移行を完了しているといわれ、日本においても 1996 年度
末の時点で大手企業の 83 パーセント、中堅企業の 43 パーセントが電子メールを社内連絡や報
告の手段として導入していると報告されている 6。
1.4.3 ファクシミリ (fax messages)
ファクシミリはこの 10 数年ほどの間に急速に普及した通信メディアで、現在、国内の企業・
事業所での普及率はほぼ 100 パーセント近くになっている。ファクスは、その簡便さや経済性
のために、国内だけでなく国際通信の手段としても急速にその重要性を増しており、電子メー
ルとともに、すでに国際ビジネス通信の主役の座を確保した感がある。ところが、その普及が
あまりに急速であったこともあって、ビジネス文書としてのファクスのスタイルは現在のとこ
ろ各人各様というのが実情で、中には正式な文書なのか単なる私的なメモ書きなのか区別がつ
かないようなものも見受けられる。そこで、ここでは、ビジネスファクスレターの標準的なフ
ォーマットについて、要点をかいつまんで解説しておく。なお、ファクスは通常の文書を電気
的に送信したものであって、本文の書き方については通常のビジネスレターやメモランダムと
基本的には同じものと考えてよい。
ファクスレターの標準的なフォーマット
ビジネス文書としてのファクスレターは、前述の社内メモランダムに準じたフォーマットで
作成するのが一般的である。したがって、その形式上の一番の特徴は、宛先 (To)、ファクス番
号 (Fax No.)、発信者名 (From)、発信日 (Date)、文書主題 (Subject) などの各項目が、それぞ
れのヘディングとともに「前付け」としてレターの冒頭にまとめて配置される点にある。この
「前付け」に、どのような項目をどのような順序で配置するかについては特に決まりがあるわ
けではなく、次ページの例に見られるようにさまざまなバリエーションがある。
6
第 4 章 (p. 213, 脚注 104) 参照。
21
Figure 8: ファクスレターのフォーマット例
例1
Japan Trading Co., Ltd.
*-* Ichiban-cho, Chiyoda-ku, Tokyo 102, JAPAN
Phone: 03-123-345* Fax: 03-789-901* E-mail: [email protected]
URL = http://www.jpt.co/homepage
--------------------------------------------------------------------------------------------------FACSIMILE TRANSMISSION
Page No.:
To:
British Business Machines, Inc.
Fax No.:
001-44-1-834-217* (London, U.K.)
From:
Taro Yamada, Mgr., International Div., JPT
Date:
July 10, 19--
Subject:
Request for Information
1/3
Dear Sir/Madam:
例2
Smalltown Manufacturing, Inc.
35 Riverside Street, Smalltown, Philadelphia, PA 15012
Telephone: 234-984-329* Fax: 234-984-328*
To:
Mr. Taro Yamada
Ref. No.:
WM-STM-022
Manager
Date:
May 20, 19--
International Division
From:
Richard Roe, Manager
Japan Trading Co., Ltd.
Export Div.
Fax No.:
+81 3-789-901*
No. of Pages:
3
Subject:
Quotation for PC-59
Copy to:
--
Dear Mr. Yamada:
例3
UNITED BUSINESS, INC.
24 Strawberry Street, New York, NY 10022, U.S.A.
Telephone: 212-350-200* Telefax: 212-350-200* Internet: [email protected]
VIA FAX
To:
Japan Trading Co., Ltd.
