私に「歯科」できない人生 - エイチ・エムズコレクション

し か
私に「歯科」できない人生
エイチエムズコレクション 月刊インタビューNo.4
2013.3 月
左利きの私にも出来たのだから、あなたにも必ずできる。
エイチエムズコレクション所長 歯科衛生士 福田知恵子 さん
エイチエムズコレクションの事務所で、所長として様々な仕事を整理整頓。
全国各地のクリニックやセミナーでは、衛生士への細やかな技術指導。
小柄ながらパワフルな働きぶりに、周囲からの信頼が厚い福田知恵子さん。
訓練と苦労を乗り越えた彼女だからこそ、人を勇気づけられる言葉がありました。 (インタビュー&文 フリーアナウンサーAki 栂安亜紀)
「資格を持つ」ということが身近だった幼少期
鳥取県で生まれ、3歳まで東京に住み、横浜で育ちました。兄、姉がいて私は末っ子でした。
末っ子のせいか泣き虫で寂しがりや。泥巡ごっこで兄たちと一緒に遊び、追いつく事が出来ず
よく泣いていました。
母は鳥取初の女性放射線技師、祖父は薬剤師でした。祖父が年齢を重ねても働いている姿を
みて、資格を持つ強みを幼少期から身近に感じていました。
高校2年生。進路選択の時に、歯科衛生士という仕事があると友人から聞きました。
思い返せば、昔からかかりつけ医院で働いていた歯科医師と衛生士の方が優しく、
歯科医院が嫌いではなかった私。その頃、歯の悩みを抱えていた父の姿を見て、
口の中の健康について自然と興味が湧いていました。
そしてずっと抱いていた“将来は人のために働ける仕事がしたい”という気持ち。
「自分の想い」と「歯科衛生士」という仕事がゆっくりと重なっていくのを感じました。
左利きの自分。右手で訓練し、苦手を克服
鶴見大学短期大学部歯科衛生科へ。楽しみにしていた実習の授業。
顎模型にワクワクしたのも束の間、左手が利き手の私に、先生が一言。
「スケーラーは、右手で持ちなさい。」
ショックでした。その後、家でピンセットを右手で持ち大豆を掴む練習をしたり、鉛筆を
執筆変法で持ち文字を書く練習などをしました。180人の同級生のうち、左利きは2人
だけ。それはそれは苦労しました。
そんな自分も、今では人に指導する立場になりました。これまでは、左利きの私はちゃんと
器具を持てない。でも右利きの人は皆出来ると思っていたのです。でも、実際は違った。
右利きの人でも、苦手な人がいるとわかったのです。だから私は言います。
「左利きの私でも出来たのだから、あなたにも出来る。努力すれば、必ずできる」と。
多くの人と関わる仕事へ
衛生士学校卒業後は、開業医のもとで働きました。先生一人に自分一人。衛生士業はもちろん
受付も掃除もすべてこなしました。先生は当時50代半ば。5、6年後に閉院する可能性を示
唆された時に、20代半ばの私は自分の将来が不安になりました。もっと多くの人と関わって
仕事をしてみたいという気持ちもあり、悩んだ末、辞表を提出しました。
その後、たまたま足を運んだエムズのセミナーがきっかけで勉強会にも参加する
ようになり、本気で仕事に取り組む先輩方に刺激を受け、仕事がさらに楽しくな
ってきました。そしてエムズで本格的に活動するようになりました。イベントで
の歯ブラシの説明など多くの人と関わる仕事は、とても新鮮に感じました。
ネパール初の衛生士インストラクターを育てる
29歳の時ボランティア活動として、ネパールに衛生士の技術指導にいくという機会があり
ました。ネパールでは当時、衛生士という仕事が出来たてホヤホヤで、指導できる人がいな
かったのです。あまり得意ではない英語を使って、現地の衛生士学校で必死に教えました。
手応えはあったものの、自分がいつまでもここにいられるわけではない。
だから、ネパール人の指導者を作るべきだと、学校の理事長に訴えました。
その頃、あるネパール人の学生が、私の帰国前に言ってくれた
言葉を今でも覚えています。
「私はあなたを尊敬している。あなたのようになりたい。」
ネパールでお世話になった皆さんと
その言葉を胸に翌年2度目の渡航。今度は、衛生士として働いて
いる病院のスタッフを、指導者にするべく指導しました。
ネパール人指導者が自国の衛生士を育てるというシステム。
それが形となり、ネパール初の衛生士インストラクターが誕生
する時が来ました。それは、私に「あなたのようになりたい」と
声をかけてくれた、あの学生でした。
嬉しかったです。私の衛生士人生の中で大きな出来事でした。
ネパールの学生と日本の学生の、一番の違い?
ハングリー精神ですね。これで仕事をしてお金をもらうのだとい
う意識の高さ。テキスト一冊すら満足に与えられない環境の中、
自分でテキストを作る人もいましたから。皆、一生懸命でした。
歯の一本一本に、その人の人生が詰まっている
歯科衛生士という仕事は、確実に人の役に立っていると思います。
歯周病の人が「きんぴらごぼうが食べられるようになりました」とふっくらしたお顔で
報告してくれた時。70すぎの患者さんがグラグラな歯にこだわりながらもケアを続け、
数年後に「満足しました」と歯を抜き、笑顔で帰った時。歯の一本一本にそれぞれの人の
人生の重みを感じます。歯を大切にし、健康増進のお手伝いができるという衛生士という
仕事。確実に人の役に立つことの出来る仕事です。
今は、直接患者さんと触れ合うのではなく、触れ合う衛生士をサポート
する立場。衛生士が元気であれば患者さんの笑顔に繋がる。そう信じて
共感できる仲間を増やし、さらにレベルアップしたいと思っています。
2
<あなたに「歯科」ない人生を記事にしてみませんか?お問い合わせは
[email protected] まで>