「リワークはもちろん、うつ病予防にも運動療法の導入を」―― No.43

No.43 January 2014
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リワークはもちろん、
うつ病予防にも運動療法の導入を
早稲田大学スポーツ科学学術院
教授 内田 直 先生
うつ病の運動療法が注目され始めている。うつ病の急性期には安静が求められるものの、回
復期には適度な運動負荷をかけることで、回復が早まると考えられるからだ。でも、それはど
ういうことなのか。今回登場いただいたのは、早稲田大学スポーツ科学学術院教授の内田直先
生だ。すでにリワークにおいて運動療法を導入して成果をあげつつある内田先生は、
「運動療
法はまだまだ詳細な検討が必要だし、未解決の課題は少なくない」というが、
「運動療法は生
活習慣病の予防はもちろん、うつ病の予防や睡眠障害の改善など、健康を維持するための予防
的な効果が期待できるので、きちんとした形で普及させていきたい」ともいう。
■運動療法はうつ病治療に
効果があるとする論文は多いが ...
研究で、1979 年のことでした。43 名の女性のうつ
病患者を3群、つまり、高強度の有酸素運動をする群、
ストレッチ程度の運動だけを行う群、そして何もしな
――内田先生はどのようないきさつでうつ病の運動療
い群に分け、10 週間の介入後の変化を比較しました。
法にかかわるようになったのでしょう。
結果は、高強度の有酸素運動を行った群は、他の群に
内田 私は大学を出て医師免許をとった後、東京医科
比較して有意に主観的なうつ症状が改善したというも
歯科大学の医局に入ってヒトを対象とした睡眠研究を
のです。
始めました。1990 年から2年間、カリフォルニア大
有酸素運動ではなく、無酸素運動ではどうなのかと
学にも留学しましたが、主にやっていたのは基礎分野
いうことは、1989 年にマルティンセンが 99 名のう
の研究で、脳波分析や PET を用いた睡眠障害の研究
つ病患者を対象として研究しています。結果は、心肺
です。
機能は有酸素運動群のみで改善していますが、うつ状
そして 2000 年ころから、障害者スポーツについて
態は、無酸素運動群と有酸素運動群の両群で優位に改
の研究も始めました。その関係で、2003 年に早稲田
善したといいます。
大学に移り、運動と睡眠の関係、アスリートの睡眠と
その後も、
いろんな研究が行われてきたわけですが、
生体リズムなどの研究に取り組むようになり、その流
全般的には中程度以上の強度による運動療法がうつ病
れでうつ病の運動療法にもかかわるようになったとい
の治療法として効果があるとする論文が多いですね。
うわけです。
ただ、こうした研究は、被験者数が限定されています
――うつ病の改善に運動が効果があるというのは、い
し、さらに言えば身体運動だけがうつ症状の改善に貢
つごろから言われ始めたことなんでしょうか。
献しているのかははっきりしていない面があります。
内田 うつ病の運動療法についての研究は、1980 年
というのも、2007 年にブルメンタールらが行った
ころから行われています。最初は、ハースらが行った
研究で、興味深い結果が出ています。この研究の被験
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けではないんです。
具体的には、うつ病の神経障害仮説という仮説があ
って、そこでは、ストレス状態が続くとコルチゾール
のようなグルココルチコイドの値が上昇し、それが中
枢性のグルココルチコイドレセプターに対して機能障
害を起こさせるのではないか。そして、それがうつ病
の根本的な原因となっているのではないか、という考
え方があるんですね。
BDNF というのは、神経栄養因子と日本語で訳され
るように、神経細胞の生存や成長、修復にかかわって
いるとされますので、運動によって BDNF が増加する
内田 直氏
1983 年、滋賀医科大学医学部卒業。東京医科歯科大学神経
精神医学教室入局。1990 年から 2 年間、カリフォルニア大
学ディビス校精神科客員研究員。2003 年 4 月より現職。精
神科専門医。日本睡眠学会認定 睡眠医療認定医。日本体育
協会認定 スポーツトクター。日本スポーツ精神医学会理事
長、日本睡眠学会評議員、日本臨床スポーツ医学会評議員。
と、グルココルチコイドレセプターの機能障害が改善
されるのではないか、
うつ病を改善するのではないか、
というように考えることはできます。
でも、
それが実証されたわけではありません。ただ、
BDNF というのは脳の機能に大きくかかわっていて、
うつ病との関係も深いと考えられていますし、昨今の
者は 202 名で、約 3/4 が女性でした。被験者は、①
いろんな研究成果を総合してみると、そう考えられる
身体運動を検者の管理のもとで行わせる群、②同程度
ということですね。
の運動を自宅で行うよう指示した群、③薬物投与群、
――なるほど。
④プラセボ(偽薬)投与群に分けられ、被験者らには
