『アート-様々な形、同じ魅⼒力力』 1 もくじ もくじ 2 まえがき 3 グループのレポート 4-56 『⼩小説を読む価値』サラ・コンジュ 4-12 『漫画』フラーヴィア・フィオリッロ 13-19 『広島と⻑⾧長崎についての写真』 ヴァレンティーナ・マシエーロ 20-30 『アートと⾷食の関係』ルイーザ・ミトラン 31- 37 『⽇日本美術と私』トゥッリア·∙パルマ 38-45 『浮世絵のイメージ』 ジャーダ・ゾルズット 46-56 メンバー紹介・あとがき『アート-様々な形、同じ魅⼒力力』 57-58 2 前書き 始めまして、私たちは今年年 2013 年年 9 ⽉月から 12 ⽉月までお壊れた『考えるための⽇日本語』 に参賀したグループ 4 です。これから、レポートとプロジェクトから考えたことを紹介し ます。 私たちが選んだタイトルは『アート-様々な形、同じ魅⼒力力』というのです。最初は、メン バーの選んだテーマにどのような共通点があるのかということに迷っていましたが、結局 みんなアートの異異なった形について語ったので、このタイトルを付けることになりました。 特に「⽂文学」、「マンガ」、「写真」、「アートと⾷食の関係」、「⽇日本美術」と「浮世絵」 というアートの表現形式はレポートの中に出てきます。表⾯面的に⾒見見ると、関係のないテー マに⾒見見えるかもしれませんが、共通点があります。では、どのような共通点があるのでし ょうか。 まず、料料理理、写真、映画、本、浮世絵などはすべて芸術品です。そして、アートは形が違 っても、⽇日常⽣生活を表すことができると思います。昔の知識識を伝えることもできますし、 現在の⽂文化、歴史、社会的な問題も表現できます。最後に、様々なアートの形式は同じよ うに精神的な必要を満たして、⼼心を豊かにして、⼈人⽣生に⽋欠かすことのできないものだと思 います。 では、レポートをお楽しみください。 どうぞよろしくお願いいたします。 3 私にとって『⼩小説を読む価値』とは Sara CONGIU(サラ・コンジュ) テーマの動機 私が選んだテーマは『⼩小説を読む価値』です。最初は⼦子供からずっとやってきたことを考 えろと⾔言われれば、カラオケにしたほうがいいか⼩小説にしたほうがいいかに少し迷ってい ました。私は 3,4 歳の時、よく家で⽗父とカラオケのようなゲームをやり、声を録⾳音をし たものですし、⽇日本に留留学した時も毎週カラオケに通っていました。しかし、『考えるた めの⽇日本語』このプログラムに参加している皆さんのコメントを受けた結果、⼩小説のほう が⾃自分に関係があることがわかり、このテーマについて話すことにしました。 私が字が読めるようになったのは、3歳のころです。友達と話す時にそれを驚かれること が多いですので、何故 3 歳に読めるようになったのかを説明するのは必要だと思います。 私が 4 歳だった時、⺟母は医学⼤大学に⼊入学しました。それができるように、⼆二年年間も⼤大変勉 強していましたので、私と遊ぶ時間もなかなかありませんでしたし、童話などを読んでく れる時間ももちろんありませんでした。そのため、⾃自分でその童話を読むことが出来るよ うになるため祖⺟母に「字を読むのを教えてください」と3歳の時にお願いしました。その 時から数年年が経ち、祖⺟母はアルツハイマー病の症状が現れ始めました。祖⺟母は治療療のない 病気と⻑⾧長年年戦っていましたが、結局近い親類まで認識識できなくなってしまいました。私は 9,10 歳の時にどうすれば祖⺟母の病気を治すことが出来るだろうかということに悩みなが ら、私は⼩小説を読むことが出来るからこそ、祖⺟母の理理解⼒力力がすべて消えているわけではな い、⾃自分に教えてくれたことを通してまだ祖⺟母の⼼心が⽣生きているはずだということがわか 4 ってきました。今なくなった祖⺟母に字を読むのを教えてもらい、⼩小説を読むたびに祖⺟母が 今もなお傍にいるのではないかと感じています。 その上、⼩小学⽣生のころ恥ずかしがりやで⼈人との関係が苦⼿手であったために孤独と戦ってい ましたが、⼩小説のおかげで登場⼈人物の中で多くの友達が出来たような感じでした。今はよ うやくその恥ずかしさをやっつけたと思いますが、⼩小説を読むと「読んでいる限り安全だ」 といういい気持ちがまだ残っています。どうして安全だと感じるかといえば、クラスメー トに虐められたこととか、周りにある⼈人に傷つけられたことが誰にもあるのではないでし ょうか。私も⼦子供の時から勉強をするのが⼤大好きだったことで虐められたことが何度度もあ りますが、⼩小説を読むことを通して現実から離離れてその傷から⾃自分を守っていました。し かし、皆さんのコメントを受け、⼩小説を読むことに悲しいところもあるのではないかを少 し考えてみました。なぜ悲しいところがあるかというと、⼩小説を読むうちにキャラクター と⼀一緒に旅⾏行行をしているような気がしますが、⼩小説を読みきるとその旅⾏行行が終わってしま うからです。ですが、⼩小説が終わっていてもその話から教えてもらったことも、登場⼈人物 から学んだことも、⼩小説を読んで変わってきた⾃自分も残っているのではないか、なんとな く⼩小説のキャラクターとの旅は終わっていないのではないかと私は思っています。 3歳の時からずっと⼩小説を読むことが⼤大好きです。不不思議なことに、⼦子供の時も絵本など を読んだのではなく、ホラー⼩小説とファンタジー⼩小説を楽しんだものです。そのころ⼀一番 気に⼊入ったのはアメリカ⼈人のスティーヴン・キングでした。なぜかというと、前に説明し たように⺟母が勉強で忙しかったため、私は毎⽇日祖⺟母の家で何時間も過ごし祖⺟母にあった⼩小 5 説を読んでいたからです。特に 12 歳だった叔⽗父はスティーヴン・キングのホラー⼩小説に 夢中になっており、私も興味を持つようになりました。3,4歳の私がスティーヴン・キ ングの⼩小説を読んでいたのがよく変だと⾔言われていますが、⼩小さい時から絵本をつまらな いと思っていました。なぜなら、私には⼩小説の魅⼒力力的なところが想像をたくましくするこ とだからだと⾔言えるでしょう。⼩小説を読むと景⾊色や登場⼈人物などが頭の中で好きなように 想像できるのに対し、絵本は教育の視点から⾒見見れば効果的な⼿手段に違いありませんが、想 像⼒力力が必要でなく、⾒見見るだけですむのではないでしょうか。それは私にとってはつまらな かったです。当然のことですが、⼦子供の私の感想と⼤大⼈人になった現在の私の感想は違いま す。6 歳に読んだスティーヴン・キングの「ダーク・タワーシリーズ」、特に第⼀一巻「ガ ンスリンガー」と第⼆二巻「運命の三⼈人」はその例例です。そのファンタジー⼩小説は語彙も複 雑ですし、キャラクターにある⼼心の悩みも 6 歳の⼦子供にわかるはずがありませんでしたが、 すじ きゅうてんかん そのころ筋の急 転 換 や不不思議な雰囲気を楽しむことが出来ました。その⼩小説は 16 歳の 時に再び読もうと思い、もちろん話をさらに深く理理解できました。ですが、⼦子供として感 かんたん じた感嘆はよみがえらせることはもはやできないのではないでしょうかと実感しました。 その後、ホラー⼩小説とファンタジー⼩小説だけではなく推理理⼩小説と時代⼩小説などの様々なジ ャンルにも夢中になり、現在もいくつ試験があってもいくらアルバイトが忙しくても⼀一週 間に⼀一冊ぐらいを読んでいます。「⼀一番気持ちがいいところはどこですか」と聞かれれば、 疑問の余地はなく「図書館だ」と答えるはずです。ですから、⼩小説を読むことは私の⼈人⽣生 の最も⼤大切切な部分だと思っています。 6 対話レポート 話題1:伝えたいこと-1 フェデリカ:サラにとっては⼩小説を読むことは趣味だけか、もっと深い意味があるかを教 えてくれる。「価値」という⾔言葉葉を使ったからね、趣味だけじゃないと思った。 サラ:そうね。どうして「価値」という⾔言葉葉を使ったかをちょっと考えると、⼩小説を読む ことは個⼈人的な⾏行行為でもあるけど、社会的な役割もあるんじゃないかと思うよ。 意⾒見見をもらって考えたこと:最初は趣味でしかないと思った読書は社会的な役割も持っ ていることに気づきました。こことの安らぎを得るためとか、知識識を深めるためとか、 ⼈人間は⾃自分のために⼩小説を読むのは当たり前だが、もし私たちがすべての読書をやめた らどうなるかと考えてみると明らかにその社会的な役割が現れます。つまり、昔の知識識 も現在の知識識も本を通して伝えられるでしょう。その知識識は次の世代に伝えることはで きなければ、社会の発展もできないことになります。そのため、⼩小説を読むのは⾃自分の ために重要だけではなく、社会のためにも重要だと⾔言えるでしょう。 話題2:伝えたいこと-2 ジュリア:サラは⼀一週間に⼩小説を⼀一冊読むなんてすごいね。 サラ:実は 4 歳のころからずっとそうだから、すごいっては思わないんだけどさ。 ジュリア:すごいよ。あたしも⼩小説を読むのが⼤大好きだけど、サラの程度度は普通じゃない のよ。現代は⼩小説を読むのが好きな若若者がだんだん少なくなってきているからね。 サラ:そうね。妹もぜんぜん読んでいないし、あたしはいつもそれを怒怒っちゃうのよ。 「もっと⼩小説を読んでほしいな」といくら⾔言っても、あまり読んでくれないけど。(笑) ジュリア:どうしてかな。若若者が⼩小説を読まなくなってきたって。 7 意⾒見見をもらって考えたこと:ジュリアさんの意⾒見見をもらって、テーマ動機を改めて考え させてもらいました。たしかに読書が⾃自分の過去と深い関係がありますが、思ったより 現在の私とも強く結びついていることに気がつきました。特に、このテーマを選んで何 を伝えたいかをさらに考えた結果、現代の若若者が⼩小説を読む価値をなくしたということ に不不満を表現したいことがわかりました。その上、どうして若若者が読まなくなったの か、私などにわからないその理理由についても話し合いたいこともわかりました。 話題3:どうして現代⼈人が読まなくなったか(教育制度度のせい) サラ:ジュリアには読書ってどんな意味がある?趣味だけなのか特別な意味があるのかを 説明してくれる? ジュリア:現実から離離れたいから⼩小説を読むって思う⼈人がたくさんいるけど、あたしは趣 味だけかな。⼩小説、特にファンタジーを通して、存在しない世界が想像できて。同時にい ろんな冒険もできるしね。サラはどう?レポートに⼦子供の時に孤独と戦うためにもお祖⺟母 さんの思い出をなくさないためにも読んでいたって書いてあったんだけど、今は? サラ:私はね。読書は趣味でもあるし、重要な意味もあるよ。⼩小説を読むと、⾃自分の⼈人⽣生 はもっと豊富になるって感じがするからね。⼩小説を通して、⾃自分の毎⽇日の⼈人⽣生にキャラク ターの経験も含めることができるっていえるかな。 ジュリア:サラは特に好きなジャンルはある? サラ:好き嫌いは特にないけど、⼀一番気に⼊入ってるものといえば推理理⼩小説だな。だって、 どんなに悪いことが起こっても最後に解決が出てくるから。⼈人⽣生は全く違うわね。⼀一⽅方、 気に⼊入らないものは古典⼩小説。⾼高校で何冊も読ませられたせいでいやになっちゃった! (笑) ジュリア:そうだね、学校で読ませる⼩小説はつまんないよね。どうしてもっと⼦子供向けの ⼩小説を読ませないかな。ファンタジーとかね。 8 サラ:『指輪輪物語』などのファンタジー⼩小説は⽂文学って思われてないからかしら。現代作 品はほとんどそうだね。あたしは⼦子供の時に勉強をちょっと休みたくなったら⼩小説を読ん でいたのよ。読書は⽣生徒の理理解⼒力力を伸ばすのに⼤大変役に⽴立立つといわれているのに、学校は ⽣生徒にいい⼩小説を読む時間を奪っちゃうんじゃない? ジュリア:そのため、最近若若者はなかなか⼩小説を読まなくなってきたね。 意⾒見見をもらって考えたこと:若若者が⼩小説を読む価値をなくした理理由の⼀一つは、教育制度度 が好きなジャンルを読ませるのではなくて、つまらない⼩小説しか読ませないからでしょ う。中学⽣生も⾼高校⽣生も勉強が⾮非常に忙しいし、宿題として読まされる⼩小説もつまらなけ れば、「2 度度と⼩小説を読むまい」と思ってしまう⼈人が多いに決まっているのではないで すか。