小樽市

後志管内
小樽市
転機迎えた姉妹都市交流
[ニュージーランド・ダニーデン市]
JR小樽駅を出るとすぐ左側の壁にナホトカ−小樽の姉妹
都市を記念したレリーフが描かれている。
1976年(昭和51年)
小樽市は1966年(昭和41年)5月にラム、マトンの羊肉輸
に小樽駅周辺を再開発する際、「友好の壁」として制作され
入港の指定を受けて以来、ニュージーランドと深い関わりが
たものだ。このほかにも市内には、手宮緑化植物園内に「ナ
あった。こういったこともあって、人口、街並みなどが似て
ホトカ・ダニーデン・小樽市姉妹都市友好の園」、小樽市役
いるニュージーランドの都市と姉妹都市提携を結び、相互の
所前庭にダニーデン市との姉妹都市20周年記念植樹があり、
友好親善を深めようとの機運が盛り上がってきた。
同市と市民がいかに両市との姉妹都市交流に篤い気持ちを込
そんな折り、在日ニュージーランド大使館からダニーデン
めているか、を浮き彫りにしている。
市の紹介を受け、80年(同55年)7月、スケッグス市長来樽
時に姉妹都市提携の調印となった。
ダニーデン市は小樽のはるか南方約1万km、ニュージー
2つの姉妹都市のきっかけ
ランド南島の南東岸オタゴ湾の最深部に位置し、人口は約11
[ロシア・ナホトカ市]
万人。ダニーデン市は、オクタゴンと呼ばれる八角形の広場
戦前、樺太や沿海地方をはじめ国内外に多くの航路を開設
を中心に整然とした街並みが特徴で、しかも、同市にあるオ
し、国際貿易港として発展を遂げた小樽市にとって、旧ソ連
タゴ大学はニュージーランドでも最も古い伝統を誇る大学。
との経済・文化の交流促進は永年の念願だった。ナホトカ市
起伏の多い地形、港や歴史などが小樽によく似ている。
は人口約19万人で、小樽市とは日本海を隔てて696kmの距離
で向き合う貿易港。1966年(昭和41年)9月、当時の小樽市
ヨット、絵画―広がる民間交流
長がソ連(当時)を訪問した際、ナホトカ市を訪れ「共同声
明書」に調印し姉妹都市提携をスタートさせた。
両市との提携のきっかけは異なっても、これまでナホトカ
小樽市は、旧ソ連のロシア連邦極東地域(沿海地方、ハバ
市とは39年間、ダニーデン市とは25年間の交流があり、市民
ロフスク地方、サハリン州)と姉妹都市提携を結んだ最初の
の間に着実に姉妹都市ファンを増やしている。
マチとなった。2005年(平成17年)現在、北海道内の市町村
[ナホトカ市]
とロシア連邦極東地域との姉妹都市提携は18組にものぼって
おり、その先駆けとなった同市の先見性が分かろうというも
「市民使節団交流」は66年(同41年)、当時の安達市長がナ
のだ。
ホトカを訪問して以来、小樽市から10回、ナホトカ市から8
回の使節団の相互訪問があり、86年には提携20周年記念使節
団によってナホトカ市へ「友情の鐘」が贈呈されている。
また、
「小樽市民友好の船」によって7
7年、提携1
0周年記念
で約200人、さらに8
2年、小樽市制施行60周年記念事業の一
環として約2
00人がナホトカ市を訪問し、市民交流が深まった。
一方、ナホトカ市側からは79年に「ナホトカ市民の船」が
来樽、以後2年ごとに7回、
300人以上のナホトカ市民が小
樽を訪れ、市内見学や市民交流の夕べなどで両市民の身近な
交流が行われた。
「少年少女使節団交流」は、78年に第1回小樽市少年少女
使節団をナホトカ市内のピオネールキャンプ場に派遣して以
来17回、ナホトカからの少年少女使節団の来訪も8回を数え
ている。前述の「友情の鐘」は、両市の子供たちに「平和と
JR小樽駅周辺を再開発する際、製作された、ナホトカとの姉妹都市
提携を記念したレリーフ「友好の壁」
友情の大切さを知ってほしい」との願いを込めて、ピオネー
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ルキャンプ場に設置されており、次代を担う子供たちの相互
姉妹都市交流事業にも力を注いでおり、1992年(同4年)か
理解の大切さを訴えている。
ら99年までは、ナホトカ市、ダニーデン市、小樽市の3市民
小樽は道内のボートセーリングのメッカとして知られてい