内田 エビデンスをベースにしようとすると、すごく
自分がどのような研究にどうかかわっているかの情報
難しいんですよ。たとえば、抗うつ剤の治験でも、プ
をブラインドにして行われました。介入期間は 16 週
ラセボの効果を抜くっていうのはなかなか難しい。だ
間でしたが、結果はプラセボを含めたすべての群で優
から、うつ病に対する効果として有意な差、有意な効
位な改善が認められたというものです。
果を結果として示すこと自体が非常に難しいんです。
ですから、運動療法についてまだまだ詳細な検討が
うつ病ではないか、と疑われる従業員を会社は休ま
必要ですし、どのような運動処方をどのくらいの期間
せますよね。でも、本人は医者に行きたくないから、
行えばよいのかなど、未解決の課題は少なくないとい
受診せずに休養をとり、それで良くなっていくことも
うことになります。
ありますよね。そんなことから、クリニックを受診し
■うつ病に対する効果測定は難しい
て薬を飲まなくたってうつ病は治る、と考える人がい
るかもしれないですよね。
――運動が脳の活動に与える影響ということの研究と
でもそうはいっても、受診して治療した方が回復が
いうのはどうなんでしょう。
早いとか、重症化が避けられるとか、いろんないい面
内田 研究はされていますが、まだはっきりとはわか
があると考えられるし、実際にぼくもそう考えている
っておらず、
いろんな仮説があります。そのなかでは、
わけだけれども、これを実証しようとすると、かなり
BDNF……脳由来神経栄養因子が運動によって増える
大がかりなことをやらないと、効果があると言えるだ
ということが言われていて、それが関係しているのか
けの結果は出てこないでしょう。
なという気はしますが、十分に明らかにされているわ
それからもう1つ、うつ病自体がヘテロジーニアス
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な疾患、原因がよくわからない疾患ですね。同じよう
とにも非常に興味があります。
な症状を呈するということでひとくくりに「うつ病」
もし可能であれば、会社レベルの生活習慣病予防の
という診断名がつけられますが、でも実際には多くの
一環にうつ病予防も組み込んで、運動プログラムを導
サブグループで構成されている可能性もあるわけで
入すると。そして、血糖値が下がったとか、血圧や体
す。そうすると、あるサブグループにはある薬が効く、
重が落ちたとか、そういうデータと一緒に、気分が改
あるサブグループには運動療法が効く、また別のサブ
善したかどうか、やる気が出るようになったか、睡眠
グループには別の治療法が効く、というようなことも
の質が改善したかどうか、ということを検証して運動
あり得るでしょう。
療法の効果を調べていきたいですね。
ところが、現状ではそうしたサブグループに分けら
気分や睡眠を指標にするのは、明らかにそれとわか
れているわけではありませんし、うつ病に対する効果
るうつ病尺度よりもそのほうが受け入れやすいと思う
ということになると、ひとくくりの「うつ病」に対し
からですが、最初のチェックで気分がすぐれず、睡眠
ての効果が問われてしまいます。
も乱れているということであれば、こういうプログラ
■エビデンスを蓄積し、
うつの予防に活かしていきたい
ムがありますから参加したらいかがでしょうかと勧
め、プログラム終了後に、もう一度同じ設問に答えて
もらって、変化を見るということです。
――いま、内田先生が関心を持っておられることと言
――その際の運動プログラムというは、どのようなも
ったら、どうなるでしょうか。
のでしょう。
内田 運動療法に関しては、保険診療の枠組みでどう
内田 とりあえず、運動はどんな形であれ、やればい
こうしていこうということではなくて、運動療法を診
いと思っています。生活習慣病の生活指導と同じです
療とは別のプログラムとして構築し、そこでエビデン
ね。ただ、言葉で指導してもやらない人が出てきます
スを蓄積していくということが1つですね。
し、それでは意味がないんで、どうやって行動変容を
それからもう1つ関心があるのは、職域におけるう
促すかはいま考えているところです。実際、
「たばこ
つ病の予防ということです。実際、産業医の仕事とし
は体によくないからやめたほうがいいですよ」と指導
て、従業員のメンタルヘルスというのはすごく重要に
して、本人も納得したとしても、たばこをやめられな
なってきていますよね。
い人が大勢いますからね。
たとえば、生活習慣病が健康診断で見つかったとし
ても、すぐに休みなさいということにはならないでし
■動き出しているリワークでの運動療法
ょう。高脂血症があったとしても、仕事ができないわ
――内田先生はリワークに運動療法を取り入れている
けではないし、高血圧症があったとしても、薬をのみ
とおききしているんですが…。
ながら仕事を続けることは可能ですね。ところが、う
内田 ここ(あべクリニック)でリワークのデイケア
つ病の場合、いったん発症してある程度以上の具合の
をやっていて、そのなかにスポーツジムで行う週1回