私も 11 歳から 18 歳まで読む時間はなかなかなかったせいで、読んでいたのは夏 休みだけでした。それで、先⽣生は⼩小説を読む時間が重要だということも、また⾃自分に合 っているジャンルくらい選べるのが⼤大切切だということもわかるべきだと思います。 話題4:どうして現代⼈人が読まなくなったか(⽣生活の習慣) アレッサンドロ(彼⽒氏):⼩小説は⼀一冊も読んだことがない俺にはサラはすごく頭がいいみ たいだな〜~。 サラ:そんなことはないよ。⼩小説を読むからって⾔言って、頭がいいと限らないでしょう。 (笑)あなたはどうして⼩小説を読まない? アレッサンドロ:読んでみるとすぐ⽬目が痛くなるし、仕事も忙しくて時間がないからね。 サラ:⽬目が痛ければ、メガネをかければいいんじゃない?そして、映画は普通に⾒見見ても問 題ないでしょう?仕事が忙しいってことはわかるけど。 9 アレッサンドロ:朝から晩まで仕事しているやつは⼩小説を読む⼒力力はなっちゃうのよ。映画 を⾒見見るには集中⼒力力が弱くてもいいけど、⼩小説はちょっとね。 意⾒見見をもらって考えたこと:彼⽒氏が対話の相⼿手になってくれたおかげで、学⽣生の⽴立立場か らだけではなくて、もう社会に出た⼤大⼈人の⽴立立場からも問題を⾒見見ることができました。⼀一 ⽇日に 8 時間以上働いている⼈人々は⼩小説を読みたくても⼒力力はありませんし、もし何か楽し いことをしたいと思っていたら映画などを⾒見見てしまいます。⼈人間は昔はさらにゆっくり ⽣生活を送る余裕がありましたが、現代は仕事に巻き込まれる⼈人が多いようです。もっと ⾃自然の流流れと合う⽣生活リヅムに戻ればいいと思います。 話題5:読むことだけではなく書くことも⼤大事 ジェッシカ:⼩小説を書こうと思ったことある?⼦子供のときからずっと⼩小説読んできたんだ からね。 サラ:実は⼩小説を書くことは将来の夢の⼀一つだよ。 ジェッシカ:今まで何か書いたことあるかしら? サラ:何回もあるけど、⼈人に読ませたことないな。特にファンフィクションを書くのが⼤大 好きなのよ。 ジェッシカ:読みきった⼩小説のキャラクターの話を続けたい時があるね。 意⾒見見をもらって考えたこと:ファン・フィクションというものも存在します。ファン・ フィクションとは既存の作品のキャラクターや設定を基づく、その作品の原作者ではな くファンによって書かれたものです。私も⼀一番印象に残った⼩小説を基にしてファン・フ ィクションを書いたことがあり、読みきった⼩小説のキャラクターの⼈人⽣生はどうなってい くだろうかと想像するのは⾮非常に楽しいと思います。 10 結論論 最初はどのようなテーマを選べばいいかということに⾮非常に悩んでいました。何が⾃自分に 深い関係があるのかを⻑⾧長々と考え、結局『⼩小説を読む価値』にしましたが、どうしてこの テーマを選んだのかと質問された時、動機をわかってもらえるような返事を⾒見見つけるのも ⼤大変でした。というのは、祖⺟母の話も苦しいですし、虐められた⼦子供の私について語るの もつらいからです。しかし、グループのメンバーからコメントを受けた結果テーマは⾃自分 とどのような関係があるのかが説明できるようになりました。それから、対話相⼿手を探す ところが来ました。⼀一回⽬目の対話は友達のフェデリカと⾏行行いましたが、その後不不⼗十分だと 感じ,⼆二回⽬目の対話も三回⽬目の対話も⾏行行いました。⼀一回⽬目の対話から考えたことは⼩小説を 読む⾏行行為の社会的な役割です。つまり、昔の知識識も現在の知識識も本を通して伝えられ、そ の知識識は次の世代に伝えることはできなければ、社会の発展もできないことに気づきまし た。そして、友達のジュリアからしてもらった⼆二回⽬目の対話から、『考えろための⽇日本語』 このプログラムで特に何を伝えたいかがわかりました。特に、現代⼈人が⼩小説を読む価値を なくしたということに不不満を表現したいことがわかりました。では、現代の若若者が⼩小説を 読まなくなってきた理理由は難でしょうか。ジュリアとこれについて対話を続けてゆき、若若 者が⼩小説を読む価値をなくした理理由の⼀一つは、教育制度度のせいだと思いました。なぜなら、 中学⽣生も⾼高校⽣生も勉強が⾮非常に忙しいですし、宿題として読まされる⼩小説もつまらないか らです。もし先⽣生たちはもっとアピールのある⼩小説を読ませれば、⼩小説を読むことの魅⼒力力 的なところが⾒見見えるのではないだろうかと私は思いました。その後、彼⽒氏と三回⽬目の対話 を⾏行行いました。何故再び対話が必要だと思ったかというと、学⽣生ではなくもう社会にでた ⼈人の意⾒見見も聞きたかったからです。その対話からわかったことは⼀一⽇日に 8 時間以上働いて いる⼈人々は⼩小説を読みたくても⼒力力はなく、⾳音楽や映画など、他の楽しみ⽅方でストレスを解 除することです。最後に、対話のおかげで考えたことは、⾃自分に重要なのは読むことだけ ではなく、書くこともであることです。もっと詳しく⾔言えば、私は⼦子供の時から短編⼩小説 を何回も書いてみたことがありますし、将来も⼩小説を出版するのは夢です。以上をまとめ ると、『考えるための⽇日本語』このプログラムを通して、『⼩小説を読む価値』このテーマ 11 に関する認識識を深めることができたと思います。要するに、⼩小説は⾃自分にどの関係がるの かを分析し、⾃自分と⾃自分の考えがある程度度で変わってきたと感じています。過去の経験も 将来の夢ももっと明らかに現れましたし、⼩小説を読まない他⼈人に対する不不満は弱まってき ました。⼈人にそれぞれの好みがありますから、みんなは同じ趣味を持っているとは限らな いということがわかりました。 12 私にとって[マンガ]とは Flavia FIORILLO(フラーヴィア・フィオリッロ) テーマの動機 私は「マンガ」について書きたいと思います。この「考えるための⽇日本語」のテーマとして 「⽇日本と私」というテーマなので、「⽇日本と私のつながりはマンガといえる」と思って、こ のテーマを選びました。実は初めて⽇日本の⽂文化に触れたのは、⼦子供の時に⾒見見ていた⽇日本の アニメです。そして、⽇日本の⽂文化と習慣に興味が深くなったのはマンガを読み始めたから です。最初は少⼥女女マンがが⼤大好きで、特に学校を舞台としたストーリを読んでいました。 それを読んで、例例えば⽇日本とイタリアの学校制の違いを調べてうれしくなりました。それ にマンガは、まず、⽇日本⼈人のために描かれているので、習慣などは説明されません。です から、わかりにくいところもあるかもしれないけれど、本のように注記などが書いてある ので少しわかりやすくなります。例例えば、キャラクターが家に帰る時に「ただいま」と⾔言 うので、この「ただいま」と「お帰りなさい」の⾔言い⽅方をマンガに時々脚注で説明も書い てあります。イタリアには「ただいま・お帰り」みたいな表現がないので、とても⾯面⽩白く て、「⽇日本のことをもっと知りたいな〜~」と思って、⼤大学で⽇日本語を勉強することを決め ました。 でも実は今、マンガをそれほど読みません。というのはマンガを読み始めてから⼦子 供と中学⽣生のごろにテレビで⾒見見ていたアニメのマンガです。これは例例えば『彼⽒氏彼⼥女女の事 情』とか『ときめきトナイト』とか『セーラムーン』とかです。これは幼年年期の楽しみを 新しい観点から回想できるからでしょう。それに絵を描くことが好きで、きれいな絵のあ るマンガを読んだら、私もそのようなきれいな絵を描きたくなります。つまり、精神的だ けでなく、⽬目の楽しさも感じられます。これは私の考えでは⼩小説とマンガの違い点でしょ う。とにかく⼦子供の時に⾒見見ていたアニメのマンガは⼤大体全部読んだため、もう新しいマン ガをあまり買わないわけです。ただ、だれかにすすめられたら、新しいマンガも喜んで読 んでみます。 13 楽しむ時間だけではなくて、卒業論論⽂文を書いた時にマンガが知識識を得る⼿手段として も使えることも分かりました。例例えば⽇日本には教養のためのマンガもあるそうです。そし て品物の説明書(例例えばバイクの説明書)などもマンガの形で出版されているということ を読んでびっくりしました。というのは、より⾯面⽩白くて間単に勉強できる⽅方法だと思われ ているからです。ですから、イタリアの⼀一年年⽣生の⽇日本語の授業でも適当な⽅方法だといえる でしょう。 ⽇日本の視点ですが、もう⼀一つの知識識を得る例例として有名な⼩小説からマンガに変わっ た作品が挙げられます。私は論論⽂文にしたのは三島由紀夫の『春の雪』です。その巻物は全 世界のクラシックな作品からマンガの形で変わった⽂文庫シリースに刊⾏行行されています。⽂文 庫シリースのキャッチコピーは「みんな知ってる。でも読んだこと、ある?」です。有名 な⼩小説を読む時間がなかったり、機会がなかった⼈人のための⽂文庫です。もちろん、⼩小説を 読むとかなり違うけれど、そいう⽅方法もあります。ある⼩小説に基づく映画に違いません。 マンガに変わった作品と⾔言えば『古事記』、『万葉葉集』『蟹⼯工船』、などが挙げられます。 ⽇日本にはマンガの形でこのような作品と触れやすいと思われます。⼀一⽅方で、イタリアにも 『I promessi sposi』という有名な作品が『I promessi paperi』というトポリノに変わ ったコミックも存在すると⾔言われました。それを考慮して⼩小説に基づいたマンガやコミッ クを読む⼈人がやる気のない⼈人というわけではない、そいうことが分かります。そして、 『神曲』のアニメも存在するということを教えてもらいました。マンガがサブジャンルな のに、映画のように⼈人々と純⽂文学などの距離離を狭められると思います。 しかしイタリアではマンガが⼦子供っぽいと思われていて、これは残念念なことです。 逆に⽇日本では⼦子供でも⼤大⼈人でもマンガを読むことが多いです。読者の年年別の性別によって 様々なマンガの種類があるからです。イタリアにはマンガが出てきた時に『トポリーノ』 やアメリカのコミックのように⼦子供向けだと思われて、読んでみなくてそのままに考える 続けていたからのでしょうか。実はあるマンガのカバーをよく⾒見見たら、イタリアの翻訳し た『⼦子供のおもちゃ』というマンガにも「成熟読者向け」という通知が書いてあることを 14 私は思い当たりました。要するに、イタリアにはマンガにまだステレオタイップなイメー ジがあると私は思います。 私のグループの友達と同じように現在の多くの若若者がマンガとアニメから⽇日本の習慣など を知ったようです。そこにある⽂文化的なものが⻄西洋⼈人にとって⾯面⽩白いからだと私は思いま す。もちろん、ある⽂文化に興味があったら、どの⽅方法を使っても、例例えば映画、⾳音楽、料料 理理など、楽しく勉強になると思います。このようにマンガのことが私の社会に⾒見見てほしい です。 対話レポート 話題1:⻘青春から同じ興味を持っている アレッサンドラ:なんでアニメなどではなくて、マンガのほうが好きになったのですか? フラーヴィア:まあ、そうですね。実は最初にアニメも⾒見見好きだったけれど、どうしてか な。多分、ちょっと恥ずかしいけれど、マンガを読み始めた頃にマンガを読んでいた⼈人は 少ないでした。ですから、イタリアにはあまり知られなかったこのサブジャンルのほうが 好きになりましたね。つまり私の友達の間になんとか特別な感じがしました。(笑) アレッサンドラ:まあ、でも今頃マンガを読んでいる⼈人は多くなりましたね! フラーヴィア:うん、そうですね。でも今はこのユーニックな感じとは関係ありませんね。 逆に、マンガについて友だちと話し合うのは⾯面⽩白いと思いますね。 意⾒見見をもらって考えたこと:⽇日本の⽂文化を触れるために様々な⼿手段があります。私はアニ メが嫌いというわけではないですが⻘青春からマンガを⼀一番好きな⼿手段になったので、今も これをつづいています。 15 話題2:マンガが⽂文学と美術の表現 アレッサンドラ:フラーヴィアさんはマンガから⽇日本の⽂文化などが知れることを書きまし たけど、新聞はどうですか? フラーヴィア:新聞ですか?