えみしの贈り物 Ⅱ(PDF)

『えみしの贈り物 (2)』
岩手県下には他にも金勢神社が多数残され
佐藤 ひさよ
ており、中でも玉山村(現盛岡市)の巻掘神
社は金勢大名神として名高く、『日本神祗由来
盛岡の中心より南東に約4 km、安庭(あ
にわ)という地名がある。
辞典』には「定かでないとしながらも金勢神
の根源と言う」とある。だがこの巻掘神社は
そこより 800m 東方に『智和伎神社』『金勢
大明神』または『沢田の金勢さん』と呼ばれ、
「明治以前は智和伎神社と呼称した」と『巻
掘神社縁起』にある。
近郊近在の氏子の信仰を古くから集めている
神社がある。(えみし・2006・ 秋資料集)
巻堀神社
沢田智和伎神社 入口
このように名前の由来から謎に満ちている。
安庭の語源はアイヌ語研究家の菅原進氏の
著書『 アイヌ語地名考』によれば、「あにわ
(我等そこに居る聖なる山)」となる。
誰が、いつの頃から何を御神体としてお祭り
したのかを『智和伎神社由来記』を基に探っ
てみたい。
さて、この神社が「智和伎神社」と呼ばれ
たのは、そう古い事ではない。廃仏毀釈の嵐
が吹き荒れた明治二年六月の事と『智和伎神
社由来記』には記されている。(智和伎神社の
誰が、いつ
氏子代表の清水治郎氏が、昭和63年(198
8 年 )文 献 資 料 を 基 に 神 社 の 実 状 を 表 し た も
の。)
『智和伎神社由来記』の古書記録によると、
弘化二年(1845年)九月、豊山右仲という
人の書上で、徳治二年 (1307年)田丸和泉
『智和伎』のいわれは何か。名を決めた根
拠も記録も無いという。上記『智和伎神社由
来記』の由来と実状の項に「古老及び諸先輩
方言い伝えによれば、猿田彦命は天照大神の
道案内をされた神様であり、道路は四方に別
れる処なるを以って信者に例をとり道を血に、
要するに血をわける神様と申し智和伎と言
が勧請した記録があり、「即ち金勢大名神の開
祖と解釈して間違い無い」とある。『南部公御
留帳』によると、「寛永13年(1636年)今
より352年前、澤田金勢大名神、苫米地刑
部正春の従臣七之助と申す者有り、82歳の
老齢にて死す。この者多年金勢を信仰する故
に死後この此処に安置する」とある。
う」とある。
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さらに付随と思われる文章として
る形相なるものか、疑問が残されている現今
「神像は男陰にて岩手郡巻堀村の社と同体
である。」
也而乂我封内に限りて他邦になきものなり。
或いは則道祖神とも云う」ともある。
文書に残されている、いつ、誰が、の記録
名前の謎
は以上である。
では『智和伎神社由来記』でも言っている
ように名を「智和伎」と改めた根拠は何か。
『由来記』では「猿田彦は天照大神の道案内
で、道路は四方に別れる処で信者に例をとり
道を血に、要するに血を分ける神様」と言っ
ている。
祝詞の大振る舞いの言葉の中に『伊頭の千
別きに千別きて』(いつのちわきにちわきて)
というのがある。意味は「厳かに良く押分け
て」の意味と言う。或いは、これが真相なの
かもしれない。
私がこの神社を最初に訪れた時のことを記
縄文時代の石棒(北上市大橋遺跡)
述してみる。98年4月2日の事である。
「鳥居の手前に数百年を越そうとする左右
御神体の謎
対様の大木が立ち、その間にある十数段の
コンクリートの石段を登ると神殿がある。他
さて御神体は何か。これが一番の謎ともい
える。
神社の前にある鈴も賽銭箱もなく、独特なも
のを感じさせる。
『智和伎神社由来記』には「温故名跡誌に
よると御神体は男陰と記載されている。が実
体は何も知らざる事である。御神体を納めら
れている木製の箱あり。其の箱は本殿に祭ら
れているが大きさは高さ約33cm縦横17
cm重さ500g程度で軽い。又其の中に小
さな箱あり。四方にしめ縄を廻してあり、先
祖代々、信徒総代及び氏子、古老達の伝説に
よれば其の収められている箱をあけ御拝顔さ
2本の御神木の欅
れたことがいままでないと言う。」
「考古学或いは神霊学の学者かその研究を
なされる方々が神社を訪れ、御神体を納めら
本殿の右側に大木があり、その下に花崗岩
れている箱を開けようとするも、この話を聞