011-81-3-789-901* (Tokyo, Japan)
Attention: Mr. Taro Yamada, Manager
International Division
Date:
April 1, 19--
Dear Mr. Yamada:
22
例 1 ではレターヘッドのすぐ下に FACSIMILE TRANSMISSION という記述が見られるが、
これはこの文書がファクスで送信されたものであることを示すためのものである。このほか、
VIA FAX(例 3)あるいは FAX MESSAGE などと記入することもある。ただし、これは省略
してもかまわない。
これらの例に見られるとおり、ファクスレターではいずれの場合も宛先は To: の項目に記入
する。郵送を前提とした通常のビジネスレターでは所番地まで含めたフルアドレスを記入する
が、ファクスでは所番地 (mailing address) は省略するのが普通である。例 1 ではここに相手
の会社名のみを記入し、例 2 では受信人氏名、役職名、および所属部署・会社名を記入し、い
ずれもその下にファクス番号を記入する項目を設けている。これに対して、例 3 ではこの項目
に相手の会社名とファクス番号を併記している。なお、例 3 では To: の下に Attention: とい
う項目を設けて個人名の「特定宛名」を記入しているが、このスタイルもビジネス通信ではよ
く見かけるものである 7。
ちなみに、ファクス番号はできるだけ送信先の国番号を含むフルナンバーを記入しておくよ
うにしたい 8。また、例 1 および例 3 に見られるように、送信先の都市名と国名をかっこでく
くって挿入しておくとよい。後で送信記録を参照するときに、国番号だけではどこの国のどの
都市に送信したものであることが必ずしもすぐにはわからないことがあるからである。
例 2 にある Ref. No. (reference number) という項目は、送信するファクスの「文書(参照)
番号」を記入する項目である。ただし、文書番号をとる必要のないインフォーマルな書類など
の場合にはこの項目は省略してもかまわない。Date の項目にはそのファクスの発信日付を記
入する。これは通常のビジネスレターと同じである。
From: の項目には発信者の氏名を記入する。ビジネス通信の場合は氏名のほかに役職名と所
属部署名をかならず並記しておく。通常、会社名(およびその連絡先・所在地などのデータ)
はレターヘッドに明記されており、ここでは省略してかまわない。ただしこれらのデータが明
記されていない用紙を使う場合には、必要に応じて会社名、アドレス、および電話・ファクス
番号などを記入しておく。
このほか、ファクスレターでは送信枚数を明示するために Number of pages transmitted:
またはこれを簡略化した No. of Pages: という項目を別途追加することがある。いわゆるカバ
ーシート(送り状)を添付する場合は、No. of Pages (including this cover): のように記して、
カバーシートを含む枚数であることを明記しておく。いずれも、仮に送信枚数が 3 枚であれば
この後に 3 と記入しておく。例 1 のようにページごとにページ番号を記入するスタイルを採用
する場合は、1 ページ目が 1/3 となり、2 ページ目および 3 ページ目はそれぞれ 2/3 および
3/3 となる。ただし、送信枚数が 1 枚だけの場合はページ番号の項目は省略してよい。
このほか、必要に応じて「写し送付先」(Copy to: or Cc: [= Carbon copy]) や「添付書類」
(Attachment[s]:) などの項目を置くことがある。ただし、これらの項目は、通常のビジネスレ
ターの場合と同じように、「後付け」の一部として本文の後に記入してもよい。特に例 3 のよ
うに通常のビジネスレターに準じたフォーマットでファクスレターを作成する場合は、「写し
7
Attention の意味と用法については第 2 章 (pp. 100-103) で詳しく解説する。
8
例 1 の 44 は英国の国番号を示し、例 2 と例 3 の 81 は日本の国番号を示す。なお、001 は国際ダイアル
通話番号であるが、これはしばしば “+” 記号で代用される(例 2 参照)。
23
送付先」や「添付書類」などの項目は本文の後に記入することが多い。
本文の後の「後付け」に含まれる要素のうち、おもなものは「結尾敬辞」と「署名」である。
ファクスレターの結尾敬辞として最も一般に使われているのは Sincerely yours, だが、このほ
か Best regards, という結尾敬辞もよく見かける。後者は原則としてごく親しい人に宛てた私
信、または社内文書で使うカジュアルな結尾敬辞であるが、ファクスではその機能性と簡便性
にマッチしたものとして、通常のビジネスメッセージにもしばしば Best regards, という結尾
敬辞が好んで使われる傾向がある 9。
結尾敬辞の下には発信人の署名を手書きで記入する。通常のビジネスレターではサインの下
に署名者の氏名、タイトル、所属部署名などをタイプしておくが、通例、ファクスレターでは
これは省略する。これらのデータは前付けの From: の項目に明記してあり、ここでもう一度
それを繰り返す必要はないからである。
We would appreciate your kind consideration, and hope to receive your favorable
reply at your earliest convenience.
Sincerely yours,
Taro Yamada
ただし、例 3 のように「前付け」に From: の項目を設けていない場合は、次のように、署
名者の氏名、タイトル、所属部署名などのデータを署名欄に記入しておく。これは、通常のビ
ジネスレターと同じスタイルである。
Thank you again for everything. I look forward to your continued support in the
future.
Sincerely yours,
John Doe
John Doe, Vice President
United Business, Inc.