でも新聞はちょっと違いますね。 アレッサンドラ:例例えば、⽇日本の学校製から経済まで新聞の記事を読んだら、様々な⽂文化 のことを習えるんじゃない? フラーヴィア:はい、そうですね。 アレッサンドラ:ある視点から⾒見見れば新聞を通してある国のことについてより具体的な情 報を⼊入⼿手できますね。 フラーヴィア:はい、でも新聞は⽂文学じゃないので、別のことでしょう。つまり、マンが がもちろん、⽂文学ではないけれど、私の考えでは⼩小説や映画などの気晴らし⼿手段のグルー プに⼊入ります。そして、新聞はちょっと難しくて⽇日本語で読むのは⼤大変と思います。⼀一⽅方 マンガは⾃自分の⾔言語で読めるですね。 意⾒見見をもらって考えたこと:マンがは⼦子供っぽいという考え⽅方が私も少し影響を受けてい たので、最初はこのテーマのことが少し恥ずかしかったです。でもこの対話をしてから、 私はマンがの潜在能⼒力力と⽂文学や美術とのつながりのことを本当に信じていると分かってき ました。マンガが好きな理理由は趣味のことだけではありません。きれいな絵のあるマンガ が読み好きなので美術的な⼿手段としても考えられます。また、⽂文学の⼿手段としても考えれ ば読みやすいと思います。最後にマンががいろいろな種類があって、⼦子供向けや⼤大⼈人向け の種類だけではありません。例例えば、いろいろなマンがが広島と⻑⾧長崎の原⼦子原発をテーマ にしたマンがもたくさんあります。 16 話題3:⽇日本特有の表現形式 フルヴィオ: ヨーロッパやアメリカのコミックと⽇日本のマンガとの違い点は思ったこと がありますか? フラーヴィア: はい、あります。でも、よく分かりません。⽇日本でこの⼆二つのサブジャ ンルの違い点はもあまり分からなくて、本当に違うかと⽇日本⼈人⾃自⾝身も求めていると聞きま した。 フルヴィオ:そうですね。第⼀一、『Asterix』などのヨーロッパコミックが全部⼦子供向け といえるでしょうね。また、アメリカのコミックは『Superman』を始め、すごくアメリ カ⾃自⾝身をたたえるコミックです。そして、いつもアメリカ夢を⽰示しますね。 フラーヴィア:やっぱりそうですね。逆に、マンガの登場⼈人物は⾃自信がないとか、⾃自分を 探しているですね。 フルヴィオ:うん。そしてヨーロッパの⼩小説やコミックでキリスト教などどがあまり出て いませんね。 フラーヴィア:うん。古典の⼩小説だけでしょうね。よく考えれば、代表的なものがあまり ありません。⽇日本には伝統がいっぱいです。イタリアと違って、⽇日本が⾯面⽩白いと思ってい る理理由ですね。 意⾒見見をもらって考えたこと:マンガのほうがアメリカとヨーロッパのコミックより⽂文化 的なものが出てくると気づきました。ですから⽣生活の⼀一部だから神道のようなものも描 かれて、⻄西洋⼈人も少しならそのものが習えます。そして⽇日本のマンガと⻄西洋のコミック の違い点が少し突き⽌止めました。 17 話題4: マンガの本当の特徴 フラーヴィア:インタネットで「マンガそのものを⽇日本⼈人だけが描かれる」ということを 読みましたけれど、本当かな... フルヴィオ:俺もそのことを聞いたことがありますよ。そして、⽇日本以外に作ったマンガ は猿まねということでしたっけ。 フラーヴィア:うん。例例えば私はマンガみたいなものを作ったら、どうでしょうかな。確 か、全体の⽂文化的な表現などを⼊入られないけれども、ちょっとだけ...(笑)でも、実 はマンガそのものが⽇日本の独特な表現として想像していますね。 意⾒見見をもらって考えたこと:多分私は⻄西洋⼈人としてマンガを別のことと想像していま す。でも、⽇日本ではアメリカのコミックも「マンガ」を呼ばれているので、⽇日本⼈人の⽴立立 場から異異なる意⾒見見があります。本当に実際にマンガが固定した特⻑⾧長がありますのでしょ うか。⽇日本では伝統などがたくさんあって、この伝統は⽇日本⼈人全員は⽇日常の⽣生活で体験 します。つまりマンがの⼀一番⼤大事な特徴は⽇日本⼈人の⼈人⽣生を表現することです。ですか ら、⽇日本⼈人が作るマンが・⼩小説・映画などによく出てくるのは当たり前です。そして、 絵の描き⽅方・話し⽅方・主題もこの特別な⼿手段の特徴になると考えました。 結論論 この「考えるための⽇日本語」のテーマとしてマンガということを選びました。最初は少し 平凡なテーマと思ったけれど、何よりも興味があることはマンガなのでこれで進んでみま した。どんな⾵風に平凡なテーマが⾯面⽩白くして話せばいいでしょうかと考えながら、マンガ を読む⼈人としてだけではなくて、批評的な視点からもこの表現⼿手段を⾒見見て、マンガその真 髄のようなものを探してみました。マンガが私と私の仲間にとって⽇日本の⽂文化や習慣を触 れる⼿手段として使って楽しめることです。この理理由で、まず私たち若若者の⼤大切切なものを⾔言 18 えるでしょうかとも考えました。しかしイタリアには、私たちの両親などをマンガが⼦子供 向けのコミックと思って、なぜこのような夢中にマンがを読むかとよく分からないみたい です。これは残念念なことなので、「⼤大⼈人」が少しだけ私の気持ちを理理解してほしいです。 そのため、動機⽂文にが私と私の友だちにとってはマンがの⼤大切切さや⽇日本でのさまざまな使 い⽅方について書きました。 対話 1 で私と違った意⾒見見を聞けるために友だちのアレッサンドラさんを選びました。 対話を始めたときに、実はアレッサンドラさんの意⾒見見を怖かったです。なぜならというと、 もし彼⼥女女がマンがのことを本当に⼦子供っぽくて、やる気のない⼈人々のためのものと思った ら、どいう⾵風に説明したほうがいいかと迷っていました。でもそうではなくて、アレッサ ンドラさんもだいたい私と同じ考え⽅方を教えてもらって、⼼心が落落ち着きました。そして、 私はマンがのことが本当に豊かで多⽬目的な⼿手段だと喜んで確かめました。 対話2マンがもアメリカのコミックを読んだことがある叔⽗父のフルヴィオさんと⾏行行 いました。この対話のおかげで確かにマンのほうガがアメリカやヨーロッパのコミックよ り作られた国の⽂文化と習慣をよく表せるということを分かりました。つまりこの⼆二つの種 類を⽐比較してみると、主題・登場⼈人物の特徴や夢などを意味深⻑⾧長な違い点があると分かり ました。⽇日本の特徴をよく表現して、これにしたがって実はマンガが特有なものです。も し、私⻄西洋⼈人として異異なる⽂文化のものを読んで楽しむからこそ、マンがの特有性を感じて いるかもしれません。また逆に、ヨーロッパのコミックとアメリカのコミックの間の違い 点が⾒見見えないかもしれません。多分将来に、このことについてもう少し発⾒見見する機会があ ると思います。最後に私の⽣生活に、マンがが⼤大きな影響が与えていて、これからもこのテ ーマについてもう少し深くて具体的に調べたいと思います。 19 私にとって『広島と⻑⾧長崎についての写真』とは Valentina MASIERO(ヴァレンティーナ・マシエーロ) テーマ動機 私の考えでは、過去の体験のことはもちろん⼈人々の頭や⼼心に残っていますが、イメ-ジが あったら、あの時期の気持ちはもっと鮮やかに感じられると思います。芸術の中の形、私 が⼀一番好きなのは写真です。写真を撮るのが⼦子供の頃からの趣味で、家族の全員と⼀一緒に の旅⾏行行の記憶です。その上、7年年以来写真屋で仕事していて、写真についての興味はもっ と深くなって、今は本当のパッションになりました。個⼈人的な経験以上、なぜ写真は⽇日本 と私の関係にそれほどの影響が与えましたか。簡単に答えると、⽇日本へ⾏行行った時の経験か らです。⽇日本へ⾏行行った時いろいろな町⾒見見物に⾏行行って、⽇日本の素晴らしさに写真を撮りまし た。お寺や神社はもちろん、歴史の有名な場所へも写真を撮りに⾏行行きました。特に、広島 です。広島の歴史は⼀一般に知られていても、短い説明をすると、弟⼆二次世界⼤大戦の終わり 頃1945年年に⽇日本とアメリカとの戦いはまだ終わりませんでした。8⽉月6⽇日に広島の住 ⺠民は原⼦子爆弾の犠牲者なりました。その次、⻑⾧長崎。8⽉月9⽇日に⻑⾧長崎でも同じ激しい出来事 が起こりました。 ⽇日本⼈人は世界中の唯⼀一の被爆者になりました。 そのような悲しくて激しい出来事を忘れないようにどうすればいいでしょうか。今の世界 ではもう激しい戦争や戦いが残りますので、このような出来事について話せば話すほど有 効な⽅方法だと思います。広島と⻑⾧長崎の出来事について実はいろいろの作家はたくさんの本 を書き、本当の気持ちを表し、証⾔言し、その⾔言葉葉は私たちの⾔言葉葉と⽐比較できません。です から私がこの質問について考えた時、正しい⾔言葉葉がありませんから、「イメ-ジは良良い⽅方 法でしょう」と考えました。私は⻑⾧長崎へ⾏行行ったことがありませんが、広島へ⾔言った時感じ た気持ちは本当に強かったです。歴史本やテレビで⾒見見たイメ-ジを覚えて本当に変な感じ が出てきました。私が感じたことは本当に強かったから、話すことができませんでした。 なぜかというと、町の変化がひっくりされてからです。その上、原爆ド-ムや平和博物館 20 を⾒見見ると深くて悲しい気持ちが出ました。まとめると、沈沈黙で写真を撮り続きました。こ の出来事とのゆかりは写真になりました。ですから、私の興味を⽇日本とつながれば「写 真・広島と⻑⾧長崎についての」というトピックが出てきます。 きっと写真を⾒見見ると⼈人々の本当の気持ちをわかることができませんが、破壊された町や ⼈人々の⽬目の中にある感動などを⾒見見ると、ちょっとだけでも、わかりになるかもしれません。 他に説明したいポイントは写真家です。どのような写真を撮りましたか。どうしてでした か。広島と⻑⾧長崎の世界的に知られている写真は明らかに破壊や悲しみの写真です。この場 合には写真は資料料の役⽬目を果たします。この⽬目標はもちろんありますが、あの頃の写真家 の⽬目的は感動的な写真を撮るもだったと思います。個⼈人的に巻き込まれていたら、撮った 写真は写真家の気持ちも表すことができるかもしれません。私が紹介させていただきたい 写真家は三⼈人で、⼆二⼈人は⽬目撃者で、⼀一⼈人は現代の写真家ですから、違いジャンルの写真を 撮りました。 まず、⼀一番有名な写真家は東松・照明(とうまつ・しょうめい)です。彼は広島や⻑⾧長崎で 爆発した爆弾のすぐ後の写真を撮りました。私は彼が撮った写真の中に⼀一番好きなのはポ -トレ-トなのです。もちろん原爆から被爆者の顔にある致傷を⾒見見られますが、私の考え ではもっと重要な点は写真から出てくる気持ちです。なぜかというと、⼈人々の⽬目から気持 ちも⾒見見られるからです。顔は写真の中⼼心で、⼼心に残ることができる写真だと思います。 ⻑⾧長崎の 「被爆者 ⽚片岡・津代さん」 21 次は瓶の写真。この写真も本当にすばらしかったと思います。写真を⾒見見るとすぐ動物みた いな形を⾒見見られ、実はビ-ルの瓶です。 熱線と⽕火災で 溶解変形した瓶 時計の写真は⼀一番有名なのです。11時2分は原爆が爆発した時です。 「11時2分」 という 写真集 から 22 その次、ほかの選んだ写真家は⼭山端・庸介(やまはた・ようすけ)です。彼は軍隊写真家 でしたから、仕事のために⻑⾧長崎へ写真を撮りに⾏行行きました。主に被爆者と環境の恐ろしい 状態を表現している写真を撮りました。⼭山端写真家は「時に⽴立立つにつれて⼈人間の記憶はな くなってしまいます。でも、広島と⻑⾧長崎の写真は深くにあの出来事のしるしを表して続き ます。」といいました。 ⼭山王神社参道⼊入⼝口 の⼀一ノ⿃鳥居 被害を免れた⼥女女性カメラに向かって 微笑んでくれた 23 それから、⽯石内・都 (いしうち・みやこ)という写真家も⾯面⽩白い写真を撮りました。彼 ⼥女女は現代写真家なので、平和博物館で集めているのこされた物たちの写真を撮って、「ひ ろしま・のこされたものたち」という本で写真を集まって置きます。このジャンルの写真 の感動ポイントは、原爆の犠牲者の本当の服、靴、メガネ、時計を⾒見見られますという。私 も博物館でのこされたものを⾒見見たことがありますので、写真家のアイデアは良良いと思いま す。