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平成 18年 10月 7日(土)'
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1月26日(日)
月曜日休館(10月 9日は開館)
午前 10時 午後 5時
近世史料館展示室・同二階研修室
金沢市立玉川図書館
近世史料館
はじめに
「文字・活字文化振興法」が平成 1
7
年 7月2
9日に公布 され、文字 ・活字についての関心と理解を
0月27日が「文字・活字文化の日 jとされました 。
深めるため、 1
当館においても、振興法の趣旨に 沿 うべく「文字・活字文化の 日Jに合わせ、文字・活字文化 に
関する展示を開催いたします。
本展示は、郷土における文字 ・
活字文化の歴史を、出版物の中から顧みて、歴史の蓄積を継承
し、さらなる向上 ・振興を計ろうとするものです。
1
5
世紀までの印刷は筆写体を活か した製版(木版)が行われていましたが、天正 1
8年(15
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)に西
9
3
)の朝鮮出兵では朝鮮活字印刷の技術も伝来し、日本印刷史
洋活字印刷が伝わり、文禄 2年(15
7
世紀前期までは活字印刷(古活字本の時代)が主流となってい
の画期をなしました 。これにより 1
ました 。活字印刷の導入により出版は大きく進展し、従来の仏教書(経文など)を中心とした出版
から国書や漢籍の出版が増大しました 。
この後、活字は金属 ばかりでなく木活字が作られ、仮名交じりの筆写体 に合わせた連続活字も
作られ、 1
7
世紀中頃には再び製版印刷が主流 となっていきました 。 この動きは出版業・本屋の出
現・歴史と 一致するものです。
江戸時代も 1
8
世紀の 出版活動は、江戸 ・大坂 ・京都を中心としたものでありましたが、当地金
沢をはじめとして、名古屋・仙台などの地方都市においても活発な出版活動がなされており、出
版の状況を知ることにより地域の文化 を知ることができます。金沢においては江戸時代における
出版活動の盛況はもと よ り、明治時代 に入 ってからも新たな文化 に対応した積極的な出版活動が
見られました 。 出版活動そのものが文化であり、金沢の当時の文化水準が 出版活動の原動力で、
あ
り、出版が金沢の文化を反映しているものといえるでしょう 。
各出版物の出版経緯を見ると、各々時代と社会相 を反映しており、出版物自体が刊行時の歴史
をも物語ってくれています。
本展示から金沢における出版に伴う文化の歴史を感じとっていただければ幸いです。
8年 1
0月
平成 1
[展示内容凡例]
展示史料は金沢市立玉川図書館近世史料館が所蔵するもので、閲覧などの利用が可能なもので
す(寄託品は除く)。
今回の展示においては、郷土の文字 ・
活字文化の歴史ということで、 江戸 時代か ら明治時代ま
での出版物を対象とし、出版物が主題であり、展示史料の分野は多岐に渡ります。
また、出版の歴史を見る上から、金沢以外の出 版物、明治期以降の出版物も 一部展示 しました 。
本目録は、史料を項目に分類し、項 目内は編年配列としました 。 これに対し展示の配列は必ず
しも目録の配列とは一致しておりま せんので、目録の各史料名の前 に記した番号に合わせてご覧
ください。また、今展示の出品物が郷土出版物のすべてではないこともお断りしておきます。
初期 の印刷物・印刷
(郷土出版物以外も含む)
-古活字本一郷土外 ぞうあごんきょう
雑阿含経」第四十二
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276 木活字版
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政文には字様や印工に迷いがあり、政文のみが後に 1
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8年刊 の白山
版といえるものである (金沢市 立玉 川 図書 館 『
近 世 史 料 館 蔵漢籍同 録』図版解説)。
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38 木活字版
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)
刊陪釈智顛撰
慶長年間(1596-1615
しん べん じん こ う さ
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0130 木 版
4 「新編塵劫記 J 2
年(16
41)刊 吉田七兵衛尉光由 著
寛 永 18
「廃劫記 Jの初版 は 寛 永 4年(16
2
7
)に刊 行 され、同 8 ・ 9 ・1
1・1
4年 と版を重ねている 。 その後も版を重ね、 l
明治 までに 4
00回を超えた
といわれる 。
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21 木版
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629)刊 観世左近大夫入道章句付
寛 永 6年 (
江戸 時代以前の謡本は写本が主流で、版行謡本 が 出現するのは江戸時代以降 (慶長期後半)の こ ととなる 。 これは活ア印刷の技術導入と
大きく関わるものであ った。
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多機 な本が附)仮され、元禄 j
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以後活字 版 から製版本に形態を変え、 多 f
刊行されたのが、観↑
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本需は「寛永卯月本 J と称されるもので、奥付には 「 右百喬之本者観位左近大 夫入 道暮閑~句付以 令 加奥書之本 写 之 !竪
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85 木版
6 「唐柳先生新編外集版木Ji同稿本Ji同書 J 1
嘉 永 2年 (
849)刊 唐 柳 宗 元 撰 大 島 桃 年 編 ・ 出 版
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仙世間席全書白骨目.
府抑先生え集四十
五品.
新舗外晶一念附録ニ
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問所(江戸昌 平校)の承認による刊行といえる 。
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7 「十 一面観自在尊略縁起 J 3
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4 版本
天明 6年(17
86) 波着寺祐猛
寺院の布教印刷物
十一面観自在尊略縁起 J 3
2.
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4 一枚(軸装)・版本
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32.