の作品による「姉妹都市絵画交流展」を毎年開催してきた。
るが78年(同53年)、小樽祝津マリーナ所属の4人のヨット
その後も、3市合同の交流事業として、
「姉妹都市児童絵
マンが荒波の日本海を越えて、初めてヨットによるナホトカ
画展」や「姉妹都市写真展」などを催している。複数の海外
訪問を実現した。このヨットマンを暖かく迎えてくれたのが
都市と姉妹提携している市町村にとっても参考になる事例と
アンタレス・ヨットクラブのメンバーで、翌年アンタレスの
いえる。
メンバーが同じくヨットで小樽を訪れた。
このヨットマン同士の交流は、これまで6回の訪問と8回
国際化へのいくつかの試み
の受け入れにのぼっている。日本海を結ぶ港町ならではのさ
わやかなヨット交流に対して、小樽祝津マリーナは86年(同
姉妹都市提携以外にも国際交流を深める試み、イベントは
61年)に両市の姉妹提携2
0周を年記念して、アンタレス・
さまざま行われているが、そのうち主な3つを紹介してみる
ヨットクラブの子供たちに小型ヨット「おたる号」を贈った。
と―。
また、85年「ナホトカ市民の船」が来樽した際、交流の夕
①小樽市では、市民ボランティアの翻訳により、年6回程度、
べで小樽市内のダンスメンバーが特別出演し、イベントを大
在樽外国人向けに市内の催しや制度などを知らせる情報紙
いに盛り上げた。偶然この船にはナホトカのダンス愛好会メ
「OASIS」を日、英、韓、露の4カ国語で発行している。
ンバーが参加していたことから、華麗なステップの競演が実
特に日本語版には総ての漢字にルビをふるなどの工夫をし
現―この出会いがきっかけとなって、市内の小林ダンスアカ
ており、日本語を覚えたての外国人にも好評だ。
デミーとナジェーダ・ダンスクラブとが相互訪問する交流に
②2004年(同16年)、小樽市文化団体協議会は市内に住んで
発展した。
いる外国人を対象に、日本文化体験会を開催し大変喜ばれ
旧ソ連体制下では日ソ間の市民交流を進める上で障害も多
た。今後も書道・茶道・花道など日本の伝統文化に触れる
い中で、この海の男同士の友情やダンスを通しての市民交流
機会を提供したいとしている。
は両市の絆を一層強いものにしたといえる。
③構造改革特別区域制度「ビジネス人材育成特区」
(札幌市
との共同申請)は、夜間大学院への留学生の受け入れにつ
[ダニーデン市]
いて04年6月特別区域に認定された。これにより、小樽商
これまで相互の市民使節団派遣は20回を数え、87年(同62
科大学のビジネススクールでは留学生の受け入れが可能と
年)からは少年少女使節団の相互派遣も始まった。使節団は
なったことで、今後、人材育成や地域との交流を通じて、
各地を回って見聞を広めるが、その中でホームステイが少年
市の活性化や国際化が期待されている。
少女にとっても、受け入れ側のホストファミリーにとっても
一番印象に残るようだ。
2004年(平成16年)は、10人の小樽市少年少女使節団(中
学生)がダニーデン市へ派遣された。待ち受けていたホスト
ファミリーの10家族のうち5家族は、子供が小樽市訪問の経
験のある家庭。思い出話と共に、双方の人のつながり、相互
理解はさらに進んだという。
また、両市は教師交流にも力を入れており、小樽からは中
学校教師10回(18人)、小学校教師3回(3人)派遣し、ダ
ニーデンからは9回派遣されて来ている。これは両市が子供
の交流を進める上からも教師同士が自ら国際交流を体験する
日本文化体験会で生け花を学ぶダニーデンの人々
=2004年
ことの必要性に基づくプログラムだ。
小樽市が当初、ダーニンデン市から英語指導助手(AET)
のしかかる「財政難」
を招請していたころは、教師だけでなく、家族ともども来樽
してもらっていた。家族が一緒に生活することで、市民との
2004年1月、小樽市長を団長とする親善使節団はダニーデ
交流機会が増え、幅広い交友関係が生まれる。これらの市民
ンを訪問し、マスターズ・ゲームズ(10日間にわたり約70種
交流の中から、小樽市民が収集した図書をダニーデン図書館
のスポーツ競技にニュージーランド全土から約7千人が参加