その上、⽯石内写真家のイメ-ジから映画も撮影されて、ドキュメンタリ-のような映 画になりました。⽯石内先⽣生と私の考えのゆかりは「忘れないのための写真」というポイン トです。 遺されためがね 遺された靴 24 ⽯石内・都写真家の作品からのドキュ-メンタリ-は次に書いてあるリンクから⾒見見ることが できます。 http://www.youtube.com/watch?v=nw4DF15561U http://www.youtube.com/watch?v=Xdu1zI_kTUI 写真家が撮った価値のある写真を⾒見見るとどんな気持ちが出てきますか。私の考えでは、⼤大 事な点はこの写真を観察すればするほど強い感覚が感じられ、「忘れないための写真」と いう⽬目的が達することができます。 これから対話の助⼒力力によりもらったヒントから出たディスカッションを書き、分かったこ とも表してみたいと思います。対話相⼿手はジャダさんとルイ-ザさんになりました。ジャ ダさんも芸術についての深い興味を持ち、彼⼥女女と⻑⾧長いディスカッショ-ンできました。ル イ-ザさんも同じグル-プに参加して、アートと⽣生活との出会いについて強い興味を持っ ているから、彼⼥女女との対話は⾯面⽩白かったです。 対話レポート 話題1:私と写真 ジャダさん:ヴァレンティ-ナさんの写真についての興味はいつ始まったか。どうして? 私:ええと、私は⼩小さい頃から両親と⼀一緒に旅⾏行行した時いつもたくさんの写真を撮る習慣 があった。だから私は⾼高校⽣生の時⾃自分のカメラを買って、写真を撮るのが私の⼀一番好きな 趣味になった。写真はすばらしい芸術だとおもう! ジャダさん:写真をとるのが、どう習ったか。 私:⽗父がちょっと教えて、ま〜~、7年年以来写真屋で仕事しているね。確かに⼩小さい頃の私 はそんなにすてきな写真を撮れなかった。。。 25 ジャダさん:そうですね。。。じゃ、これは⼦子供の時からの興味だね。でも、写真の芸術に も興味があるか。撮るだけのか。 私:もちろん芸術にも深い興味があるね。写真を⾒見見ると感じている気持ちは多い。私が⼀一 番好きなジャンルはポ-トレートだ。上⼿手な写真家はカメラで⼈人々の気持ちも表せると思 う! 私は上⼿手じゃなくても、撮ってみて! 意⾒見見をもらって考えたこと:写真との出会いは素晴らしかったです。⼩小さい頃の私は何 度度も⼭山へ⾏行行って、あそこの⾃自然の雄⼤大さを私と⼀一緒に来られなかった⼈人にも⾒見見せると、 写真を撮りました。その上、⽗父についての良良い思い出です。元に写真は家族とのゆかり でしたから、たぶん写真がそんなに好きな理理由は⼀一番⼤大切切なのです。それから、今して いる仕事も写真とつながっていますので、本当にうれしいです。もっとも習うことがで きて、上⼿手な⼈人から説明されて、本当に楽しい仕事です。まとめると、この話から考え た点は私の興味はどこかいつか出て、どう感じていますか。特にいうと、私が⼀一番好き な写真ジャンルはポ-トレ-トなのです。なぜかというと、⼈人々の顔から特徴を分かっ て、⽬目から気持もわかりやすいからです。広島の場合には、東松・照明という写真家は ポ-トレ-トの写真を撮りました。ですから東松写真家は私が⼀一番好きなのです。 話題2:写真家について ジャダさん:あなたにとっては、このジャンルの写真、⽇日本⼈人が撮ったのは、外⼈人が撮ら れたと⽐比べると、何が違っているか。あなたの気持ちも、どうだったか。 私:もちろん気持ちが変わると思う。実は、⽇日本⼈人の気持ちはもっと深くて強いかもしれ ない。写真を撮ることはこの場合仕事だけではなく、歴史のための義務になったと思う。 外⼈人の写真家について話せば、もちろん、激しい出来事だったから悲しい気持ちをもって たが、私の考えでは、彼たちの写真はジャ-ナリズムのためだった。さらに私の場合を考 慮したら、私の考えが出る。⻑⾧長崎へ⾏行行ったことがなかったが、広島へ⾏行行った時の体験は本 当に深かった。友達と⼆二時間ぐらいの散歩して、ずっと沈沈黙した。その同じところでそん 26 なに激しい出来事が起こったと考えると、悲しい気持ちが出てきた。私が表したかったこ とは気持ちだったね。もちろん現在も⽇日本⼈人の気持ちと私たち世界からの外⼈人の気持ちと ⽐比べると違い点があるつもりだ。 ジャダさん:写真家は特に誰選んだのか。 私:特に好きかのはみやこいしうち・しょうめいとまつ・やまはたようすけ、この三⼈人で す。違いジャンルの写真家から、違い写真を撮りました。 意⾒見見をもらって考えたこと:この対話部分はどうして⾯面⽩白かったですか。実は⽇日本⼈人の 写真家と外⼈人のア-ティストの⽐比較は思えなかった点でした。ジャダさんとやりとりし ていたところ「この点は重要だ」と思いました。なぜなら、芸術の⼀一番⼤大事な⽬目的は気 持ちを表せると思うからです。ですから写真家の気持ちについても有効な話しが出まし た。私の考えではもちろん⽇日本⼈人の写真家は原爆経験にもっと巻き込みましたから、写 真も強くなるかもしれません。写真家の⽬目的はどれでしたか。私にとっては、⽇日本⼈人に ついて話せばこの出来事を忘れないようにの写真でしたが、外⼈人の写真家の場合には主 な⽬目的はジャ-ナリズムでした。ですから写真の内容にあるシナリオも違います。私 も、観光客もあそこに写真を撮ったから、もう⼀一つの違いジャンルの写真だと思いま す。違い店は違い個⼈人的な巻き込みだと思います。 話題3:教育のために ルイ-ザさん:世界中の学校で、教えるために学⽣生にその写真をみせるのが良良い⽅方法だと 思いますか。広島と⻑⾧長崎の歴史を覚えるために教育が必要だと思いますか。 私:広島と⻑⾧長崎は世界中の歴史の⼤大事な出来事で、世界中の学校でもちろん教えられたこ とですね。普通に使われた⽅方法は本で、時々映画。でも、私にとって、写真は有効な⽅方法 になるかもしれない。なぜかというと、イメ-ジが強くて、深い気持ちが上げられるつも 27 りからです。さらに、もちろん本に書いて置いたことは現実のことを表して、写真を⾒見見た らもっと強いセンスが出て、そのままの現実のイメ-ジですね。そんなに必要じゃないか もしれなくても、忘れないようにの具体的な⽅方法だと思う。 ジャダさん:難しい質問でも。。。原爆⽂文学を読むと写真を⾒見見ると⽐比べると、何が⼀一番⼤大切切 なのか。 私:もちろん⼆二つとも⼤大事な点であると思う。たぶん写真の⼤大切切な点は覚えるための点だ。 ⽂文学はイメ-ジじゃない。しかし写真を⾒見見ると本当のことを⾒見見られる。⼈人々の顔も⾒見見られ る。涙も。⾔言葉葉を読んでも頭の中でイメ-ジできるけど、ちょっと違う。本を読めば想像 ⼒力力も使わなければならないので、現実からちょっと遠ざけられませんか。 意⾒見見をもらって考えたこと:学校で写真を使うことは⾯面⽩白そうです。私にとっては忘れ ないようにイメ-ジの強さは⼤大切切ですから、これはもっと有効な⽅方法だと思います。さ っき書いて置いたとおり、原爆の出来事は世界中の⼈人にひっくり返されたことでした。 ですから忘れないように⽅方法がいろいろあったら、すべてのを使うと教育のために使っ たほうがいいと思います。また、⽂文学との⽐比較の部分について⻑⾧長いディスカッショ-ン が出てかもしれません。私の考えでは、さっき書いたとおり、⽂文学も芸術も教育のため の有効な⽅方法だと思います。実は違い点や同じ点もがあります。まず、この場合の⽂文学 は証⾔言の⽂文学ですから、現実のことについて表します。同じように写真からみられるこ とは現実のことです。違い点は、⽂文学を読むと想像も使います。しかし、写真の印象は もちろん個⼈人的ですが、イメ-ジにあることは⼀一つだけです。 話題4:⾔言葉葉とイメ-ジと⽐比べると ルイ-ザさん:広島と⻑⾧長崎の場合の写真をコメントするのが難しいと思いますが、コメン トをする時写真の物質がなんとなく、「汚れてしまいます」と思うんじゃないか?写真の 本当の意味を捕まえることができると思いますか? 28 私:普通に写真の解釈は個⼈人的だから、違い印象を与えている。でもこの特別な場合には 写真の意味はどうわかりになりますか。ちルイザさんが⾔言ったとおり、難しい。正しい意 味を捕まえることができるということはどんな意味なら。 ルイ-ザさん:⾔言葉葉のより、⼤大変強い印象を残す写真の⽅方がいいと思いますか?それに対 して、その写真に写されたことを表現にするのはどう思いますか?難しいですか? 私:⾔言葉葉から出る印象はもちろんイメ-ジと違う。違い店はどれかというと、⾔言葉葉から頭 の中に作るイメ-ジは現実じゃないが、写真は現実のそのままのイメ-ジである。 意⾒見見をもらって考えたこと:戦争というジャンルの写真の激しさについて正しい評価が ありません。写真が伝えたいことは⼈人間の悪さかもしれません。⾔言葉葉からイメ-ジが作 られて、写真から現実を⾒見見られます。⼆二つとも⼤大切切で、私の個⼈人的な意⾒見見は、この場 合、正しい⾔言葉葉が使うことができませんから、写真の深さはもっと強いと思います。対 話相⼿手と話していたとき違っている意⾒見見がもちろん出ましたので、積極的なディスカッ ショ-ンできました。⽂文学はもちろん写真も芸術の形ですが、⽐比べるとは本当に難しか ったことでした。 結論論 最初は「考えるための⽇日本語」というプロジェクトの⽬目的はよく分かりませんでしたから テ-マを選ぶのが難しかったそうです。でも、時間が過ぎて、もっと詳しい説明をくれた おかげで、わかりになりました。テ-マの中⼼心の⼤大事な点はそのテ-マについての⾃自分の 気持ちや意⾒見見だとわかった後で、プロジェクトのための勉強はもっと楽しくなりました。 「⽇日本と私」というタイトルを初めて⾒見見て、すぐいろいろなことが思い出されました。思 い出されたことの中から私が選んだのは写真でした。どうしてでしょうか。さっき書いた 通り、個⼈人的な理理由が多いあり、今まで写真がそんなに好きになった理理由について全く考 29 えなかったことでしたが、このプロジェクトのおかげでわかりになった点はいろいろなり ました。まず、⼀一番深かった点は⼦子供の頃の思い出です。なぜかというと、⼩小さい時の思 い出の中に家族の全員がいるからです。知らず知らずのうちに写真は家族と深いつながり があって、思い出のために⼤大事な価値を持ってしまいます。また、仕事のためにも写真に ついての興味はもっと強くなり、仕事のおかげで写真を撮るという技を磨いています。で も特に広島と⻑⾧長崎について話したかったのは、どうしてでしょうか。⽇日本へ⾏行行った時の体 験とつながりがもちろんあります。広島と⻑⾧長崎のは私にとってまことに⼈人間の歴史の重要 な出来事でしたから、忘れてはいけません。忘れないようにどうすればいいのでしょうか。 私の考えでは写真は⼀一つの⽅方法です。クラスメ-トとの対話のおかげでたくさんのヒント が出てきて、特に⾃自分のグル-プに参加していた相⼿手と⼀一番積極的なやりとりできました。 レポ-トを変わらずに,広くなりました。どんな部分について⼀一⽣生懸命にやりとりしたと いうと、まず「忘れないように」という点が出ます。その上、ルイ-ザさんとの対話のお かげで「教育」についてももっと深いやりとりしました。なぜか「教育」や「忘れないた めの写真」という部分は私の感性に主なトピックだというと、今⽇日の世界の⼈人間のまこと に⼤大切切なポイントだと思うからです。イメ-ジは⼈人々の思い出や気持ちも集めて表してか ら、私の考えではイメ-ジの強さは「忘れない」と「教える」のために本当に有効な⽅方法 です。今⽇日の世界⼈人間は古い出来事のイメ-ジを積極的に気づければ、激しさを忘れられ ないと思います。 まとめると、このプロジェクトを始めた時このような深い結論論を書けるのが全く考えませ んでしたが、もちろん楽しくて深い体験でした。意⾒見見を⾃自然な⽇日本語で表すことが⼀一番難 しかったことだ思いますが、完璧ではなくても、書けるようになりました。相⼿手の発⾔言か ら新しい点分かりになって、他⼈人の意⾒見見分かりやすくて、つまり本当に良良かった経験だっ たと思います。 