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4 版木
皮着寺の 本尊十一面観音の縁起で、
真言宗の触頭、 i
この 十一 面観音 は泰澄大 師の作と 伝 えられ、書込部分
には阿弥陀如来の化身であるとしている 。
その霊験は帰依者前町利 家 を加越能三州の太守とも
なしたとし、国家鎮畿 の祈願所として、諸災消除 火
防等をな す とする 。
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破邪編 J 1
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2 木版 チラシ版木
明治 16
年刊 冨樫黙恵著 佐 々 木 義 祥 聞 大 谷 勝 縁 題字
静修堂蔵版
金沢仙石町佐々木秀三郎出版
佐々木秀三 郎は大聖寺藩疾の家 に 生 まオし自身も漢方を学び明治1l ~29年金、沢 に住し、 29年から東京に出るが、同38年より再び金沢に住した 。
せいしんろん
はんき
精神論Ji同版木 J 1
5
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8 木版
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明治 30
年刊 著述・発行佐々木秀三郎
印刷東京 三協合資会社
本書の刊行は金沢ではないが、版本と 合わせ印 J
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jについて見るため展示晶とした 。
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金沢市民読本」前・後編「同紙型Ji同写真銅版 J 0
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昭和 3年刊 著 作 金 沢 市 発 行 金 沢 市 教 育 会 印刷明治印刷祢式会社
本書も今同の展示内詳の江戸
明治則l
のものではないが、印 J
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j方法をみるため展示した 。
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1 辞書・便覧類
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六 用 集 J 21
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4 木版
正 徳 5年(17
15)
刊 上 堤 町 三 ヶ屋五郎兵衛板
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膏要覧 -金沢寺院名寄 ・金沢ヨリ 諸方i
町 2・年中行事 ー加州湯本之 [
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[・令沢名方薬有所からなる 。
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要覧年代記 J 0
90-652 木版
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)刊 上堤町 書林三ヶ屋五郎兵衛板
元文元年 (
標題の下に 「
元禄一
│三年炭辰(17
00)改正」とあり、巻末に 「
右七カ係更増補之、 元文元年九月十五日 Jとある 。 これから元禄 1
3年の改正に
先立つ刊行もうかが え る 。 内容は年代 記 ( 年 表 ) の他に、和書年 表 次 5T~ 日己・月日忌 令 などからなる 。
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こう え き え い わ
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広益英倭字典 J 8
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明治 7年 刊 水 午 前 字 版 加 賀 大 屋 慌 依 田 中 正 義
中宮誠之蔵版売捌書庫
金沢上堤町中村喜平
本書は金沢において以初に 1
リuされた]足利下 y
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!である 。成立の状況は序文に、
民国ノットール氏辞古 車国ウエボストル氏辞古・亜同ヘボン氏英利高林集成
などから、、i
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時計や煽師傘を金沢に愉入した人物でもある 。
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新撰字海大全 J 8
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2 木版
明治 9年 刊 八 坂 町 尾 崎 晋三編 安 井 顕 比 序 石 黒 儒書
束 馬 場 町 健 崎 半三 ・森下町供田太七・上堤町中村喜平・安江町近田太平出版
明治則 の i
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治 6{I日 に I~ 堤 IIIJ の知新堂が rlぶ*字書 」 を刊行し て おり、/j>:斉の刊行はこれに次ぐものであろう 。 i布J -tíの I~ 附背
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liî の 二 男で、 イ~沢に l村て侃i -lí 林!可制Iì に学び、務校 l リ11í命平 文学教 日Ili 力n り ・ l 'iJ 助 教子伝などを勤めた 。
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新撰英和字典 J 8
33-15 金属活字版
明治 19
年刊井波他次郎纂訳雲根堂発免
出版人牧野一平
印刷経業堂
;'t fH 堂は牧貯の!汚名 。 経業 Fì~: は小島至Ij将の I?干名 。 ヌト;;!?は) 1
波字典とも通称され、編纂手干
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波は木0.I
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Jで英話唱をiJ日いていた人物である 。
なお表紙の題'子は北方心泉の f!? で、心泉は小山との聞に ~J! 5どがあ っ たという ( 11 1# 匂占 r~llIl
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訂正再版新編字書 J 0
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明治 23
年刊 池田町 三宅少太郎編集
安江町近田太三郎出版
越中町太田文左衛門彫刻
本書は、明治 1
6年 に刊行されたも の を I
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(藩校・学校刊行本含)
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広千字文 J 2
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6 木版
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)刊 清 銭 噺 楼著 悟 淡 富蔵梓 高岡 浩 斎 揃 健 撰 束 林 雪 象書 金沢桜井興三兵衛刊
文政 2年(]8
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四書匪参 J 1
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9 木版
天保 7年 (
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)刊 清 王 歩 青 輯 加 賀 国 学 蔵 板
寛政 4年(l79
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)加賀務は務学校を創建し、 文乍校を r
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命常 Jと称した 。 この I
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行されてい る。
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)刊 明 倫 堂 蔵 版 ( 版 心 に 明倫 堂 蔵 とあり)
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監本四書 J 0
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天保 15
年(1844
)
刊明倫堂訓点加賀国学蔵板
Iril -f!干(1 23 . 8 -11 ) の巻首には r1Jlli~ 1玉l '字 放板Jf 金 沢学校 J
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あり 。
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女四書」元・亨・利・貞 2
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194 木版
嘉 永 7年(18
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)刊 孝 友 堂 蔵 板 嘉 永 6年加賀府助教西坂衷
序
見返しに西坂氏子一友堂蔵版の 印があ る。
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新器測量法」上・下 2
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51 木版
安政 4年(18
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)刊 五 十 嵐 篤 好 著 鳳吟堂蔵板 金沢取次書林上堤 町 八尾屋喜兵衛・上安江町近岡
屋太兵衛彫刻師坂田屋万助
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文久補訂商売往来 J 0
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)
刊 加陽書陣堆文堂梓 加陽金府書房近岡八郎衛門版
文久元年 (861
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歩兵号令詞 J K3-362 木版
慶 応 3年(18
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)改正 壮猶館検閲 知新堂発免
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十九史略 通考 J 2
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明治4年 刊 金 沢 学 校 刊
卜九~略は十八史 H併に元史 を 1JI I えて十九史としたものである 。
かんさよ
かなざわめ l'
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官許金沢名数」完 0
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明治 5年 刊 銅 束 板 本 文 41丁 金 沢 学 校 刊 大屋慌故著 藤田維正序 野崎近葬書
見返し ・序文 は木版摺り で、*火;が針仏,Tj
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刷となってい る。
Lょうがくどく はんはんちょうくに づ(L
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小学読本本朝国尽 J 0
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162 木版
明治 7年 刊 大 屋1
量 的 編 高 橋 富 兄 閲 石川県学校蔵版
せきくちひらきゃく
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関口閲訳幾何初学 J K
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明治 7年 刊 関 口 開 訳 石 川 県 学 校 蔵 版 藤田維正序
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2年 刊 森 町 高 橋 義 盛 編 輯 ・ 出 版 袋町木村勘兵衛出版
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小学読本」を翻去I
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II',版している 。
に司I
1版 者 は 1
M町 石 川{政 義 - 上 坂 1
1
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)中辺久ー l判町野,I~吉信芹 ー 同 111) 土í J) 11 、 I ~ .I
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T池 普 平 ・
佐11歩川山 I
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伝説 の六者で、あ る。 さらに │
リ
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7年には イI川倣主主が 1
5年版を「令沢七 1
1
7
常制
真I
I
Jとして i
リ行している 。
,一九
同町池善平・上堤 l
町石川敬義
本 11
}は明治 7年 改 正 の 師 範学校編 !
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i
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J
.文部省刊 行 の 「
小 γ読本」の i
問主J
I
版。明治 1
5年
、
凶 i,
Lょうがくどくはん
35 r
小学読本 J 0
90-1039-3①・⑤ 木版
明治 14
年間 翻刻人尾張町田中重信・南町野嶋信吉・
右勾4 '
三宅少太郎編輯
益智館蔵版
kz,
叩・
;
34 r
改定加賀地誌略 J 0
9010397 木版
明治 14
年刊 石川県金沢小学師範学校検閲
7dH
‘
,M1 比す 4旬以
勺, 、
i
体 '長 a
m4ixrd
止 M町凶Re引 高荘、吐
お
ん
在
33 r
女のしつけ j 巻ー ・二 1
5
9
.