悪さになれば、休職させなければならないし、労働力
の運動プログラムというのを1年前に取り入れまし
が即座に失われてしまうという側面があるわけです。
た。本当は週3回あるのが理想だと思いますが、スポ
ですから、うつ病になってしまった人に対しては、
ーツジムが週1回しか使えないので、とりあえずの形
早く良くなってもらうということが重要なんだけれど
として始めましたが、患者さんが今まであんまり体を
も、うつ病にならないように予防するということも非
動かしてこなかったことに気づいたり、いろんな気づ
常に重要になってくるだろう、と。そして、その予防
きがあるんですよ。それから、
スポーツジムに行くと、
に関して、運動療法がどれだけ効果があるのかってこ
なんだか運動したくなるような、そういう雰囲気があ
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るでしょう。そんなことで、気持ち的にも前向きにな
内田 いま、巷には、パーソナルトレーナーとか、運
れるとか、反応としては悪くないですね。
動指導やる人はたくさんいるわけですけれども、リワ
なかには「自分はもう運動なんて全然だめだから」
ークとかうつ病予防の運動療法を指導するとなると、
と言う人もいますけれども、デイケアに来ている人の
精神医療についての体系的な知識が必要になりますよ
9割くらいは参加しているんじゃないでしょうか。
ね。実際、そうした知識を持ったうえでないと、専門
――そんなに参加率が高いんですか。
的なことができるとは思えませんし、治療の一環であ
内田 ええ。オリエンテーションをしてから、プログ
るならその治療の枠組みから外れないことが大切にな
ラムに参加いただくんですが、最初に心電図をとり、
りますから、そういうことを理解したうえで運動指導
形成外科的な疾患があるかどうかを確認して、プログ
ができる、ということですね。
ラムに参加できるかどうかをチェックします。それで、
そんなわけで、最初は精神科医とか、看護師とか、
大丈夫であれば体力測定をして、本人に適した負荷が
作業療法士といった医療関係者が中心になると思いま
かかる運動をしていただくというスタイルですね。
す。そうした人たちのなかには病院で運動療法をやっ
ですから、運動プログラムといっても、最初から決
ている人もいるわけですが、ただ自分の専門分野しか
まった運動があるわけではなく、その人の体力レベル
よくわからないということがあるので、もう少し幅広
に合わせてそれぞれ個別の運動を行っていただくこと
く講習を受けてもらって知識を整理し、それで資格を
になります。
とってもらおうと。周りに話を聞いても、資格を望む
――具体的には、どのような運動になりますか。
方は少なくないです。
内田 最初はウォーミングアップから入りまして、
逆に、運動が専門のトレーナーの方は、私のような
20 ~ 30 分の有酸素運動をするというのが基本で、
精神科医の指導のもとで3年間の経験をつまないと資
その中には筋トレのようなものも入ります。有酸素運
格がとれないということで、ちょっとハードであると
動は、主に自転車を漕ぐような運動ですね。
は思います。実際、ちょっとトレーナーとしてうつ病
御社とセントラルスポーツさんらが始められる「ス
の方にかかわったことがある、こういうアドバイスを
ポーツ& EAP 復職支援サービス」(16p 参照)に組み
したらその方はすごくよくなりました、という程度で
込む運動療法も、基本的には同じです。ただ、あちら
は、資格は与えられません。
は週1回という制限はありませんけれども。
さっきもお話しましたように、さまざまな知識が必
で、そのサポートとして、うちの研究室から1人と
要ですし、そうした知識を総合して相手の方に適した
スポーツジムのトレーナーを1人つけているわけです
運動プログラムをつくるということが重要になってき
が、いま、こうした運動プログラムを指導する「メン
ますからね。
タルヘルス運動指導士」という資格を創設するという
――なるほど。それは、運動療法の普及における質の
ことで動いています。
保証ということにもなるわけですね。
■運動療法の質を担保する資格も創設
内田 そうですね。運動療法は睡眠の改善ということ
でも効果がありますから、睡眠改善プログラムの一環
――「メンタルヘルス運動指導士」ですか。
として運動を取り入れる、あるいはうつ病の予防プロ
内田 ええ。これは、かなり実践を重んじていて、精
グラムの一環として運動を取り入れる、といったよう
神医療の講習を受けたうえで、精神科医の指導の下、
なことが当たり前のことのように広まっていくことを
3年以上の運動指導の経験を積んでいただいた方に、
私は想定していますが、そのためには、しっかり知識
日本スポーツ精神医学会で認定する資格です。
と経験を積んだ方が指導していく、ということが重要
――対象としているのはどんな方でしょう。
になりますからね。
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