本例は生来健康な 37 歳女性において、精神学的兆候が数か月に及び進

<第 27 回 担当:佐藤英 Case14-2016>
<解説>
【鑑別診断】
本例は生来健康な 37 歳女性において、精神学的兆候が数か月に及び進行した例である。精神症
状はしばしば思春期~青年期早期において発症することが多いが、本例では比較的発症が遅い印象
がある。従ってまずは精神症状が 1 次的な精神疾患によるものなのか、器質的疾患に基づく 2 次的
なものなのかを鑑別する必要がある。精神疾患の家族歴がないことから精神疾患の可能性は低くな
るが、鉄欠乏性貧血、ビタミン異常、甲状腺乳頭癌や体重減少などのさまざまな所見から鑑別を進
める。
① 鉄やビタミンの異常
体重減少については魚や卵しか食べない魚菜食主義的生活、頻回のアルコールの摂取により説明
もできる。また患者が規則的に果物や野菜を摂取しているかどうかはわからないため、われわれの
栄養摂取の認識にギャップがある可能性もある。
本患者は(健康な若年女性と比較しても)鉄欠乏性貧血をきたしている。普段の月経状態がひど
いかどうかはまだ聴取されていない。また魚中心とした食生活から考えるに、食事による鉄の摂取
が不十分とは言えないだろう。いずれにせよ、鉄異常単独では精神症状の説明は難しいと思われる。
本例のビタミン B12 の異常は菜食主義者や、日常的に規則正しくビタミン B12 を含む食事を摂っ
ていない患者においては見られる数値ではある。本患者は若年であるが、悪性貧血の可能性を考え、
内因子を調べる必要もある。しかしながらビタミン B12 異常は感覚異常、平衡感覚異常などの神経
学的異常を起こすが、一般的に精神症状起こすとは考えにくい。
ビタミン D の異常を見るため血中 25 ヒドロキシビタミン D を測定するが、本患者の 10ng/ml の
値はいかなる基準から考えても低い。この値は冬の北米においては珍しいことでもないが、低ビタ
ミン D は精神症状につながりうる。しかしながら、ビタミン D の異常は他の身体的異常もあり、さ
らにこれらの状態異常の 1 次的な原因となりうるかどうかは明らかになっていない。当初、筆者は
ビタミン D 異常が本患者の精神異常の唯一の原因と疑っていたがあくまで寄与因子の一つであり、
したがって、本例においてはまだ考慮の余地があると思われる。
ある患者が鉄、ビタミン B12、D の異常を同時に示すことがある。例えば肥満外科手術後ではこ
れらの異常が進むことがあり、生涯にわたってモニター、補給することも珍しくはない。様々なビ
タミンやミネラルの異常は、腸からの栄養吸収が上手くいっていないことを想起させ他の栄養学的
な異常にもつながりうる。ビタミン異常において精神学的異常、栄養学的異常をきたすものとして
B1 の Wernicke 脳症、B3(ナイアシン)のペラグラ、B6 でも衰弱、歩行困難をきたすが(本患者に
おいてはこれらのビタミンの値はわからないが、)これらのビタミン異常が本患者の精神症状を一
元的に説明することは難しいだろう。
② 体重減少
本患者では体重減少を示している。本患者は母親から完璧主義と評されており、この特徴は神経
原性食思不振症の診断にもつながる。9 ㎏の体重減少は注意すべきで、腫瘍性による影響も鑑別と
して挙がる。この患者では画像検査はされていないが、頭部 MRI などで脳腫瘍の検索を行ってもい
いと思われる。本患者は自分を過食気味と評しているがこれは拒食症よりも過食症を思わせる。
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③ 甲状腺異常
本患者は髪の毛が薄くなったとあるが、体重減少、過食症、髪の毛が抜けることは内分泌疾患を
示唆しており、例えば甲状腺機能亢進症では精神症状もきたしうる。重症の甲状腺機能低下症も精
神症状を起こしうるが、体重減少や過食といった症状は一致していない。
この患者の症状が進行している間、ある内科医は彼女が痩せているのをみて、触診で甲状腺の結
節を同定、生検で橋本病と甲状腺乳頭腫の所見を得たが、これらの所見は精神症状の原因になるよ
うな疾患の一部というよりも偶発的に見つかったものである可能性が高い。甲状腺結節はとてもよ
くみられるもので、痩せていない人に比べ痩せている人ではより同定されやすい。また甲状腺乳頭
種は頻度の高い病気であり、これらだけで精神症状や体重減少を説明するのは難しい。自己免疫性
甲状腺疾患においては、特に家族歴がある場合は症状とした乖離した診断がつくのはよくあること