6
1
9 木版
明治 13
年刊 石川県第一女子師範学校編輯 益智館版
明治 1
2年藤田維正序 同年飯山美亭画
布UFK m T 畦尺 A凡,M 7 一日
間‘ r Lえ寸
同学校監事吉 岡 弥 寿 万 閲 上 新 町 鍵 崎 半二 出版
外Mfiは「女了必携裁縫 問答〉己」とある 。 口絵 は彩色で、丙!毛皮次の向。
-4剣
山T l 一
町
、氏何毒
勝喜著
1
Lんど う
32 r
小学必携裁縫問答 J K
5-40 木版
明治 1
1年刊 石川県第一女子師範学校女教員岡野寿・寺西
L拾うしん L ょう
36 r
修 身 指 要 J K3-247 木版
明 治 15年 刊 穴 水 町 藤 田 維 正 述
広小路通益智館蔵版
37 r
石 川 県 小 学 校 習 字 帖 J K7-172 木 版
明 治 18年刊 編輯・出版石川県師範学校
発行書陣益智館
38 r
小 学 幾 何 教 科書」 上・下 K4-53 序 文 木 版 本 文 銅 版
明 治 18年刊 鈴木交茂閲 問 中 鉄 吉 著 土 師 隻 他 郎 序
菱揮巻書
母衣町(柳遊堂)鍵崎半三 ・南町(観文堂)池
善平 梓
N 新聞・雑誌
明治 4~6 年
1~29 号
)京版は よ
l
'
紙 木版刷り 。 村 I
e,~i 4:次自 I \~!;ji" j
編 集 松 田亮 之助・ 県
1
1
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1
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化新 I
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Jは3
1甘から 「
イI
J
I
I新聞 Jと改組する 。
じゅうしん L
40 r
自由新誌 J KO
127
明治 15~16 年
2 ・ 7~10
.11~28 号
2号刊記ー持主稲垣示
椴編輯長植村石之助
印刷長岩室克敬 校 閲 宮 田 仲 透 恨 本 局 共 詞 社
本紙は政友会系の新聞で、北隙来[
1l
m( Iij-J 治 13~15年)の人々によって発行さ
札制州出 JW
割問剥
かんきょかい か しんぶん
39 r
官許開化新聞 J(復刻版) 091
.0-260
れた 。
か えっ のうしんぶん
14
41 「加越能新聞 J KO明治 17年 2234 ・
2236 ・ 2237 ・ 2239 ・ 2240 ・ 2242~2244号
社主兼 印刷人岡田敦那
編輯加藤真氏発行所広坂通北摂社
|明治 16~26年の開発 FIJ 。
北国新聞号外 J KO-365
42 r
明治 27・28年 石 浦 町 北 国 新 聞 社 発 行
l
i
jl
治2
7年 8灯 51::1の清 |王l に対する宵戦イ11 告の「詔 勅 j 号外をはじめとして、同 28 年 7 月 6 口 r z.n 一 大|啄ヰ~ I日を発す」まで 6
6点。
さんじようしん し
43 r
金 城 新 誌 J 091
.097 KO-133
明治 18~20 年
1~72 号
尾張町雲根堂(牧野 一 平)発行編集和田文治郎印刷広坂通北摂社
本誌は| り l 治 18 年 5 月 9 口の創刊になり、県内最初の文学維誌といわれる 。 ~~根堂牧 野一千は|明治 21 年には 「 北除新聞 j 発行にも関わる 。
かなぎわしんぶん ふ ろく
かなさわはんじよう「
ごろく
芝府廊崎 空 会 津 繋 昌 室 町 持 {
44 r
金 沢 新 聞 附 録 金 沢 繁 昌寿娯 六 j
K7-1208 石版彩色
明 治 35年 刊 金 沢 新 聞 第 五
五号附録 発行・編集酒井篤
太 郎 印 刷 百 千喜政 大 村 金
陽堂石版
発 行 金 沢 新 聞 社 厳 如 春画
イ
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沢
新 聞主j
I年 号 の 附 録。 西 1
1の令沢新聞 +
1
を
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しに商 1
,
1
1'・金沢名所などを巡り、兼六公
振り 1
,
1
1
1
が上がりとなっている 。 令沢ギl
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1
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J
はl
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1
台3
4年
年 3月 には }
J
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r新附l
となり、
より刊行され、 35
3
6作には廃刊となる 。
-5-
い Lかわ Lん ぶ ん ふ 、 ろ く え
45 r
石川新聞付録絵 J 090-1070-38
明治 43年刊 第 322'
号付録 発行兼編輯米原加菟男
発行所南町石川新聞株式会社
本 紙 は 明 治 6~16 年に イが した「 イ 1111 事/[1刈 J とは 別 のものである 。 本紙は l 川 治42~ 大正 5 年 に存した新 IlHである 。
※以上の 他 、当館 に は I明治 Jm の新IlfJ として、 |明 治 2 3 ~ 2 5 4'刊行の「ド 11:1 1 の鈍 J の 222 ・ 2 24 ・ 225 ・ 227~229 .
401η(KO-12) 、 明 治 30~
3
3年刊 行の 「新北陸 Jの 8
46号 (
K0-3
6
6
)を所蔵する 。
新 聞の 刊行は L
I
:戸 時 代 ぶ か ら凡られるが、近代に人ってか らは│リ灯台 2"'1 の「 新聞紙印行条例」 の公 rli 以降の片~,~となる 。 最 初j の 1 1 刊 紙と
なるのは │
り
j
治 3年の 「
横浜1Tf1
1
新I
I
H
Jである 。
社 主 占本次郎 兵衛)が発刊した r
l
洞化新 聞 I
が最初J
のものとなる 。 これは日刊ではなく月 3
1
"1
令沢においては、明治 4作に合沢以新問中 I(
の 刊行で、木版h11
I
J
で
、 半紙 1
0枚 程 を 二 つ折りにした 冊 デ核のものであった 。
V 絵図類
か Lゅうかなぎわよりぷ Lゅうえどにいたる
Lらとむ 1
'さんせん え さ ろ
の
r
46 r
従加州金沢至武州江戸 下通山川駅路之図 J 090-596 折 本 木 版
正徳 2年(]7
1
2
)刊 有沢 永 員 著 金 沢書陣三 ケ屋五郎兵衛梓行
この後、嘉 7
]
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18
51)に「従江 戸千J
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門 者の I
金 城北 1
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封I
Jが江戸 におい て 「
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からは I
従江府全金沢二1
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主l
付r
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日
正1
1
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記 Jが 刊行 され て いる 。
され、刊年は不 明で あ る が 京 都 の 川 林;
三 ケ 屋 は 捉 同l
不 関 門 角 に 居 住 し た 版 JCo Y
T戸
金沢問迫 1
['
図の初の刊行 物 とい え よう
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│
ごM
I
I
I川駅 路ど│究I
J、'
と
久 政 5'q二(1 858) に述勝 1',~,tJ 境著の 「飢 路之鈴 J 、 l ,il 6
このように江戸
え
金沢山の道巾│封│
は金沢ばかりでなく、
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T戸・;;
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百1
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いても
刊行され、その需 !