30 私にとって『アートと⾷食の関係』とは Luiza MITRAN(ルイーザ・ミトラン) テーマの動機 私のテーマは「アートと⾷食の関係」というテーマである。すなわち、どういうふうにアー トと⾷食は関係があるかを調べたいと思う。 まず、なぜそういうテーマは私にとって⼤大事なのだろうか。というのは、⽂文化を背景とし て⾷食とアートのつながりが異異⽂文化の⼈人々を結んでいるからである。留留学の時にはそういう ことを体験した。イタリア⼈人の学⽣生と⽇日本⼈人の学⽣生はお互いに⾃自分の国の⾷食べ物を作った。 そのきっかけによって、作った⾷食べ物とどのようにその⾷食べ物を相⼿手に紹介するを通して、 ⾃自分の⽂文化的な価値を表し、コミュニケーションができることが分かった。 または、アートや特に現代アートに関するサイトを調べた際、⽇日本⼈人のアーティストの写 真を⾒見見た。その写真に写ったのは野菜で作った銃を持っている⼥女女性であった。⾮非常に驚い た。ほとんど毎⽇日⾷食べている野菜は銃として考えてみれば、強い印象を受けた。したがっ て⾷食とアートの関係に気になった。 ⾷食べ物というのは⽇日常⽣生活において不不可⽋欠なものだ。しかし、料料理理はそれだけではなく、 五官に関し、感覚にも関係がある。同時にアートも、特に現代美術が⽇日常⽣生活の特徴を引 き取り、観察のためのものを作るだけではなく、感情も⼊入り込んでいる。例例を挙げれば、 美味しいものを⾷食べる時に⼤大事な思い出が浮んだり、幸せそうな感じがしたりすることが ある。同じように、華麗麗な絵を⾒見見る時に感動するだろう。 それに対して美術も⾷食もそれぞれの⼈人間の⽣生理理的な必要と精神的な必要を満たすものだか らだ。しかし、違うところが多いのではないかと感じるだろう。相違点に考えてみると、 ⼈人間は⾷食べ物を⾷食べないと死でしまうのに対して、美術がなくても⽣生きることが出来る考 31 えがあるだろう。確かに現代アートというのは分かりにくいと⾔言われ、毎⽇日の暮らし⽅方か ら遠く感じられることだとされる。 しかしながら、アートは思ったよりさらに近いものであり、あまり必要なさそうな美術と ⽣生きるために不不可⽋欠な⾷食との結びを認めれば、⼈人⽣生には⼤大いに価値を加えると思う。そう いうふうに、アートとの距離離が短くなるのではないだろうか。⼈人⽣生とは⾷食べて⽣生きること だけではないが、⼈人間は体も魂も満たすべきだと思う。その為、⽣生命とアートと⾷食はお互 いに⽀支え合う。それに、⾷食も美術も社会の特徴を表す⼿手段で、鏡のように私たちの社会と 暮らし⽅方の価値観を映すとわけではないだろうか。 また⼀一つの点について話したいと思い、コックはアーティストだといえるかということで ある。コックはア-ティストと⽐比べると共通点はいくつかあると思う。芸術作品も料料理理も 作るために情熱や創造⼒力力や献⾝身など必要がある。そういうふうに、料料理理法と美術を⾃自分の 芸術にすることができる。作られた作品には⾃自分らしさが含まれているのである。コック はア-ティストのように⼈人々の幸せのためのものを作る。つまりコックもア-ティストだ といえる。ですから芸術と⾷食との関係が強くなる。それに関して、⽇日本現代アートにおい て、⾷食に関する作品を作る芸術家といえば ⼩小沢剛(つよし おざわ)が浮かぶ。彼⼥女女は 銃として野菜を使う。それは、隠喩として⾷食が使えられる意味があると思う。⾷食⽂文化は社 会の状態を表すので、現代アートにおいて社会的な問題を反映するように重要な役割があ る。素材や⾊色やコンセプトなどの選択を通して⾃自分のことや⾃自⾝身の社会に対する意⾒見見を表 すことが出来ると思う。 確かに、コックは素材から今まで考えなかった料料理理を作ることができると思う。例例を挙げ れば、はじめにふさわしくないと思われた素材を混ぜ、⾮非常に美味しいものが出来上がり、 驚くほどだ。そればかりではなく、料料理理か絵か作る前にいつも新しいチャレンジが始まり そうな感じがする。ア-ティストのようにコックも⼒力力を尽くしたり、⼿手を加えたり、客に ⾃自分の料料理理を紹介したりし、評価を受ける。 32 それにもかかわらず、料料理理と芸術作品に対する評価⽅方法は違う。美術に対して観察は⼤大抵 ⼀一番⼤大事なことだろう。それに対して、料料理理には⾒見見た⽬目はもちろん⼤大切切だが、味覚も⼤大事 だとされる。どちらかさらに直接な⽅方法なのか⾃自分でもはっきり⾔言えないが、⼆二つは⼈人の ⼼心に当たるはずだ。 最後に、強調された点は料料理理においてデザインの役割ということだ。今頃、味わうまえに 作ったものの⾒見見た⽬目が評価される。最近、料料理理デザインとアートとの限界はあまり明確な くなってきた。客の⼼心をつかまえるためなことだし、アピールをするためだし、⾷食べ物は ただの飯だけではないからだと思う。おいしいものを⾷食べる時には味を享受すると共に⾒見見 た⽬目や雰囲気などを感じるのが⼤大切切なのではないだろうか。 対話レポート コースのために⼆二⼈人の⼤大学⽣生と⼀一緒に対話をした。ヴァレンティナさんは私と同じグルー プでもっと詳しく話すことができた。フランチェスカさんは別のグループのメンバーで全 然違うテーマを選らんだので議論論は⾯面⽩白かった。 話題 1:料料理理 ヴァレンティナ さん:ルイザさん、あなたは料料理理していますか。料料理理を作る時、⾷食べ物 はお⽫皿にどう配置しますか。 私:はい、時々やってみますが、あまりしないんですが。。。それより、素材をどういうふ うに選ぶかに気をつけようとします。「Novelle cuisine」みたいことなんですが。。。 ヴァレンティナさん:そういえば、「Novelle cuisine」 という料料理理は私にとってア-トか らインスピレーションさせた。あなたはどう思いますか。 33 私:私もそうと思います。なぜかといえば、料料理理というのはアートにも含まれるでしょう か。お互いに共同して作品が使われます。インタクッションが⼤大切切だとおもいます。 意⾒見見をもらって考えたこと:⾷食に関するアートといえば、⼈人はまずデザインを考える。 または、アートと料料理理の交換が認めるべきなことだと思う。お互いに影響し合うのであ る。そういうふに料料理理は芸術作品に近づいて、アートは⾷食を通して⽇日常⽣生活を⽰示す。ヴ ァレンティナ さんの質問でそれは重要なポイントだということが分かった。 話題2:料料理理番組とフードフォトグラフィ ヴァレンティナ さん:その上、現代にテレビで料料理理番組はもっと増えている。どうして だと思いますか。 私:そうですね。。。私にすれば、その番組はとても便便利利だと思います。レシピが発⾒見見でき るし、ティップスを勉強になります。それとともに、栄養などについていろいろな情報を 伝えてもらいます。 フランチェスカさん:フードフォトグラフィというのはもちろんマーケティングのための 写真ですけど、アートになりそうですね。ルイーザさんはどうおもいますか? 私:⾷食品を写真の中で魅⼒力力的にみせることであり、アピールするためだと思います。本当 のアートかどうかはっきり分かりませんが、フードフォトグラフィはこのごろのトレンド を良良く表すと思います。 意⾒見見をもらって考えたこと:アートや⾷食やマスコミのインタラクションは広がりつつあ る。確かにテレビで料料理理番組やレストランの広告がよく⾒見見られる。やり取りから分かっ たのは、みんながアートと⾷食の関係を浪浪費者の視点から⾒見見ることだ。というのは、CM でも、⽇日常⽣生活に⼀一番近いからだと思っている。 34 話題 3:料料理理に関する美術 ヴァレンティナ さん:考えてみると、芸術と⾷食とのつながりは古いだね!ジュセッペ・ アルチンボルドという画家を知っていますか。彼は「スタジョ-ニ」(季節)という絵を 描きました。 私:知っています。有名でしょうか?その絵の中で⾷食は隠喩として使われますし、世界や ⼈人間などの説明を伝えるためだと思います。隠喩としてアートにおいて⾷食の使い⽅方の⼀一つ だと思います。 ヴァレンティナ さん:ほかの画家知っていますか。 ボテ-ロ画家も絵の中に太い⼈人を書 いた。どうしてそうなのですか。⾷食べ物とつながりがあると思いますか。 私:聞いたことがあります。しかし、ボテロの絵には描かれた⼈人でいろいろなメッセジを 伝えますが、たとえば⼈人間の感情のことが、⾷食べ物と関係があまりないと思いますが。。。 ⼩小沢剛(つよし おざわ)知っていますか?彼⼥女女は野菜を軍として使います。 フランチェスカさん:⻄西洋のアートについてのことですが、この⾷食と現代美術の関係の誕 ⽣生とは古代頃の静物画から⽣生まれると聞きたいと思いますが、ルイーザさんはどう思いま すか?関係がありますか? 私:私にとって関係があります。静物画において果物や物事などが思考やさまざまな意味 を持ち、メッセージを伝えます。静物画というのは、隠喩として⾷食を使う例例を挙げること だと思います。 意⾒見見をもらって考えたこと:みんなは、⾷食に関するアートといえば、まず⻄西洋美術に考 えるそうだ。⽇日本⼈人の芸術家の例例を⼊入れようと思うようになった。 35 話題4:コックとは ヴァレンティナ さん:コックについて考えてみると、⾷食べ物をお⽫皿に盛る時、形だけに ついてだと考えますか。⾊色の⼤大切切さについてのことを考えますか。あなたはどう思います か。 私:それは⾯面⽩白い質問ですね。形や⾊色や味などいろいろなことに気をつけると思います。 というのは、アピールをするためだし、デザインのことも⼤大切切だと思っています。⾊色々な コンテストに出るでしょうか。なので、お⽫皿の中には、絵のようにバランスが必要だと思 います。そういうふうに⾒見見た⽬目も味も満たすことができます。 フランチェスカさん:⼀一番有名なレストランであるコックとケーキデザイナーはもちろん 混ぜた材料料やお⽫皿に⾷食べ物を配置することや⾊色の⼤大切切さを認めると思っていますけど、ど んなふうにそのデザインはコックの⽣生まれた国に関係がありますか?この関係は存在しま すか? 私:そのことが出ていろいろ考えさせてもらいます。確かにデザインはコックの⽣生まれた 国の⽂文化とのつながりは全くあると思います。その⽂文化を背景するからアートと⾷食の関係 はもっと強くなると⾔言えます。 フランチェスカさん:では、イタリアで作ったお⽫皿は⽇日本で作ったお⽫皿は違いますか?ど んなふうに? 私:違うと思います。素材はもちろん、作り⽅方や盛り⽅方などですが。。。簡単に⾔言えば、マ ルゲリータピザはイタリアの旗のしるしで、⽇日本では⾷食と四季の関係を表す⾷食べ物は多い と思います。コックは⾃自分の⽂文化に影響されないわけではないだろうか。 意⾒見見をもらって考えたこと:この対話のところが⼀一番考えさせたと気づいた。最初は、 驚くことについてよく考えたが、⼤大切切なのはそれだけではないと思ってきた。すなわ ち、⼈人々の注意を引くためにインパクトの作品必要があると思っていた。しかし、イン 36 パクトはもちろん重要だが、バランスも⼤大事なことである。⼈人は飯する時も絵を⾒見見る時 も何を探すだろうか。味や美しさなどもちろんだが、それだけではない。⾃自分の背景に 合っていること、慰め、創造、喜ばせることなどもあると思う。その中では、バランス も⼀一つである。または、コックの⽂文化的な背景の⼤大切切さが分かった。その⽂文化の価値は 作った⾷食べ物で他の⼈人や海外に伝われる。素材やデザインなどの選択を通してそのコッ クの⼼心、考えが⽰示される。 結論論 最初は、テーマを紹介した時に、アートと⾷食の関係をあまりにも主観的な視点から⾒見見てし まった。⾃自分⾃自⾝身の反省省や感情や美術をもとに、その関係を判断するべきなことだと思っ ていた。今も、感情は判断の基本として考えているのに、他の⼈人と話し合ったのでセンチ メンタルすぎるな⾒見見⽅方だというこに気づいた。感情の上に他の⽬目安を認める必要があるの ではないだろうか。 