地球市民教育とメディア・リテラシー教育の可能性 The Global Education

予稿集原稿
研究論文:日本語教育/その他(地球市民教育とメディア)
地球市民教育とメディア・リテラシー教育の可能性
―短編アニメ『つみきのいえ』を用いた双(多)方向的活動の実践から―
The Global Education and Media Literacy Education:
Interactive and Collaborative Learning Activity Using “Tsumiki no ie”
宮副ウォン
裕子(桜美林大学大学院)
要旨
本研究の目的はデジタル社会における言語文化の学習・教育および教師養成の可能
性を探ることである。日本の首都圏にある大学院(言語教育研究)の院生を対象とした講
義科目で、地球市民教育とメディア・リテラシーの理論的枠組みをもとに設計した活動実
践を行った。受講生の学びの過程と成果から得たデータを分析・考察した。その結果、下
記のことが明らかになった。1)留学生院生の 8 割が、メディア・リソースの分析タス
クの過程で、日本語の実際使用に満足感と自己効力感を得、言語アイデンティティの変容
について言及している。2)日本人院生の 7 割がメディアにかかわる知識について自己
の知識の欠如を認識し、留学生の知識の豊富さや意見内容の具体性や論理性の高さを評価
している。3)協働的・双(多)方向的なタスク達成の過程を通して、参加者が対等な立
場で<言語の社会化>を行っており、参加者間の言語能力の不均衡(留学生<日本人院
生)とメディアに関する知識の不均衡(留学生>日本人院生)が相互に相殺されることで
是正されるという傾向が示唆された。
キーワード:
地球市民教育;
協働学習;
1.
メディア・リテラシー;
双(多)方向的活動;
言語の社会化
はじめに
本研究の始まりは、一見関連性がないように見えるふたつのことがきっかけとなってい
る。ひとつは筆者が 2005 年度秋学期より日本の首都圏の大学院で担当している共通科目
『言語習得研究』および『社会言語学』の授業で垣間見る院生たちの言語ビリーフである。
このふたつの科目は、言語教育研究科の日本語教育専攻と英語教育専攻の院生たちが履修
できる共通科目であるが、履修者の約 9 割は日本語教育専攻の院生である。毎年各科目
に 15 名から 20 名の受講生がおり、その内訳は日本語母語話者院生(JS)と留学生院生
(以下、FS)が 6 対 4 前後の割合である。FS の日本語能力はかなり幅があるものの、ほ
ぼ全員が上級レベルの日本語能力保持者である。毎年の講義でスピーチ・コミュニティー
について話す際、筆者は「留学生の皆さんは、バイリンガルかマルチリンガルですね」と
問いかけると、ほぼ全員が目をそらすか、恥ずかしそうにうつむくのである。次に「では、
自分がバイリンガル・マルチリンガルだと思う人、手を挙げてください」と受講生全員に
問うと、FS 数名と JS 数名のうち、手を挙げるのは1からゼロという結果がでる。「では、
留学生の皆さんは自分自身は、日本語学習者、外国語としての日本語話者(JFL 話者)、
第 2 言語としての日本語の話者(JSL 話者)、日本語使用者のうち、どれだと思います
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研究論文:日本語教育/その他(地球市民教育とメディア)
か」と質問すると、8 割以上が学習者と答える。「では、近い将来、学習者から JSL 話者
や日本語使用者になるんですか」と尋ねると、半数以上が「永遠に日本語非母語話者で学
習者」と答えることが多い。ごくたまに「将来努力すれば、JSL 話者程度にはなるかもし
れない」という FS がいる。一方 JS は、海外で仕事や留学の経験がある場合を除いて、
バイリンガル・マルチリンガルだと自信をもって手を挙げる者はいないようである。筆者
の疑問は、FS はプロの日本語教師を目指して日本に留学し修士課程に在籍中であるにも
かかわらず「永遠の学習者(あるいは JSL 話者)」という言語アイデンティティを固持
しようとするのはなぜだろうか、このままで母国に帰り日本語教育専門家として仕事をす
ることが果たして可能だろうか、ということである。
本研究のきっかけのもうひとつは、教師養成課程における大衆文化の位置づけである。
デジタル社会に生きる日本語学習者(以下、学習者)の多くが、日本の現代大衆文化(以
下、メディア・リソース)との接触を本語学習の動機の一つとして挙げているが、実証的
データに基づく研究や大学院教師養成課程における修士論文の蓄積がなぜこのように少な
いのであろうか。ニーズがありながら実証的な研究がなされていないのはなぜだろうか。
これに関しては、さらにさまざまな疑問がわいてくる。学習者は教室内外で、どのように
メディア・リソースと関わり、言語学習や異文化理解を進めているのだろうか。メディア
・リソースは学習者の学習継続にどのような役割を果たしているのだろうか。日本語教師
はこのような学習者の教室内外のメディア体験を適切に把握しているだろうか。教師は言
語カリキュラムの設計にあたって、どのような理論を用いてタスク設計をしているのだろ
うか。教育の実践や評価、成果の分析は行われているのか。
本研究の目的は、デジタル社会における言語文化の学習・教育および教師養成の可能
性を探ることである。地球市民教育とメディア・リテラシー(以下、ML)の理論的枠組
みをもとに設計した活動実践を行い、受講生の学びの過程と成果からデータを収集し、分
析を試みる。考察の結果から、上述のふたつの筆者の疑問についても考察したい。
2.
