中村さん

第5回「ハンガリー旅の思い出」2008年コンテスト作品
中村さんの作品
「今年はどこに旅行行くん?」
毎年夏に10日間ほどの海外旅行に出かけている私。夏休みを前に、知人数人からこのような質問を
受けた。
「今年はプラハ・ウィーン・ブダペスト!!」
旅行も差し迫り、実感がわいてきた私は少々興奮気味に答えるが、決まって返事は
「ふ~ん?!」
そのキョトンとした顔つきと返事から、これらの都市の知名度の低さがうかがわれた。
プラハ・ウィーンはさておき、私がブダペストを訪れたかった理由の一つに「子供鉄道」に乗車すること
というのがあった。1.2年前、TV番組で「子供鉄道」のことを知った。これは社会主義時代に、社会教育
の一環として設けられてきたものが現代にも続いている歴史ある鉄道で、今年60周年を迎えるという。
運転手以外の業務は全て10歳から14歳の子供たちが行っているとのこと。日本の小中学生を見ている
と、とてもそんなことを任せられそうにない。私には遊園地にある乗り物のような感覚を想像し、そして芸
能人やスポーツ選手が「1日駅長」をやっているような遊び感覚的ものとしか、残念ながら想像できない
でいた。
私達はプラハ・チェスキークルムロフ・ウィーンの観光を終え、ウィーンからユーロバスにてブダペスト
入りした。ブダペストに向かうバスの車窓から、トウモロコシ畑、牧草ロールなど北海道に似た風景を楽
しみながら、ブダペストという都市への期待はもちろん、治安や英語の通用性、旧共産圏であったという
ことなどの不安も脳裏にちらついていた。
空が夕暮れで赤く染まった午後8時、ブダペストのバスターミナルへ定刻に到着した。日本では定刻と
いうのは当たり前の感覚であるが、よく遅れるヨーロッパの交通機関、初めて訪れる街での定刻到着と
いうものは、非常に有難い。
さてここからホテルへは地下鉄での移動。しかし直結しているはずの地下鉄が見当たらない。看板もな
い。本当に直結しているのかと思うくらい、全く地下鉄があるように思えない。何て不親切な国なんだ!
という第一印象。
ようやくたどり着いた地下鉄乗り場。小さな切符売り場の窓口で3日券を購入するのも一苦労。今から
72時間後の午後8時まで使いたいと、メモ用紙に数字で表現したが、どうやらこの国は時間制ではなく、
日付指定のようだ。それを理解するまでに、かなりの時間を費やした。改めてこの国では英語があまり
通用しないということを、痛感させられた。仕方なく今から使う1回券、そして明日から利用する3日券を
購入することにした。初めて見る桁数の多いフォリント札を何度も確認して支払い、やっとの思いで購入
出来た時には、私達の後ろには切符を求める人たちの長蛇の列が出来ていた。
翌日からは、ブダペストの市内観光に出かけた。ブダペストの街を見守るようにして建つ丘の上の王
宮。カトリック教会からオスマントルコに征服された時にはモスクに、そしてハプスブルク家に支配された
時には再びカトリック教会にと様変わりしていったマーチャーシュ教会。長い建築期間中にその建築様
式が変わっていく、例えばゴシック様式からルネッサンス様式などという建造物はよくある中、その時代
を支配した勢力により変化し、影響を受けたこの教会から、他では感じる事の出来なかった歴史の変遷
を知った。またドナウ川沿いに堂々たる存在感を示す壮麗な国会議事堂、内部の装飾が見事であった
オペラ座、主祭壇中央に祭られていたのは、イエス・キリストではなく初代ハンガリー国王イシュトバー
ンであった聖イシュトバーン教会。ブダ地区とペスト地区を初めて結んだ、ライオンが見守るくさり橋。
ジョルナイのセラミック製の美しいモザイク模様の屋根を持つ中央市場。他の街にはあまり見られない、
印象深い建造物に、興味を持たざるを得なかった。
この市内観光には、地下鉄やトラム、バスなどの乗り物を利用したが、待ち時間もなく、とても充実した
有効な移動手段であった。また治安の良さ、観光のしやすさなど、気付いたらすっかりこの街に馴染ん
でいた。そしてグヤーシュをはじめ、様々なハンガリー料理も私達の口に合い、またトカイワインも美味
しく、この街に住んでいるかのような気持ちで過せた。さらに観光に疲れたら、ヨーロッパ屈指の温泉大
国と言われるハンガリーで、温泉に浸って疲れた身体を癒す・・・。私達日本人にとって、ある意味異国
でありながら異国を感じさせない、ストレスを感じない国であると思った。
また、街の人がとても親切であったことにも触れておきたい。次の目的地の載ったガイドブックを見なが
ら地下鉄に乗っていると、行き先を察知して、ハンガリー語ではあるものの一生懸命ジェスチャーを交え
教えてくれる。トラム乗り場でガイドブックに書かれている駅名を、行き先路線図で探していると、ホーム
が反対だと指差して教えに来てくれる。この国の人達は私達の様子を伺いながら、言葉が通じないこと
を承知でみんな教えに来てくれる。そんな心温まることが多く、常に笑顔でいられた気がする。
そんなハンガリーへの思いを感じながら、旅行も終盤にさしかかっていた。いよいよ子供鉄道に乗車す
る。まずブダペスト市内から地下鉄でモスクワ広場まで行き、56番のトラムに乗り換える。2つ目の駅で