それに対して、相⼿手に⾃自分の考えをうまく伝えるのがあまり簡単ではないことが分かった。 ⼀一⽅方、例例がある対話を頼りに⾃自分⾃自⾝身の考えを深く分かるようになり、相⼿手の⽴立立場も理理解 できる。 確かに、対話の後の⽴立立場は動機⽂文を書いた時のと⽐比べたら変わった。というのは、アート と⾷食の関係を判断しみれば、美術的なことだけではなく、他のことも多く含めるべきだか らである。消費、ビジネス、⽇日常⽣生活の必要性はいくつかの例例である。または、対話の流流 れとともに、現代アートだけではなく、アートの広い意味やマスコミなどの話になった。 ということは、現代に⾷食とアートのコネックシオンは思ったよりあまり直接ではないと気 づいた。美術と⾷食の間に消費化と具体的な必要性があると思うようになった。その関係を ⽀支えるために感情だけは⾜足りない。したがって、アートと⾷食のつながりを判断する時もっ と具体的なアプローチが適当だろう。共通点と相違点に反省省すれば、そのつながりは⽇日常 ⽣生活の重要なポイントになるために時間がかかると思う。 37 私にとって『⽇日本美術と私』とは 「江⼾戸時代⽇日本美術のケーススタディ:琳派と浮き世絵」 Tullia PALMA(トゥッリア·∙パルマ) テーマの動機 私にとって⽇日本美術はきわめて魅⼒力力的な論論題だ。⼦子供の時からいつでもどこでも本を読 んだが、⼀一般的に⻄西洋⽂文学だった。偶然に17歳で源⽒氏物語を読み、⽇日本⽂文化や美学に興 味を抱いた。そのために、⼀一年年間の後で、⼤大学に⼊入る時東洋⽂文学を選んだ。⼤大学⽣生の時に きわめて旅⾏行行するようにし、勉強した美術品を⾒見見てまわった。⼤大学の1年年の後で、インド へ⾏行行き、北北インドのイスラム教の建築物を⾒見見物した。多数のインドの寺も⾒見見物した。その 旅⾏行行のおかげで、東洋美術の関⼼心を深くした。次の年年は、ロンドンで住み、オークション ハウス「サザビー」で1ヵ⽉月間東洋美術を勉強した。 「サザビー」の先⽣生と⼤大英博物館 やパーシバル·∙デヴィッド·∙ファウンデーション·∙オヴ·∙チャイニーズアートやヴィクトリア·∙ アンド·∙アルベート博物館で本物の芸術品を前にして授業ができた。たくさんの⾻骨董品の 店で中国の磁器などを何度度も⾒見見てまわるうちに、⾻骨董品の値段も分かり始めてきた。時々 ロンドンの⾻骨董品の店に根付や浮世絵の⽊木版画を⾒見見つけた。「サザビー」のコースを完成 するため、江⼾戸時代の漆器について論論⽂文を書いた。 ⼤大学の3年年の夏には、⽇日本へ⾏行行き、あそこで実際に美術館、お寺、神社で⽇日本美術を⾒見見物 した。東京で出光美術館、根津美術館、東京国⽴立立博物館、益⼦子陶器市で選んだテーマにつ いて研究した。 奈奈良良や京都や⼤大阪博物館も⾒見見学した。⽇日本に住んで、⽇日本⼈人の考え⽅方が理理解できるように なって、⽇日本美術の美学も分かり始めた。 38 ⼤大学に⾏行行き始めてから5年年間が経過したが、今も⽇日本美術は興味深いテーマだと思う。 なぜそのような⾯面⽩白いテーマなのだろうか?私の考えで、多くの理理由がある。 まず、⽇日本美術はイタリアや⻄西洋美術と全く違う。⾼高等学校でヨーロッパ美術だけ勉強 したが、よその国の美術についてあまり知らなかった。⼤大学で⽇日本、インド、中国の美術 に触れ、⾮非常に驚いた。素晴らしいと思った。特に、⽇日本美術に魅了了された。 また、私の好奇⼼心をそそることは⽇日本美術の技術がヨーロッパの技術と全く違うことだ。 ⽇日本芸術作品を⾒見見る時、ヨーロッパの美学の特徴や美しさのルールを考えないほうがいい。 そうすることによって、それらの作品の伝えたいメッセージがより理理解できると思う。 さらに、⽇日本美術の題材はヨーロッパのと全く異異なる。例例えば、ヨーロッパで普通に建 築物の⼀一番よく使われる素材は⽯石材だ。⽇日本では、伝統的な建築物は⽊木造建築だ。⻄西洋美 術に⼤大切切な概念念は不不死だ。 そのため、⻄西洋の芸術家は芸術作品を作る時、いつまでも残ることを望む。逆に、⽇日本⽂文 化の中で、無常観があり、⽇日本美術の中にもその概念念の影響が⾒見見られる。有名な⾔言葉葉「浮 世絵」も無常観の概念念に似る。⽇日本美術のほかの特徴はあえて均衡がとれていないことだ。 書道、⽣生け花、武器、漆器、陶器、⽊木像、⽊木版画、墨絵などにもその特徴が⾒見見られると思 う。陶器の作品にも建築物にも公園にも不不均衡を⾒見見ることができる。反対に、⻄西洋美術に は作品が完全ではなかったら、美しくない。しかし、⾃自然界の中で完全というものはない。 そのため、⽇日本美術のほうがヨーロッパ美術より⾃自然に近いと思う。同じように、⽇日本⼈人 は陰影を好む。1886年年に⽣生まれた有名な作家⾕谷崎潤⼀一郎郎は⽇日本の美学について「陰翳 礼賛」を書いた。⾕谷崎潤⼀一郎郎の考えで、⽇日本美術の完全は不不完全だ。 終わりに、⽇日本美術の独特なものは伝統を守ることだ。例例えば、茶茶道、⽣生け花、書道、 ⼊入れ墨などの師匠に成りたかったら、厳しいルールがあり、10年年間では⾜足りない。たと え近代的な⽇日本でも伝統的流流儀は変わらず今でも同じ年年⽉月がかかるだろう。イタリアでも、 伝統的流流儀がある。しかし、イタリアでは⽇日本のような上下関係がない。⽇日本に住んでい 39 た間に、このようなことに気付き、⽇日本⼈人と話し、⽇日本作家にインタビューした。今年年の 夏は国際交流流基⾦金金のおかげで、関⻄西国際センターで⽂文化·∙学術専⾨門家⽇日本語研修の2ヶ⽉月 コースに参加した。この間に、⾃自分の興味について研究し、様々な⽇日本⽂文化を経験するこ とができた。特に、私の考えで⽇日本美術の⼀一番⾯面⽩白い時期は江⼾戸時代だ。江⼾戸時代には⽊木 版画が普及したが、町⼈人⽂文化が発達しため、作品デザインも変化していった。 具体的に、琳派の作家が江⼾戸時代にそれらの芸術作品に町⼈人⽂文化(浮世絵、歌舞伎、名 所絵など)を多く取り⼊入れた。琳派の作家は⽇日本美術に衝撃を与え、次の世代の作家達が その影響を受けた。近代的な作家も琳派芸術品からインスピレーションを受ける。そのた め、琳派について書き、⽇日本美術の発展性を表したい。 それに、江⼾戸時代について話すならば、浮世絵について話さなければならない。江⼾戸時 代に社会の中で重要な変化があり、伝統的に芸術が違う美術派や作家の画題にも交流流があ った。浮世絵の⽊木版画を通して、町⼈人の都会⽣生活の特徴がよく⾒見見られる。浮世絵の⽊木版画 の画題は歌舞伎役者や芸者や名所絵や東海道の五⼗十三次とか町⼈人⽣生活の⽇日常を描いたもの だ。写真のように江⼾戸の⼆二 x ⾮非常⽣生活をかいま⾒見見ることができる。 対話レポート 話題 1:⽇日本美術とあなた イザベッラさん:あなたはレポートに⽇日本美術はとても⼤大切切なことだと書きました。⽇日本 美術の勉強を始めて、どのようにあなたの⽣生活が変わりましたか? 私:私にとって⽇日本美術は興味ですが、その興味のおかげでいろいろな旅⾏行行して、素晴ら しい友達を作って、異異⽂文化国で全然忘れられない経験をした。⽇日本美術は⻄西洋美術と全然 違うから、⽇日本美術の作品を理理解するためには、⻄西洋美術の概念念や勉強のし⽅方を変えなけ ればなりません。その結果、⾒見見⽅方も変わります。 40 イザベッラさん:うん。分かりましたけれども。。あなたにとって海外の経験はどんな意 味があるんですか? 私:勉強の為に外国へ⾏行行く時、⼤大変ですが、とても⼤大切切な経験だと思います。⼤大変な経験 をする時⾃自分の誠の性格が出ると思います。異異⽂文化を持つ⼈人と友達になって、違う考え⽅方 と知り合ったら、⾃自分の⽋欠点分かり、それを直すことができると思います。 イザベッラさん:私もそう思います。⼤大変な経験を通したら、⾃自分の本来の⽣生格が出ます 。ただしちょっと分からなかったこともあるんです。 私:どうぞ聞いてください。 イザベッラさん:⽇日本美学とあなたの性格にはどのような共通点がありますか? 私:⽇日本に⽇日本⼈人の友達と住んでいた時、気づいたことは⽇日常の⼩小さいものにも気遣いや 平穏があります。⻄西洋⼈人はよく好きな仕事をしている時も、いつでも不不平を⾔言って、毎⽇日 の⽣生活に理理由がないのに不不満があります。私は16歳からヨガをしています。ヨガをして いるおかげで、毎⽇日の⽣生活の⼩小さいことにもこの瞬間していることに集中することができ ます。精神が集中していたら、毎⽇日の⽣生活の⼤大切切さが分かって、不不平を⾔言わないようにな りました。⽇日本で茶茶道を⾒見見た時、毎⽇日の⼩小さいなことの⼤大切切さが分かりました。茶茶道と同 じように、毎⽇日の⽣生活に配慮や、慎ましさなどを持ったら、⻄西洋⼈人も幸せになれると思い ます。⼀一つの例例をあげると、⽇日本の家に花は⼤大切切なことです。家に床の間があったら、掛 け軸と四季折々の花は似合います。私の考えで、⽇日本⼈人の⽣生活は美術や美学は⽇日常⽣生活に ⽴立立派に⼊入り込んでいます。 イザベッラさん:ああ、そうですね。私も⽇日本に住んでいた時にそう思いました。 41 意⾒見見をもらって考えたこと:美術を勉強する時、他の科⽬目の勉強のように知恵と記憶⼒力力 が必要です。ただし美術に⼼心も重要です。確かに、作品を勉強したら、「どうして作っ たか?」や「作家は誰ためその作品を作ったか?」や「意味は何でしょうか?」などの 問題に答えねばなりません。作品に感情があるから、軽率率率に勉強することができませ ん。特に、東洋美術が好きだったら、旅⾏行行することも好きでなければなりません。その 上、異異⽂文化にも興味があることが重要です。⽇日本に住んでいた時イザベッラさんも気づ いたことは⽇日本⼈人の美術への近づき⽅方は⻄西洋⼈人と全く違います。異異⽂文化も勉強しなけれ ば、東洋美術を分かることができません。対話の話に同じことを⾔言いましたが、美術の 勉強には⼼心も強い意志も⼤大切切なことだと思います。チェ·∙ゲバラが⾔言った有名なことば 「Hay que endurecerse pero sin perder la ternura jamás」の意味は「強さは必要 ですが、決して優しさを失わない」。そうしたら、新しい経験ができて、⼤大⼈人でもいろ いろなことに気づけます。 話題2:あなたの興味 エバさん:この5年年間の間にあなたの興味を深めることを⼿手伝っている⼈人は誰ですか? 私:⼤大学を始めた時ジャン·∙カルロ·∙カルザ先⽣生はミラノで江⼾戸時代について展⽰示会を組織 して、ベネツィアにもいろいろな講演会も組織しました。よくジャン·∙カルロ·∙カルザ先⽣生 の講演会に⽇日本⼈人の作家もアメリカ⼈人の研究者も参加しました。ジャン·∙カルロ·∙カルザ先 ⽣生が年年⾦金金⽣生活に⼊入った後で、私はほかの先⽣生と卒業論論⽂文を書いて、去年年からシルビア·∙ベ スコ先⽣生に相談しています。シルビア·∙ベスコ先⽣生のおかげで、書道の先⽣生のパフォーマ ンスを⾒見見ることができました。⽇日本に住んでいる時国際交流流基⾦金金で先⽣生が⼿手伝ってくれて、 ⽇日本⼈人のガラス作家にインタビューしました。それ以外にも、⽇日本⼈人の友達は美術雑誌な どをくれました。両親もいつでも助けてくれて、そういうすべての⼈人達のおかげで興味を 深めることができました。 エバさん:本当にいろいろなものをみて、とてもラッキーでしたね。 42 私:はい、そうです。 エバさん:あなたはこの5年年間の間にいろいろな作品を勉強しましたが、どうして琳派や 浮世絵の作品を⾒見見ることが⼤大好きなのですか?どうしてあなたの気持ちを引きつけるので すか? 私:例例を挙げると、尾形光琳の「菖蒲屏⾵風」を⾒見見る時、菖蒲はすごく⼤大きいですが、背景 には何も描いてありません。⾦金金⾊色の背景のおかげで、菖蒲に集中できます。花は写実的で はなくて、尾形光琳の菖蒲のイデアです。⾃自分たちの⼀一⽣生にも⾃自分のための空間が必要で す。時々、忙しすぎて緊張するから、⾃自分たちの⽣生活の重要なことを忘れてしまいます。 そして、さらに素晴らしいことは 尾形光琳の題材は実際の物ではなくて、尾形光琳のイ デアです。