が見える。四角くしめ縄で囲まれた石の陰陽
いて無理に開けようとせず立ち返ったと言う。
物があり、台形の石二個の上に様々な陽物が
性器に関係ある男陰か或は五穀豊穣にまつわ
乗っている。二個の台形な石は大きく、約3
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メートル×2メートル。ここではこの石が主
界の根源となる両性の存在だ。さまざまな事
体を成している。上に乗っている金勢がそう
情を集めたシステムが及んだ事だろうが、何
みせるのか女性性器を現しているように見え
故か智和伎神社の氏子達には長い間そのシス
る。
テムは受け入れられなかった。何故なら、す
後方の長い自然石の陽物を本尊と言うのか、
はたまた手前の赤褐色のとんがった陽物を言
べての根源をなす男性と女性以上の納得でき
るシステムが、他にあろうか という事だ。
うのかは不明。あるいは本殿の中に御神体が
それが『智和伎神社』の名に残された謎で
あるのか。後日、祭日に来て見たいと思
あり、発生の謎であり,御神体の謎なのだ。
人間の営みの、最も古い層が飲み込まれず
う。」と私の記録にある。
に残っている。それが『智和伎神社』と考え
る。その上新しい自然に近い形で記憶の再生
を計っているようだ。『智和伎神社由来記』の
最終頁にも次のように記されている。
「境内には御神木あり、神殿に向かって一
の鳥居を通り石段昇口の左右に数百年経過し
たる欅二本あり、地上十数メートルの大木な
るが両神木の根もとに左は女陰、右は男陰の
形相あり、この両陰は年々大きさを増す傾向
である。」
女石、後方は男石
境内にある自然石の女石・男石は「智和伎
神社」の名に相応しい。「ちわき」「地湧き」
即ち大地から湧きでた神様と言うほうがより
実状に近い。その信仰の対象は自然石である
故に、古くから人々の心を掴んだ。縄文時代
はおろか石器時代に遡るかもしれない。
縄文時代から弥生に移行する際、大きな変
欅の男陰
革がもたらされた。
その一つに縄文時代にあった母権的フェニ
ミズムが変質し、男優位の社会に変わってし
まったと言う事がある。新たに形成された国
家は、ながい縄文の歴史から比べれば、短期
間に入れ替わりのシステムを整えなければな
らなかった。
国家というシステムを整え神話を作った。
新しい神話と言うのは智和伎神社でいえば、
猿田彦と天照大神だ。だがこのシステムの統
一作業はもともと核があっての事ではなかっ
た。核とは智和伎神社でいえば男石女石、世
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欅の女陰
現代のシュリーマンと言われる、旧石器時
代の早坂平遺跡発掘にも携わった、当会顧問
の長内三蔵氏は、旧山形村で男石・女石を発
掘した様子をこう語った。
「まず、男石を発見しました。その後きっ
と女石があるに違いないと探しますと、50
0メートル位離れて女石がありました。古代
の人が男石だけを祭るような事をする訳がな
いでしょう。男・女それは必ず一対のものな
のです。」
花崗岩で作られた男根
長内氏が見つけた 男石(下)・女石(上)
智和伎神社の入り口に立つ木は、いずれ枯
れてしまう。だがその精神が残っている限り
新たな思いで植えられ、育てられて石ととも
に男性も女性も称えられていく。
即ち、えみしが私達に伝える贈り物として、
後世に残されて行くのである。
「また社殿の右後方にも同年位経た欅一本
これあり、参道両脇の御神木と同様、女陰の
形相を地上十数米の位置に現し、これまた雄
大にて年中水滴流し止まる事知らず若き男女
の交接の如く、これ性器の神と信仰するあま
自然石と違い、武骨で美しくない
り神霊のお姿か地界にあらわしたるか」(『智
和伎神社由来記』)
古代の人々から語り続けられてきた密かな
謎の痕跡もない。 後世に今まで通りそのまま
08年3月、近郊の建築屋さんが寄贈したと
言う『花崗岩で作られた男根』が、コンクリ
の姿で継いでいく事は出来なかったのか。残
念でならない。
ートの土台で固定され、女石の形が塞がれて
しまった。
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