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さが抑測される 。
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7さいけん F
47 r
江戸道中細見図 J 090-546 折 本 木 版
刊年末詳
加州金沢書林 観 音 町 塩 屋 与三兵衛板
山íj Jl1の道 中 凶とほぼ同ーで 三 カ J-.l J以ともいえるものである 。ご カ附は 17 1止紀末から 1 8 ドニl 紀 1[:' 頃までの 1I ',Jt!>iが fi{U/cI,、でき、 i~~ 照は 18 1 吐紀ぶ
から 1
9
1
+
1紀 初 頭 に 出 版 活 動 を 行 っ て お り 、 本 史 料 の l
J
i
hもこの則問のものとなろう 。
かなさわしヵ,(>ず
48 r
金沢市街図 J 090-280 木版彩色
明治 3年 刊 刊者未詳
l り l 治 3 作 mJ lO灯、てG:沢は wTJljl>f,j 北の 4 郷の行政区に分けられ、
w 割引
114 ~J!li に l カ所、北部!li に 2 カ l 折、
I H 郷に 3 カ所、青1"
7カ所の会所が
設 出 さ れ た 。 本阿はこの状削をノl
、した絵 │
豆│
である 。
49 r
金沢地図 J 090-703 木版
彩色部分は菊弱版
明 治 初 期 刊 刊者未詳
:
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j社版と称され、 J
j
ネ│の所イ
o
也が朱、
I
I
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]J区域が黒で示され、八家など人;身の出敷地には家紋が付されている 。
50 r
小学必携袖珍日本図 J K2-825 銅版
l
明治9年 刊 大屋惜故縮 図 石 川 県 学 校 用 益 智 館 蔵 版 画 京 北 条 龍 山 鱗 発 行書障 堤 町 中 村喜平 ・
安 江 町 近 岡 太平 ・南町 野島信吉
い Lf
,
白わけんかんない f
51 r
石川県管内図 J 大 1
051 石版
明治 1
1年刊 石川県蔵版 大蔵省紙幣局石版印刷
イ
ゴ1
1
1以 城 は │
明治 5年に現千!と I
,
l
i僚 の 1iJJI は::/..能登同の範[J tj となり、 l 明治 9 年には I~I 越巾同とlrI越前 IEI の 7 仰が編入され、現代の石川
県・出山県と祈 ;
1県 の i
位
、l
'
をf
Tわせたイ 1川県 の 県 域 が 形 成 さ れ た 。 本医l
はこの大石川県の県城が灰│
されたものである 。以 降 明 治 1
4作に N
;
j
)
1県、[ri
l
凶作に筒 11
県が誕生し、大イ 1
川』
l
L
のH
寺代が終わる 。
こ Lょっに
い ま え だ な り拍すこうそうそうごぎょうれつず
52 r
故正二位前田斎泰公葬送御行列図 J 090-614 木版彩色
明治 17年刊 下堤 町 秋 菊堂工 出版人印牧政道
13iUi高l:てがあった前 凶 J:j A'{; は | り]治 17" 1~
1)1 に 74 -1'で没した 。
l ìíj 川家においては I~ I 治 7 年 より葬礼を仏式から神式に改めており、本医| は
ド[1式による葬列の│珂l
である 。 斎泰はJ-!
I
}
t
tで、没し同地に地葬された 。
-6-
"L-かわけんかん在いず
53 r
石川県管内図 J 2
2.2-99 銅版
明 治 18
年 刊 石川県令岩村高俊識 田上陳鴻・大屋憧故校正 長田孫二 ・荒井時道製図
.
51
r
石川県管内凶 jの大千1
川県1
1
引にが終了し、現石川県 のl
T
l
域が誕生し、その 1
mの変濯を経て現状の陸!として作成された。
N
o
かがかなぎわきいけんず
54 r
加賀金沢細見図 J 0
96.0-289 石版彩色
明 治 20年 刊 橋場町千場伝三著・版
橋 場 町 山 田 信景発行所
明治 2
0年の刊行になるものであるが、図の形式は江戸 時代 の城
ドIJ
絵凶と同形態をとっており、日I
!:
止に基づく 地形医│
は 明治3
0
年
代からあらわれてくる 。
珂
│1
l
r
I
のう
│
亡点は寺院を表しており、本凶の特長を示す ものとなっ
j 院 以 外 の 地 凶 記 弓 と し て は 、 神 社 水 溜 流 水 ・ 山お
ている 0 3
よび学校が表記されている 。
│
苅の j
)
;
1
凶には"i時の代表的な j
f
f
I
i
.,
没 名所が絵入り で記 され、実
用のみではなく 、名所案内図としての位日付けも できる 。
有者の下羽伝三 は間企;
の凶を 明治 9年に刊行 しており 、本図は
6年にも再刊さ れている 。
同2
かなぎわかいしさん ~t 'f<ねんさい F ょうれつめいさいず
55 r
金沢開市三百年祭 行列明細 図 J 0
90-1098 木版彩色
明 治 24
年 刊 発行・ 編輯・印刷中町田中貞 吉
l
リ
I
i台2
4年をもって開 T
Ii
30
0
"
fというのは、 1592年(文禄元年)を金沢 I
JI
市と捉えての こと である 。 I
r
J
i
年にはイ i
丸義一 ・筒井信 出などの絵
区│
も刊行さ れている 。
かなざわけんろく こ う え ん の
ず
56 r
金沢兼六公園之図 J K6
-999 石版彩色
明 治 38
年刊 印刷・発行白 銀 町 畑 久 次 郎
発売所近八書 房
オ~六|山|は、明治 4 年 r'7;\空間」の名で 一 般公開され、
lfi]
7年に
~ ~ 六公園 j の千'Íとなり、現イ 1,の r 1
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車I
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の名称とな
は公凶化され r
るのは大 l日 3
年の ことである 。l
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何1
1
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0作同指定特別名勝となる 。
1
'1
1に聞け、名声明々とし
│
立1
の序文とちいうべきものに「交通 1
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'り
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観l
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て似り、述近の来遊者、年に 数を附に 、
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iに{
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ふ」とあ り、l
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六公悶の 字;が全 1
1
,
1
1'内なものとなって いっ
た係チがうかが え、こ れに対応して本│到│
が作成された。
この年は口議戦 争の日本海会 1
伎があり 、│明治記念日中前で、
海戦
大祝日券会が開催されている 。
お や ま じ ん じ ゃ Lよ ヲ か く け , > が さ い こ ぶ ん れ L、みこ L
と
rょ5ょうれつ
57 r
尾 山神社昇格慶賀祭御分霊神輿渡御行列 J K1
1
9
0 木版彩色
明 治 35
年刊 編輯・発行尻垂 坂 田 中喜久太
J
1
i1
1
1神社は 明治 7午県村。 I
i
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3
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J1
者官幣十 │
ー
と なっており、自 幣十│はt
.
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いl
省か ら幣市を供 j
i
fする長│
であり、尾 山村l
社もそれといl
桁の社
とな った司
会 により !
変釘祭が行われた 。 これらの社桁は1l{j:f<n20
年をもって脱止となっ た。
羽生活・産業
役所の広報
Jf.I用場).金沢町会所が領民 国l
疫柄の流行に対し、部(症I
人に 山 した対処指導広報である 。
1
7
8
6
)6J
]の疫病流行の際に
天保 5年のものは、大別 6 (
件i
公L
i
j
f
L十jに対して薬法(食物)による
附されたものの 再版で、 f
対処法が記されている o 文;
久 21
r(
1
8
6
2
)のものは、麻疹(はし
か)
の流行 に対 して 1 されたもので、この年には コレ ラの流
l
I
心と した対処法で、 i
行もあっ た。大保 5年同様、食物を r
に配布された 。
万 5千枚が金沢市 11
Lょ う し ん げ わ さ ん
58 r
正信備和讃 J KI-331 木版
刊年末詳
ごさんよう 1
1 す
"
r
上つつみ町 三 がや五郎兵衛板
ちの
59 r
御算用場刷り物 J 0
90-971 木版
天保 5年(18
3
4
)刊 時疫はやりを逃れる法
1
1
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まちか t,
しょ す
もO
J
νFEl
守山引 金
f ‘・nkseg制、“nrrピーがrtpt
ゐド‘
取次上堤町柄巻屋八兵衛・南町川尻屋忠七郎
各
一
浦善助
月頭は 月朔の干支や主要)百注のみを記したもので、 灯の │
ーには月の大小(口数の
乎ばれた 地方雌。
遣い )を記しで あること から月頭と H
V 叶叫
平良
パェ“
のfbZM句十
61 「みつのとのいのとし月頭J 4
4
9
.