ちなみに、ファクスで送信した文書にはオリジナルの署名がないため、厳密にはあくまでも
非公式な文書という性格のものになる。日常の業務を行うに当たってはこれでも特に支障はな
いが、契約書やこれに準じた正式な書類は、ファクスではなく通常のメールで送付するのが原
9
結尾敬辞については第 2 章 (pp. 117-123) および第 4 章 (p. 226) 参照。
24
則である。仮に、ある重要な書類をとりあえずファクスで送り、原本は後から送るという場合
は、どこか適当な場所に Original (document) to follow. または The original document will
be sent to you via air mail. などと付け加えておくようにする。
なお、ファクスレターの本文の書き方については、前述のとおり基本的には通常のビジネス
レターと同じであり、これについてはこの後の第 3 章を参照されたい。
1.4.4
電子メール (electronic mail)
電子メールは、パソコン画面上で作成したメッセージを電話回線を通してそのままデジタル
データとして送受信するもので、パーソナルコンピュータの普及およびハードウエア環境の飛
躍的な向上にともなって急速に普及し始めた通信手段である。電子メール先進国の米国では、
電子メールはすでにビジネスの主要な通信手段としての地位を確保しているが、日本では 1980
年代の後半から少しずつ一般に普及し始め、ビジネスへの本格的な利用が始まったのは 1995
年以降のことである(詳しくは第 4 章参照)。ちなみに、1995 年はマイクロソフト社のパソコ
ン用基本 OS である『ウインドウズ 95』が発売された年であり、また、日本でのインターネッ
ト利用が一般レベルで本格的に始まった年でもある。
電子メールの特徴
電子メールは、いわば社内メモランダムと電話をミックスしたような通信メディアであり、
社内メモランダムの延長という意味では従来の文書メディアの「保存性」と「記録性」を引き
継ぎ、一方、電話の延長という意味ではその「即時性」と「パーソナル性」を継承している。
また、同時に複数の相手に連絡を取ることができる(「一斉同報性」)という意味では、いわ
ゆる掲示板 (bulletine board) の機能をも併せ持っている。
さらに、電子メールには従来の通信メディアにはなかったふたつの大きな特徴がある。ひと
つは、これまでの文書メディアのように、単にデータの保存ができるだけではなく、保存した
データの多角的再利用が可能だという点であり、もうひとつはインターネットという世界的な
広がりを持つフィールドに直結することで、従来の国際ビジネスにつきものであった時間的・
空間的な制約を瞬時にして乗り越えることができるという点である。この 2 点こそが、電子メ
ールと従来の通信メディアとの決定的な違いであり、電子メールが世界的な規模で急速にビジ
ネスにおける主要な通信手段となりつつある最大の理由だと言ってよい。
もっとも、電子メールといっても、やりとりする文章自体はこれまでビジネスレターやメモ
ランダムに書いていたものと基本的には同じ英文である。参考までに、標準的な電子メールの
メッセージ例を次ページに紹介しておく。
この例でもわかるとおり、電子メールは基本的にはメモランダムをデジタル化したものであ
り、その書式も従来のメモランダムの標準的な書式を踏襲したものとなっている。文体上の特
...........
徴としては、一般に口語的でシンプルな文体 を基本とする。これは、前述のとおり、電子メー
ルが、社内メモと電話の延長線上にあるメディアであるということに由来する。ただし、これ
はあくまでも一般的な傾向であって、現在のところ特に電子メール用の文体というものが確立
しているわけではない。どのような文体を採用するかは、最終的には、各自が個々のメッセー
ジの内容と相手に応じて判断すべき問題である。
25
Figure 9: 電子メールの作成画面例
10
E-MAIL [New Message]
File
Edit
From:
Mail To:
View
Options
Window
Taro Yamada <[email protected]>
John Doe <[email protected]>
Cc:
Subject:
Sorry, I can’t come tomorrow . . .
5
Dear John,
In my previous e-mail I wrote I was coming to Osaka tomorrow afternoon. But I’m
sorry I have to cancel the appointment, because this morning I was told to attend a
board meeting to be held tomorrow at the head office.
Will you please let me know if my visit can be rescheduled for the afternoon of next
Thursday or Friday, whichever is convenient for you? Thank you.
Taro Yamada <[email protected]>
u
⌦
前述のとおり、電子メールは、現在、国際ビジネスにおける主要な通信手段として、世界的
な規模で急速に広まりつつある。わが国においても、すでに大手企業の 83 パーセント、中堅企
業の 43 パーセントが電子メールを社内連絡や報告の手段として導入しており、いずれ電子メー
ルなしでは仕事が円滑に進まなくなる日がやってくるものと思われる。したがって、本書では
電子メールについて特に一章を設け、そのフォーマット、送信に当たっての一般的なルールと
マナー(ネチケット)、および英文電子メール特有の文体とメッセージの構成法などについて
第 4 章で詳しく解説する。
10
文例は第 5 章掲載の Form Letter No. AP-300 (p. 416) より転載。
26