先行研究
今日、私たちが身を置いているデジタル社会における学習・教育は、参加者が対等な
関係を築きながら、双方向的かつ協働的に学ぶことが求められている(山内 2003)。本
研究の理論的な背景は、地球市民教育とメディア・リテラシー(ML)教育である。前者
の到達目標は、自律的な地球市民(global citizen)の育成(鈴木他 2005)であり、後者
はメディアからあふれ出る情報を批判的に読み取り、倫理性をもったメディアの受け手・
作り手(Buckingham 2001/2006)の育成であると言える。
筆者は単独あるいは共同研究者とともに、第二言語・外国語教育としての日本語教育
においてML育成を目指す授業実践を行ってきた。先行実践研究から、ML理論の援用や
複合的なタスク設計が、参加者間の双方向的かつ協働的な学びを創出するのに有効である
点を実証的なデータ分析から指摘してきた(石塚他 2007, 2008; 宮副ウォン 2010,
2011; 宮副・吉村 2005; 吉村・宮副 2009)。石塚他(2012)では、ML育成に加えて、
地球市民教育の視点から考察を行っている。本稿は、上述の研究成果を、大学院の教師養
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成課程(修士課程)の院生を対象とした授業活動に生かした実践で、収集したデータの分
析から、院生らの学びの過程と成果について考察を試み、これまでの実践研究との共通点
や相違点も指摘したい。
3.教育実践
本研究は、上述の先行実践を踏まえ、首都圏の日本語教育専攻修士課程の「社会言語
学」の講義科目(2009 年度および 2010 年度)で行った活動実践の報告である。受講生は
修士課程院生で合計 45 名(日本語母語話者 29 名;留学生 16 名)であった。
3.1
講義科目『社会言語学』のシラバス
本稿で取り上げるのは、筆者が A 大学院で 2009 年度から 2011 年度まで担当した『社会
言語学』における教育実践例である。この科目の到達目標は下記の通りである。受講生は
科目登録前に、ウェブ上でシラバスを理解し授業に臨む。
①
ミクロ(微視的)社会言語学(micro-sociolinguistics)とマクロ(巨視的)社会言
語学(macro-sociolinguistics)における主な理論を学び、ことばと社会のかかわ
りをクリティカルに観察・記述・分析・考察できる。
②
言語教師として、現場の教育実践に社会言語学的理論や考察をどのように生かすか、
他の受講生とともに協働的かつクリティカルに討論できる。
③
受講生は個人やグループで、文献講読の発表や討論を、双方向的かつ協働的に行う。
④
言語教師として、メディア・リテラシーの理論と実践を学び、教育現場に応用するこ
とができる。
⑤
最終課題としてミニプロジェクトを計画・実行し、レポートにまとめる。他の受講
に向けミニプロジェクトの考察結果を発表し、協働的に討論活動を執り行う。ミニ
プロジェクト推進の具体的な方法は、受講者が興味を持つ社会言語学関連のテーマを
選択し、研究課題を設定し、データを収集し、実証的かつ論理的に課題を解明する。
3.2
授業内容
上述の講義科目の目標を達成するために、授業内容は<理論>と<実践・応用>を 6
対4程度の割合で設計した。<理論>についての講義のあとで、受講生はグループワーク
ショップ(以下、GWS)の形式で、<理論>を理解するために、具体例を挙げたり、討論
をしたりという多様なタスクに協働的に取り組む。その過程を通して、受講生は理論から
<実践・応用>の方法論を身につけ、最終的なタスク(口頭発表、レポートなどの成果
物)の作成を行う。筆者が担当した 2009 年度と 2010 年度の2回の授業では、到達目標
④に関わる活動として、短編アニメ『つみきのいえ』のメディア分析、および、テレビ
CM のメディア分析のふたつの活動を行った。本稿では、前者の活動にかかわる受講者の
学びと評価について論じる。
授業活動は講義(クラス全体)、グループ・ワークショップ(以下、GWS)、個人課題
の作成により構成されている。活動内容は1)ML の理論を講義を通して学ぶ(クラス全
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体)、2)メディアに関する身近な例を挙げ、ML の理論に沿って分析・討論する
(GWS)、3)短編アニメ『つみきのいえ』(オリジナル版、および日本語ナレーション
付き)の視聴(クラス全体)、4)ML 理論に基づき『つみきのいえ』を分析・討論する
(GWS)、5)分析結果をクラス全体に口頭で発表する(GWS⇒クラス全体)、6)ワー
クシートの記入と提出(個人課題の作成;教室外活動)などの複合的タスクにより構成さ
れている。分析対象としたデータは受講生 45 名が提出したタスクシート、討論の観察、
聞き取り調査のデータであった。
3.3
メディア分析のワークシート
アニメの視聴後、受講生は GWS を経て、下記のワークシートに記入し、担当教師(筆
者)に提出した。
【第1部】
メディア分析
1)この短編アニメについてどう思いましたか。
ろ、面白かったところはどこでしたか。
理由は?