8
5 木版
6
2
)刊 月 頭 版 元 竪 町 津 幡 屋 義 助 ・ 上 堤 町 松
文 久 2年(18
t
N
半和 3年 (8
0
3
)・
文政 7{
ド
(
18
2
4
)ー文久 2年(18
6
2
)にあった 。流行病を沈l
静化 させる ために配布された 。
l
Ad-- 市
zA
五
一万 五 千 枚 限 売 買 不 許
Ai'
守
町会所製板
原題「麻疹養 生井 食物禁忌の ~JJ 。 麻疹の流 行 は安永 5 年(1 776)
1
aPAH
dJth時一 るぞ
恨
“
60 I
町会所刷り物J 0
90-970 木版
62 「養蚕摘要J K6-23 木版
864)刊 石 黒 千尋著 石 崎 朴 軒 訂 正 河 波 有
元治元年 (
道序桑林堂発板石田太左衛門梓下堤町糸物老庖組
屋徳右衛門製本
はるかいこ よう さん なが ごよみ
63 I
春蚕養蚕永暦 J K
6-22 木版
8
6
4
)
f
t
j 石 黒 千 尋著 石 崎 桑 山 訂 正 石田太
元治元年 (
左 衛 門 梓 下 堤 町 糸 物 老 庖 組屋徳右衛門
めい じ ろ くねんみ f
のとりどしたいひょう
64 I
明治六突酉歳対表 」開化新聞追加
明治 5年 刊 開 化 新 聞 社
2
1.
42
2
日本の併は、明治 5年 1
2J
13Hをもって明治 6
"
l
e1灯 I円とされた 。これは従米の太陰)哲(丹の周期的変化を某 1
礎とする)から太陽附(太
陽の回帰年を 一年の単位とする)に変換した ことによ る もので、木氏:
料は両者を対比したものである 。
に じゅう し こう ど う も う ひ っ しょ
う
65 I
二 十四孝童蒙必諦 J K
I-294 木版
明 治 7年 刊 緑雲洞主人序 発 行 書 庫 竪 町 岡 中 善 平 ・ 材 木 町 本 谷 清 七 彫刻竪町 三玉堂
画工木町西尾鹿冶
66 I
保家用文章 J 0
90-1093-5 木版
明 治 9年 刊 直 江 菱 舟 書 ・ 編 輯 二書堂発免
出版の二 書堂は御歩出 r
l:f:l巾m:信と観音 1
1
1
]桜井余三 、
'
lとの合 j
仮になる 。
かいかようぶん
67 I
開化要文 J K
8-8 木版
明治 1
0年 刊 栄 町 石 川 敬 義 編 集 材 木 町 横 枕 清 七 出 版
68 I
厨の心得 J K
3-4 木版
2年 青 山忠次序 石川県第一 女子 師範学校纂輯
明治 1
金沢宇都宮蔵版
かいせいだい に ほんとう ち。うさ
69 I
改正大日本道中記J 0
90-335 木版
年 刊 編 輯 ・出 版 上 堤 町 石 川 敬義
明治 14
70 I
石川県名数異同表 J K
O-53 銅版
明治 1
5年刊 編 輯 下 鷹 匠 町 大 村 勝 正
石川顕才堂梓
出版材木町 千羽伝三
71 「引札 J K6-285 木版彩色
6
。金 沢 石 浦 町 御 宿 西 村 久 勝 明 治 1
年刊 編輯・出版下堤町 今井 勉
。松 任 御 宿 商 井 ニ 履 物 商今西久平
明 治 22年刊 編 輯 ・ 出 版 賢 坂 辻 通
り吉岡久
商},'7の 亘 h~ のための広f'T fL 。 江戸末期より 存 千 1,するが、
l
明治則に多く見られ金沢における│尚 i
l
i
i
の拡大を反映する
ものともいえる 。
8
72 r
弘法大師御詠歌 J K
I
2
9
6 木版
2年刊 発願主宝集寺光明真言講中 権 中 教 正 高 岡 増 隆 序 林 知 厚書
明治 1
r li~ 禁売買 J の 印 が押されており、;i)~i
I
ir のみの配 布物か 。
御詠歌は 一 面溺!法院から二十~i'fi主集守まで 。
めい じにじゅつ よねんかのとうりや〈 れき
73 r
明治甘四年辛卯略暦 J 0
9
0
1
0
1
2
5
5 木版
明治 2
3年刊 下堤町筒井信由編輯・出版
74 r
略暦 J 2
3.
49 木版
編輯・発行高岡町上薮ノ内神宮奉費会金沢本部
明治 28~39 年刊
広坂通印判師北地武明
|明治36年のものから 印 刷人として北地 ii\~月の名が記されるようになる 。
W 名鑑・番付
ぽんしょうがっつ く
ちの み たて〈刷、づけ
75 r
盆正月作り物見立位附 J 0
9
0
1
1
2 木版
3年(]8
3
0
)刊
文政 1
文政 1
3年の「盆正月需付」である 。近岡八 D
日衛 門の対「探花文庫」の判がある 。 j
京、短は 「
為笹p
覧1
1
月中作り物・刺 H
工物・ l
峨織 弁ニ提灯・行灯
間合見立イ守│刊である 。
ひとむちぷかん
76 r
人持武鑑 J 1
3
.
0
5
1 木版
刊年末詳刊者未詳
「正治 }C年四月求之」の需き人れがあり、存者末期の刊行になるも のと与えられる 。川│
賀務においては「侍帳」と祢されものである 。 「侍帳 j
,
には江戸初期の藩士を古き上げたものを初めとして、古寺治をit!iじて作成されているが、刊行物は械めて少なし、 o T戸においては初期より
年次毎に刊行されていた 。
本書は家紋・給印などが刷られ、武 │名・禄 I
守) '屋敷地などは苫き入れる形態となっ てい る。
ふないまもな
づ
77 r
御府内町名つくし J 0
9
0
5
7
4 木版
刊年・刊者未詳
しば い ばんづけ
78 r
芝居番付 J 0
9
0
9
4
2
5・6・4
0・8
4
。川上末吉芝居
。さくら馬場戎座
。香林坊福助座
。香林坊補助座
かえっのう い
ご
明治 8年
2年
明治 2
明治 2
9年
明治 3
6年
「東海道五拾参駅 J
他板木師はくろ町有文堂
「嘗最中大槻実録 J 木町北魁堂工
「新形蒔絵護膜櫛 J 制l
石町盛文堂印刷
「
江戸桜 J 長町河岸竹田印刷
みたてばんづけ
79 r
加越能囲碁見立番付 J K
71
5 木版
6年刊 編 輯 ・ 出 版 利 谷 鉄 次 郎 版 木 立 町 新 撰 社
明治 1
ヨ え つ の う 乙 じ ん こ う み tうい
ιりん
80 r
加越能古人高名 一覧 J K
2
2
4
3
明治 2
0年大声子識・ 作 明治 27年 刊 編 集 ・ 発 行 南 町 池 善 平 印刷人越中町太田文左衛門
かなぎわこうりんぽうだ い じんぐうおお
r うばんづけ
8
1r
金沢香林坊大神宮大相撲番付 J 0
9
0
9
6
9 石版
明治 2
3年 刊 七 日 堂石版部印行
明治 2
3午 8月の 71
=
1
問、大 判1
'
{
:
J
'
;
;
行1
1
J
山において興行が行われた大相撲の需付。
力u
t
iI
H身の力士には東前 g
J
Iとしてお淡怖 二郎・小松 1
1勺二松
、 1
!