登山鉄道に乗り、終点駅で下車。ここまでは苦労して買ったあの3日券が利用できるのだ。そしてこの先
登山鉄道終点駅から歩くこと数分、目的の子供鉄道の駅舎が見えた。着いた!とうとう着いた!駅舎に
入ると、既に切符を購入する人の列が出来ていた。「うわっ!ホントに子供がやってる!!」と、思わず
叫んでしまった。そうか、ここからもう子供たちの仕事なのか・・・。
さて、私達の切符購入の順番が回ってきた。いつものように、ガイドブックに書かれている終点駅を指差
し、二人分だと合図した。すると「One way?」と英語で返ってきた!!観光客が多いからとはいえ、街の
大人達、駅の窓口でも通じなかった英語。「イッ、Yes!」と慌てて答えると、「One-thousand
six-hundreds FT」とスムーズに返ってきた。英語も勉強しているんだ、と感心した。さすがに学業優秀な
選ばれた子供達なのだと思った。
電車は1時間に1本、しかも10分ほど前に行ったばかりだった。登山電車の時間に合わせて発車して
欲しいと思いつつ、ビシッと制服が決まったまだあどけない顔つきの子供駅員を見ると、心も和んだ。
どんな電車が来るのだろう?どんな車掌さんが乗っているのだろう?駅には徐々にお客さんが増えてき
た。親子で、またおじいさんおばあさんに連れられた幼稚園から小学生の小さな子供達が、まだまだき
そうにない電車を、ホームで首を長くして待っている。将来、きっとこの子達も子供鉄道の制服を着て仕
事をするこのお兄さんお姉さんのようになれることを夢見ているのだろう。
待ちに待った電車が満員の乗客を乗せホームに入ってきた。乗客に混じり、電車から男女数人の子供
の車掌さんが数人降りてきて、乗客を誘導していた。そしていよいよ私達が乗車する番がきた。私達は2
両車両の後ろの車両に乗った。窓はなく、開放的な電車で、トロッコ列車のようだ。
さて、発車時刻。私達の車両には10歳そこそこの2人の男の子の車掌君が乗り込んできた。2人は発車
OKと、扉から短い手を突き出し、運転手に合図して発車した。駅の線路近くには、発車を見送る子供駅
員君が敬礼していた。
発車後間もなく、車掌君が切符の検札に回りだした。前のおばさんが切符を購入していた。どこまで行
くのかを尋ね、手書きで切符に行き先を書き、おばさんからお金を受け取り黒いショルダーバッグからお
釣りを出す。その姿が、様になっていて微笑ましかった。
ちょうどその時、一つ目の駅に停車した。2人の車掌君達は乗客を降ろし、そして安全を確認して大きく
手を伸ばし、運転手に発車OKを合図した。再び電車は動き出した直後、思わぬトラブルが発生した。何
だか騒々しい。何事かと様子を見ていると、どうやら親子三世代で乗車していた家族のおじいさんと孫
が、先ほどの駅で間違って降車したようだ。慌てて2人の車掌君が、「ピー、ピー、ピー」と笛を吹き、扉
から身体を突き出して大きく手を振り回し、何度も合図を送り出した。しかし運転手に合図が届かない。
お父さんも一緒に手を大きく振り回すが気付いてもらえず、結局電車は止まらないままかなり走ってし
まった。お父さんが心配して2人の車掌君に詰め寄り、どうすればいいのかと話し合っている。お父さん
も、車掌が子供であることも関係なく真剣な眼差しで、また車掌君達も真剣に対応する姿を見て、これは
遊び感覚でなく本当の鉄道運営なんだと考えを改めさせられた。
トラブルが一件落着して、私達のところに検札に来た車掌君が、さっきよりも大きく見えたのは気のせい
だろうか。乗車前、一緒に記念撮影をと考えていたが、そんな彼らの真剣な仕事振りを見ていると、これ
は気やすくそんなことを頼んではいけないと思った。
日本で考えていた子供鉄道への私のイメージは、見事に裏切られた。彼らはこの仕事を誇りに思い、真
剣に取り組んでいた。日本の子供達にも、塾もいいけれど、こういう社会勉強をして欲しいと思った。
そしてハンガリー最後の夜はドナウ川クルーズにて、ライトアップされた街並みをのんびりと眺めた。こ
の数日、地下鉄・トラム・バス・徒歩にて歩き回った街を、ドナウ川から頭に焼き付けた。慌しく駆け回っ
たブダペストの街とは裏腹に、のんびりとした川の流れ。そしてこのドナウ川は、ハンガリーがオスマント
ルコに征服され、その後ハプスブルク家に支配され、更にソビエト連邦に組み込まれた時代を全て見
守ってきたんだなぁと思った。その歴史を基に今日、ハンガリーの人々は自由を手に入れた。現代社会
に疲れた日本人の顔とは対照的に、生き生きとしたあの希望に満ち溢れた人々の顔には活気があっ
た。そしてこれからも、この川の流れのように、この国はゆっくりと歩んでいくことだろう。今後の発展が、
頼もしい国だ。
エリザベートが愛したハンガリー、私もハンガリーに沢山の魅力を感じた。旅行前、キョトンとしていたみ
んなに、パプリカの粉末のお土産を配りながら、このハンガリーの良さを伝えなければ!!今まで色々
な国の様々な街を旅してきたが、またここに戻ってきたいと思えるような街は、そう多くはない。だが、こ
のブダペストは私をそういう気持ちにさせてくれた、とても素敵な街だった。
そして子供達は、今日も手を大きく突き出して、運転手に発車の合図を送っていることだろう。
2008年12月