一番印象(いんしょう)に残ったとこ
2)「つみきのいえ」というタイトルはどんな意味でしょうか。何かを象徴していると思
いますか。
3)このアニメのテーマは
何でしょうか。
4)友達にこの映画を勧めますか。【☆☆☆☆☆】で表示してください。友達に紹介する
ときに、この映画の内容をどのように紹介しますか。 話しことばで書いてくださ
い。友達がアニメを観たくなるように(説得できるように)「勧める理由」も書いて
ください。
5)このアニメの内容はすべて、「虚構(きょこう =fiction)」だと思いますか。あ
るいは「虚構」の中に、「人生の普遍的なこと」が描かれていると思いますか。どん
な「普遍的なこと」が描かれていると思いますか。
6)「オリジナル版(ナレーションなし)」と、「ナレーション付」では、どのように、
違うと感じましたか。
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研究論文:日本語教育/その他(地球市民教育とメディア)
7)このアニメの娯楽性、芸術性について、どう思いますか。
映像、色彩、形、BGM(どんな楽器か、どんな音楽か)、効果音(水音、ワインを
注ぐ音、グラスの乾杯の音・・)などから、考察しなさい。
8)この短編アニメが、2009 年度の「オスカー
と思いますか。
短編アニメ賞」を受賞した理由は何だ
【 第2部】教室活動の設計(実践・応用のための視点)
9)このアニメを、リソースとして、使いたいと思いますか。理由を書いてください。
(
)はい
(
)いいえ
理由:
10)このアニメをリソースとした教室活動を、提案してください。5W1Hで簡潔に記述
してください。
4.分析と考察
分析と考察の結果、次のことが明らかになった。1)メディア・リソースの真正性と
地球市民の育成の関連性、2)メディア・リテラシー理論の援用とその効果、3)複合的
タスクの効果(ML 理論を基盤とする内容重視・参加者主体のタスク、多様なタスクタイ
プの組み合わせによる活動設計、インプット型とアウトプット型の組み合わせなど)、
4)参加者の編成の多様性の効果、5)成績評価の多様性の意義、6)タスクの達成過程
(プロセス)と成果物(プロダクト:レポート作成)の関連性、7)ML と生涯学習の関
連性、8)<言語の社会化>の機会の創出と参加者の学び、9)日本人院生と留学生間の
言語上および専門知識にかかわる不均衡の是正の意義など。考察結果の中で特筆すべき3
点について述べる。第 1 点は、留学生の 8 割が、これまで自己の日本語能力に自信がも
てず消極的な参加をしていたが、本活動では実年齢にふさわしい意味のある課題(内容重
視のタスク)が達成でき、メディア・リソースの読み取りを通して、日本語の実際使用に
満足感と自己効力感を得たと述べている。「学習者」から「日本語使用者」「(非母語話
者)日本語教師の(卵)」へとアイデンティティの変容についての言及した記述も多かっ
た。第 2 点は、日本人院生の 7 割が、メディアにかかわる知識について自己の知識の欠
如を認識し、留学生の知識の豊富さや意見内容の具体性や論理性の高さに圧倒された点を
指摘している。第 3 点は、協働的・双(多)方向的なタスク達成の過程を通して、参加
者が対等な立場で<言語の社会化>を行っていることが分かる。すなわち、留学生は<第
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研究論文:日本語教育/その他(地球市民教育とメディア)
2言語としての日本語による社会化>を、日本人院生は<第1言語(母語)による社会化
>を行い、参加者間の言語能力の不均衡(留学生<日本人院生)とメディアに関する知識
の不均衡(留学生>日本人院生)が相互に相殺されることで是正されるという傾向が示唆
された。
5.まとめと今後の課題
上記の考察から、地球市民教育とML育成を目指したこの教育実践は、受講生全員に
様々な学びをもたらしていることが明らかになった。留学生の言語ビリーフの変容と将来
日本語教育の専門家として生きる職業的なアイデンティティの形成が示唆された点は意義
深い。一方、日本人院生は自身がもつ母語話者としての日本語能力に加え、専門的な知識
(本研究ではメディア・リテラシー、メディアを利用した教室活動設計など)を理論的に
理解し、実践能力として獲得することが緊急課題であることに気づいたことが、本実践に
おける大きな学びであったと考える。留学生と日本人院生が協働的かつ双(多)方向的に
活動に参加し、問題の発見や解決について討議するグループ・ワークショップの有効性も
示唆された。
グローバル化が進む今日、日本語教育・日本語教師養成課程がめざす目標のひとつ
として、メディア・リテラシー能力を有した自律した地球市民(母語話者、非母語話者、
学習者、教師)の育成であると考え、本稿の教育実践活動をその一例として提案したい。
【参考文献】
石塚美枝・宮副ウォン裕子・守谷智美(2007)「参加者の多文化・多言語背景をリソー
スとして生かした授業実践―メディア・リテラシーの育成を目指す『現代大衆文
化』」『ヨーロッパ日本語教育』12,162-168.