L
jI
'
Ij
I
T
l'!として大汗 山松太郎 ・宮ノ 1
mガ政・七 l
言問弥太郎の名が見え る。
-9-
おき さ じん ι ゃ と フ ~ 1? ~ ぃ 3 ょ う こ うとう お 必ずちうばんづけ
82 r
尾崎神社東京西京合同大相撲番付 J
寄 託 品 木 版 明 治 24
年刊金沢近広堂
8)
=
J
下旬より 7H
I
I日、問 I
U
J尾 崎 神 社 1
、
l
で の 興 業。加 賀 の 力 士 に は 先 の 桁淡 桁三 郎が*の A
│
共!となり、他にはボの前 H
f
i折 ノ 森三 太 郎 都 1
1=.
太 郎 荒波DtJ! Y f!l~ ぷ 院 政 青 )
1
1賀鼠伊三
f!I\・鏡 石 比五 n日があり、西では小結に {~i 淡勺 = 占
前頭に打│森勺 = 占の 字;が見られ、内方に
能登の力士三 名が見られる 。
さん Lょうさん くるわ はな
みたて
83 r
金城三廓花の見立 J K3100 木版
年刊 穴水 町 加古保五郎編集
明治 24
中町田中貞吉発行・印刷
四 文 芸 ・ 趣味
84 r
加I
賀染 j 寄 託 品 木 版
天和元年(1681
)
刊 (杉野間之編) 久津見一平践 上 堤 町 楚 屋
五郎兵衛板本
ほうせ ん か さ ん ど う Lゅ
う
85 r
忘筆集嬰桐集 J ー 五 090-9972 木版
1
7
0
6
)刊 平 岩 仙 桂 著 元 禄 16年 (
1
7
0
3
)大 沢 猶 興 序 伊 藤 祐 寿 践 堤 町 三 ケ屋五郎兵衛・
宝永 3年 (
洛陽平野屋佐兵衛板
平岩 仙十│は加債務の儒者で 、本 山 は 1
1佐 の詩集で ある 。 li1行は令沢 の
は
ケ同とよ;~ f
i
l
iの平野区の合版となる 。
つゆ
86 r
こと葉の露 J 2
3.9-55 木版
1
7
8
6
)刊 天明 3年 (
1
7
8
3
)小寺後川序
天日月 6年 (
暮柳舎蔵
博労町板木師平蔵・岡市郎右衛門梓行
住相|1 13 は金沢の俳 人の庵 対で、初代は綿 j主希ドミ[、小川後川が 2 代待相1I1iを ~:I~: W;して いる 。
87 r
花の賀集 J K94
1 木版
嘉永 2年(]8
4
9
)刊 刻 刷 南 町 川 後 屋 書 林 上 堤 丁 松 浦 八 兵 衛
(
1
1、かい
'
!
' J
..J
さんじ ゅうろっ か せん
88 r
俳諸三十六歌仙 J 21
.9-153
木 版 彩 色 嘉 永 5年 (852)刊 彫 工 書 林 集 雅 堂 ・ 上 堤 町 八 尾
屋喜兵衛・同松浦八兵衛
表 題 は 仮 題。表 紙 思 笠 は 欠 航 し て お り 、 「 亡 ゴ く さ
どうらゅう めいしよ
書 周5
4本 エ
同 会
.i
え
全Jとある 。
さ
89 r
道 中 名 所 記J 1
6.933
1 木版
5
4
)刊 金府等願精舎臓版
嘉永 7年(]8
よ
拾八号事
?市享寺在
ノ
一
、
「金沢 よりよJ~ 都まて」の名所記を 1-1 1 心として、前~J ノド八景・近 TUlli j.釘 i立 . m 中 )-J 次参詣記 ・
]
a
:
.
J
号 央
街街
:
豆
六平n
めくりなどを収める 。
90 r
菊くらへJ 21
.377 木版彩色
慶応 3年(]867)騎鶴山人序近広堂刊
I~ み~:J.\には「 東主~r 地制Il見 のふれん鋭J とある 。 遊郭は大保 2 年 (1 83 1)に然 止とな っ たが、慶!心 3 1.1ー (867) 1 1 I ぴ日来が認可され、本 .~li: を は
じめとして「東新地絵図 J(
K3-1
0
2)
近 広 堂 │リ・庫敬三
宮や 「
西 新 地絵
│
孟I
J(
K31
01)児減写なども刊行された 。
とう ゅうに もろ く
91 r
東遊目録 J K9453 銅 版
明治 10年刊著・lfI版上柿木畠豊島毅 門 人 中 宮 誠 之 ・ 戸 水 信 義 発 免 長 町 吉 本 次郎兵衛
奥付にゆ[ぱ1
因小松 j
l
i林Ir
J
L
r
'
?)
j
l
j
'
,
'
;
:
,
;
又川
口¥
IJの正1あり 。 貸 本 印 で あ ろ う か。
しん
二れ
92 r
新ばん虎列刺くどきちょぼくれぶし J K7-53 木版
明治 12年刊 探 花 房 戯 作 編 輯 ・ 発 行 近 八 郎 右 衛 門
f
T縦 版 で 、 本 題 と 共 に I
大新はんこれら流行 ー ツ トせふし n
大新はむ戊タI
)
W
J
I
合戦絵入くどき Jr
虎タ'
1
)
1
1
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1
跡1
]
"
1
約│
師
[
房W
;
tM
i
l
[絞 1
を合み、 「
コレ
ラ
イT
せ んJとしている 。 また際花房は近八日 1
¥
有 衛 門の号で、自ら「戯作 I
唄一 家 兄 i
l
't
草花房 Jを名乗っている
93 r
百人一首女教草大和錦 J K3-157 木版彩色
年刊 一琴 楼 胤 信 序 御 歩 町 春 田 篤 次 編 輯 上 堤1
1
可 知 新 堂 出 版 横 安 江I
r
J近八書房版・発売
明治 14
94 r
金沢敵討宮本左門之助武辺ぱなし J K9409 木版
年刊 探花房戯作(近八刊)
明治 14
U
日
1よ
かなざわめいぶつかい あん じ
か
えうた
95 r
金沢名物海安寺かへ歌 J 初 偏 K7-111 木版彩色
刊年末詳(明治) 市川猿蔵作 くわんおん町桜保板
海安寺 は端 l
唄の曲名で、金沢の名所を題材に作られたもの 。 1
リ者観音町桜保は桜井保ーの略称。桜井は他に 「
院l
化どどいつ J(
K9-2
7
8l
などの出版もある 。
しんせんひや〈にんいっ しゅ
96 r
新選百人一首 J K9-314 木版
明治 19年南無庵文器序・刊画工光嶺・麗雪
町精広堂横安江町近八郎右衛門
さいはんか
な
彫刻十三 間
で ほ ん ちゅう Lんぐら
97 r
再板仮名手本忠臣蔵 J K9-346
木版明治 19年 刊 編 集 ・ 出 版 近 八 郎 右 衛 門 発 免 所 尾 張
町叢文堂
98 r
増補掌中蒼虫L
発句集 J 21
.9-147