へ贈呈するなどの実質的な交流に発展している。
するイベント)のオープニング・セレモニーに参加するなど
また、小樽市は海外2都市を含む3地域が合同で実施する
親交を深めた。
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激減した。交流事業の縮小だけでなく、04年度からは両市へ
の少年少女使節団の参加者に出していた一部補助金を廃止
し、全額自己負担とした。
負担増も手伝って、05年8月に4年ぶりに実施予定だった
ナホトカ市への少年少女使節団は応募者がゼロで、派遣断念
に追い込まれた。
2003年重症急性呼吸器症候群(SARS)の影響で交流が停
滞しており、小樽市では06年(平成18年)の40周年を節目の
年をどう迎えるか頭を痛めている。
また、資金減によって、国際交流事業の縮小や受け入れ事
ピーター・チン市長がマイクを持って、山田市長が口に手をあてて、
声を合わせて潮まつりを盛り上げた=2005年7月、潮まつり会場ス
テージで
業の人員削減なども避けられないのが実情のようだ。
ただ、小樽の場合は前述してきたように姉妹都市交流は、
長く、厚く、しかも、市民の中に溶け込んでいるのが特徴と
同年7月、今度はダニーデン市親善使節団が来樽、3度目
いえる。
の来樽となったターナー市長から、
「05年秋に小樽と姉妹提
例えば、25周年を迎えたダニーデンの場合は、05年9月ダ
携25周年の際に『ジャパン・フェスティバル』を開催し、日
ニーデン市で開かれた「2005ダニーデン日本祭」の着物展の
本とニュージーランド間の47の姉妹都市提携自治体に参加を
出展に、小樽市博物館が市民に協力を求めたところ、目標を
呼びかけている」ことを紹介された。
100点も上回る約300点の着物が寄贈された。また、25周年記
25周年の節目の年を迎えた05年(平成17年)7月、ダニーデ
念式に合わせ、民間団体の小樽ニュージーランド協会からも
ン市から新市長となったピーター・チン氏一行1
0人が来樽、
40人がダニーデンを訪れた。ナホトカ市との市民交流も歴史
ピーター・チン新市長もまた前市長と同様に潮まつりに参加
を持っている。
するなど、小樽市との姉妹都市提携の継続発展の希望を表明。
小樽市では「財政難で細く、長い付き合いにならざるをえ
同市から25周年を記念して滑り台やつり橋など木製のアスレチッ
ない」とはしているものの、長い交流が産み出した民間レベ
ク遊具が贈呈され、小樽市内の築港臨海公園に設置された。
ルの高い意識が、どう2つの姉妹都市交流を支え、発展させ
同年9月末、返礼として小樽市から、市長を団長に市民を
ていくか―が改めて注目されるといえる。
含む45人の訪問団がダニーデン市を訪問。ダニーデン市が企
画していた「2
005年ダニーデン日本祭」に参加するなど大い
に親交を深め合った。
ダニーデン市との25周年に続き、06年(同18年)にはナホ
トカ市と40周年を迎える。長い歴史を誇る小樽市の姉妹都市
交流は、極めて順当に推移しているように見えるが、実は大
きな転機―曲がり角を迎えているのも事実だ。
その最大のものが、他都市同様、財政難から来る国際交流
事業の縮小だ。
海外との姉妹都市交流を担当している小樽市姉妹都市提携
委員会は全額市の交付金で運営しているが、以前は約2千万
円もあった交付金が、0
5年度には10分の1の1
90万円にまで
熱心にお茶の点て方を体験するダニーデンの女性=2004年
小樽市
!
http : //www.city.otaru.hokkaido.jp/
人口:約1
4万4千人
小樽市は北海道西海岸のほぼ中央に位置し、海、山、
坂道など変化に富み、天然の良港を有し、気候も北
海道の中では寒暖の差が小さい海洋性だ。札幌・ニ
セコ・積丹にも近く、自然環境に恵まれ、1880年(明
治13年)手宮(小樽)―札幌間で鉄道開通、1911年
28
面積:2
4
3.
1
(同44年)小樽高等商業学校(現小樽商科大学)が
開校し、早くから経済、貿易、学園都市としての歴
史を刻んで来た。
国際交流の問い合わせ先
小樽市総務部秘書課
℡(0134)
32―4111