石塚美枝・守谷智美・宮副ウォン裕子(2008)「メディア・リテラシーを育てる『現代
大衆文化』―参加者の多様性・多文化理解を促す日本語授業実践―」『桜美林言語教
育論叢』4,15-24.
石塚美枝・宮副ウォン裕子・守谷智美(2012)「メディア・リテラシー育成をめざした
『現代大衆文化』の授業実践―メディア社会に生きる市民としての学習者の学び―」
『2012 年度日本語教育学会秋季大会予稿集』55-66.
菅谷明子(2000)『メディア・リテラシー』岩波書店
鈴木みどり(2001)『メディア・リテラシーの現在と未来』世界思想社
鈴木崇弘他(2005)『シチズン・リテラシー
ること』教育出版
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社会をよりよくするために私たちにでき
予稿集原稿
研究論文:日本語教育/その他(地球市民教育とメディア)
宮副ウォン裕子(2004)「教室内と教室外の活動をどう結ぶか‐香港の経験から‐」日
本語教国際研究大会,
シンポジウム1『2004 年日本語教育国際研究大会予稿集
冊』 10-15. 日本語教育学会(昭和女子大学,
本
2004 年 8 月 6 日―8 日)
宮副ウォン裕子(2009)「広義の言語教育評価を考える」『言語教育評価研究』1,62-72.
宮副ウォン裕子(2010)「「ヴァーチャル映画討論会の言語の社会化-2003 年~2009 年
の実践の振り返りと理論的枠組みの検証-」パネル発表(岩本尚希、鹿目葉子、三國
喜保子・宮副ウォン裕子)「ヴァーチャル映画討論会における言語の社会化‐ネット
ワーク時代の言語使用から言語学習・言語教育を考える‐」において 4 編の論文を
発表『2010 年度日本語教育学会春季大会
予稿集』pp.56-69.
宮副ウォン裕子(2011)「メディア・リテラシーの育成を目指す協働的タスクと授業実
践―短編アニメ「つみきのいえ」を使って‐」英国日本語教育学会 2011 年度学会
宮副ウォン裕子・吉村弓子(2005)「ヴァーチャル教室の「日本の社会・文化」にかか
わる意見の調整」リタ高橋李玉香他編『日本研究と日本語教育におけるグローバルネ
ットワーク
第2巻
日本語教育』香港城市大学・香港日本語教育研究会.281-292.
山内祐平(2003)『デジタル社会のリテラシー―「学びのコミュニティー」をデザイン
する』岩波書店
吉村弓子・宮副ウォン裕子(2009)「日本と香港をつなぐヴァーチャル教室の映画批評
―異文化理解における映画の効用と外国人留学生の役割―」『北海道言語文化研究』
7,29-40.
Buckingham, D. (2003). Media Education: Literacy, Learning and Contemporary
Culture . Oxford: Polity Press & Blackwell Publishing. (日本語訳:鈴木 みど
り(2006)『メディア・リテラシー教育―学びと現代文化― 』世界思想社)
Ontario Ministry of Education (1989). Media Literacy: Resource Guide. Ontario,
Canada; Queen’s Printer for Ontario.
(日本語訳、カナダ・オンタリオ州教育
省編・FCT(市民のテレビの会)訳(1992/2002)『メディア・リテラシー―マス
メディアを読み解く』リベルタ出版
Pike, G. & Selby, D. (1988). Global Teacher, Global Learner . Hodder and
Stoughton Ltd. (日本語訳:中川喜代子監修・阿久澤麻理子訳(1997)『地球市民
を育む学習』明石書店)
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