明治 23年刊 野町砺波成作編集・発行 玄蕃町森川斎印
刷 尾 張 町 雲根 堂 発 行 序 文 梅 室 践 文嘉永 5年大夢
ほうじょうりゅうしょ l.うげんこうたい
99 r
宝生流諸祝言小謡 J 2
6.22-2 木版
明治 31年 刊 福 井 県 大 野 町 古 川 松 堂 編 輯 横 安 江 町 近 八 郎 右 衛 門 発 行 木 町 松 本 茂 兵 衛 印 刷 斡
旋人大野町古河松堂・大久保秀造・松崎新太郎
ょううよ〈けん ろ〈えん
100 r
謡曲兼六園 J K9-442
明治 38年 刊 福 島 杏 山 作 際 川 迂 史 刊
収書擦の看板
かんぶんどうがく
101 r
観文堂額 j 池善書庖看板額 090-1097 8
1x155(Cm)
正徳元年(17
11
) 李東郭筆
n
訪日は勾で、姓を李、全;を季、下を重叔といい、製述官として来日 してい る。接伴に加わった伊朕桁之は?上 p まで随行し交流を派め、
東郭に[観文堂]の揮乏を求め、この挿乏をもとに作られたのが本同額である 。
同額は、のちに伊藤の古
万之助のザ常に
屋から前 m
移り、さらに維新後才川某
の応頭に掲げられ、ついで
池斉書唐に渡り応頭に掲げ
られたとされる (
鶴園桁ほ
か 『日 本 近 世 初 期 に お け る
渡来朝鮮人の研究~ 1
。
Lょうと〈 わ か ん Lょ
う l.うろ〈
102 r
正 徳 和 韓 唱 酬 録 J 手写本 38丁 K9-444
正徳元(17
11)年 伊藤華野著(加賀藩儒者 1681-1736)
伊 藤 は 、 名 は 初 め 出 R、 後 に 祐 之 、 字 を 思 忠 、 号 を 茶 野 ・剣渓 ・白 雪楼・春秋館・観文堂、通称を斎宮という 。京 都の人で冗禄 9年
(
16
9
6
)より加賀に移った 。
正 徳 JC年将軍家宣襲職祝賀の朝鮮通信使来卜│の時、伊藤も接伴役の慈照院組縁と共に、大坂において通信使を迎え、江戸まで随行した。
Yl老を依頼した記述が出 てくる 。
この時に 製述官学束手1と伊藤との談論筆語を記したもので、中に、 伊藤の需用名である[観文堂]の f
2回の
通 信 使は、朝鮮同主 が図書と進物をも って、家町時代より江戸 時代にかけて将軍に派遣した外交使節団のことで、江戸時代には 1
来訪があ った 。使節団は i
E使・制使・従事宵の 三 使 を は じ め と し て 、 主 上 訳 官 上 通 事 ・ 製 述 常 な ど 以 下 兵
化や 巾国文化に触れる機会となっ た。
1
:
からなり、先進的な朝鮮文
1i
1i
X 人気戯作者作品
(
郷土外)
。滝沢馬琴
103 I
俳譜歳時記」 上 ・下 9
11
.307-1 木 版
享和 3年 (803)刊 曲亭 主人 纂 輯 著 作堂 序
書 庫 東 都 蔦 屋 重三 郎 ・ 浪華 相 原 屋清 右衛 門 ・ 尾 府 永 楽
屋東 四 郎
しんべんすい こ
がでん
104 I
新 編 水i
許画伝」 巻 五
文 化 2年 (805)刊
091
.8-6 木 版
曲亭 主人 編 訳 繍 像 葛 飾 北 斎 酒 井 米 助 刀
弥 兵 衛 ・ 同 角 丸屋 甚 助
書 捧大 坂 勝 尾屋 六 兵 衛 ・ 江戸 前 川
O山 東 京 伝
105 I
骨 董 集 j上 ・ 中 ・ 下 096.32 木版
文化1
1年 (81
4)(上・中)同 12年 ( 下 ) 刊 醒 斎 老 人 (京 伝)著
備 書 島 岡 長 盈 ・ 藍 庭 林信
次 郎 大 坂 塩屋 長兵 衛 ・ 江戸 鶴 屋喜 右 衛 門 梓 行
巻頭部に「本安 H本甚 H河徳川金府越前屋弥兵衛 H高橋 Jの印あり。貸本屋印と推測 される 。
刷 人 朝倉 吉
。 十 返舎 一九
106 I
たからふねJ 後編 21
.9-218 木 版
文 政 10
年(18
27)刊 十 遍舎 一九 作 歌 川 広 重 画
栄林
堂 岩戸 屋 上 梓
107 I
青 楼 絵 抄 年 中 行 事 」 上 ・下 21
.3-76 木 版
明 治 41年 刊 (事 保 4年 版 の再 刻) 十 返舎 一九 編 輯
藤一宗
江 戸 絵 師 喜 多 川 舎 紫 屋 歌麿 筆 彫刻j
堂 藤 右 衛 門 書 房東 武 上 総屋 忠 助 寿 桜
摺工鶴松
《金沢の書躍》
51
)
・ 寛文元年(16
6
1)
の町
金沢における 書擦の始祖と 言 われる 者 に 〔
三箇屋五郎兵衛〕がある 。三箇屋 の名は慶安 4年(16
年寄役の中に 〔
堤町三箇屋九郎兵衛〕の名が見られる 。三箇屋 の祖は越前北庄の出身で木下を姓としていたが、 前 田利家 に
百 されて 金沢 に移り 三 箇屋 を称した (
森 田平 次 「
加越能書籍一覧 J
)。町年寄 となる九郎兵衛 は三代目にあたり、 書践 として
名の出てくる 五郎兵衛は 五代目 にあ たる 者で
、 「
書車堂」を号 とした (
r
金沢墓誌 j
)。
書慰三 箇屋 の刊行物は俳 諮蓄 を中心として、元禄期(1 688~ 1
7
0
3)
か らの活動が確認 され、本展示では宝永 3年(17
0
6)r
忘
釜案饗桐集 J(
目録 N
o
.
85
)と正徳 5年 (
17
15
)r
六用集 J(
目録 N
o
.
l3
)を展示 した 。五郎兵衛 の後 には 三箇屋五郎作の名で の刊行物
が見 られ る。
正徳 5年(17
1
5)
の「
三 ケ屋五郎兵衛板行 目録 JU
六用集 J
)には、前掲書の他に 「
伊勢京大和廻 リ高野和歌浦須磨明石矯州名
北陸道江戸道中 図n
金沢 ヨリ 中仙道東海道図 Jr
茶の湯奥儀抄 Jr
居家要言掛物 n
紅葉賀御手本 Jr
当用御手本 Jr
筆の
所道 図n
硯の 海御手本 Jr
袖 中暦 n
年代一覧 n
安見年代記 Jr
前後亦壁賦 Jr
煙草記 n
立 山禅定之図 Jr
百寿図 n
百福 図Jr
連歌
海御手本 Jr
岩桂詩集 n
三用集 Jr
六用集 n
連歌式目 和歌抄 Jr
玉津嶋和歌物語 Jの刊行物がある 。
雨夜記 Jr
[三箇屋五郎兵衛]の 出版活動と同時期に 、[三箇屋]と同じ 上堤町在の[建屋五郎兵衛]という 書擦 の活動も 認 め られ る。
81)に俳諮書「加賀染 J(目録 N
o
.