ある。しかし、自己免疫異常がこの患者の精神症状の鑑別を進めるうえで診断を狭めるのに重要な
役割を果たしていると思われる。
甲状腺を摘出し、レボチロキシンの吸入の増量を行ったにも関わらず本患者の TSH の値は高いま
まだった。レボチロキシンの吸入量を最大量まで引き上げたのに、TSH の値を正常範囲に戻せなか
ったことは吸入がうまくいっていなかったことが示唆される。本患者は鉄、カルシウム、セルトラ
リンを服用しておりこれらがレボチロキシンの吸入を阻害していたことも考えられるが、増量を続
ければ薬物による代謝阻害に関係なく TSH を改善することは十分に可能である。また患者の精神学
的症状抗精神病薬の投与でもなかなか改善されなかったが、器質的疾患に基づく 2 次的なものの場
合や、レボチロキシン同様精神学的治療薬が正しく吸収されなかった場合はおかしいことではな
い。
以上の内容をまとめると、本患者は消化器症状を認めなかったが微量栄養素やいくつかの薬剤の
腸からの吸収不良があったことを示す根拠がある。甲状腺乳頭腫は精神症状に直接かかわりはない
と思われるが、橋本病、甲状腺摘出後に続発するレボチロキシンの吸収障害は、精神症状の原因を
形成する。自己免疫性疾患の家族歴と橋本病に罹患していることはこの患者が自己免疫疾患にかか
っていることを疑わせる。微量栄養素と自己免疫の関係は celiac 病を連想させ、これはしばしば
消化器症状を伴わない。celiac 病に関連する微量栄養素は本例においてすべて当てはまっている
わけではないが、ビタミン異常、レボチロキシンに対する低反応性、橋本病、体重減少などを認め
る。最終的に celiac 病の栄養学的、精神学的徴候は広く知られているわけではないが、celiac 病
をベースに精神症状をきたしたのではないかと思われる。セリアック病を強く疑う場合、血中 IgA
組織トランスグルタミナーゼ抗体を測定し、さらに消化器内科にコンサルし、内視鏡検査、生検も
検討される。
精神学的徴候については感情障害、大うつ病や双極性障害による可能性をはじめに考えたが、感
情障害の症状を示していないため原発性の気分障害は除外される。統合失調症も考えられるが、通
常は発症がもっと若いはずである。月経終了時にも発症のピークはくるがそれにしても本患者は若
すぎる。年齢的には妄想性障害が妥当で、妄想性障害は通常薬物療法は必要なく、投与されても効
果は低い。妄想性障害の特徴としては、単一の妄想(または相互に関連した一連の妄想)を認め社
会性は比較的に良好である。彼女がハンガーストライキを行ったように我々を欺くようなことを行
ったのは、ハンガーストライキを行えば陰謀が終わると考えたためである。この行為が急速な体重
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減少や栄養学的異常に関与している可能性もある。しかし妄想性障害は除外診断であり、潜行する
疾患が精神状態に異常をきたす可能性を除外しないとならない。
【臨床診断】
精神障害(妄想性障害を疑う)を合併した celiac 病
【その後の経過】
celiac 病が今回の貧血、微量栄養素異常、体重減少、ビタミン異常、レボチロキシンへの低反応
性の原因と感がえられた。そして診断の確定は一般的に小腸生検によってなされる。血清学的テス
トは十二指腸生検の有効例を同定する助けとなる。これらの研究に対する一般的な認識として IgA
組織トランスグルタミナーゼ抗体の測定が最も信用の高く、費用も安い検査であり、本患者では
179U/ml(<20)と強陽性がでた。
(Figure1)
次に消化器内科医に celiac 病の精査のために紹介され、上部消化管内視鏡検査が行われ、十二
指腸生検がなされた。病理所見として、絨毛、腸細胞、粘膜固有層を含む組織学的な変化を認めた。
十二指腸粘膜においては絨毛が鈍で萎縮しており、腸上皮細胞の表面は立方/平面になっており、
杯細胞は少なく、刷子縁は菲薄化しており、細胞質内は好塩基性で、極性は消失した所見が得られ
た。腸上皮においての上皮内リンパ細胞数、固有層においてのリンパ形質細胞関連細胞数が上昇し
ていた。CD3の免疫染色では上皮内、粘膜固有層でのリンパ球の増加を認め(Fig1B)、CD8 で染色
を行った場合は上皮内にリンパ球が多く見られた(Fig1C)。また著しい径の延長と増殖を伴う陰窩
細胞の過形成、有糸分裂の増加、盃細胞の減少を認める(Fig1D)。Ki-67 で染色しても陰か細胞の過