同じように、毎⽇日の実際の⽣生活は客観的ではなくて、主観的です。 エバさん:本当にそうですが。琳派や浮世絵の作品だけではなくて、あなたは美術⼀一般に 深い興味があるんですね。 私:美術の特徴は知恵だけではなく、⼼心も必要です。美術品を⾒見見る時、時々何かの理理由で ⾃自分の中で何かが起こります。これは美術のユニークさだと思います。 エバさん:なるほど。どうして美術は感情とそんな関係があるんですか? 私:太古の昔からも今も⼈人間は美術品を作る必要を感じています。それで⼈人間が⾃自分の気 持ちを美術で表すことは本質的だと思います。様々な⽂文化にそのことがありますから、同 じテーマでも、違う作品ができます。これは本当に⾯面⽩白いことだと思います。というのは 美術は⼈人間の⽣生活と密接に関係しているからです。 エバさん:そんなふうに思っていませんでしたが、実は確かにそうですね。 43 意⾒見見をもらって考えたこと:エバさんとこの対話でどうして美術はそんな⾯面⽩白いテーマ なのかについて話しました。今まで話してきたことから分かるように、美術はそんなに 簡単なの題材ではないと思います。私にとって、⽇日本美術の作品の中にも⼈人間と⾃自然の 唯⼀一性を⾒見見ることがでます。特に、江⼾戸時代の浮世絵⽊木版印刷の中に⼈人の感情が⾒見見られ ます。琳派の作品にとって⼤大切切な特徴は素朴さですから、その作品を⾒見見る時に、⾃自分の 性格や感じ⽅方の特徴を⾒見見ることができます。クラスでクラスメートに本レポートを説明 した時、様々な問題を受け、⼀一緒に話し合った。本研究を理理解するために、江⼾戸時代の 時期を勉強しなければならなかった。私とクラスメートは互いに江⼾戸時代の変化につい て問題をし合い、考えた。江⼾戸時代の⾯面⽩白い点は多くある。社会や経済や都市や町⼈人⽂文 化などが全部⼤大切切な点だ。どうして江⼾戸時代は先時代と違うのでしょうか?どのように 社会や経済や都市が変わったのでしょうか?クラスメートと話し合っている間、江⼾戸時 代の問題は明らかになった。クラスメートは江⼾戸時代と江⼾戸美術の直接の関係が次第に 分かった。私のグループの中の皆さんは⽇日本美術についてレポートを書いている。その ため、美術と歴史の直接の関係は⾮非常に⼤大切切な課題だ。さらに、⽇日本歴史上、江⼾戸時代 は確かに⾯面⽩白くて複雑な時期だ。 結論論 このコースに参加して本当によかったと思う。最初に「⽇日本と私」のレポートの書き⽅方や ⽬目的をあまり理理解できなくて⼼心配した。ただし、コースが進んでいくうちにだんだんコー スの活動が分かってきた。5年年前に⽇日本美術への興味が始まったが、今はどうしてこれを 選んだのかよく覚えていない。このクラスの活動のおかげで、最初の情熱や関⼼心をもう⼀一 度度取り戻した。 このコースを通して、私たちの興味について⼀一緒に話して、⾃自分たちの選んだテーマを⽐比 較することを習った。お互いにコメントを出しあって、それ簡単そうだが、他の⼈人の意⾒見見 やアイディアを聞くのはそんなに簡単ではなかった。クラスメートから素晴らしいアドバ イスをもらった。最初に皆さんの作ったレポートを読むのはつまらないと思った。でも最 44 後には、本当に⾯面⽩白くていろいろな知らなかったことを習った。その上、⾃自分たちの興味 のあることについて⻑⾧長いレポートを書くことを習った。このコースの前は全然したことが なかった。⾮非常に⼤大変だったが、終わりに満⾜足した。「対話」の部分は⽇日本語がぺらぺら になるため、確かに役に⽴立立つ。テーマにはそれぞれ⾃自分の気持ちも⼊入れてあるから、レポ ートは個⼈人的なレポートになったと思う。普通の授業では会話の時間がないから、マリオ ッティ先⽣生のコースは本当に役に⽴立立って、このコースで⽇日本語だけ話して書いから、皆さ ん⽇日本語が上達したと思う。 45 私にとって『浮世絵のイメージ』とは Giada ZORZUT(ジャーダ・ゾルズット) テーマの動機 私はジャーダ・ゾルズットだ。私の選んだテーマは浮世絵だ。私は芸術に興味を持つよう になった理理由は⺟母が芸術展覧会を計画しているから、⺟母のおかげで⼦子供の頃からよく美術 館へ⾏行行ったことがある。このことから知らず知らず芸術が好きになった。 ⾼高校⽣生の頃マンがとアニメを通して⽇日本に興味を持ってきた。そのため、私の町の東洋術 館もあって、⽇日本の芸術が好きになった。理理由は五年年前までに考古学者になりたかった、 私は古代時に興味があって、⽇日本の場合には、浮世絵を考えたら、私にとって浮世絵の絵 はタイムマシンのようなものだ。江⼾戸時代の⾵風景や習慣や江⼾戸時代の⼈人たちの意⾒見見など詳 しいイメージが分かれるからこそ、⾮非常に⾯面⽩白いと思う。このことから、浮世絵に嬉しい 驚きを感じそうだった。その上で、浮世絵に基づく卒業論論⽂文を書いている。論論⽂文の内容は 吉原と浮世絵の関係についてだ。画家なら⼀一番好きなのは葛飾北北斎と喜多川歌麿と歌川国 芳だ。私は浮世絵の傑作のジャンルは幽霊画、美⼈人画、⾵風景画、花⿃鳥画だ。 グループのクラスメートから様々なアドバイスとコメントをもらって、もっとはっきりに 考えられた。クラスメートのおかげで新しいアイデアが出てきた。例例えば、最初は浮世絵 のジャンルだけに参加しょうと思ったが相談によって浮世絵の画家について話しようと思 う。 クラスメートからよく聞いた質問は「どうして浮世絵というテーマを選んだか」や「いつ 浮世絵に興味を持つようになったか」だ。あの質問に答えるのは私に少し難しかった。理理 由は芸術が好きみの始まりは私もどうしてかはっきりしらない。好きなことは好きだろう。 しかし、⺟母のおかげで芸術が好きになっていたと書いた。⼆二番⽬目の質問は内容に関してだ 46 った。どんな浮世絵のジャンルが好きかも聞いた。この質問ならすぐ答えられた。私にと って⼀一番⾯面⽩白いジャンルは幽霊や美⼈人や⾵風景だ。ディスカッシヨンによって答えたクラス メートのおかげでクラスメート⼀一番好きなジャンルは美⼈人画と動物だ。調査をして、動物 画なら⼀一番有名な動物は猫と⿃鳥とカエルだ。幽霊画のテーマも⾯面⽩白いだと⾔言ってくれた。 最後に画家の選びに関して相談をもらった。皆は歌麿喜多川や葛飾北北斎や歌川国芳も好き で、私の希望はクラスメートの気に引くことだ。 授業中とフォーラムでクラスメートと⼀一緒に互いに私たちのレポートに関して話した。ヴ ァレンティーナさんも浮世絵に興味があって、クラスメートのコメントとアドバイスのお かげでいいレポートを書くために必要だ。 その他にも、私のテーマについてヴァレンティーナさんはとても深いテーマと思う。しか し、実は私はこのようなレベルまでに⾃自⾝身を持っていないと思う。私のレポートについて、 ヴァレンティーナさんのアドバイスは私のテーマの選んだ理理由はもっと明瞭に書くことだ。 このことから、前述のとおり変わった。 アドリアナさんは私が浮世絵の特徴や様々なジャンルに基づいて、詳しい情報を表すと思 う。それに、浮世絵というテーマならアドリアナさんは私は浮世絵にずいぶん⾼高校⽣生の時 から興味を持つからこそ、浮世絵の広い領領域に興味があって、浮世絵が私の得意だと思う。 アドリアナさんのコメントは浮世絵において選んだジャンルは⾮非常に興味が深いからいい レポートを書くために「頑張ってください」ということだ。 最後に、トゥッリアさんは浮世絵が強い関⼼心を持つテーマだと思う。それにも、トゥッリ アさんの識識⾒見見は浮世絵というテーマだけではなく、動機レポートにも卒業論論⽂文の「吉原と 浮世絵の関係」というテーマに書いたほうがいいだと思う。 私はこのコースのために「吉原と浮世絵の関係」に話したら私にとって少し難問だと思う。 それに、皆は私が浮世絵の専⾨門家と思い、私はビックリした。私はそのまでに浮世絵のこ 47 と知らない。もちろん、詳細に調査をするがこのコースのために浮世絵の包括的な要約よ り表したいだ。 コメントのおかげでレポートには浮世絵のたくさんの情報を書いたほうがいいということ を分かった。 対話レポート レポートのことをよく分かるために、初めのフォーラムのクラスメートの話しだけではな く、もう⼀一度度ヴァレンティーナ・マシエロさんとベアトリチエ・ヴェットレットさんと⼀一 緒に対話をした。 話題 1:⽇日本芸術とヨーロッパ芸術と⽐比べることについて ヴァレンティナさん:⽇日本芸術とヨーロッパ芸術について意⾒見見は何だか。 私:ヨーロッパならロマン芸術とゴシック様式が⼀一番すきだが、もちろん⽇日本に興味があ って、浮世絵も好き。 意⾒見見をもらって考えたこと:浮世絵が好きな理理由はヨーロッパ芸術と⽐比べると違いだと 分かった。特に、幽霊に興味を持っているから、浮世絵の中に⼀一番好きなジャンルは幽 霊画だ。 話題 2:レポートについて ヴァレンティナさんさん:レポートにはどんな絵や浮世絵師などを挿⼊入するか。 私:私は浮世絵について⼀一般的に書くと思う。でも、それをするために、私の好きな浮世 絵のジャンルと浮世絵師だけを挿⼊入する。 48 意⾒見見をもらって考えたこと:私のレポートだから、私の意⾒見見と好きみに基づいて書きた いだ。 話題3:芸術 ベアトリチェさん:たいてい芸術が好きだか。 私:世界中の芸術が好きだが、⼀一番好きなのはイタリア芸術だ。でも、現代芸術が嫌いだ。 意⾒見見をもらって考えたこと:旅⾏行行中に他の国の美術を⾒見見たら、あの国のいろいろなこと 分かるようになる。 話題4:芸術 ベアトリチェさん:どうして芸術が好きだか。 私:昔の⽂文化や習慣や⾵風景などが⾒見見られるから、私にとって⾯面⽩白いだ。 意⾒見見をもらって考えたこと:古史にも興味があって、絵や記念念碑など具体的に歴史が分 かるようになる。 話題5: ⼿手腕について 質問:絵を書くことが好きですか。絵が書けますか。 答え: 私は⼦子供の頃絵をたくさん書けましたが、今は絵を書くことが嫌いというわけでは ないけど、芸術だったら、他の興味を持っています。例例えば料料理理、ニッティングが好きで す。また、私は⼤大⼈人になった、よく絵を書くことぜったいできないからあまり絵を書きま す。 49 意⾒見見をもらって考えたこと:⼦子供の頃から私の好きが変わった。例例えば⾼高校⽣生の時に漫 画やアニメが好きだったけど、最近はあまり新しい漫画を買う。⼀一⽅方で、浮世絵や料料理理 にもっと深い興味を持っている。 話題6:芸術について 質問: ⼀一般的に芸術が好きですか。 答え: 私は世界中の芸術が好です。しかし、現代芸術が嫌いです。嫌いなの理理由は私にと って現代芸術は意味がありません。時々低俗な芸術ですが、もしろん私の意⾒見見だけです。 質問: ⽇日本芸術だけと思わないで、芸術時代の中にはどれが⼀一番好きですか。 答え: 私はロマン芸術とゴシック様式とルネッサンスが⼀一番好きです。 質問: ヨーロッパ芸術と⽇日本芸術の中に、どちらが⼀一番好きですか。 答え: よく答えるために、絵を探したいからすぐ答えられません。 質問: フランスの印象主義の絵について時々⽇日本の⾵風景があるから何と思いますか。 答え:素晴らしいと思います。ヨーロッパ⼈人から描いたのに⽇日本の雰囲気が表すことがで きました。印象主義の中にモネットの絵が⼤大好きです。 意⾒見見をもらって考えたこと:世界中の芸術が好きみの理理由は旅⾏行行中に他の国の美術を⾒見見 たら、あの国のいろいろなこと分かるようになると思う。私にとって特にこの時代に世 界中に皆が互いに相⼿手の⽂文化と習慣の理理解をするが必要だ。そのため、他の国の芸術も 少し分かるともっと理理解ができると思う。次に芸術で昔の⽂文化や習慣や⾵風景などが⾒見見ら れるから、私にとって⾯面⽩白いだ。古代時にも興味があり、具体的に歴史が分かるように なる。世界の芸術だったら、私はイタリア芸術が⼀一番好きだと分かるようになった。は っきり考えると⽇日本芸術と浮世絵に対してヨーロッパ芸術と⽐比べると私に⾯面⽩白いのこと は違い点だと分かった。 50 具体的に、例例を考えた。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」と歌麿の美⼈人の⽐比べを した。 ⼆二枚の絵を⾒見見たら、「モナリザ」は美⼈人よりもっと美しいと思う。このヒントについて考 えた後で、もうイタリアの美術と浮世絵の⽐比べをして、イタリア美術は⼀一番美しいと思っ た。 バックグランドと書き⽅方と⾊色はもっと詳しくに描いていると思う。 最後に、印象主義について話したら、ヨーロッパ⼈人が⽇日本の絵も描くことができる。逆に、 ⽇日本⼈人の絵画家がヨーロッパの絵を描くことができない。たとえば、これは広⽊木⼩小⽥田とモ ネットの絵だ。 51 52 話題7:浮世絵に興味 質問: 浮世絵に興味を持つようになった頃、もっと詳しくに教えてください。 答え: 私ははっきり覚えられないが⾼高校⽣生の時にトリエステの東洋芸術館へ⾏行行ったこと があって、浮世絵の絵を⾒見見ました。あの頃、もう漫画とアニメのおかげで⽇日本に興味を持 っていたから、好きでした。しかし、あの浮世絵を⾒見見た時にもっと⼀一般的に芸術に深い興 味を持つようになりました。この経験のおかで、⾃自分で芸術が好きを分かりました。 意⾒見見をもらって考えたこと:最初に私は芸術に深い興味を持っていなかったが⾼高校⽣生の 時から、浮世絵を⾒見見て、⺟母の影響を受けずに、⾃自分で「芸術は本当に好き」と考えられ たことを分かった。 質問:浮世絵の絵なら、⼀一番好きはどれですか。 答え:私は特に好きなのはではありませんが、幽霊に興味を持っていますから、私の好き なのは幽霊画です。 質問:浮世師の中にだれが⼀一番好きですか。 答え:私の好きなのは歌麿と国吉だと思います。このポイントについて、レポートにも歌 麿と国吉について書きたいかと聞いました。私はまだはっきり知りませんけど、もっと⼀一 般的に話しょうと思います。理理由はレポートの進展まだ分からないから、今は何を書ける か書けないかと⾔言えないと答えました。もうレポートには絵を挿⼊入すると思うかと聞いま した。私はまだ分からないと答えましたけど、発表の時にもちろんPPに絵を挿⼊入しょう と思います。 質問: どんな浮世絵のジャンルについて話をすると思いますか。 53 答え: 私は美⼈人画や幽霊画や⾵風景画などのような絵を現すと思います。こんなジャンルの 選んだ理理由は⾃自分の好きみと浮世絵の数に基づきます。例例えば幽霊画の場合、葛飾北北斎の 幽霊画の絵を表したいです。 意⾒見見をもらって考えたこと:浮世絵の場合には考えたことは何かにもう興味を持ってい って、あのことを表す浮世絵のジャンルや浮世師が好きだ。例例えば私は幽霊に興味を持 っているから、幽霊画が好きだ。しかし、歌舞伎役者や著名なに興味を持っていないか ら、死絵はあまり好きではない。 話題8:レポートについて 質問: どのコメントが⼀一番役に⽴立立ちましたか。 答え: 私にとって相⼿手はレポートに分からなかったところについてコメントは⼀一番役に⽴立立 ったと思います。 質問:ジャーだのテーマは ツッリアさんは似ているから、⼆二つのレポートは⼀一般に同じだ と思いますか。 答え:私は私のレポートとツッリアさんのレポートはぜったい違うだと思います。理理由は 私が⼀一般的に浮世絵に関してでしたが、ツッリアさんのテーマは⽇日本の芸術です。このこ とから、私のテーマとツッリアさんのテーマは同じではないと思います。たぶん、ツッリ アさんは少し浮世絵について話しましたが、浮世絵はメインテーマではありません。 私がした質問: 最⼩小のレポートにはヴァレンティーナさんは浮世絵の好きみの理理由が分か りませんでした。あのコメントをもらってから、レポートには私はこのポイントはもっと 詳しく説明を書いて直しました。このことから今はヴァレンティナさんが分かりましたか。 答え: レポートの書いて直したところを読んだ後でよく分かりました。 54 意⾒見見をもらって考えたこと:レポートを書くために⼀一番役に⽴立立つことは相⼿手と対話する ことだ。理理由は私にとってもっとはっきり⾃自分のこと考えられる。例例えば、はじめに、 私は⼀一般的に浮世絵が好きだと⾔言ったが、対話をした後で、浮世絵の範囲には別のこと が好きと分かった。たとえば、よく考えると浮世絵師や好きなイメージを表す浮世絵が だけ好きだ。だから、浮世絵の⼀一番⾯面⽩白いのは浮世絵を通して好きなテーマが⾒見見たい で、浮世絵にそんなまで興味を持っていないと分かった。それに、フォーラムにも質問 をもらった。ミリアムさんは私の将来の夢に関してだ。美術に関する仕事を探してみた いだと聞いた。私は美術に関する仕事のアイデアが好きけど難しいだと思うと答えた。 実は将来の仕事のことまだはっきり知らない。エウゲニオさんは私の⼀一番好きな浮世絵 のジャンルが美⼈人画だということが分かると書いた。このことから、このような質問を した。「江⼾戸時代の理理想的な⼥女女性のイメージが現代の⽇日本美術においても出ることがで きますか。それとも、その遠い⼥女女性の描き⽅方はもう現れないものですか」。実は美⼈人画 は私の⼀一番好きな絵ではない。私は江⼾戸時代の理理想的な⼥女女性もうあるけどもっと現代的 だと思う。私にとって⼆二つの例例がある。⼀一番は映画の場合はサクランという映画があ る。⼆二番は写真の場合がアラキ写真家がある。もちろんイメージが違うけど⽬目的は同じ と思うと答えた。キアラさんの質問は卒業論論⽂文に関してもっと詳しい説明を知りたいこ とだ。私の調査は浮世絵に基づく様々吉原の眺めに関してことだ。たとえば、吉原の⾵風 景や桜の花や美⼈人など現したいだと答えた。 結論論 最初に浮世絵が好きになった理理由を書いた。理理由は芸術が好きで、古代時にも興味を持っ て、このような芸術を通じて、昔の⽇日本の⽣生活と習慣が⾒見見られる。だから、私は絶対に浮 世絵が好きだと思ってしまった。しかし、ヴァレンティナさんとベアトリチェさんと対話 をした後で私の意⾒見見が変わってしまった。もちろん、⽇日本の⽂文化と芸術に興味を持って、 当然に、浮世絵が好きで、深い興味を持っていると思ってしまった。 55 対話にはヴァレンティーナさんとベアトリチエさんの質問は必要だった。ヴァレンティー ナさんとベアトリチエさんのおかげで浮世絵に関してもっとはっきりに考えられた。レポ ートを書くために、もらった相談とアドヴァイスも⼤大切切だった。理理由はもらったコメント のおかでもっとはっきりに動機分のところを書き直した。対話をした時にヨーロッパ芸術、 特にイタリア芸術と⽇日本芸術の⽐比べという話がでてきた。この質問を答えるために、何で も絵の⽐比べをしてしまった。もちろん、イタリアの絵も浮世絵も美しいと思う。しかし、 私にとって、あの絵を詳しくにを⾒見見たら、イタリアの美術の絵には浮世絵より細部がたく さんあると思う。それで、書き⽅方と⾊色を描き⽅方は完璧と思う。これは、私の意⾒見見だけでは なくて、皆の考え⽅方だ。私の経験を基にして例例をする。いつでもイタリアと他のヨーロッ パの国の美術館は⽇日本⼈人の観光客でにぎわっている。それに対して、⽇日本のことに興味を 持っていない⼈人は浮世絵に気にしない。例例えば、トリエステには⼤大きな東洋美術があるの に、⺟母の話によるとあまり混んでいる。そのために、浮世絵が⼤大好きを書いたのに、イタ リア芸術もっと美しいと思ってしまった。だから、浮世絵の好きな理理由は違いだ。それで、 私の好きなテーマを表す浮世絵が好きだと分かるようになった。たとえば幽霊画、動物画、 ⾵風景画だけ好きだ。理理由は⽇日本の趣についてだ。私は外国の歴史と⽂文化に理理解することは いいと思うから、浮世絵を通じても、もちろん⽇日本の⽂文化が分かるようになる。しかし、 このような意⾒見見を持っているのに、本当に芸術として浮世絵のジャンルが好きだか。別の ことだろう。だから、私は浮世絵が⾯面⽩白いと思うのに、全部の浮世絵のジャンルに興味を 持っていないと分かるようになった。⾃自分のことをもっと分かるために対話をすることは 必要だった。ヴァレンティナさんとベアトリチェさんと話した後で質問とコメントを聞い て、私の意⾒見見を変わらないわけにはいかないだ。 56 メンバー紹介・あとがき 『アート-様々な形、同じ魅⼒力力』 サラ・コンジュ:ヴェネツィア・カ・フォスカリ⼤大学⽇日本語専⾨門課程2年年。専⾨門は⽇日本語 と⽇日本⽂文学。2012 年年 3 ⽉月から 8 ⽉月まで聖⼼心⼥女女⼦子⼤大学に留留学し、2013 年年 7 ⽉月に神奈奈川⼤大 学の⽇日本語サマーコースにも参加した。⼦子供のころから、⽂文学に興味を持っており、将来 も⽂文学にかかわる仕事に就けたいと思う。 フラーヴィあ・フィオリッロ:ヴェネツィア・カ・フォスカリ⼤大学⽇日本語専⾨門課程2年年。 アニメとマンがのおかげで、⼦子供の時から⽇日本の⽂文化に触れてきた。趣味は絵を描くこと、 ⾳音楽を聞くこと、バイオリンを弾くこと。将来はどうなるかよく分からないが、⽇日本語や ⽇日本の⽂文化を勉強し続けたいと思う。 ヴァレンティーナ・マシエーロ:ヴェネツィア・カ・フォスカリ⼤大学⽇日本語専⾨門課程2年年。 ヴェネジアにある写真屋で仕事しており、ヴェネジアのカ・フォスカリ⼤大学で⽇日本語や⽇日 本⽂文化も勉強している。⽇日本について深い興味を持ち、特に芸術は⼀一番好きなことである。 ツアーガイドになりたいと思うので、そのためで⼀一⽣生懸命頑張っている。 ルイーザ・ミトラン:ヴェネツィア・カ・フォスカリ⼤大学⽇日本語専⾨門課程2年年。⾃自⼰己紹介 をする時に、⽇日本⽂文化に興味があるとよく⾔言うが、その多⾯面的な⽂文化に関して苦⼿手意識識を もっているため、まだいろいろな事を発⾒見見したく、勉強したいと思う。というのは、⼀一年年 ⽣生の時から⽇日本を毎⽇日次第に発⾒見見してきた。これからも⼀一⽣生懸命頑張りたいと思う。 トゥッリア·∙パルマ:ヴェネツィア・カ・フォスカリ⼤大学⽇日本語専⾨門課程2年年。⼦子供の時 からいつでもどこでも本を読んできたが、⼤大きくなってから、美術が好きになった。 偶 然に17歳で源⽒氏物語を読み、⽇日本⽂文化や美学に興味を抱いた。特に、⽇日本美術の関⼼心を 深くした。私にとって⽇日本美術は興味だが、その興味のおかげでいろいろな旅⾏行行をし、素 晴らしい友達を作り、異異⽂文化国で全然忘れられない経験をした。 57 ジャーダ・ゾルズット:ヴェネツィア・カ・フォスカリ⼤大学⽇日本語専⾨門課程2年年。⾼高校⽣生 の頃から⽇日本の⽂文化に興味を持ってきた。 私の趣味はスキーをしたり、料料理理をしたり、 ダンスすること。これからも⼀一⽣生懸命頑張りたいと思う。 後書き 『考えるための⽇日本語』このプロジェクトに参加することになった時に、プロジェクトの ⽬目的はよく理理解できなくて⼼心配していました。特に、どのようなテーマを選べばいいのか とか、どうやって動機をわかってもらえるように説明すればいいのかということに⾮非常に 悩んでいました。ですが、コースが進んでいくうちにだんだんコースの活動が分かってき ました。⼦子供の時からずっと持ってきた興味なら、どうして好きなのかとは⾔言いにくかっ たですが、このクラスの活動のおかげで最初の情熱や関⼼心をもう⼀一度度取り戻すことができ ました。そして、⽇日本語で⾃自分の意⾒見見と考え⽅方を説明するのは難しいという経験もしまし たが、お互いに協⼒力力した結果、だんだんわかり合うようになりましたし、⽇日本語の能⼒力力も 伸びたと思います。また、活動のおかげでインタラクションの最も深い意味もわかるよう になりました。つまり、インタラクションとは⾃自分の意⾒見見を説明したり、相⼿手の意⾒見見を聞 いたりすることだけではなく、相⼿手の⾔言っていることを取り⼊入れ、⾃自分を変えていくとい うことです。以上をまとめると、『考えるための⽇日本語』このプロジェクトに参加して本 当によかったと思います。⽇日本語を勉強する機会になっただけではなく、友達もできて楽 しかったです。将来も同じようなコースを⾏行行ってもらえるように期待しています。 58
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