8
4
)が刊行されている 。 これ らか ら、金沢における 書障の 出現と出
[建屋]か らは天和元年(16
7
0
0年代初頭か ら本格化し てい ったとい うこ とがで きょう (
盤屋 につい て は1
6
0
0年代末から)。
版活動は 1
8
0
0年代 の文化 ・文政期に 多くの書鮮の出現が確認でき、 藩末期に至り、出 版活動の最盛期 とも
また 、金沢 において は1
いえる状況を迎える o
朝 倉治彦 ・ 大和博 幸繍 『近|山也方出 版の研 究 J においては、 地 方での出版は寛政期 (1 78 9~ 1
8
0
0
)
か ら隆盛に向かい、地方
書擦の 最 盛期は文 化 期~ 安 政期(1 804~ 1
8
5
9
)であ るとし 、金沢 につい ては、 先の [
三筒屋]
[建屋]
の出てくる時期に 地方 出版
の中心地 のー に加わ ってくる地域 としている 。 また金沢の 出版の特色として俳書 出版 の多 い地域ともしてい る。
明治期に 入 ると、 印刷形態はかつて の木版 に加えて 金属活字印刷や石版印刷 が導入 され、多彩な出 版物が見られるよう
になる 。 中でも小嶋到将は異足師であ った技術 を生かして 活字の鋳造 を行い、金沢 における活版印刷業の 暗矢をなしたと
r
金沢墓誌J
l)。 また金沢の出 版史 の中で
、 金沢にお ける最初の新聞である 「
開化新 聞jを発行 した 吉本次郎兵衛
評価される (
の名も 記 してお かねばな らない で あろう 。
近世 ・近代を通じ て多くの書癖が輩出するが、 これ らの 出版物については展示品を もっ て紹介とする 。
円
4
1
ょ
《出版目録などに見える書躍》
。文化 8年時
「
金沢町名帳 J(
09
0
1
0
3
4
)より
塩屋与三兵衛
(観音町)
米永屋茂助
(南問)
書物商売
松浦善助
し
仁堤町) 書物商売
八尾屋理右衛門(南町)
書物商売
八尾屋与二 兵衛(南町)
書物商売
八尾屋喜兵衛
(上堤町) 書物商売
八尾屋弥兵衛
(
上堤町)
袋物弁書物商売
柄巻屋重助
(上堤町) 書物・道具尚売
松寺屋佐平
(
御門前町) 古本商売
能登屋権兵衛
(安江田T) 書物商売
(
百姓町)
小川 屋ぬい
(
野町)
谷屋半右衛門
。 明治 9年時
貸本商売
貸本
「保家用文章 J(
0
9
0-1093-5)
田中重信・桜井余三平刊より
近田 太平
中村喜平
近岡八郎右衛 門
岡崎与平
石川敬義
八回次郎冶
八回次郎冶
中越久次
越田弥兵衛
当卯平
浅野宇佐松
池善平
野島信吉
供田太七
山田耕吉
増 山平助
松浦八兵衛
千羽伝三
横枕保市
桜井保平
0年刊 「
開化要文 J(
K8-8
)には八尾利右衛門の 名 もあり
※明治 1
O明治 1
2年時
「数学必携 J(
09
0-1
0
9
3-31)木村勘兵衛'fJ
Iより
供田太平
春 田徳太郎
桜井余三郎
桜井保市
山田信景
田中重信
千羽伝三
大谷喜平
本谷清七
近岡 八郎右衛門
浅野宇三郎
八回次郎次
石川敬義
岡崎輿平
中越久次
当卯平
池善平
松浦八平
越田弥平
増 山平助
武藤信吉
野島信吉
中村喜平
近田 太平
5
年時
@明治 1
「修身指要 J(
K3-24
7
)
益智館刊 より
森下町供田太七
尾張町春田徳太郎
同大谷喜兵衛
同山本久太郎
南町石川敬義
同池善平
野町山口迎徳
上堤町中越久二
横安江│町近八郎右衛門
南町野島信吉
上堤│
町中村喜兵衛
安江町近回 太平
片町益智館支!
苫
洋書
=
=
;
j
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5
金大-
.
"
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瓦
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A宇 事 実 害
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ミ
寄
島
南
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一十一一--ーー一町一一←
…
_
.
J
「
石川県下商工便覧 J(明治 2
1
)蕎眉図
3年時
。 明治 2
池善平
「
新編字書 J近回 太三郎刊(09
6
.
8-2
8
3)より
近 八 郎 右 衛 門 供 田 太八
岡崎与平
石井久太郎 益 智 館
棚田 岩次郎
石川敬義
2年は 《発弘書騨》、明治 1
5
年は 《発行書林》、明治 2
3年
※ これらは、明治 9年では 《弘通書騨》として記されるもの、明治 1
は《発行書隠》と記されるも のであ り、版元 と限定できるも ので はないが、書騨として刊行と販売が明確に分離しておら
ず、販売(書応)のみとの限定もできない。
〈参考文献〉
笠井助治著
『
近世藩校に於ける出版物の研究J
年
ん』今 回洋三著
著
5
7
年
昭和 3
7年
吉川弘文館。 『
石川県印刷史 J
石川県印刷工業組合編
編者に 同。 明治大正期を中心とした 『
郷土出版物展目録』 石川県立図書館他編
2年
昭和 5
日本放送出版協会。
『 江戸の本屋』鈴木敏夫著
6年 原 書 房。 『
活版印刷史』川田 久長著
昭和 5
昭和 5
6年
3年
昭和 6
中央公論社 『日本出版文化史』成瀬恭
昭和 5
7年
編者に向 。『
未刊史料による日本 出版文化』
ゆまに 書房。 『
近世地方 出版の研究』朝倉治彦他編 平成 5年
東京堂出版。『江戸の版本』中野三
敏著
近世金沢の 出版 J竹松幸香 著 平成 9年 地 方 史 研 究 2
6
90 W日本印刷技術史』中根勝著
平成 7年 岩 波書居。 「
1
2年
八木書底。 『
本と活字の歴史事典J印刷史研究会編
平成 1
2年
4
年 編 者 に 向。
川郷土 史 学 会 編 平成 1
昭和 4
3
編者に │
司。
『江戸の本屋さ
印刷学会印刷部。 『
近世貸本屋の研究』長 友 千 代 治 著 昭 和
東京堂 出版。『
石川県にお ける 古版本展』石川県立図書館他編
弥 吉光長著
昭和 5
5年
昭和 4
7
年
平成
柏書房。『加賀は 天下の書 府継承 の世界図書文化J石
qJ
1i
率⑤
国②
@④
書騨 印
① 「加州 金沢堤日]書騨 御 用 御書物所 宝賢堂松浦善助」、
④「⑫書林松浦善助J、②「綿平」は金沢の綿屋平兵衛のも
の、③「加金城 材 木 町 松 花 堂 小 松 屋嘉兵衛 j、⑤「小嘉
」
は③ と同じ小松屋嘉兵衛のものであ る。これらは 「三査問
書 J(写本)に 押印されていたもので、貸本に 書慰の所蔵を
示すため押印されたものと思われる。
江戸 ・明治期
金沢の書障と出版物展
会
期 /平 成 18 年 10 月 7 日(土)~
1
1月 26日(
日
)
編集・発行/金沢市立玉川図書館近世史料館
印
刷/田 中昭文堂印刷株式会社