形成を認めた。以上の所見は celiac 病の所見と一致する。
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celiac 病の診断を受けた後の経過として、本患者は妄想の影響でグルテンフリー食を拒否した。
精神症状と妄想性障害は残存しており、陰謀の考えは常に残り彼女は仕事を失い、ホームレスとな
り、自殺を試みようともした。結局は家族の協力もあり精神科病院に再入院し、糖質制限食も開始
した。入院してから 3 か月ほどで精神症状は消退した。従ってもし精神徴候が実際には celiac 病
に関係していたとしても疾患は改善してきているといえる。そこで治療効果判定のため再度内視鏡
で、十二指腸生検を行ったところ、正常な鋭い絨毛をもった十二指腸粘膜を認めた。鈍い絨毛や、
絨毛の萎縮、陰窩細胞の過形成、上皮内のリンパ球の増加などの所見はなかった。粘膜の異常の消
失および絨毛の正常化は Marsh 分類 0 に値し、病理的には完治したといえる。
(Figure2)
以上より一旦退院し自宅でのグルテンフリー食とリスぺリドンの内服を継続した。一度は退院し
抗精神病薬も徐々に減量され数か月は症状なく経過した。しかしその間も不注意で糖を摂取するこ
ともあり、精神症状も再発し、血清 IgA 組織トランスアミナーゼ抗体値も上昇しており入院加療と
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なった。現在も患者の IgA 組織トランスアミナーゼ抗体値は高いままで、貧血も再発し、(セリア
ック病によるものかははっきりと断定できないが)精神症状により食事療法の継続も難しくなった
まま経過している。
【Discussion】
Celiac 病の消化管以外の症状は消化器症状よりも一般的で、内科医はセリアック病を疑ったら
IgA 組織トランスグルタミナーゼ抗体を積極的に測定していく必要がある。本例では吸収障害、橋
本病の既往、レボチロキシンの低反応性からを疑い、IgA 組織トランスグルタミナーゼ抗体陽性も
しくは臨床症状から celiac 病を強く疑った場合は消化器内科医師に依頼し内視鏡、生検を行うべ
きである。生検までの間はグルテンを含む食事を続けるべきで、celiac 病の診断がつくまでは安
易にグルテンフリー食を始めてはならない。いったん糖質制限食を始めると、celiac 病かそれ以
外の糖質関連疾患かの区別をすることが難しくなる。もし適切な検査をしないまま糖質制限食を開
始していたならば、遺伝子検査などで、celiac 病の確定診断を行うためにグルテンを再度食事に
取り入れるかを検討する手助けになる。自己免疫疾患の診断が患者の将来の治療方針を大きく変え
るように celiac 病の診断を行うことは不可欠である。
精神症状が celiac 病の診断に役に立つかどうかということに関してだが、celiac 病が精神症状、
神経症状をきたすことは一般的ではない。celiac 病は古典的には消化器疾患に分類され多くは白
人の子供に多く見られるものとされていたが、現在は自己免疫疾患と考えられており、人種、年齢、
臓器に関係なく影響を及ぼすものと考えられている。典型的な消化器症状(下痢、成長障害、体重
減少)は糖摂取後の自己免疫によるもの腸障害が原因によっておこるものと理解しやすいが、
celiac 病の患者の消化管外症状はしばしば説明しがたい。病理に基づく新しい見解として腸から
全身臓器に広がる一連の疾患であるといわれている。別の研究では Celiac 病は神経症状もきたす
疾患であるとも言われている。しばしば患者は慢性的な頭痛、短期記憶障害、不安、焦燥感、抑う
つを示し、より頻度は低くなるが拒食症、自閉症、注意障害、妄想を示す(table2)。
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消化管から脳へどのように影響を及ぼすかの明確な説明はまだないが、この 2 つの臓器の間に機
能的、組織的な関係が密にあることは根拠も多く言われており、これは gut–brain axis とも言わ
れている。
症状のコントロールにはグルテンフリー食が必要だが、精神疾患を伴っている場合は守るのはよ
り難しくなる。また患者は消化器内科医師と管理栄養士にフォローされておく必要がある。
【最終診断】
組織学的には一旦の寛解を示した celiac 病
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