会社案内 - 片山抜型製作所

型破りな
﹃ 型屋 ﹄が
新しい技術を
お届けします。
USP=Unique Selling Proposition
型にとらわれない片山抜型製作所は、常に一歩先ゆく技術・品質を追求し、間違いのない品質とまったく新しい価値を提供し続けることで、
「型のトータルパートナー」
としてこれからも業界をリードし続けていきます。
これらは、以下の二つの要素により強く約束できるものとなります。
一つ、100年近く日本の型技術をリードしてきた実績に裏付けられる、確かな技術・対応力により、いつでも安心できる品質を提供します。
二つ、営業、設計情報、生産技術、品質管理、工程管理、研究開発が連携して組織的に技術を蓄積して、お客様の問題を多方面から解決します。
私たちは、
お客様の課題解決と安定品質について常に最善を考え、
自信と誇りを持って新しい技術・品質をお届けします。
社長挨拶
私たち、
片山抜型製作所では、
さまざまな挑戦を続けています。
印刷紙器業界において長い実績を持つ当社は、印刷紙器会社を得意先として堅実な発展をしてまいりまし
た。
レーザー光線による加工技術を日本で最初の製作に採用して以来、飛躍的に成長発展を遂げ続けてお
ります。
さらに大学等と連携して打抜、抜型技術の研究、開発を積極的に進め取引先企業各社から大いに
期待されております。お客様の利益を何よりも優先し、従来の抜型のありかたを抜本的に変革していきたい、
という私たちの数々の挑戦に、熱いご支持を頂戴しておりますことを、厚く御礼申し上げます。
抜型の未来は、無限と言っていい大きな可能性に満ちています。
その可能性を追求し、新しく生まれる価値を、
広く誰もが享受できる世界をつくりたい。単に抜型の機能を進化させるだけではなく、皆様の生活そのものを
より豊かなものに変えていくライフカンパニーになること。
それが私たちの目標です。
【次世代の夢と未来を型にする】
私たち片山抜型製作所に、今後も一層のご期待とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
代表取締役社長 片山勇
経営理念
[POS=CS]
理念
1.Progress
2.Originality 【創造(挑戦)】
3.Service
目的
目標
【前進
(成長】
【社会貢献
(活動)
】
4.Continuous 【継続する】
5.Satisfaction【満足(顧客、社員)】
わが社の目指す存在価値
主体性のある個人が、成長し、挑戦し、活動
する、職場環境と企業風土を築くことです。
左図の三つの理念を全社員共有し、強固な
組織の力で市場に働きかけて、継続する顧
客満足から得られる利潤により、社員の
“や
りがい”
“待遇”
“将来性”
“人間関係”
における
満足を追求することにあります。
会社概要
設立
創業
資本金
決算期
株主
役員
従業員
取引銀行
本社
長岡事業所
営業品目
昭和46年6月1日
大正12年
48,400千円
12月
片山勇 ほか3名
代表取締役=片山勇
人数=40名
日本政策金融公庫 みずほ銀行 巣鴨信用金庫 北越銀行 第四銀行
〒162-0813 東京都新宿区東五軒町3-7 TEL.03-3260-6739 FAX.03-3267-6519
〒940-2147 新潟県長岡市新陽1-11 TEL.0258-21-5264 FAX.0258-21-5265
印刷紙器用抜型
(レーザーダイ、
メタルダイ等)
、
ストリッピングツール、
ブランキングツール
会社沿革
大正 12年
創業
昭和 46年 6月
47年
50年
53年
60年
株式会社片山抜型製作所を設立
厚木営業所開設
レーザーダイの製作を開始
本社ビル完成
厚木工場新築移転
平成
東京中小企業投資育成
(株)
の出資で資本金4840万円に増資
メタルダイの製造を開始
長岡技術科学大学と共同研究を開始
共同研究成果に対して科学技術振興事業団の独創的研究成果育成事業によりモデル化実施委託を受ける
長岡市地域産業技術開発事業より新機能抜型の開発補助金を受ける
長岡市の産学官インキュベーション施設に入居して長岡事業所を開設
厚木工場を本社工場へ統合
東京都より経営革新計画の承認を受ける
長岡市新陽に長岡工場を新築。製造・研究開発を集約する
5年 1月
5年 5月
7年
11年 7月
16年 7月
16年 10月
19年 3月
19年 11月
20年 9月
抜型 85 年史ヒストリー
大正3年
大正6年
大正11年頃
大正15年
昭和 4年
昭和 5年
昭和15年
昭和32年
昭和35年頃
昭和37年
昭和40年
昭和47年
昭和49年
昭和50年
昭和55年
浅野3兄弟の一人、水野倶吉の考案による森永製菓のミルクキャラメル紙箱が誕生。上野公園で開催された大正博覧会で従来の
缶入りキャラメルの半額、20個入り10銭で販売したところ、ヒット商品となる。
(抜型は片山抜型製作所の製品が使用される。)
尚山堂が東京紙器株式会社に社名を改称。
陸軍砲兵工廠出身の青木吉之丞(片山抜型製作所、創業者)が、遠い縁戚関係にあたる浅野鐵二の支援を受け、紙器抜型業を創
始する。社名は青木製作所。山の手方面での抜型業の草分けとなる。同じ頃に、北山製作所、森田製作所が日本紙業の田島氏から
技法を学び、木製抜型を創始。
日本紙器が凸版印刷に吸収合併される。
刃物加工をしていた道訳一次が抜型用刃材を開発、生産開始。
青木吉之丞の次女、菊代と片山武(二代目社長)が結婚、青木製作所を継承し、片山製作所に改称。
木材統制で材料難に陥り始めたことから、ベニヤ板六枚合わせの厚合板による抜型製作が始まる。
塚谷刃物製作所が刃の自動加工ラインを導入。中山紙器材料も前後してこれを始めた。
糸鋸機械が急速に発達する。紙器抜型用として三山機工が出した、
「自動ハンク糸鋸盤ジュニアペック一四〇〇」が3百台売れる。
東京抜型工業会発足。初代会長に片山武が選ばれる。
東京抜型工業会初代幹事の生出千代治がコンピューターを組み込んだ「生出式紙器抜型用自動製図機」を開発。
片山抜型製作所が「生出式自動紙器抜型用自動製図機」を導入。
日本初のレーザー・ダイボードカッター機の開発を目的に、
レーザークラフト社が設立される。初代社長に片山勇が就任。
日本初のNEC製レーザーボードカッター1号機が誕生
世界初のサンプルカッター(武藤工業製)が片山抜型製作所で稼働を開始。
主な保有設備
■レーザー加工機 ……… 2台 ■マシニングセンタ …… 2台
■高速立形加工機 …… 1台
■ウォータージェット切断加工機… 1台
■自動刃曲げ機…………………… 6台
■罫線加工機 …………………… 2台